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2009年2月

2009年2月28日 (土)

あなたも加害者になるウィルス感染

NHKのクローズアップ現代は「あなたのパソコンが乗っ取られる」というタイトルで、「新手のウィルス」として「ボット」の危険性を紹介していました。 ボットはあなたのパソコンを乗っ取る新手のウィルスです。

簡単に書くと、あなたのパソコンが知らない間に犯罪集団に乗っ取られ犯罪に使われているということです。防御しようにも、ウィルス対策ソフトもあまり役に立たず、感染に気がつかないまま、何もしていないあなたが被害者から損害賠償請求をされるかも知れない、という内容です。

既に数年前、私が家電量販店の店員から聞いた話では、店頭に並ぶWindowsパソコンの9割はボットやスパイウェアに感染していると言うことでした。当時に比べると、今はボットを利用するネットワークができており、ボットビジネスが展開され、愉快犯からビジネスとして定着しています。

京都大学はどうもWindowsがメインのようで、朝昼晩のウィルス駆除では間に合わず、いくらウィルス対策をしても、次から次へとボットに感染してしまうということでした。Macがメインの東京大学などでは無用である戦いを、Windowsを使う京都大学では強いられているわけです。毎日のように新種のボットが出るWindowsと違い、Mac用のボットは1年前に「初登場」と報じられましたが、その後も感染事例は聞きません。

このボットに感染しているユーザーの多くは感染に気づいていません。それに対抗してボット感染者を見つけて警告をしようと作られた団体が行っているのが、いわゆる「おとり」作戦です。

セキュリティ対策をしていないWindowsパソコンをネットに繋ぐだけで、あっという間にボットに感染してしまいます。そして、そこから同じ感染者を見つけようというものです。

言い換えれば、Windowsでウィルス感染することは、風邪をひくより遙かに簡単なことなのです。ウィルス対策なしにネットに繋いで、何もせずに数分間待つだけでいいということです。

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2009年2月27日 (金)

「放送の公平性」で注文!? 

 広島市内をエリアにしたFM放送「FMちゅーぴー」に自民党の現職代議士の名前を冠にした番組がある。日本ジャーナリスト会議広島支部が「政治的公平」を定めた放送法に違反しているとして放送中止などを局と代議士側に申し入れた。

 FMちゅーぴー」は中国新聞が親会社の中国コミュニケーションネットワークが2000年に「ひろしまPステーション」として開局。出力は20ワットで市内がエリアのコミュニティーFM放送で中国新聞社ビルに同居している。

 問題の番組「岸田文雄のハートフルステーション」は6年前にスタートし、毎週水曜日の昼前の30分間と日曜日17時~30分に再放送をしている。岸田代議士がナビゲーターとして登場し、女性アシスタントとゲストを迎えて対談する。

 放送法3条の2では放送事業者は「政治的に公平であること」を規定している。番組は岸田代議士の名を冠にご本人がレギュラー出演しており、放送法のいう「政治的公平」を欠くもの解さざるを得ない…として放送の中止かタイトル、内容の変更を要請している。
 公共の電波を使用する際、政党など政治団体の主張は公平に取り上げ、特定の政治主張が一方的に伝わることを許さず、対立問題・事項では反論を保証するのが放送法の趣旨だ。

 局側は「私人としてパーソナリティーを務めてもらっている。政治課題を取り上げる訳もないし放送法についても触れないことを確認したうえで始めた…」と答えている。

 番組のHPを開いてみると今年1月7,14日の放送は岸田氏が環境大臣で公明党の衆議院議員の斎藤鉄夫氏と対談し「平成4年に中選挙区時代、岸田氏のいる広島1区で初当選し…当時の思い出話で盛り上がった」とある。大臣就任中には食品偽装表示、多重債務問題等を語り、消費者庁創設等の課題をシリーズで取り上げ、政府広報的役?を務めている。
 彼が衆議院の厚生労働委員会の委員長時代に強行採決した後期高齢者保健問題等も扱った事は容易に推測できるだけに一方的政治発言?問題は小さくない…と言えそうだ。

 この放送局は視聴率調査などがない為どれだけの視聴率(者)があるか判らない。
 しかし、中国新聞が朝夕刊で番組案内やゲストの紹介で頻繁に記事にする為、放送が聞かれているかどうか別にして、意外によく知られていると…見るべきだろう。

 地域FMは全国に225局あって放送法の縛りを受けて存在するが現職代議士が進行役を務める定時番組があるとは考えられない。増してAMやFM,TVにして然りだ。
 これまでに何処からもクレームなく来たことが不思議なくらいで、JCJ広島支部の要請はむしろ遅きに失したくらいで当然の要請だ。

 岸田代議士に番組のナビゲーターを依頼しなければならない特段の理由は見当たらない。
 国会議員で大臣でもあった彼自身は一般人より遥かに私人としての存在は狭く薄い反面,公人的存在と言え、彼自身もここで辞退するのが妥当と思える。

 ミニとは言え放送業である。
 常識的に、局は『李下に冠を正さず』を素直に受け入れることを期待する。
 残念ながら今まで誰も問題にせず、放置してきた新聞社の内部体制に問題はないか?
 見て見ぬふりをした人達は忸怩たる思いであろうと推察する。

 ジャーナリズム本来の使命は=ディスクロージヤ=公開=<暴く>である。
 何故、こうなったのかが明らかにされることを期待したい…。
 中国新聞の歴史と権威にも泥を塗りかねない一連の事態として、新聞の自覚を促したい。
 早急に中止するか改めるか…その責任は大きい。

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2009年2月26日 (木)

転ばぬ先のステッキ(杖)

 半年近く迷っていたステッキを購入した。散歩の途中で足腰の痛みでつまずいて転びそうになるなど足元がおぼつかなくなった為の対策である。

 足腰の痛みが強くなった3年前頃から家内の買い物に付き合ってスーパーや百貨店の売り場で店に備え付けの買い物カートを押すと痛みがカバーされ、自転車を押している時も軽減される…事に気が付いていた。
 医師には無理せずステッキを使うよう勧められていた
 何となく“老人を地で行く”様な気がして避けてきた。しかし、昨年秋二度目の抗がん剤を止めて散歩を再開した頃から自転車置き場まで帰ってくるのがキツイと感じることが間々ある。着実に歩行能力は低下し、たまにつまずいて足元が揺らぎよろけることもある。そんな時は椅子やベンチに腰を下ろして休むと楽になるがベンチがない所では腰を落としてしゃがみ込み、四股を踏む形などで回復を図る。 しかし街中だったらそれが出来ず不安がある為、つい歩いて出かけることが自然に減ってきた。
 近く、一人で上京する機会が出来たのを機に“転ばぬ先の杖”を用意した次第だ。

 百貨店には介護用品とは別の紳士用品売り場にステッキ・コーナーがある。
 杖はもちろん体を支える用具で最近は介護用品としても様々な品ぞろえがある。
 素材がステッキ材の王様と呼ばれている南米産のスネークウッド製で50万円を超える超高級品から、紫檀や黒壇で10数万から数万円。竹の根の部分の寒竹にケヤキ、折りたたみが出来るアルミ製も花や動物をあしらったプリント模様が多彩で人気が高いようだ。
 英国やフランスにドイツなどヨーロッパ製の人気が高く動物をあしらったアニマルヘッド・ステッキは伝統的な美術工芸品としても知られ今も底堅い人気があるようだ。
 杖と言えば年寄り臭く聞こえるが古来いろいろな用途が仕込まれたれた歴史がある。忍びの者に映画の座頭市は仕込み杖でよく知られる。
 ステッキと言えば英国紳士の代名詞だ。英国では帽子に手袋、ステッキは紳士の三点セットだが帽子は盾、ステッキは護身用の武器でいざと言う時には使われた…歴史もある。 
 中には傘や小型のウイスキー瓶を仕込み散歩の途中で一杯の楽しみを忍ばせた英国の名門社のステッキは今もそれなりに人気があり、東京や横浜、京都には歴史的専門店がある。

 長さは身長の2分の1プラス3㎝が一般的のようで、歩き方は悪い方の足とステッキを同時に前に出し 体重を分散させ、悪くない方を更に前に出す…。
 簡単そうでそれなりに扱い方を慣れる必要がある。
 歩行の補助具は「転ばぬ先のステッキ(杖)」だが、素敵でお洒落感覚に使いこなせるようになればまた別の品が欲しくなる。それを目指して目下ステッキで上手な歩行訓練中だ。

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2009年2月25日 (水)

