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2009年5月

2009年5月31日 (日)

超小型電動自動車・・・20KM速度制限道路

街中でときどき老人が電動の車いすに乗っているのを見かける。
便利そうだが、なんとなく危なっかしい。
通常歩道を走っているが、その歩道は注意して見ると結構アップダウンがあって、電動車いすが走るのには意外と適っていない。
電動車いすそのものの構造もバランスが悪い。

私もいずれ使うことになるのだろうが、価格も結構高そうだ。
と思って調べてみた。

今街中でよく見かけるのは、電動カート「パセリ」という商品のようだ。
HPには、JIS規格準拠し、国家公安委員会、型式認定審査の基準的合製品だと書かれている。
それなりに色々基準はあるようだ。
電動カート「パセリ」は、一回のフル充電時の連続走行距離は約30KMも走れるとも書いてある。
価格は大体20万円近くしている。

この程度なら買えそうだが、
でもこれは、あくまでも電気で動く車椅子だ。
どうもあんまりいかさない。

普通の車みたいにもうちょっと格好いいのはないかと、調べていたらあった。
トヨタでも超小型の電動自動車を売り出している。
1人で出かけることをテーマにした「乗る」「走る」「楽しむ」がコンセプトの1パッセンジャーEV コムスというのはよさそうだ。
価格は80万円位する。
これはまあまあ格好いい。
第一種原動機付自転車(4輪)と分類され、時速50KM、走行距離は35KM~45KMと書かれている。
かなりの性能だ。

こうなれば、もう立派な車だ。

1_4

自転車は通常2輪だ。
乗るのは殆どが若者だ。
車にも乗れないような老人が、2輪車に乗り換えるというのは難しい。
4輪車になれば安定感あり、老人にも乗れる。
ましてそれが電動とあれば、大分楽になる。

65歳をこえると1KM以上の距離は殆ど歩かなくなり、75歳を超えれば、500Mを越える行動はほとんどしなくなるという。
3人に1人は65歳以上という時代になろうとしている。
そんな人にとって、格好いい電動自動車で自転車程度のスピードで若者たちに交じって、街中を走ったり、川べりを走ったりすることができれば、さぞ楽しいだろうと思う。

若者は自分で漕いで走る自転車に乗ればいい。
小さな幼児を乗せた女性は電動3輪車だっていい。
老人は電動の4輪車に乗ればいいというわけだ。

環境問題ということもいわれるようになって、自転車専用レーンを設けるべきだという議論もされるようになった。
最近は自転車絡みの事故も急激に増えてきている。
国土交通省も自転車専用レーンの設置にかなり前向きに取り組み始めた。

しかしこれだけ多様な電動アシスト車が街の中を走るようになれば、自転車専用レーンを設けるというのでなく、速度を20KM程度に制限した道路を設けるとした方が、可能性が広がる。

街の中には、時速60KM程度を上限とする普通の車が走る道路あり、時速20KMを上限とする道路があり、そして時速4KM程度の人の歩く道という3段階の道路があるとしたらどうだろうか。

広島市内に当てはめて考えてみれば、鯉城通り、相生通りといった幹線は現状通り普通の車優先の道路とするが、1本裏に入った細い道は速度を20KM以下に制限し、自転車、電動アシスト車を優先する道路としたらどうだろうか。

本通りは歩行者専用の道路というわけだ。

そうなれば、ベロタクシーも電動で動くようにし、この速度制限が20KMの道路を走ればいい。
お客も増えるだろう。

また電動4輪車のカーシェアリングやレンターカーのシステムの整備も必要だろう。
そうなれば、郊外に住む高齢者がアストラムラインやノンステップバスで都心に来た際には、電動4輪車を借りて、デパートや病院を回るということも容易にできるようになるだろう。

いずれにしろ、今盛んに開発が進められている電動4輪車も、なにも時速100KM以上で走る必要もないし、1回の給電で500KMも走る必要はない。

コンセントで充電できるようなシステムも開発されているが、無線で給電できるようにしたっていい。
コンビニに停まれば、給電できるというような、インフラ整備もいずれすべきだろう。

そんな時代がくれば、もっと格好いい、様々の用途に応じた電動4輪車がどんどん開発されるようにもなるはずだ。
中国電力は、数年前から三菱自動車と電気自動車と共同研究を進め、昨年はi MiEV(アイミーブ)を8台購入したしたという。
電力会社としては当然のことだからそれはそれで仕方がない。

今度は中国電力、マツダが協力して、電動アシストの4輪車を開発すればいい。
そうなれば、広島にもう1つ新たな産業が生まれることになる。
両者が協力して、新しい交通システムを作り上げることができれば、こんな素晴らしいことはない。

なにしろ3人に1人は、65歳以上の高齢者の時代になろうとしているのだ。
巨大なマーケットがそこにある。
それを生かすことを考えるべきだ。

広島市は、電動アシストの4輪車によって、環境にやさしい街、高齢者にやさしい街、電動アシスト車を製造する街となるのだ。

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2009年5月30日 (土)

広島ゴルフ倶楽部鈴峯コース

広島ゴルフ倶楽部鈴峯コースは、広島市中心部から車で20分ほどのところにある。
コースは山の南斜面につくられていることもあって、瀬戸内海や広島の街を望み、景観は大変素晴らしい。
広島工大の高層棟もすぐ近くに見える。
2号線のバイパスを広島市内に向かって走ってくるとコースの一部が見えるが、山の斜面は急に見え、とてもあんなところにゴルフ場があるとは思えない。
が、ちゃんとあるのだ。
斜面は遠くからみると、結構急に見えても、そこにいくと意外に広い。
このゴルフ場もそうした場所に作られたゴルフ場だ。

とはいっても、結構アップダウンはきつく、フェアウエイの幅は狭く、かなり難しい。
グリーンは高麗のワングリーンだ。
高麗のグリーンは芝目がきつく難しい。
30CMくらいでも入らない時がある。
1番のスタートホールはフラットで広くおおらかに打っていける。
3番ホール500Y近くの長いロングコースだ。
谷越えの右ドッグレッグのホールは、広島の誇る倉本昌弘は中学生時代にワンオンしたという。
そんな人がプロになるのだろう。
このホールは2打目も難しい。
私はパーオンしたことが殆どない。
10番は100ヤードと表示されているが、凄い打ち降ろしで距離感が難しい。

こんな具合にここのゴルフ場は、一つ一つのホールに表情がある。
それが、私は好きだ。

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でも関東地方のフラットで、広いゴルフ場に慣れた人は、ここは嫌いだという。

経営は全国的にも数少ない社団法人だ。
いまでは社団法人のゴルフ場は許可されないが、その昔は許されていた。
それだけでも古いゴルフ場だというのがわかる。

広島では1時間も走れば、十ヶ所以上のゴルフ場にいける。
名門といわれる広島カントリークラブも市内から1時間もかからずに行ける。
地方都市のいいところだが、それにしてもここ鈴峯コースは近い。

地方都市に住む良さはこんなところにもある。

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2009年5月29日 (金)

小屋とシャクヤクの花

私が時々通る畑の中の細い道の脇に、小さな小屋が建っている。
人が住むにはちょっと小さいかなという気もするが、物置にしては随分とシャレている。
2階の屋根には瓦が乗っている。
1階部分の屋根はトタンだ。
全体のプロポーションがなんともいえず格好いい。
誰か建築家が設計したというのでない。
多分近くの大工が作ったのだろう。
そのセンスのよさに感心する。

先日行った時には、その小屋の前に真っ赤なシャクヤクの花が咲いていた。
周りの緑のなかに、その真っ赤な色が浮かびあがり、綺麗だった。

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この建物の脇には栗の木が何本も植えられている。

こんな小さな小屋に住んで、晴耕雨読の生活をするなんてのもよさそうだ。

広島市ではいま市民農園の計画が進められている。
それは広島市内から通うのを前提としているが、農地をもうちょっと広げ、脇にこんな小屋を建てれば、ちょっと気の効いた別荘生活できそうだ。

そういえば、母方の祖父が70歳を過ぎたころ、1人になって、母屋を長男夫婦に譲り、自分は裏山に小さな小屋を建てて住んでいた。
そんな爺さんの生活を、子ども心に格好いいと思っていたのを思い出した。

あの爺さんをマウンテンジェントルマンというのかな?

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2009年5月28日 (木)

映画に見る“時代の小道具”

  シネマクラブ・ひろしまが毎月行う「ワンコイン上映会」で山田洋次監督の「息子」を見た。‘91年(平成3年)の作品で日本アカデミー賞やキネ旬賞など受賞した作品だ。

 東京の居酒屋でアルバイトをしている青年は母の一周忌で帰った故郷岩手で、不安定な暮らしを父に戒められる。父の想いを胸にした青年は帰京後、3Kと言われる下町の鉄工所で働き、取引先で働く美しい娘に好意を持つようになる。しかし、彼女が聴覚障害を持った聾唖者であることを知るが、青年の想いは一層募り、彼女への愛は一層大きくなる。
 二人の日常を結び意思の確認は当時事業所や家庭にも導入され始めたFAXだった。

 大学を出て一流企業に就職し2人の娘を持ちマンションも手にした長男に比べ、高卒後東京でフリーター暮らしの二男は妻に先立たれた父親にとっては気が休まらない心配ごとで、事あるたびにたしなめる。二人の間の溝は大きくなるばかりだ。一方、子供達にとって父の老後は大きな心配の種で、誰がどこで面倒を見るか…。
 
 熱海で開かれた戦友会のついでに立ち寄った東京で、長男から勧められた同居を断って、二男のアパートによる。そこで彼の恋人と出会う。父の来訪を知らせ夕食の差し入れを伝えるのはFAXだ。「ご飯まだでしょう…バラ寿司を持って行きます…」のFAXは劇中で声のない彼女の声以上の気持や機微を伝える時代を反映した最高の小道具だ。

 聾唖者を理由に反対されると思いこんだ二男は「誰が何と言っても一緒になる」と宣言する。父は「本当にこの子の嫁になってくれるのか、有難う」と手をついて喜ぶ。
 言葉はないがすっかり意思の疎通を確信できた父は生活振りに不安を抱いていた息子との信頼関係を取り戻し、雪深い岩手の寒村に引き上げる。
 手には秋葉原で買った息子の嫁になってくれる彼女との気持ちを繋ぐFAXを持って…。
 一番心配だった二男の結婚が一人暮らしの父親に生きる喜びを与える。
 すさまじい勢いで変わる現実の中で変わらない親子の情愛を再発見する父と子“幸せとは何か”を問いかける「家族」「故郷」「幸福の黄色いハンカチ」に並ぶ山田洋次の名作だ。

 この映画を見た黒沢明監督がこんな言葉を贈っている。「いい映画は見終わった時、何とも言えない心持よさが残る。いい映画が忘れられないのはそれがあるからだ。<息子>はそういう映画の一つだ」。映画は時代を映す鏡と言われる。父と息子とは何か?時代を超えたテーマの問いかけの小道具がFAXというのも時代の鏡として面白い。
 往年の名画が毎月楽しめる“シネマクラブ・ひろしま”へ加入ください。
問い合わせ:082-293-1274<広島映画センター内>

