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2009年4月

2009年4月30日 (木)

楠とエコ

先日、久しぶりに朝早く、平和大通りを歩いた。

朝日に映え、新緑は何とも美しかった。
朝の冷たい空気もまた気持ち良かった。

常緑樹である楠の葉は4月中旬から5月にかけて葉が生え換わる。
新しい葉が生えてきて、古い葉を落としていく。
まだ生え換わらず、茶色の葉が一部に残っているところもある。
下に落ちた茶や赤の枯れ葉もまたきれいだ。
秋の落ち葉と違った風情がある。
落ち葉を踏んで、新緑の木の下を歩くのは、なんとも清々しく、気分がいい。

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楠に付けられたプレートには、「この木1本で、人の吐くCO2の2日分が吸収されます」と書かれている。
2日分?
随分少ないなとも思うが、人間の体にとっていいことは確かなようだ。

低炭素社会=エコ社会の実現ということが、今時代のテーマとなっている。
このまんまCO2を排出しつづけると、南極の氷、氷河の氷は溶けて、水面が上昇して、大変なことになりますよという警告が発せられている。
だから車から電車に乗り換えましょうとか、いろんな対策がいわれている。

しかし、こうして楠の下を歩くと大変気持ちがいい。
気持ちがいいということは、楠木がCO2を吸収してくれ、楠の下を歩くことが、人間の体にとっていいからだろう。
要するに気持ちがいいという人間と環境とのハッピーな関係を創り出せば、それが自ずとエコになると思えばいいようだ。
いつでもどこにでもそんなハッピーな関係があるわけではないだろうが、エコ、エコと声高に叫ばなくとも、ともかく人間にとって気持ちいいと感ずるような環境を作ればいいわけだ。
理屈は簡単だ?

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2009年4月29日 (水)

雁木タクシー・広島

先日、初めて雁木タクシーに乗った。
原爆ドームの前に泊まっているのをよく見ていたので、1度乗ってみたいとは以前から思っていた。

たまたま東京から友人がきたのを機会に、広島の街の案内がてら乗ることとした。

今回は、京橋川のオープンカフェの前から乗った。
川に降りる階段=雁木は市内の川の至る所につくられているので、市内のどこからでも乗れるという。
旅客定員5人で、1人あたり1,500円程度払えば、広島市内は大体見て回れるといった感じだ。

当日は、桜の花はほぼ散り、葉桜になりつつあったが、新緑が綺麗だった。
気温も20℃を越え、船遊びには最高の日だった。
途中の河岸の公園では、テントを張り、バーベキューをしているグループもいた。

縮景園も川から見たのは初めてだった。
鬱蒼とした大木が繁り、竹林があり、川から見てもその景観は素晴らしい。

京橋川の橋は戦前のデザインだろうが、重々しく風格があってなかなかいい。
橋のデザインがこんなに多様にあるのだというも、橋の上を車で走ったのでは解らないことだ。
誰かが以前指摘していた、橋の裏側のデザインももう少しなんとかすべきだといっていたが、そうしたことも、雁木タクシーに乗ってみると、なるほどなと思う。
橋の裏側がどうなっているかなてことは、こうして船に乗ってみないと気づかないことだ。

川の水は随分と濁っていた。
近年はきれいにはなったというが、それでも泳ぐにはとても無理だろうという感じだった。

大きなゴミ袋、壊れた自転車を積んだ台船が、橋の下に置かれていた。
聞けば、国交省が川の底の掃除をして集めたゴミだという。
川岸から不要になった自転車を捨てるなんていうけしからん輩も多いのだという。
底に沈んだ自転車は、干潮の時など航行に極めて危険だと、船長さんは嘆いていた。

京橋川を遡って、太田川と交わるところの中州には、沢山の白鷺の生息している。
なるほど、ここなら白鷺も安心して巣ができそうだ。
中州に生えている木ももう巨木になっている。

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アストラムラインの窓からもこの中州はよく見える。
大きな木が真っ白になっていることもあり、枯れたのかと思っていると、しばらくすると緑に戻っている。
どうしてーといつも不思議に思っていた。
雁木タクシーの船長さんに聞けば、それは白鷺のフンだと教えてくれた。
こんな大きな樹が真白になるほど、フンをするというのも不思議だ。

雁木タクシーはNPOの人たちが殆どボランティアで運行している。
素晴らしい活動だと拍手を送りたい。

しかしいずれはボランティア活動としてなく、ビジネスとして、きちんとなりたって欲しいと思う。
広島の人たちにも、川からの景観は素晴らしいということをもっと知って欲しいと思う。

そのためには、あの船も、もうちょっとオシャレな船にした方がいい?
それにはお金がかかる?
ウーン・・・

やっぱり先立つものはお金かー。
なんとかなんないかなー。

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2009年4月28日 (火)

平和活動家・黒田征太郎の原点

 「2020ビジョン・市民キャンペーン」を一緒に取り組もうと広島へ足を運んでいるイラストレーターで世界規模“平和で豊な世界の実現”を目指している『ピカドン・プロジェクト』の黒田征太郎さんの話を聞いた。

 1939年生まれで昭和20年に最後の国民学校へ入学した黒田さんは大阪・道頓堀に生まれたが間もなく西宮に移った。神戸戦災の日、空襲後に帰りがけのB29が落とした爆弾で自宅を直撃され、滋賀県の田舎に疎開したのが彼の直接的戦争体験だ。翌年父上が亡くなり、彼流に言うと「国家と我が家が同時に壊滅」した。この原体験が後に広島に結びつく。

 そんな黒田さんが広島や平和問題に関わる様になる遠因は作家の野坂昭如氏との出会いにある。直木賞を受賞した野坂さんに連載を依頼した週刊朝日が当時売れ子だった黒田さんの挿絵を企画して対面となった。ほら吹き男言われていた野坂さんだったが「蛍の墓」を読んで神戸の空襲が骨身にしみ込んでいる野坂の人柄が好きになり弟分にしてもらった。

 自分も多少の人気を得てRやTVに引っ張りだこになった。ギャラを持って銀座に入り浸りだったが、TVやRが面白くなくなり絵の方が面白くなった。
 「ギブミー・チョコレート」世代を生きてきた自分は極端なアメリカ・コンプレクスだったが、一大決心をしてNYに移住した。
 NYに住んで日本を見ると戦後50年目の日本が「50年経ったのだからあの戦争を終りにして、無かった事にしよう」という気風が見えた。
 そんな時NYの本屋で出会ったのが野坂昭如に『戦争童話集』だった。

 そこには、自分がぼんやり考えていることが、炙りだされるように書いてあった。
「人間の歴史に戦後なんて言葉はあり得ない。いつも戦時中じゃないか。人間の歴史なんていつも戦時中だ」。戦争が始まると、弱い者が巻き込まれ、木や草、虫に小鳥もライオンも子供も巻き添えになる。そんなメッセージがあった。
 一人でも多くの人に読んでもらうために絵本を作り、アニメにも創った。
 Ⅰ2話全部の冒頭が「昭和20年8月15日~」から始まり舞台とおぼしき所が見えてくる。
でも、抜けている所があるのに気がついた。広島・長崎、沖縄だった。
 
 「空から爆撃される戦争は知っているが、水平に球が飛んできて、敵が上陸する沖縄の地上戦は想像を超えていて書けない」と沖縄行きを渋る野坂さんを引っ張って行き、絵本「ウミガメと少年」やDVD「忘れてはイケナイ物語 オキナワ」が出来た。

 そんな頃フランスの南太平洋での核実験が再開され、その日からキノコ雲を書き始めた。
 毎日書き続けたが、一人では続かないだろうと思って東京の若いアーチィストを巻き込んで、東京とNYで書いてポストカードに仕立てて、相互に送るコラボレーションが続いた。

 3000千枚になった時、キノコ雲をひっくり返してみたら“水差し”に見えた。水を入れ
植物を入れれば育って行く…これで『ピカドン・プロジェクト』のイメージが生まれた。

 9・11が起き、ブッシュが貿易センターの跡地を“グランド・ゼロ”と言いだした。
 その時、彼はとっさに「ふざけるな」と思った。グランド・ゼロと呼ぶならば原爆を落とされた広島・長崎がある。日本以外では南京や朝鮮など沢山のグランド・ゼロがある。簡単にグランド・ゼロを振りかざさないでほしい…と思った。
 
 アメリカがグランド・ゼロを振りかざせば振りかざす程プロパガンダに見えてきて、その時『ピカドン・プロジェクト』を発信する決断をした

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 ピカドン・プロジェクトで何をやるのか?反核とか反戦運動ではない…と言う。
 敢えて言えば「衣食住の事を考える」、足りていることを有難く思い、食えない人が世界中にどれだけいるか?足りているなら、食えない所に回してあげよう…これがピカ・ドンだ。

 彼は自然発生的に、いろんなところでピカドン・プロジェクトが起きることを期待し、立ち上がろうとすればいつでもどこへでも応援に駆け付ける。
 そして、ピカ・ドンの絵はお百姓さんがコメを作るように、漁師さんが魚を取るように書き、お米やお魚のように誰でもがどこででも書き、「核兵器を無くする動き」その輪を拡大して欲しい…そんな連帯活動が『黒田征太郎の平和活動』だ。

 黒田さんはこれまでも広島で長崎、沖縄で世界の各地でピカドン・プロジェクトを立ち上げて来た。「2020ビジョン・キャンペーン」が、新たなピカドン・プロジェクトと連携してスタート出来る日は近い。
 オバマ米国大統領の「核兵器のない世界」への取り組みとも呼応して「核兵器のない地球へ」を合言葉にヒロシマ発で地球規模の平和活動の波に拡大するよう祈る。

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2009年4月27日 (月)

動き出す「2020ビジョン」市民運動と大物助っ人

 21世紀を、核兵器の恐怖と共に生きるのか、核兵器のない地球にするのか、いま地球上の人類は重大な岐路に立っている。
 ヒロシマ・ナガサキ議定書(2020ビジョン)は「2020年を核兵器廃絶の目標年」に世界2800の都市が加盟する平和市長会議が提唱している「核兵器廃絶の為の確かな道筋」だ。
 残念ながら日本の国内では平和市長会議への加入の働きかけが消極的だったため参加都市が少なく、一般市民にもまだよく知られていない。
  
 唯一の被爆国として日本政府が国連の場で核兵器廃絶に向けて行動するように働きかける運動が大変重要になって来る。その為の行動を広島長崎から起こして行くことが重要だ。
 今年5月、国連のNPT(核拡散防止条約)再検討準備会議、10月の国連総会、来年のNPT再検討会議本番に向けて“2020ビジョン”の理解と協力を全国にPRして行く市民運動『2020ビジョン・キャンペーン』を<平和交流会>が中心になって立ち上げる。
 
 これを一刻も早く、スタートしようと連帯を呼びかけているのがイラストレーターで“平和で豊かな世界の実現を目指している=ピカドン・プロジェクト”の黒田征太郎さんだ。
 黒田さんは友人で作家の野坂昭如さん原作の「戦争童話集」の出版や映像化、NYに住んでいた’01年9・11の同時テロを間近に見て「立ち上る黒煙が原爆のきのこ雲のように見え」「広島長崎の記憶を伝える作品を作ろう」と決意して被爆60年にアニメーション映画「忘れてはイケナイものがたりヒロシマ・ナガサキ」の制作をした。
 きのこ雲ときのこ雲をひっくり返した水差しに植物を入れて育てる…そのイラストをシンボルに“平和で豊かな世界の実現を”めざす草の根平和活動として『ピカドン・プロジェクト』をNYやベルリンなど世界各地で巻き起こしている。

