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2009年3月

2009年3月31日 (火)

愛友市場

愛友市場は広島駅の南口にある。

現状は、建物のコンクリートは剥離し、塗料がはげ、テントはボロボロ、シャッターが閉まり、閉店しているお店もある。
広島駅前という立地にありながら、どうして?という感じである。

先日久しぶりに寄ってみた。
その街に、どこか活気を感じた。

線路側の道路は、舗装工事が進められていた。
新球場が近くにでき、お客が増えるだろうという期待感があるからだろうか。
長年の懸案だった再開発の計画も具体的に動き出している。

こんな活気は、新球場の建設が決まる以前はなかった。
将来の楽しみがあれば、街はこんなにも変わってしまうのだろうか。
ちょっと驚いた。

1

そんなこの街には、何か昔のなつかしさがある。

しかしいずれここも、取り壊され、マンション、ホテル、オフィス等の超高層の建物が立つのだろう。
いささか残念な気がする。
昔からの人がいなくなり、商店街は消えようとしている。
ビジネスの論理からいえば当然のことだろうが、歴史と個性が消えた街は、同時に街の魅力も失ってしまうだろう。

京都の街中には古くから生鮮食品店が軒を連ねた錦市場という商店街がある。
京都の人はそこを「京の台所」と、親しみ持って呼んでいる。
観光客も多い。
通路の幅は1間程度しかないので、いついっても人でごった返している。
そんな賑やかさを感じたく寄ると、つい何か買ってしまう。

そんな京都の錦市場のような街が広島にも欲しい。

新たに建設される再開発ビルの中に、ソレイユやアルパークの中にあるようなお店ではなく、現在の愛友市場にあるあの人間臭い個性的なお店の並んだ街を再現して欲しいと願っている。

実現は難しいかなー・・・

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2009年3月30日 (月)

環境ビジョン21 第2回リレートーク

先日、「環境ビジョン21」のグループによる第2回リレートークが開かれた。
楽しい話もあったが、それぞれに色々考えされる話だった。
話をされたのは大学の先生が多く、聞いているうちに、なにか大学生のころに戻ったような感じがしてきた。
あの頃、これだけ真面目に聞いていれば、もう少し私の人生も変わったのではないかとすら感じた。

まあそんなことはどうでもいい。

話の内容を私になりに整理し、皆さんにご紹介したい。

最初に建築家の向山徹氏が話をされた。
日本の伝統的木造建築は自然の風の流れ、湿気に大変上手く対応している。
広島の山に入り、木を伐採するところから立会い、その木を使って、大工、左官等の職人たちと一緒になって住宅をつくっていく。
そこには、自然と作り手と住む人なんとも愛情あふれる交流がある。
そうした作り方が、自ずと環境にいい建物をつくっていくのだろうとことを感じさせてくれた。

広島大学教授の中根氏の話は、かなり衝撃的だった。
「地球の温暖化が進むと、土壌内の微生物のCO2放出量が予測以上に増えていく。
例えば、地球の気温が、現在より3~4℃上がると、土壌内に住む微生物からのCO2放出量が、樹木のCO2の吸収力を上回ってしまう。
そうした可能性が実験的に裏付けされつつある」というのだ。
温暖化は、温暖化を加速するというとんでもないことが起こるというのだ。
ある限界値を越えてしまったら、後は一直線に破滅への道を進むというわけだ。
いま緊急に、温暖化を阻止しなければ、恐竜の絶滅ではないが、人類に多大な災いが降りかかるというわけだ。
恐ろしい。

現在エイズ、鳥ウイルスが問題にされているが、今後はアフリカを発生源とする未知のウイルスが大量に発生してくる恐れがあるという話を聞いたことがある。

また中根教授は、広島銀行のATMの営業所で屋上緑化をしたところ、室内温度が4℃下がった。
その結果エアコン費用を20~30%削減できたという。

中根教授の話は、実験の裏付けがあり、説明も定量的で極めて説得力がある。

広島国際大学の石丸氏は、
瀬戸内海の海岸線は昭和40年代の頃から工場用地、ゴミ廃棄場として、がどんどん埋め立てられてきた。
その埋立反対運動に対して、地域エゴであるとかの批判がされてきた。
しかしいまになって、環境という視点から見れば、そうした運動が正しかったことがわかる。
その後、日本建築学会が中心になって2000年に「地球環境、建築憲章宣言」をし、政府も環境モデル都市の選定とか、各種の環境政策を進めるようになった。
政府としても、企業にあっても、個人的のレベルでも、まだまだできることは沢山ある。

最後にひろしまNPOセンターの松尾氏が広島市の提案している「地球温暖化対策推進条例」の内容について、1市民の立場から説明された。
「この条例は、9月議会では否決されたが、その際の主な理由は、これだけ不動産業が不況になっている際にさらに追い打ちをかけるような条例は困るということであったという。
しかし、この条例を新たなビジネスチャンスとして捉える積極的対応が求められている。」
と話を締めくくられた。

今回は4人の人たちからの話であったが、環境問題はもっともっと広がりがあり、深刻だ。
そうしたことでは、これからも様々の分野の人からの発言が期待される。

学問は今ではあまりに細分化し、分野が異なると全く理解できない、関心がはらわれないという状況に陥っていた。しかし環境問題については、さまざまの分野の知を結集して取り組まなければ解決できない。
中根教授は元々農学部で森林について研究してきた人であり、石丸氏、向山氏は工学部建築学科の出身、経済学部の出身だ。
このように分野の異なる人たちが一堂に会して、研究し、発言することの価値は大きい。
環境ビジョン21は、極めて先端的な試みを始めたといえる。

環境ビジョン21はHPも公開している。
http://www.geocities.jp/kankyovision21/index.html
是非ご覧いただきたい。

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2009年3月29日 (日)

「オフレコ懇」とニュース源の秘匿

 「西松建設の政治献金事件は自民党には波及しない」と言う漆間官房副長官が記者団に漏らした「オフレコ発言」が大きな波紋を投げかけた。
 
 3月5日、漆間副長官は官邸で記者10数人との懇談で「オフレコ」で前記の発言をした。前警察庁の長官の異例の発言を重く見た各社は、発言者の漆間氏を「政府高官」として報道した。メモや録音を取らないオフレコ会見であった為、各社の記事内容は字句に多少の差はあったが、概ね「…自民党には及ばない」は一致していた。

 「オフレコ」はオフ・ザ・レコードの略語で文字通り「記事にしない」意味合いでメモや録音を取らず、当事者や政策決定の本音や舞台裏を聞き出すのが狙いで、発言者のニュースソースを「政府高官」とか「政府筋」「外務省筋」「自民党幹部」「金融筋」などとして、個人の名前や肩書を伏せた報道をする。マスコミ界の隠語でもある。

 そもそもニュース取材の原点は権力監視とチェックが役割の第一であるマスコミは本来“真実を掴み公開する”“覆い隠する力を振り払い真実を暴き公表する情報公開”が使命だ。
 にもかかわらず「オフレコ会見・懇談」が生まれたのは、権力とマスコミの間に生まれた持ちつ持たれつという“慣れあい”の産物だ。

 マスコミ各社の対応はそれぞれ「内容を報道する社会的意義が大きいと判断した時、相手と交渉して解除する」とか「情報秘匿の約束は必ず守る」などと弁明し、“知る権利か情報源の秘匿か”で議論が分かれている。
 しかし「オフレコ」は裏付け?を取らないで「…筋」「…高官」などと各紙が一斉に書き、放送する事は意図的な情報操作に繋がる恐れが高くマスコミにとっては自殺行為になりかねないばかりか、「読者や聴視者」を舐め・バカにした行為と言われても仕方ない。
 
 今回の内閣官房と内閣記者会による“慣れあい、オフレコ会見”は漆間副長官が警察官僚のトップで捜査に精通しているという予断と期待が、記者会側にあった可能性が高い。
 逆に言えば漆間副長官は自分の名前が出ないことを計算づくで“小澤=民主党=野党”を“国策捜査にはめる画策=マスコミ操作”に使ったとも考えられる。更に、記者会を甘く見て「逆用、悪習を利用した」可能性すらある。従って、公になった以後、漆間氏は自分の発言に「記憶がない」とロキード事件の小佐野氏と同じ対応で逃げ、マスコミは徹底的に馬鹿にされた扱いを受けながら、抗議や撤回を求めないで放置しているのは不思議だ。
 何はともあれ、関わった新聞放送はこれを機に“慣れあい、悪習”を断ち切らなければ国民から見放されることに成りかねない…と言う危機感を持った改革が必要な時だ。

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2009年3月28日 (土)

金賢姫(キム・ヨンヒ)のひと言

 北朝鮮に拉致された田口八重子さんの兄と田口さんの長男が大韓航空爆破事件の実行犯で、嘗て田口さんから日本語の教育を受けた元北朝鮮の工作員・金賢姫(47)と面会した。
 「お母さんは生きています。希望を持って…」と肩を引きよせ涙する金元工作員の言葉は拉致家族や救援活動をする人たちへの励み<新聞の見出し>になった…のだろうか?

 なぜ、今頃こうした面会が実現したのか?背景は一年前に韓国政権の交代にある。北朝鮮との融和政策を掲げた金大中と盧武鉉政権は拉致問題に対する見方は冷ややかだった。
 金元工作員の発言を封印して来たといわれている。一方、日本との友好を重視する李明博政権は北朝鮮の核や拉致問題で日韓の協力を強める方針の当面の結果?だろう。

 テレビも新聞も大々的な報道をしている中で目立っていないが金賢姫の発言で、日本にとって大変重要だと思う部分がある。
 『日本政府のこれまでの取り組みを見ていて、北韓の自尊心を傷つけないようにしながら、(北朝鮮が)心を動かす方法を考えるべきではないかと感じた』 と言っている点だ。
 彼女は「“制裁による圧力”一辺倒に傾いている日本の北朝鮮への対応の有効性に疑問」を投げかけている。
 政治や社会から遠のいて韓国で息をこらして生きて来た彼女が日本の北朝鮮施策を見た率直な感想を述べたように思う。私は従来から“日朝平壌宣言”に立ち戻って仕切り直すのが筋だ…と主張してきただけに、強く同感する。

 先日、会った在日韓国人の平和活動家が同じように拉致問題解決のスタートラインは‘02年の「平壌宣言」から…と言っておられた。金賢姫の発言は正しく同じ意味と理解した。

 02年9月の小泉首相・訪朝時の「日朝平壌宣言」は『不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し実りある政治経済文化的関係を樹立する…。日本は過去の植民地支配によって朝鮮の人々に多大な損害と苦痛を与えたと言う歴史の事実を謙虚に受け止め痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明…』として経済援助や無償資金協力の協力に人道支援、さらには核問題に拉致問題などの解決を掲げている。

 先に起こした問題解決から着手し、徐々に並行して緊急な拉致問題にも手を付ける…と言うのが、外交交渉でなくても誰の目から見ても当然の事だろう。歴史認識に大きな差があるとしても、平和条約をいつまでも放置しておくわけにはいかない。

 しかし、日本は北朝鮮の事ある度に“制裁と圧力”を繰り返し、平和交渉に手を付けないまま、結果的に拉致被害者問題も6ケ国協議など他力にお任せ状態にして来た。
 北朝鮮はいずれ解決する対日平和交渉は日本の対応を逆手に取って引き伸ばしてきた。
 それは、援助金の引き上げ策という指摘もある。
 その裏で北朝鮮は日韓会談の解決時の10数倍~百倍を要求する…と、まるで日朝交渉が前進できないような雰囲気…が、まことしやかに言われてきた?

