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2009年7月

2009年7月31日 (金)

嬉しいブログの繋がり

 初診から10日目に2回目の診療に訪れた。島本院長の話では抗がん剤の服用を自主的に中止したいきさつと周辺を書いた昨秋10月中旬のブログ記事で「この人を診療してみたい、サポートできる…」と感じたと言う。ブログに書き込みを…して見ようか、と思いつつ思いとどまっていた。初診後、改めてブログをチェックしてみて私であったことを確認の上でお便りをいただいた…と云う次第で、“ブログ”を通じての不思議なつながりに感謝だ。

 初診の翌日たまたま数年ぶりにお会いした広告代理店の広島支社長だったS氏が尋ねてくれた。その時、「驚異のトントン」を話したら強い関心を示し、帰宅後早速トントンHPを開いて大坂に公認支部があるのを突き止めてアプローチをして予約を入れたようだ。
 今日、訪ねるとその大阪のM先生が研修で来ておられ、Sさんの奥さんが長年苦しんでいる足腰の診療を引き受ける…とのことだった。なんと、不思議な繋がりが生まれた。

 私の痛みや違和感は確かに戻ってきた。しかし、以前とは違う痛みだ。痛さに声が出るような事はない。筋の引っ張り感が強くなった。研修で参加している大阪のSさんに2人の女性が院長の診療に左右から、踵から頭のてっぺんまでントンと参加して調整が続く。
 終戦の年の9月下旬、国民学校グランドで併設されていた青年学校の教練用の銃を焼却していて起きた爆発事故に巻き込まれた<「9月の戦災」(‘07、5月に当ブログに掲載)>
 死者一人重傷者二人。その一人が私で左大腿部や内また周辺にかなりひどい裂傷を負い、公立広島療養所に40日入院した。その時の、鉄の破片がまだ残っている…ことが確認され、少なからずその後の痛みに影響をして来た恐れがある…と言う。

 また、翌年2年生の時、野球をしていて高学年が振った手作りバットが左目上に当たり、あと5ミリずれていたら失明止むなし…と言われた63年前を話すと、紛れもなく骨の陥没と頭蓋骨のズレがあり「トントン」で丸みを持って修復され、左の耳は更に調整されて聴力はクリアーになった。

 左足のひざ小僧の上部分に陥没が見つかった。昨年、繁華街を自転車で走行中、老女の自転車に突っ込まれて足首の肉をえぐられる事故に遭遇した。その時の陥没としか考えられないが復活できた。数十年前に骨の異常を来した経歴を語り、問題があれば即座に調整されて正常化される…。骨はうそをつかず過去を見事に語る。驚きだ!!
 禁止されていたマッサージで指圧などはしていないが、肩や足とりわけ足首の筋の圧迫は韓国で習った痛みの対処療法は効果があるので続けていた。しかし、改めて禁止された。
 この日は、もう一つ驚くべき結果が出る治療に、驚いた。お尻の復活だ。 <続く>
   <島本整体トントン http://tonton1931.com/ >

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2009年7月30日 (木)

映像で見る広島の夏

 広島ほど夏を様々な映像が語る都市は世界でも希だろう。’45年8月6日の原爆投下がもたらした悲しく腹立たしく、おぞましい夏をTVや映画は記録してきた。
 今年も様々な取り組みが行われるが広島市の映像ライブラリーは「平和のシネマテーク2009」で8月に11作品、上映する。

 中国放送は広島の老舗局としてラジオ・テレビでそれぞれヒロシマ・原爆・被爆者等をテーマにしたドキュメンタリーやドラマに挑戦した。’52年秋からラジオ放送が始まり、翌年夏には連続放送劇「ピカドン物語」を放送した。’59年にテレビ開局し、広島の放送局の使命として被爆の実相に迫る取材を続け、ライブラリーには10万件を超える映像資料があり、原爆関連だけでも8~9000件ある。

 これらの映像や証言Ⅰ万件をベースに、’01年新世紀のスタートに当たって広島映画センターと青銅プロダクションと提携し、ドキュメンタリーの巨匠・片桐直樹監督が再編集・取材して出来上がった作品が「核のない21世紀を」だ。戦争による被爆者は発生していないが原発など平和利用目的の核が多くの被曝者を生み、環境を破壊する…。
 吉永小百合さんが語りを担当する60分の作品は広島が教える21世紀こそ核のない世界を目指す…ヒントが盛り込まれた骨のある記録と証言集だ。

 今年のシネマテークは8月5日(水)①10時30分②14時③18時30分の3回「核のない21世紀を~ヒロシマからのメッセージ~」を丸木位里・俊夫妻が原爆の惨禍を描く姿を追った「原爆の図」と同時上映する。是非、ご鑑賞頂きたい。見ごたえのある作品です。
 
 因みに1日(土)は松山善三監督のファンタジックな物語を通して原爆の悲惨さを描いた「二人のイーダ」’76年作97分。2日(日)’90年ゲンプロダクションと中国放送提携作品アニメ「クロがいた夏」’90年67分。6日(木)は「原爆の子」「きけ わだつみの声」の関川秀雄監督の「ひろしま」’53年作品104分。7日(金)’50年制作、放射線医学の研究者永井隆博士の研究と闘病を描いた「長崎の鐘」。8日(土)木下恵介監督が永井博士の闘病と家族の絆を描いた「この子を残して」。9日(日)黒沢明監督の’91年作品「八月の狂想曲」。14日(金)黒沢明監督’55年作品「生きものの記録」。15日(土)新藤兼人監督の’59年作品「第五福竜丸」。16日(日)今井正監督’57年作品「純愛物語」。26日(水)’62年、吉村公三郎監督作品「その夜は忘れない」。これらの上映は10時半、14時、18時の3回。
 大人500円、子供250円。他都市にない市民の共有財産を活かす上で積極的鑑賞を勧める。 

(問合せ:広島市映像ライブラリー:082-223-3525 http://www.cf.city.hiroshima.jp/eizou/ )

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2009年7月29日 (水)

紙屋町交差点のエレベーター塔

紙屋町交差点の4隅に地下街のシャレオに降りる、エレベーターがある。
油圧式だから、エレベーターを上下させる機器は地下に収納されている。
地上に見える部分はエレベーターを囲うシャフトのみで、高さは5~6Mだ。
外壁もガラスのデザインですっきり纏められている。
ちょっとした街の彫刻になっている。

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以前、平和公園で「シャレオはどこですか」と聞かれたことがある。
「まっすぐいって、そごうデパート前の通りの地下が地下街シャレオです」と説明した。
シャレオは地上を歩いていては見えない。
「わかるかなー」と心配になった。

「シャレオはここにあります」と地上に目印になるようなものが欲しい。

それならこのエレベーター塔をシャレオの看板にしたらどうだろうか。

パリの街角には丸い筒の広告塔が随所に立っている。
だからといって、それが目障りだということもない。

広島市内のバス停が広告パネルで作られているが、これはなかなかオシャレでいい。

公共施設である市役所内のエレベーターの籠の中にもポスターが貼られているが、だからといって特に問題は起きていない。
エレベーターの中は目のやり場に困る時がある。
そんな時はポスターをみればいいから、ポスターがあると却って都合がいい。

このエレベーターシャフトも、オシャレで、楽しい広告塔にしたらどうあろうか。
きれいな塔ができれば、街のランドマークにもなる。
公共的施設に広告をつけてはいけないなんて無粋なことはいわず、なんとか工夫が欲しい。

シャレオはオシャレからきているそうだ。
オシャレな広告塔を作ったら、もっとシャレオの利用客も増えるかもしれない。

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2009年7月28日 (火)

広島市役所ビルの壁面緑化

広島市役所の南側の壁面にネットが張られ、蔦が植えられた。
最近よく言われるCO2削減のための壁面緑化というやつだ。
緑化による建築物のCO2削減を広島市役所が率先して実行したというわけだ。
まだ始めたばかりで、写真で見ても、どこに蔦があるの?といった感じだ。
まだまだ壁面緑化といえるほどにはなっていないが、それでも数年経てば、壁面がきれいに蔦で覆われるだろうと思う。
どんな風になるか楽しみだ。

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壁面緑化をするとCO2削減効果だけでなく、通常室内温度を2~3度下げる効果があるといわれている。
電気代削減効果もあるわけだ。
また壁面緑化は、緑をみることでの癒し効果があるといわれている。
中からだけでなく、外を通る人も癒される。

近頃はマンションの販売も「この建物はこんな緑化対策をし、CO2削減に貢献しています。このマンションに住むと癒されます」と、緑化を売りにしている広告を目にするようになった。

先日、広島市は地球温暖化対策等の推進に関する条例として、建築物環境配慮制度や緑化推進制度、エネルギー環境配慮制度として、どんな対策をしているかを、事業者に表示するよう求めた。
しかしマンション業者は、煩雑な作業が増え、費用が嵩み、販売価格が高くなり、販売に影響するからとして反対してきた。
しかしいまでは、環境に配慮し、緑化するということが、手間暇をかけても、それが販売促進になるということがわかれば、条例云々に関係なく、一生懸命表示し、宣伝するようになった。
可笑しい。
それなら、もっと早く広島市の条例に賛成していればよかっただろうに。
まあいいことはいいことだ。

どんどん、こうした試みが広島市内のビルに拡がることを期待したい。

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2009年7月27日 (月)

ボーレザンサロンドカフェ

平和公園東元安川河畔の通りに面してオシャレなカフェがオープンした。

建物は内外とも真っ白に塗られ、すっきりとしたデザインに仕上げられている。
1Fの外壁にはびっしりと植物が植えられ、2階のベランダにも、屋上にも植物が植えられている。
白い壁面に、緑が映え、きれいだ。
床の木のフローリングは外まで張り出し、そこに真っ白なソファが置かれている。
オシャレだ。
1Fの大きなガラス扉は全面開放され、太田川の堰堤と一体になっている。
その開かれた1Fのソファに座り、コーヒーを飲むのは何とも心地よい。
元安川の堰堤に植えられた木々の緑が強い日差しを遮ってくれている。

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2Fはレストランになっている。

フランスの文化交流拠点になろうということで、フランスの生活雑貨、フランス語講座、ワインセミナー、フランス料理講座もするという。
通訳の業務も請け負うという。
このカフェが地域や国内外からの観光客との交流拠点にもなって欲しいというのが、オーナーの願いのようだ。
カフェはコーヒーを飲むだけでなく、本来コミュニケーションの場だというのがオーナーの考えのようだ。
だからだろう、椅子は一人一人が座る椅子でなく、数人が座るソファが置かれている。
「24時間の情事」のような外国人と日本人の恋が生まれるかもしれない。