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 その黒田さんが難しい「2020議定書」を詩や絵本にして、全国を車や自転車でキャラバンをしようと言う被爆者たちと販売普及し、文化人や芸能人の応援団も結成しよう…と積極的で、広島の草の根グループにとっては鬼に金棒の助っ人だ。黒田さんは、この日初めて交流会に参加したペルー人高校生に、サラサラと書いたピカドン画を渡して「一緒にやろう」と激励した姿が爽やかだった。彼女にとって、きっとバネになるに違いない…。
 間もなく事務局の場所が決まり運動へ参加する幅広い個人と組織へ『核兵器廃絶』の一点で結束しよう…と呼びかけも始まる。多くの参加を期待したい。

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2009年4月26日 (日)

人気タレントの逮捕と家宅捜索

 アイドルグループ「SMAP」の草薙剛が深夜に泥酔して公園で裸になって奇声を発していたとして公然猥褻罪の現行犯で逮捕された。

 人気者の逮捕はテレビのニュースにワイド番組のネタとして駆け巡っていた。
 「SMAP」と言えばキムタクをはじめ中井、香取、稲垣の5人組。それぞれ独自の活躍もすさまじく、草薙は韓国語に堪能で韓国映画や韓国のTV番組に韓国大統領の来日時のニュース特番でインタビュアーを務めるなどはよく知られたタレントだ。

 以前同じメンバーの稲垣吾郎さんが違法駐車をとがめた女性警察官の制止を振り切ってトラブルを起こし公務執行妨害で逮捕されたが、起訴猶予になった。この時もCM打ち切りや出演ドラマの放送延期などの騒ぎがあった。

 今回の事件?を聞いて何よりも不思議に思ったのは公然猥褻罪で逮捕した後、自宅の「家宅捜索」をしたことだ。多くの人がいる昼下がりの公園や夜の繁華街でもなく、人気のない深夜の公園での出来事に何故「家宅捜索」が必要なのか。結果、押収物なし…だ。
 警視庁は十分な説明をする必要がある。泥酔を“薬物服用”“クスリ=麻薬”“下着泥棒”など破廉恥罪と結びつけた疑いを前提に行ったとしか考えられない。有名タレントから“クスリでも出れば…”との予見・見込が先走ったとの疑いは避けられない…。

 トヨタをはじめCMに起用している企業がCMの使用中止や降板を検討しているようだ。
 企業のイメージを壊す程破廉恥な行為だったのか?多くの派遣社員を簡単に解雇するほど破廉恥ではない…と言えばいい過ぎになるのだろうか。
 地上デジタル放送の普及キャラクターを依頼している鳩山総務相に至っては「最低の人間だ、絶対許せない」と草薙の出ているポスターを全国から撤去させキャラクターの降板をさせる考えとか。大臣がそんなに力むことですか?貴方はそんなに身綺麗なの?中川大臣と一緒にしないで…。訂正して済む話でなく“その・貴方の感覚”に異議ありだ。 

 法に厳格であることのみが警察の役割ではない。有名人やタレントに甘くしろと言うつもりは全くない。こんなぎすぎすした時代だ、多少の憐憫の情はあって良いのではないか。
 厳格な対応も時として必要だがこの場合、普通なら「気を付けて下さいよ」近くの自宅まで送れとは言わないが、注意してお引き取り願う類だろう。
 軽微?な犯罪で、いつでも簡単に「家宅捜索」が行われる実態に改めて驚く次第だ。
 何はともあれ「誰もいない所でも“裸だから公然猥褻”の裏付け捜査?に『家宅捜査を堂々と行う日本の警察の危うさを見たような気がするのは私だけだろうか? <4月24日>

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2009年4月25日 (土)

映画「アメリカばんざい」

 日本人ドキュメンタリー映画監督、藤本幸久が2年をかけて“大学へ行きたい”夢を実現するために軍隊へ入り、やがて戦争で心に大きな傷を抱える若い退役軍人を通して病んだ米軍の病巣をえぐる映画を見た。「アメリカばんざい」と送り出した米国の虚像を描いたマイケル・ムーアの「シッコ」を思わせる、米国社会の裏を暴いたドキュメンタリーだ。

 イラク戦争で息子を失った母親、心と体に傷を負った帰還兵たち、彼らを支えるボランティア達が語る体験は衝撃的で重く辛いものばかりだ。

 「大学への入学」や「正義に為の戦いで英雄になる夢」を抱いて18歳で入隊したパブロも20歳で入隊したアンダーソンもイラク派遣を拒否し軍を逃亡する。
 彼らを軍隊に誘うカラクリは「軍隊に行けば除隊後に大学の学費も技術も健康保険も手に入る」と貧しい家庭の高卒者を勧誘する。3ケ月の新兵訓練・ブートキャンプは人間性を捨てさせて人殺しが出来る軍人ロボットを養成する。
 劣化ウラン弾を造るのは海軍、落とすのは空軍、何も知らない陸軍は防護服も着ないで被爆して後遺症に苦しんでいる。

 軍人病院は新薬の実験場。副作用を覚悟で受信し、月115ドルの年金や手当を貰うのも難しい手続きに手を焼いて放棄するものも多く、いま米国はホームレスが増えてその50%が退役軍人と言われている。
 正義の為に闘う覚悟で戦場に赴いて、敵の軍人では無く罪もない多くの市民を殺していることを知って、罪悪感からアル中や麻薬に手を出し、PTSO(外傷ストレス)に陥るものが多発している。退役しても社会復帰はおろか日常生活もままならない者が続発している。

 こうした退役軍人の母や老人たちが、新兵募集の張り紙に「Closed」の張り紙をする徴兵阻止運動に取り組んでいる。手錠をかけられても「一人でも入隊から救えればいい」と、にこにこしながら胸を張る…、病んだ米国の良心が息づいている。

 イラクで死んだ米兵は4000人。その100倍を超えるイラクの民間人が米軍によって殺された…。それを知った米国軍人は退役後どんな暮らしをしているか、どう生きているか…
 マスコミが伝えない「アメリカ ばんざい」と送り出した米国社会の裏側が見えてくる。
 いまだに、戦争がカッコイイ…と思っている若者や、何の関心もなく平和ボケした若者に是非とも見せたい作品だ。映画と言うよりTVドキュメト番組的、上映時間120分。
 http://www.h-eigacenter.co.jp/
 問合せ:広島映画センター 広島市中区堺町1‐2‐9 貴志ビル TEL:082-293-1119

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2009年4月24日 (金)

再び「アニメで街おこし」に挑戦

 アニメで広島の活性化を目指す「広島アニメーションシティー」が発足した。

‘85年にスターとし2年に一度の「広島国際アニメーション・フェスティバル」は20年を経て世界の4大アニメ・フェスティバルとして権威ある事業に成長し、広島を世界のアニメ・シティーとして位置づける「広島の宝」を育くんだ。
 その「宝」を広島の企業や市民の立場から盛り上げて「アニメで街おこし」をしようと広島経済同友会が「アニメーションビエンナーレ基金」を’03年に設立してアニメ・フェスティバルに呼応して’04、’06、’08年の3回イベントを開いてきた。
 地域のコンテンツ産業の振興や人材育成を目的に経済産業省や国交省と連携して公開講座やアニメCMコンテストなどを5年間にわたって行ってきたが、昨年末で国の法律整備上、ビエンナーレ基金が閉鎖になった。

 先のアカデミー賞で「おくりびと」と共に短編アニメ賞を受賞した「つみきのいえ」(加藤久仁男監督)は昨年の広島国際アニメーション・フェスティバルに参加し「ヒロシマ賞」と「観客賞」のW受賞した作品で、これまでも多くの優秀な作品を生んできた。

 そこで、「アニメーションビエンナーレ基金」の5年間の活動を通して培ったアニメーションやゲーム、キャラクター等を愛し、地域で「新しい文化」を生みだそうと頑張っている人達のネットワークを発展拡大してコンテンツの開発やそれを活用した街の活性化を継承しようと…RCCの安東社長を代表に『広島アニメーションシティー(HAC:ハック)』が発足し、事業を支える個人や企業の会員募集をはじめた。

 会場では「…基金」最後の事業になったアニメ制作コンペの入賞3作品が上映された。
基金が2年前に募集した「みんなのライトノベルコンテスト」の優秀作品を原作に数分間の予告編の制作で比治山短大の女子グループや基町高校創造表現コースの40人で取り組んだ作品だ。『長編アニメ…本編制作』への意欲を感じさせ、アニメを標的に将来を見据える若い芽が育ち始めている。

 HACは今後①地域を題材にした小説の公募「ライトノベルコンテスト」②地元企業のCMを地元クリエーターが制作する「アニメCMコンペ」③地域のクリエーター作品をサイト上で紹介する「アニメスタジオ」④地域の魅力を伝えるアニメ制作等を展開する。
 広島の宝が地域の核として育ち「アニメで街おこし」に繋がる応援が期待される。

問い合わせ:広島アニメ- ションシティー事務局<E- mail:info@hac.or.jp> 082-511-3415

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2009年4月23日 (木)

春の紅葉と落ち葉

 “紅葉“と言えば秋の代名詞だ。”春の紅葉“は単に私の思い付きにすぎない。

 毎日、平和公園を散歩していて去年までは気付かなかった事に出くわした。
桜花の時期が過ぎると冬眠していた樹々が一斉に新緑を芽吹き青葉の匂いをまき散らす。
 そんな中でこの時期、ひと際目立つのは楠だ。
 楠は常緑樹だが春に新芽を吹き冬場に緑濃く蓄えていた葉を紅く染めて落ち葉に変える。わずかの風にサラサラと優しい音を立てて舞うように降り積もる。春の陽をうけ萌黄色に輝く樹の下に紅い落ち葉の絨毯を敷き詰める。

 萌黄色になる直前の楠の葉は赤く・えび茶に輝いてまるで秋を凌ぐ紅葉だ。周囲のアメリカハナミズキの白やピンクより際立って鮮やかな“春の紅葉”を演出している。

 ウイキペヂィアによると楠は樟脳の“樟“とも書き、語源は「薬(樟脳)の木」言う説もあり、別名ナンジャモンジャとも言われる。枝や葉には樟脳の香りがあり、防虫剤や医薬品に使用される、いわゆる”カンフル“である。
 また、防虫効果から元来、箪笥の中の虫よけ(魔除けにも使われた)に使われた。木材や根を水蒸気で蒸して樟脳を作り古くから楠の葉や煙が防虫剤や鎮痛剤としても使われた。

 あまり知られていないが樟脳効果は楠が四季を通じて大量の二酸化炭素を酸素に変え、カンファアーという酵素を放って夏の清涼感を生み、抗癌能力を高めると言う森林浴のストレス解消効果がある…とされている。

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 楠は全国どこでも見かけるが自然植生の森林では見られず、神社や寺の周りの森で古くから見られ、大木が育っている。広島市内のあちこちに楠が多いいのは何故?どちらが先かよく判らないが“楠は広島市の市木“で、戦後復興の過程で公園や街路に植えられ、今は二抱え三抱えに生育して名実ともに広島市のシンボルになっている。

 春の紅葉は4月で終り5月になればさらに萌黄色をたぎらせてクスの匂いを薫風に乗ってまき散らす。この時期ほんの短い間の“春の紅葉と落葉”を楽しみたい。
 今一度、改めて春の紅葉に目を向けてみて頂きたい。

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2009年4月22日 (水)

ベストエフォートです

インターネットの世界にはベストエフォートという言葉がよく使われます。最大努力はするが、結果の保証はしない、ということです。

大きな組織、特に政府や行政機関は、ともすると「ユニバーサルサービス」で、全てに均質なレベルのものを提供しなければならないと思い込み、結果「No」の連発で、何もできない、しない、ということが良くあります。

しかし現実には、人間は全て同じでなく、地域差も歴然としてものがあり、要求されるサービスもレベルも一様ではありません。

特にIT関連では、とにかくやってみないと分からないことが沢山あり、考え込んでいると何もできなくなります。インターネット回線はベストエフォート型が一般的です。最大努力をしているかどうかは別にして、100Mの契約で2-3Mしか出ないということも許されます。