“漢方薬”雑感

 最近TVで「風寒」「風熱」をキャッチフレーズにした漢方の風邪薬のCMが目につく。漢方の風邪薬と言えば葛根湯が有名だが同じ風邪でも「風湿」「風温」「風痰」など症状によって様々な処方があるようだ。一つの病気に対応する漢方の種類は膨大な数に上る。
 幸いに、私はここ数年、風邪に見舞われることなく過ごせているのは“風邪かな…と思ったら葛根湯”を飲んでおり、予防的な効果が発揮されていると信じて活用してきた。

 日本漢方生薬製剤協会のパンフレット「漢方の基礎知識」を見ると判り良い。
 漢方は古代中国で生まれ数千年の経験の積み重ねによって体系化され、日本に伝えられて独自の発展をして今に受け継がれている。漢方薬は薬草の根や茎に葉などを乾燥させたものや動物、鉱物など天然物である生薬を二種類以上組み合わせた薬である。今では西洋医学と同様に科学的な解明がされつつあり、西洋医学では十分に対応できない部分を埋めることや西洋医学との併用による貢献が期待されている。

 西洋薬(新薬)は人工的に化学合成された物質がほとんどで、その多くは一つの成分で構成されており、一つの疾患や一つの症状に強い薬理作用をする。それに対して漢方薬は天然の生薬を使用し、一つの薬用(処方)は原則二種類以上の生薬で構成されているから
 いろいろな病状にも対応する事が出来る…。漢方治療が向く病気は病院で検査や画像診断で異常がないのに自覚症状があると言うような病気。原因が特定できない慢性の病気、体質がからんだ病気に向くことが多い。しかし、病気の原因が特定でき手術が必要な場合や重症感染症などには西洋医学が優れている…ことは言うまでもない。

 抗がん剤の服用をやめて4ケ月が経過した。厳しい副作用はなくなり味も匂いも何より思考能力も体重も回復した。副作用といえば腰に尻から大腿部の筋肉痛は残念ながら進んでいると自覚せざるを得ない。また爪の変化はここ2月前からひどく10本ともがたがた・ざらざら 情態が続いている。3年前よりひどいように思うが生活に支障はない。

 この間も漢方薬は手放すことなく服用をして来た。漢方薬は効き目がおだやかなのが特徴で“副作用がない”と思ってきたが薬である以上副作用はあるそうだ。
 漢方薬と言えば今も煎じ薬が代表格で、飲みにくいとか臭いなど昔のイメージを持った人も少なくないようだが今では西洋薬と同じ錠剤、顆粒剤、カプセル剤、液状等も多く飲みよくなっている。

 病院によっては西洋医学と東洋医学を併用し、ガンにも人が元来持っている体の変調を元に戻そうという力である免疫力を生かした東洋医学の免疫療法を積極的に導入した漢方治療を進めている所もある。

 東洋医学や漢方と言えば時代遅れの野蛮?とさえ言いかねない医師もいるが、西洋医学を修めた後に東洋医学を習得して漢方薬を処方する医師は年々増えて日本東洋医学会に加盟するドクターは一万人近くになり、大手の漢方生薬製剤会社に薬剤師も増えたと聞く。
 米国の大きい病院や終末医療専門病院の多くで漢方を取り入れ、ヨーロッパでも進みつつある現実を見れば逆に日本が学ぶことが多いのではないかと思う。
 
 漢方薬の効能が私の病気にどれほど効果を発揮しているかは判らないが、間違いなくいまは、東洋医学と漢方薬で生き抜く力を頂いている…実感だ。

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2009年2月24日 (火)

シャレオの風除扉

シャレオの階段に上がる手前に扉ができた。
いままでも市民球場にあがる階段部分と、県庁に上がる階段部分に扉が付けられていたが、今回全ての階段部分に扉が付けられるようだ。
扉が付いたというだけで、シャレオの雰囲気ががらりと変わった。
あまりの変わりように、ちょっと驚いた。
いままでのシャレオは、通路にお店がついているという感じだった。
それが、扉ができたことで、纏まりのあるひとつのショッピングセンターになった。
あたかもデパートの地下の店舗のようになった。

いささかおおげさにいえば、「画竜点睛を欠く」という言葉があるが、なにか今回の扉の設置工事はその「点」をつけたようにすら感じる。

1

風除扉工事というのだから、その主たる目的は、地下のシャレオに吹き込む風除けだったのだろう。
シャレオは防災上の理由から、あちこちに地上に出る出入口が設けられている。
そのために、部屋のドアを開けっ放しにしたような感じになり、まったく冷暖房が効かなかったようだ。
この扉ができたお陰で、冷暖房効果も大きく向上するだろうと思う。
しかしそれ以上に、この雰囲気の変化には驚いた。
これはまったく思ってもいなかっただろう効果だろう。

「出来てみなければ、わからない」ということの典型だ。

これから通路にもっとベンチが置かれたり、オープンカフェができたり、ストリートパーフォマンスがされるようになったりした、もっと楽しい空間になるだろう。

シャレオは、現在中央広場に面したお店が閉店し、ちょっと寂しくなっているが、これからどんどん楽しいお店ができることも期待される。

これからのシャレオが楽しみだ。

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2009年2月23日 (月)

インターネットと地域への拘り

最近よく「グローカル」という言葉が使われる。
ウキペディアには『グローカル化(Glocalization)は、全世界を同時に巻き込んでいく流れである「世界普遍化(Globalization)」と、地域の特色や特性を考慮していく流れである「地域限定化(Localization)」の2つの言葉を組み合わせた混成語である。俗に言う、「地球規模で考えながら、自分の地域で活動する(Think globally, act localy)」とも関連する言葉』として説明されている。

IBM360が出てきたときには、みな驚いた。
このままコンピューターが進化すれば、いずれ世界はスーパーコンピューターで思い通りにコントロールすることが可能になるのではないかと皆思った。
そしてそれは同時にある一人の個人は、全体を構成する一部だという感覚を強くした。
その時代は、スーパーコンピューターを頂点とするヒエラルキーの時代であったといえる。
そんな時代にあっては、全体を構成する部品としての人間は個々に異なっていることが求められたようだ。
いかに個人が個性的であるかが尊重された時代でもあった。

いまそうした巨大な能力をもったスーパーコンピューターに代わり、一人一人が小さな携帯電話、パソコンを持つようになって、ネットワークをつくる時代になった。
つまりインターネットの世界だ。
それは、社会のあちこちに劇的な構造変化を起こしている。

東京の大企業に勤める友人が、広島に転勤してきて、面白いことをいっていた。
「東京にいる時は周りにいる会社の社員も多く、それぞれが専門の職種を担当し、やってくれていた。
なんとなく自分は会社の部品という感覚だった。
しかし広島にきたら、何でもかんでも自分でやらなくてはならなくなった。
そのほうがより人間らしくなったように感じる。
大変だけど、仕事も面白くなった。
自分は部品だという感覚もなくなった。」
といっていた。
広島という地に住むことで、人間はネットワークの一つになり、自分という全体を取り戻すことができたようだ。

インターネットの世界にあっては、いわば個人がイコール全体ともなるのだ。
個人は同じでもいいし、それぞれが異なっていてもいい。
好きなようにしたらいい。
それで充分やっていけるのだ。
逆に、そうであることを求められるといってもいい。

IBM360の時代にあっては、広島という地方はあくまで地方であり、ヒエラルキー社会の部分であり、ヒエラルキーのトップである東京は絶対的な力を持っていた。
それが東京の求心力となり、東京一極集中が起こったともいえる。

いまそのヒエラルキー社会はどんどんネットワーク=インターネット社会に飲み込まれていっている。
インターネット社会にあっては、中心がどこにあってもいいし、いくつあってもいい社会だ。
広島はあくまで広島でいい。
なにも東京を目指す必要はない。
インターネットは、広島という地域のあり方も劇的に変えてしまったようだ。

ネットワーク化したグローバルカンパニーは国境を軽々と越えていっている。
ビジネスの世界では、国という境界が消えつつある。

国境が消えてなくなるのと並行して、今度は地域、都市が意味をもってくるようだ。
インターネットは地域・都市=世界ということを可能にしたようだ。


インターネット社会では、人はトップ、中心を目指していくのでなく、逆に個人であることに拘り、地域に拘ることが、意外と新しい価値を創り出していくようだ。

つまり自分に拘る、広島市に拘ることが、これからの世界を変えるとすらいえるようだ。

なんとも不思議な時代になったもんだ。

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2009年2月22日 (日)