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2009年5月27日 (水)

小沢辞任と政権交代

 連休中に民主党の鳩山幹事長が軽井沢で開いた恒例の研修会に小沢代表が欠席したニュースを聞いて持病?でも出たのか、それとも“辞任を考えているのか”と直観的に思った。『小沢辞任』のニュース速報を見た時…「やっぱり…」との思いが重なった。

 会見に臨んだ小沢さんは「今度の総選挙は悲願の政権交代を実現する最大のチャンス。党内が乱れていては勝利できない。代表の職に留まることで、挙党一致の態勢を強固にする上で少しでも差しさわりがあるとするならば、本意でない」と説明した。
 公設秘書の逮捕・起訴に関しては「政治資金の問題についても、一点のやましいところもない。政治的な責任で身を引く訳でもない」と強調した。
 「挙党一致」と「政権交代」を繰り返し「挙党体制の一員として最前線で闘い続ける…」と言い総選挙で全力を発揮して政権奪取に協力する意欲を見せた。当然のこと…だ。

 自民党を飛び出して15年。民主党に合流して5年。民主党代表になって3年。
 壊し屋、辣腕…と言われながら小選挙区制の導入に二大政党による政権交代の夢を追い続けた。解散がなくても9月には4年の任期満了を迎えて総選挙、自らが次の総理の座を得られる可能性が高まった時に秘書の逮捕。“国策捜査“などと反発し党首の座に固執しているかに見えた…が。“小沢辞任”で改めて、自分が首相になることでなく民主党が政権を奪取することが何よりも重要である事が、時間を置くと徐々に理解されることと思う。

 5月5日の当ブログで新聞の投書欄に載った記事<小沢さんに対する高校生の目>を引用して小沢さんと当面の民主党に対する若者の見方を紹介した。
 『辞任は「責任からの逃げ」であり、本当の責任の取り方は地位に留まり…批判の矢面に立ちながらも責務を全うすること…それは総選挙に勝って政権交代を果たすこと…これが本当の責任の取り方と思う…』
 この高校生の意見も実は同じ意味合いだと思う。民主党の挙党一致が大切であるとの意味合いが大きく、同じ政権交代への思いで民主党を支持している人は多いと思う。
 何はともあれ一度、民主党が政権に就くことを期待し、日本に政権交代が可能な政治状況をつくることをひたすら待っている人達の期待を裏切らないでほしい…と思う。

 小沢辞任はそうした期待にこたえようとするもので新しい代表が鳩山であろうと岡田であろうと『挙党一致』体制をより強固にして、来るべき総選挙に当たる…事が重要だ。
 マスコミ報道に政権交代待望者は付和雷同しないことも大切なことのように思う。
 小沢辞任が民主党の結束をいっそう強める契機であることを願いたい。この記事が掲載される頃は民主新体制が『挙党一致』で安定発足してことを祈る。  <5月12日記>

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2009年5月26日 (火)

ヒロシマ・ピースフォーラムの役割と期待

 広島平和文化センターの原爆や平和の問題について実践活動をしている専門家から学ぶ初心者向けの講座「ヒロシマ・ピースフォーラム」が今年も9日から始まった。
 講座を通じて原爆被害の実相や核兵器廃絶の様々な取り組みや世界の動きについて理解を深め、平和の担い手を育成するのが目標で、今年で8年目。初参加した。
 
 参加者は20代から80代と幅広く、50名の募集だったが何と倍の97人でスタートした。これは広島市のピースボランティアの研修と広島市立大学の単位修得講座が併設されている為で、若者の姿が目立っているのが喜ばしい。月2回5~7月で6回の講座に11人の講師が多角的のテーマに沿って講義し、その都度参加者はグループ討議を重ねる。

 同じグループの女子大生は奈良生れ奈良育ちで、広島・長崎や平和問題に全く無縁で生きてきたが大学生になって、自分で勉強の機会を探してピースボランティアを目指して応募して、受講の為に毎回奈良から通ってくると言う。
 広島市を除く県内の小中学でも、県教委が平和教育の排除指導をし、現場が敬遠するようになって久しい。まして他県に於ける平和教育が厳しい環境にある事は想像に難くない。
 奈良の彼女が広島学習を通して何を学びどのように成長するかそばにいて見届ける事が出来るだけでもこの会に参加した意義を見つけたような嬉しい気持になった。
 また、知り合いが4人も参加しているのには驚くと共に心強いかぎりだ。

 この日の講義は「これからの広島を考える」がテーマで広島平和文化センターの本多常務理事が、平和市長会議が取り組んでいる2020年までの核兵器廃絶を目指す『2020ビジョン』<核兵器廃絶の為の緊急行動>について核兵器を巡る歴史を手繰りながら解説した。 
 秋葉市長が5日に国連でオバマ米国大統領のプラハでの「核なき世界」構想宣言を “オバマジョリティ(核兵器廃絶の支持多数派)“の新造語で支持表明した。「2020ビジョン・キャンペーン」が世界の各都市で支持が拡大し、オバマ構想と相乗的な拡大効果で「核兵器廃絶への道が開くチャンス」と展望と期待を示し、協力を求めた。

 このあと広島市立大学平和研究所の水本准教授が「ヒロシマの問題を深く掘り下げると同時に広い視野を持って原爆投下の背景や核軍拡について学ぶ」“ヒロシマを学ぶ意義”について講義し、10人単位に分かれてグループ討議で行った。ピースフォーラムを通じて何を学び、その成果をどう活かしていくか…もそれぞれの考えや思いを述べあった。
 
 今後は被爆の実相を知る為の被爆体験証言や被爆者運動に原水爆禁止運動の軌跡、子供の活動を通じて被爆体験の意味を考え、これからの広島について実践例を通して考え核兵器廃絶と世界平和の実現に向けて自分達に何が出来るか、グループ討議をしながら考える。

 64年目の8・6前に夫々が自分なりの平和活動目標を掲げられればいいと期待している。
厳しい面も指摘されているがが『核兵器廃絶の可能性がある時代を生きる者の務めとして』ヒロシマ・ピースフォーラムで学び実践に移す草の根市民の役割は大きい…と自覚を高めたい…。

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2009年5月25日 (月)

“YES! GITEISY0”キャンペーン発進へ

 NYで開催中の国連NPT再検討会議準備会議で秋葉市長はオバマ大統領の核廃絶構想を支持する世界の人々を“オバマジョリティ(大多数)”の新造語で歓迎し、2020年を目標に核兵器全廃を達成する『広島・長崎議定書(ビジョン)』の実現に強い願いを寄せた。

 この『広島・長崎議定書』を草の根市民運動として盛り上げようと言う動きはピカドン・プロジェクトを国内外で展開しているイラストレーターの黒田誠太郎さんと広島の市民交流会が手を繋いでスタートさせ、2020ビジョンを判り易い市民目線にしたキャンペーングッズなどの開発に取り組んでいる。<当ブログ4月28日:平和活動家・黒田誠太郎の原点、27日:動き出す「2020ビジョン」市民運動と大物助っ人>

 その黒田さんは今NYから北九州に腰を落ち着けて新しい「ピカドン・プロジェクト」に取り組んでいる。小倉は長崎原爆投下の最初の標的都市だった。北九州の街の飲食店や美容院、バーや喫茶店などに様々なきのこ雲のイラストで埋め尽くす試みが始まっている。
 
 このプロジェクトは戦後60年の節目の’05年の夏、建築家の安東忠雄さんや写真家の荒木経惟さんらとそれぞれの表現方法で広島・長崎の被爆を見つめ直すのを目的に始めた。
 黒田さんのきのこ雲は’95年にフランスが核実験を再開以来、毎日様々なきのこ雲を書いて国内外の個人的なつながりやゆかりのある場所に郵送し、掲示して貰っている。「展示は画廊や美術館だけではない」…が主義だ。
 その黒田さんが2週間余り出向いたドイツの街から広島に20枚もの“きのこ雲・ピカドン”通信が届き、本通りと横川に八木の3か所に「ピカドン・プロジェクト」店の出現準備が進められている。   <ピカドン・カードと絵本タイトル=YESは1文字ごとにピンク・緑・黄色>

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 “2020ビジョン”キャンペーン絵本のタイトルも『YES! HIROSIMA NAGASAKI GITEISYO』とオバマの“YES! WE CAN”に習って?判り易ネーミングに決り、7月の出版を目指している。キャンペーン用グッズに詩や歌の制作企画も静かに進んでいる。
 
 ピカドン・プロジェクトと2020キャンペーンが車の両輪になって、この夏、広島から『2020ビジョン』が全国に世界に向かって勢いよく発信するのが待ち遠しい。
新しい草の根平和運動の本格的なスタートと発展を心から期待したい。 <5月9日記>

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2009年5月24日 (日)

湯布院と緑

先日のゴールデンウイークに湯布院にいった。
かってあれだけ栄えた別府、熱海等の全国の温泉地がすたれ、別府の奥の山の上にある温泉地が女性に人気だというが、どんな街か一度見たいと思っていたのだ。

旅館に着くとすぐ、街に散歩にでた。
湯布院にはいわゆるホテルの類は街中にはない。
すべてが木造の旅館だ。
それも湯布院を特徴づけている。

街の通りは幅4Mほどの狭く、若い女性で溢れていた。
どのお店も鬱蒼とした木々に囲まれている。
建物がすっぽり包まれているお店もある。
軒の屋根の真ん中に大きな樹が通っているお店もある。
割れた大きな甕に花が植えられていたりもする。
大きな樹木はコナラのようだが、新緑が綺麗だ。
この地域に昔から生えていたのだろう、かなり大きな木に育っている。
軒の杮ぶきの屋根にコケが生えているお店もある。
緑が極く自然な感じである。

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普通お店は商店街といわれるように軒を連ねないとお客の気持ちは途切れてしまうが、ここではお店の間隔はかなり空いている。
その隙間が大きな木や垣根で埋められている。
カフェやガラス細工のお土産店、レストランもある。
そんな多様なお店も道路に接しているわけではなく、幾分道路から下がって作られている。
木の階段を上がって入るお店もある。

ちょっと旧軽を歩いているような雰囲気もあるが、それとはちょっと違う味わいがある。

もともと別荘として建てられた住宅を、そのままお店に改装されたというような感じである。
それがまた独特の雰囲気を作り出しているようだ。

ともかく木々、花、植物に埋め尽くされた街というのが、ここの特徴だ。
街の雰囲気が女性的で、優しい。

横道に入ったところには小さな美術館や記念館もある。
一つ一つの建物が妙に自己主張をしているわけではない。
緑を上手く使って、お店の雰囲気を作り出している。

川を境に、駅に近いほうの商店街は雰囲気が一変する。
極く普通の商店街になっている。
こちらの方が古い商店街なのだろう。
鬱蒼とした緑の通りと比べるとその違いがよくわかる。