広島高速交通がアストラムライン(新交通システム)の特定の車両(Wi-Fi車両)で無料の無線LANサービスを開始したことは高く評価できます。100%の安全を確保することが最大使命の公共交通を担う会社で、新しい試みをすることは大変だと思います。

広島高速交通の関係者の方々に敬意を表します。

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2009年4月21日 (火)

オバマ大統領「核兵器のない世界」への決意と広島

 一日にロシア大統領と大幅な核兵器削減を目指す合意をしたばかりのオバマ米国大統領は5日、チェコのプラハで米国大統領として初めて「核兵器のない世界」を目指す構想を発表した。北朝鮮のテポドン騒ぎの陰で、米ロ首脳会談では見えにくかった「核兵器廃絶への道筋」がある程度読める内容で今後、広島が改めて取り組む課題も見えてくるようだ。

 この目標に対するオバマ大統領の決意は『唯一の原爆を使用した核保有国として「核兵器のない世界の実現にむけ」米国には道義的責任がある』と最初の核開発と使用に加え開発競争と核拡散を結果的に促進してきた米国の責任の重さに思いが込められている。

  米国での包括的核実験禁止条約(CTBT)批准の推進や米ロ二国間から多国間の核軍縮への進展、更には核拡散防止条約(NPT)の強化などオバマ大統領が言及した内容のほとんどは被爆地広島・長崎をはじめ世界の平和勢力がこれまで核保有国に訴え続けて来た事ばかり…との指摘の通りに違いない。

大統領は固い決意を表明したその一方で「ゴールはすぐにたどり着けないだろう。おそらく私が生きている間ではないかもしれない…」と“道のりの遠さ”も予測しながらも「あきらめることは簡単で、臆病なことだ」と構想実現に向けて自らを奮い立たせている。
 
 オバマ大統領に決断させた背景にはブッシュ時代の強硬なイラク戦争の推進や米国の核政策を推進したキッシンジャー元国務長官らによる「核兵器廃絶」の提唱など米国内の政治を取り巻く環境の変化と何よりもイラクで膨らんだ赤字財政解消が潜んでいるようだ。

 加えて、オバマ大統領は大統領予備選の’07年10月20日、シカゴのデュポール大学で開催中の「ヒロシマ・原爆展」に遭遇して触発され、このあと始めて「核兵器のない世界」を発言し、以後選挙戦を通じても度々「核のない世界」を発言してきた…事はあまり知られていない。
 上記の事実を知っている「原爆展」を推進している広島の人達は、オバマ大統領の「核のない世界」構想の生みの親は「原爆展」だったとみており、実現へ向けた協力を惜しみなく送る覚悟をしている。

 日本政府は15年連続で国連に核軍縮決議案を出し、米国は一貫して反対してきた。しかし、ここでオバマ政権が賛成にまわるチャンス到来だ。唯一の被爆国として日本が変革する米国とどう連携して道を切り開くか、日本外交の力量が問われる。

 秋葉市長は「被爆者が発し続けた核兵器廃絶の声が届いた…」とオバマ構想を評価し、一年以内の開催を考えている“核安全サミット”の広島誘致や大統領の広島訪問などを働きかける考えで、ワシントンへ乗り込む意気込みが求められよう。

被爆者や広島・長崎市民に平和団体の出来るだけ連帯呼応した活動が期待される。
「世界平和市長会議」が提唱している“核廃絶を’20年目標にするヒロシマ・ナガサキ2020議定書”を来年5月の国連総会のNPT再検討会議の議題に取り上げるための市民運動の盛り上がりも期待されるなど、改めて広島の市民力や日本の平和力が問われることになる。

秋の来日が検討されていると言うオバマ大統領の来日?
新しい道のりをより確かに、より早く確実なものにするためにオバマ大統領の広島訪問を実現する働きかけも焦眉の急となって来る。

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2009年4月20日 (月)

「お花見ライブ」コンサート

 甥っ子の行(佐々木ぎょう:27)がミュージシャンとして活動し始めて5年になる。
リリースしたCD数枚を聞いた事はあったがコンサートに足を運ぶ機会がなかった。
土曜日の夜、近所で開かれた“ミニ・ライブ・コンサート”に、初めて出かけた。

中区大手町のCafé pacoで行われた「お花見ライブ」は午後8時開演。大きな花瓶に満開の桜の木を投げ入れ“お花見気分“の会場は男女半々若者から高齢者まで50人前後の観客で盛り上がっていた。バイオリンや二胡の音色のせいか東洋・シルクロード的?な響きが心地よく夜のとばりを震わせ、会場は拍手と喝采で包まれあっという間の2時間だった。
 
 この日の演奏は「まそほ」というドラムにコントラバス、ギターにバイオリンと二胡の組み合わせ4人組。バイオリンは私が若いころから同じ仕事をして来たH放送局の記者だった 人の娘さんだ。久しぶりに会場でご両親にもお会いした。
行は陶芸家の父親がそうであったように幼少時からピアノやコーラス等に取り組み、中学生時代にギターをはじめ高校時代に著名なギタリストに師事したのちに、ソロ活動をはじめ、デンマークの<Vestbilk hojskole音楽院>にも留学し演奏作曲などに磨きをかけた。

 ‘04年の夏に、広島の早瀬マリンリゾートで行われたチャリティーコンサートへの出演をきっかけに「蝉ノオト」を結成。行のオリジナル曲でのライブを中心に関東圏と広島のライブハウスやイベントで演奏活動している。
「蝉ノオト」は[そまほ]とは別の4~5人のグループで、ギターにコントラバスにボンゴ、バイオリンを組み合わせてのどかなユニークなメロディーを奏でる。曲名をピックアップして見ると<ネオンの夜の夢、水たまりの街、コドモノコロ、秋のひまわり、涙、夏の唄、世界のどこかで>と言った具合に幅広いイメージを豊かな曲奏にのせている。
 
いずれも音楽を糧に地道に生きる好感度の高い若者たちです。
 「まそほ」は広島県内と山口から岡山を中心に「蝉ノオト」は東京や関東圏に広島市内での活動を続けている。機会があれば是非とも足を運んでみてください。

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佐々木行{蝉ノオト}http://www17.plala.or.jp/seminote/ 携帯:090-7508-2899
<ま ほ そ>http://masoho.ho-zuki.com

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2009年4月19日 (日)

県が「広島がんネット」HPを開設

 広島県が4月1日から「がんの情報」をまとめたホームページ(HP)「広島がんネット」を開設した。がん患者や家族が「簡単に情報収集出来る場」として大学教授や支援者らでつくるがん対策推進協議会で内容を協議して完成させた。がん診療の拠点病院の診療情報の紹介など“がん情報の一元化”を目指す、患者にとってはいい試みとして歓迎される。

 早速HPを開いてみた。メニュー画面は目的ごとに<ガンを知る~ガンの基礎知識>
<早期発見~検診受診の勧め><病院を探す~広島のがん医療><がんと向き合う~緩和ケア・ガン相談><広島県の取り組み~がん対策推進計画>の5つにまとめている。

 <早期発見>では市町村などが実施する検診の内容や検診の勧め、検診のQ&A
 <病院を探す>は国が指定するがん診療連携拠点病院の広大病院をはじめ県立広島病院、広島市民病院、日赤など10ケ所の専門医や治療内容を説明している。がん医療のネットワークやセカンドオピ二オンなどがん患者の不安に応える専門的な対応も用意されている。

 また、胃がん、大腸がん、肺がん、肝臓癌、乳がん、その他のがんとがんの種別ごとのメニューもあり、国立がんセンターや日本がん治療学会など専門分野のHPともネットしている。例えば肺がんについて見ると、肺がんの基礎知識 診断・治療法、肺がんQ&Aなどが用意されている。

<がんと向き合う>では広島に於ける緩和ケアの現状や県内での在宅ケアを含む緩和ケア推進の動きや課題もラインナップしている。昨年末時点の緩和ケア病棟・床の状況は広島市内では4病院で76床、県内では135床に止まっている。

 がん情報はあふれている。肺がんを抱え、抗がん剤治療を途中で止めた私としては,いつ急変があってもやむを得ない状況にあることを自覚して、対応を考えて置かなければならない。それだけに今後の生き方を手繰る良い道導を見つけた様に思えて有難い情報だ。
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広島がんネット http://www.pref.hiroshima.lg.jp/gan-net/tori/tori7.html
広島県健康福祉局保健医療部医療政策課 mail: fuiryou@pref.hiroshima.lg.jp

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2009年4月18日 (土)

ヒロシマは“米ロの核軍縮”を弾みに!!!

 オバマ米国大統領が本格外交の第一弾にロシアのメドベージェフ大統領と首脳会談して、第一次戦略兵器削減条約(START1)が期限の12月までに新しい核軍縮条約を結ぶなど核軍縮に一致して取り組むことを確認した。

 START1は18年前の締結で各1万発以上保持していた両国の核弾頭保有数を各6000発以下等とする目標は達成され、米ロが核軍縮を進める為に新たな締結が必要になっていた。しかし、ブッシュ政権下で両国関係は冷え切っていた為、オバマ・メドベージェフは「リセット」して核軍縮の再始動を合意した。
両大統領は一気に80 % をカットして各1000発までを目標にするとの観測もあるよだ。

 2国間の協議が進めば7月には両大統領がロシアで進捗状況を協議して12月には合意、新条約の締結を目指す。
ブッシュ政権が消極的だっただけにオバマの核政策には早くから期待が寄せられていたが彼にとって大きな転機となったのは「ヒロシマ」だった事は、あまり知られていない。

 本年2月19日の中国新聞1面の企画「核兵器はなくせる」⑦の『ヒロシマから』(金崎由美記者)に記事に以下の記述がある。開催巡回中の<全米・原爆展>での出来事だ。
 オバマ大統領の地元イリノイ州シカゴにあるデュポー大学の宮本ゆき準教授(41)には忘れられない日がある。2007年10月20日―。「オバマ氏とヒロシマがつながった日」と信じている。広島市中区出身の被爆二世の宮本さん達はこの日、大学構内で原爆被害を伝える写真パネル50枚を会場に並べ終えていた。突然、オバマ氏が現れた。大統領選の民主党予備選を控え学内で講演する為だった。パネルが並ぶ廊下を歩き会場へ。<それまで“核抑止論”だったオバマ氏は>そこで初めて「核兵器のない世界を目指す」と…表明した。

 この話は広島文化センターのリーパー理事長から聞いていたが、マスコミへの登場がないのでどうなっているのか心配だった。しかし、オバマ大統領の決意は固く期待は出来る。

広島にとっては嬉しいニュースだが、日本政府が無反応なのはなぜなのか?
核拡散防止条約(NPT)の再検討会議が来年5月に国連で開かれる。広島・長崎と世界の3000近い都市が加盟した「世界平和市長会議」は再検討会議で<核兵器廃絶の目標年次を2020年に設定した>『ヒロシマ・ナガサキ議定書』の提案・採択を目指している。
これに歩調を合わせた市民運動も間もなく動き出す。「議定書」提案には各国政府の後押しが必要だ。 核大国の米ロが動き出したと言うのに被爆国である日本政府の反応が鈍いのは何故?日本政府に与野党も一緒になってこれらの動きに呼応するよう強く求めたい!!!