 最初に日本が仕掛けた植民地化とそれに繋がる諸問題は日韓会談にそって解決を進めれば、いずれ北の本音も出て解決せざるを得なくなる。その為には「制裁と圧力」だけではでは一歩も進まないことは安倍、福田、麻生の三内閣の5年間の空白で証明されている。
 日本が米国などに依存しない独自外交を進めるべきだ。

 金賢姫はこの事実を指して“もっと知恵を出せ・筋を通し、北が避けられない条件で押し込め”と言っていると受け止められる。
 何よりも彼女が言う“自尊心“は日本に多くの技術と文化を伝えた歴史と伝統を持つ、誇り高い民族のプライドを意識的に”くすぐり“活用してはと示唆しているのではないか。

 ここ数年間、胸に青いバッジを付けて北朝鮮の理不尽さに口角泡を飛ばす議員さん達の正義の力?が少しでも発揮されただろうか。大局を見ないで留守家族に対する同情的なお為ごかしに終わっているのでは?

 北朝鮮は核放棄交渉を遅らせ、いまミサイルの発射で関係国を混乱に巻き込んでいる。
 これらと全く切り離して「日朝平壌宣言」に基づく交渉が今すぐ開始できるかどうか微妙な外交問題である。

 しかし、金賢姫が示唆した小泉訪朝で交わした「日朝平壌宣言」に一刻も早く立ち戻った協議・交渉を進める必要性があることも忘れてはならない…と考える。

 “金賢姫のひと言”は日本政府と青バッジの議員さんたちに耳を傾けて欲しい、歴史と現実を見つめた冷静で正しい判断と言えるのではないだろうか。

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2009年3月27日 (金)

若い特派員が見た中国②

 中国の支局と言えば‘93年に上海に開設した。私が開設準備の担当で上海市外事弁公室などとの折衝で10ケ月程度の準備期間でオープンにこぎ着けた。しかし、事情があって9年後に閉鎖して特派員は北京支局に合流したが、これも私が担当した懐かしい思い出でだ。
 
 前置きが長くなったが藤原記者の講演は『メディア報道の在り方と相互理解改善の提案』
で、彼が5年間に経験した日中間の課題と問題点を「反日デモ」と「餃子事件報道」を通じて分析して日中間の国民感情のズレや火種等を指摘し関係改善への提言を試みた。

 彼が北京へ赴任した頃は小泉首相の靖国参拝や旧日本軍の遺棄した化学兵器の問題が影響して中国人の反日感情は最悪な時期だった。
  
 彼が最初に出くわした難取材は日本人留学生が投げた歴史問題を巡る「反日デモ」だった。
 こんな時でも日本と中国のメディアでは日中関係の報道の仕方が異なっている。中国のメディアは国内世論を「日中友好」の方向に導いて、敏感な問題は基本的に伝えない。
 これに対して日本のメディアは対立の現状を伝えた上で今後の打開策を探る。日中メディアの目標は「関係改善」であるが、日本では現場とかけ離れた東京の編集室で変質した。 中国もデモも知らない者が報道以外の娯楽やバライティー番組の要求通りに編集して使い日中の対立感情を煽る副作用を生む等、日本のマスコミに問題があった点を指摘する。
 その背景には日中両国民の、戦争体験や歴史認識に大きな開きがある。戦後の両国の歴史教育には埋めきれない問題が積み残されているのが現状で、3年前日中の学者による歴史の共同研究が始まったばかりだ。共通認識を得るにはまだ時間がかかる…と見ている。

 ‘08年の旧正月に起きた「餃子事件」は中国産の餃子を食べた千葉の家族が食中毒になり致死量の農薬が検出された。従来、中国産野菜の残留農薬やウナギの抗菌剤などもあったが健康被害が出たのは初めてで、日本のスーパーから中国産冷凍食品が一斉に消えた。
 
この時、日中は「科学的で正確な結論が出るまでは、双方とも主観的発表はしない」と殺虫剤の混入場所を巡り日中が責任のなすり合いを避ける「紳士協定」を結んだ。
 しかし、一月もしない内に協定は失効していた。日本では「独自取材」によって中国で混入と報道し、独自取材という習慣がない中国は日本政府がリークしたと誤解し不信感を強め非難の応酬の中で「協定失効」した。食糧自給率40%を切る日本が中国食品を排除できるか?中国に向き合う時は軍事・政治を含めよく見定める必要がある。この事件が残した教訓は日本人が客観的な中国観を養うことであり、日本のメディアは中国の様々な問題を指摘すると同時に、全体的な中国観を提供する役割の重要さ…を指摘する。
 また、彼は常に中国のより良い発展を願う“善意”に基づいて、日本人の目から見て“おかしい”と思う中国の問題を指摘してきた。しかし、当事者である中国人の反応は、度外視していた点が否めない…と、結果的に一方通行だった?と懸念をしている。

 オリンピックを機に取材制限は多少緩和されたと言うが、言論の自由や民主化、さらに経済発展に米中関係に国の体制に関わる問題が今後どんな形で進むのか興味深い。
 日本が中国人の歴史認識を一変させるくらいの取り組みをすれば飛躍が期待される…。
 例えば、日米の歴史認識の壁になっているパールハーバーへ天皇が出向く予定?と同様に、南京大虐殺記念館へ日本の政府代表か天皇が出かけることがあれば…中国国民の日本に対する歴史認識は大きく変わる…と大胆な予測する。

 中国や後発国に対してとかく高飛車に構えるのが日本メディアの傾向の中で、若い藤原記者が“真の互恵平等”の精神を強調するのは中国社会に飛び込んで中国人の心を開く努力を試み、心の襞に触れて来た自信と成果だと思う。

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2009年3月26日 (木)

若い特派員の中国報告①

 TBSがキーステーションのJNN(ジャパン・ニュース・ネットワーク)北京特派員として5年間の勤務を終え昨年末帰国したRCC中国放送の藤原大介記者の話を聞いた。

 彼は‘99年に広大法学部を卒業してRCCに入社し、警察担当の“サツマワリ”時代の
‘03年、入社5年目にJNN北京支局へ赴任した。
 特派員はどこの社でもサツマワリから司法、県・市の行政、何でも扱う遊軍、政治など10年前後の経験を経て派遣されるのが一般的だ。彼の場合中国語が得意だとか、特別に中国問題に関心が強かった訳ではない。RCCが独自に若い国際感覚のある記者の育成を…と判断した事が“史上最年少?の特派員”を生んだ。

 派遣が決まった半年前から中国語の猛勉強に取り組み、赴任後も毎日数時間の家庭教師の指導を受けた。日本語のできる中国人取材助手を付けないで取材する事を目指した。
 特派員の任期は一般的に3年だが、オリンピックを控えた支局も本人の希望も手伝って5年と言う異例の長期派遣になった。その結果、現地では「流暢な中国語を操る中国報道の一線に立つ若きチャイナウオッチャー」と中国のマスコミや研究者から一目置かれる存在として成長した。

 滞在中に中国の雑誌に中国語で人権問題としてのチベット問題、反日デモ、餃子事件など“中国の陰“の部分を書いた記事を掲載し”嫌中“と”反日“を超える日中関係論として両国の批判に耐えること至上命題に執筆した。
 日本人の目から「おかしい」と思中国の問題点を「中国のより良い発展を願う善意に基づいて」敏感な問題を巡る日中の対立の原因を探求し日中の「最大公約数」を見出すことを目標に取り組んだ…。中国人の幅広い共感を得た…と中国人編集者が評価している。
 
 昨年11月、これらの記事を纏めて日中両語翻訳版で「中国新思考~現役特派員が見た中国1800日~」が日本で出版された。
 両語だから中国にも輸入されたが、流石に当局の目が光っていたのか販売は未だにストップされたままのようだ。 
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2009年3月25日 (水)

袋町のお店 F・I・L

また1軒、なんとも不思議なお店が、袋町公園に面してオープンした。
お店の名前はF・I・Lという。

広いお店の中に並べられているのは、カジュアルな靴が数十足、それにTシャツ、綿パンツが数十着壁にそって置かれている。
それだけだ。
30坪位の広いスペースの店内に、それこそ芸術作品のように靴が置かれている。
壁、天井、床が真っ白だから、余計それが目立つ。

ABC MARTマートのように、お店から溢れそうなくらい大量の靴を積み上げているお店とは大違いだ。

1

オーナーの中村氏は38歳、主として靴のデザインをしている人だという。
靴は全て手作りで、色も天然素材を使い、中敷にはコルクを使っているという。
底は擦り減ったら、新しい底と取り換えられるのだという。

エコについて配慮していますというが、エコ製品というより、これはもう芸術作品だ。

価格も4万円前後と高い。
高級ブランドの靴では10万円もする靴もある。
オーダーメードであればかなり値段の高い靴もある。
ビンテージ物では高い靴もある。

しかしカジュアルで、既製品で、こんな高額な価格の靴が売られているとは、驚きだ。
それを買う人が、広島にもいるということにも驚く。

外からしばらくお店を見ていたら、よれよれのシャツにジーンズを着た学生のような格好をした若者が、さして時間もかけずに選び、買っていった。
エーッ!
一世を風靡したホリエモンのような職業の人なのであろうか。
お金持ちの概念が変わっているようだ。

それにしても、こんなお店が成り立つのには、ただ驚くばかりだ。

こんな個性的なお店をデパートの中や、ショッピングセンターの中に作ることはできない。
お店のコンセプトにふさわしい立地、ビルを選んで、初めてその価値が発揮できる。

このお店のオープンを契機に「うらぶくろ」がまた大きく変わりそうだ。
「F・I・Lとうらぶくろ」のこれからに期待したい。

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2009年3月24日 (火)

フランス製の車と文化

数年前、友人からフランス製の中古車を譲ってもらった。
なんとも変な車だ。

元々左ハンドルの車だから、ウインカーはハンドルの左に付いているし、ワイパーは右に付いている。
ときどき間違えて、雨も降っていないのにワイパーを動かしたりしてしまう。