会員制として、固定客を確保しよういう運営の仕方も面白い。

この通りは、道路に設けられていた駐車場が数年前に撤去され、同時に道路の東側に歩道が設けられた。
それだけで、驚くほど雰囲気が一変した。
きれいな通りになった。

カフェやレストランが出来ないかなーと期待していたが、期待を超えるカフェができた。
この通りは「8月6日通り?」というらしいが、いっそのこと車の通行を禁止し、道路の部分にパラソルやテーブルを置きストリートパーフォマンスがされるようになったらいい。

カフェ、レストラン、ファッションのお店、生活雑貨のお店が並んだら、ちょっとした広島の新しい名所になりそうだ。

オーナーの卜部さんの思いは熱い。
広島には素晴らしい女性がいる。

女性の方が、男よりはるかに豊かな発想をし、自由に行動するようだ。
平和とは、こうして身近な世界から創っていくことなのだとも思う。

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2009年7月26日 (日)

島本整体「トントン」④

 トントンを勧めて頂いた河野美代子先生にメールで報告をしていたら、昨夜出張先の大阪か電話が入った。「よかったでしょう。よかったね…」ご一緒だった、4月に宝塚市長に成られた中川智子さんも「元気…良かったね…」と弾んだ声に元気が伝わってきた。

 7月26日の「英訳完成記念“世界に飛び立て はだしのゲン”出版応援会」の出欠の返事が来ているか…との質問に「欠席の返信」を伝えた。何と、ご本人は河野先生と会うまでその会の事は全く知らずはがきを見ていないと言う。中沢さんとも知り合いの市長は「何としても出席します」と、市役所の役人たちの勝手な対応に怒っていた。

 余談になったが、トントン治療を受けて3日目の朝を迎えた。
 ここ3年余、手術後の睡眠は結構深いが1,5~2時間に一度目覚める。トイレが近い訳では無いが、目覚めたのでトイレに行ってまた休む…。所が、ここ3夜の目覚め間隔が3時間くらいいなって回数も減った。トントンの成果としか考えられず、嬉しい限りだ。
 昨日、一昨日も従来の散歩は避けて様子を見ていたが、軽い疲れのような眠気を伴ったけだるさが少しあったように思う。左の殿部に多少の違和感があるがいた痛みは無い。
 午後、2時間余の映画を見てじっとしていたせいか帰路自転車を押して歩いてみたが軽い痛みがある。しかし、従来の痛みとは違う筋がピリピリしていた痛みではない。

 4日目の朝もまだ眠い…という感覚の中で目覚め、いつも通り軽い体操をして起きたが軽い疲れが残っている感じが持続している。決して体調が悪いと言う感覚ではない。不思議なふわふわとした感覚でもある。
 昼食後小一時間昼寝をした、5日振りに平和公園の散歩に出かけた。お尻や大腿部の痛みは極めて薄い割に筋の引っ張りがこれまでに比べると強い。休みながら、韓国式の両足首の筋を少し強めに圧迫すると、歩きやすく5千歩を1時間2~30分でクリアーした。
 今日の散歩が、明日にどのように現れるのだろうか…。

 5日目は午後ピースフォーラムの講義に3時間余出席した。散歩はさぼってしまった。
 右足と殿部の筋の引っ張り具合は昨日と一緒…と言う感じ。痛みは軽いが、歩行は結構重い…感じだ。もう少し、様子を見てトントンの院長に相談することにした。
 外出から帰ると島本院長から葉書がきていた。「貴方に会いたい理由があった…」と、次回の診療が楽しみだ。
 あと1~2回の治療で、どのように治って行くか楽しみだ。追って、ここで報告します。
                              <パート1・終>
<島本整体トントン http://tonton1931.com >

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2009年7月25日 (土)

島本整体「トントン」③

 治療を受けた後、徒歩とバス・電車を乗り継いで帰宅した。大腿部の痛みや違和感を探るような気持ちで一歩一歩足を運んだ。
 数日すると痛みも違和感も戻る…と治療後に気をつける点の注意があった。しかし、昨日に続いて2日目の今朝も変わったことはない。不思議にも痛みも違和感も消えている。

 河野先生は一度の治療で腰や外反母趾の痛みに耳の高さにバランスを回復している。
 数日後に戻る…場合は、数回の治療でほぼ回復でき、再発は無い…という。
 いろいろ質問して話を聞きながらの受診の中でこんな話も聞いた。腰痛患者の多くがヘルニアと診断され、手術を受ける。当面、痛みはなくなって回復したかに見える。しかし、時間が経過すると再び痛みを伴って、当院に来られる。腰痛の原因の多くは足の指先の骨の変形がもたらすケースが多く、指の骨の歪みや変形を正すことで回復できる。
 骨の形が正しい人は極めて少ないと②で指摘した。骨の形が悪くなる原因は、一つは先天的な場合、生まれた時から悪いケース。もう一つは後天的なもの、事故やけが、締め付けも大きな原因…と指摘される。更に、後天的なものでは指圧、マッサージによる傷…。
 骨の調整で体中の筋や内臓も本来の役割をして全体の免疫性を高めて健康を取り戻す…。
 
 治療の実績効果で見るとギックリ腰、坐骨神経痛、椎間板ヘルニア、股関節脱臼、外反母趾、ムチウチ、50肩、テニス肘・野球肘、難聴、鼻炎・蓄膿症、胃炎・胃潰瘍・十二指腸潰瘍、高血圧、パーキンソン病、リュウマチ、アトピー性皮膚炎、ぜんそく、脳梗塞、癌治療も…現代病を含むほとんどの治療で効果を上げた驚異の実例が具体に示されている。
 <貴方の病気はトントン骨調整法でなおる島本三太郎:著 中央通信社発行 1200円>

 科学の粋を集めた近代的治療器具を駆使しても病気の原因が掴まれず、従って十分な治療法が無い病は癌をはじめ難病と位置付けられている病気は今も沢山ある。
 これらの病を「骨調整トントン」がどれだけ解決できるかは知らないし判らない。
私の場合で見る限り、痛み追放、音回復の成果は間違いなく、爽快な日々を取り戻せる。

 私の友人知人にも同じように痛みに悩まされている人がいる。早速、「島本整体トントン」の受診を勧め、私の2回目以後の治療はパートⅡとして、改めてこの場で報告したい。
 因みに河野先生のブログはこの2年余広島ブログ・ランキングのトップを走り続けているが、院長のブログ「広島整体トントン・ブログ」も広島ブログの10~20位を張る人気ブログで、“整体・治療”情報をはじめ多様な発信をしている。話の流れで「タウンNEWS…」に触れると「読んでいるよ…!」には驚いた。ブログ仲間だった!! 恐縮です!!!<続く>

広島整体トントン・ブログ http://tonton5484.blog14.fc2.com/blog- entry-205.html

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2009年7月24日 (金)

島本整体「トントン」②

 ここ2~3週間、散歩のとき足の痛みがきつい日があって出かけるのに二の足を踏む日があった。歩くと腰が引けて“お年寄り歩き”になっていた。
 見かねた妻が“トントン”へ行ってみては…と声を掛けてくれた。
忘れかけていたトントンに電話をして予約を取って出かけた。

 トントン骨調整法を開発された島本整体の島本三太郎会長は50歳を過ぎて東京の「骨盤調整」の治療に出会われ、師匠から広島での開業を促されて昭和60年(’85年)に開業された。独自で「骨の調整法」を開発され、多くのお弟子さんを育てた。今の島本整体はご子息の博之さんが院長を務め、評判で北海道から沖縄まで全国の患者を受け入れている。

 まず、施術日誌に自分の悪い所を記入して、院長の問診を受ける。院長は両手で頭から足先まで全身を軽く触診した後、立ったままの姿勢で左足の踵からゴムの当て木の上からゴムの槌で丁寧に叩くトントンが始まった。
 完全に正しい骨の形をしている人はいないと言う。骨が凸凹になっているか、曲がっているか、膨らんでいるか、細くなっているか、伸びているか…、しわが入っているか、折れているか、ヒビが入っているか…など。先生は手で触れることで異常を察知します。
 
 まず基本の腰骨の歪みから徐々にトントンが広がる内に大腿部の痛みの違和感がスウート消えるのに気づく。時に中腰の大腿部を先生が両腕で強く外に引き腰骨をトントンと繰り返す。…腹から胸に移動した後、自然にした深呼吸が久しく経験していないほどの吸引と吐き出しをして肺活量の拡大を自覚出来た。先生曰く「肺の陥没部分が復活しました…」
  
 右肩にあったコリと言うか強い違和感も消えた。16年前に突発性難聴患って以来、聴力検査では異常なしと言われながら、電話の声は聞き取れずスピーカーの呼び出し音やR&TVの音声も聞きにくかった左耳に音が返ってきた。電話して音声部分を左耳に充てると聞き取れる。河野先生のアドバイスは私の体から痛みを除去している。
 2時間半に及ぶトントン整体は両足太ももに腰、尻に両手足の痺れや違和感が薄らぎないし消えた。
何と不思議なことだろう。驚異だ!!!

