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2009年2月 1日 (日)

駅伝今昔

 心配された雨に見舞われることなく14回目の都道府県対抗「ひろしま男子駅伝」は長野県の連覇で幕を閉じた。沿線の25万人の駅伝フアンはふるさとの味と県人の集いなどで大いに楽しめたようで広島の正月明けのイベントとしてすっかり定着した。

 14回にもなると、この駅伝の前身が福山と広島間107キロ余りを結んで1931年(昭和6年)に発足、戦時中から終戦直後の4年間中止されたが’48年(昭和23年)に復活し日本3大駅伝として全国の力のある実業団が覇権を争った事等来歴を知る人は少なくなった。
 コースは山陽唯一陸の動脈国道2号線だったが片側一車線の旧国道が中心で本番前の練習中に有名選手の死亡事故が発生、レースに選手全員が喪章を付けて走ったことがあった。
 
 西條の駅伝コース沿いに生まれ育った私は物心がついた頃から毎年沿道でわくわくしながら声援を送った。当時は選手の傍を自転車で声を掛けながら一緒に走る伴走者がいた。 今のような軽量な自転車では無く伴走はおそらく選手以上に厳しい役割だったに違いない。
 建国記念日という年で一番寒い2月11日は雪が舞う日が多く、選手に遅れた伴走者が後から来るトラックにピックアップされる姿が脳裏に焼き付いている。

 RCCは’56年(昭和31年)からラジオで実況中継をはじめ‘81年(昭和61年)からはヘリコプターを中継基地に活かした日本初の方式を編み出したテレビの実況中継も行った。
 日本陸連は京都で行ってきた全国都道府県対抗女子駅伝が日本女子陸上界のレベルアップに成果を挙げていた為、男子でも同じ大会の開催を模索していた。’94年の広島アジア大会の成功を契機に道路事情が極端に悪くなっていた中国駅伝からのスイッチを画策し、’95年(平成7年)の62回大会を最後に「ひろしま男子駅伝」にバトンタッチされた。

 男子駅伝の特徴は47都道府県が参加し、チームの編成は中学生2人、高校生3人、一般実業団大学生2人で日本男子陸上競技の中・長距離選手の強化育成が大きな目標で、14回大会にして既にオリンピックや世界陸上の代表選手を生んできていることは頼もしい。
 第一回大会は最終区で広島が福岡を逆転して劇的な優勝を飾った。今年も大いに期待された中電の岡本選手が区間賞記録で5人抜きしたが12位に終わった。
 NHKがTVでRCCがラジオで全国中継し知名度は上がり広島に全国の県人会が結成されこの時期の催事として理想的に定着した。二つの駅伝に多少関わった者としては感慨深い。
 それにしても沿道の観衆がラジオからワンセグTVに大変化したのには驚いた。

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