まあそれはいいのだが、ラジオはちゃんと動かないし、スピードメーターも壊れた。
ともかく電気系統は全然だめだ。

ブレーキを踏むとキーキーいうから、ブレーキパッドも替えた。
フランス製の車は、そもそもブレーキパッドが元々薄いのだという。
ハンドルのパッキンも取り替えた。

ある友人に「ラテン系の車に乗る時は、帰りのタクシー代をいつも持っていた方がいいですよ」と忠告された。
エーッ、なにそれ!
ラテン系の車はそのくらい簡単に故障するらしい。

ジャガーもよく故障するらしい。
ジャガーに乗っていた知人は、メーカーの整備士から、「ジャガーは、購入されたお客様に合わせて、これから作っていくのです」といわれたという。
凄い言い訳だ。
そんな言い方もあるのかと、妙なところで感心したことがある。

以前トヨタの車に乗っていたが、10年以上経っても、どこも故障しなかった。
日本の車が売れる理由がわかる気がする。
しかし、日本では修理工場は商売としてやっていけない、どんどん減っているという。
それもまた可笑しい話だ。

女房は「そんな変な車捨ててしまえ」という。

捨てたくもなるが、しかしなんとも面白い車なのだ。

車の座席は素晴らしくいい。
譲ってくれた友人は、腰が悪くて、この車を選んだといっていたが、それはよくわかる。
長時間座っていても、全く快適なのだ。
以前、最初の新幹線の座席をデザインした人間工学の権威小原二郎氏が、「どうしてか、ヨーロッパの椅子の性能を上手く真似できない」といっていたことを思い出す。
いくら形を真似しても、その座り心地の良さは真似できないのだという。
座りご心地はトヨタの車よりはるかにいい。

また日本の車なら、夜暗くなってヘッドライトをつければ、自動的にメーターのライトは点くのは当たり前だが、メーターのライトも、別途スイッチを押さなければ点かない。
そんな変なことってあるのかと呆れた。

日本の車は、こっちがいちいち指示しなくともやってくれる。
いわば、いたれりつくせりでやってくれる。

この車はいわなければ、やってくれない。
文化の違いを改めて感じた。

しかし、そうした経験がなんとも面白いのだ。
ラジオがちゃんと動かないことまで面白くなってきた。
そんなことに、近頃は妙な愛着まででてきた。

こんなところで、ヨーロッパと日本との文化の違いを感じるとは思わなかった。

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2009年3月23日 (月)

車の名義変更とネット

数年前、友人から中古の車を譲ってもらった。
先日ようやく名義変更を済ませた。

ディーラーを通して買えば、そうした手続きはすべてディーラーがやってくれるが、今回は友人から譲ってもらったので、だれか司法書士に頼むか、自分でやるかしかない。
取りあえず、どんな手続きをしなければいけないのか、ネットで調べてみた。
車庫証明をとる、譲渡証明をとる?
結構面倒そうだ。

車庫証明をもらうには、車庫の所有者の保管使用承諾書をもらわなければいけない。
これは、私本人が大家さんに話すべきだろうと、直接私が大家さんに話し、私がもらった。
ついでに、警察にいって、車庫の所在図、配置図の書類を受け取り、書きこんだ。
譲ってくれた友人に電話し、譲渡証明書、印鑑証明をもらった。
私自身の印鑑証明書は、私が区役所にいってもらった。

ここまで書類がそろえば、そろえなければいけない書類はほぼ全部揃ったことになる。

ことのついでと、私が直接運輸局にいって名義変更の手続きをした。
駄目だったら司法書士に頼めばいいやというわけだ。
運輸局では窓口を4~5か所回ったが、大変丁寧に対応してくれた。

結局なんのトラブルもなく、極めてスムーズに所有権の移転登記ができた。
初めてのことだったが、全部私個人でできた。
「やればできる」というわけだ。
あまりにあっけなく済んで、ちょっと気が抜けた。

費用だって、司法書士に頼めば数万円はかかるらしい。
自分でやれば、車庫証明をもらうのに、申し込み時2,100円、発行時に550円の証紙を払ったのと、印鑑証明をもらうのに300円、運輸局で移転登記の際、証紙代500円を払っただけだ。
計3,450円で済んだ。

こうした手続きも、昔は随分厄介だったようだが、最近は随分簡素化されたのだという。
今では、どんな書類を揃えればいいのか、それはどこに行けばいいのか、その場所はどこにあるのか等は全てネットで調べればわかる。
誰だってできる。
ネットの凄さを改めて感じる。

しかしそれにしても、警察は車庫証明を出すのは、平日は昼休みの1時間を除き、10時から3時までだというし、運輸局は手続きを受け付けるのは4時までだという。
それに局内を、書類をもって、あちこち回らなければいけない。

今時、車の保管場所がなくて、車を購入する人はいないだろうと思う。
駐車違反の摘発が民間委託されてから、道路に置いておこうものなら、たちどころに駐車違反で捕まえられ、減点と罰金が科せられる。
最近は、道路上に置かれている車もめっきり減ったように感じる。
もう車庫証明なんて制度も止めた方がいいだろうと思う。

警察も運輸局も、どちらも市民の立場になって考えているとは言い難い。

些細なことだが、こうした経験すると、改めて国の出先機関、警察は、政令指定都市を含めて、地方分権の対象とすべきだろうという思いになる。

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2009年3月22日 (日)

ユビキタス社会へ一歩前進

この原稿を書いているのは、東京からの帰りですが、今日(3月14日)から新幹線のぞみ700系の中で無線LANが使えるようになりました。これでトンネル内でも途切れることなくインターネットが利用できます。

しかし残念なこともいくつかあります。

まず一番は、これがJR東海のサービスであり、JR西日本のエリアになると使えないということです。つまり東京・広島間の場合、半分の東京・新大阪間しか使えません。どちらかというと東海エリアの方が他の通信手段も使えるのですが、西日本エリアになるとトンネルが多く使えないため、広島の住人としてはむしろ逆の方が便利です。

次に有料だということです。ANAのラウンジなどは無料のフリースポットも提供していますが、700系では有料サービスのみです。つまり有料サービスのインフラに過ぎないということです。そのため、繋ぎ方は分かっても決済方法が分からず車掌に聞いても要領を得ないまま使えない人がいました。

一日500円くらいからですが、様々なサービスで使えるために料金体系や申し込み方法も多岐にわたります。せめてグリーン車両くらい無料にして欲しいと思います。

最後は有料の割に無線LAN環境としては決して速くないということです。エリア内であれば移動中の新幹線内でもイーモバイルの方が速いというのは予想外でした。おそらくかなりの予算と時間をかけて構築されているので、簡単には更新されないでしょう。

一方、広島市のアストラムライン(広島新交通システム)でも、無線LANが使えるようになりました。当面は遅い回線です。しかし、桁違いに安く構築されているので、時代とともに高速化されるのは時間の問題です。うまく行けば今年中にJR東海の環境を抜くこともあり得ます。こちらはあくまで無料サービスです。

ちなみに今、新幹線の車両では、私の席から見える10人のうち3人がパソコンを開いています。いずれにしてもユビキタス社会へ一歩前進しました。

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2009年3月21日 (土)

優秀映画の“学校上映”を盛んに! 

 「一年間飼育して食べます」と言う新任教師の提案で6年生26人が挑戦した「豚を食べる授業」で、真剣に“いのち”と向かい合った映画「ブタがいた教室」が評判を呼んだ。

 映画を観たり評判を聞いた教師や父母から学校上映を出来るようにしてほしい…という要望が映画の配給上映の会社(映画センター)や教育委員会などにたくさん寄せられた。「『ブタがいた教室』上映をすすめる会」を結成し広島市教委と市PTA協議会の協賛で試写会を開いた。昨春結成した「シネマクラブ・ひろしま」の一員としてお手伝いしている。

 金曜日の夜と土曜日に午前中の2回の特別試写会には市内の小中30校余の教師やPTAの役員さん達130名が鑑賞され、感動し感銘を受けたとの感想を持ち帰られた。反応の早い所では早速新学期に400人の高学年に鑑賞させる希望が寄せられている。

 映画は妻夫木聡が演じる新任教師・星先生の「卒業までの一年間でブタを飼育し、最後は皆で食べたいと思います」と言う提案で6年2組は騒然となる。校庭の片隅に小屋を作り、掃除や餌やりなど生まれて初めての経験をし、戸惑いながらも成長していくブタに愛着を抱いて行く子供たち。ブタにPちゃんと名づけて家畜でなくペットとして慈しむようになるが卒業が迫って“食べる・食べない”で教室は二分する大論争が巻き起こる…。

 こうした教育実践は宮沢賢治の影響を受けた広島生まれの教育者鳥山敏子が東京の小学校で取り組んだ“命の授業”「鶏を飼い、丸ごと食べる授業」の教えを受け継いだものだ。
90~92年に大阪府の豊能町立能勢小学校であった実話でこの授業を追ったドキュメンタリーがTVで放 送されギャラクシー賞などの受賞で大きな反響を呼んだ。
 ‘03年には「ブタのPちゃんと32に人の小学生~命の授業900日の記録」(著:黒田恭史教諭:ミネルバ出版)が出版された。
 評判を聞きつけた前田哲監督が“命を育むこと、食べ物とは何か、命とは、生きるとは”を問い質す劇映画に取り組み完成した。1時間50分の作品。

 監督はオーディションで選ばれた子役たちに成り行きや結論が見えない白紙の台本を渡して出演者自身に考えさせながら撮影した…だけに、子供たちの演技は単なる芝居ではなく、真に迫る好演をしている。一年間、真剣に“いのち”と向き合った感動の作品です。

 時代は違いすぎますが、私が小学校生だった昭和20年代には結構「綴り方教室」「ここに泉あり」「三太郎日記」など今も忘れられない映画を学校で鑑賞し、感想を話し合たり作文に書くなどの映画が教材に活かされていた。その時の感動は私の中に今も生きている。映画好きの動機にもなっているように思う。

 テレビにゲーム、パソコン情報、マンガにレンタルのDVDやブルーレイなど子どもを取り巻く情報や映像は溢れている現代だ。
 しかし、子供たちが本当に適切な映画や映像や情報に出会たり選択をしているだろうか。親が子どもの求める情報に適切に応えているだろうか。
 はたして学校ではどうなっているのだろうか…?