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 いくつかの注意があった。数日すると痛みや違和感が戻ってくるが、指で押したりマサージをしない。パンツのゴムを緩めで足首も絞め付けないなどだ…。 (続く)

院長のブログ:http://tonton5484.blog14.fc2.com/blog-entry-205.html   
<島本整体トントン骨調整法: http://www.tonton.gr.jp 082-822-9230>

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2009年7月23日 (木)

島本整体「トントン」①

 71歳にもなると体のあちこちに痛みを伴うのは仕方ないことなのだろう…。特に3年前に胃癌の手術前に抗がん剤を服用した後から腰や太腿が目立って痛くなった。整形やペインクリニックなど評判を聞き、また友人の勧めなどであちこちの病院や医者を訪ねた。

 頚椎が少し歪んでいるとか腰椎何番目が少し圧迫気味とか言われたが「何処が悪い…」という診断は受けたことが無く、年相応…と言われることが多いいのはショックだった。
1年半前には韓国の釜山のハリ治療にも出かけた。これは暫く効果があって、痛い時には足首に手首など数か所のツボを教わり強く圧迫すると歩きにくいほどの痛みも緩和され、今も活用しているが対処療法で根本的治療ではない。

 痛みはゴルフの後の筋肉痛に似て、左の大腿部から腰回りで時々逆の右に移る 。強弱はあるが左右同時に痛む場合もある。手は右がきつく左も軽いしびれがある。足も同様で親指を除く3~4本が軽くしびれている。腰は腰椎の5~6番目が時に突起して触るとよく判る。そんな時には寝そべって頭を下げて背骨を真っ直ぐ伸ばす。腰を持ち上げてブリッジ状にすると“ポキイ”と音を立てて骨が元の形状にはまった…感じがして、痛みが和らぐ。

 私の痛みをご存じの河野美代子先生が3月末の花見の席で「一回の治療で長年苦しんできた腰痛が解消し外反母趾の親指のしびれもなくなった。びっくりしたのは生まれつき下がっていた右の耳が上がって、メガネをかけるとずれて歪んでいたのが治った…」と言う。
 小さなゴムの槌でとんとん叩いて骨の歪みを治す海田の治療院「島本整体トントン」だ。
 是非、治療を受けてみるように強く勧められた。

 私は長年東洋医学のお世話になっており西洋医学一本主義ではない。父が、若いころからひどい首ねんざやギックリ腰の時、山口の“イカチ”の治療院に出かけた。行きは身動きできない父が治療を受けて目の前で体が動かせるように治る様を見たことがある。
 
 「島本整体トントン」のHPを開いてみた。「お身体の痛みならトントンにお任せ下さい」「もう、体の痛みで我慢しないでください」とある。まず「病気の原因」について、人の体の中には随所に形の悪い骨がある。骨の形が悪いと、その骨の上にある筋肉は引きつり緊張する。安静にしていて筋肉を使っていなくても、筋肉は働いているような状態になると細くなるので筋肉の中の血管も細くなる。血管が細くなると、血液の流れが悪くなるので血行不良の為色々な症状が出る。それが病気…あらゆる病気への対応が示されている。
 納得できる説明だが、体調が良くない時に行くのがいいと考えて、躊躇していた。(続く)

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2009年7月22日 (水)

岩国空港とネットワーク理論

中国新聞2009年6月28日の朝刊に、岩国基地が民間空港として2012年再開されることについての特集が載っていた。

初年度の利用者の予測は43万人。
全日空が東京便を1日4往復就航する予定だという。


同じように基地と共用をしている三沢空港は新幹線が開通したことで、利用客がピーク時の59万人から39万人に激減した。

6月4日にオープンした静岡空港は106万人と予測していたが、即インフルエンザ・ショックに見舞われ搭乗率が予想を大きく下回っている。

持続可能な空港とするためには、利用客をどう想定するかが、重要だと記事は指摘している。

岩国周辺の人々にとって、便利になることは確かだ。

この程度の利用客数では、通常であれば、とても空港建設ということにはならないだろうが、殆どの費用を基地側が負担するからということで、岩国空港は開設されたということだろう。

いま日本全国に純粋に民間利用だけを想定した地方空港がどんどんできていっている。
それは、空港利用税という特別会計の仕組みがあるからだという。

そうした空港は、空港建設費だけでなく、空港維持費に対しても毎年かなりの額の補助金が地方自治体から出されている。
それは静岡空港に限ったことではない。
殆どの地方空港には何らかのかたちで補助金が出されている。
それがますます増え、大きな地元負担になることが心配されている。

しかし中には上手くいっていると思われるケースもある。

小松空港は、防衛省との官民共用だが、民間空港の利用者は240万人もいる。
これなどは、官民共用空港の成功例といえるだろう。

興味深いのは、北九州空港だ。
昔の小さな飛行場だった時は、年間利用者数が約40万人だったのに、新空港になった平成18年からは一気に130万人になった。
規模が大きくなって大きなジェット機が飛べるようになったということと、北九州地区に日産初め沢山の企業がこのころに進出したということによるのだろう。

空港も上手く時代の風をつかみ、やり方次第では大幅に利用客を増やせるということだろう。

岩国基地の民間空港開始によって、広島空港の利用客は減るだろうと予想される。
広島空港にとっては、岩国空港は迷惑な存在だ。

しかし、少なくとも岩国の周辺に住む人にとっては、岩国基地が使えるようになったら、それは便利になるというのは確かだ。

また広島空港はCATシステムを導入してからは滅多に着陸不能ということはなくなったが、それでもすぐ近くにバックアップ空港として岩国があったほうが、利用者としては都合がいい。
そうなれば東京に引き返すとか、福岡空港に着陸とかということもなくなる。

利用者の立場からみれば、岩国空港があったほうがいいというわけだ。

いままでは何でもかんでも1極に集中してきた。
それがいいことだといわれてきた。
東京、北京、上海、ロンドン、ニューヨークのように都市は巨大化し、そこに人も物も情報も全てが集中してきた。

空港についても、世界的な流れは、シンガポール空港とか仁川空港に見られるように、空港は巨大化し、ハブ空港化するべきだという方向で進んできた。

利用者にとって都合のいいのは、巨大空港が遠くにあるというより、小さくともいいから身近に空港があった方がいい。
それも、できるだけ頻繁に飛行機が飛んでいるほうがいい。
北京にいくのに、広島空港から羽田空港にいって、それからさらに成田空港までいかなければいけないというのは何とも不便だ。

広島空港から直接北京に行けるようになった方が便利に決まっている。

ハブ空港論は、見方を変えれば、いかに効率よく人、物を運ぶかという供給者側、企業側からの理論だ。

インターネットの時代になって、小さくともネットワークを作ることで存在がすることが可能になった。
それは集中し、巨大化する必要がなったということでもある。
そんな現象がいたるところで見られるようになった。
とてつもない世界が出現した。

分散していてもネットワークでつながればいいというのはいわば利用者側の欲求だ。
技術の発展が、利用者側の欲求に応えることを可能にしたということだ。

今すべての現象に、凄まじいパラダイムシフが起きている。

企業にとって経営的に好ましいのはハブ空港化だといえるが、利用者にとって好ましいのはネットワーク化された空港だ。

通常の民間空港の損益分離点は、普通の民間空港では200万人位だとすれば、中国、インド、インドネシアとの交流が増えれば、簡単に200万人位クリアできそうだ。
それらの国々の経済発展の凄さを見ると、意外と近い将来達成できそうだ。

空港の利用者増が、小さな空港の存在を可能にするかもしれない。

日本の空港の現状は、すべてが羽田空港に集中し、羽田との路線を確保することが地方空港の生死を決めているが、それは企業側の論理であって、利用者側の論理ではないとすると、案外次の時代は、羽田空港だけに頼らなくてもやっていけるかもしれない。

広島市にとっては、広島空港と岩国空港の2つあることは、広島市の交通拠点性を高めることになる。
その結果、広島市への訪問客は増えるだろうと予想される。

岩国空港ができたことで、広島空港の利用客は一時的には減るだろうが、長期的に見れば広島市のポテンシャルが高まり、産業が集積し、そこからまた新たな産業がお起こり、その結果、将来的には広島空港の利用客が増えることになると予想されるというプラスの循環も予想される。

そのためにも、山陽自動車道から、岩国空港にもっと容易にアクセスできる道路をつくり、岩国空港の利便性を高める必要もあるだろう。

日本は利権絡みで、やたらめったら全国各地に小さな空港ができているが、それは案外世界の最先端をいっているなんてことになるかもしれない。

そうなったら愉快だ?

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2009年7月21日 (火)

広島ブログとRX500とカーフェスティバル

11日の朝、パソコンを開いたら、このブログ「タウンNEWS平和大通り」がベスト10に入っていた。

カテゴリー別の順位に表示が変わったのかなと、改めてクリックしてみたが、やっぱり総合順位で10位だ。
まさか???

何かの間違いだろうと思っていたが、パソコンに詳しい友人が、
「ヤフーニュースにリンクがあり、そこから飛んできたようだ」
と教えてくれた。

翌12日にはなんと広島ブログ1位になってしまった。
これには驚いた。
ただただびっくりした。

それまで1日のポイントは80前後、クリック数が300前後、ブログ順位も200位前後をうろついていた。
それが、金曜日にはアクセス件数が1万件近くになり、翌日の土曜日には2万件を超え、その結果ポイントも1000を越えた。
ブログ順位も一気に1位になった。

ヤフーニュースのリンク先に載ったブログは、ほぼ1年前にマツダRX500について書いたものだ。
そのブログへのアクセスが凄かったのだから驚く。

1_3

ネットで改めてRX500関連の検索をしたら、出るわ出るわ、少年のように語るおっさんたちの熱い思いのブログが次から次へとでてくる。

このブログには、ロータリーエンジンRX7を4台も乗り継いだという人の書き込みもあった。
マツダのコスモスポーツは最高に美しいという書き込みもあった。

You Tubeには7月11日に行われたマリーナホップでの走行の様子の動画が100件?近くあった。

車を恋人のように、或いは恋人以上に大切に思っている男はわんさかいるというわけだ。

ネットの凄さを改めて思い知らされたが、同時に車はまだまだ男のロマンだということも知った。

アメリカ発の世界不況で、自動車産業の衰退が当たり前のように語られるようになった昨今だが、車への夢はまだまだ根強く残っているというわけだ。

RX500は、マツダの倉庫で腐りかけていたのを、広島市交通科学館の学芸員見つけ出して、修復したという。

マツダRX500、マツダ787、マツダハイドロジェンRE、
マツダの水素自動車も、人類にとって貴重な財産だ。
どれも素晴らしい車だ。
そこには男のロマンがある。

そんな様々の車が、平和大通りをパレードしたら全国からマニアが集まってきてくれそうだ。
「ひろしまカーフェスティバル」をやったら面白い。

広島発の新しい渦が出来るはずだ。

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2009年7月20日 (月)

RX500とパーソナル電動カー

ルマンを制したロータリーエンジン車、マツダ787、そしてコンセプトカーRX500が、7月11日マリーナホップの駐車場を走った。
11,000人以上の観客が集まったという。

轟音をたてて疾走する車、レースに命をかけた男たち。
車は、男のロマンだった。

そんな華やかな時代にRX500はたった1台だけ作られ、1970年のモーターショーへ出品されたが、そのあとはずっと倉庫で眠っていた。
保存されていたというより、忘れられていたようだ。
広島市交通科学館の学芸員が、昨年、そのボロボロになっていた車を探し出し、当時制作に携わった人たちと共に再生し、交通科学館に展示した。
その執念には驚く。
ここにも車のロマンを追い求めている人がいるのを知る。