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2009年4月17日 (金)

アキハバラ塾と河口さん

先日、アキハバラ塾塾長の河口氏の創業した会社アートディレクトのお花見の会があるというので、飛び入り参加した。

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メンバーは平均年齢25歳、全員で16名、殆どが女性、男は4名だという。
何か大学の文化祭のような雰囲気だ。

スーツを着た社員は誰もいない。
社長だという24歳の女性は、元フリーターで、一度も就職した事がないという。
あのホリエモンみたいな服装といえばもっともらしいが、大学生みたいなラフな服装だから、社長といわれてもピンとこない。

会社は太田川放水路の近く、公園に面してある。
公園の桜はちょうど満開で、照明に映えきれいだ。

会社はプレハブ工場を改装したというが、1階はTシャツにデザイン模様をプリントする機器が5台位並び、中2階はデザインルームだそうだが、パソコンがやはり10台位、向き合うようにして並んでいる。
なかなかシャレている。

100年に1度という経済危機の中で、この3月は前年比2割アップというから凄い。
全てネットで販売しているので、営業マンの類の人件費、交際費等は一切いらないという。
広告は全てネット検索広告だけ。
資料の印刷費、店舗費、車の経費もかからないという。
販路も日本中に広がっていて、ロットの少ない物を沢山の会社、個人に販売している。
どこか特定の会社に販売しているわけでないから、その会社がどうかなったからといって、あまり影響は受けないという。
英語、中国語、フランス語、韓国語のHPも作っているので、そうした国からの注文もあるという。
まったく、いままでの会社という概念を越えた会社だ。

これだけ成功した会社を、河口氏はそんな若者たちに譲って、自分はアキハバラ塾の塾長に転身した。
社員の12名を取締役にした。
一般社員のほうが少ない。

河口さんも不思議な人だ。

広島市からITビジネスを起こすのだといってHPの造り方、販売の仕方を無料で教えている。
アートディレクトで創りだしたノウハウを惜しげもなく、広島市民に教授しているのだ。
塾に応募した花屋さんは、それまでは近所の人たちがお花買いに来るというごく普通の花屋さんだった。
その花屋さんの娘さんが、アキハバラ塾に応募し、HPの作り方を覚え、日本中にマーケットをひろげたことで、店の売上減に歯止めがかかっただけでなく、売上を大きく伸ばしたという。

ある子育て中の女性は、水耕栽培でトマトをつくるキットをネット販売することを始めた。
ネット販売なら、お店に出かける必要もないし、自宅にいて、子育て中でもできる。
第一お店がないのだ。
その女性と会った時には、びっくりした。
紹介されたのは赤ちゃんを抱えた、近所のおばさんといった感じの女性だ。
その会社のHPはトヨタのHPとさして変わらないから、私はスーツをパシッときこなしたキャリアウーマンだろうと思っていたのだ。

ネットビジネスは、宅配便の充実とインターネットがセットになって発展した新しい概念のビジネスモデルだ。

子育て中の女性でも、フリーターの若者でも、年寄りでも、それぞれが拘っているものがあれば、それをネット販売のシステムに乗せればいいのだ。
マーケットは世界中にある。
ロングテール現象と説明されているが、数は少なくとも安いとか、珍しいとか、思い出があるとか、なんらかの価値があれば売れる。

河口さんは農業をネットに乗せたいという。
新しい農業のあり方があるはずだという。
ネットは今までの既成の概念を壊し、新しい世界を創り出すには最高のツールだ。

彼はそんなビジネスを広島から発信していきたいという。
彼はいろんな夢をもっている。
いささか夢に振り回されている感もあるが、広島にとっては貴重な人材だ。
そうした人を社会起業家というそうだ。

大学でも専門学校でもネットビジネスについては教えている。
しかしそうしたところはいわゆる学生に教えているが、このアキハバラ塾は実際に花屋さんや何かビジネスをやっている人に即ネットビジネスのやりかたを教えているところに価値がある。
アキハバラ塾は当面は広島市の支援を受けて、ネットビジネスの仕方を市民に教えている。
河口氏は1年後には広島市の支援がなくともやっていけるようになりたいと宣言した。
ネットビジネスの可能性はまだまだある。

広島市にはなんとも素晴らしい、頼もしい人がいる。
こんな人が、身近にいるというのが広島の面白いところだ。

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2009年4月16日 (木)

GOODSとBADS

先日夜中に目が覚め、仕方なくTVをつけ、NHKを見ていたら、水俣病が問題について、戦後日本を代表する経済学者の都留重人氏がなかなかいいことをいっていた。
水俣病がまだそんなに世間の注目を浴びるまえの発言だったが、事の核心を極めて的確に指摘していると感心した。

「いいことを英語でGOODというが、それが名詞になるとGOODSとなって、商品という意味になる。
悪いことはBADというが、GOODSを作ろうとする時、どうしても付随して、悪いことが起こってしまう。
それがBADSだ。
公害問題もそうだ。
それをどう防ぐかがこれからの課題だ」といっていた。

言葉遊びのようだが、意外とそこに真実が隠されているように思う。
言葉とはなんとも面白くもあり、不思議でもある。

NHKはこうした古い貴重なフイルムを沢山持っているだろうと思う。
そんなフイルムを夜中、普段何も放送していない時間に放送したらいい。
今の時代、夜中に起きている人も多いだろうし、
それこそ英語で字幕を付け、世界中に放送すれば、かなりの人が見るだろうと思う。

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2009年4月15日 (水)

舛添要一厚労大臣殿へ

大衆薬の通信販売が規制される件で、私が所属しているボランティア団体から要望書を出しました。
2009年4月14日11:03、簡易書留で届いています。                  

厚生労働大臣
 舛添 要一 殿

大衆薬の通信販売の継続を求める要望書

 私たちは、視覚障害者が必要な情報を手軽に得られるようにサポートを行うボランティアサークルです。視覚障害自体が「情報障害」といわれています。視覚による情報量は圧倒的に多く、近年その傾向は益々強くなっています。そのため、視覚障害者は目が見えないがために日常生活の情報を得ることが難しい状況にありました。

 しかし、現在はインターネットを利用することで、視覚障害者の方々でも、簡単に多くの情報を得られるようになりました。そして、色々な人たちと自由にコミュニケーションもとれるようになります。私達は、パソコンの環境設定などのお手伝いや操作方法の説明を通じて「視覚障害者と健常者が同じ情報を共有し、自由にコミュニケーションできる社会を実現したい」との思いから日々活動しています。

 さて、貴省が公布した省令改正により、67%もの大衆薬がインターネットを通じて購入できなくなるという話を聞きました。この省令により、視覚障害者に対するインターネットの利便性が大きく後退し、生活にも支障が生じることを心配しています。これはITCを活用した情報バリアフリー化の動きに反するものであり、非常に問題で遺憾に思います。本日は、この省令改正に対する私たちの考えをお伝えすると共に、6月以降も引き続き大衆薬をインターネットで購入できるよう、省令を再改正していただくことを強く要望いたします。

 今回の省令改正に反対する主な理由は以下のとおりです。

1)インターネットという購入手段が奪われてしまうと、多くの選択肢から自分にあった適切な大衆薬を入手することができなくなります。これは視覚障害者の健康維持の観点から非常に問題があります。視覚障害者は大衆薬の外箱に記載している用法用量などが読めません。自分で十分な吟味ができないまま、店頭の店員が薦める大衆薬を購入せざるを得ません。しかし、薬局は商売ですから必ずしも個人にとって最適なものより、より儲かる商品を薦めることも少なくありません。それとは逆に、視覚障害者の多くはパソコンの画面読み上げ機能を使い、インターネット上にある文字を読み上げることで情報を入手できます。インターネット上であれば、掲載された多くの情報から比較検討して、購入することができます。さらに、メールやボイスチャットなどを通じて気軽に専門家に問い合わせることも可能です。

2)視覚障害者の存在は、白杖や盲導犬によって非常に目立ちます。そのため、視覚障害者の存在とともに、その行動の一つ一つが一般の方に記憶されやすく、プライバシーが守られにくい状況にあります。薬局やドラッグストアの店頭において、人目が気になる医薬品を購入することには抵抗があります。また、周囲の状況が分からない中で、病状を詳細に説明することは、自己のプライバシーを守るために避けたいことです。インターネットを通じた購入であれば、安心して人目を気にせずに吟味することができます。
3)通信販売規制を省令で規定するにあたり、視覚障害者を始め、通信販売に頼っている消費者が不在のまま議論が行われております。特に改正省令案のパブリックコメントにおいては、視覚障害者から通信販売規制に反対する意見が提出されていたにも関わらず、回答書からは省略されていました。この視覚障害者の意見に対して、厚生労働省は直接答えることなく、そのまま省令公布に至りました。これらの検討過程には問題も多く、非常に遺憾に思います。

4)そもそも今回の改正は、通信販売の規制ではなく、大衆薬の正しい販売方法の確立だと思います。そういう意味では調剤薬局ですら、機械的な処理しかできていないところは少なくありません。ましてやスーパーやコンビニと変わらない販売をしている大手ドラッグストアは巷に溢れています。一定の基準を守るという点では人間の対応にはバラツキが大きく、管理も指導も大変です。その点では、システムとして完成されたネット上のサイトの方が、チェックも管理もし易いはずです。「対面販売」ということだけに依存し、ネット販売を全て切り捨ててしまうのは技術革新への逆行です。ITCを駆使し、対面を超えるような正しい情報伝達とサポートの仕組みを認め、育てる方向での検討を是非お願いしたいと思います。

5)健常者であれば店頭であれ、対面販売であれ、自ら自由に薬の正しい情報を得て、自分自身の意思と責任で薬を選ぶことが出来ます。そういう健常者では当たり前の行為を、視覚障害者はネットを通じて初めて可能となり、自立することができるようになります。
そのことを十分にご理解の上、省令の再検討をお願いします。

参考として、視覚障害者の意見をまとめたものを添付します。

(添付資料)

視覚障害者からの意見

○ ユーザーに正確な情報を伝えることが問題なので、対面である必要はないと思う。むしろ対面の方が情報を得にくい人もいる。
○ 店舗の場合は人次第ということになるが、ネットではサイト毎に評価できるので、管理も店舗より簡単だと思う。一律の規制ではなく、サイト毎に薬局としての許可をすべきだと思う。
○ 聴覚障害者にとっては対面販売よりも文字で情報が見えるネット販売の方がいい。
○ 視覚障害者にとっても自分で商品を選べるネット販売の方がいい。
○ 規制するにしても通信販売なら顧客からの質問に薬剤師が応じるようにする、というような規制にすべき。
○ 視覚障害者でも点字の読めない人は増えているのに、店頭での視覚障害者対策は点字一筋のために、自由に商品を選べない。
○ 薬の情報は薬局ではなく、ネットで調べている。その方がずっと便利です。
○ サイトによってはメールや電話などで気軽に問い合わせができるような配慮がなされているので、店頭販売より情報が得やすい。
○ 店頭では説明してもらいにくい細かい部分などはネット販売の方が情報を得やすい。
○ 頭の薬剤師さんの説明で十分理解できなくてもネットならいつでも確認できる。説明書は読めない。
○ 店頭販売のみになると、商品の表示が見えないので、店員が薦めてくれるものしか買えなくなる。大手ドラッグストアなどは利益率の高い商品はありません。
○ 公的ガイドヘルパーは月に利用できる時間数に限りがあり、ネット販売がなくなると困る。
○ ネット販売の"方が"安全、便利、快適な人間もいることを分かってほしいです。
○ ネット販売を悪用する利用者や販売業者を十分に取り締まらずに、その対処法としてネット販売を切り捨て、我々のような視覚障害者も切り捨てるのは、ネット販売を行っていない既得権益者の利益代表の行為に見えて、疑念を抱いてしまう。
○ 道具が悪いのではなくて、使う人、悪用する人が悪いことを誤魔化しているのではないか。そのために、視覚障害者の自立を脅かすことは納得できない。

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2009年4月14日 (火)

野球場にいって、友達をつくろう”―広島新球場

広島駅の東、旧国鉄貨物ヤード跡地に建設していた広島新球場が完成した。
ネーミングライツでマツダスタジアムとなった。
広島にとって、もっとも相応しい名称の球場ができた。