 この映画は子どもと父母が一緒に、何よりも教師に見て考えて欲しい映画でもある。
 こんな時代だからこそ子供の心を掴みゆさぶり考えさせる作品を学校で教師と子供が一緒に鑑賞し学ぶことを取り入れる教育環境も必要ではないだろうか。

 年に数本の文部科学省や芸術文化振興基金が応援する映画がある。
 この作品もその一つだ。
 上映中の会場から鼻をすする音と笑い声が交互に響きあった。
教師と子ども達が“食やいのち“を巡って考え語り合える素晴らしい作品で、優れた教材に間違いない。

 因みに、この映画が人気を呼んだことを知っていた小学5年の孫の大直(ダイチ)が鑑賞した感想は「僕は食べる派」。生き物の命は大切にしなければいけないがブタはペットではなく、食べられるためにいる生き物…と考える。お母さんと中2の兄に話したら2人とも「食べない派」で最後は下級生が飼育する…と思たようだ。だから、食肉センターへ送るのには驚いていた…と報告し、僕の学校でも皆で見たほうが良いと思うと“学校上映”を推薦していた。
 もっと話す必要はあるが…それなりに“生きる、食べる、命、人の一生”などについてそれなりに考えたようだ。

 今回、教師や父母から起きた映画の学校上映の要望はいい機会だ。
 学校はもっと貪欲に面倒くさがらないで大いに映画を教材に取り込むことを勧めたい。


<問い合わせ先> 映画「ブタがいた教室」上映をすすめる会
 中区堺町1‐2‐9 貴志ビル 広島映画センター内  TEL:082-293-1264
 上映に当たってはフィイルム代などの最低保証がありますので、学校や上映会の規模によって違ってきます
 相談に乗りますので詳しくは事務局にお問い合わせください。

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2009年3月20日 (金)

8年目を迎える原爆死没者追悼祈念館の役割

 「原爆死没者を心から追悼し…核兵器のない平和な世界を築くことを誓う…」ために、国立原爆死没者追悼平和祈念館は戦争の犠牲に関して国が設置した唯一の施設で、広島平和公園の祈念館がこの夏で8年目に、長崎が7年目に入る。

 厚生労働省が主幹してこの追悼記念館の運営や企画を検討する委員会が毎年この時期に開かれる。座長は元東大総長の森亘東大名誉教授で広島と長崎から被爆者を含む各5人の委員が名を連ねマスコミ関係から私が参加している。

 森座長は冒頭「順調な運営だが将来の在り方も諮問されればいい知恵も出せる…」と述べ忌憚のない意見を吸い上げる気持ちを披瀝され、国に対する要望と意見を求められた。

 2館とも平和公園の原爆資料館と並んで設置されている。広島はやや判りにくい場所ではあるが資料館や旅行社、学校との連携もよく、20年度も入場者数は21万人を超、近く開館以来150万人に達する。長崎は50万人に達して、その設置意義を十分に発揮している。

 原爆死没者の氏名と遺影の収集や被爆体験記の収集、特に高齢化や不慣れで執筆が困難な被爆者を対象にした聞き取り代筆作業は貴重な取り組みだ。
 長崎は特に国際交流がテーマになっており毎年海外での原爆展を開いてきた。
 米国ネバダの核実験博物館、スペインのゲルニカ平和博物館に続いて今年度は10月にベルギーのアントワープ平和センターで開いた。来年度以降はアジアで開く準備中で、最初にマレーシアの国立マラヤ大学アジア美術館で8月から3ケ月開かれ、その役割は大きい。

 米国の「リメンバーパールハーバー」と同様に「原爆投下は終戦を早め、犠牲を少なくした…当然の結果」などと今も語り継がれ教育されている中国や東南アジアなど日本が戦争被害をもたらした国々でも今の日本理解のためにも積極的に取り組む必要がある。

 私からは広島市が2年がかりで全米各州で2ケ所以上の開催をし、3年目に入ろうとしていることやオバマ大統領が予備選中に原爆展をみて発言内容に変化が生まれた事等を報告し、国がもっと広島・長崎の「世界市長会議」など通じた核兵器廃絶への取り組みを連携バックアップする必要がある…ことを強調した。

 各委員からも総理や外務、厚労大臣が国会や国連、外国で核廃絶を進める発言をし、働きかける姿勢が求められる等の要望も出された。

 国が広島と長崎に設置した祈念館は原爆の犠牲者を静かに追悼する場であると同時に国の内外に“核兵器廃絶”を訴え平和な世界を築くことを誓う…と共に、より具体的に働きかける役割を背負っている。

 残念ながら国核保有国や世界に向けた核廃絶の訴えは広島長崎にお任せ状態だ。
 国が行う年1回の海外原爆展では“唯一の被爆国としての役割”を国際的規模で見ればお茶を濁している?に過ぎないと言われても仕方ない。余りに消極的すぎる。
 2010年の国連におけるNPTの再検討会議を前に、祈念館には広島と長崎市の協力を得て、改めて核廃絶に向けた地球規模の原爆展をはじめ被爆者証言や映像による“ヒロシマ・ナガサキの世界化”に十分な予算を付けて行う時ではないだろうか。

 米ソが核軍縮で協議を始めようとしている。
 こんな時期に、日本が黙って見ていたのでは“唯一の被爆国”の役割を放棄したことになる。そうしない為にも祈念館の位置付を高め、十分な予算をつけた『ヒロシマ・ナガサキの国際化=核廃絶』政策が重要になる

 改めて国の核兵器廃絶に向けた対策強化を求める声が響いた会議になった。
 厚労省で開かれた会議での声が外務省に官邸に政府に届き少しでも前進に繋がればこの会議の存続意義もあるといえよう…。

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2009年3月19日 (木)

「原爆被災記録映画」の軌跡展

 昭和20年8月6日の広島で何が起こったかを記録した原爆被災記録映画「広島・長崎における原子爆弾の影響」の軌跡を辿った展示会が平和記念資料館B1で開かれている。
 
 「廃墟にフイルムを回す」とタイトルに掲げたこの展示は昭和16年に設立された社団法人日本映画社が20年9月から10月にかけて撮影した広島・長崎合わせて全19巻約3時間の原爆被災記録映画の総てを公開している。広島にとっては忘れてならない貴重な展示だ。

 被爆直後、日映の社内で広島・長崎の映画撮影が決まり、科学的に記録するため監修を理化学研究所の物理学者・仁科芳雄博士に依頼した。博士は文部省の学術研究会議に「原子爆弾火災調査研究特別委員会」を設置、200人の調査員を広島・長崎に送り込んだ。
 呼応して日映は33名の映画製作スタッフが生物・物理・土木建築・医学・ニュース・遊撃班を編成し、委員会の補助機関として現地撮影を行った。

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 撮影の途中から米国の戦略爆撃調査団の管理下に置かれナレーションや字幕は総て英語で編集制作され、完成後の作品は米国へ没収され、長く人の目に触れることはなかった。
 しかし、製作スタッフによって未編集フイルムが密かに保管され、占領が終わると日映の後身である日映新社に管理され、活用されてきた。
 一方、米国へ接収されたこの映画について関わった科学者たちの努力で、被爆後22年経った昭和42年(‘67年)に日本へ返還され、日本映画新社の手で新しい映画が製作され、今も続く被爆の影響の告発と核兵器廃絶に向け大きな影響力を発揮してきた。

 展示は撮影に使った35㍉用アイモやスタッフのメモや製作記録、解説原稿など専門分野別に資料写真と一緒に映像も流れ、事実を記録し訴え続けてきた関係者の努力が忍ばれる。

 その裏で長年、記録映像の保存管理してきた日本映画新社がこの4月末で解散する。
 しかし、国民共有財産のこのフイルムは関係者の尽力で名古屋の(株)日映映像<052-585-0220>とRCCのライブラリー<082-222-1158>が原爆資料館等を窓口に、従来通り活用が継続されることになったのは不幸中の幸いだ。
 展示会期:~7月15日(水)迄。於:平和資料館東B1展示室。

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2009年3月18日 (水)

「市民球場」舞台に! 自主映画制作

 新球場の完成で51年の歴史に幕を閉じる広島市民球場を舞台に学生や市民が自主製作した4本の映画の上映会があった。

 1日(日)横川の西区民文化センターで開かれた上映会には100人を超える人が参加した。
 広島市立大学の学生9人のグループが1年がかりで市民球場の歴史と市民との関わりを追ったドキュメンタリー「Home」はこれまで放送局などが作った作品と比べて目線が低く、歴史を知らない若いフアンにも応える格好のドキュメンタリーだ。

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 カープ発足時からの元球団職員でカープの語り部をしている渡辺英之さんは「スポンサー企業が無く県や市が出資して立ち上げた市民球団」のHOMEグランド「市民球場のナイター照明の輝きは希望の光だった」解散を迫られた時の石本監督は「企業の広告塔でなく広島復興のシンボルとして県市民の心の支え…」と存続に頑張った。昭和39年6月30日の対阪神戦でアンパイアの誤審で起きた“暴動事件”など貴重な歴史を証言している。

 おじいちゃんの宝物を探しに市民球場やお好み焼きを食べに広島を訪れ“宝物”を見つける姉弟の物語「球場物語」(16分)。市民球場の跡地利用の計画を練る市職員が何者かに襲われ脅迫される事件に挑む「天使諜報☆神宮寺真琴」(20分)はドラマ仕立て。
 この春で姿を消した“名物・カープうどん”。公式戦最終日に行列するフアンをフォーカスした「最後のカープうどん」(10分)。いずれもカープへの深い愛着が滲んでいる。

 3本は広島市の外郭団体で街興しの一環で映画やドラマ制作に協力している広島フイルム・コミッションが企画した「市民球場を映像で残そうプロジェクト」の参加作品。
 今、広島で“うら袋”などの自主映画が話題を呼んでいる。
 この映画を見ながら考えた。新球場の一角か旧市民球場の片隅に『カープの殿堂』が出来、いつでも歴史や資料にこれらの映像も見られる仕掛けが欲しいものだ…。
 今からでも遅くはない…。関係者の一考を促したい。
 これら4作品は3月22日(日)郷土資料館、25日(水)市映像文化ライブラリー、28日(土)はカフェ・パコで無料上映される。
 問合せ/確認: thanks51th@yahoo.co.jp http://thanks51.suppa.jp/

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2009年3月17日 (火)

平和記念資料館と寄付

20年ぶりくらいで平和資料館にいった。
1Fのチケット売り場はそれほどの混みようではなかったが、中は随分と混雑していた。
その誰もが、熱心に説明書を読み、展示物をジーッと見ていた。

改めて平和資料館の価値を感じた。

平和資料館は、昔のことなのであまり良く覚えていないが、その時の展示は、原爆がいかに悲惨な結果をもたらすかということについての展示が多かったように思う。
私は血をみると卒倒するくらいだから、怖くなって、途中から足早に通り過ぎてしまった記憶がある。
以来平和公園には週1回位通るが、平和資料館の中に入ったことがなかった。