MUSIC CUBE 09

「広島の中心地を音楽でジャックする!」
広島テレビは『広島文化学園大学・短期大学 presents MUSIC CUBE 09』を、3月20日(金)・21日(土)の2日間、広島市中区のアリスガーデンと周辺のライブハウス4カ所で開催するという。
大学も粋なことをする。

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HPでみると「カラーボトル、怒髪天、キャプテンストライダム、UNCHAIN、SCANDAL、竹内電気、鶴・・・・」と40組のバンド・アーティストが出演する。
どれもこれも、私にとっては聞いたこともないグループだ。
中にはそこそこ有名なグループもあるようだし、地元のグループもあるようだ。

アリスガーデンでは無料イベントとグッズ販売がされる。
広島クラブクアトロ・ナミキジャンクション・CaveBe・Hiroshima BackBeatのライブハウス四カ所での有料ライブが同時に開催される。
すでにチケットは昨年から販売されている。
観客は、チケットを購入し、アリスガーデンで専用パスと交換し、そのパスを各ライブハウスで提示すれば、出入り自由で、自分の好きな時間に好きな場所で好きなアーティストのライブを楽しむことができる。

広島の中心街のあちこちがライブハウスになるというわけだ。
中心市街地にとっては画期的な試みだ。
中心市街地でなければできないことでもある。
面白い。

広島からはあの吉田拓郎も育っている。
そうしたミュージシャンが続々ここから育ったら素晴らしい。

1日券が3,500円、2日間通しで6,000円だという。
どんな音楽かも、ぜんぜん知らないが、是非行ってみたいと思っている。

いかがですか、皆さんも一緒に行きましょう。

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2009年2月21日 (土)

主婦制作のドキュメンタリー「狂夏の烙印」

 袋町の交流プラザで在韓被爆者の証言を纏めたドキュメンタリー「狂夏の烙印~在韓被爆者になった日から~」の上映会があった。新聞報道の効果か、日曜の夜にもかかわらず参加者は来日中のブラジル在住被爆者の森田さんら60人で、関心の高さに驚いた。
 
 製作者は南区の主婦伊藤園実さん(47)。上映前の待ち時間に話を聞く機会があった。
 伊藤さんは北海道生まれで平成12年に夫の転勤で広島に来た。平和問題に関心を持ち「韓国の原爆被爆者を支援する市民の会」に参加して在韓被爆者の手帳申請や検診を手伝う内に日本の被爆者と韓国にいる被爆者に対する援護策に大きな差があり、在韓被爆者の悲惨な生活状況を知りショックを受けた。 相次ぐ被爆者訴訟も起こされ、もっと知りたいと思い渡韓して証言を聞き、『私一人で聞くのはもったいない』と思いVTRに記録した。
 映像制作経験はなく手探りで始め‘05年制作の韓国人被爆者の歴史を問うた「土の記録」に次ぐ第2作。校成や映像編集も自分でパソコンを駆使した72分のDVD作品。

 8人の証言は広島では多くの人に知られている事かも知れないが、全国的には知らない人は多くその為に役立てば…と言う思いで制作した“初心者向け”と言う。

 日本人になり軍人になってでも生きるしかなく、心に独立(闘争)を誓ったかった人。いくら金をもらっているのか?被爆者運動を始めた人が浴びせられ親日派と罵倒された人など祖国でも仕事がなく病気に苦しむ被爆者の多くが辛酸をなめた。
 被爆時の様子はある程度共通しているが被爆前と韓国に戻ってからの苦難に満ちた戦後の生き方に焦点を当て「日本は朝鮮半島の人達に何をし、何をしてこなかったか」在韓被爆者を通じて戦争がもたらした悲劇と原爆の恐ろしさ考えて欲しいと制作意図を話す。
 
 ご主人やご家族の協力が大きいと思うが伊藤さんの努力と取り組み姿勢には脱帽だ。
 折角の努力の結晶だからあえて2~3の改良点を指摘して完成度を高めて頂き、中高校生等の平和教育や修学旅行の事前学習教材に活用して欲しいと思う。
 
 映像ドキュメンタリーの構成要件は映像に音声<インタビュー、音楽、現場音、ナレーション>に字幕である。この作品は全くナレーションがなく映像とインタビューに字幕スーパーよる構成だ。この手法は時として効果を発揮できるが、この場合は少し映像も字幕も整理してナレーションで補完する方法を勧める。8・6慰霊祭の長い映像で何を訴えたいのか。ここに何人の人が祭られているのか?字幕が欲しい。別マイクを活かした収録でないためインタビューの音を聞き取り易く調整することも大切だ。せっかくの証言が聞きにくいのは残念だ。歴史を語る字幕の一部はナレーションに変えたい。
制作テクニックを言うつもりはない。
 何故多くの朝鮮半島の出身者が広島・長崎で被爆しなければならなかったか、日韓合併から創始改名や文字に言葉まで奪った日韓の歴史を限られた映像と資料で辿ることは難しい。が、8人の証言はそれを語っている。
 韓国・朝鮮人被爆者を巡るドキュメンタリーはプロ・アマ合わせて多くの作品を残している。しかし、一家庭人が一念発起して取材し構成・編集まで一人で完成させた例はない…と思う。何はともあれ、伊藤さんの取り組みに拍手を送り、作品の手直しに期待したい。

 問合せ:伊藤園実  http://tsuchinokioku.yu-nagi.com/

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2009年2月20日 (金)

自治体の地元企業支援に再度疑問!!!

 朝日新聞が苦境に立つ地元企業の製品の「まとめ買い」で支援する自治体の姿勢に疑問の声を一面のトップ扱いで掲載した。“陳腐な公金支出“とも指摘している。

 広島県がマツダの支援に繋げるため200台のマツダ車を2億7千万円で購入を決め、相次いで県内の自治体に波及した。この欄の1月26日付けで県の支援に疑問を呈した。
 マツダは昨年度過去最高の3兆5千億円を売り上げ1620億円と最高の利益を出し、今期はフォードが手放した株を185億円で買い戻した。ここ数年の好調を反映した内部留保や役員報酬に株主配当など最終決算を見届けてからでもよいではないか…。裾野が広いとは言え一企業に破産状態に近い?自治体が血税をつぎ込むことが公正かどうか疑問は大きい。

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 その後、マツダは役員報酬20%管理職10%削減などを対応し、地元の“バイ・マツダ運動”に期待を寄せている。しかし役員報酬をゼロにした米国ビック3などに比べ自らの対策は遠く及ばず、トヨタの4500億円程ではないが今期250億円の赤字見通しを発表した。

 県内の金融機関がマツダ車購入ローンの利率下げなど支援の輪は広がりつつある?ようだが成果はまだ現れず、自治体支援が焼け石に水でないことを願うばかりだ。

 朝日新聞記事によると三菱自動車を支援する倉敷市や総社市、三洋電機の鳥取市などへは「税金の無駄遣い」「なぜ三菱だけか」「車を買うなら税金を安くしろ」「不公平」などライバル企業などからも声が寄せられている。嘗て“日本一住みよい県“を掲げたのは誰?

 本当に必要な支援は中小企業や失職した労働者に年金で賄えない後期高齢者の生活だ。
 県内自治体の失職者臨採に応募者が少ないのはなぜ?自治体の考えるべき本当に必要な支援は何か?今一度、改めて『自治体支援の在り方』を考えてみて欲しいものだ。

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2009年2月19日 (木)

「鞆の埋め立て」を巡る新聞の立場

 鞆の埋め立てを巡って初めて書いた後に、嘗て中国新聞の編集局長や論説主幹だった碓井巧さんの執筆集にこの問題があったのを思い出して探し出して見た。
「地方紙記者の目」のタイトルの400頁に及ぶこの本は毎週社内で出される「編集週報」や社説にコラムの「天風録」などに書かれた珠玉の250本が収録され、その中に「鞆の埋め立て」に関して7本の論説があった。

 碓井さんは県警を担当した時代にご一緒したのをはじめ’71年に国交回復の前年に県労の代表団が訪中した際に団員の一人として一緒に訪中した。取材記者の入国が出来ない時代、文革の最中の中国国内を一カ月間に亘って取材した。爾来、何かと目にかけて頂いた先輩は温厚で優しい人柄だった。

 碓井さんはこの本のあとがきに書いている。『報道記者から論説記者に移り、現場に足を運ぶように努め、特に批判する相手には必ずインタビューを申し込んだ。公正を期する為だけでなく「生きた言葉」が欲しかった…。「足を使えば表現が豊かになる」…豊かな表現とは真実に迫る言葉…』碓井さんのベテラン記者としての姿勢が示されている。