ルマンではマツダ787が優勝した。
当時は、これで一気に自動車の世界はマツダのREに席巻されるのではないかという雰囲気ですらあった。
しかしロータリーエンジン車は、F1の規則に適合しないといわれ、レースから締め出されてしまった。
そしてロータリーエンジンはガソリンをがぶ飲みするからといわれ、タイミング悪く石油ショックに遭遇したこともあって、まったく売れなくなってしまった。
そんなこんなでマツダ本体もおかしくなってしまった。

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そして今また、マツダの開発したロータリーエンジンは、今度は水素自動車として復活の手がかりを掴んだかにみえたが、時代はまたしても一気にガソリンと電気のハイブリッド車になろうとしている。
水素自動車は価格も高すぎる、水素のインフラ整備も大変だとして、時代錯誤であるかのような扱いを受けようとしている。

あの石油危機の時代を演出したOPECの元石油相ヤマニ氏は、先日の日経新聞のインタビューに答え、「これからの時代は水素だ。いまだかって何かの資源が不足したからと言って、時代が変化したことはない。石器時代が終わったのも石が無くなったからではない。石炭から石油の時代に変化したの、石炭が無くなったからではない。時代を変化させたのは技術の進歩だ。」といっていた。

その論に従えば、水素の技術はまだまだ全く未開発だ。
水素ロータリーエンジンの可能性だって、まだまだこれからだといえそうだ。

ロータリーエンジンは、乗用車のエンジンとしてだけあるのではないのかもしれない。
現在でも、ロータリーエンジンは電機メーカーやガス会社が発電システムに導入されたり、多岐にわたり生かされているという。
ロータリーエンジンは飛行機や、船のエンジンに使われるようになるかもしれない。
マツダが取得した特許の数は実に数千件になるという。
京都議定書の発効にともない、マツダの開発したノウハウは、まったく別の世界に生かされるのかもしれないのだ。

ハイブリッド車の時代は、今後10~20年くらい続きそうだとホンダの役員がいっていた。
ディファクトスタンダードになろうとしている。
しかしハイブリット車はあくまで過渡的だろう。
いずれは完全な電気自動車の時代になるのだろうと思う。

そうなれば、自動車はモーターと電池だけあれば作れるようになる。

そうなれば、自動車産業のあり方も大きく変わらざるを得なくなる。

その時自動車会社としてのマツダは、いままでのような単純な自動車会社としてではなく、全く違ったカテゴリーの企業になっていることが求められるかもしれない。


今日本は3人に1人は65歳以上という時代になろうとしている。
今は日本特有の現象だが、いずれ中国だってそうなる。
高齢者に対して車はどうあればいいのかというのかというのは大きな問題だ。
65歳を越えると自動車の運転はかなり辛くなる。
65歳以上の運転者の事故も多いことがわかり、自動車の保険も65歳以上は特別高くなるように変わる。

しかし運転しなくなった人は、65歳をこえると1KM以上の距離は殆ど歩かなくなり、75歳を超えれば、500Mを越える行動はほとんどしなくなるという。

そうした高齢者にとって、相応しい車が欲しい。
格好いい車が欲しい。
そんなにスピードがでなくともいい。
せいぜい最高速度が時速20KM程度でいい。
若者が自転車に乗って行動する範囲と同じくらいの半径2~3KMが行動できるようになればいい。
そんなことを可能にしてくれる車が欲しい。

車椅子はあくまで椅子に車がついただけだ。
歩道を走っているのをみると、今にも倒れそうで怖い。
屋根がついていないから、雨の日には濡れてしまう。

そうではなくて、軽自動車をさらに小さくしたような、格好いい車が欲しい。

若い人もかっこいいと載りたくなるような車だ。

人には交通権があると誰かが言っていた。

街中の道路だって、そうした車に対応しての道が欲しい。
自転車専用道と一緒でもいいかもしれない。
少なくとも裏道はそうしたパーソナル電動カー専用にしたらいい。

格好いい電動自動車で自転車程度のスピードで、若者に交じって、街中を走ったり、川べりを走ったりすることができれば、さぞ楽しいだろうと思う。

なにしろ3人に1人が65歳以上の時代になるのだ。
街の賑わいを創り出すのは高齢者だというのは確かだ。
時間の充分ある高齢者は若者の数倍街に出てくるだろう。

そのためには、それに相応しい車が必要だ。

マツダは時代を先取りする素晴らしい車を作ってきた。
しかしそれは技術者が作りたいという車を作ってきただけだともいえる。
車に乗りたいと思って人はどんな人か、そしてそれはどんな車かを考えたら、全く違う企業のあり方がみえてくるのではないだろうか。
今までの技術を生かして、使う人の立場に立って、車を作るのだ。
そこにマツダの新しい可能性、夢があるのではないだろうか。

今時代が求めているのは、高齢者でも乗れる電動パーソナルカーではないだろうか。
パソコン、携帯電話。
パーソナルに所有することができるようすれば、そこには巨大なマーケットがある。

私だって、そんなパーソナルな車があれば、欲しい。

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2009年7月19日 (日)

映画「旭山動物園物語」

 シネマクラブ・広島の定例上映会にマキノ雅彦監督の(津川雅彦)「旭山動物園物語」を上映し、200人余の鑑賞を得た。
 
 映画の主人公のモデルだった小菅前園長が足を運んでくれる予定だったが来られなくなった為、広島では野生動物の専門家として活躍中で動物園の研究にも造詣が深い広島フィールドミュージアムの金井塚務代表に、この映画の見所や動物園のあり方などを話して頂いた。子どもたちにも分かり易い解説は興味深いものだった。

 動物園や植物園が全国各都道府県に雨後のタケノコのように出来たのは昭和30年代後半からで、高度経済成長の落とし子のように自治体立の施設ができ、パンダブームが引き金になって一時繁盛した。しかし、平成になってテーマパークに押されて徐々に衰退した。

 '69年(s42)開園の旭山動物園も再三の閉鎖危機に見舞われる。一般的な姿形を見せる「形態展示」から、動物の生態をそのまま見せる“行動展示”に切り替えて一躍話題を呼んだ。
 年間300万人と上野動物園を抜いて日本のトップ入場者を集める人気スポットに成長した旭川の旭山動物園の奇跡のサクセス・ストーリーを実在の園長らをモデルに映画化した。
 
 テレビドラマ「奇跡の動物園 旭山動物園物語」で園長を演じた津川雅彦が、監督・マキノ雅彦としてメガホンを取った「寝ずの番」「次郎長三国志」に続く監督3作目の作品だ。

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 '90年代初頭、減り続ける入園者の為に廃園に追い込まれた園長と飼育係達の苦悩と挑戦、人間と動物が触れ合いながら繰り広げ、人と人との関わりでほろりとさせる人間ドラマだ。
 象やゴリラやキリンなどと出演の俳優たちが直に触れながらの製作は感動的で、ひょっとしたらCG<コンピューターグラフィック>合成画像かと勘違いするほどの迫真だ!!
 出演は西田敏行、長門浩之、岸部一徳、柄本明、六平直政らベテラン個性派の熱演が光る。

 赤字財政で苦しむ日本の自治体が知恵と力で蘇生する…ヒントを秘めたようなドラマだ。ペンギンが空を飛び白熊がダイブする様は大人も子供も十分楽しめる素敵な作品だ。
映画の問い合わせ:シネマクラブ・ひろしま(広島映画センター内)082-293-1274
HP:http://cc-hiroshima.ciao.jp

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2009年7月18日 (土)

市民が紡ぐ影絵展・ワークショップ

 今年5回目を迎える「小さな祈りの影絵展」(8月5~6日夜、元安橋東詰めで開催)の3回目のワークショップが開かれた。毎回、参加者が増えている。
  
 「小さな祈りの影絵展」は原爆の悲惨さや苦しみを直接影絵で表現するのではなく、優しさや美しさで平和を訴える手法で影絵作家浜崎ゆう子さんの作品を中心に発表してきた。
 しかし、当初から市民参加を前提に幼稚園や小学生にその父母などを対象にワークショップに取り組み、参加者が一部のコーナーを飾ってきた。
 今年は最初から城北、女学院、なぎさ中学高の社会・平和問題研究や演劇グプープが参加してトレーニングを重ね、参加者は徐々に増え、参加総勢は百人を超えた。

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 指導にあたる浜崎さんは影絵作家であると同時に日映新社が保管してきた「ヒロシマ・ナガサキの被爆フイルム」の編集整理ディレクターを長年務めて来た。被爆直後の広島の惨状についてフイルム映像を通して一番よく知っている人でもある。その浜崎さんは毎年被爆者の話を丹念に聞き取りし、資料館や追悼記念館の被爆証言テープも聴くなどしてテーマ設定をして来た。第一回は「なつかしい広島の風景」二回目は「母」三回目は「なつかしい子供の遊び」昨年は「生きる」そして今年は「家族」だ。
 
 ワークショップでは影絵制作の基礎からスタートし、テーマにそぐった絵探しやスケッチなどを重ね、既に下書きも出来てカッティングから着色まで進んだ人やグループもある。
 被爆前と後、様々な「家族」の影絵が完成直前になった所で浜崎さんの今年の展示構想は大きく変える計画のようだ。自分の作品は大幅に減らして参加者主流にする…。
 
 浜崎さんは市民一人一人が自分の影絵を通して亡くなった方を慰霊し世界平和を追求する…平和を紡ぐ思いを「小さな 影絵展」に込めてきた。それが早くも実現する運びだ…。
 企画の提唱者で映画の美術監督・部谷京子さんと同級生を中心の支援体制も整ってきた。
 市民参加と言うより“市民が紡ぐ”「小さな祈りの影絵展」が今年から再スタートする…。「小さな祈りの影絵展」が市民共有の財産として生まれ変わり、継承されることになれ
ば更に喜ばしい成果だ。

<浜崎ゆう子:影絵プラネット http://kageepla.net

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2009年7月17日 (金)

オバマ大統領へ贈るメッセージ

 7月26日(日)に「はだしのゲン」の英訳10巻の完成を祝って開く 『世界に飛びたて はだしのゲン』出版激励会でオバマ米国大統領に参加者約百人が寄せ書きしたメッセージを添えて「はだしのゲン」全巻を贈る準備が進んでいる。