今は展示内容も大きく変わっている。
被爆以前の街がどうであったか、そしてその街が一瞬にして消えた様子や、溶けた鉄骨や破損したコンクリートの実物の展示が増えているように思う。
大分見やすくもなったようも思う。
世界平和市長会議の活動についても展示されている。
展示内容も随分と洗練されたようだ。

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この平和資料館が、世界の平和に果たしている役割の大きさについては、いまさらいうまでもない。
また広島市の行っている平和に関する活動は極めて貴重なkとであり、重要なことだというのもよくわかった。

しかしそうした活動をするには、お金もかかるだろう。
それなら出口にでもいい。
寄付金を受け付けるボックスを置いたらどうだろうか。

現在の入場料50円は整理券のような金額だ。
平和資料館の年間入場者数120万人だという。
年間収入は50円×120万人=1200万円にしかならない。
とても、この金額で現在の施設や活動を維持できているとは思えない。

1人平均1,000円寄付したとすれば、年間で12億円になる。
これだけあれば、少しは助けになるだろう。

原爆慰霊碑の前にある浄財箱に寄付することもできるが、ちょっとそれでは感じが違う。
平和資料館の展示をみたら、私も何かしなければという感覚になる。
そのためには、「寄付金箱は平和資料館の中に設ける」ほうがいい。

寄付することで、世界の平和のために少しでも貢献できるならば、それは素晴らしいことだ。

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2009年3月16日 (月)

平和大橋の増設歩道橋のデザインコンペ

3月5日の新聞各紙に、平和大橋の増設歩道橋のデザインコンペの結果が載っていた。
当選したのは、大日本コンサルタント中国支店(広島市)の作品「時空の扉(ゲート)」である。

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審査委員長の内藤廣氏は「イサム・ノグチの橋への敬意を払った控えめなデザインと機能性が委
員の高い評価を受けた。市民の理解も得やすいと思う」とコメントしている。

確かにしっかりしたいいデザインの橋だ。

今回この歩道橋のデザインを進めるにあたっては、広島のシンボル、平和のシンボルとして、あまりに有名になってしまった平和大橋に隣接して、どんな橋をつくればいいのか、関係者は大変困ったことだろうと思う。
それに対する答えが、デザインの国際コンペだった。
内藤氏は「広島市の大英断だと思います。日本の土木分野の知的財産権や著作権の考え方が、国際的なルールとずれがあることです。今回は著作権の専門家に相談して、国際的なルールに合わせる形で募集要綱に記載しています。土木界はコンペに慣れていません。落とされ慣れていない面もあります。落ちた人たちが不満に思って、「あんなことは無意味だ」と言い始めたら、こういう試みは行政から出てこなくなります。今回のコンペは、行政の意欲的なチャレンジです。そのチャレンジを盛り上げるような案を期待します。「今回は負けたけど、次は勝てるように努力する」という声が聞こえてくるようなら、コンペが成功したと言えるでしょう。土木産業全体を育てていくような心構えで、コンペに臨んでほしいと思います。」といっていた。

そもそも、土木の世界では土木の施設をデザインの対象とすること自体珍しいことのようだ。
ましてやそれをコンペにする事は、今までの常識では考えられないことだったのようだ。
そうした厳しい状況にも関わらず、海外からの応募も含めて、29社からの応募があった。

応募作品は、しばらくの間市役所1階ロビーで展示されていた。

「あやとり」をモチーフにして、「折り鶴」をデザインした作品もあった。
作品の洗練度は今一つだったが、広島らしい案だと、私はそれなりに評価していた。

しかし結果は、奇をてらわず、気まじめなデザインした作品が選ばれた。
いい作品が選ばれたと思う。

橋の両端に丘をつくるということも、平和大通りのアクセントになるだろうと思う。

結果をみれば、国際コンペにしたことは、大成功だったといえる。

広島市内の橋もいずれ架け替えが順次必要になる。
新設の計画橋もある。

これを機会に、橋のデザインへの関心が高まり、「水の都・広島市」に相応しい橋が次々とできることを期待したい。

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2009年3月15日 (日)

定額給付金と寄付

定額給付金が、すったもんだの末、衆議院の3分の2以上を占める自民党の再議決で決まった。
決まった翌日の3月5日には、もう支給を始めた自治体もある。
受け取った人たちの嬉しそうな声を、TVは報じていた。
総額2兆円に上る金額をあてこんで、12,000円で行ける海外旅行とか、12,000円で買える有名ブランド商品とかが売り出されている。

12,000円くれるといえば、そりゃ誰だって欲しい。
しかし国として、もう少し気の利いた使い方はなかったの?という思いは残る。

そう思う人は、この際受け取ったら、即広島市に寄付するというのはどうだろう。

確かに、広島市の議員の中には嫌な人もいるし、もっとちゃんと仕事しろよいいたくなる職員もいる。
しかし広島市のやっていることは、総じて立派なことをしている。
平和のための活動や、福祉の活動を進めるためには、もっと資金があれば、もっと色々な事が出来るという思いはあるようだ。
広島市は、そのために市民に寄付も呼びかけ、HPで寄付の案内もしている。
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1211348645240/index.html

政府のいうように、消費拡大のためにどんどん使っちゃうというのも一つの手だが、広島市に寄付するというのも有りだろう。

今回の定額給付金は、平均して一人当たり16,000円になるという。
16,000円を1万人の人が寄付したとすれば、1.6億円になる。
これだけあれば、そこそこのことができる。

定額給付金そのものは、課税対象にはならないようだが、その金額を広島市に寄付すれば、別途税の控除が受けられるはずだ。
例えば夫婦と子供2人の4人家族で、12,000円×2人+20,000円×2人=64,000円受け取り、それを広島市に寄付した場合、64,000円から5,000円を引いた59,000円が控除されるようだ。

この辺の仕組みついて、詳しい人がいれば、教えて欲しい。

それにしても、広島市はこの際こうした寄付の仕組みをもっと宣伝したらいい。

寄付は、なにも、ゼネコンから政治家への寄付や、新球場を作るため寄付が寄付ではない。
市民一人一人の気持ちを表現するために、寄付という仕組みがあるのだ。
寄付についての認識を改め、「寄付の文化」を日本に根付かせる必要があるようだ。
そのためにも、今回はいいチャンスだ。

定額給付金の支給コーナーの脇に、寄付の受付の窓口を設けたらいい。

私も、この際、定額給付金は受け取り、広島市に寄付しようと思っている。

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2009年3月14日 (土)

紛争の時代

英国のミリバンド外相がイラク戦争について、「テロとの戦争という概念は誤りだった」と発言したという。

それに対して、国際フォーラム理事長の伊藤憲一氏が興味深い文章を書いている。
『1945年以前は「戦争の時代」、以降を「紛争の時代」と定義している。
21世紀は国家間の戦争がおこる脅威ではなく、核が拡散し、テロの手中に落ちる脅威だ。とし、そうしたテロに対して、人類全体の脅威として対応する必要がある。
ブッシュ大統領は「これはテロではない。戦争だ」といったことから、おかしくなってしまった』
のだという。

面白い指摘だ。

これだけ「経済がグローバル化し、インターネットで全ての人が均等に情報を取得できるようになると、かってのように国民全員が同じ方向を向いて、戦争に突き進むなんて、とてもありえない」
ということは、誰でもが感じることだろう。

そりゃ、中にはいろんな考え方の人がいる。
そうした一部の人たちが急進的に突き進むということはあるだろう。
しかしだからといって、国民全員を同じ方向を向かせるということは、殆ど不可能なことだろう。
つまり国と国との戦争の時代ではなくなり、「紛争の時代になった」という捉え方のほうが現実に適った解釈だといえないだろうか。

すぐそこで、「そんな時代にあって、日本は何ができるかということが問われている」という。
しかし、日本はたいしたことができそうにない。
逆に、たいしたことができなくていいのだろうと思う。
なにも無理することはない。
無理するから、話が拗れる。

よくいうじゃないか。
「頑張れ、といわないほうがいいですよ」と
??

私の女房は「努力という言葉大嫌いだ」という。
それはちょっと違うように思うけどなー・・・

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2009年3月13日 (金)

地震

先日、久しぶりに今アメリカに住んでいる友人とあった。
その友人が嘆いていた。
彼はアメリカ人女性と結婚しているが、夫人は「日本は地震が多い。地震で死ぬかもしれないから、日本に住むのは嫌だ」という。
彼も仕方なく、アメリカに住んでいるのだといっていた。

いずこの男も「俺は、亭主関白だ」とかいいながら、結局は女房のいいなりだ。

彼女は、日本に来た時、地震にあい、何が何だか訳も分からず、ひどくびっくりしたという。
その後、彼女なりに日本の地震について色々調べたが、なかなか納得のいく返事をもらえなかったという。
そんな時、ある日本人が「日本に地震があるからといって、逃げ出すわけにはいかない。だから自分は日本に住んでいるのだ」という答えを聞き、彼女は「それなら私たちは、地震の少ないアメリカに住めばいい。それは旦那にとっても、子供たちにとって1番いいことだ」ということになったのだという。

確かに、数年前には阪神・淡路大震災があり、倒れた家屋の下敷きになって死んだだけでなく、その後に起こった火災で沢山の人が亡くなった。
死者:6,433名、被害総額 : 10兆円規模 だったという。
そんな、とんでもなく大きな地震もあった。

それを契機に、これまでにも増して、防災の研究が急速に進められるようになり、関西大学では社会安全学部を設けた。
今までだって、地震に強い構造の建物を作るにはどうしたらいいのかという耐震構造の研究についも、日本は世界の最先端をいっている。
地震に強く、火災にも強いという、木造モルタル造りの住宅という日本独自の構法も創り出した。
超高層の建物をつくるにあたっても、個々の建物の耐震性について極めて精緻な研究に裏付けられて建設されている。

ところで、そうした研究は進められたが、日本では、いったい地震で死んだ人はどれだけいるのということについて調べてみると、
まず、日本でマグニチュード5.5以上の地震の頻度は国土面積当たり1.14回だという、
世界的に見ても4~7位だというから、確かに地震が多い。
しかし被災死亡者数についてみれば、1980年から2000年までの20年間に亡くなった人の数は、年平均では281.3人となっている。
世界第7位である。
多いと言えば、多い。

しかし世界各国の死亡理由の内訳を見てみると、状況は大分違ってくる。

日本の平成17年度の全死亡者数は108万人である。
     内訳は、自殺   3万人
       交通事故  0.9万人
         老衰   2.6万人
         病気  98.4万人
        その他   2.9万人
とある。
つまり9割以上の人は病気or老衰で亡くなっているのだ。