新球場は広島駅を出て、JRの線路に沿って歩き、愛友市場を通り過ぎるともう目の前にみえる。
広島駅から800M。
遠いという人もいるが、建物が完成し、歩いてみるとそんなに離れているとは感じない。
歩き始めてすぐに目の前に建物がみえるということだからだろう。

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逆にこれだけアプローチが長ければ、試合終了時の混雑も、この道で吸収できそうだ。

新球場に向かってゆったりとしたスロープを上がると、メインゲート前広場にでる。
ゲートの先には、きれいな緑の芝生のグランドが広がる。
大きなスコアボードも見える。
試合途中であれば、入場してすぐに途中経過も知ることができる。
このアプローチの演出はなんとも巧みだ。

工事を担当した知人に、場内を案内してもらった。
お金がないのと、工期がないので本当に苦労したようだ。
混乱してそれこそ逃げ出したくなった時もあったという。
そんなことも、今となればいい思い出だといっていた。
現実には、言葉には言い表せないほどの苦労をしたのだろうと察する。

しかしそれにしてもよくできた球場だ。

アプローチ道路から入ったレベルで、球場を1周するかなり広いコンコースが設けられている。
試合を見ながら、そのコンコースを歩いて、自分の席を探せるようになっている。
極めて見つけやすい仕組みになっている。

コンコースの外側にはうどん、おにぎり、お弁当、ビール等を売っているお店が並んでいる。
全部で54店舗もあるという。
ちょっとしたグルメ通りだ。

観客席はゆったりとした勾配なので気持ち良く観戦できる。
座席も大きく前の座席との間隔も広い。
1列の座席数は8席程度と少ないから、出入りするときも隣の人に迷惑をかけることも少なく、それほど苦にならない。
全ての座席に、カップホールダーが設けられているのもいい。
野球はビールを飲み、弁当を食べながら見るのが最高だ。
そんなときにこのカップホールダーは便利だ。
他の球場では、全席には付けられていない。

観客席の種類が27種類もあるというが、確かに多種多様な座席がある。
テーブルを挟んで対面して座れる席、グループで見る時はちょっと個室ぽい部屋、最大200人のパーティーができるスペースもある。
かと思えば、グランドに直近の砂かぶり席、恋人と2人で寝転がって観戦できるネソベリアなんてのもある。
薄暗い部屋で酒を飲みながら試合がみられるバーもある。
熱烈なカープフアンが一体感をもって応援する、それこそ応援団専用席といえるパーフォマンスシートと呼ばれるゾーンもある。
そんな細かい仕掛けが球場のあちこちに施されている。

まあこの球場は「野球を見ること通して、友達をつくる場を作った」といえる。
「野球場にいって、友達をつくろう」というわけだ。
そんなことは、今までの球場にはなかったコンセプトだ。

傑作なのは、通りがかった人が外からネット越しに球場内を覗けるスペースがあることだ。
通りがかりに試合を無料で見られるのだ。
覗いて、つまらなそうならそのまま帰ってしまうだろうが、面白そうならチケットを買って入場すればいいというわけだ。

そういえば、昔の芝居小屋にそんな覗き窓のような仕掛けがあった。
球場に来た観客だけでなく、通りすぎる人々をも呼び込もうというのだからたいしたもんだ。
こんなのもいままでの球場ではない仕掛けだ。

敷地がJRの線路に接していることで、通りすぎる列車や新幹線の窓から球場の様子がみえるような大掛かりな仕掛けもある。

カープは独自に22億円かけて整備したというが、選手関連のトレーニングルーム等の内容も充実している。

照明塔には携帯電話の基地局が設置されている。
これもいままでの球場にはなかっただろう。

いずれ無線LANにアクセスできる装置も設置されると思う。
そうなれば他球場の様子も、パソコンの大きな画面で見ることができるようになる。

球場の周りの地面は、広島特産の真砂土でできたブロックが敷き詰められている。

広島新球場マツダスタジアムは、沢山の広島の人々の思いが込められた球場になっている。

照明塔が完成したテストをした時は、中国新聞のヘリが上空を飛び、翌日の新聞にその様子が載ったが、なんで知らせてくれなかったと他社からクレームを付けられたという。
担当者としては照明のテストがニュースになるとは思っていいなかったので、中国新聞に載ったことにも驚いたが、他社からからクレームが付けられたことにはもっと驚いたという。

新球場は着工してからもそうだったが、着工する前から完成するまでの間、それこそ毎日ニュースに取り上げられていた。

建設工事で、工事中の様子が毎日ニュースになり、人々が毎日見に来るなんてことは、野球場以外にありえないことだ。
当然、そんなことは建築関係者経験したことがない。
工事関係者も随分と戸惑ったようだ。

しかしこうして新聞、TVにニュースとして取り上げられたスペース、時間を、広告価値に換算したら、ものすごい額になるだろうと思う。
それこそ90億円の工事費を軽くオーバーするのではないだろうか。

完成してからも、球場見学ツアーをしたら、結構参加者いると思う。
試合のない時だって、場内のレストラン、バーで食事をするのも楽しそうだ。
結婚式だってできそうだ。
栗原が打ったホームベースで、黒田が投げたマウンドで結婚式を挙げれば、それはそれで素晴らしい記念になるだろう。

子供の遊び場で実績のある設計者の仙田氏の遊び心満載の球場ができた。

お金がなかったから、コンクリートのままだったり、カーペットも安いものを使っているが、そんなのは儲かれば、順次替えていけばいい。
いく毎に変わっていれば、それも楽しみになる。

変に豪華でないから、清潔感のある球場ができたともいえる。

野球というスポーツは、日本にあって全く次元の違ったビジネスであることを改めて感じる。

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2009年4月13日 (月)

医療にもICTの活用を

最近やっと、通っている病院の予約がネットで出来るようになりました。予約診療だけでなく、予約なしの場合も待ち時間もリアルタイムで分かるようになりました。

しかし列車や飛行機、ホテルなどのネット予約は随分前から当たり前でしたから、「ようやく」という感じもします。

最先端の医療機器にはそれなりの最先端技術が使われています。しかし、もっと一般的なところでのICTの活用は遅れているように思います。電子カルテなどのシステムを見ても、非常に出来の悪いシステムで、必ずしも効率的ではありません。

私が治療を受けている病院は、いずれもその分野ではトップクラスの病院や医師です。しかし、その優秀な医師の能力を100%活用できず、無駄に浪費しているところを多く目にします。

医療分野では各資格に基づく法的な規制が多く、病院スタッフを効率的に動かせていない現状を目の当たりにします。

ICTをもっと活用するためには医療制度の見直しが不可欠です。そうすれば医師は今の倍以上に力が出せる(=稼げる)と言ってもいいでしょう。しかし、そのためには国という単位では大き過ぎて動かないと思います。

こういうことは医療特区でも作って、産官学が連携して行えば一気に進むのではないかと思います。

読売新聞(2009年4月5日)によると、インターネット利用者は9000万人を超え、ブロードバンド利用73%に達しているそうです。

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2009年4月12日 (日)

広島電鉄の労使決断! 全員の社員化!!

 広島電鉄が契約社員を全員正社員化する…。
 広電と私鉄中国地方労働組合広島電鉄支部は25日に契約社員を全員社員化し、賃金も引き上げて正社員として一本化することで合意した。

 米国発で百年に一度の不況とは言われ、トヨタをはじめ自動車を中心に製造業の大手を先頭に昨年暮れから “契約・派遣社員の解雇の嵐“が 吹き荒れている中で、広島の広電が労使で合意した社員化はWBC決勝戦で放ったイチローのヒットのように鮮やかだ。

 日本の企業は戦前から受け継ぎ、戦後の復興時期から終身雇用の年功序列という雇用形態を労使で維持しながら日本の文化?として育てて来た面があった。しかし、企業利益が最優先される小泉改革で大きな雇用不安を生んできただけに、労働条件の格差を解消するモデルケーとして注目される…と報じられている。

 広電の従業員は正社員1312人、契約社員154人、嘱託・臨時15人など。
 同社は’01年以降、バス電車の運転手や車掌の採用を、1年ごとに更新する契約社員に限っており現在150人が在籍している。月額賃金は運転手23,1万円、車掌19,65万円で、何年勤務しても昇給はない。また、1040人いる正社員の内150人は契約社員から正社員に登用された「正社員Ⅱ」で正社員より月額5万円程度低い。

 新しい制度では年功と能力を加味して昇給する賃金制度に一本化し、定年も5年延ばして65歳になる。一方、約300人のベテランは月5~6万円下がるため、調整給の支給を10年かけて減額する等、労組サイドにあるリスクの緩和に労組側が積極的に動いた結果だ。
 今回の改革は契約社員も組合に加盟して’06年から交渉を重ね、賃金の一本化でベテラン社員の賃金低下が壁になって難航したが調整給や定年延長の工夫で合意にこぎつけた。

 経営側が先導すると「実質的賃金カット」と反発が出る可能性もある為会社として容易に進められない側面があり、組合が合意に応じた点に意味がある…と見る専門家がいる。

 かつて広電には総評系と同盟系の二つの組合があったが、同盟系がストを行うことはほとんどない時代に、数年に一度2つの組合が呼吸を合わせて実力行使を背景に労使交渉を重ねて来た独自の労使関係があった。
 全国の230を超える私鉄では初めてのケースで、かつて日本にも存在し欧州では今も活きているという「同一労働同一賃金」の復活と評価する声もあって、今後国内でもモデルとして活用されることが期待されている。隠れた今春闘の成果だろう。

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2009年4月11日 (土)

旧米軍将校 64年振りの来広

 1945年の9月初め、上空から原爆ドームしかない広島の街を眺めた米軍の元将校が「米国原爆展」に触発されて64年ぶりに広島にやってきた。

 彼の名はアル・ゼルバーさん(88)。 
 スタンフォード大学情報部員養成課程で日本語を学んで’41年に卒業し、翌年から米国陸軍に入隊しインド、中国に駐留し終戦を迎えた。’45年9月初めに東京のGHQ勤務になり、その後韓国勤務をへて‘47年に退役した。

 彼は中国で終戦を迎えたが広島への原爆投下については何も知らなかったが、上海から東京へ向かう途中、広島上空を低空で二度旋回した。原爆ドームが目に入ったが他には何も見えず、ドームだけが強いイメージで残っている。機内の者は誰一人しゃべることなく、全く交戦の経験がない彼は「戦争は地獄であり、馬鹿げたものである」と考え“初めて戦争を目の当たりにした”という思いは忘れられない…と言う。

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 日本語の翻訳と情報集めが仕事の彼が日本軍人と初めて出会ったのは’45年7月にインドから中国へ移動する飛行機で3人の日本人捕虜が一緒だった。「日本軍はトラと教えられていたがネコのように優しい人」という印象だった。
 
 情報部員と言えばすぐにスパイを連想するが、彼は日本語の特技を活かして日本での勤務はプレス・コードによるNHKニュースの検閲だった。また民間人に情報提供を依頼していたが「不穏な事項は何もない」というのが毎日の報告だった。
 NHKの近くだったGHQには毎日マッカーサーの出勤時に多くの人が見物にきた。その帰りに大半の人が皇居に向かってお辞儀をする姿に日本人の心を見たように思ったが、半年後にはその姿をほとんど見なくなり日本人の規範に対する気持ちの変化を見た…。<’46年元日の天皇の人間宣言による天皇崇拝の傾向が急激に薄らいでいった社会的な変化?>

 戦後、’54年にジャーナリストとして再来日し、都合4度日本に来たが広島にやってくる機会はなく64年が過ぎ去っていた。
 所が昨年9月にモンタナ州ボーズマンで開かれた「全米原爆展」で64年ぶりに写真や映像で広島に出会った。
 会場では在米被爆者で原爆乙女の笹森シゲコさんや広島文化センターのリーパー理事長に出会い「今こそ、核保有国がその気になれば核兵器は廃絶出来る」という言葉に触発され「今まで考えてもみなかった“核兵器廃絶”は出来る」と考えるようになり広島へ足が向いた…と言う。