この緑の通りは、駅に向かう通りから一本横に入った道だ。
原宿の表参道に対する竹下通り、鎌倉の八幡宮に向かう道から一本入った小町通りのような感じである。

この通りの緑は女性の造園家が指導したとも聞く。
いわれてみればそんな感じがする。

金鱗湖周辺に建つ住宅の塀は石が積み上げられて作られ、その石の間から草木が生えている。
道路は幅1間ほどだ。
散歩するには、ここなかなかいい。
でも生活するには、不便そうだ。

長野県に小布施というシャレた街があるが、そこは宮本忠長さんという建築家がプロデュースしたというが、古い民家を集めてきて街ができている。
その街と比べてみると大分違いを感じる。

湯布院の緑による街つくりというのは、これからの時代に適っている。

旅館の料理も京風の凝った懐石料理でなく、野菜、魚等の食材を生かした素朴な感じがまたいい。
久振りに畳の部屋に座って食べた食事は、幼いころ両親と囲んだ食卓を思い出した。

そんな昔の懐かしさがここ由布院にはある。
それが、湯布院の人気の理由なのかもしれない。

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2009年5月23日 (土)

下関唐戸市場

このゴールデンウイークに下関の唐戸市場にいった。
下関といえばフクだろう。
フグの刺身、寿司、フライ、天ぷら、味噌汁をたべた。
関門海峡を通る大きな船を間近にみながら、芝生の上で食べた。
なんとも美味しかった。

唐戸市場はいわゆる魚の卸の市場と違って、市民の普段の食べ物市場で、、寿司、刺身、天ぷら、フグの味噌汁といった調理されたものを主として売っている。
魚の卸市場は別にある。

まあそれにしても凄い人出だった。
街のお店は殆どはシャッターが閉まっているのに、ここ唐戸市場だけは大賑わいだった。
自動車道が一律1,000円ということもあってか、博多等九州方面等遠方からのNOの車が多かった。

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唐戸市場は、いつもこんな賑わっているわけではないだろうが、それにしてもきちんとビジネスとして成り立っているのだろうからたいしたもんだ。
建物も魚市場とは思えないくらいシャレている。
市場も道路を隔てた山側に元の場所に作られていたら、こんな賑わいはなかったろうとも思う。
海に接した場所に建っているから、魚市場の雰囲気があっていい。
広島にも、こんな市場があったら楽しいだろうに・・・

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2009年5月22日 (金)

フラワーフェスティバルと折り鶴フロート

今年のフラワーフェスティバルは、最終日雷を伴う豪雨にたたられ161万人と、昨年を4.5万人も下回ったようだ。
しかし自動車道が一律1,000円に値下げされたこともあって、かなり遠くから来た人も多かったという。
本通りもうらぶくろも人で溢れていた。
改めてこうしたイベントの街への効果を感じる。

そのフラワーフェスティバルに、今年はまた一つ新しいイベントが加わった。
日が暮れる頃、原爆ドーム前の大田川に、大きな折り鶴の灯篭が赤、黄、緑の色々とりどりに点灯され、浮べられた。
川面に浮かんだ折り鶴はさぞ幻想的だったろうと思うが、私が行った時は、もう夜の9時をすぎ、灯も消され、岸壁に繋がれていた。

いずれにしろ、これで折り鶴に、またひとつ新しい表現が加わったことになる。
改めて折り鶴には、なんと多様な表現形態があるのかと感心する。

フラワーフェスティバルは、今年は33回目だというが、イベントは繰り返されることで内容が充実し、集客力も高まる。
今年は新球場の開場を記念して大きな鯉のぼりのパレード、応援ダンスも加わった。
韓国大邱市から送られた大太鼓の演奏も披露された。

来年はどんな新しいイベントが加わるのか、いまから楽しみだ。

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2009年5月21日 (木)

祭りの後のケア

 33回目の「花の祭典」‘09ひろしまFFは161万人の人出で賑わい3日間の幕を閉じた。
終了間近になって降った雨は激しく夏場の落雷を伴う豪雨となった。

 今年の祭りのテーマは[SUNSUNと 輝け 花と 平和の光]。3日と5日のパレードにステージはあの米国人演歌歌手ジェロが登場した。物産展にフリーマーケット。8年目を迎えた「きんさい YOSAKOI」は50を超えるチームがパレードの後ステージ上で競った。
 今年は広島経済大に修道大がステージを開き、音楽やダンスなど若さを爆発させ、広島女学院大は市民と一緒に折り鶴をつくる広場を初めて設けて参加し広島らしさを演出した。
 
 毎年の人出は150万人越えがすっかり定着したが、この不況は誰もが楽しめる「安・近・短」が歓迎されたが、高速道路の「1000円サービスETC効果」も手伝って市内の駐車場はどこも他県ナンバー車が溢れたようだ。

 一方、一日50万人もの人出が繰り出すと雑踏にまぎれて食べ物のトレイや串に飲料用の紙やプラスチックカップなどゴミの処理が大変だ。燃えるゴミ、燃えないゴミにカンなど分別のごみ箱が随所にあってポイ捨ては大変少なくなった。これは、広島に大きな野外イベントが年間に数回もあって一般市民がすっかり当たり前のこととして慣れて来た証しだ。

 きょう6日の平和公園や平和大通りは昨日までのゴミは残っていない。強い雨と風に揺れた楠など春に落葉する木々の葉が少し多めに落ちているものの目立った汚れは無い。
 木々はむしろ落ち葉が散って更に緑が濃く、楠の萌黄色が鮮やかさを増して輝いている。
 
 関係者には大変迷惑な雨だったが例年なら一週間は尾を引く屋台の食べ物売りの匂いが一気に洗い流されて、今日6日の平和公園も平和大通りの散歩も快適だった。
 FFの街、小町に住んで30年、FF後の1週間はこの匂いの公害はFFの地元としてはやむを得ないものと諦めていただけに、今年のFF後は嬉しい結果となった。
 5月の風があの屋台などが残した嫌なにおいを運ぶことなく、本当に薫風を運んで清々しく、昨夜の雨は正しく恵みの雨だった…と言える。

 表通りを離れた小町界隈は匂いにもましてマンション玄関や店舗の入口に食後の器や紙のゴミが目立ったが、今年は例年より極めて少ない…。これも、雨のせいだとするとすれば、今後は毎年、終了前後の雨乞いをしたい気持ちだ…しかし、残念ながらそれは違う。
 何はともあれ祭りの後の街が清々しいのは嬉しく、主催者には今後の“匂い対策”を考えて欲しいと思うのは会場沿道住民の願いだと思う。無理な注文だろうか。<5月6日記>

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2009年5月20日 (水)

NPT前に「原爆被害者の基本要求」の再認識を!

 オバマ米国大統領のプラハでの「核兵器のない世界」宣言は被爆者をはじめ広島・長崎に「核兵器廃絶へ一歩近づく」と期待を抱かせている一方、オバマ宣言は「生きている間に核兵器廃絶は厳しい」とも言っていて「ヒロシマの思いとの間には相当な距離がある」との指摘もある。
 唯一の被爆国が核保有国に発する要求はより当を得たものであるべきで、その被爆者がどのように考え、要求をしているかを知ること…は重要なカギになろう。

 今日届いた「自分史つうしん・ヒバクシャ」の同封資料に、’84年に日本被団協がまとめた原爆被害者の基本要求の要約がるので紹介する。改めて米国をはじめ核保有国に対して日本政府をはじめ自治体も民間も今一度その内容を確認して置く、意味は大切だ。

 ~再び被爆者を創らないために~と副題がついた基本要求の要約を抜粋して紹介する。
被爆者は「安全保障」の為であれ、戦争「阻止」の名目であれ、核兵器を認める事はできません。「核の傘」を認めることは、核兵器を必要悪として容認するものです。「核の傘」とは、私たちにとって、原爆のきのこ雲以外の何物でもありません。……
 核兵器が無くならなければ安心できません。地球上の核兵器がすべて廃絶されるまで、被爆者は,生き、叫び続けます。
 被爆者はアメリカ政府に要求します。①広島・長崎への原爆投下が人道に反し、国際法に違反することを認め、被爆者に謝罪すること。その証として、先ず自国の核兵器をすて、核兵器廃絶へ主導的な役割を果たすこと。②…。
 日本政府は対日平和条約で、原爆被害を含むすべての対米請求権を放棄しましたが、アメリカの原爆投下の道義的・政治的責任が、これによって解消されるものではありません。
 また、戦後アメリカはABCC(米国原爆傷障害調査委員会)を設け、被爆者を実験動物扱いして資料を集めました。治療の為でなく新たな核戦争準備を目的にしたこの調査研究は、今なお被爆者を苦しめ続けています。何より「再び被爆者をつくらない」との被爆者の願いに応えることこそ、アメリカが人類史上において犯した罪を償う唯一の道なのです。
 米・ソ及びすべての核保有国政府に要求します①ヒロシマ・ナガサキに目を注ぎ、被爆者の声に耳を傾け、核戦争被害の実相を自国民に知らせること②核兵器完全禁止条約をただちに結ぶこと③自国および他国に配備された核兵器と核戦争関連施設を直ちに廃棄する④核軍拡競争の土台になっている総ての軍事同盟を解消する事。
 日本政府に要求します。①核戦争被害国として、広島・長崎の原爆被害の実相を究明し、広く国の内外に伝えること②非核三原則を法制化すると共に非核国家宣言を行い、トマホーク、SS20など、日本及び日本の周辺に配備された核兵器と関連基地・施設を直ちに撤去させること。どの国の「核の傘」にもはいらぬこと。
 ③総ての核保有国に対し直ちに核兵器完全禁止条約締結を働きかけること④アジア太平洋非核地帯の実現に努力すること⑤再び被爆者をつくらない為に「国家補償の原爆被害者援護法」をすぐ制定する事。…日本が非核国家として核戦争阻止・核兵器廃絶に積極的役割を果たすことと、国家補償の原爆被害者補償法制定は、被爆者への償いの根幹をなすものであり、唯一の核戦争被害国としての務めです。

 25年前の世界情勢を考えると多少状況の変化はあるものの、基本要求で被爆者が“米国の原爆投下は人道に反した国際法違反であることを認めて被爆者に謝罪“を要求している点は見逃せない。
 核兵器廃絶こそ被爆者の願い…と米国に対する恨み辛みを表に出さないのが被爆者の心情のように言われているが、逆に被爆者は口には出さないが「今も、忘れたわけではない」…事をしっかり記憶に留めておく必要がある。

 秋葉市長はNYの国連本部で開かれたNPT再検討会議準備委員会で「オバマ大統領の核廃絶構想をオバマジョリチィと呼びたい」と指示して、世界市長会議が掲げる核兵器廃絶を2020年までに達成するという目標が実現できない理由はないと“2020ビジョン”の実現を訴えた。

 政府は今後、この25年で核兵器廃絶を取り巻く基本的環境は悪化こそすれ、変わっていないとの認識でNPT(核兵器不拡散条約)再検討会議準備会や来年の本会議に向けて取り組むことが必要と考える。
その為にも「原爆被害者の基本要求」の再認識は忘れられない事項と言えるだろう…。

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2009年5月19日 (火)

残念な「折り鶴施設」への抵抗

 旧日銀支店の改修工事に伴って「折り鶴展示」が暫定的に旧市民球場に移って始まった。
かつて球団事務所や食堂があったあたりの2階が「折り鶴」展示室になっている。
'05年度に寄せられた300万羽分の学校名がアイウエオ順に展示されていて壮観だ。
 初日は1300人、以後も1000人超えのペースはGWも手伝って市民球場の見学があるとは言え、「折り鶴とヒロシマ」や「佐々木貞子さんと折り鶴」などを解説したパネルや古い資料に写真の展示、折り鶴の制作指導コーナーなど臨時の施設とは言え、日銀支店では見られなかった規模と内容は立派な「折り鶴展示博物館」だ。

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 これは、市民球場跡地利用の「折り鶴施設」に繋がる展示としての意味合いが大きい。
 しかし、この計画に対して市議会が“跡地利用計画の予算”の一部をカットして見直しを迫る抵抗をしている。その真意は何なのか…?