 この企画は「はだしのゲン」の全巻英訳完成の会を開くことを決めた直後の4月5日オバマ米大統領の「核兵器のない世界」プラハ宣言を受けて関係者の間で決めた。宣言は核兵器廃絶に向けた希望の灯りになるが、オバマさんは広島・長崎にお詫びをした訳でもなく「自分が生きているうちに実現できるか判らない」と言うように課題も多く、核兵器廃絶の道筋が見えるまでには、まだしばらくの間は「ゲン」の助ツ人稼業が必要だ。
 
 中沢さんからゲンを書いた色紙2枚が届いた。平和文化センターのリーパー理事長が英文を作成した「to: Prejident Obama & Family」宛てと中沢さんの「人類にとって最高の宝は平和です」とメッセージをいれ、皆の気持ちである「核兵器のない世界」と「ヒロシマ来訪歓迎」を書き、参加者を核兵器の廃絶を願う広島の Obamajority と記した。

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 広島市が世界市長会議と進める2020年までに核兵器廃絶の道筋を定める“2020キャンペーン“もNPTなどと連携して「核兵器なない世界」を世界の大多数の意見に盛り上げるには、まだまだ核兵器の恐ろしさ放射能の怖さを核保有国の国民を中心に知らせねばならない。その為に「はだしのゲン」は欠かせない反核平和大使の役割が大きい。

 この、色紙に皆でサインをし、大統領に届ける。これはリーパー理事長の知人がオバマ大統領一家とお付き合いがある友人を通じてオバマ家に直接持ち込める方法を考えている。

 オバマさんの2人の娘さんとオバマ夫妻が「はだしのゲン」を読んで、広島に足を運び被爆者と会って核兵器廃絶の闘いに勢いを付けてくれることを願ってやまない。
 このメッセージはオバマ大統領の心を掴む大切な役割を担うことになる。
 …期待を込めて、届けたい。

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2009年7月16日 (木)

在豪・被爆者の証言

 絵本作家でオーストラリアのシドニー在住の被爆者、森基順子さん(77)の被爆証言と講演を聞いた。

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 広島女学院高等女学校2年生だった森本さんは体調が悪くて学校を休んでいて、爆心地から1.7キロの三篠本町の自宅で被爆した。幸い軽いけがで済んだ。爆心地近くで建物疎開に動員されていた同級生や先生350人は全員亡くなった。母校の慰霊碑に刻まれた名前を見るたびに、一人一人の顔が浮かんでくるという。

 被爆後父や兄姉と合流出来て、一旦避難先になっていた原村<安佐南区祇園町原>に向かったが、太田川に辿りついて渡し船に乗って戸阪の知人を訪ねることにした。黒い雨に見舞われて着ている物や白い靴の汚れは洗っても長い間シミになって残った。川を渡ってからも倒れた人が多く水を求めて足をひく人を無視して先を急いだ。裸で走りまわる女の人がいても誰も気にしない状態だった。
 戸阪の知人宅に着いたがその家の長男が行方不明になっていて大騒ぎになっており、お世話いただく状況でなかった。幸い、近所に洞アナを見つけて避難し、父と兄の火傷を手当てした。いつも用意していた救急袋の油薬が役立った。
 
 洞アナで2日を過ごし地域ごとに指定された本来の避難先の安の小学校に向かった。父や兄の火傷が化膿して臭いのを我慢しながら炎天下を歩いた。途中、道端の畠のトマトやナスを取って食べた。道端には非難の途中で息絶えた人が倒れていた。途中、飛行機の爆音を聞いて避難した竹藪には死体がごろごろしていた。安の小学校へたどり着いた。

 病弱だった母は倉橋の知人の所に療養のため滞在していて被爆を免れた。倉橋にも多くの被爆者が避難して、広島が壊滅的な被害を受けたことを知り、船で宇品についた後、歩いて三篠の自宅にたどり着いた。誰もいないのを確認して、前もって決められていた安を訪ねて、家族は合流した。数日間、過ごした後皆で三篠の家に帰った。

 この間、長崎への原爆投下は知らなかったがロシアの参戦を知って、この戦争は負けると思い力が抜ける想いをした…事を思い出す。
 家に帰ってはみたが全く何もなく、木切れやレンガにトタンの切れ端を繋いで雨や日よけを作ってしのいだ。父は火傷で垂れ下がった皮膚が邪魔な為、唯一持ち出した救急袋にあった小さなハサミで切り落とす毎日だった。農家の知人が届けてくれた食料のキュウリやナスを薄く切って臭い火傷に張り続けた。幸いケロイドにならないで癒えて行った。
 所が元気だった姉と自分が高熱を出し歯茎から出血した。三滝で横川の長崎医院の先生がバラックで診療していると聞いて出かけた。長蛇の列に並んで待ち、受診した。
 「これはガスだな…」と言う先生に、姉は「死ぬのか…」と聞いた。「そうじゃのう…」という先生の返事に、二人で「私達は死ぬんじゃネ…」と交わしたが、不思議と不安感が薄く旧来から親しい先生が居られると思うと安心感があった。
 入市被爆の母が、半年後にひどい脱毛や倦怠間に襲われるブラブラ病に見舞われたが幸いに生き延びた。苦しく惨めでばかばかしい程何もない中で生き抜いて一年が過ぎた。

 どうにか元気を取り戻し学校へ戻り、美大に進学した。中学の美術教師を経て結婚し一子を設けたが離婚し、「絵を自由に書きたい」と50歳で姉がいたオーストラリアに移住し、絵本作家を目指した。日本民話を題材にした作品で国際的な受賞もし、’88年に自分の被爆体験を基に英文の「MY HIROSHIMA」を出した。大反響を得て、平和教育の副読本になって学校図書館に収められた。その後、全国の学校から招かれて“被爆体験”を話してオーストラリア唯一人の語り部として平和の大切さを伝えている。

'04年には「被爆者が描いた絵を街角に返す会」が進めている碑が母校の広島女学院に建設された際に自分の体験を絵に託して描いている。13歳で失った友人たちは13歳の少女のまま自分の中に生きている。しかし、今は言葉を持たない彼女達に代わってわたし達が代弁しなければ成らない…との気持ちを一層強めている…。

 女学院1年生だった義理の姉をご存じか尋ねてみた。勿論、ご存じのはずはないが同窓の後輩の死を悼んでくださった。姉は被爆後4日目にどなたかに助けられて帰宅したが、義母はその時「何処のどなたか」を聞き忘れたことを亡くなるまで悔やんでいた…と伝えると、森本さんは「同じような話はたくさん聞いています…」と目頭を押さえていた。

 森本さんは講演の占めで自分が出かけるオーストラリアの学校では平和教育がされてよく勉強しているが、オーストラリアにやって来る日本の若者たちが原爆の事をほとんど知らないのが気がかりだと指摘された。日本には、いや広島県内でも広島市を外れるとほとんど平和教育はされていない。余談ながら、残念だが藤田県知事の在任中に取り払われた結果だ。

 森本さんは今、眩暈がひどく検査入院中で脳腫瘍の原爆傷認定申請を検討していると言う病身だ。緩和されつつあるものの在外被爆者と言うまだまだ厳しい環境にある森本さん治療を受けて元気を取り戻してもっと絵本を書いて…というエールが続いた。

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2009年7月14日 (火)

脳死と人の死

 臓器提供を増やすため、「脳死は人の死」という前提で、子供からの提供に道を開く”臓器移植法“の改正案が衆議院で可決された。脳死を一律に「人の死」とする考え方だ。
 
 日本では長い間、心臓が永久に停止することを“人の死”として来た。心臓が止まり、「息を引き取る」ことが人の死だった。99・9%蘇生はあり得ないが心臓が動いている状態で“死亡”と判断する…’97年に成立した臓器移植法で脳死段階からの臓器移植が可能になった。脳死を「一律に死と見なさない」点が日本の特徴だが、本人が予め臓器提供の意思表示をした場合や家族の同意があった場合に限り、脳死を“死”とする。
 本人に臓器提供の意思がない場合や家族が拒否した場合は、脳死判定は行わないで、今まで通り脳死状態かどうか関わりなく、心臓停止によって死亡とされる…。

 欧米では脳死の疑いがある患者に対しては、臓器提供の意思の有無に関わらず、一律に脳死判定を行っている。これに比べると日本のやり方は脳死を死とみなすことに消極的と言え、移植を希望する患者の多くが海外で手術を受ける状態が続いている。その為、移植を待つ患者や家族をはじめ臓器移植推進者からは積極的に「脳死を人の死と認めて欲しい」との要望が強まっていた。

 これまでは臓器の提供を望む人の場合にだけ、脳死を「人の死」と認めて来た。
 改正案は、この限定条件を取り払い、本人の提供の意思がはっきりしなくても、家族の了解があれば移植に応じられるようになる。

 さらに15歳未満は臓器提供者・ドナーになれないと言う年齢制限が外され、脳死の子供からの臓器移植の道が開かれることになる。
 膨大な費用をかけてでも海外に依存せざるを得なかったケースは多く、今も臓器移植を待っている1万人を超える患者家族とりわけ小児患者の家族にとっては開かずの扉から光明が漏れて来た思いではないだろうか。

 脳死は医学の進歩で生まれた、いわば“新しい死”で、臓器を提供した人の死と、その臓器を移植された“新しい生”という二つの面を持つ医療問題であると同時に、「人間が生きているとはどういうことか」を問う人夫々の死生観や心に絡む重い問題でもある。

 衆議院議長の河野洋平氏が息子の太郎衆議院議員から腎臓の移植を受け、元気で活躍している。最近では歌手の松原のぶえさんが弟さんから腎臓移植を受けて復帰したニュースは記憶に新しく、血液の適合性が高い近親者間での生体間移植はかなり進んでいるようだ。
 臓器移植を希望し、待ちわびている人は多いが、世界の潮流として解決を外国に求める事は厳しくなるのは当然で、何としても自国で解決の道を探る必要は高まっている。

 衆議院の委員会審議がわずか8時間で審議不十分との声も強い。児童虐待の親が子供の臓器提供に応じる可能性を想定した議論もあり、参議院でどれだけ審議が尽くされるか…。
 議場で居眠りの国会議員達の賛否で決するには、そぐわない問題との意見もある。
 
 審議を引き延ばされ、継続審議になったとしても、解散・総選挙になれば廃案になる。
決して、放置しないで、早い時期に“国民の腹に収まる国民合意の観点”から十分な時間をかけて議論を深めた欲しいものだ。