 彼にとって交戦経験のない戦争ではあったが「戦争は地獄であり、馬鹿げている」と思わせた広島が「全米・原爆展」を通じて彼に再びヒロシマの持つ意味と役割を考えさせ、広島へ引き寄せた。
 彼が64年前の9月に上空から見た原爆ドームしか無かった広島の街に来て、いま彼は最悪の大統領から最良の大統領を得た幸せがあると述べて、オバマ大統領の核兵器廃絶への期待を寄せると共に自らにその動きに何らかの力を示す決意を表した。
 
 64年ぶりに、初めて広島に来た83歳の元米軍老将校は「リメンバー パール ハーバー」の壁を超えて「原爆展」が生んだ米国の核兵器廃絶へ向う新しい力と姿…でもある。

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2009年4月10日 (金)

お花見とカルピス

 今年の桜は例年より1週間も早い開花だった。当初23日の開花予想も20日前後の20度を超える温かさに1日早まって22日になった。しかし、開花宣言日から花冷えの13~4度が続き開花はストップ状態だ。
 それでも予定変更せず28日(土)のお昼、平和大橋を西に向かって渡った右側の元安川べりの桜並木の下に陣取って花見の宴を開いた。昨年は4月4日、同じ場所で満開の花見だったが、今年は薄ら寒さも手伝って3~4分咲き、桜下の宴席は隙間のある状態だった。

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 当初10人前後の予定だった今年は30人に膨らんだ。リーパーさんや李実根さんに中沢啓治さんにフランスからの観光客数人の飛び入りやこれから売り出す演歌のkenjiroさんが顔を見せた。この場所での歌舞音曲・カラオケは禁止だがフランス国歌の「ラ・マルセーユズ」の合唱が飛び出すなど国際色豊かな花見になった。

 所で花見に酒はつきもの。ビールにワイン、焼酎に日本酒それに県北産のカルピスの差し入れがあった。この時期にいう“県北のカルピス“は白く濁った「どぶろく」のことだ。
 日本酒やビールなどの発酵酒は完成前に火(加熱)を入れて発酵を止めるが“県北のカルピス”は火を入れないで置くと酸味が出てきて独特な味を醸し出す昔ながらの地酒の元。
 カルピスが出来たよ…の声に誘われて10年近くこの時期に県北に出かけたことがある。
 
 しかし、これは厳密に言えば密造酒で厳しい取り締まりがされた時期もあっただけに、“どぶろく”と言わないで、白くて少し酸っぱくて旨い『カルピス』と呼んで生活の中に溶け込んできた。地域によっては新任の駐在さんは必ず地元の人達の宴席で『カルピス』の洗礼を受ける習慣があった。チクッタばかりに早々と転勤しなければ成らなかった…話を聞いたことがあるほど、切っても切り離せない地域に根づいた酒造りは今も活きている。

 こんな所に目をつけたのが小泉政権。経済特区制度の中に「濁酒製造免許要件の緩和」で全国各地に生まれた「どぶろく」特区は農家民宿で年間70億円前後?の経済効果を生んでいるようだ。広島県内では北広島町が「どぶろく」特区に認定されているが、大半は自家用で自分達がこの時期に味わう『カルピス』(密造酒)で、これが消えることはなかろう。
 『カルピス』は県北が生み代々維持してきた生活文化の結晶であり風物でもあるのだ。
初めて味わった人がほとんどだったが、お花見万歳! カルピス万歳!! だった。

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2009年4月 9日 (木)

「シネマ・クラブ」一年の総括

 “映画は楽しい 皆で見るともっと楽しい 語り合うとさらに楽しい“の想いを込めて「シネマ・クラブひろしま」を立ち上げて一年になった。
  
 会員は120人とまだ少ないが、4回の定期上映会に2度の特別上映会、更に会員対象のワンコイン上映会を3回と都合9回の上映会を開いた。
 定例上映会の参加者は平均120人でワンコインは平均20人だったが、上映作品は高い評価で喜んでいただけた。しかし、年間の収支は20万円余の赤字と言う結果になった。
これは映画の上映費(フイルム代)に見合う参加者が得られなかった結果で、今後は仕入れに見合う売り上げが最大の課題だ。

 これらの反省に立って、2年目の今年度は①会員の増強(目標300人)②定例上映会を1回増やし5回にする③上映会への参加を促すために会員サービスの割引クーポン券の導入
④ワンコイン上映会を毎月行う…などを用意する。

 クーポン券は昨年度会員になって頂きながら上映会に参加できなかった方にもより参加しやすいように500円割引が出来るサービス券(数枚)を用意します。
 また、毎月行うワンコイン上映会は会の運営に全面的なご協力を得ている広島映画センターが所蔵するフイルムライブラリーの中から選りすぐりの作品を上映し、その中から鑑賞した会員の選考で年2本を定例会で上映する計画だ。
 
 因みに各月上映作品は、4月:ひとりっこ(’69年:家城巳代治監督)5月:息子(’91年:山田洋次監督)6月:橋のない川(’69年:今井正監督)7月:武器なき闘い(’60年:山本薩夫監督)8月:八月の狂想曲(’91年:黒沢明監督9月:子供のころ戦争があった(’81年:斎藤貞郎監督)10月:第五福竜丸(’59年:新藤兼人監督)11月:ヒロシマの証人('68年:斎村和彦監督)12月:故郷は心の中に(’80年:片岡昭義監督)1月:野獣たちのバラード(’65年:ミハイル・ロンム監督)2月:抵抗のプラハ(’71年:ウ、チエフ)3月:自転車泥棒(’48年:B・デ・シ-カ)といった具合に戦後の貴重な秀作映画が観られる。

 定例会は既に4月26日(日)10時~13時~「ありがとうの物語」(佐藤威一郎監督)
アステールプラザ。5月31日(日)「旭日山動物園」(マキノ雅彦監督)上映と元園長の講演を映画センターと共催で予定している。改めて今年度の勧誘を郵便メールで展開します。
 映画は人生のビタミンです!!! 家族と友人・知人もお誘いいただいて加入ください。
問い合わせ:シネマ・クラブひろしま 〒730-0853 広島市中区堺町1‐2‐9 貴志ビル(映画センター内)
   TEL:082-293-1274 HP:http://cc-hiroshima.ciao.jp

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2009年4月 8日 (水)

オープン景気

―混雑と賑わい

広島新球場のオープンが近い。
新球場への市民の期待は大きい。
その期待があまりに大きいが為にオープンしてからの混雑が懸念されている。
しかしここで、混雑にはいくつかのレベルがあるとこと、その意味する内容についてきちんと確認しておく必要があるようだ。

「混雑」と「混乱」そして「パニック」とは全く意味するところが違う。

ホテル、ショッピングセンター、美術館、どんな集客施設でもそうだが、オープンして、しばらくは大変な混雑になる。
よくいわれるオープン景気というやつだ。
そんな混雑は、通常数カ月で消えてしまう。

マリーナホップがいい例だ。
オープンしてしばらくの間は、2号線にまで渋滞が伸びた。
そのため周辺人々は大変迷惑した。
それがいまでは殆ど客は来ず、駐車場はガラガラだ。
かなりのお店のシャッターは閉まっている。
その挙句、とうとうディベロッパーの会社は倒産してしまった。

キリンのビール工場跡地にソレイユができた時も、JTの工場跡地にJTゆめタウンができた時も、やはり酷い渋滞が起こった。
しかしその渋滞もそれほど長い間続かなかった。
そうなると、多くの市民はいっていた。

広島県民は県民性として、熱しやすく、冷めやすいとよくいわれる。
県民は、そんな混雑は一時的なものだとよく知っているようだ。
意外と冷めている。

ここで一つきちんとさせとかなければいけないことがある。
混雑は賑わいそのものだということだ。
混雑=賑わいといってもいい。
時には混乱もあるかもしれない。
それを避けようとして、混雑を解消するような施設づくりをしては、賑わいも消してしまうことがよくある。

しかしパニックは違う。
パニックは事故につながる。
パニックになることだけは、絶対に避けなければいけない。

ある宗教団体の布教100年祭に備えてまちつくり計画を担当したことがある。
100年目の節目の年というということで、極めて綿密な計画を立て、必要な駐車場、宿泊施設、トイレ等を割り出し、そのために膨大な投資をした。
その結果、殆ど渋滞は起こらなかったし、信者の方は泊まる所に困ることもなかった。
しかし充分な駐車スペースを作ったら、「90年祭の時のように渋滞に巻き込まれ、やっと神殿に辿りつけたという有難さが消えてしまった」といわれた。
これには参った。
宿泊施設も充分な施設を作ったら、「90年際の時には、寝るところがないから、仕方なく、友人と肩を組んで、一晩中街を歩きまわった。
寒いから、たき火の周りに人が集まり、いろんなところから来た人と話ができた。
そんな感激も無くなってしまった」といわれた。
「90年祭のときには、老人はトイレを待っている間に我慢ができず、お漏らしをしてしまうこともあった。
そのお漏らしを、若者がサッと拭いてあげたが、そのとき、ありがとうといわれ、感激した。
今回は充分なトイレがあったため、お漏らしをしてしまう人もいなかった。そんな人と人の触れ合いの感激もなくなってしまった」といわれた。

渋滞や混雑や混乱をさけようとして、充分な施設を建設し、用意をしたら、感動、感激、有難さが失われてしまったというなんとも皮肉な結果になってしまったというわけだ。

計画者にとって、こうした現象をどう理解し、計画に取り込むかということは極めて難しい。

ラーメン屋さんも流行っているところは、お店の前に人が並んでいるのが美味しいという目安だ、だから人が並んでいるお店に行くといいよとよくいわれる。
逆に、だからラーメン屋さんは、適当な長さの行列ができるように工夫をするのだと聞いたことある。

しかし、ここで理解しなければいけないことは、渋滞、混雑は街の魅力でもあるということだ。
よくいう人が人を呼ぶというやつだ。
人気のない観光地はそれだけで魅力が半減する。
混雑している観光地は、人を見ているだけで楽しくなってくるということは誰でもが経験していることだろう。
人がいて海や山の景色も、建物の美しさも引き立つ。
ラーメン屋さんの行列もその類の話だ。

混雑、賑わいもオープンのとき状態をいかに長く続けるか難しい。

渋滞や混雑を避けようとして、バカでかい駐車場や道路を作っても、しばらくしてオープン景気が冷めた後になって、ほとんど車がいなくなってガランとした駐車場は、つくるだけ無駄だというだけでなく、そうして無理して作った駐車場が逆に、ショッピングセンターそのもの魅力を損ない、却って寂しいものにしているケースがよくある。

マリーナホップもそうしたことの典型的な例だといえる。

またホテル、プール、展示場等の観光施設、イベント施設は、特にそうだが、利用客の曜日変動やシーズン変動が大きい。
野球場だって、3万人の収容能力を越える時もあれば、優勝の可能性が無くなり、雨も降るような日は、選手や球場の関係者のほうが多いのではないかと思われるような日もある。
利用客がいつも同じく一定しているということはまずない。
そのことが経営を著しく難しくしている。

大混雑でもない、ガラガラでもない、適当な混雑をどう作り出し、維持していくかについて、経営者は常に頭を悩ませている。
それができれば、その施設の魅力を高めることにもなり、経営を安定させることにもなる。

オープン景気の混雑はどうしても一時的なものだ。
オープン景気の混雑に惑わされずに、しばらくたってオープン景気が去った後でも、球場に、街に、賑わいがあるようにするにはどうしたらいいのかを考えることが必要だ。

一番簡単なのは幾分小さめに作ることだ。
よくいう腹8分目というやつだ。

しかしそれではあんまり能力がない。

今度の新球場は、野球のない日にいってもそれなりに楽しめるような仕掛けが随所に施されている。
また広島駅から新球場に至る道に屋台をつくるという計画もあるようだ。
そうした仕掛けができれば、大混雑とガラガラの日の格差を少しでも少なくすることができる。
新球場はそうした面でもよく考えられている。