 その碓井さんが最初に鞆の埋め立てに再考を促す記事を書かれたのはなんと'93年(平成5年)5月24日、16年も前のことだ。この時は『長い歳月をかけながら、しかも拙速のプラン…と言うことがある。道路か港の歴史景観か、が問われている福山市の鞆港湾計画に同じものを感じる』として、この時点で10年越しになる埋め立て計画が半分に縮小変更し「少しくらい景観を損ねても、交通渋滞の解消が先決」と地元の多数決で実施計画を進める県と福山市の姿勢を厳しく批判している。
 代替案の迂回トンネルや海底トンネル案が十分検討されていない。県の港計画と市の街並み保存計画が切り離されている。計画案や概要もない趣意書で90%の賛同署名を取るなど民意の集約の仕方に問題が多いことを指摘して『異なる声に耳を閉ざさないで…』と再考を促している。

 翌年7月には県と福山市の長期ビジョンの欠落。特に3度にわたる個別の史跡調査がされながらマスタープラン造りに繋がる総合調査をせず、推進派が地区のマスタープランについて抱負さえ語っていない…事を嘆き地域開発の基本に立ち戻る様に…史的評価に地元はもっと自信を持つべきだ。地域づくりは「お上」の仕事ではない…と厳しく断じている。

 その後も埋め立て架橋事業の最終責任者である県知事にも住民の少数意見にも耳を澄まして埋め立て架橋の見直しと総合計画の作成を求めている。
 2000年の2月には地方港湾審議会が出した事実上のゴーサインの答申を「全国に誇れる自慢の案」と自賛した会長発言を『おそれを知らない発言』で『時の贈り物から学ぶことなく、得ることより失うことの多い答申』と厳しく指弾している。

 全国の港町が開発で姿を変えて行ったのに対し、鞆の浦は江戸期の建物が百軒も残り二百年前の波止場が今もセットで残り使われている全国で唯一の奇跡的に残った歴史的資源である事を強調している。

 碓井さんの記事からは“地元の有力企業の意向が計画に多大な影響を及ぼしている…”と言う元記者の発言を伺わせる直接的な記述は見当たらない。しかし、一貫して「土地を増やせ」「駐車場を作れ」といった地元の声に押されて「鞆の浦の歴史的遺産」の保存を真剣に検討しなかった行政の責任…は、裏を返せば同じ根っこに行きつきそうな見方もできそうだ。

 金子大臣の言う「国民同意」は意外にも嘗て開発の前に多く歴史遺産を失ったこうした地域エゴ的な発想を反省しての発言と理解できるのではなかろうか。
 新聞やマスコミは意見が二分される問題で一方に偏するような立場を取ることは少ないが、この問題について新聞の論調として明確に反対の立場を貫かれた碓井さんは正しく言論人としてその役割を強く意識しての記事だったに相違ない。
 碓井さんの論説はジャーナリズムの見識としていまも中国新聞紙面に生き続けている…!?

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2009年2月18日 (水)

カープフアンが親しむ南さんの「広島天国」

 広島を中心に全国で活躍している歌手、南一誠さんが今年30周年を迎える。昭和55年に「雨の湊から」でデビュー。1月には『広島市民球場支援「広島天国」30年感謝のつどい』が催され、4月には新曲をリリース、記念リサイタルも予定されている。
 南さんはこれまで数多くの曲を発売している。その中で全国区の歌は、なんといっても「広島天国」だ。広島の盛り場と広島カープが出てくるリズミカルなご当地ソング。広島に勤務したサラリーマンが、一杯飲みながら手拍子で覚え、次の転勤先で歌って浸透していった曲。
 もちろん、南さんが全国に行き、先々で歌ったことも手伝っている。インターネットで「広島を訪れた時に聴いたがどういう曲か」と問い合わせもあるほど耳に残る歌だ。
南さんにとってこの曲は“よさこい”バージョンを作ってフラワーフェスティバルに参加したり、さらに今年リメークするなど思い入れの強い歌になっている。広島カープに関連のある歌は昭和50年の初優勝以後たくさん誕生した。しかしこの曲ほど広く歌われていない。
 現球場五回終了時によく流れていた塩見治朗「それ行けカープ」、事埼正司(現加納ひろし)「燃えろ赤ヘル 僕らのカープ」、富永一朗、佐々木久子、有馬三恵子他広島カープを優勝させる会「カープ音頭」、平石重信と私設応援団有志「燃えろ赤ヘル」、柏村武昭「痛快赤ヘル音頭」、若宮彰「カープ讃歌」、東為五郎「ガッツだMr赤ヘル」、江夏豊「俺の詩」、山本浩二「ひとり」、高橋慶彦「君の声がきこえる」、山本譲二「星空の鎮魂歌」。ほかに南さんが参加した「選手別応援歌」を3回CD化されたり、カープの選手と東為五郎青春仲間「今が青春」、江夏豊作詞「さすらい星」などたくさんある。
 新球場にふさわしい歌が生まれ、大勢の人に親しまれ、球場で大合唱されてカープが優勝という、夢と感動を与える歌を期待したい。

 上村和博

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2009年2月17日 (火)

ここ?

息子がまだ幼稚園の頃、一緒にお風呂に入ったら、突然
「お父さん、解った!
お父さんは、ここの毛(髪の毛)を、ここ(おちんちんの上)に付けたんだ」
といった。
私はその子が生まれた頃には、もう大分髪の毛が薄かった。
息子にとっては、自分とも、母親とも、他の人とも違うことが、なんとも理解しがたく、不思議だったんだろう。
その理由について、いつも懸命に考えていたようだ。
色々考えた末に、ようやく解ったというわけだ。
そうだともいえず、困ったことがある。

そんな話を私の友人にしたら、大笑いされたが、
その彼も、娘さんに「お父さんは、尻尾を前に付けている!」
といわれたという。
??

この話には続きがある。

私の娘は、TVを見ていて「アッ、お馬さん、おチンチンチンを前に付けている」といった。
これにもひっくり返った。
良く考えつくもんだ。

いずれも、嘘のような本当の話である。

今なら、人気のおバカキャラになれた?

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2009年2月16日 (月)

安全と安心

公共交通機関にとって「安全」は最優先事項だ。
「安全でなければ、存在する価値がない」とすらいえる。

公共交通機関は、どこも安全には最大の注意を払い、日夜そのために必死の努力をしている。
それでも、JR西日本の福知山線の大きな事故が起こってしまった。
安全については、これで十分ということはない。
人間のやることだ、事故はどうしても起こってしまう。
現実問題として、それをゼロにすることは極めて難しい。
限りなくゼロに近くするために皆努力をしているということだ。

JRの事故で一番多いのは踏切事故だという。
アストラムラインは高架であるため、踏切が一つもない。
その面では極めて安全な乗り物だといえる。
路面電車はその点では苦労している。

先日は新幹線の運転手が運転中に携帯電話を使っていたと問題になったことがある。
新幹線は、運転は完全に自動化されていて、無人運転も可能だという。
東京―名古屋間をノンストップで走ると1時間43分だ。
発車してしまえば、少なくともその間全くやることはない。
そりゃ退屈だろう。
その間に携帯を使っても、安全には全く支障はないだろうが、しかしそれでは乗客は安心して乗れないということになる。

安全=安心だと捉える人は多いが、実は「安全」と「安心」とはかくもちがう。

通常安全と安心は次のように説明されている。
“「安全」とは科学的に裏づけのあるものをいう。
正確で的確な実証にもとづくもので、詳細なデータで証明ができ、食品の分析結果などから「安全」であると証明できる物、状態をいう。
「安心」とは、受け手の気持ちの問題である。
あくまで主観的なもので、提供側と受け手側との信頼関係が重要となる。
また、「安心」というのは満足度が高い状態でもある。
安全であり、かつ安心できるということが合いまって、QOL(Quality of Life:生活の質)の向上につながる。“

こうしてみると「安全」は「安心」に含まれる関係にあると捉えた方がよさそうだ。
「安全∈安心」ということである。

公共交通機関に携わる者は安全確保に努めることはもちろん、安全な乗り物であると信頼され、「安心」して乗っていただけるよう努めなければいけないということだ。
そのためには、日ごろから服装、身だしなみ、乗客との対応に気をつけるということも、「安心」を得るためには重要な要素だということになる。

「安心」!
ウーン。

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2009年2月15日 (日)