 この問題は戦後広島市が抱えて来た「捧げられた折り鶴をゴミ扱いにして来た歴史」が潜んでいる…と指摘する声は意外にも当を得ているように思われる。

 平和公園の中にある慰霊碑をはじめ原爆の子の像や公園内のモニュメントには年間10トンにも及ぶ膨大な数の折り鶴が世界中から寄せられる。亡くなった被爆者を慰霊し核兵器廃絶の願いを折り鶴に託している。
 原爆の子の像に寄せられ山積みになった折り鶴は雨に曝され時に悪臭を放つこともあって、夜陰に乗じて市の清掃職員が定期的に撤去して焼却を繰り返した。捧げた人達の気持は考えられることなく処分されていた。平和都市広島の残念な裏面史だ。

 この扱いについてかねてから疑問を持っていた人達は広島市に保存や別の形での展示提案もあったが真剣に取り上げられることは無く、マスコミも“ごみ処理される千羽鶴”の実態を知りながら扱いについて提案や問題意識を持って取り上げる事なく看過していた。

 こんな状況の下、かねてより鶴の扱いに疑問を呈し公約に掲げた秋葉さんが市長に当選し、’99年就任以来徐々に「折り鶴、千羽鶴の保管・保存」を実行に移した。’01年に「原爆の子の像」に折り鶴を捧げた団体・個人のデーターベース化。’02年から折り鶴の像周辺に捧げた鶴の雨露を避けられる屋根付きのブースを設置して「折り鶴のごみ化」を避け回収に取り組み、旧日銀支店での展示を始めた。世界各地から送られてくる折り鶴を平和文化センターで受け入れる窓口も設け、本年3月時点で保管の折り鶴は70トンに達している。
 「鶴を粗末にしないで」と言う被爆者の声を活かした施策の実施で、市民球場跡地に本格的な「折り鶴展示施設」構想に結びつき、専門家たちの提案審議を経て出来た計画である。

 市の計画に待ったをかけた議員の対案は無く「1年くらい球場として使いながら計画の再考を」と言う声があるようだ。秋以降に球場として維持する管理費は計上されていない。
 従って秋以降、旧球場は野晒しになる可能性もあり、その時彼らは何と言い逃れるのだろうか。その為の予算をお手盛りするのだろうか。知恵も企画力もない無責任な発言と行動は秋葉市長に対する嫌がらせ?的な行為との見方が強く、実に情けない状況だ。
 待ったをかけた議員達は永年、広島市が行ってきた「折り鶴のゴミ扱い」の復活を要求していると言える。ヒロシマの世界化・核兵器の廃絶に思いを寄せる世界中の善良な平和の希求者に「折り鶴・ゴミ宣言」を通告する覚悟があるのか…聞いてみたい。
 核兵器廃絶と言うヒロシマの哲学の否定に通じる思考の議員は広島市民とは思えない残念な人達だ。
今一度、広島にとって「折り鶴」の意味と役割を考えてみて欲しいものだ。

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2009年5月18日 (月)

ステッキ(杖)の効用

 ステッキを使い始めて3ケ月が過ぎた。(当ブログ2月26日掲載「転ばぬ先のステッキ」)
毎日の散歩の途中で転びそうになるなど足元がおぼつかなくなった対策である。
ステッキと言えば洒落た感じがしないでもないが杖と言えば“老人”のイメージが強く、何となく気恥ずかしさがあって暫くの間、何となく伏し目勝ちに歩いていた気がする。

 高齢者の骨折事故は家の中の敷居や部屋の段差など慣れている場所での転倒や外でも、ちょっとした石ころや木の根っこなどへの躓きや、下り坂でつんのめって転ぶケースが多いと言う。自分の高齢をどこで線引きするかは難しい。年齢でなく腰痛や足元・体を見て気づいた家族が日常的に遠慮なく言ってあげることが大切だと思う。

 ステッキを使う事は足が三本に成るのだから足への負担は三分の一かどうかすると半分にも軽減された感じがする場合がある。少し使い慣れてくると実に楽になる。
グリップの端、小指が当たる位置の小さな曲りはそれぞれ微妙に違って特徴になっている。
長さは「身長の半分+3㎝」が一般的で、個々がそれぞれ使いやすい長さに調整する。
グリップを右の腰骨辺りを支点に前に先を投げ出し、一歩進めてまた投げ出しを繰り返す。
その時、グリップ端の小さな曲りが小指にかかって全体の動きをスムーズに運んでくれる。
 沢山の人の手を経て使い心地が良いように工夫された優れた道具である事を実感できる。

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<写真のグリップ素材は柘植の木>

 使ってみて初めてわかるのは軽くて小さなステッキがスムーズな歩行をさせてくれる。
 気付かない内に足を滑らせて歩いていたのが、膝を上げ胸を張って歩けるようになったのは正しくステッキの効用だ。意外な事は自分が杖を使って出かけて街にステッキ人が溢れているのに驚いた。

 予想もしなかった効用もある。電車やバスに乗って空席がない時は大抵若い人が「どうぞ」と言って席を譲ってくれる。近くですからと遠慮をしても進めてくれるケースも多く、気持ちよく親切を頂くことにした。老人を尻目に白や黄色のシルバー席や譲り合いの席に遠慮なく座る若者を見て、「いまどきの若者は…」と苦々しく思う事が多かっただけに、新しい体験・発見だ。ステッキは思わぬ“物言わぬ社会的効用”を発揮していると感じる。

 私のステッキ使いと効用を知って、拒否していた“杖”を使い始めた友人いる。
元気になって杖が手放せて人もいる。いま、躊躇している人は思い切って使ってみよう!!
きっとステッキ効果を体験・発見できる…お勧めです。転ばぬ先のステッキ(素敵)です。

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2009年5月17日 (日)

サンフレッチェとアストラムラインと西風新都

プロサッカーチーム、広島サンフレッチェは広域公園のビッグアーチをホームグランドとしている。

広域公園に行くには、中市街地から離れていることもあって、殆どの人は車かアストラムラインかバスを使わざるを得ない。

平成14年には、市内中心部と西風新都を結ぶトンネル高速4号線が開通し、市内中心部から20分程度でアクセスできるようになった。
広域公園へのアクセスも格段に良くなった。
最近では、市内から高速4号線を通るシャトルバスも運行されるようになった。

しかし、アクセスが良くなったことで、西風新都の開発が進み、広域公園周辺の駐車場が年々減り、逆に車でのアクセスは難しくなってきているということも起こり始めている。

アストラムラインの役割が大きくなっているということである。

そうしたこともあってだろう、アストラムラインでは、サンフレッチェと連携して様々の活動をしている。
① アストラムラインはサンフレッチェ試合日には、臨時列車を増発している。
② 本通り駅・広域公園駅間は1日乗車券を使っても通常900円だが、サンフレッチェのチケットをもっていれば、600円になるという特別割引をしている。
③ 車内、駅の構内にサンフレッチェの試合予定日を表示したポスターも貼っている。
④ サンフレッチェの選手名鑑、チケットの購入方法、試合当日のアストラムラインの時刻表、HPのオフィシャルサイトを書いたガイドブックを全ての駅で配布している。
⑤ サンフレッチェをデザインしたアストラムカードを年に数回発行している。
⑥ シーズン初めには本通り駅、県庁前駅でサンフレッチェの選手と一緒にになって、PRをしている。
こうした連携は、双方にとって極めて意味のあることだというのがわかる。

サンフレッチェの果たす役割は、西風新都にとっても大きい。
サンフレッチェは西風新都のシンボル的存在となっている。
その西風新都は、まだまだ充分な開発余地を残している。
これからの街だ。

サンフレッチェの専用球場の必要性は今までもたびたび議論されてきた。
広島カープの新球場ができたことで、広島駅周辺、貨物ヤード周辺は、今凄まじい勢いで変わりつつある。

サンフレッチェ専用球場ができ、アストラムラインと広域公園とが一体になっての開発が進めば、西風新都もさらに素晴らしい街になるだろうことが予想される。
そんな開発が進むことを期待したい。

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2009年5月16日 (土)

レストランTUTTIと折り鶴

アストラムラインの祇園新橋北駅をおりて、祇園新道を南に5~6分歩いたところにイタリアン・レストランのお店TUTTIがある。
元々は輸入中古車の展示場だったようだが、数年前にレストランに改装したという。
赤い標識とユニークなデザインのテントが、アストラムラインの車窓からよく見える。

お店の前には薪が山のように積まれている。
ピザを薪の窯で焼いている。
確かに美味しい。
電気で焼くか、ガスで焼くか、薪で焼くかによって、微妙に味、匂いが違う。
そうした拘りのある人にはお勧めのお店だ。

この店では、頼めば小さな折り紙も持ってきてくれる。
折り鶴を折って、レジに渡せば、平和公園に届けてくれるという。
もう5千羽以上にもなったので、今はテーブルには置いていないというが、頼めば持ってきてくれる。

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先日、友人数人とランチを食べに行った際、食事が届くまでの間、折り鶴を折った。
こんなところで、平和への思いを表現することができるとは、
なんとも不思議な経験だった。

レストランTUTTIもなかなか粋なことをする。

恋人と一緒なら、一緒に食事したことの思い出に折る、家族で行ったなら子供たちに何気なく平和について考えさせるという機会にもなる。

こんな試みが、広島から世界中のお店に広がっていったら、それは素晴らしいことだ。

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2009年5月15日 (金)

折り鶴と女子高生のコーラス

平和公園の折り鶴の像の前で高校生のグループが歌っていた。

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なんだか胸にジーンときた。
なんとも美しい光景だ。
折り鶴の物語が、高校生たちの心に歌いたいという思いを起こしたのだろう。
折り鶴にはそんな不思議な力があるようだ。
こんな光景は、ここ広島にしか見られないことだ。
平和を願う高校生の思いが世界に伝わって欲しい、と改めて思う。

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2009年5月14日 (木)

