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2009年7月16日 (木)

在豪・被爆者の証言

 絵本作家でオーストラリアのシドニー在住の被爆者、森基順子さん(77)の被爆証言と講演を聞いた。

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 広島女学院高等女学校2年生だった森本さんは体調が悪くて学校を休んでいて、爆心地から1.7キロの三篠本町の自宅で被爆した。幸い軽いけがで済んだ。爆心地近くで建物疎開に動員されていた同級生や先生350人は全員亡くなった。母校の慰霊碑に刻まれた名前を見るたびに、一人一人の顔が浮かんでくるという。

 被爆後父や兄姉と合流出来て、一旦避難先になっていた原村<安佐南区祇園町原>に向かったが、太田川に辿りついて渡し船に乗って戸阪の知人を訪ねることにした。黒い雨に見舞われて着ている物や白い靴の汚れは洗っても長い間シミになって残った。川を渡ってからも倒れた人が多く水を求めて足をひく人を無視して先を急いだ。裸で走りまわる女の人がいても誰も気にしない状態だった。
 戸阪の知人宅に着いたがその家の長男が行方不明になっていて大騒ぎになっており、お世話いただく状況でなかった。幸い、近所に洞アナを見つけて避難し、父と兄の火傷を手当てした。いつも用意していた救急袋の油薬が役立った。
 
 洞アナで2日を過ごし地域ごとに指定された本来の避難先の安の小学校に向かった。父や兄の火傷が化膿して臭いのを我慢しながら炎天下を歩いた。途中、道端の畠のトマトやナスを取って食べた。道端には非難の途中で息絶えた人が倒れていた。途中、飛行機の爆音を聞いて避難した竹藪には死体がごろごろしていた。安の小学校へたどり着いた。

 病弱だった母は倉橋の知人の所に療養のため滞在していて被爆を免れた。倉橋にも多くの被爆者が避難して、広島が壊滅的な被害を受けたことを知り、船で宇品についた後、歩いて三篠の自宅にたどり着いた。誰もいないのを確認して、前もって決められていた安を訪ねて、家族は合流した。数日間、過ごした後皆で三篠の家に帰った。

 この間、長崎への原爆投下は知らなかったがロシアの参戦を知って、この戦争は負けると思い力が抜ける想いをした…事を思い出す。
 家に帰ってはみたが全く何もなく、木切れやレンガにトタンの切れ端を繋いで雨や日よけを作ってしのいだ。父は火傷で垂れ下がった皮膚が邪魔な為、唯一持ち出した救急袋にあった小さなハサミで切り落とす毎日だった。農家の知人が届けてくれた食料のキュウリやナスを薄く切って臭い火傷に張り続けた。幸いケロイドにならないで癒えて行った。
 所が元気だった姉と自分が高熱を出し歯茎から出血した。三滝で横川の長崎医院の先生がバラックで診療していると聞いて出かけた。長蛇の列に並んで待ち、受診した。
 「これはガスだな…」と言う先生に、姉は「死ぬのか…」と聞いた。「そうじゃのう…」という先生の返事に、二人で「私達は死ぬんじゃネ…」と交わしたが、不思議と不安感が薄く旧来から親しい先生が居られると思うと安心感があった。
 入市被爆の母が、半年後にひどい脱毛や倦怠間に襲われるブラブラ病に見舞われたが幸いに生き延びた。苦しく惨めでばかばかしい程何もない中で生き抜いて一年が過ぎた。

 どうにか元気を取り戻し学校へ戻り、美大に進学した。中学の美術教師を経て結婚し一子を設けたが離婚し、「絵を自由に書きたい」と50歳で姉がいたオーストラリアに移住し、絵本作家を目指した。日本民話を題材にした作品で国際的な受賞もし、’88年に自分の被爆体験を基に英文の「MY HIROSHIMA」を出した。大反響を得て、平和教育の副読本になって学校図書館に収められた。その後、全国の学校から招かれて“被爆体験”を話してオーストラリア唯一人の語り部として平和の大切さを伝えている。

'04年には「被爆者が描いた絵を街角に返す会」が進めている碑が母校の広島女学院に建設された際に自分の体験を絵に託して描いている。13歳で失った友人たちは13歳の少女のまま自分の中に生きている。しかし、今は言葉を持たない彼女達に代わってわたし達が代弁しなければ成らない…との気持ちを一層強めている…。

 女学院1年生だった義理の姉をご存じか尋ねてみた。勿論、ご存じのはずはないが同窓の後輩の死を悼んでくださった。姉は被爆後4日目にどなたかに助けられて帰宅したが、義母はその時「何処のどなたか」を聞き忘れたことを亡くなるまで悔やんでいた…と伝えると、森本さんは「同じような話はたくさん聞いています…」と目頭を押さえていた。

 森本さんは講演の占めで自分が出かけるオーストラリアの学校では平和教育がされてよく勉強しているが、オーストラリアにやって来る日本の若者たちが原爆の事をほとんど知らないのが気がかりだと指摘された。日本には、いや広島県内でも広島市を外れるとほとんど平和教育はされていない。余談ながら、残念だが藤田県知事の在任中に取り払われた結果だ。

 森本さんは今、眩暈がひどく検査入院中で脳腫瘍の原爆傷認定申請を検討していると言う病身だ。緩和されつつあるものの在外被爆者と言うまだまだ厳しい環境にある森本さん治療を受けて元気を取り戻してもっと絵本を書いて…というエールが続いた。

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コメント

二度の核実験を行い、ミサイルを飛ばす北朝鮮、ほんと許せないですね。
中国も、ウイグルで46回も核実験をし、何十万というウイグル人が犠牲になってるようですし。
この二国には特に強く抗議する必要があると思います。

どうすれば近隣諸国の核の脅威から日本が守れるのか・・・
憲法9条を世界各国に広めないといけないですね!

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080811/plc0808111717011-n1.htm

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