使われない健康保険

医者にかかることが少なく、健康保険を殆ど使うこともない人が「私は健康保険を殆ど使わない。だから保険料は払わないという人がいる」
と問題になったことがある。

私はいつ健康保険に入ったか定かでないが、多分健康保険に入ってもう40年は越えると思う。
が、その間保険証を使ったのは虫歯1本だけだ。
もう少し正確にいうと、庭の椿についていた茶毒虫にさされ、近所のクリニックに行ったのが1回、インフルエンザで医者に行ったのが1回ある。
だから、よく言われる「かかりつけ医」というのが、私にはいない。
「かかりつけ医がいないと、いざという時困るだろうな。ときどき医者に行った方がいいかな」なんて思ったりすることもある。

でもだからといって保険料を払いたくないなんて、思ったことはない。

会社の健康診断もオール1(問題なし)だ。
これも正確にいえば、近頃は、1に近い2が1つある。

人間ドックにもいったことがない。
人間ドックに行くという人に「せっかく診てもらったのに、どこも悪くないというのはもったいない。どこか悪いところを見つけてもらってこい」と憎まれ口をきいたりしている。

そんな私は、実はお化けと注射は全く駄目だ。
だから医者になろうなんて、露ほども考えたことがない。

お化け屋敷に入って、ほんとうに腰が抜けて、歩けなくなったことがある。
頭では、これはウソだから大丈夫だと解っていても駄目だ。
出口まで這っていったことがある。
健康診断のときだって、注射針を見るのも嫌だ。
意気地なしとみられるのが嫌だから、注射針がさされるのをチラッと見ているが、ほんとうは見たくない。
友人にそんな話をすると、何人かは「ウン。俺も嫌だ」といっていた。
女性にいうと「ウソー!」といわれ、バカにされる。
女は、本当は強い?
尊敬してしまう。

世の中には保険のお陰で、命が助かっている人が沢山いる。
私が使わなくとも、必要な人が使えばいい。

私だって何時必要になるか知れない。
保険とは「いざ」という時のためにあるとはよくいわれることだ。
その「いざ」が来なければ、それにこしたことはない。

私は死ぬまで、医者に行かずに、保険証を使わずに、生きたいと思っている。

女房に
「癌になったら、俺は死ぬから。手術なんてしなくていいから」といったら、
「そのときは、この時とばかりに切り刻んでやる」
と脅かされた。

助けてー!!!!

実に、女は恐ろしい!

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2009年2月14日 (土)

在ブラジル被爆者・森田隆さんの苦闘

 昨年秋からピースボートで4ケ月、世界20ケ国で被爆証言の旅を終えたばかりのブラジル被爆者平和協会会長の森田隆さん(84)の半生を聞く会が開かれた。
 
 森田さんは米国に移住していた父母が一時帰国していた大正13年(‘24年)佐伯区砂谷に生まれた。間もなく広島市内に転居し小学校、青年学校を卒業、13歳で時計修理の修行を始めた。20歳の兵隊検査では甲種合格し昭和19年11月に浜松航空隊に徴兵されたが
 憲兵の募集に志願して採用され、中野の憲兵学校で教育を受けて7月末に卒業した。8月1日に広島の陸軍憲兵中国憲兵指令部に赴任し、公務中に横川近くで11名の部下と被爆した。

 自らも怪我をしながら民家に下敷きになった人達を救助しながら重油のような黒い雨にも見舞われた。その後市内を巡視中に相生橋の西詰めで被爆した朝鮮人皇族の李隅公殿下を見つけて宇品の病院へ収容した。その後9日まで救護などに当たるが火傷が悪化して大野浦の陸軍病院へ入院。この病院は9月17日の枕崎台風の鉄砲水で流され多くの死者行方不明者が出るが、幸いに森田さんは前日に退院していて難を逃れた。

 翌21年に結婚し10年後の昭和31年に一家4人で後遺症に苦しみながらサンパウロは高原地帯で健康に良いと知人からの誘いで移民を決めた。森田さんは「被爆者に援助のない時代の悲しい選択だった」と振り返る。

 農業移民だった体が耐えられず時計修理で生計を維持したが、子供に差し支えてはいけないと思い被爆は隠して暮らした。子供の結婚を機に’84年(昭和59年)に「被爆者協会」を作り毎年自費で帰国し、政府や県や市に「国内の被爆者と同じような援護」を訴えた。

 この時、森田さんは初めて被爆者手帳を取得し、ブラジルで被爆者協会の89人の被爆者の名簿を添えて協力を要請した広島市の原爆被害対策課は名簿を受け取らないと冷たい対応をした。また、厚生省は「日本を出たような人に支給は出来ない。税金を払っていないのだから、ブラジルに頼んだらどうか」と言い、移民は「棄民」なんだ、移住なんかしなければ良かったと落胆し、国や市の冷たさが身にしみたと言う。

 在外被爆者に対する医療費の助成も被爆者手帳の交付や健康管理手当の支給もされず、結局裁判を通じて改善が進んだ。被爆45周年の記念式典に招かれた時、北米や韓国の被爆者や被団協との交流が始まり連携して裁判に参加した。「国を訴えるのなら脱会する」という被爆者や県人会の猛反対もあった。森田さんは祖国を訴えるには大きな決断と心労が伴い心筋梗塞で倒れたが乗り越えて、’06年健康管理手当支給の控訴審勝訴をした。
 在外被爆者は米国、カナダ、ブラジル、メキシコ、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビア、ペルーに移住した日本人の他に韓国、北朝鮮、中国には徴用や留学に加えて捕虜として被爆した人達がインドネシア、オランダ、オーストラリアにいる。

 やっと今年から海外に在住する被爆者も在外公館を通じて被爆者手帳交付を受けられるようになり国家補償の精神に基づく対策は「どこにいても被爆者は同じ」という考え方が定着し、各地での裁判で勝訴が相次いでいる。
 しかし、残念ながら国の対応はまだ被爆者援護法の全面適用には未だ至っていない。

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 端折って許されるものではないが森田さんがブラジルの地で被爆者としての活動を四半世紀にわたって打ち込んで来られたのはサンパウロで開店した年中無休の食料品店「すきやき」が成功したおかげだ。240人まで拡大した被爆者協会も年々亡くなり広い国土に分散して124人だけになった。被爆者だけの組織から若い人たちの参加も求めて行くために“被爆者平和協会“に継承拡大したい…との気持ちを強めて取り組んでいく覚悟だ。

 戦時中は真っ直ぐに軍国少年として育ち、国に命を捧げた人が、移民後に国から「棄民」扱いされ被爆者としての正義感に火が付き、韓国や在米の被爆者との出会いが森田さんの地球の裏側からの被爆者運動を高めた。
 
 世界を巡って被爆証言を試みた森田さんの率直な感想は「広島・長崎の事実があまりにも知られていない」。命の続く限り平和のために働きたい…。
 7度目の年男を迎えた森田さんは在外被爆者救済と核兵器廃絶の戦いに向けて、改めて強い決意を固めている。ますますお元気で活躍されることを祈念します。

 核兵器廃絶と言う唯一の被爆国の国是ともいえる大方針を前進させるために、遅きに失しているとは言えが、せめて国は新年度には連敗に連敗の被爆者訴訟にストップをかけて被爆者援護法を名実ともに国家賠償の精神に立ち戻る手続きを急いでほしいと思う。

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2009年2月13日 (金)

鞆の埋め立てを巡る大臣発言

 鞆の埋め立てを巡って金子建設大臣が「歴史と伝統を持つ街並みを容易に損ねて良いのか」「国、県、住民以外が何を考えているか、頭の中に入れて頂きたい」など『国民同意』の必要性を指摘して、計画推進に大きなブレーキが掛っている。
 「地域の問題」「計画見直しは考えられない」と反論している福山市長は事業費の40%近くを国の補助金に頼るだけに苦しい立場で、今後の展開を全国から注目されている。

 鞆の埋め立ては25年前に港の管理者である広島県が街の中心部の道幅が狭く車の離合も難しいため2haを埋めて港を横切る橋の架橋原案をつくった。これを基に地元の鞆を中心に賛否が交錯した結果’07年に県と福山市は国交省に埋め立て免許を申請。反対派住民は県に対して免許の差し止めを求めて提訴するなど対立を深めている。

 鞆は雁木や常夜灯に船の修理場だった場所など近世の港の特徴的な施設が揃って残り、街並みも江戸時代の面影を色濃く残す歴史的な遺産で世界遺産の候補地としての声も高く全国から10万人を超す反対署名も寄せられている。

 国交大臣の発言に対して地元の埋め立て賛成派は「住民の意向を無視している」と反発し、反対派は「良識ある判断」と評価が高いようだ。

 最近、備後に勤務経験がある複数の元新聞記者に聞いた話が、以前地元の弁護士に聞いたことのある話と重なって妙に信憑性が高いのではないかと気になっていることがある。
 そもそも鞆の街中を避けた交通渋滞の解消策に“トンネル案”があった。費用に大きな差はないが避けられたのはある地元企業の意向が大きいと言う。トンネルではこの企業に好都合でないようだ。この企業は地元選出の大物国会議員のスポンサーとしてよく知られ企業周辺の海面埋め立てや工場造成等を市や県、国にも届けず行った過去があるなど地元では逆らう者はいないワンマン経営の同族会社で、福山市にとっては大きな財源だ。
 元記者が「地元では誰もが知っている」というこの噂?は一切マスコミに登場しない。勿論、こうした話の裏<証拠>を取ることは至難の技だけに記事にするには難しい。
 現地にそんな空気があるとすれば、大臣の発言は良識的で見事なブレーキと言える…?
 