ご存知ですか?FFの基はカープ初優勝

 昭和52年(’66年)に始まった“フラワーフェスティバル(FF)”は今年で33回目を迎え、準備もすっかり手慣れてステージもブースも既に万端整って3日を待つばかりだ。

 今年は広島市民球場がマツダ新球場に移りオープン、巨人キラーぶりを遺憾なく発揮して土日祭日は3万越えを記録して、FFなか日の4日まで地元開催が続きゴールデンウイークを大きく盛り上げそうな雰囲気は喜ばしい次第だ。

 このFFの起源?と言えば“カープ”だ。カープフアンの6年生の孫に聞いてみると流石に知らなかった。改めて、ひもとくとしきりに感心していた。
 
 万年ビリでセントラルリーグのお荷物球団と言われてきた広島カープは昭和50年、球界初の米国人のジョージ・ルーツ監督を迎えてスタートした。突然の退任ハプニングの後、古葉監督が引き継いで山本浩二、衣笠祥雄を中心に10月15日後楽園球場で巨人を破って初優勝した。この年に赤いヘルメットに変えたカープの躍進は「赤ヘル旋風」となった。

 5日後10月20日、広島に凱旋したカープは平和大通りで初優勝パレードを盛大にした。
 澄み切った秋空の下、なんと30万人を超すフアンと市民が沿道を埋めた。ビルの屋上や街路樹に登って出迎えた市民は紙吹雪で大歓迎した。

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 これを見た中国新聞とRCCの関係者が閃いた。これだけの人出を放って置く手はない。お祭りや
イベントの少ない広島に新しい風を起こそう…と考え、2年の準備で昭和52年FFをスタートした。

 FF歌手に当時人気絶頂の佐良直美を迎えた3日間の人出はいきなりⅠ30万人を超えて、この年のGW人で博多どんたく、浜松凧祭りと並ぶ全国ベスト3にランキング。以後、一気に150~60万人を集めてGWの全国ベスト3に躍り出て、今も維持し続けている。
 こんなFFの誕生秘話をご存知でしたか?
 
 初優勝の時は後楽園のバックネット裏でVの瞬間を取材中で、凱旋パレードも第1回のFFも東京に勤務中で参加していないのは残念だが、54年から平和大通りに近い場所に住み、Wは毎年FFに関わりながら過ごしてきた。
 カープ初優勝パレードがヒントになって生まれたFFであるが、今年は逆にFF「カープ応援パレード」を契機にマツダ球場誕生記念の勢いを駆って久々の優勝を期待したい。

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2009年5月13日 (水)

ワンコイン上映会

 2年目を迎えた「シネマクラブ・ひろしま」は初年度3回行った“ワンコイン上映会”を毎月、年12回に増やして“街かどワンコイン上映会”と銘打って再スタートした。

 “映画は楽しい 皆で見るともっと楽しい 語り合うとさらに楽しい”の想いをこめて立ち上げて1年。9回の上映会のうち3回、お世話になっている広島映画センターのライブラリーが所蔵する千本を超える映画の中か「原爆の子」「青葉学園物語」「若者たち」3本と特別企画の「かっ飛ばせ ドリーマーズ」を上映、大変好評だったのを受けての企画だ。
 500円玉一つの会費でビールやコーヒーを飲みながら鑑賞後の雑談が楽しい。

 4月の上映作品は’69年(昭和44年)家城巳代治監督の「ひとりっこ」(白黒90分)。
 ’62年(昭和37年)秋、福岡のRKB毎日放送が芸術祭参加作品としてTBS系、日曜日pm9時からの東芝日曜劇場で放送予定のテレビドラマが、突然何の理由の説明もなく放送中止された。その幻の作品の映画化で高校3年生の目を通して、親子、戦争と平和について追及したドラマ。家城監督の原作で文学座総出の制作で山本亘に藤田弓子のデビュー作。

 受験勉強に追われる高校三年の少年が力試しに受験した防衛大の一次試験に合格する。
 戦争の匂いがする所へはやりたくないと反対する母。月謝がいらず月給が貰える防大へ行ける息子を自慢し勧める父。理工系の知識を身につければ良いと考えていた少年の前に中学の同級生でバスの車掌をしている少女が「戦争に繋がる防大への入学に反対」と立ちはだかる。時は沖縄返還、ベトナム反戦に労働者が街でデモを繰り返し校内に張られた反戦ビラを巡る学校と生徒、進学組と就職組の対立の中で自分の進路と将来を“戦争と平和と憲法”を議論し考え、模索する…。70年代の日本の象徴的な青春映画「若者たち」と並ぶ代表的な作品だ。

 「ひとりっこ」の放送中止事件の年に入社した私は翌年にかけてRCC労組の一員として「ひとりっこ」のスライド上映をしながら「放送実施要求署名」集めに労組から町内会の集会などに出かけた思い出がある。

 映画が出来て40年。時代は大きく変わった…が、形の上で沖縄こそ返還されたものの、この時代の政治的課題は全く解決を見ないままで今日に至り、自衛隊はイラクやソマリアに大手を振って出て行く…現実に、映写機のまわる音を聞きながら改めて愕然とすると共に現役の高校生や大学生に是非見せたい…と言う思いを深めた。

 今後の上映は、毎月第二火曜日19時~映画センターでの上映を原則に行う。
 5月12日山田洋次監督の「息子」(’91年)、6月9日は今井正監督「橋のない川」(’69年)7月7日山本薩夫監督「武器なき闘い」(’60年)8月11日黒沢明監督「八月の狂想曲」(’91年)9月8日斎藤貞郎監督「子どものころ戦争があった」(’81年)10月は新藤兼人監督「第五福竜丸」(’54年)11月斎村和彦監督「ヒロシマの証人」(’68年)12月「故郷は心の中に」(’80年)1月「野獣たちのバラード」(’65年)2月「抵抗のプラハ」(’71年)3月「自転車泥棒」(’48年)。1月からの3本は洋画で邦画も共にその時代の代表的な社会派作品で、これを見ることが出来るのが会員の特権だ。

 上、下期の中からそれぞれ1本、会員の推薦で定例上映にかける予定で広く一般の方にもご覧頂ける計画だ。
 会員の中からテーマを決めて一日で何本か通しで見ることが出来る『シネマ祭』の開催の声も上がっており、秋をめどに検討をしたいと思っている。

 今、新規会員の募集中。あなたの参加をお待ちしています。

問い合わせ:「シネマクラブ・ひろしま」事務局
      〒730-0853 広島市中区堺町1-2-9 貴志ビル 広島映画センター内
      TEL:082-293-1274 FAX:082-293-2229
      E-mail : cc.hiroshima@gmail.com
      HP:http://cc-nirosima.ciao.jp

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2009年5月12日 (火)

“核なき世界・宣言”に動くヒロシマの役割

 広島市の秋葉市長が5月4~15日ニューヨークの国連本部で開かれる核拡散防止会議(NPT)準備会に出かけ2020年までの核兵器廃絶を目指す「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を来年のNPT会議で採択されるよう訴える。
 同時に滞米中にオバマ米国大統領との面会を求めて行動する…との報道だ。

 歴代の広島市長は米国をはじめ核保有国に対し直・間接的にまた国連を舞台に核兵器廃絶を訴えてきたが、秋葉市長は世界137ケ国・地域の2800を超える都市の市長が連帯した“平和市長会議”として‘08年のジュネーブでのNPT再検討会議準備委員会で、2020年までに段階的に核兵器の廃絶を実現する「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を提案している。
 市長は長崎の田上市長と一緒に「この議定書」が来春のNPT再検討会議で採択されるように訴える。
 
 4月5日、プラハで行った核政策演説で「核兵器を使った唯一の国として米国は道義的責任がある」と「核なき世界」の追及を宣言したオバマ大統領に対して日本政府は訪米した安倍元首相に麻生首相の親書を託し、昨日27日には中曽根外相が日本の核軍縮に対する考え方を示してオバマ大統領演説への強い支持?を表明した。
 しかし、残念ながらいずれも外務省の役人がこれまで日本が主張してきた核兵器廃絶について繰り返しおさらいをした…に過ぎず、唯一の被爆国として被爆者の苦しみや心情をくみ取った“核大国アメリカの心を揺さぶる訴え“は微塵も見えない。

 度々の引用(当ブログ4月18日、21日)で恐縮であるが、オバマ大統領自身は’07年10月、シカゴのデュポール大学で開催中の「原爆展」を偶然にも見る機会に遭遇し1時間前後見た。「核抑止論」を口にしてきた彼はこの後「核兵器のない世界」を発言している。
 「ヒロシマ原爆展」が彼の心を揺さぶり、「核なき世界」にチェンジを触発した…のだ。

 秋葉市長は「“米国政府の影響力がある人物“に会って、政府と都市が核兵器廃絶に向けてどのような協力体制が出来るか」を協議する。(4月25日:中国新聞)
 この間4人の被爆者が同行して被爆体験を証言する。

 「原爆展」がオバマ大統領の心を動かしたように、秋葉市長と4人の被爆者の心からの叫びが核大国米国に響き、オバマ大統領の『核なき世界』宣言の強い後押しになるように応援したい。オバマ大統領の来広を実現し、ヒロシマの地で“世界に向けた核兵器廃絶宣言“を発する為の道案内が重要な時だ。
 広島・長崎市長と同行の被爆者の役割は大きく、実現可能な期待も一層大きい。

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2009年5月11日 (月)

映画「ありがとうの物語」

 シネマクラブ・ひろしまの今年度の最初の上映会に日本人医師が紛争地で出会った人達との心優しい繋がりを描いたドキュメンタリー映画“地球のステージ”「ありがとうの物語」の監督佐藤威一郎氏を迎えて行った。
 
 斎藤茂吉の孫・北杜夫の「ドクトルマンボウ航海記」を読んで医師を目指した山形市の精神科医、桑山紀彦さん(46 )は医師になって間もない頃からパレスティナやカンボジア等、世界の紛争地で救援活動を続けて来た。
 旧ユーゴのクロアチアで出会った言葉を失った少女は“矢が刺さったハートの絵”を描き心の傷の大きさを示す。度重ねた心のケアで22歳になった少女は笑顔で病の克服を喜ぶ。
 カンボジアで内戦が残した地雷で腕を失いながら健気に生きる少年や父母に捨てられ路上生活しながら逞しく生き抜くマニラの兄妹など…。全編を篠山さんの歌声が包む…。

 悲劇に見舞われ絶望の淵に立ちながらも逞しく生きる子供達の姿にあふれる涙をぬぐうのを忘れて引き込まれ、いつのまにか子供の溢れる様な笑顔が涙を乾かす…爽やかな作品。
 2回の上映で鑑賞した老若男女から終了後、期せずして大きな拍手がわいて会場にいた監督に贈られ、アンケート用紙に「子や孫に見せたい」と作品への賛辞が寄せられた。
 