まあいずれにしろオープン時に大混雑があったからといって、その混雑に惑わされないことがないようにすることが必要だ。
混雑は街の賑わいなのだ。

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2009年4月 7日 (火)

アストラムライン・フリースポット化とベストエフート

アストラムラインの車内で、2009年3月20日から、無線LANに無料で繋がるようになった。
実際に使ってみると、接続にかなり時間がかかり、電車に乗っている時間も短いから、期待したほどの利便性はない。
動く電車の中でつかえる、それも無料というのはそれなりの価値がある。

電車のような移動体の中で、無線LANに接続できるというのは、有料では、すでにつくばエクスプレス、東海道新幹線700系で可能になっている。
「無料」でというのは、少なくとも西日本では初めてのようだ。
それだけに、まだどんなメリット、ディメリットがあるのか、携帯と違った便利さは何かというかということもはっきりしない。
そうしたこともあってか、今回は使用できる車両も限定し、期間も取りあえず1年間に限定し、社会実験として、実施することとしたのだろう。

ITの世界の技術革新はあまりに早い。
ちょっと立ち止まって、考えている間に、状況は全く変わってしまっているというのが、ITの世界だ。
ITの技術に詳しい友人は、「ITの世界にあっては、歩きながら考える。いまできるベストのことをする、ベストエフートに努めるというのが肝心だ」といっていた。
明日にはもっといいものができるのは当然としても、数ヵ月後には1,000倍の能力をもった機器が販売されることだって、ごく当たり前に起こるのがITの世界だ。
そうなれば動画だって綺麗にみることができるようになるだろう。
そういえば、数年前にはパソコンで動画が見られるなんてことは考えられないことだった。
今では動画の内容だって、随分と充実してきた。
広島市役所のHPにも、今年に入ってだったと思うが、動画サイト「広島チャンネル」が加わった。

しかし、そもそもこんなネット社会が出現するとは、10年前には、誰も全く予想もしていなかったことだ。
「パーフェクトエフォートを求めていたら、いつも、待っていなければいけなくなりますよ」と、その友人はいっていた。
ということであれば、今のアストラムラインの接続性の悪さも、いずれ改善され、もっと使いやすくなるのはそう先のことではないだろう。

広島市は、いつでも、どこでも、だれでも、自由に、無料でネットに接続できるユビキタス社会の実現をめざしている。
広島市内では、すでに平和公園はじめ、マクドナルドのお店等あちこちにフリースポットが設置されている。
誰でもが、どこからでも、無料でネットにアクセスできるようになったら、これは凄いことだ。

アストラムラインの今回の試みが、ユビキタス社会実現するための大きな一歩となることを期待したい。

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2009年4月 6日 (月)

ミュージックフェスティバル・HIROSHIMA

―広島の4大フェスティバル?

3月20、21日の2日間、市内のあちこちで、若者の音楽グループによるコンサートMUSIC CUBE 09が開かれた。
広島テレビと広島文化学園大学が協力して、「広島の中心市街地を音楽でジャックしよう」という試みだ。
なかなか粋なイベントだ。
会場の一つ、アリスガーデンでは通りがかりの人たちも、立ち止まって聞いていた。
さして広くはないアリスガーデンは人で溢れていた。
それにしても、同じジャンルのミュージシャンを、40グループも良く集めたと感心する。

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しかし、改めて見てみると、こうした街中で行われるコンサートは世界のあちこちにある。

コペンハーゲンのチボリ公園では、公園の中のあちこちのコーナーでミニコンサートが開かれている。
こっちのコンサート、あっちのコンサートと聞いて公園の中を歩くのはなかなか楽しい。
そんなコンサートを聞きに、街の人々、観光客が集まってくる。

アメリカのナッシュビルにはカントリーウエスタンの街として有名だが、世界中からアマチュアのカントリーミュージシャンが名声と富を得る機会を狙って集まってくる。
週末の夕方には、そんなミュージシャンがダウンタウンの街角でカントリーのバラードを歌っている。
ナッシュビルの遊園地では、常時あちこちのコーナーでカントリーウエスタンのミニコンサートが開かれている。
そんな彼らの憧れの殿堂がグランド・オール・オプリーだ。
FM放送と一体になった仕掛けも成功の理由のようだ。
プレスリーはこの街の近くで生まれ、この街から育った。

この広島だって、広島から育ったミュージシャンは吉田拓郎始め沢山いる。
政令指定都市には珍しい音楽の専門の大学、エリザベート音楽大学もある。
広島県在住の音楽・芸能の分野のプロが数百人集まる「ひろしま音楽・芸能文化懇話会」もある。
高校、大学には、それこそ沢山の音楽サークルがある。

そうした人たちが、ナッシュビルの街のように、街のあちこちで野外コンサートができるようにしたらいい。
なにも音楽は建物の中だけに納まっている必要はない。
もっと水と空気と緑の空間に、解放してやればいい。
市民誰でもが音楽に親しめるようにすればいい。

この際、広島の街を音楽で埋め尽くす仕掛けをしたらどうだろうか。

今だってすでに、平和公園周辺の護岸の広場や元安橋の袂で、時々水辺のコンサートが開かれている。
基町クレドの前の広場でも時々コンサートが開かれている。
このMUSIC CUBE 09もその一つだ。
本通り商店街でもギターを抱え、歌っている若者は多い。

平和のため、そして広島のためだったら、無給で出演してもいいという音楽家も沢山いると聞く。
世界中から、そんな思いをもっている音楽家を広島に呼んでくればいい。

そうなれば、そんな音楽家の音楽を聴きたいと、世界中から人が集まってくることが期待される。

ボストンの郊外にタングルウッドという街がある。
毎年夏の間、その街の広場でボストンフィルがタキシードを脱いで、気楽な雰囲気の中で野外コンサートをする。

ベルリンフィルも夏の間、ベルリンの郊外の街の広場で野外コンサートをしている。
ベルリンフィルの森のコンサートとして有名だ。

そんな感じで、広島交響楽団も、野外コンサートを、市民球場の跡地の芝生広場でやればいい。

ボストンの公園では、「エスプラナードコンサート」と称する野外コンサートが開催され、対岸からの見物客も含め、毎年数百万人の観客を集めているという。
そこには、貝の形をした「ハッチ・シェル」というシンボル施設があり、それがシンボルとなって、求心力が増しているという。

花火大会も以前大田川で開かれていた。
大きな花火大会は今まで通り宇品港で開けばいいが、夏の間、ミニ花火大会を毎週土曜日の夕方市民球場跡地の前の元安川でやるようにしたらいい。
首都圏の遊園地では、毎週末に花火大会が開かれ、夏の風物詩になっている。
そんなにお金もかけていないようだが、かなりの観客を集めている。
コンサートと花火大会を同時にするようになれば、市民球場跡地とあの環境護岸の川べりと、中央公園の広場は最高の観覧席になる。

野外コンサートをするにも、それなりの舞台を作ったり、テントを張ったり、スピーカーを設置する必要があるが、そうした費用も数千万円もあれば、立派な会場ができる。
建物を作ることを考えたら、安いもんだ。

立派な建物は作ったはいいいが、中のソフトがなく、殆ど使われないという話はよく聞く。
そんな建物を持ったら後の維持管理費だって大変だ。

こうして音楽もイベント的にやった方がはるかに街の活性化にもなる。

7月の中旬から8月の末までの間、約40日、世界の平和を願って、世界中からミュージシャン、観客が集まって「ミュージックフェスティバル・HIROSHIMA」として行うのだ。
今週はポップス、次の週はジャズ、次はクラッシックというようにしたっていい。
やりかたはいろいろあるだろう。

「ミュージックフェスティバルHIROSHIMA」のコンサートの様子を、UtubeやUstreamを使って、ネット配信することも試みたらいい。
RCCやTSSと違った観客個人の視点での記録が配信されれば、全く新しいフェスティバルを生み出すことになるかも知れない。

そんなことができれば、この「ミュージックフェスティバル・HIROSHIMA」はそれこそヒロシマ、ひろしま、広島の概念を越えたイベントになる。
“音楽を通して世界に平和のメッセージを発信するイベント”となるはずだ。

広島市民球場跡地は「ミュージックフェスティバル・HIROSHIMA」の中心会場となるよう整備したらいい。
そうなれば、折り鶴ホールも「ミュージックフェスティバル・HIROSHIMA」のシンボルとして重要な意味を持ってくる。

広島には、春には平和大通りのフラワーフェスティバル、秋には広島城、中央公園のフードフェスティバルがある。
「ミュージックフェスティバル・HIROSHIMA」を市民球場跡地広場の夏のイベントとすればいい。
冬には平和大通りのドリミネーションがある。
そうなれば広島に春夏秋冬の4つのイベントが揃う。

市民球場跡地広場ではちょっと寂しい。
新球場跡地は「折り鶴パーク」とでも呼んだらどうだろうか。

折り鶴パークの「ミュージックフェスティバルHIROSHIMA」が、広島の4大フェスティバルの一つとなれば、それだけで数百万人の集客は可能だろう。

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2009年4月 5日 (日)

「はだしのゲン」英語版全10巻が完成

 先週、中沢啓治さんから「相談事がある」との電話が入り久し振りに一杯酌み交わした。
 『はだしのゲン』全10巻の英訳版が夏前に完成するめどが立ち、広島で出版祝賀をしたい…と言う翻訳グループの希望を実現したいと言う計画だ。

 週刊「少年ジヤンプ」(週発行部数120万部)に連載され爆発的人気を呼び単行本になったのが昭和50年(’75)、第10巻の完成が昭和62年(’87)で第1巻の英語版が出版されたのは昭和52年?頃、東京の大学生などボランティアグループが取り組んで話題をまいた。

 その後、いろんなグループが多言語化の翻訳に取り組んだが、金沢のNPO法人“ゲン・プロジェクト”(浅妻南海江代表)は15年前から一貫して「はだしのゲン」の多言語化に取り組み、この5年で英語版を改めて1~10巻まで全部の翻訳に漕ぎ着け、7月には10巻の印刷が米国で完成する。

 10巻セット(1万4千円)を当面1千セット、国内で図書館や学校に売り込もうと企画し発行元の汐文社が担当し、米国内や英語圏の販売も始まる。
 
 これまでに出版された翻訳完成版はロシア、韓国、スペイン、タイ、フランス語に英語が加わり6カ国。目下、翻訳出版中はポーランド、オランダ、トルコ、ポルトガル、イタリアの5カ国語で翻訳中はドイツ、インド、ウクライナ、フィリピン、ギリシャ、クロアチア、中国と7カ国。これらがすべて翻訳出版に至れば18カ国となる。

 核保有疑惑のイランを除く英米露仏中の核保有5大国に印度・パキスタン・北朝鮮の核保有国や疑惑国に「はだしのゲン」を送り込むことができる。
 「はだしゲン」は広島・長崎市長の名代を務める“核兵器廃絶を訴える反核大使”だ。
この夏、長崎で開かれる「世界市長会議」でもその能力を十分に果たすことが期待される。

 プロジェクトの浅妻代表は海外から感動の手紙が寄せられている「世界に平和の種まきを続け、これからも世界中を駆け巡って戦争の無意味さと核兵器の残虐性を語り続けるゲンを今一度“世界にヒロシマの地から送り出したい”と広島での出版記念会を企画した。

 巡回開催中の「米国・原爆展」でゲンの英訳版やアニメ英語版上映などに取り組んでいる広島平和文化センターのスティーブン・リーパー理事長や自分の病院に「ゲン」を置き続ける河野美代子医師などが広島の呼びかけ人を引き受けて開催準備に入っている。