地震による死亡者281人は、年間死亡者数108万人に対して、0.02%である。
つまり地震が原因で死んでいる人のその割合は、ほとんど誤差といえるほどに少ない。

ちなみにアメリカの交通事故者数は4.3万人である。
人口は、日本が1.3億人、アメリカは2.9億人であることを考慮しても、交通事故にあう確率はアメリカの方が倍以上高い。
殺人事件による他殺者数は、日本は2007年では517人であるのに対し、銃社会アメリカでは1.8万人だという。
アメリカの方が30倍も多い。
銃の保持が許されているアメリカでは銃の乱射事件が時々あり、それに巻き込まれて何の関係もない人が殺されたりしているのだ。

日本は地震が多いから住みたくないというのは、「死ぬかもしれないという危険性の確率」からいえば、まったくおかしな根拠だということになる。

日本では1981年に耐震構造の基準が大きく改正され、それ以前に建てられた建物はかなり危ないようだ。
私の住むマンションが建てられたのは、それより大分以前だから、かなり危ないということになる。
それでも、そんなことはまず起こらないだろうと思っているし、そんときは仕方ないなと思っている。
地震の恐怖に対してはかなりいい加減だ。
昔アメリカに住んでいた頃は、「自動車事故にあって死ぬかもしれない。いかがわしい所に行った時などは殺人事件に巻き込まれるかもしれない」という恐怖感は常にあった。
しかしアメリカ人は、そうしたことに対してはどうもあまり恐怖感は感じていないようだった。
生まれ育った環境が違うと、感じ方が大分違うようだ。

最初の問題に戻って、私から言わせれば、「地震で死ぬ確率より、自動車事故や殺人事件で死ぬ確率の方がはるかに高いのだから、日本で住んでた方がはるかに安全ですよ」ということになる。

それにしても、どうも人間は物事を判断するとき、極めて情緒的に判断してしまう傾向があるようだ。
それも極めてミクロな視点からの数字や感覚に基づいて、決めつけてしまう傾向があるようだ。
何かを決める時にあたっては、もっと客観的に、マクロ的視点から、定量的なデータに基づいて、判断する必要があるのではないだろうか。

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2009年3月12日 (木)

ダイエー跡地

本通りのアンデルセンの角を南に曲がったところのダイエーの跡地の計画がようやく決まった。
敷地は約600坪とかなり広い。

1Fは食品スーパー、1部に駐輪場60台分を設け、2Fから上は自走式の駐車場325台にするという。
地元の商店街としては、もっとも望ましい計画になった。
土地を所有しているのは不動産会社の幸楽。
すでに中区内で3カ所の駐車場を経営しているという。
そうした経験から、駐車場経営はビジネスになると判断したからだろう。
工事は今年の夏着工、来年春竣工だという。

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車1台に平均3人乗ってきたとすると、325台×3人=975人人
1日平均2回転したとすれば1,750人になる。
自転車も3回転とすれば、180人だ。
合計すれば1,930人になる。
鉄道の駅の同様の数え方をすれば、乗り降りということで約4千人の乗降客のある駅ができたことになる。

駅前商店街とよくいわれるが、交通の拠点性が高まることは、商店街成立には必須の条件だ。
これだけ大きな駐車場ができるということは、本通り、うらぶくろの中心市街地にとって、力強い味方ができるということでもある。

昔のショッピングセンターは、ショッピングゾーンの周りに駐車場があるという計画だったが、最近のアメリカのショッピングセンターは、店舗群の真ん中に駐車場を設ける方式に変わった。
この駐車場はショッピングゾーンと駐車場の関係でみれば、本通り、うらぶくろの商店街の真ん中に駐車場が作られるということでは、最先端の方式に則っているということになる。

今回の経済危機で、市内の駐車場利用率は2割近く減っているというが、土休日には行列ができている。
中心市街地に来ようとする潜在利用客はまだまだいるということだ。

これを契機に、中心市街地の魅力がどんどん高まることを期待したい。

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2009年3月11日 (水)

嬉しい再会

 いつもは自転車で行く病院だがあいにくの雨の為、つばめタクシーに乗った。
 財布を忘れているのに気づいた。出かける前に財布を出すことがあって、そのままポケットに収めたと勘違いしていた。どこに置いたか思い出した。ボケではない!

 下車寸前に気がつき運転手さんに事情を話すと「お久しぶりです、やっぱり典明さんでしたか」という声だ。顔を見ても誰か思い出せない。長年お世話になった近鉄タクシーに居られた人なら大概は判るが…。思い出せない、これこそボケ?たかと思っていたら「○○選挙を一緒にお手伝いした○○です」の声が返ってきた。

 それでも判らず、首をひねっていると「河口さんとコンビで車を走らせました」と言って帽子をとった顔は見覚えのある人だ。互いに名乗ったことは無かったが間違いなく見覚えのある顔だった。
 手にしている杖が目に留まったのか「お体の調子はいかがですか」と声をかけてくれ、私の病気もご存じの様子だ。
 それほど大げさなことではないが“地獄に仏”の気分だ。改めて名刺を出すと「近くを通る時伺いますから…」と気持ちよく約千円の運賃を貸して頂いた。
 
 帰宅後、会社に電話すると「報告を受けています。ご都合のいいような方法で…」と、これまた実に小気味よい返事だった。自宅まで来ていただいてお返ししたが、たまたまの知り合いとは言え気持ちのいい対応は、にわか仕込みでは出来ない。会社も彼も日ごろからサービス業のプロとしての心掛けがスムーズに出たに違いない。

 同じ日に体調が悪い娘と一緒にそごう横のタクシー乗り場から上幟まで乗った家内が「近い所は歩け…」とばかりの捨て台詞の個人タクシーに出くわした。広島の個人タクシーは以前から概ね評判が悪い。それにしても同じ日の体験がこんなにも差があるとは…。

 脇道に逸れるが、なんでも規制緩和を掛け声にいち早くタクシー業界に自由化を持ち込んだ小泉改革はいまや乗務員の労働条件と収入を下げ、行き場のない高齢者の職場になりつつあると言われ、地域によっては規制の復活が検討されている厳しい環境の業界だ…。

 ひと様々とは言えタクシーの公共性を考えると単なる交通手段だけでなくその街の印象を決めかねない大事な顔や看板でもある。国内外からの客が多い広島のタクシーにこのような対応が出来る人と会社が在ったことは嬉しい限りだ。
 小さいけれどとても気持ちのいい気分の日だった。

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2009年3月10日 (火)

佐高信の辛口トーク

 中国新聞の政経講演会に辛口のコメントで鳴らす経済評論家の佐高信(64)さんが久々に登場した。会場は立ち見に補助椅子が出る満員の盛況で、終始鋭い舌鋒に独特のユーモアをまぶした語り口は笑いを誘いながら聴衆を酔わせた。

 講演は「いま、日本を読む」。米国に追随する小泉以来の日本の政治姿勢を厳しく批判して、次期総選挙は「小泉改革で捨てられた地方の保守票がどう動くかが焦点!!」と国民がどう答えを出すかが注目される…との見方をしめした。

 常々「私の社会を見る視点は人間が人間を支配することへの怒りです。人間を精神的に奴隷のように使うことへの腹立ちです」という硬骨漢の佐高さんは小泉元総理とは同じ大学の同級生。彼とはたまに食事を一緒にするなどの付き合いがあったが、入口と出口がくっついた奥行きのない実に薄っぺらな人間だと手厳しい。

 外交とは米国と付き合う一方で中国とも仲良くすることで米国を牽制するものだが、米国と一方的に付き合う。靖国神社の参拝に拘って日中関係を最悪にして米国に目を向けた“一次方程式”は解けても、米国と中国を見た“二次方程式”は解けない。

 日本の経済は小泉の元で竹中平蔵大臣が「会社を強くせれば経済は大きくなる」という考で製造業まで派遣労働を認めた。経済は購買力がアップしないと大きくならない。しかし、賃金を抑え購買力が上がらないので会社も儲からない…。
 資本主義はフェアーな競争が前提であるが大人と子供を同時スタートさせたのでは競争にならない。競争の前提に規制があるが小泉・竹中の改革は「規制をすべて取っ払う」と信号機を壊して、ジャングル状態の自由を作ってしまった。
 郵政民営化では過疎に拍車をかけ「地方の保守票はいらない」と受け止められる施策を進めた。公共には赤字黒字で測れない規制があるが小泉・竹中はこれをみな壊した。 
経済競争に拍車をかけ、本来は格差を縮め弱者を守るべき公共や政治が全く無かった。

 国民の多くが支持してしまうとマスコミは少数派の意見は取り上げ亡くなり、私たち批判派はテレビ出演が無くなってしまう。辛うじて週刊誌が取り上げるが大手新聞は全く無視するようになる…とマスコミに対する批判も厳しい。

 佐高さんが「いま、読む日本」は次の総選挙で「小泉が切った地方の保守票」がどんな結論を出すか…が最大の焦点…と見据えた。保守王国・柳井の市長と県議補選の結果は“佐高の読み(予言)”が的中した形だ…“予言”の注目度がアップした。

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2009年3月 9日 (月)

春の息吹

 東京では今日雪が降ったようだ。広島は小雨模様でこのところ愚図ついた空模様続きだ。
 三月の声を聞き、奈良のお水取りが終わると急速に春の足音が高まる…。毎日平和公園を散歩しながら眺める景色が徐々に変化しているのに気づく。
 風にはやわらかな~花か木の芽が発するのか~春の香りを感じる日もある。

 白梅が散り、やや遅れて咲く紅梅が満開を過ぎたと見ていたら本格的な春の訪れを告げるシダレ柳に薄い芽が出始め枝全体が薄黄緑色を示し始めた。
 毎年、木々や草木を眺めてきた掃除のおばさん達の話では例年より一週間前後早いようだ。

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 そう言えばヨモギもタンポポも青い葉を広げしっかりと根を張っているのが目につく。
 桜並木に目を向けると先週までは見えなかった枝先の硬かった芽が今日はすっかり丸味を見せ始めた。小枝にメジロに似た小鳥が桜の蕾?をつついている姿を見かけた。

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 秋に5~6ペアだった元安川の小鴨達はいつの間にか徐々に寄り集まって14~5ペアに膨らんで川辺の浅瀬や岩場で海藻や虫を啄んで一周り大きくなったように見受けられる。
 ここ数日は渡の準備だろうか、しきりに水面に叩きつけるような羽ばたきを繰り返している姿を見かける。北か南か判らないが鴨たちが旅立つ日は遠くないのだろう…。

 平和公園の木々の半分は楠など常緑樹で半分は落葉樹。まだほとんどは眠っているように見える落葉樹もよく見ると枝先や節目等の芽に膨らみを見つけられる。
 それでもお彼岸前までは暑さ寒さを繰り返しながらじょじょに春がやってくる…。
 毎日、春の息吹を肌身に感じ、味わえる日々を大切にしたい…!!