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2009年7月13日 (月)

デジタルサイネージ

本通りと鯉城通りの交差点に建つビルの壁面に動画を映している大きな広告看板がある。
TVの広告の部分だけを纏めて、流しているといった感じだ。
動画だけでなく、音もでている。
信号待ちしている間に見るには調度いい。
通常良く見かけるビルの壁面看板や垂れ幕、屋上広告塔のように、いつ見ても同じのとは違う。
そうしたことでは、それなりに広告効果もあるだろうと思う。

街の賑わいを創り出す装置にもなっている。

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こうした類の広告はデジタルサイネージと呼ばれるようだ。
最近になって急速にあちこちで見られるようになった。
漢字で書けば、「電子看板」ということになるのだろうが、「動画広告」といった方が正確だろう。

一つの画面でいくつも種類の広告を流せるし、秒単位で広告収入がとれるから、結構なビジネスになると思われる。

渋谷駅前のスクランブル交差点の4つの巨大な街頭ビジョンはその典型的なケースだ。
この画面を使って、「プロポーズをした」なんてのもあった。

シャレオの中央広場に置かれていた映像は、映画とは逆に、後ろからプロジェクターでスクリーンに映していた。
パナソニックのプラズマTVは幅2.41M、高さ1.75M、奥行き0.1Mというのも作られるようになった。
現在のシャレオの画面とほぼ同じくらいの大きさだ。
価格は500万円位だから、事業用としてだったら、充分採算が合うだろうと思う。

近頃はお店の中にTVを置き、商品を紹介するビデオをエンドレスで流していたりする。
これもデジタルサイネージの1つだ。
TV画像そのものが価格も数万円と安くなったこと、薄くて軽くなったこと、持ち運びが簡単になったこと、そして映像そのものも素人でも簡単に作れるようになったことなどが背景にあるようだ。

JR山手線の扉の上には小さなモニターが据え付けられている。
これはトレイチャンネルと呼ばれている。
ニュース、占い、広告と内容は多様だ。

いまでは奥行き数CMの大きさの液晶パネルも作られるようになった。
いずれ紙、フィルムのように薄い画像も作られるようになるだろう。

「大きくて薄い画像製作技術と、動画製作と、無線LANが結びつく」
それが、これから来るデジタルサイネージのあり方だろう。

そうなれば、アストラムライ等の車内広告も全て動画の広告になるかもしれない。

シャレオのあちこちに置かれていたTVも、国土交通省の無駄な経費の削減の一環として費用負担を止めたからだろうか、近頃は映像が消えたままになっている。
ちょっと寂しい。
デジタルサイネージがビジネスとして定着すれば、それもいずれ復活するかもしれない。

最近本通り駅の改札口を出たところの壁に設置されている駅周辺地図にお店の広告が付いた。
いまはまだだが、それだってお店の広告にタッチすれば、駅を出てからそのお店までの道案内をしてくれるようにもなるだろう。

パソコン、携帯のネット広告が急激に売り上げを伸ばしてきたとき、反対に新聞、雑誌の広告が急激に減った。
屋外の広告看板はいくつも真っ白になっていた。
その頃は、もう屋外広告の時代は終わった、もうそんな広告を出す人はいないんじゃないかといわれたこともある。

しかしデジタルサイネージという形で、今屋外広告看板は変貌し、復活しようとしている。

そうなれば街の姿だって一変する。

どんな街になるのだろうか。
期待したい。

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2009年7月12日 (日)

カー・フェスティバルとドリミネーション

近頃、若者の車離れが進んでいるという。
車があまりにも当たり前なものになり、車への興味を失ってしまったようだ。
近頃はCO2削減がいわれ、なんとなく車に乗ることが悪いことのようにいわれることもあって、益々車離れに拍車がかかっているようだ。

10年くらい前までは、車はステイタスシンボルであった。
40~50年くらい前には、車1台で家1軒買えるくらいしていた。
お尻の尖がったあの大きなアメ車は、豊かなアメリカを象徴していた。

いい大人が、あの車はなんていう名前だと当てっこして、自慢していた。
男の子はミニカーを畳が擦り切れるほど走らせて遊んでいた。
内の息子はおばあちゃんに買ってもらったミニカーが段ボール箱一杯になるほど集めていた。

車を持つことはみんなの夢だった。

広島には、そんな夢を作ってきたマツダがある。

そのマツダが水素ロータリーエンジン車を開発した。
環境の時代の最先端をいく車だ。

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ロータリーエンジンも素晴らしいエンジンだが、オイルショックの時にガソリンをがぶ飲みする車として敬遠され、会社そのものが、おかしくなってしまったこともある。

でもマツダは世界に誇る企業であることは確かだ。
広島にとっては大切な会社だ。

今は電気とのハイブリッドカーであるトヨタのプリウスとホンダのインサイトがバカ売れしている。
三菱自動車は電気だけで走るi-MiEVを開発した。

セグウエイなんて横に車輪のついた変な車も生まれた。
高齢者向け、身障者向けの電動パーソナルカーの需要も高まろうとしている。

いずれにしろ、車に対する夢がもう一度生まれようとしている。

交通科学館で催したスーパーカーの展示会、マツダRX500の展示会にも全国から数十万人の人が集まった。
クラシックカーへの人気はいまだに高い。
車はまだまだ夢を創り出している。

そんなことをいっていたら、友人が、
「そんならこの際、そんなふうに様々に思い入れのある車を一堂に集めて、車のパレードを平和大通りでやったらどうだろう」といった。
「ひろしまカー・フェスティバル」をやろうというわけだ。

若いころ、オートバイで日本を一周したというもう一人が、
「そりゃ面白い、是非やりましょう。
広島にはクラシックカーとか、いろんな車を持っている人がたくさんいますよ。
そんな人に声をかけたら、みんな喜んで参加しますよ」という。

男は幾つになっても、少年の頃の夢を追いかけているようだ。

ドリミネーションの中からカボチャ馬車が登場するなんていう仕掛けをしたら面白そうだ。
冬のドリミネーションはすっかり広島の名物になったが、そこに何か動くものがあったら、もっと楽しくなりそうだ。

いままで作られてきた沢山のマツダの車を中心に、いろんな車が平和大通りをパレードしたら面白い。

カー・フェスティバル
そんな冬のフェスティバルができたら素晴らしい。

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2009年7月11日 (土)

ひろしま美術館のカフェ

ひろしま美術館の1F、玄関を入って右側すぐのところにカフェがある。
小さなカフェだが、なかなかオシャレだ。
スチールワイアを3次元に組み上げたハリー・ベルトイアーデザインの椅子も、美術館のカフェに相応しい雰囲気を作り出している。
前に広がる芝生広場には大きなカエデの樹が植えられている。
根元から株別れしていて、なかなか形がいい。
刈込のなかにはグレコ、マイヨールの彫刻が置かれている。

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カフェにはこの雰囲気が気に入って、時々友人と待ち合わせするときにも使う。
混んでいて座れないということはまずないというのがまたいい。
友人はパイプのヘビースモーカーだから、暑くても、寒くても、外に出でざるをえない。
私も仕方なく、付き合って外に出る。
外に出て飲むコーヒー、これが意外といい。

広島市内では、こうしてゆったりと外気に接して寛げる空間が意外と少ない。
貴重な空間だ。

パラソルでも置いて、外で食事でもできるようにしたら、もっと人が来るようになるかもしれない。

ひろしま美術館は広島銀行創立100周年記念事業として作られたが、広島銀行もシャレたことをする。

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2009年7月10日 (金)

国会の「核兵器廃絶」決議と実効性

 衆、参両院が16~7日の本会議で「被爆国の責務として、核兵器廃絶に向けて国際社会で主導的な役割の強化を政府に求める決議」を全会一致で採択した。
 核兵器廃絶を前面に打ち出した国会決議…は初めてと言う。

 オバマ米国大統領が4月5日、プラハで行った「核世紀のない世界」演説を受けて、民主党が提案し、国会の統一した意思表示として調整して全会派の共同提案になった。

 決議は「唯一の被爆国として世界の核兵器廃絶に向けて先頭に立って行動する責務がある」と指摘し、核関連の技術や物質の流出など拡散の脅威に対し、非核保有国が連携して実効ある査察体制の確立を積極的に進めるべきだ…との姿勢を示している。

 更に「核兵器のない世界」の追及を掲げるオバマ米国大統領の就任や北朝鮮の核実験に触れ、廃絶への潮流をより太くする政府の努力を要請し、来年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の主導や、包括的核実験禁止条約(CTBT)の速やかな発効など核軍縮、不拡散の取り組み強化を求めている。

 国連のNPT準備会議や全米市長会やモスクワで開かれる核不拡散核軍縮に関する国際委員会(ICNND)に2020年までに核兵器の廃絶を目指す「ヒロシマ・ナガサキ議定書」の普及と協力を求めて奔走している秋葉市長は「世界が核廃絶に向けた歴史的な転換点にある中で積極的な意志を明確にした意義は深い」と歓迎している。
 平和市長会議が推進する2020議定書キャンペーンは来月から広島・長崎市とタイアップした形でグラフィックデザイナーの黒田征太郎が中心になって取り組む「ピカドン・プロジェクト」に「2020“YES”GITEISYOキャンペーン」が全国キャラバンをスタートさせ、近年にない核兵器廃絶運動の盛り上がりが期待できる。

 しかし、麻生総理など先頭に日本政府が具体的にどのような対応をするか…国内政局に振り回されて一向に見えてこない。また、ここ3ケ月は、解散か任期満了になるか不透明であるが9月中には確実に行われる総選挙の前哨戦期間で、投票結果いかんで日本の方向をより鮮明に出来る64年目の夏の陣を迎える。

 “唯一の被爆国“日本が初めて行った「核兵器廃絶の為に主導的役割を果たすべき決議」
が活かされる選択を忘れてはならない。広島・長崎が踏ん張って国会決議を現実的に迫るチャンスでもある。
 今一度、衆参の「核兵器廃絶決議」の意味と重みを大事に考えて行動したいものだ。

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2009年7月 9日 (木)

誤判・冤罪への謝罪

 17年半ぶりに無罪放免で釈放された栃木県足立市の女児殺害事件の菅谷利和さん(62)に対して栃木県警の本部長がやっとご本人に会って謝罪した。
 先週の謝罪談話に対して「許せない、私の前でちゃんと謝罪してほしい」と注文を付けていた菅谷さんは本部長の涙での謝罪に、許す気持ちになった…。