 国との事前協議で準備し、形式的な審査を期待していた福山市にとっては青天の霹靂のような金子大臣の見解だ。大臣の言う『国民の同意』をどのような方法で得られるか、反対派のトンネル案を含めて再検討するか。外部の人にとやかく言われたくない…という地元の声に押される事なく県知事も傍観者でなく踏み込んだ仲介を求められている。
 一度許可すれば取り返しのつかない歴史的遺産に大臣発言がどう転ぶのか興味津津だ。

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2009年2月12日 (木)

オバマ演説の影武者は弱冠27歳!!

 バラク・オバマ米国大統領が誕生した。ワシントンの大統領就任式には史上最高の200万人と言われる民衆が詰めかけオバマ大統領の就任演説に酔った。「オバマのスピーチは素晴らしかった!」「オバマ最高!!」と涙で語る黒人の男女のインタビューがTV画面を飾った。

 冬のワシントンの寒さは零下の世界で厳しく、当日は氷点下8度。その中で何時間も待ち続けて寒さに耐えた民衆は米国の新しい歴史を刻もうとする大統領の言葉を直接聞き、歴史の承認者を目指して参加したのだろう。

 就任式の翌日から新聞やテレビで大統領の就任演説のライターを照会する記事を目にするようになった。丁寧に見て更にインターネットで検索すると多くの記事に出くわした。
 
 オバマ新大統領は選挙戦中に国民を魅了し続けた演説の名手の評判を得ていたが、そのスピーチはオバマ大統領一人で作られたものではない。
 スピーチライター達の草稿をオバマが手を入れ完成させる。大統領には多くのスピーチライターがつくがオバマチームの責任者ライターのジョン・ファブロー’81年生まれの弱冠27歳。彼は大統領選キャンペーンのオバマチームのスピーチライターだったがホワイトハウスの大統領スピーチライティングの作成主任に任命された。勿論ホワイトハウスの歴史上最も若いスピーチライターで’03年に大学を卒業した後、上院議員のスタッフとして働いていた時、党大会で地方議員として演説のリハーサルをしていたオバマ氏に「重複部分を削った方がいいよ」と声をかけたのが縁で’05年からスタッフになった。
 オバマ氏は「ケネディーの再来」と言われるほど演説のうまさは評価が高いが「チェンジ」「yes we can」もファブローが捻り出した名文句…なのだそうだ。
 彼は「政治に関わるのはオバマ氏で最後」と言い、ゆくゆくは小説家か映画のシナリオライターの夢を目指すようだ。オバマ演説の影武者に弱冠27歳の小説家志望の青年がいた。 
 ご存知でしたか?如何にもアメリカンドリームの国らしいエピソードではないだろうか。

 一方,KYと揶揄される我が国の首相の演説ライター?と言うと省庁から派遣されている5人の首相秘書官と3人の副官房長官に官房長官が各省庁から提出される要点原稿を整理し首相と協議のうえで纏める仕組み…と言われている。従って、漢字に読み仮名はふられていない…ので誤読が生じる。国民のだれもが総理一人で演説原稿を纏めているとは考えていない。就任直前に雑誌に発表した論文も某新聞社の麻生番記者の執筆…と伝えられた。
 自分の考えや政治姿勢をより明確にしながら国民により分かりやすい演説をするための手段方策は米国に真似るなり学ぶことを勧めたい。
 何はともあれ、弱冠27歳の大統領スピーチライターは日本ではありえない?事丈に驚きだ。

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2009年2月11日 (水)

運も能力の内?

よく「運がいいとか、悪い」とかいう。

ゴルフのタイガーウッズは、試合の最終日には必ず赤いシャツを着ている。
赤いシャツを着た日に、優勝したことがあったのだろう。
勝つか負けるかの人生を送る野球の選手、相撲の力士はゲン担ぎをしている人が多い。

私もそんな勝ち負けの勝負をするような仕事をしているわけではないから、そんな極端なゲン担ぎはしない。
それでも、毎年年末になると、来年の運勢はどうかと、気になって占いの本を読んだりはする。
中国新聞の「今日の運勢欄」は好きでよく読んでいる。

ウキペディアには
「運(うん)とは、その人の意思や努力ではどうしようもない巡り合わせを指す。運が良い(幸運)とは到底実現しそうもないことを、偶然実現させてしまうことなどを指す。運が悪い(不幸・不運)とは、楽しみにしていた旅行の当日に、発病してしまうことなどを指す。占いや、神社・寺院のおみくじは、この運を予言する力があるとされる」
と書かれている。

「運」とは、10年先の今日の天気が晴れか雨かというように、努力したからといって、どうかなるものでないことを指していると思っていたが、このウキペデイアに書かれているように、その日に病気になるかならないかを指しているなら、運はなんとかなるものだともいえる。

私の尊敬する先輩で
「俺は、運の悪いやつは嫌いだ。
運も能力のうちだ。」という人がいた。

随分と極端な言い方をする人だと思っていたが、これはこれでなかなか説得力はある。
時々気なって思い出す。

私も、沢山の失敗もあるし、成功もある。
どうしてそんな違いが起こったのか、全く偶然、めぐりあわせ、運としかいいようがないなーと感じるときがある。

どうも運とは、目の前を沢山流れているようだ。
その運を、掴まなくては運がいいということにはならない。
どれがいい運か判別するのも能力だといえばいえる。
いい運を掴めるかどうかも能力だというわけだ。
掴まなければ、運は流れて、消えていってしまう。
「棚から牡丹餅」という諺がある。
牡丹餅が落ちてくるまで、ジーッと辛抱強く待っているということも能力というわけだ。
運を掴むには、かなりの忍耐と辛抱がいる。

しかし折角掴んだ運でも、悪運という運のこともある。
そんな時は「運が悪かった」といって、さっさと諦めるのも能力だといえばいえる。
グズグズ拘っていては、碌なことはない。

先輩は、そんなことを指して「運も能力の内」といったのだろう。

「運」という言葉は、なかなか味がある。

それにしても「運」のいい人生であって欲しい。
「それはお前の心がけ次第だって」いわれそうだ。

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2009年2月10日 (火)

広島・水素特区

ロータリーエンジンは、水素で回転運動を起こすエンジンとしては、極めて理に適っている。
ロータリーエンジンのマツダは、ル・マン、デイトナ等のレースで優勝し、一世を風靡したが、ガソリンをがぶ飲みする車、金のかかる、資源を無駄遣いする車として市場から消えた。
それがいま「資源を有効活用する、環境にやさしい車」として復活しようとしている。

マツダの水素REエンジン車、RX-8ハイドロジェンREをノルウエェーが順次購入することを決めた。
水素で走れるようにするためには、エネルギー源となる水素を供給するインフラが必要だ。
ノルウェーは水素道路プロジェクト"HyNor"として、首都オスロと西部スタバンゲルを結ぶ幹線道路約580キロの間に2か所の水素ステーションを設けた。
2015年までに、隣国スウェーデンからデンマークまでも網羅し、いずれ全長約1500キロの間に計45か所設置する計画だという。

ノルウェーは日本と大体同じくらいの面積で、日本の半分くらいの人口の国だ。
その国が水素街道を張り巡らそうという。
凄い。

しかし、その水素街道を走るRX-8ハイドロジェンREを作っているのは日本だ。
本来、日本が先陣切って水素街道をつくるべきだ。
いまからでも遅くはない。
まずは、マツダの工場がある広島市宇品と山口県防府市を結ぶ2号線を水素街道としたらいい。
その間約100KM、水素だけでも十分走れるが、途中にある周南市にも水素ステーションを設けたらいい。