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2009年3月 8日 (日)

映画と巨大ビジネスとフェアートレード

 「シネマ・クラブひろしま」の2月定例上映会でドキュメンタリー映画「おいしいコーヒーの真実」を見た後、広島フィールドミュージアムの金井塚 務(58)代表の『巨大農業ビジネッスとフェアートレード』の講演を聞いた。

 昨年4月にシネ・クラブを立ち上げ5回のワンコイン上映会と4回の定例上映会に取り組んだ。今回の映画「おいしい…」については試写会後の1月5日のこの欄に書いた。

 世界のコーヒーの大部分をたった4つの多国籍企業で年間800億ドル以上の利益を独占し、原産地で生産者が手にできるのは先進国で楽しむコーヒー代金の1~3%だけ。
 今や投機の対象にもなって、生産農家が悲惨な貧しさから解放される目途はない。
 これをフェアーな取引で生産農家を救おうと奔走する男の活動を通して「コーヒーが貴方の口に入るまでの真相」を世界的な視点で追ったドキュメンタリーだ。

 金井塚さんはシネ・クラブの役員も引き受けているが元々は日本モンキーセンターの研究者で動物生態学が専門で著書も多く、ラジオやテレビの解説のほか大学や小中高校での指導をはじめ幅広い自然保護活動に取り組んでいる。廿日市市の細見谷渓畔林に計画されている林道建設は“生物の多様性を誇る広島の宝を壊してはいけない”と県を相手に住民訴訟を進め、成果を残しつつある。

 この日のテーマはコーヒーを含む世界の巨大な農業ビジネスの裏?
金井塚さんは先ず自分の専門分野の“生態学から見た自然保護”を「一部の人間が人類共有の資源を搾取する…これを解放する事」と位置付け、豊かな暮らしのつけとしてエネルギーの消費が農漁業生産をも通じて地球温暖化を招いた…。
 WTOが自由貿易を目指しても少数の巨大な多国籍企業が国を越えてコーヒーも穀物も支配する。支配のカギは農民が育んだ“種子の遺伝子特許”を資本力で独占して、農民も種子を購入しないと生産が出来ない構造が創られつつある現実を見逃せないと指摘する。

 インドの学者バンダナ・シンの「食糧テロリズム」が紹介された。米国資本が穀物の大量生産をして産地国に輸出して値崩れを作り、世界的な収奪・奴隷化が進んでいる。農産物生産から加工や農機具・肥料生産までのアグリビジネス化が零細農家を押しつぶす現象はコーヒーをはじめ様々な農業分野で世界化していると指摘。
 農業生産を守るため闘うNGOがWTOに対抗しているが世界のマスコミはあまり目を向けず、知られていない…。

 豊かな暮らしを守るため、どうすれば一次産業が成り立つか…?
 例えば豊かな海を守るには干潟や浅瀬の藻場を埋め立てず山や森の生産物が川を通じて流れ込む循環を断ち切らない…ことが大切だ。
 同じように映画を通じてコーヒーの裏の真実を知ることが日々の暮らしの中にある多くのアンフェアーを考えるきっかけになることが見えてくる。

 大上段に構えなくても身近に楽しくできることから“自然保護”を追求することがフェアートレードを生むことに繋がる…。

 80分の映画を見たあとの講演は途中退場する人もなく、見たばかりの映画を教科書に金井塚さんの話術と身近な事例も引き合いに聞き入った。
 映画が生きた教材?になった実感は今後の映画上映に大いに活かしたい。

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<問い合わせ・ブログ・メール>
: http://blog.goo.ne.jp/yamanoasioto/e/8dc232442fld7ce9bbt74c5c6a13d8cf
http://www8.ocn.ne.jp/~miyajima/kanaizuka.htm
  http://hosomidani.no-blog.jp
  広島フィールドミュージアム 金井塚 携帯:090-4695-7886
E –mail: primates@proof.ocn.ne.jp

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2009年3月 7日 (土)

ブルガリアの思いで

 『よみがえる 黄金文明展~ブルガリアに眠る古代トラキア秘宝展~』を見て29年前のブルガリア訪問を思い出した。
 
 1980年5月、5大陸を2台のトヨタ車で駆け廻り歴史や文化と市民生活を伝えるTBSの朝の人気番組『キャラバンⅡ(JNN28局Net)』の取材で1ケ月余の取材に出かけ、ブルガリア全土を走りまわった。

 当時のブルガリアはまだ社会主義国だった。東歐7ケ国の中でも石油エネルギーに電力など産業やライフラインも全てをロシアに依存するロシアの優等生だった。基本的にはどこに行っても大きなパンとヨーグルトにワイン、シシケバップ(日本流にはシシカバブー)と言う羊の焼き肉が出る農業国で、人懐っこい国民性は小話や謎なぞに落語?が大好きだった。
 『ソフィアのどこが好き…』『とんがり屋根の(共産党)建物よ!…』『共産党が見えないから…ハハハ!!』と言い放って陽気な一面を見せていた。

 日本とブルガリアの交流は以外に古く1939年に相互に公使館を設けた。’44年の共産政権の樹立で国交は中断したが’59年には再開し友好交流は意外にも盛んだった。第二次大戦中も敵対関係はなくODAの援助も米国に次ぐ大きい実績がある。  
 ソフィアには日本のODA支援で黒川紀章設計のホテル・ビトシャが建設され、東京のホテル・オークラとブルガリア政府が共同経営して、日本食も出来たのは驚きだった。

 取材に出かける前に面白いネタを仕入れた。戦前の駐在公使が持ち込んだ淡谷のり子さんの“雨のブルース”が人気となって日本人女性の名前を冠した“なみこ”というタイトルで大流行した…。
 同行したレポーターの岸ユキに行く先々でギター片手にブルガリア語で“なみこ”の流しをした。集まるは集まる、どこでの街角や公園でも当時4~60代、それ以上の人達の大合唱の輪が生まれた。「日本のテレビ?」と行く先々で歓迎された。帰国後はTBSのスタジオに淡谷さんを迎えて特集を組み高視聴率を獲得した記憶が蘇えった。

 取材はソフィアの観光紹介やソフィア大学での日本語講座、伝統的な家庭のヨーグルト作り、ドナウ川のフナ遊び、結婚式に民族的なおもてなしに「なみこ」は雨のブルースなど10本を毎朝15分前後、2週間にわたって放送し大きな反響を得た。

 取材先の小学校で木下蓮三さんの原爆アニメ「ピカドン」を上映したところ、人が溶ける場面で悲鳴を上げた女性の校長が上映ストップをかけた。誇張した表現ではあるがこれに近い事実があった…ことを説明すると『被爆者と広島市民にお詫びする』と、改めて再上映し、子供たちも涙を流しながら被爆写真をみて平和学習をした事は忘れ難い思い出だ。

 黄金文明展の日本開催が決まった頃にあったセンドフ駐日ブルガリア大使は広島開催を大変喜んでおられた。民主化の闘志で数学者だった大使は同じ数学者の秋葉市長の名前は早くから知っておられ広島との交流に期待を寄せ、来広の機会に面談して、核兵器の廃絶をはじめとする世界平和の実現に強い関心を示していた。
 昨年、EUに正式加盟したブルガリアは今後の民主化促進と経済対策が最大の課題だ。
原爆展の開催や核廃絶運動にも協力的で世界市長会議への参加都市増加は当面の課題だ。
 
 放送局に在籍中、20回を超える海外取材に出かけたが、退職後に出かけてみたい筆頭はブルガリアだった。体調を崩し今のところ長旅や海外旅行は難しいが、可能になれば何としても出かけてみたい最初の国だ。旅立ちを目標に元気を取り戻す為の散歩を頑張ろう…。

 <キャラバンⅡ ブルガリア編>~1980年~(10本)はDVD化して保存している。
 興味のある方はご一報ください。お貸しします。 E –mail: sasakitenmei@joy.ocn.ne.jp

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2009年3月 6日 (金)

ブルガリア黄金文明展

 県立美術館で開催中の「よみがえる 黄金文化展 ~ブルガリアに眠る古代トラキアの秘宝~」<2月21日~3月31日(火)>を見た。
 ブルガリアのバラの谷で'04年に発見されたエジプトのツタンカーメンと並ぶ21世紀の大発見と言われる『トラキア王の黄金のマスク』は異彩を放っていた。
 ウイークデーの午前中で外は雨と言うのに会場は数百人の鑑賞者があって、結構にぎわっていたのには驚いた。

 東欧と言えば嘗てはロシアの社会主義衛星国で、中でもブルガリアは優等国だった。
 ブルガリアと言えばヨーグルト、最近では大相撲の琴欧州の祖国として知られるくらい。
 だが日本との関係は意外に古く、二次大戦中の1939年から双方に在外公館を置いて友好的な交流があった。’44年の共産政権樹立で一時中断したが、’59年には回復し、今年は国交回復50周年にあたり、記念イベントとして日本初公開の秘宝がやってきた。

 展示品はBC5~3世紀の今のブルガリアを中心に活躍したトラキア人の古代ギリシャやペルシャの影響を受けた豊かで独特の文化遺産で、ブルガリア国立博物館の秘宝170点。
 2004年に世界遺産の“バラの谷”で発掘された『トラキア王の黄金のマスク』(BC5世紀後半)は金672gもある重厚なマスクで世界にも類のない王の副葬品。
 ’05年に発掘された『黄金の花冠』(BC4世紀中頃)とセットの展示室は世界の香水原料の80%を賄うブルガリア・バラの香りに包まれて往時をしのばせる工夫が施されて、鑑賞者の足をくぎ付けにしている。
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<トラキア王の黄金のマスク=会場展示TV映像>

 トラキアはヨーロッパとアジアが交わる“文明の十字路”といわれる古代文明遺産の宝庫だが発掘はまだ一割程度だ。日本の東海大学の故松前元総長の肝いりで30年前から「トラキアの起源を探る」調査研究が継続されており、今後の大発見に期待が寄せられているようだ。

 私は古代史音痴ではあるが、武器・武具や装飾品に彫像や陶器など生活用品も高度で緻密な技術がブルガリアの地でトラキア古代文明として花開き、エジプトやギリシャに引けを取らない世界最古の文明を育んだことを十分に伝える見ごたえのある展示会だ。
 会期は3月31日(日)まで、広島県立美術館。是非、ご覧になるようお勧めしたい。
期間中、講演や解説、ギャラリートーク等の企画も用意されている。
 http://www1.hpam-unet.ocn.ne.jp/

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2009年3月 4日 (水)

日教組・過剰警備?その附けの行き先?