 この事件は’90年に4歳の女児を殺害した容疑で00年に殺人罪などで無期懲役が確定した。一端、犯行を認めたが起訴後は無罪を訴え続けたが証拠採用が始まった当時のDNA鑑定が決め手となった。しかし、当時のDNA鑑定の精度が低く、改めて行った最新の鑑定結果が覆り、再審無罪の可能性が高まった為に釈放に踏み切った。

 現在のDNA鑑定は全世界で一人を特定する精度があるが、当時は800人に一人程度で、最初から間違いが起きそうなものを唯一の物的証拠とし、自白をしたとして有罪にした。
 弁護団が再鑑定を要求しても突っぱね続け、ようやく再鑑定が実現したが、真犯人は不明のまま時効を過ぎてしまった。警察、検察の責任はきわめて大きく免れない。

 栃木県警の本部長は、先週「真犯人とは思えない方が長期間にわたり刑に服されることになった事については、誠に遺憾であり申し訳ない」との談話を発表したが「ご本人への謝罪は適時適切に対応したい」と逃げていた。警察庁の長官も「私個人としてはこの通りであると思うし、遺憾なこと、二度と無いようにしたい」と発言して顰蹙を買っていた。
 
 物的証拠によるこれほどはっきりした誤判はない。それにも拘らず警察検察対応はあいまいで、この事件を教訓に“冤罪は無くなる、減る”と言う印象を持った人は少いだろう。
 何故、菅谷さんの前に出て「大変申し訳ないことをいたしました。再び、貴方のような人を出さない努力をいたします」と言えないのか…不思議だ。それぞれが、自分の責任ではないと考えている結果で…官僚の事なかれ主義の典型で、今後の向上には繋がらない。
 警察・検察本来の非情の現れ、非人間性が露わになった…とすれば、国民の警察・検察に対する信頼を失うことに通じる残念なことだ。
 
 嘗て「八海事件」の真犯人で無期懲役の吉岡晃服役囚が第三次最高裁差し戻し審後に仮釈放され、阿藤周平さんら3度も死刑と無罪を行き来した元被告5人に「私のうその供述で長年苦しめた」と土下座をして詫びた謝罪を取材した経験がある。JNNニュース・コープの名物キャッスター古谷綱正さんが「法や法廷が超えられなかった壁を乗り越え、元被告たちの心を取り戻した」と真犯人が謝罪した勇気を称えた。

 自由を得た菅谷さんが見せる顔つきは温和で柔和だ。
 失われた17年余を取り戻すことはできないが、警察・検察の責任者が心から頭を下げて直接詫びる行為が、菅谷さんの残りの人生を救い、明るい道を開くことになる…と当局が自覚することが大切だ。
 国家賠償法で適切に金銭解決すればよい…と考えているならば、冤罪事件は永久に無くならない。誤判の根っこは警官検察の心に宿るからで、今後こうした事件があれば、裁判員制度の対象となるだけに、警察・検察の対応は重要になって来る…。

 そんな事にやっと気づいたにか17日、本部長は改めて菅谷さんに会って詫びた。
 菅谷さんは「心から謝罪するという本部長の言葉は心に響いた。今後、警官や検察官も直接詫びてくれるなら許そうと思う」と述べ、自ら恨みを引きずって生きない決意を示した。

 県警本部長が最初から本人に直接謝罪をしていたなら、菅谷さんはどれだけ救われたことだろう。本部長は決して褒められた対応ではないがむしろ菅谷さんの決断に救われた思いで見詰めた人達は多いと思う。

 日本の裁判制度が新しい制度を取り入れて、成功を目指す為にも警察検察の真摯な反省と直接関わった裁判官を含む関係者の速やかな謝罪が欠かせない事を『足立事件』を通じて、再認識する必要がある。

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2009年7月 7日 (火)

首長は高い報酬を取るべき

最近、自治体などが首長の報酬を下げる事例がありますが、私にはとても賛成できません。アメリカの大企業のように何十億円もの報酬をとっているなら別ですが、今の首長の報酬は議員や役員の給与と比べても僅かな差しかありません。 いや、それどころか、所得では副業(あるいは正業?)を持つ議員さんの方が多いという例も少なくありません。

地方自治体のトップは直接選挙で選ばれる、国で言えば大統領です。仕事次第で、桁違いの成果を出せるポストです。これから地方の時代を迎えるのであれば、首長にはそれだけの優秀な人材を迎える必要があります。

地方財政はどこも火の車です。だからこそ、有能な首長が必要です。更には職員の1%くらいは首長の直接雇用できるスタッフがいてもいいでしょう。(副市長一人自由にならないなど論外です)その上で、もっともっと高い報酬が必要だと思います。その報酬に見合う首長を選べるような自治体でないと、本当の地方の時代はやってこないと思います。

ちなみに地方議会の議員の報酬を大幅カットする、というのなら賛成しますし、現状では公務員の給与カットも賛成です。百万人都市くらいになれば職員は1万人です。首長の報酬を10倍にして、役人の給与を1%カットした方が遙かに経費削減になり効果は大きいでしょう。 ただ、それより有能な首長の下で、しっかり働いてもらう方がベターでしょう。

自分の報酬を下げている首長さん達は、いわゆる「庶民目線」を狙っているのだと思いますが、何十万票という支持を得た人が、低い報酬で人並みの仕事をされたのでは選んだ方はかないません。

アメリカは極端ですが、日本は逆にトップの待遇が悪過ぎます。トップというのは、二番手以降とは全く違う能力と責任を持ちます。それなりの待遇で、それなりの仕事をして欲しいものです。

逆に本当にポストに相応しい仕事をこなしている首長を見ると、余りにも大変な仕事を低い報酬で押しつけている様で、選んだ市民として心苦しく思います。

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2009年7月 6日 (月)

とうかさんとお化け屋敷

今年のとうかさんは金曜日、土曜日には夕立があったが、日曜日は快晴に恵まれた。

浴衣姿の女の子の髪に造花の花をつけるのが、今年のファッションのようだ。
ちょっとオシャレだ。

ボーイフレンドのいる女の子は妙に誇らしげに歩いている。

平和大通りには射的や金魚すくいの露天が何軒も出ていた。
こうした露天をみるとああ今年もお祭りが来たと感じる。
露天はお祭りには欠かせない要素だ。

今年はお化け屋敷もあった。
去年もあったのだろうが気づかなかった。
ロクロク首や、幽霊がでてくる古典的なお化け屋敷のようだ。
お店の前に飾られている人形はそれほど恐ろしげではないが、これが暗闇に出てくるとまったく状況が一変する。
その昔お化け屋敷に入って、途中で腰が抜けて歩けなくなったことがある。
頭では害を及ばすようなことは絶対ないと解っていても駄目だった。
這って、やっと出口まで辿り着いたことがある。
以来絶対にお化け屋敷には入らないようにしている。
小さい頃の何かトラウマになっていることがあるのだろうか?
単なる弱虫なのだろうか。

1

夏のとうかさん、冬のえべっさん。

長い広島の歴史の中で育まれて来たお祭りだ。
大切にしたい。

 元安川


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2009年7月 5日 (日)

電気自動車―ビッグスリーからスモールハンドレッドへ

小学校の頃、電気で動くモーターを作ったことがある。
エナメル線と電池とクリップと磁石を用意すれば作れる。
創るのは極めて簡単だが、N極とS極がこうなっていて、それで動くのだと説明されても、目に見えないから、どうして回転するのかやっぱり不思議だった。

電気自動車は、モーターの回転運動をタイヤの回転運動に伝えればいいわけだから、理に適っていることは確かだ。

ガソリン車はピストンの上下運動を回転運動にしているわけだからおかしいといえばおかしい。
ロータリーエンジンはその点が最も優れているというわけだ。
ガソリンエンジンはその仕組みはわかっても、小学校で作れるほど簡単ではない。
ガソリンエンジン車となると、ガソリンエンジンの構造がもともと複雑なうえ、排ガス規制への対応、無段変速機、燃費改善等の性能向上のため極めて複雑になっていることもあり、ちょっとやそっとで作れる代物ではない。
開発には長い時間と膨大なお金がかかっている。
現在の自動車産業は、膨大な下請け企業を抱え、高度な企業ピラミッドが構成されている。
自動車産業への新規参入は極めて難しい状況となっている。
自動車産業はその生き残るためには、生産規模が400万台以上ないと、コスト競争力が保持できないとか、研究開発費が工面できないとかいわれてきた。

しかし電気自動車はバッテリーとモーターさえあれば、誰でもつくれる。
問題は電池だ。
ゴルフ場でよく使われている電気の乗用カートも、1回の充電で2ラウンドは難しいとか、寿命が2年程度と短い。
それにめちゃ重いし、値段も高い。

三菱自動車はモーターとバッテリーだけで走るi-MiEV(アイ・ミーブ)を今年7月から受注を開始すると発表した。
電気のみで走るという極めて革新的なコンセプトの車だ。
「バッテリーはリチュームイオンタイプでプリウスやインサイトが搭載するニッケル水素タイプより効率が高く、大きな電力を蓄えられる。
充電も家庭用の100Vのコンセントからでもできる。
1回の充電で160km走行できる」
という。
現実にはクーラーを使ったり、信号で止まったりするから、走行距離は半分くらいのもんだろう。
それでも普段の生活には充分だ。
問題は価格だ。
400万円以上とまだまだ高い。

中電は2009年度取りあえず30台を導入すると発表した。
実情はまだまだ研究段階だ。

しかしいずれ近い将来安くて、充分な性能の電池も開発されるだろうと予想される。
電池は汎用性があることもあって、自動車メーカーもその調達は難しくないだろうといわれている。
そうなれば、電気自動車は、今後は大型家電と同じく、パナソニックやソニーが販売するようになるかもしれない。
電気自動車をデオデオやビックカメラで買えるようになるかもしれない。

電気自動車を作るには、それほどの技術と資金がいらないということになれば、中国、インド等今世界の工場になっている国の企業が今以上に凄い勢いで進出してくることも予想される。

東京大学教授の村沢義久氏は「電気自動車の時代にあっては、ビッグスリーからスモールハンドレッドの時代になる」「既存の自動車メーカーは安全性や乗り心地の提供業者にならざるを得なくなるだろう」ともいっている。