周南市では、水素都市をめざして、総合化学メーカー・トクヤマ徳山製造所近くにある2軒の住宅に水素を供給する実験を始めた。
塩を水に溶かして電気分解すると、カセイソーダと水素、塩素ができる。
山口県内のカセイソーダ工場などが発生させることが可能な水素の量(実際には発生させていない潜在的な量を含む)は年に約8・9億立方メートル(全国の14%)も作られているという。

その3カ所に水素ステーションができたら、日本で最初の水素街道ができたといえばいい。

水素にについて調べていたらもっと面白いことを見つけた。

天然ガスからも水素はできる。
天然ガスのパイプラインは全国に敷かれている。
天然ガスの埋蔵量は無尽蔵だと言われる。
その天然ガスから水素をつくる小型の装置も作られている。
日本では東京ガス、大阪ガス、岩谷産業等が懸命にそうした装置の開発を進めているようだ。
装置は2M×3M×2M程度と小さい。
これなら既存のガソリンスタンドの脇に設置できそうだ。
そうなれば全国どこでも水素ステーションが設置でき、水素の供給が受けられる。
水素ステーションの設置は極めて難しいと思っていたが、案外そうでもなさそうだ。

広島ガスがこうした装置の開発をしているかどうか知らない。
その気になればやり方は色々あるだろう。
広島ガスが水素ステーションを設置するというインフラ整備を進めたらいい。

水素による車社会になるためには、水素ガスステーションの設置と水素ガスエンジン車との開発が、並行して進める必要がある。

なにしろ広島には世界に誇るマツダのロータリーエンジンがあるのだ。

いろいろ法律もクリアする必要があるだろう。
広島ガスとマツダ、それに広島市が協力して、広島発の水素車社会を実現できたら素晴らしいことだ。
「広島水素特区」として、官民一体として進めたらいい。

平和都市広島に相応しいプロジェクトでもある。

オバマ大統領はグリーン・ニューディール政策によって景気回復を図ろうとしている。
「広島・水素特区」は広島発の世界に誇るグリーン・ニューディールプロジェクトになるはずだ。

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2009年2月 9日 (月)

カラオケと健康

いささか飲み過ぎ、食べ過ぎた時、カラオケで歌うと、翌日体の調子がいいといった経験をお持ちの方は多いだろうと思う。
私も、「飲み過ぎたなーと思っても、大きな声で歌った日はと二日酔いにいいようだ」と、なんとなく感じていた。
なんで?という理由を医学的に説明してくれる本がでた。

昭和大学医学部卒業の周東寛さんが「医者が進めるカラオケテクニック・演歌療法で若返る」という本だ。

氏の医院では、40人位入れる「カラオケルーム」を設け、患者が歌えるようにしたところ、「高血圧気味だった人が、正常値になった」「不眠症がなくなった」「頭痛が消えた」「沈みがちだったのが、元気になった」「若返った」という効果が表れているという。
医学的に整理すれば、
(1)免疫力アップ、アンチエイジング効果がある。
(2)ストレス発散・精神安定効果がある。
(3)うつ病対策に効果がある。
(4)運動・ダイエット効果がある。
(5)血行促進、血圧安定効果がある。
(6)「幸福ホルモン効果」がある。
(7)内臓活性化効果がある。
ということになるようだ。

横浜労災病院でも、認知症患者にカラオケを歌うように指導したところ、その効果が確認されているという。

近頃の若者は人前で喋ることをあまり恥ずかしがらなくなったが、こうしたこともカラオケで、人前で歌うようになってからの現象のように思う。
人前で歌うのは、なんとも恥ずかしいもんだ。
私も、一通り皆が歌い終わり、あまり皆が歌に集中しなくなったころ歌うようにしているが、それでも自身歌い終わった後には妙にすっきりする。

私の友人には一人強烈な音痴がいる。
彼は「俺はどんな歌でも歌える」と豪語しているが、彼の歌のメロディーは、お経のように全て同じだ。
歌詞が違うだけだ。
それでも、気持ちよさそうに歌っている。
皆、彼が歌うと、半分辟易しながらも、自分のほうが上手いという妙な安心感ももつようだ。
故に彼は愛すべき男として、カラオケに良く誘われる。
逆にあまりに上手い奴が歌うと、座が白ける。
カラオケを楽しむには上手くない方がいいようだ。
と思って、私は歌っている。

知人には「1握り 3曲」という凄い人もいる。
マイクを握ったら、3曲歌わなければ離さないという意味だ。

私の息子は「なんで歌を歌うのに、お金を払わなければいけないんだ」とのたまった。
これには、ちょっとびっくりした。
「男の音痴、女の方向音痴」というが、女性は大体歌が上手い。
しかし我が家の娘は音痴の方らしい。
我が家の音楽的センスはまあ、そんなレベルだ。

歌を歌って、それが健康にもいいというのであれば、これは息子にも、娘にも言って聞かせなければいけない。

この本には「カラオケは癌にいい」とも書かれている。
証明するのは、そう簡単ではないだろうが、そうだろうと思う。
「肺癌だ」という友人にも勧めよう。

広島市民がもっとカラオケにいくようになれば、医療費の節約にもなる?
とあれば、安い投資だ。
広島市はもっとカラオケを積極的に推進したらいい。

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2009年2月 8日 (日)

講座・ブログの魅力と可能性

 「メディアとしての可能性を探る!」をテーマにブロガーを対象にした講座が開かれた。
定員30人を20人近く超える参加者はこれからブログを始めようと言う人と既にブログを楽しみながら情報発信している人が半々だった。
 私にとってはブロガーが集まるこうした会への参加は初体験で、刺激的だった。

 講師は広島のブログ社会では知らないものがいない人気ブログ「shiozyの介護生活」(
https://iiiro.jp/blog/shiozy/)の塩崎周司さんと産婦人科医で広島ブログランキングのトップを走り続ける「河野美代子のいろいろダイアリー」(http://miyoko-diary.cocolog-nifty_com/blog/)の河野美代子先生。塩崎さんは広告代理店の社長だったが6年前に奥さんが病に倒れられたのを機に社長を譲り介護に専念しながら新聞にエッセーを連載し、広島ブログランキングでトップを走り今は独立ブログを発信し続ける人気ブロガーの“シオジー”だ。

 シオジーがブログを始められた動機は介護に専念し始めて「社会とどこで繋がるか」という大きな閉塞感に襲われて「ネットに逃げ込んだ」と言い「自分の考えや溜まった思いを吐き出す気持ち良さ」から2年間は熱中した。3年目にランキングを外れて独立したブログに移りこれまでの原稿をまとめて昨年は出版に漕ぎ着けリアルの世界に踏み込んだ。

 河野さんは市長選挙の応援で走り回っていた丁度2年前にブログの存在を初めて知り読むうちシオジーのブログを知り読者としてはまり、“選挙に活用したい”と言う思いでブログを立ち上げた。蔓延していた秋葉さんの誹謗中傷を正面から正確な情報を出すための手段にしたいと言う気持ちは双方向という特性が活かされて、沢山の反響を通じて “ブログの輪”が広がった。自分の選挙では無所属候補は政党候補に比べると大きなハンデイがあり、ブログに自分の思いを直截に書くことで多くの反響が返り強い味方になった。
 
 また、医師としては具体的な患者の事例に触れる場合は関係者を傷つけることがない様に配慮をしながら書き、表現の自由に一定の制約が生じるのはやむを得ない。しかし、歯に衣着せぬ筆致は2年足らずで60万件のアクセスを得る、今や2800を超える広島ブログランキングのトップを走り続ける人気ブログに成長している。

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 ブログは匿名つまりハンドルネームが一般的だがシオジーから見て河野先生はいきなり本名での登場で度肝を抜いたが河野先生はそんなブログ常識?など全く持ち合わせていなかったようだ。匿名がいいか本名がいいか「匿名なら書けるが実名では書けない」一長一短はある。河野先生は「書くことに責任を持つ」ことで多少の制約・自己規制はやむを得ないと考えておられるようだが、二人がブログを通じて得た共通項は「既存のマスコミと違い、弱者の為のツール」の実感を強調している。

 ブロガーにはそれぞれ自分の流儀があるようでシオジーは同じネタ・テーマを2度3度とは書かないと言う作法を守っているようだ。逆に、私の場合は同じネタ・テーマを何度も繰り返し使う。その都度十分に書き込めなかった部分をカバーし、読者の認識も上がることを期待してのことだ。ハンドルネームも軟らかネタ・硬ネタで使い分け時々本名も出す三刀流で、中身の書き方も「正確さや書き手の責任」を意識した工夫をするのが私流だ。

