インターネットと地域への拘り
最近よく「グローカル」という言葉が使われる。
ウキペディアには『グローカル化(Glocalization)は、全世界を同時に巻き込んでいく流れである「世界普遍化(Globalization)」と、地域の特色や特性を考慮していく流れである「地域限定化(Localization)」の2つの言葉を組み合わせた混成語である。俗に言う、「地球規模で考えながら、自分の地域で活動する(Think globally, act localy)」とも関連する言葉』として説明されている。
IBM360が出てきたときには、みな驚いた。
このままコンピューターが進化すれば、いずれ世界はスーパーコンピューターで思い通りにコントロールすることが可能になるのではないかと皆思った。
そしてそれは同時にある一人の個人は、全体を構成する一部だという感覚を強くした。
その時代は、スーパーコンピューターを頂点とするヒエラルキーの時代であったといえる。
そんな時代にあっては、全体を構成する部品としての人間は個々に異なっていることが求められたようだ。
いかに個人が個性的であるかが尊重された時代でもあった。
いまそうした巨大な能力をもったスーパーコンピューターに代わり、一人一人が小さな携帯電話、パソコンを持つようになって、ネットワークをつくる時代になった。
つまりインターネットの世界だ。
それは、社会のあちこちに劇的な構造変化を起こしている。
東京の大企業に勤める友人が、広島に転勤してきて、面白いことをいっていた。
「東京にいる時は周りにいる会社の社員も多く、それぞれが専門の職種を担当し、やってくれていた。
なんとなく自分は会社の部品という感覚だった。
しかし広島にきたら、何でもかんでも自分でやらなくてはならなくなった。
そのほうがより人間らしくなったように感じる。
大変だけど、仕事も面白くなった。
自分は部品だという感覚もなくなった。」
といっていた。
広島という地に住むことで、人間はネットワークの一つになり、自分という全体を取り戻すことができたようだ。
インターネットの世界にあっては、いわば個人がイコール全体ともなるのだ。
個人は同じでもいいし、それぞれが異なっていてもいい。
好きなようにしたらいい。
それで充分やっていけるのだ。
逆に、そうであることを求められるといってもいい。
IBM360の時代にあっては、広島という地方はあくまで地方であり、ヒエラルキー社会の部分であり、ヒエラルキーのトップである東京は絶対的な力を持っていた。
それが東京の求心力となり、東京一極集中が起こったともいえる。
いまそのヒエラルキー社会はどんどんネットワーク=インターネット社会に飲み込まれていっている。
インターネット社会にあっては、中心がどこにあってもいいし、いくつあってもいい社会だ。
広島はあくまで広島でいい。
なにも東京を目指す必要はない。
インターネットは、広島という地域のあり方も劇的に変えてしまったようだ。
ネットワーク化したグローバルカンパニーは国境を軽々と越えていっている。
ビジネスの世界では、国という境界が消えつつある。
国境が消えてなくなるのと並行して、今度は地域、都市が意味をもってくるようだ。
インターネットは地域・都市=世界ということを可能にしたようだ。
インターネット社会では、人はトップ、中心を目指していくのでなく、逆に個人であることに拘り、地域に拘ることが、意外と新しい価値を創り出していくようだ。
つまり自分に拘る、広島市に拘ることが、これからの世界を変えるとすらいえるようだ。
なんとも不思議な時代になったもんだ。
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情報の社会では完全に個が主役になり、それぞれのコミュニティを形成しています。まだ政治や経済、エネルギーが旧態依然ですが、本当の地方分権が進み、石油燃料に頼らず、各家庭で太陽光や水素で発電するようになれば、面白い社会になりますね。私自身はその時まで生きているかどうか分かりませんが、子ども達には見せてやりたい世界です。
投稿: トベニ | 2009年2月23日 (月) 08時19分
トベニ様
いつも前向きなコメントをいただき、ありがとうございます。
「将来はきっと面白い社会になるだろう」と信じて、生きていきたいですね。
投稿: 元安川 | 2009年2月23日 (月) 10時03分