 日本では診療の合間を縫って学校を回り、現地の映像に自作の曲をギターの弾き語りにのせて世界の残酷で非常な現実を伝える“地球のステージ”活動にも取り組んでいる。

 前夜に広島入りした佐藤監督とご一緒して、いろいろ聞いた。54歳で現場に残るか管理職コースを歩むかの選択時、30年余制作一筋で来たNHKをやめて制作会社を興した。
 TVドキュメンタリーを中心に生きてきて40年余。自分が生きた証として納得できる作品を残したいと夢を追い、桑山さんとの出会いの中で“ありがとう”が生まれた。
 「桑山医師の目線を通じて子供達の命の鼓動伝えたい」と言う佐藤監督。

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 戦争や貧困であえぐ国や地域の最悪の環境の中で命を輝かせて生きている子供達が放つ笑顔を監督は『ドキュメンタリー童話』と表現した。親も子も心を揺さぶられる映画だ。
“本当の豊かさとは何なのか”日本の子どもと親に考えさせる作品、学校上映を推薦。 
 <上映相談:「シネマクラブ・ひろしま」 082-293-1264 (広島映画センター内:082-293-1119

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2009年5月10日 (日)

エコ都市は地方主導で

エコカーの受注が凄いと聞きます。今月発売の新型ハイブリッド車は、今から注文しても納車は秋以降になるそうです。発売日以降の注文では年内の納車は難しいということです。しかも、これに優遇処置が加わるので、更に売り上げも伸びることでしょう。

しかし、最大のエコカーはなんと言っても自転車です。我が家の子ども達も通学には常に自転車を利用してきました。大学になっても途中までは自転車通学です。ただ、エコではあっても、親としては自転車が必ずしも安全な乗り物でないことには心配があります。

最近、宇都宮市が道路を少し変えることで自転車の事故を4割も減らしたという記事を見ました。4割削減というのは凄いことです。宇都宮市の行ったことは、決して特別なことではなく、ヨーロッパの自転車先進国のスタンダードに習っただけだと言います。それは、日本のどこでもできる、たった2つのことだそうです。

(1)対面通行を避ける=自転車の左側通行を徹底する。
(2)自転車に歩道を走らせない=自転車の専用レーンを車道側に設ける

ヨーロッパの自転車先進国や宇都宮市の例が、そのまま日本の全ての都市でも通用するのかどうかは分かりません。それぞれの都市による交通事情の違いもあると思うからです。しかし、事故を4割も削減できるとすれば、十分に検討の余地はあるはずです。

以前、PTAとして通学路の安全のために運動した時、大きな障害になったことがあります。それは交通を管轄するのが警察だということです。つまり住民や地域のことを最も理解している基礎自治体だけではできないということです。警察の視点は事故をなくすということにもあるはずですが、エコよりは自動車優先というところがあります。つまり渋滞の緩和が最優先だということです。もちろん渋滞緩和もエコや事故の防止に繋がりますが、場合によっては必ずしも安全やエコにならないこともあります。

中央から地方へという流れの中で、是非、道路や交通に関わることも基礎自治体に任せて欲しいと思います。そうすれば、こういうエコや安全に関する改革もスムースに進むと思うのです。

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2009年5月 9日 (土)

日本焚き火学会

4月18日の土曜日 湯来町クワハウスハウス裏、カフェ・アンデスの横で催された日本焚き火学会年次総会?に出席した。

日本焚き火学会なんて仰々しい名前になっているが、なんのことはない、焚き火の周りに人々が三々五々、適当に集まってきて、食べて、飲んで、お喋りして、音楽を聴くというだけの会だ。
でも一応会則はある。
その会則には、
目的
(1) 焚火に代表される田舎の生活の知恵を、その達人たちから学ぶこと
(2) 焚火を見つめて、明日の希望と冷静な勇気を授かるための、技術を身につけること
(3) 焚火を囲んで、語り合うこと
と書かれている。
会が始まってもう16回目になるという。
since1993だ。
友達の友達は皆友達だという感じで集まり、今年の参加者は150人位になったという。
主催者というより、言い出しっぺといったほうがいいかもしれない、準備の責任者でもある松波氏の人柄だろう、来ている人たちは皆品のいい人たちだ。

想像するに、その松波氏とアンデスの親父さん、林先生等数人が、冬のある日、焚き火を囲んでお喋りをしているとき、焚き火って、「焚き火って面白いねー。毎年やろうよ」というような話になり、それなら名前はどうしようということで、それならちょっと仰々しい名前にしようよという程度の軽いノリで、名称も決まったのだろう。
そもそも学会なんていう名称は、使っていいとか悪いとかいう決まりはどこにもない。
当然こう使わなければいけないなんていう決まりもない。
そんな軽さと仰々しさ同居しているのが可笑しい。

焚き火は見ているだけで、なんともいえない気分になる。
私の実家には暖炉があるが、その前に座り、火をみていると、時の経つのを忘れる。
野外での焚き火はもっと面白い。
そこに友達がいればもっと面白いというわけだ。

焚き火は、大きな石を積み上げ、そこに長さは2M以上もあろうかという丸太が2本渡され、それがブスブス燃えていた。
また白い煙の臭いがいい。

ステージも作られていた。
床はベニヤ板、壁と屋根はブルーシートだ。
歌はアンデスの音楽を小学生の兄弟が演奏してくれた。
たて笛をお兄ちゃん、ギターのような楽器を妹が演奏してくれた。
プロ並みに上手い。
カラオケとは一味違う。
しばらく間をおいて、中年の男性、女性のグループがクラシックギターの演奏を披露してくれた。

1_2

直径1Mはあろうかという大鍋では豚汁が作られていた。
これがなかなか美味い。
焚き火の火を移して、イカの姿焼、アヤメの串焼きもあった。
小さなトラックの荷台に手作りで作ったというピザ専用の窯が置かれ、そこで焼いたピザも売られていた。
薪で焼いたからだろうか、これが素晴らしく美味い。

当日のみ有効な通貨「焚(ターク)」も発行されていた。
焚と書いてタークと読ませるなんて、シャレている。
遊び心満載の学会だ。

ワイワイがやがや騒いで、数時間経って、適当に疲れたころ、帰ってきた。

湯来町にはまだ桜が咲いていた。
今年の焚き火学会はこの桜の季節に催されたが、でも焚き火というのは、やっぱり木枯らしが吹くころ、冬の寒い日、枯れ葉を燃やしての方がいい。

まあいろいろ都合があって、この日になったのだろう。
そんないいかげんさもまたいい。

日本焚き火学会の自称正会員としては、これからも続けて欲しい。

松波さん、ご苦労様でした

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2009年5月 8日 (金)

紛争跡地に平和公園を造るー行動する折り鶴

国連訓練調査研究所ユニタールは、世界各地の紛争跡地に平和を祈る公園などを設ける国際プロジェクト「平和のための建設」に乗り出すという。
建設プランを各国の大学や設計事務所などを対象に公募するという。
素晴らしい計画だ。

ヒントは広島市の平和公園だという。
折角作るなら、そこに何か広島市と関わりのある平和のシンボルが欲しい。

たとえば、広島市から、折り鶴の折り紙とアオギリの実、そして被爆桜の苗木の3点セットを送ったらどうだろう。
折り鶴も被爆アオギリも被爆桜もそこに沢山人々の平和を願う気持ちが込められている。

広島市から送られた折り紙で、その平和公園を訪れた人々が、平和を願う気持ちを込めて折り鶴を折っていただき、広島の平和公園に届けるようにしたらいい。
或いは、次に作られるどこかの国の平和公園に、その折り鶴を届けてもいい
世界各国につくられる平和公園と広島の平和公園が折り鶴によって繋がるとしたら、それは素晴らしいことではないだろうか。

そのための折り紙を、広島市民が寄付するのだ。
お金が集まれば折り鶴ホールを作ってもいい。

折り鶴には、「祈りの折り鶴」と「平和を願って行動する折り鶴」の2種類があるという。
原爆の子の像のある平和公園は「祈りの折り鶴」であり、もう一つはこのように平和を願って世界に羽ばたく「行動する折り鶴」だ。

その行動する折り鶴が世界各地の平和公園を創り、平和を創りだすのだ。

そのためにはそれなりの費用が必要だろう。
「ORITURU TRUST」を作ることも、検討すべきかも知れない。

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2009年5月 7日 (木)

被爆樹木 アオギリの木

被爆樹木のアオギリは被爆しても逞しく生き返った樹木として、広島市にとっては貴重な樹木である。
アオギリは1本の樹木から800~1,000個の種子が実る。
その種子を世界に配ることで、広島の思いを世界に伝える木ともなっている。

そのアオギリの木が平和公園にあるとは知っていたが、それがどこか知らなかった。

先日平和公園を散歩しているとき、そのアオギリの木を見つけた。
平和資料館東館の北にある。
慰霊碑前の広場を横に入ったところに植えられているので、ちょっとわかりにくい。

数人の外国人が立ち止まって何か見ていたので、「何?」とみたら、そこにアオギリの木があった。

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アオギリの木の前にはシャレた記念碑が建てられ、ボタンを押すとアオギリの歌が流れていた。
可愛らしい子供の歌声だ。
歌詞は外国人にはわからないだろうが、皆聞き入っていた。

「ヘーッ」と思わず感心してしまった。

文字で説明するだけでなく、歌でその思いを表現している。

アオギリの実から、木にまで育つのは結構難しいらしいが、平和の使者としては貴重だろう。
脇には、実から育ったというアオギリの被爆2世の木が植えられていた。

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2009年5月 6日 (水)

新型インフルエンザへの対応に疑問

新型インフルエンザがフェーズ5(パンデミック=世界的大流行の手前)になり、報道も過熱しています。政府は国民に「冷静さ」を求めていますが、最も冷静さを失っているのは日本国政府ではないでしょうか。

横浜市の中田市長は、先日の舛添厚労大臣の深夜の会見に対して「(大臣は)国民に落ち着くように呼び掛けているのだから、大臣自身が落ち着いた方がいい」と発言しましたが、まさに同感です。

政府あるいは厚労省の役人は、新型インフルエンザを強毒性の鳥インフルエンザからの変異しか想定していなかったために、弱毒性と分かっても、強毒性を想定したマニュアル通りにしか動けず、明らかに振り回され過ぎているように思います。

もちろん、日本という世界で最も高齢化の進んだ、人口密度の高い国では、新型ウィルスは他の国以上に脅威かも知れません。更に、海に囲まれているという好条件を考え併せると、水際作戦の重要性は十分理解できます。

しかし、現状解明されている情報を冷静に分析する限り、国内に対する政府の対応は、明らかに過剰な反応に思えます。マスコミも厚労省や政府に振り回されているようにすら思えます。

感染を防ぐことは重要ですが、同時にパニックが起きないようにすることもまた大切なことです。最も重要なことは確実に分かっていることと、まだ分からないことをきちんと分けて、冷静に対応することです。

パニックになると、マスクにしても治療薬にしてもワクチンにしても、適正な配分ができなくなってしまいます。また社会に対する負担もそうです。防衛とはいえ、守るべき社会を弱体化させてしまっては意味がありません。

日本に比べ、メキシコに隣接しているアメリカの方が遙かに冷静です。オバマ大統領は「一日単位で、いや一時間単位での情報提供を行う」「可能なあらゆることをする」と述べているものの国境封鎖などは行わず、有名キャスターや医師がメキシコシティーに常駐し、連日のように事実を正確に冷静に報道しています。