 『世界に飛び出せは“だしのゲン”』英語版出版記念会は7月26日(日)12時~2時。広島市中区紙屋町のメルパルク<会費:4千円の予定>で開かれる。
 いずれ皆様にご案内が届くでしょうが、中学高校(生)や図書館など英語版の普及にご協力頂ければ幸いです。
 会への参加ご希望がれば090-8600-9412<佐々木典明>に、ご一報ください。

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英語版 はだしのゲン  ロシア語版 はだしのゲン

翻訳本の注文<ゲン・プロジェクト>
 *Barefoot Gen: A cartoon Story of Hiroshima
*project-gen@msg.biglobe.ne.jp
 Tel:fax 076-242-6559 浅妻 南海江 プロジェクト代表

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2009年4月 4日 (土)

影絵展ワークショップ第二弾

 この夏5回目を迎える「小さな祈りの影絵展」の二回目のワークショップが開かれ、予想を大きく上回る70人を超える参加者で盛り上がった。

 今年のテーマは「家族」で原爆投下前の懐かしい家族を思い出し、投下後の苦しいながらも助け合った思い出などで原爆の悲惨さや苦しみを直接影絵にするのではなく、優しさや美しい影絵を通じて平和の大切さを訴える…。

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 昨年の暮れに開いたワークショップで腕を磨いた30人に新たに倍以上の人たちが参加した今シリーズ二回目は思い思いの作品作りでスキルアップし、今年のテーマ「家族」をイメージした構想づくりなどにも挑戦した。

 前回から始めた被爆者の体験を聞く試みは若い参加者にとって初めての体験と言う人も多い。7歳の時、爆心から1,1キロの幟町で被爆し大けがをして、家族と離れ離れで避難した石井みちこさん(71)の証言を聞いてテーマの「家族」について考えた。
 単に、影絵を作るのではなく“被爆体験”を聞いて自分と重ねて考える貴重な平和教育に発展している取り組みが着実に実を結びつつある…という実感を受ける。

 評判や人気を得る背景には8月5~6日の元安橋東詰での本番展示後に、毎月市内の小中高校や大学、新聞社に市民交流プラザ等、女学院OG達が支える移動展示がある。本年は2月に市役所本館1階の市民ホールでの展示も出来た。また、この活動を高く評価された代表の部谷京子さん(広島出身・映画美術監督)が今年度の広島市民賞を受賞するなどで知名度もアップした。
 
 これだけの参加者に応えるためには昨年までは大部分の制作をして来た影絵作家の浜崎ゆう子さんは自分の作品を減らして参加者の作品を増やそうと考えているようだ。
 特に、城北中学校、広島女学院、なぎさ中高等学校の3校はそれぞれ大きな一枠を各校ごとに「家族」の合作を目指すことを検討する事になった。
 作家の個展的展示から市民参加の「影絵展」に成長する事は企画者の映画美術監督の部谷京子さんも浜崎さんも最初から考えていただけに早い時期での転換は何よりも嬉しく、心から歓迎しているようだ。

 6月21日(日)には3度目のワークショップでは学校ごとに、またそれぞれに「家族」の構想をまとめて制作に着手する予定だ。
 どんな祈りを込めた『家族』になるか今年の「小さな祈りの影絵展」が楽しみだ。

 浜崎さんが年初に設けた影絵プラネット< http://kageepla.net/hiroshima>
< kageeplanet2009.arinko@yahoo.co.jp>に子供達の声の書き込みが出来るようにした。
 遠慮なく自分の思いを書き込んで『家族』の息吹を吹き込んでください。


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被爆証言をする 石井みちこさん

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2009年4月 3日 (金)

映画で元気を!!「ダマー映画祭inヒロシマ」

 米国のシアトルでスタートした「ダマー映画祭」が今年12月に広島で開催され、いよいよ20日から参加作品の募集が始まった。

 この映画祭は人間の内面の描写をテーマに’01年に始まった映画祭で広島出身の映画美術監督の部谷京子さんや柳井の出身で映画「バチスタの栄光」やいま上映中の「ジェネラル・ルージュの凱旋」などのプロデューサー佐倉寛二郎さんら、広島に熱い思いを寄せる映画人が「映画で広島を元気づけよう」と取り組んでいる。

 「ダマー」とはヘブライ語でインスピレーションを与える比喩、たとえを意味し、この映画祭“inヒロシマ”は「心と心を繋ぐ」をコンセプトに商業作品でない短編映画を世界中から公募する。ハリウッドや日本映画界で活躍する監督やプロデューサーを審査員やワークショップゲストを迎えて交流も出来る、テーマ性のある映画祭として注目されている。

 ‘01年から米国シアトルで始まった第一回目には2300点の作品が世界中から寄せられ、その後ニューヨークやロスにヒューストン、ミネアポリスでも上映会を開いてきた。
第7回を迎える今年から初めて外国での開催で「in ヒロシマ」への期待は大きいようだ。

 広島市の外郭団体で映画作りやロケのセッティングなどを推進している広島フイルムコミッションや市立大学、修道大の映画サークル等も協力を約束し、いまや世界3大アニメ祭“アニメーション・フェスティバル”のような成長に期待を寄せている。
 広島にはいま多くの映画の自主製作グループがあり、奮って参加をして欲しい。

 映画祭は12月11日~13日まで国際会議場をメーン会場にシネツインや横川シネマでも上映され、審査員の他に観客の投票で受賞作品の選考をする、市民参加型の映画祭だ。

<作品募集要項>①応募資格は、製昨年・国はテーマに沿った
作品であれば問わないが’09年以前に他の映画祭で受賞歴のある
作品は除く②上映時間は30分以内…③参加費1作品:2千円
④作品受付〆切:8月14日金)必着。 入場料は未定。
詳しくはHPをご覧ください。

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『ダマー映画祭inヒロシマ実行委員会』〒106-6032 東京都港区六本木7-3-16 
田中ビル・クロスメディア内 Tel:03-5412-7755 fax:03-3402-2600
E-mail:info@damah.jp HP

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2009年4月 2日 (木)

韓国からの平和運動

 韓国の平和運動と言えば日本の植民地化時代の抵抗運動や戦後の在韓被爆者救援運動に慰安婦の補償問題等日本に対する損害請求運動で所謂反核反戦平和運動は知られていない。

 そんな韓国で、「東北アジアに平和共同体をつくろう」と国連のロビー活動をしている『東北アジア地域平和教育機関』(NARPI)の李在永氏(Jae Young Lee)の話を聞いた。
 
 この組織はKAC(コリアン・アナバブテスト・センター)が支えるキリスト教系の平和団体だ。
 彼は大学を終えた後カナダに留学して平和学を学んだ。彼の活動の原点は2年の兵役時代の経験がベースになっている。金日成の死亡直後で南北緊張状態の時期に国境警備に配属され毎日北の兵士を見ながら“万一”に備えた。先に撃つか撃たれるかの緊張の中で武力で平和を守ることへの疑問を持つようになった。
 
 東北アジアでは過去の侵略と戦争で染み付いた歴史と長い軍事的対立の結果、各国と国民の間に生まれた敵愾心と不信感が大きく改善される余地が少ない。世界的な冷戦構造が無くなっても東北アジアには他の地域のような地域共同体には成りにくい歴史的・地域的・軍事的・社会的な葛藤構造がある…と分析している。

 中国の四川の大学で“韓国は好きだが日本は嫌い”と言う多くの学生に出会った。
 中国が900回も韓国を侵略した歴史を指して「私は韓国を嫌いになるべきか」を問うた。
 狭い世界観と歴史認識で対立を自分の中でつくる危険性を指摘でき、国際感覚豊かで一人ひとりの責任で平和を創ることが若者の課題である事が判る事例と指摘する。
 だが、韓国内には日本の植民地化時代を生き抜いた人達がまだ多く、いまだに日本に対する恨みや反発が強く国民的な平和構築を目指すことの困難さは推測される。

 この地区に於ける軍事同盟は「地域の安全と平和」より軍備強化の逆効果をもたらした。いまや単独国家中心の部分的平和ではなく、地域の総ての人々の安全を保証する事が出来る“平和共同体”作り、非暴力的・非軍事的方法による平和を作る国家と民族間の平和連帯が必要な時…。平和議論と理論を体系的に立てることができ平和的に紛争を解消していく…これが、彼が推進を目指す“東北アジア地域平和教育機関“(NARPI)構想。
 
 まだ具体性に欠けて判りにくい点があるが、国連のロビー活動などを通じて、先日ウイーンで開いた集会には15ケ国が参加し、都市レベルでは500以上がサインするなど関心を高めていると言う。しかし、草の根レベルでは全く取り組みが進んでいない為、広島ワールド フレンドシップ センターを足場に日本での活動をはじめたい計画のようだ。
 韓国の国内事情もあってのことだろうが核兵器削減や廃絶と言う課題は聞けなかったが何はともあれ韓国で芽を出し始めた“アジアの若者が手を繋いで紛争を避けて市民が連帯する”韓国生まれの平和運動に広島がどのように呼応して成長させるか…楽しみだ。
 4月にはWFCのメンバーは韓国へ平和交流の旅に立つ。 

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<問い合わせ>:広島ワールド フレンドシップ センター 広島市西区東観音8-10 
TEL:082-503-3191  FAX:082-503-3179      
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2009年4月 1日 (水)

広島刑務所と医療産業

広島市吉島に広島刑務所がある。
分厚いコンクリートの高い塀が、周囲をぐるりと囲んでいる。
市民の生活に、普段のなんの関わりがないこともあって、こんな施設があることを、殆どの人は全く知らないかのように生活している。

改めてこの広島刑務所について調べてみると、ここにはなんと1800人からの収容者がいる。
それだけでなく、NCボーリングマシン、塗装室、オフセット印刷機、溶接機も備えた木工、印刷、金属等の各種工場が14カ所もある。
倉庫だって3カ所ある。
敷地面積は75,1488㎡、約2.2万坪.もある。
ちょっとした工場団地だ。

その刑務所内で作られた家具、工芸品等を商工センターの市総合展示館等で時々展示、販売を行っている。

しかし刑務所内にさまざまの機器があるのは、あくまで受刑者の社会復帰のための技術の習得が目的であり、展示、販売するのは、矯正行政についての理解を深めてもらうということを目的としている。

しかしせっかく何かつくるなら、もっと明確な目的、社会の役に立つ物を作るようにしたらどうだろうか。
例えば老人とか、各種障害者のための介護の機器、医療機器を作るようにしたらどうだろう。

医療機器、介護機器は特殊な機器であることもあって、生産台数が少なく、殆どが手作りだ。
そうであれば、医療、介護関連の物を作ることはここに向いているのではないだろうか。

椅子をつくるにしても、老人のための椅子を作ればいい。

車椅子も本来1種類ではないようだ。
障害者の障害の度合いに応じて微妙に違いがあるようだ。
金属工場では車いすを作ればいい。

多様な工場が集積しているから、それら上手くつなげれば、もっと革新的な医療、介護機器も作れるだろうと思う。

そうしたことができれば、
収容されている人たちが、弱者の気持ち、立場を理解してもらうことにもなるだろう。
また収容されている人たちも犯罪者ではあっても、それなりに社会に役立つことができるということを感じてもらうことにもなり、早期の社会復帰につながるのではないかと思う。

1800人の勤務する医療、介護機器の工場が14も集積しているとなれば、これはちょっとした医療産業基地だといえる。
広島に新しく医療産業を興す大きな起爆剤にもなる。

広島刑務所の工場の製品の目的を明確にするだけだから、新たな資金は基本的に必要ない。
「広島刑務所で医療機器、介護機器を作る」言えばよい。

ここは広島大学の出番だ。
様々な学部をもつ広島大学がイニシャティブをとって、広島市と提携し、どんどん進めていったらいい。

広島市内に刑務所があることを、広島の人たちは、いままで見て見ないようにしてきた感がある。
広島刑務所のあり方について、考える時がきたようだ。

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