電気自動車の時代になれば、T型フォードで完成されたベルトコンベアー方式による大量生産のメリットなんて関係なくなるというわけだ。
既存の技術体系の上に成り立っている自動車産業というシステムがまったく無意味になるということだ。

GMが破綻したのは、トヨタを代表とする燃費の良い小型車に敗れたからだといわれている。
GMはアメリカ政府の公的資金の注入でかろうじて経営は続けられることになった。
不採算ブランドを廃止、売却し、必死の生き残り策を模索している。
しかし電気自動車の進歩はそんな努力を吹き飛ばす可能性もありそうだ。

トヨタ、ホンダのハイブリッドカーの売れ行きは凄いが、そのハイブリッドカーはガソリンエンジンの延長線上にある。
これだって将来はどうなるかわからないということになる。

自民党をぶっ壊すといった小泉さんではないが、電気自動車の先頭を切った三菱自動車も会社あり方そのものを根本から変えることが必要だろうが、はたしてそんなことができるのだろうか。

電気自動車はとんでもないパラダイムシフトを起こそうとしているようだ。

光岡自動車の車のように、質の高いデザイン、面白い形をした電気自動車が街を走るようになるかもしれない。
以前はあの車はポルシェだ、シトロエンだと、どれだけ車の名称を当てられるかが、男の子の自慢だった。
今の若者は自動車離れが進んでいるという。
そんな面白い車が走るようになったら、また車を見る、乗るのが楽しくなるかもしれない。

大変な時代になった。

 ゲン

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2009年7月 4日 (土)

エンジェルパルテ

袋町公園の北、公園に面して、この不思議な建物は建っている。
ヨーロッパの古いお城のようでもあるが、丸いドームの屋根は天文台のようでもある。
1Fの大きな扉は滅多に開かれない。
2階には大きなステンドグラスの窓もある。
中では何か特別に秘密の催しがされているような雰囲気である。
ちょっと近寄り難くもある。

建物の名前はENGEL PARTEと書いて、エンジェルパルテと読むようだ。

1

HPを見ると
「バルコニーと大階段は、宮殿さながら。
音響や照明を駆使した演出で、パーティをいっそうドラマティックに盛り上げます。」
と書かれている。
平安閣経営の結婚式場だ。

近頃の結婚式はアメリカ映画の影響だろうか、煙の中から新婦が登場したり、星空があったり、大きな黒人が賛美歌を歌ったりと随分とドラマチックになった。
ここでも、そんな演出がされているのだろうか。
私は、ここでの結婚式に出席したことはないが、なにか面白そうだ。
一度出席してみたい。

建物はちょっと映画のロケセットのようなところもあるが、もうちょっと細かいところがきちんとデザインされていれば充分芸術的にも評価される建物になる。

ちょっと勿体ない。

建物の北側はそっけない壁になっていることもあって、街から浮き上がっているが、そこに綺麗な窓でも設ければ、街に溶け込むだろうと思う。

そんなちょっとした工夫が欲しい。

でも、こんな不思議な建物が存在するというのも日本ならではのことだろう。
これも中心市街地の面白さだ。

 元安川

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2009年7月 3日 (金)

60周年・・・広島から詩と歌を発信する三宅立美さん

 広島を代表する作詞家の1人、三宅立美さんが60周年を迎え、この度祝賀会が広島市内で開催された。同時に作品集「夾竹桃」(第2集)を発表した。大正13年庄原市生まれ。本名は辰美。広島電鉄の電車運転手の傍ら、作詞活動。84歳とは思えない作詞活動ぶり。酒もめっぽう強く、詞作りの肥やしになっている。日本作詩家協会評議員、作詞家石本美由紀さんの「新歌謡界」を引き継いだ同人誌「歌謡新詩壇」の編集発行して26年。作詞数約3000、付曲されたもの約1000、約200曲がレコード化されている。
 代表作は北島三郎の「銀座の庄助さん」。瀬川瑛子、船村徹の「ひろしま・そして雨ん中」。前者は銀座を見たことのない三宅さんのあこがれを書いた。後者は中国放送のオリジナル演歌活動から生まれ、現在でも歌われている。
 他に村田英雄の「万国博音頭」、水前寺清子の「そこぬけ進軍歌」、島倉千代子の「君は東京へ帰る人」、都はるみの「日本音頭」、神戸一郎の「エジプトの夜」、鈴木三重子の「月の吊り橋」、森若里子の「女の子守唄」など。広島をテーマにした原田悠里の「水の都ひろしま音頭」、広島平和音楽祭グランプリ曲「広島・市電・街景色」、広島市募集歌「太陽あるかぎり」をはじめ、たくさんある。「夫婦松」は古賀政男記念音楽大賞優秀賞に輝いている。そして在広歌手のほとんどが、現在でもお世話になっている。
 中国新聞カルチャーセンターでの「楽しい作詩教室」23年になり、毎年発表会で門下生の作品を紹介する「広島発オリジナル歌謡祭」として開いている。
 奇術もプロはだし。広島奇術クラブに所属し、大西歌洋の芸名を持つ。刑務所の慰問で法務大臣表彰を受けている。
 作曲家・遠藤実さんがミノルフォンレコードを設立したときに、東京へ来ないかと誘われたが、家族のために踏みとどまった三宅さん。いつまでもお元気で、広島から詩と歌を発信し続けてほしい。

上村和博

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2009年7月 2日 (木)

応援したい新たな広島の歌

 この4月に広島に新しい歌が2つ誕生した。1つはご当地ソングの女王・水島かおりの「安芸の宮島」(4月1日)と、広島を中心に全国で活躍している南一誠の「青春のポケット」(4月22日)
 水森は発売前日、広島からクルーズ船に乗り船上ライブをし、宮島では商店街を練り歩き、多くの商店主や観光客と握手をした。発売当日は広島市内の大型スーパー2か所でキャンペーンを展開。会場には大勢のフアンが詰めかけた。
 歌は恋に破れた女性が、宮島の豊かな自然と人情に触れ、再出発する姿を描いた10作目のご当地ソング。詞は木下龍太郎さんに代わって尾道出身の仁井谷俊也、曲は弦哲也が担当。早くも4月13日のオリコン総合4位と自己記録を更新、演歌では堂々1位入りという幸先のいいスタート。「広島の新球場で是非歌いたい。今年もいい大みそかを迎えられるよう頑張ります」と7年連続の紅白出場に水森は意欲を見せた。
 過去にも宮島をテーマにした歌に、扇ひろ子の「宮島ブルース」、加賀城みゆき・一文字辰也の「宮島拍手音頭」、園田みゆきの「宮島よいとこ」、川中みゆきの「安芸の宮島管弦祭」、西森美香の「厳島」、若宮真人の「宮島の女」、花の井征男の「厳島哀歌」などたくさんあるが、全国ヒットにつながっていない。水森は今年のFFをはじめ全国で歌ってくれるので宮島の観光振興に役立つ。私もPRに一役買って出た。大ヒットを期待したい。
 南の曲は歌手生活30周年記念曲。4月22日の発売に合わせて広島市内でリサイタルを開く。詞は「北国の春」のいではく。曲は大谷明裕。晩年を迎えた者に青春時代を振り返らせ、これからの人生はこうありたいという歌。南は「今を無理せず、頑張り過ぎず、好きなように生きればいい。ふるさとの風を感じながら、まだまだ元気だと笑いあえる人生を歩みたいと歌は語っています。肩の力を抜いて素直に人生を感じてほしい」と話す。30周年にふさわしい曲、ヒットしてほしい

 上村和博


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2009年7月 1日 (水)

ヒロシマ記者と被爆地発ニュース

 5月17日の中国新聞が世界のノーベル平和賞受賞者17人が連名で出した“核兵器のない世界を目指して行動しよう“と言う「ヒロシマ・ナガサキ宣言」を特集で扱った。
 被爆地・広島の新聞を通じて世界各国と核保有国の指導者に核兵器廃絶への行動をとるように呼びかけた。国際世論に大きな影響力を持つ受賞者のメッセージの意味は重い。

 この宣言は中国新聞の田城明特別編集委員の企画取材が下敷きとなった。
宣言は「2010年春に国連で開かれる核拡散防止条約(MPT)再検討会議を1年後に控えて、署名した17人のノーベル平和賞受賞者は、バラク・オバマ米大統領の核兵器のない世界への呼びかけに賛同し、全人類の利益の為に、すべての国の指導者が固い決意を持ってこの目標を追求することを訴えます。…」と切り出している。
 オバマ米大統領の4月5日のプラハ演説を追い風に支持し、核兵器拡散への憂慮と共に、核兵器廃絶へ義務を負う保有国の希薄な意志に対する懸念を表明し、「人類がこれまで3度目の悪夢を避ける事が出来たのは、単なる歴史の幸運な気まぐれではなく、第二のヒロシマやナガサキを回避する為に世界へ呼び掛け続けた被爆者たちの強い決意」によると、被爆者たちの努力を高く評価している。
 そして、「もし、人類が生き残ろうとするならば、我々は全く新しい考え方を身につける必要がある」というアインシュタインの警告を引きながら、核兵器廃絶は可能であり必要不可欠、核兵器のない世界を実現する為に世界中の人々に、自国の指導者たちに強く働きかけるよう呼びかけている。

 中国新聞記者が企画し働きかけで生まれたこの宣言はやがて社や系列の枠を超えて国内の地方紙ブロック紙は勿論全国紙まで60社が掲載した。社説をはじめコラムや解説記事にもなった。日本の新聞業界では異例の扱いになった。

 記事の中では次のような残念な指摘もあった。2年前から核廃絶を提唱している米国元国務長官キッシンジャー氏にカーター元大統領、ゴア元副大統領の三人の米国人受賞者とゴルバチョフ元ソ連書記長が名前を連ねなかった…。特にキッシンジャー氏が「全く返答をしてこなかった」事は不可解で、米国内の厳しい現実が垣間見られた…との指摘は、残念なことだ。しかし、それを超える大きな影響が期待できる

 それにしてもヒロシマ記者が果たす役割は大きく、このニュースは国内だけに留まらず世界のTVや通信・新聞へ送りだされて然るべきミュースであった…と、扱いが少し残念だ。
 広島の新聞・TVが全国へ、世界へ“被爆地発ニュース”の送り出しに、今こそ新聞とTVが連携して改めて知恵と力を結集する時ではないだろうか。

 グランパ

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