その結果、当初の150人の死者のうち、半数は慢性疾患や栄養失調などだということも分かり、結果、今回発生している新型ウィルスは弱毒性であることは間違いないものとして認識されています。

日本の報道ではアメリカでもマスク(=サージカルマスク)を付けた人しか映していませんが、ネットなどでライブ映像を見ると、そんな人は殆どいません。

もちろんウィルスは今後も変異する可能性もありますし、可能な限り感染を防ぐことは重要なことです。それでも今の段階で強毒性の新型ウィルスを想定して書かれたマニュアル通りに動いている政府の動きは明らかに異常です。

日本政府は水際はしっかり守るにしても、国内に対しては過敏にならずに、むしろ海外への支援、メキシコやこれからインフルエンザの本格的な時期になる南半球への医療や感染対策の援助をもっと積極的に行うべきでしょう。

今回の新型ウィルスの感染は、まだ第一波に過ぎません。スペイン風邪(同じ豚インフルエンザ)の場合、4〜5月(まさに同時期)に猛威をふるった後、一旦終息し、秋以降に第二波が現れ、4千万人から1億人の命を奪ったわけです。第一波の被害が少なかったところほど、第二波による被害も大きかったともいわれています。

オオカミ少年の話ではありませんが、今回の新型ウィルスで騒いだ挙げ句に大したことがなかったという経験から、第二波が発生し、毒性が強い新型ウィルスに変異した時に警戒心がゆるんでしまったり、今回あまりに犠牲を強いて何もなければ、肝心な時に強制的な対応に躊躇するようなことがあると、本当に危険なパンデミックが起きた時、今回の冷静さを欠いた対応が大きなマイナスになりかねないような気がします。

   2009年5月2日

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2009年5月 5日 (火)

小沢民主代表に対する高校生の<目>

 先日、全国紙の投書欄に「西松建設の献金問題」で埼玉県ふじみの市の高校生・岡本俊君(16)の「真実を語り選挙に勝ってこそ」と言う投書が掲載された。
 少し要約して引用する。

 『…小沢さんの進退が盛んに議論され「責任をとって辞任すべき」と言っています。しかし、僕は疑問を抱いてしまいます。何故「責任をとって辞任」なのかということです。確かに、辞任すれば築いてきた自分の地位を失うことになり、それも一つの方法かもしれません。しかし、辞任は結局「責任からの逃げ」であり、後任者への「責任押し付け」であると思います。本当の責任の取り方は地位に留まり、きっちり説明して真実を明らかにする事ではないでしょうか。…批判の矢面に立ちながらも責務を全うすることです。小沢さんの場合、それは総選挙に勝利して政権交代を果たすことであり、それこそ政治に携わる人間の本当の責任の取り方と思います』
 高校生とは思えないほど適切な“小沢さんへの指摘<目>”ではなないだろうか。

 それにしても新聞にTVはワイド番組までも連日「小沢の責任」「小沢の辞任」を騒ぎ立てている。その一方で「国策捜査」「検察ファッショ」が指摘されている。
 検察庁は三権分立で言う司法ではない。あくまで裁判所へ問題提起する行政機関で、厳密に言え“麻生内閣の一行政機関”で、マスコミに流れる様々な情報の源流で、一つ間違えば“マスコミ操作”に成りかねない…。

 平成元年のリクルート事件に関して当時の高辻法務大臣は「特定の政治目的の為に検察権力を乱用する。例えば、マスコミに働きかけて検察権の目的を有効にする事などが検察ファッショに当たる」と発言している。

 政権交代を避けたい自民党・麻生内閣と「官僚支配の打破」を主張する民主党。
10年有余2大政党化による政権交代を目指し、その実現性が目前に迫ってきた時期に現政権の対立政党の代表に関わる強制捜査がどう言う意味を持つかは政治に関心が低い人でも容易に推察できることだ。

 現政権がフェアーな立場に立てば“今は避けるべき時”との判断がされるのが自然だ。狙い打ち捜査や国策捜査でなく、純粋に政治資金規正法の問題であるなら選挙前という時期は避けて、選挙後に正々堂々と問うべき問題で高校生の岡本さんの目<指摘>は当を得ている。付和雷同するマスコミは日本のあるべき政治の方向を冷静に伝える義務があることを“小沢問題”を通じて、今一度考えみる必要があろう。

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2009年5月 4日 (月)

突然の交通規制?お粗末な県警の対応

 5月14日の午後3時過ぎ、NHK周辺の信号が規制され、写真のような状況が生まれた


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<写真正面は白神神社:14日PM3時20分前後>    前後小一時間の規制だったようだ。
 普段より1時間早い平和公園の散歩中、慰霊碑周辺を取り巻く取材陣の多さに気づいた。たまたま出会った知り合いの記者に教えてもらった。国賓として来日中のシンガポールのナーザン大統領の原爆慰霊碑参拝に伴う規制だった。

 3時過ぎ、平和大通りから平和大橋を渡ってNHK前の交差点を目指していたが、東西の通行が出来る緑信号が変わらず、車は走っているが歩行者信号は赤のままで変わらない。

 紙屋町と鷹野橋を結ぶR54は写真左のようにまるで正月の朝のように、全く車のいない異常な風景となった。3時20分前後にパトカーが先導した大統領御一行の車列10台前後が通過した。しかし、しばらく信号は変わらない。
 誰かが大声で「まだ通れないのか」といっている。制服警官が走り寄って何か説明している。自転車の人があちこちで信号を無視して渡る姿が見受けられた。
 随所に立っている警官が敢えて制止する様子も見えない。
 私が見た、この間30分。「誰が通行するか、なぜ規制をしているか」沿道で待ちつくす通行者に何の説明もないままで経過した。警官に「何故、この規制の理由を広報車で街頭宣伝しないの?」と尋ねたが「すみまえん」としか返事が返らなかった。

 国賓の通行となれば当然の対応で県警の手落ちは無い…と思いたいが、広報車を走らせて沿道通行の人達の理解と協力を求める事は当然されるべきだ。
 中電本社裏通りは20台以上の車が表通りへ出る為数珠つなぎになっていた。
 事前にTVやR、新聞などの予告PRには触れていない。まして広報車も見ていない…。
 「そこのけそこのけ国賓が通る」では国賓に対しても失礼な扱いになるだけでなく、国賓の立場から見れば、迎える広島市民の対応にも疑問を持ちかねない出来事ではないか。
 平日の午後、突然出くわした規制に戸惑った市民の気持ちを考えて、敢えて言う。
県警本部長殿!  手を振って“歓迎”を…とは言わないが、心ある対応を!!<16日記> 

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英語版「はだしのげん」をオバマ大統領の手へ!!

 少し早いが、中沢啓治の「はだしのゲン」10巻の英訳版の完成を祝い出版をバネに応援する会「世界に飛びたて はだしのゲン」の開催要領が決まり、公表した。

 この企画は金沢のNPO法人“ゲン・プロジェクト”(浅妻南海江代表)が15年前から「はだしのゲン」の多言語化に取り組み、この5年で英語版を10巻まで全部の翻訳に漕ぎ着け、7月に9,10巻の印刷が米国で完成する。この機会に『世界に平和の種まきを続け、これからも世界中を駆け巡って戦争の無意味さと核兵器の残虐性を伝える“ゲン”を今一度「世界に飛び立て!!」とヒロシマの地から激励して送り出そう』と言う狙いだ。
 これまでに出版された翻訳完成版はロシア、韓国、スペイン、タイ、フランス語に今回の英語が加わって6ケ国。目下、翻訳出版中はポーランド、オランダ、トルコ、ポルトガル、イタリアの5ケ国。翻訳中はドイツ、インド、ウクライナ、フィリピン、ギリシャ、クロアチア、中国の7ケ国で他言語化の取り組みは全部で18ケ国になる。

 広島滞在中の原作者・中沢啓治さんにお願いして「広島市政記者クラブ」でこの企画の趣旨説明とPRの協力を要請して頂いた。
 席上、中沢さんは5日プラハで行ったオバマ米国大統領の「核兵器のない世界」宣言を「原爆を投下した米国が核兵器廃絶を目指す意義」を評価してオバマ大統領に“英語版はだしのゲン”を贈る考えを披露した。少しでも核兵器の恐ろしい実態を知ってもらい、同時に2人の娘さんをはじめアメリカの、世界の子供達に読んでほしいと心境を話した。 
 「英語版・ゲン」が原爆展を見て核廃絶の決意を固めた<4月18,21日付け・当ブログ記事参照下さい>オバマさんの新しい平和の杖になることは間違いなかろう。

 英語版全10巻の出版を記念し、各国語版『ゲン』を激励する「世界に飛び立て はだしのゲン」出版応援会は7月26日(日)11時30分~14時半、広島市中区基町(紙屋町)のメルパルクで開く。この会には一般公募で「ゲンのフアン」も30人まで参加できる。参加費は大人:4000円、小中高校生:1500円。希望者は7月10日までにはがき・電話・fax・メールで申し込む<〒730-0853 広島市中区堺町1-2-9 貴志ビル 広島映画センター内「世界に飛び立て はだしのゲン」応援事務局 宛、tel:082-293-1119 fax:082-293-2229 E/mail:nfo@h-eigasenter.co.jp>
 オバマ大統領のプラハ宣言は核兵器廃絶に向けた大きな灯になることは間違いない一方簡単には進まない事情もある。従った「はだしのゲン」の役割はまだまだ当分続いて必要となる。広島市が開催中の全米原爆展や「平和市長会議の2020ビジョン」と共に拡大普及は大きな役割になる。「世界に飛び立て はだしのゲン」出版応援会への参加と支援、要請。
 ご覧頂く皆様、友人知人にもご紹介頂きたいと思います。よろしくお願いいたします。

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2009年5月 3日 (日)

映画「アンを探して」

 日本とカナダで共同製作した映画「アンを探して」の完成直前の試写を見た。
 「赤毛のアン」が出版されて100周年を記念したツアーや切手の発行にアニメの制作、ミュージカル上演など盛りだくさんなイベントが行われおり、この映画も記念行事の一環でカナダを拠点に活動している映画監督宮平貴子(30)さんが脚本・監督を務めた。

 カナダの作家モンゴメリーが書いた「赤毛のアン」と言えば大方の日本人は知っている。カナダのプリンス・エドワード島を舞台に孤児院育ちのアンが兄妹のいる家庭へ引き取られてくる。人参のような赤毛のアンは美しいブロンドの女の子を見るたびに羨ましいと自分の髪を嫌う女の子…。

 映画は17歳の少女・杏里が祖母に読み古した「赤毛のアン」の原書を贈った初恋?のカナダ人を探すため、単身カナダを訪れる。60年前の祖母の思い出のメモや写真をたよりにプリンス・エドワード島で多くの人の温かさと優しさに触れながら、

 全く、予備知識無く、「赤毛のアン」を題材にしたドキュ・ドラ?位に思い、特に期待もしないで見始めただけに、いつの間にか引き込まれていったのは何故だろうか?

