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2009年4月11日 (土)

旧米軍将校 64年振りの来広

 1945年の9月初め、上空から原爆ドームしかない広島の街を眺めた米軍の元将校が「米国原爆展」に触発されて64年ぶりに広島にやってきた。

 彼の名はアル・ゼルバーさん(88)。 
 スタンフォード大学情報部員養成課程で日本語を学んで’41年に卒業し、翌年から米国陸軍に入隊しインド、中国に駐留し終戦を迎えた。’45年9月初めに東京のGHQ勤務になり、その後韓国勤務をへて‘47年に退役した。

 彼は中国で終戦を迎えたが広島への原爆投下については何も知らなかったが、上海から東京へ向かう途中、広島上空を低空で二度旋回した。原爆ドームが目に入ったが他には何も見えず、ドームだけが強いイメージで残っている。機内の者は誰一人しゃべることなく、全く交戦の経験がない彼は「戦争は地獄であり、馬鹿げたものである」と考え“初めて戦争を目の当たりにした”という思いは忘れられない…と言う。

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 日本語の翻訳と情報集めが仕事の彼が日本軍人と初めて出会ったのは’45年7月にインドから中国へ移動する飛行機で3人の日本人捕虜が一緒だった。「日本軍はトラと教えられていたがネコのように優しい人」という印象だった。
 
 情報部員と言えばすぐにスパイを連想するが、彼は日本語の特技を活かして日本での勤務はプレス・コードによるNHKニュースの検閲だった。また民間人に情報提供を依頼していたが「不穏な事項は何もない」というのが毎日の報告だった。
 NHKの近くだったGHQには毎日マッカーサーの出勤時に多くの人が見物にきた。その帰りに大半の人が皇居に向かってお辞儀をする姿に日本人の心を見たように思ったが、半年後にはその姿をほとんど見なくなり日本人の規範に対する気持ちの変化を見た…。<’46年元日の天皇の人間宣言による天皇崇拝の傾向が急激に薄らいでいった社会的な変化?>

 戦後、’54年にジャーナリストとして再来日し、都合4度日本に来たが広島にやってくる機会はなく64年が過ぎ去っていた。
 所が昨年9月にモンタナ州ボーズマンで開かれた「全米原爆展」で64年ぶりに写真や映像で広島に出会った。
 会場では在米被爆者で原爆乙女の笹森シゲコさんや広島文化センターのリーパー理事長に出会い「今こそ、核保有国がその気になれば核兵器は廃絶出来る」という言葉に触発され「今まで考えてもみなかった“核兵器廃絶”は出来る」と考えるようになり広島へ足が向いた…と言う。

 彼にとって交戦経験のない戦争ではあったが「戦争は地獄であり、馬鹿げている」と思わせた広島が「全米・原爆展」を通じて彼に再びヒロシマの持つ意味と役割を考えさせ、広島へ引き寄せた。
 彼が64年前の9月に上空から見た原爆ドームしか無かった広島の街に来て、いま彼は最悪の大統領から最良の大統領を得た幸せがあると述べて、オバマ大統領の核兵器廃絶への期待を寄せると共に自らにその動きに何らかの力を示す決意を表した。
 
 64年ぶりに、初めて広島に来た83歳の元米軍老将校は「リメンバー パール ハーバー」の壁を超えて「原爆展」が生んだ米国の核兵器廃絶へ向う新しい力と姿…でもある。

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