 日教組の教育研究全国集会が広島の平和公園内にある国際会議場などで、全国から3500人の教師が参加して開かれた。日教組と言えば右翼が付き物で、開催前から街宣カーが大音響で市内を走り回り、期間中の物々しい警備は果たしてあれでよいの…?疑問が残った。

 昨年この集会は東京で開催される予定の会場のホテルが直前になって使用拒否したため中止になり、目下裁判中と言う経緯がある。広島での開催は27年ぶり。県立体育館を中心に開かれ取材に走り回ったが、当時も右翼の妨害行為が目立った。

 集会の自由を保障した憲法を持つわが国でそれがままならないと言う事があってはならない。従って、広島市は会場使用を許可して当然だ。そこを、右翼は「許可した秋葉市長がけしからん」と連日街宣カーを走らせ市役所を騒音で取り囲んだ。

 警察はメンツにかけても開催を妨害させない体制をつくる。
 警備の警官に聞くと全国から100台を超える右翼街宣車が集まっている…と言う。
 これを取り締まる警備は県内全署に加えて九州中四国各県警から大会参加者を凌ぐ?応援が駆けつけている。NHK前の平和大通りを遮断し平和大橋東詰め、西平和大橋、相生橋にR2号の明治橋、中島橋などことごとく封鎖して平和公園に妨害車両は一台も侵入させない厳重さだ。平和公園内は100m置きに数人の制服警官が配置され、団体バス用の駐車場は警察車両の占拠状態でこれまでに見たことが無い大規模な警備体制だ。
 法治国家として、当然と言えば当然なこと。

 平和公園以外には我が家のある小町や孫達のいる国泰寺町は市役所に近い為か街角ごとに機動隊員が複数でいざと言う時の車止めを用意して張り番をしていた。
 市議会傍聴者の金属チェック?はいかがなものか…首を傾げてしまった。

 自転車や歩行者はノーチェックで通行は可能で、いつも通りの散歩は出来て不自由はなかった。しかし、事情を知らない一般市民や観光に来た人達?は物々しい警備に首をかしげ…平和公園に行ってもいいのか…確認する姿を多く見かけた。
 空にはヘリコプターが舞い続け、電車通りを走る右翼の街宣音をかき消すくらいの爆音をまき散らす警備は市民には過剰?と映る…のではなかろうか。私には過剰警備に見えた。

 一方、嘗ては80%を超え日教組の組織率は年々下がり今や28%30万人割れとなり国民からの支持は決して高くない。こうした背景には中山前国土交通大臣や橋下大阪府知事等のように日教組を目の敵にする政治家や学者に経済人などの意図的発言やリードの影響は少なくない。

 が、しかし日教組のみならず体制に批判的団体や組織に加えられる圧力は様々で、過剰な警備も結果的には逆に“日教組が悪い…”と言う批判になって日教組に跳ね返り、支持率や組織率の低下に繋がる可能性を高めている…。

 従って、厳重警備は当然としながらも経費的に考えても効果的にして最小限であるべきではならないだろう。警備当局が意図的に実施することがあってはならないし許されない。

 誰でもどこででも集会の自由が保障され、それを妨害するものが排除されることは当然としながらも、市民の反発を招かない過剰?でない警備を期待してしまう。
 警備のあり方はもう少しフレキシブルであってもよいのではなかろうか…。
 物々しい警備が何を生むか、改めて考える必要があるように思うと同時に、私の思いが杞憂(きゆう)である事をねがうばかりだ。

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2009年3月 3日 (火)

専門書の処分とネットオークション

私の所有する書籍は、あっちこっちに置いてあるのを合わせれば1万冊を越えるだろうと思う。
実家にいたころ購入した本は、そのまんま実家に置きっぱなしになっている。
それ以降に買った本は、3階の屋根裏部屋に置いたために、梁が下がってしまい、2階の部屋のドアが開かなくなってしまった。
私にとっては、研究のために必要な本であり、面白そうだからと購入した本であり、その時々の思い入れのある大切な本である。

しかし家族にとっては、どうも迷惑な物、邪魔な物でしかないようだ。
私が死んだら、即処分されてしまいそうだ。
今でも妻には、「邪魔です。捨ててください」といわれている。
確かに2度繰り返して読む本は殆どないから、捨てても実質的には差し支えないともいえる。
しかしとても捨てる気にはならない。

M氏も膨大な資料、書籍を持っているようだが、彼のところの書籍も同じ運命を辿りそうだ。
彼も「もったいないですよねー」という。
同様の悩みをもつ人は多いのではないだろうか。

日本では今大学卒程度の高学歴を持つ人は40%を越えている。
その人たちも、いずれ亡くなる。
そうした人たちの所有する書籍等の資料を累計すれば、それは膨大に量になるはずだ。

そうなったとき、それら資料は残された家族にとってはゴミでしかないだろうが、同じ分野の研究をする人、同じ分野に関心を持つ人にとっては、貴重なものであるはずだ。
捨てるには勿体ない。

しかしだからといって神田の古書店で扱ってくれるほど、商品価値がある資料は少ないだろう。
BOOK OFFでは極めて安い価格になってしまうだけでなく、あまり売れないのだろう。
逆に置いておくだけ、ビジネスの妨げになってしまうだろうと思う
そもそもBOOK OFFには専門書の類は殆どみかけない。

それなら「ネットで販売したらいい」と、アキハバラ塾の河口氏はいう。

しかしM氏は、「書籍を整理して、ネットに載せたり、注文に応じて、梱包したり、送ったりするなんて、そんな面倒な作業は厭だ」という。

そんなことをいっていたら、友人の女性が「それなら私がやってもいい。私はそうしたことは大好きだ」という。
世の中いろんな人がいるもんだ。

河口氏は、「ネットに載せるための作業から、梱包、発送、料金の回収まで全て作業を含めて、売れたら売値の15%を手数料としてもらえば、ビジネスとして十分やっていけます」という。

よし、その時はアキハバラ塾の河口氏に頼もう。

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2009年3月 2日 (月)

茶房つるやと抹茶

先日、袋町通りにある甘味処「茶房つるや」に行った。
こんな類のお店に入ったのは、初めてだ。
「妻が行きたい」というので、「たまには、いいか」という思いで、出かけた。

「あまみどころ」と読むか「かんみどころ」で読むかで、揉めた。
お互いに、KYになりたくないから、結構むきなっていいあった。
ネットで調べてみると、どっちでもいいようだ。

いままで甘味処というだけで、男の行くところではないという妙な思い込みがあった。
特に男一人では行きにくい類のお店ではある。

抹茶に、和風の生菓子が付いてくる。
850円とちょっと高いが、これが意外と美味い。
お店も手前がお菓子の売り場になっていて、奥が喫茶スペースになっている。
腰壁が濃い茶の板張り、上半分は白い塗り壁のような仕上げになっている。
お店の雰囲気もなかなかシャレている。

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緑茶は、今ではあまりに日常化し、お茶は無料という感じになってしまっているが、抹茶となると、ちょっと改まった雰囲気になるのがいい。
抹茶は茶葉を粉にして飲むため、葉に含まれる栄養素をそのまま摂取することができるのだから、健康的にもいいような気がする。
お茶はそもそも日本に伝わった時は薬として珍重されていたのだ。
茶道でも濃茶、薄茶という抹茶の飲み方あるが、それをここではそんなに堅苦しくなく、抹茶を飲むことを楽しめるのがいい。

私はいままで友人と待ち合わせをしたり、時間つぶしの時は、いつもカフェでコーヒーだった。
自宅でも、会社でもコーヒーを飲むから、1日に平均して3~4杯飲んでいる。
コーヒーは全く生活の一部になっている。

それを「抹茶とお菓子を楽しむ」にする?
いいんじゃないの!

「甘味処、これは女性が創った日本発のカフェ文化」だといえる。

これを女性に独占させておくのは勿体ない。
しかし男が甘味処に一人で入るにはちょっと気が引ける?

変なおじさんが入ってきたと胡散臭い眼で見られたら嫌だ。
まずは友人を誘って行くか。

サンマルクやドトールのように安くて、男が一人でも気軽に入れるような抹茶のお店ができたら、もっとお客は増えるかもしれない?

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2009年3月 1日 (日)

対馬海峡新幹線計画とグリーン・ニューディール

世界各国で、いま新幹線の価値が見直されている。
費用対効果という経済学の原則にも適っているということもあるが、地球環境的に見ても、新幹線方がはるかにいいということが主たる理由のようだ。
新幹線も、CO2排出量が飛行機の○分の1だと、一生懸命に宣伝している。
本当にそうなのともいいたくなるが、飛行機は、あんなでかい物を空に持ち上げて、飛ばすのだ。
まあそうだろうなと思うのが、普通の感覚だろう。
ガソリンだって凄い量を使うだろうことは容易に想像できる。
ガソリンが有限な資源であることも問題だ。

こんな狭い日本の国内を旅するには、どうも新幹線の方が理に適っているように思う。
韓国に行くのだって、韓国との間に新幹線が走っていれば、新幹線で移動すればいい。

東京に住む人にとって、韓国は遠い外国だが、福岡に住む人たちにとって、韓国は極めて近い国だ。
博多と釜山の間は直線距離で約140KM。
広島・岡山間より近い。
現在は博多・釜山間をJR九州高速船株式会社の船ビートルが1日3~4往復、3時間で結んでいる。
利用者は年間300万人を超えるという。

この間を新幹線で結べば、陸続きになったようなもんだ。
人、物がどんどん流れだす。
そうなれば、膨大な経済効果も期待できる。

経済的なつながりができ、人の交流が増えれば、自ずと日韓関係も大きく変わるだろうとも期待される。

福岡と釜山を結ぶ鉄道の計画は、どうも戦前からあったようだ。
韓国が独立し、日本との関係がおかしくなってから、そんな議論は全くされなくなったようだが、ネットで検索するとそのころの資料が出てくる。

1

日本と韓国の間には対馬と壱岐の二つの島がある。
福岡・釜山間の海の部分は、福岡から壱岐までの25KM,壱岐から対馬まで50KM、対馬から釜山まで50KMだという。
青函トンネルは53.85KMある。
青函トンネルを2つ半つくればいいというわけだ。
JR東海が計画しているリニア新幹線は東京・名古屋間の殆どをトンネルにするという。
それに比べたらはるかに短いし、海底にトンネルを掘った実績もある。
技術的には充分可能だろう。

陸上部分を加えて、博多から釜山までの距離は島伝いにいっても、約200KM程度だ。
速度300KM/時の新幹線なら博多・釜山間は40分で結ばれることになる。

青函トンネルの総建設費は1.5兆円だったという。
その3倍かかるとしても、4.5兆円でできる。

世界同時不況の今、グリーン・ニューディールの政策としての格好のプロジェクトにもなるだろう。
この際、日韓共同で博多・釜山間新幹線計画立ち上げたらいい。

2兆円の定額給付金なんかより、はるかに経済波及効果もあるだろうし、意味もありそうだ。
ヨン様、韓流フアンも泣いて喜ぶ?

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