 「赤毛のアン」は映画の一構成素材にすぎないが、アンに影響を受け「アン」が育んだ人達とその人達の気持ちと土地柄・風土が大きな背景としてある事がわかる。
 現地のオール・ロケで制作された作品は「赤毛のアン」の舞台を彷彿とさせ、「アン」をこよなく愛する登場人物の人柄と何気ない優しさに溢れた構成はいつの間にか「人は優しく生きるためにいるのだ」と思わせ、じんわりと目頭に温かいものが溢れるのに気づく…。

 出演は歌手のロザンナに吉行和子、“とんねるず“の石橋貴明の“長女・穂のか“が日米韓の合作映画に次ぐ2作目の出演で杏里役をこなしている。父の”七光り“を嫌っているようだが、父親によく似た顔立ちに長い黒髪が印象的で、祖母の歴史を一途に手繰る寡黙な少女役を好演している。

 あと味の良い心豊かな感情が尾をひく作品だ。若い女性や、小中学生に見せたい映画だ。
 最終的には夏前に完成して秋口から日本での公開になる予定、しかし詳細は未定。

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2009年5月 2日 (土)

巷談(こうだん)・蟻の祟り(たたり)

 “緩急車 雲助”とユニークな芸名で幅広いテーマの講談を語る久保浩之さんは元国鉄の職員だった。労働組合運動の傍ら演劇や文芸活動に熱心な活動家で“緩急車”は彼の職場である“貨物列車の最後尾の車掌車”で、その乗務員だった。

 久々に、自宅近くで行われる講談会の案内を頂き「蟻(あり)の祟り(たたり)」と言う演題と<もののけ噺(ばなし)>にひかれて出向いた。彼はこれまでに「黒こげの弁当箱」「石に影を焼きつけた男」「ヒロシマの海の底で」紙芝居「昭ちゃんの原爆体験」など“原爆もの”を中心に修学旅行生や県内各地の学校、全国にも出向いて語ってきた。米国や韓国・中近東にも足を運んだ。
 しかし、被爆問題を扱った<もののけ噺(ばなし)>は聞いたことが無かった。

 <筋書き>は米国が軍をあげて原爆放射能が人体へ与える影響を極秘裡にしかも強引に調査し、その遺伝的影響は未だに隠し虚偽の宣伝を続けている事実を伏線にした怪談噺だ。
 被爆した中学生の火傷に出来た瘡(かさ)蓋(ぶた)を食べた蟻が「調査を拒否すれば軍法会議にかける」と脅して強引に調査につれて行ったABCC配属の軍人に噛みつき湿疹にかかる。痒くて冷静な判断が出来ないくらいキツイ湿疹は不治で伝染する。帰国後、被爆者調査の功績が認められた彼は大統領から勲章をもらい英雄として沢山の要人と握手やハグ等の接触をし、次々に湿疹をうつして行く。要人は広島の地を踏んだことのあるニクソン、カーター以外の歴代大統領を初め、原爆製造投下を指示し核兵器を増強した人達だ。 被爆者の怨念が招く祟りの湿疹に感染した要人は「痒い、痒い」と苦しみながら余生を送る。
 
 荒唐無稽の創作講談か?と言えば、満更そうでもない。
 彼は女学生として動員中に被爆した妻がABCCに協力させられ、自分達の子供を産む過程で知った被爆二世の後遺症や健康問題で多くの事例を知り悩み苦しんだ経験がある。
 被爆女性が妊娠・出産すると県内の産婦人科医はABCCと協定して報告し、奇形児を取り上げた助産婦が報告すると大きな報奨金が出た…事実等を知っている裏付けがある。

1_42

 被爆者は今や米国に恨みや妬みや仇討の気持はない…と一般的には言っている。
 はたして、そうなのかと言えば、決してそうではないと言う人達は多い。恨み、辛みの一つも言えないまま逝きたくないと言う人は多く『蟻の祟り』はそんな被爆者の心の底をすくった巷談(こうだん)…と受け止めた。

 来年は被爆65周年。国連軍縮総会が開かれる。
 4年前、ブッシュ政権下での総会に参加した彼は今回の総会にも参加したいと思っている。
 その際、この「蟻の祟り」を英訳して口演しようと相談した広島文化センターのリーパー理事長は「大統領をこよなく尊敬する国民が多い米国で、大統領が被爆者の祟りに遭う」想定は『貴方の命が保障されない』と半分冗談とも思える落ちを付けた…そうだ。
 その彼は、理事長室の入口に「巷談(こうただん)・蟻の祟り」のポスターを張り、気を使う久保さんに「私が私の城に張るのだから心配ない、貴方は日和見を起こしたのか…だから日本の平和運動は伸びない…」と対応し、久保さんを感激させたようだ。
 日米間で極めて微妙な問題に対して大らかな米国人気質が垣間見えるエピソードだ。

 しかし、この日の講釈は先にオバマ大統領がプラハで行った「核兵器のない世界へ」の演説で「核兵器を使った唯一の核保有国として道義的責任がある」と述べたことを、アメリカの良心的な人達に“ヒロシマの怨念”が通じ、オバマ大統領を誕生させて核兵器廃絶の実現に向けて取り組む…と言う二段落ちで締めくくった。
「蟻の祟り」が解けることを願った講釈師の“対米感情への配慮”である一方本当の願いでもある。

 この話、次々に目に浮かぶ光景に思わず拍手と笑い声を立ててしまった。
 子どもや次世代の若者に考えてもらうために“紙芝居化”を強く感じた。
 是非、「紙芝居・蟻の祟り」の実現を期待したい。実に、面白い原爆もの講釈だ!!
 是非、ぜひ日米両国民が笑いながら観ることが出来る『アメリカでの紙芝居“蟻の祟り”』の実現を夢見たいものだ。

問い合わせ・連絡先:<緩急車雲助>久保浩之:携帯 090-7505-4195

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2009年5月 1日 (金)

広島新球場の初戦

2009年4月10日、広島新球場のカープ初戦を見た。
試合はボロ負けだったが、充分球場の楽しさ、野球の面白さを充分堪能できた。

新球場はネーミングライツをマツダが取得し、マツダスタジアムとなった。
広島市民にとって、もっとも好ましい名称に決まった。

このプロジェクトは、スタートしてからもう軽く10年を越える。
その間、いろいろなことがあった。
そしてこの日、ようやくこの始球式を迎えることができた。
関係者の思いは格別だろう。

球場には、5時ごろ、広島駅から歩いて向かったが、いままでの広島では見たこともないような凄い人の流れだった。
しかし球場に向かう道は、歩行者専用になっていたこともあってか、心配されたような混乱は全くなかった。

後で聞けば、車の混雑も殆どなかったようだ。
関係者の努力の賜物だろう。

愛友市場を過ぎたあたりでもう球場が見える。
球場に向かうスロープを上がっていくに従い、気分もだんだんと高まってくる。
上手い演出だ。
スロープもゆったりしているから、坂道を上がっていくという感じはない。
駅からの距離が遠いのではと心配されていたが、意外と近く感じる。

席は4,000円の内野席だったが、それにしても随分とグランドを近く感じた。
後ろの席の人も同じ様なことをいっていた。
選手のダッグアウトの屋根を下げ、選手の顔が見えるような演出がされているからだろうか。

以前の市民球場では前売りの内野席でも、もう殆ど外野席といっていいような場所だった。
内野席のいいところは全て年間契約で売られてしまっていたからだろう。
新球場では年間契約席は個室、パーティールーム等が当てられたこともあってか、内野席のいい席も前売り、当日券席としてかなりの数が確保されているようだ。

座席の前もゆったりとかなり余裕がある。
トイレに立つときも、それほど隣の人に迷惑を掛けずに済む。
ビールの売り子は、紙コップを渡すのも、随分と楽そうだった。
当日ビールは昨年の最高の売り上げの時の3倍を用意したというが、それでも足りなかったという。
3倍も座席数が増えたわけではないから、それは座席の前には紙コップを置く場所はあるし、つまみを買いにもすぐ立てるし、トイレにいくにも気兼ねなくすぐ立てるということが影響しているのではないだろうか。
うどん、お弁当等の売店も長い行列ができていた。

1_3

車椅子席が90席と大量に用意されていたが、広島にこんなに沢山の車椅子の人がこんなにもいるということにも驚いたが、これだけ沢山の車椅子席を設けたということはもっと評価していい。
こんな席は他の球場では見かけない。
市民からの提案を入れて作ったそうですが、これからの高齢化社会にとっては、極めて意味のあることだ。

試合は6回で9:1とボロ負けなのに、誰も帰ろうとしない。
首都圏の球場なら、もう殆ど帰ってしまうだろう。
12:1になっても、あたかも優勝決定戦のような応援風景だ。
新球場を楽しんでいるということもあるろうが、広島の人のカープへの思い入れの強さを改めて感じた。
ルイスが9点を入れられ降板しても、後ろ人は「しょうがないよ、ルイスはエースだからな」といっていた。

通常3塁側席はビジターチーム席で、カープフアンはあまりいないのが普通だが、この球場では3塁側もホームチーム席のようだ。
カープフアンで埋まっている。
中日応援団はレフトスタンドの2階席のパーフォマンスシートに陣取って、応援していた。
まとまって応援することが出来、声も通る。
「敵も頑張ってるな」という演出になっている。
広島ならではの球場の作り方だ。
上手い設計だ。

びっくりするほど野球のことを熟知しているなと思わせる仕掛けが、球場の至る所に施されている。
あきらかに前の球場より素晴らしい球場ができた。
ボールパークという意味がよくわかった。
これで、カープの人気も一気に高まるだろう。

帰りの道路の込み具合はどうかなと気になっていたが、全く混乱はなかった。
球場のあの高いスロープの上から球場を出ていく沢山の人の流れをみるのもまた楽しいことでもあった。
帰りの広島駅までのあの道は、距離があることで、却って人の流れに「遅れ」を作り出し、JR、広電の駅の混乱を避けるのに効果があるようだ。
歩きながら、友達と今日の試合について、お喋りするにはいい距離ともなっている。

球場脇に用意された紙屋町と結ぶシャトルバスは、私が見ていたときには、殆ど乗る人がいなかった。

逆に広島駅のタクシー乗り場は、あの広い駐車場の客待ちの車はゼロだ。
こんなのは久方ぶりに見た。
広電もほぼ満席だった。
カープのユニホームを着た人もかなり乗っていた。

貨物ヤード跡地にできた新球場は、新しい人の流れを作り出した。
ソレイユ、JTゆめタウ等のショッピングセンターとは明らかに異なった流れを作り出している。
人の渦を、より大きなスケールでかき回した感じだ。

新球場ができたことで、県外のお客が増え、広島市内のホテルは満室だったとも聞く。
新球場建設は、広島の経済の活性化に、予想以上に大きな効果をもたらしているようだ。
銀行等の行った経済波及効果予測には入っていない要素が、まだまだ他にもあるように感じる。

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