地震
先日、久しぶりに今アメリカに住んでいる友人とあった。
その友人が嘆いていた。
彼はアメリカ人女性と結婚しているが、夫人は「日本は地震が多い。地震で死ぬかもしれないから、日本に住むのは嫌だ」という。
彼も仕方なく、アメリカに住んでいるのだといっていた。
いずこの男も「俺は、亭主関白だ」とかいいながら、結局は女房のいいなりだ。
彼女は、日本に来た時、地震にあい、何が何だか訳も分からず、ひどくびっくりしたという。
その後、彼女なりに日本の地震について色々調べたが、なかなか納得のいく返事をもらえなかったという。
そんな時、ある日本人が「日本に地震があるからといって、逃げ出すわけにはいかない。だから自分は日本に住んでいるのだ」という答えを聞き、彼女は「それなら私たちは、地震の少ないアメリカに住めばいい。それは旦那にとっても、子供たちにとって1番いいことだ」ということになったのだという。
確かに、数年前には阪神・淡路大震災があり、倒れた家屋の下敷きになって死んだだけでなく、その後に起こった火災で沢山の人が亡くなった。
死者:6,433名、被害総額 : 10兆円規模 だったという。
そんな、とんでもなく大きな地震もあった。
それを契機に、これまでにも増して、防災の研究が急速に進められるようになり、関西大学では社会安全学部を設けた。
今までだって、地震に強い構造の建物を作るにはどうしたらいいのかという耐震構造の研究についも、日本は世界の最先端をいっている。
地震に強く、火災にも強いという、木造モルタル造りの住宅という日本独自の構法も創り出した。
超高層の建物をつくるにあたっても、個々の建物の耐震性について極めて精緻な研究に裏付けられて建設されている。
ところで、そうした研究は進められたが、日本では、いったい地震で死んだ人はどれだけいるのということについて調べてみると、
まず、日本でマグニチュード5.5以上の地震の頻度は国土面積当たり1.14回だという、
世界的に見ても4~7位だというから、確かに地震が多い。
しかし被災死亡者数についてみれば、1980年から2000年までの20年間に亡くなった人の数は、年平均では281.3人となっている。
世界第7位である。
多いと言えば、多い。
しかし世界各国の死亡理由の内訳を見てみると、状況は大分違ってくる。
日本の平成17年度の全死亡者数は108万人である。
内訳は、自殺 3万人
交通事故 0.9万人
老衰 2.6万人
病気 98.4万人
その他 2.9万人
とある。
つまり9割以上の人は病気or老衰で亡くなっているのだ。
地震による死亡者281人は、年間死亡者数108万人に対して、0.02%である。
つまり地震が原因で死んでいる人のその割合は、ほとんど誤差といえるほどに少ない。
ちなみにアメリカの交通事故者数は4.3万人である。
人口は、日本が1.3億人、アメリカは2.9億人であることを考慮しても、交通事故にあう確率はアメリカの方が倍以上高い。
殺人事件による他殺者数は、日本は2007年では517人であるのに対し、銃社会アメリカでは1.8万人だという。
アメリカの方が30倍も多い。
銃の保持が許されているアメリカでは銃の乱射事件が時々あり、それに巻き込まれて何の関係もない人が殺されたりしているのだ。
日本は地震が多いから住みたくないというのは、「死ぬかもしれないという危険性の確率」からいえば、まったくおかしな根拠だということになる。
日本では1981年に耐震構造の基準が大きく改正され、それ以前に建てられた建物はかなり危ないようだ。
私の住むマンションが建てられたのは、それより大分以前だから、かなり危ないということになる。
それでも、そんなことはまず起こらないだろうと思っているし、そんときは仕方ないなと思っている。
地震の恐怖に対してはかなりいい加減だ。
昔アメリカに住んでいた頃は、「自動車事故にあって死ぬかもしれない。いかがわしい所に行った時などは殺人事件に巻き込まれるかもしれない」という恐怖感は常にあった。
しかしアメリカ人は、そうしたことに対してはどうもあまり恐怖感は感じていないようだった。
生まれ育った環境が違うと、感じ方が大分違うようだ。
最初の問題に戻って、私から言わせれば、「地震で死ぬ確率より、自動車事故や殺人事件で死ぬ確率の方がはるかに高いのだから、日本で住んでた方がはるかに安全ですよ」ということになる。
それにしても、どうも人間は物事を判断するとき、極めて情緒的に判断してしまう傾向があるようだ。
それも極めてミクロな視点からの数字や感覚に基づいて、決めつけてしまう傾向があるようだ。
何かを決める時にあたっては、もっと客観的に、マクロ的視点から、定量的なデータに基づいて、判断する必要があるのではないだろうか。
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銃を使った凶悪犯罪や大都市の危険地域などをよく知っていて、それらから身を守る方法を身につけているアメリカ人が、住む場所に自国を選ぶのは情緒的ではなくむしろ理性的な判断だと思えます。日本で地震を初めて体験して、今後こんな地には住みたくないと思うのも、べつにおかしくはないでしょう。次の関東大震災がひょっとして明日かもしれない、とさえ言われているのに1000万人がそこで生活している日本人も相当情緒的です。予想される被害の規模は、阪神・淡路大震災の比ではないのに。
ものごとを判断する基準をミクロ的な視点よりもマクロ的・定量的に、とはまぁ賛成できますが、住む場所や職業、人間関係に関して、数値をあやつってマクロな判断をして動くことは、現実的にはふつうの人間には無理です。
投稿: エストウォルド | 2009年3月16日 (月) 18時12分