 また、始める動機はそれぞれ違っていてもマスメディアに結びつきにくい市民がそれぞれネットを繋いでコミュニケーションできるのがブログの最大の魅力で、活用価値が当面上がっても下がることはないだろう。

 「弱者のメディア」の位置付はそこに双方向と言う特性を持ったメディアとして誰でも活かされる可能性が大きく秘められている…つまりブログの将来性は高い…が当面の結論だ。 
 この日の講座は二部構成で「情報交換会」ではブログをビジネッスに活用して成功している例やブログの基本などの情報も盛りだくさんだった。            
 特に、地域のブログを育む『広島ブログ』の存在評価は今後さらに高まると思われる。
 講座・ブロガー大集会は刺激的な初体験だった。

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2009年2月 7日 (土)

映画「若者たち」の時代といま。

 シネマクラブひろしまの1月のワンコイン上映会で’68年(昭和43年)制作の映画「若者たち」を上映した。鑑賞した20人余の中に3人の米国人がいたのは異例で、上映後の歓談で熱心な質問も大変面白く楽しかった。

 この映画は’67年にフジテレビが山内久の脚本でTVディレクターの森川時久が初監督のコンビで田中邦衛、山本圭、佐藤オリエなど俳優座を中心に新劇陣が総出で制作された。
 テレビの黎明期の放送で社会問題を両親がいない5人兄弟の家庭生活を通じて描き大好評を得て映画化された。しかし、大手映画会社が尻込みしたため、自主配給で上映されてヒットし、3部作まで発展して300万人から400万人を動員した…。
 白黒作品で上映時間は97分。

 時代は’64年(昭和39年)東京オリンピック直後で高度経済成長と生活向上が図られたが公害が多発し長時間労働と引き換えに車にカラーTVが普及し豊かさを享受した。

 映画の中の一家は戦中戦後に亡くなった両親の代わりに教育を十分に受けられなかった長男が兄弟を育て、運転手の二男が支える。大学に入るが学生運動にのめる三男。原爆被爆者を好きになる長女。大学受験に嫌気がさしている末っ子の四男。
 「かたわが生まれたら苦労するのはお前だ」と被爆者と付き合う妹に言い放つ長男に三男は「かたわの子が生まれる確率は99%ない…いつ交通事故に遭うかもしれない世の中だ」と反論して妹をかばう。

 当時、原爆病は感染する、かたわの子が生まれるなどと被爆者に対する差別的な噂が流れ広島・長崎以外に住む被爆者は極力被爆者である事を隠すなど孤立させられる状況があった。映画はこうした社会的背景に留意して敢えてこの問題をクローズアップさせている。 
 また、人間の価値が「損・得」の金に換算される風潮が生まれる中で、苦労して来た長男は「金の大切さ」「学歴の大切さ」を口にして三男と対立する。
 「金より人間が大切だろう」と札を燃やす弟。

 当時の「幸せって何?」をテーマにしているが派遣労働者が解雇され寒空に放り出される今の時代。小林多喜二の小説「蟹工船」や映画に人気が集まる時代。「若者たち」が今の鏡のように見えるのは強ち不思議ではない。2、3部同時に見たい衝動に駆られる作品だ。
 最近はこれほど社会的問題意識を明瞭にかざした映画は少ない。
 一挙上映の機会が出来れば…と期待するが…。難しい…?
 問い合わせ:広島映画センター <広島市中区堺町1‐2‐9 貴志ビル1F> 082-293-1119

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2009年2月 6日 (金)

土山秀夫さんの「日本核武装の幻想」

 日本ジャーナリスト会議広島支部が若い現職のジャーナリストの育成に…との思いで始めた6回目のヒロシマ講座に長崎大の元学長の土山秀夫さんの講演会を開いた。
 土山さんは入市被爆者で被爆直後から多くの被爆者の治療と救護にあたった医師で、専門は病理学。
 退職後は独自の視点から核兵器を中心にした安全保障や国際関係、憲法問題について取り組む一方長崎の市民レベルの平和運動に身を投じて核兵器廃絶ナガサキ市民会議代表、核兵器廃絶地球市民集会ナガサキ実行委員会代表、9条の会共同代表など務め被爆地の立場から発言を続けている。また「世界平和アピール七人委員会」の委員として、83歳の今も日本の平和運動の牽引役を努めておられる。
 その活動のスタイルは「ナガサキ方式」として注目を集めており、この日の講演は主催者のたっての希望で「日本核武装の幻想」に「ナガサキの平和運動」が追加された。

 先ず、日本の核武装については米ソが核不拡散条約NPTを設置し5ケ国以外に核保有させないとしたのは日本とドイツに対する警戒心から急がれた。ドイツは脱原子力・核武装がはっきりしていたが日本は過剰なプルトニュウムを持ち国会議員や閣僚の核武装支持発言で疑惑を与えている。
 しかし、日本政府は過去2回内閣調査室と防衛庁が「核武装は技術的には可能だが、日本の安全保障上何の利益にならない」と報告書をまとめているが、多くの政治家・国会議員、最近では自衛隊の田母神航空幕僚長の論文や発言など“日本の核武装”発言が繰り返されてきた。その源になっているのは細川内閣時代の’93年内閣法制局が「自衛のための必要最小限度の実力を保持する事は憲法で禁止されていない。従って核兵器であっても…憲法の禁止するところではない」にあり、その都度その背景にはそれぞれ右翼系学者がいることはあまり知られていない。背後にいる学者を炙りだして、そそのかしの責任が大きく厳しく追及していかねばならない。
 日本が米国の核の傘から脱却するには「日本が絶対に核武装しないことを保証してみせない限り不可能」という米国の思惑を無視した日本核武装論は幻想でしかない…。
 強い意志が注がれた説得力の強い内容だった。

 平和運動については自ら被爆体験として、あの時ほど医学の無力を感じた事はなく、長年感性でどれ程被爆実態を受け止められるかを考え、国際政治上の論理に訴えることの大切さを知った。退職後に国際政治を学び安全保障問題を被爆者の視点から研究された。
 平和活動は政党、労組、宗教など団体主導で一般市民が入りにくく市民を巻き込むことが課題だった。
 長崎では2000年のNGOの核兵器廃絶長崎集会を機に長崎市は経費と人の協力をするが企画立案や運営には口出ししないことを前提に実行委員会で共催し“行政ペースの排除”が実現し、長崎県も追随して定着した。

 この2回目の集会(2003年)に“日の丸、君が代”の推進者である諏訪神社の宮司が参加を希望。多くの人が混乱を懸念し反対したが「あの人が申し入れするには何か理由がある?」と思い面談した。宮司は思想信条を持ち込まない、団体へ持ち帰って相談しない、「核兵器廃絶」の一点で協力…を同意され、他の宗教団体も次々に参加のきっかけになり、3年ごとの開催が継続中だ。
 また、日豪政府主導で始まった「核不拡散核軍縮に関する国際委員会」に民間の声を届ける『日本NGO市民連絡会』(2月25日発足)への参加に繋がった。2010年のNPT再検討会議に大きく結集していきたい。
 これが「長崎市民が右左なく参加した反核運動」と評価を受けている“ナガサキ方式”として各地の運動に影響している…と実践で得た貴重な成果が紹介された。

 この他、米国のオバマ大統領に過度の期待はできないが秋に新たに示される核戦略が2010年に向けてどんな施策が盛り込まれるか?注目に値する。
 被爆者にとっては憲法9条を掲げて行くことが核廃絶に繋がる密接なかかわりがある。
 本来なら免れた原爆は敗戦時の指導者の誤った判断がもたらした等々、興味ある多くの事例が示された示唆に富んだ講演だった。

 会場は40人程度の席がほぼ埋まり若い人、現役の記者たち数人?が聴講していたのは喜ばしく、記者感覚を刺激する内容が豊富でヒロシマの平和活動報道にとってヒントを得たに違いない…と受け止めた。今後の講座により多くの現役記者の参加を期待したい。

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2009年2月 5日 (木)

老化?

先日、読売新聞の長寿社会についての特集のなかに次のような文章があった。

『体が弱り、交流範囲が狭まり、孤立感が深まるにつれ、幸福感は60歳台で6割、70歳台で5割と低下する。
年をとるにつれ、幸福感が低下するが、ところが85歳を超えるとそれが逆転する。
車椅子生活、寝たきり生活の老人が「自分は健康だ。満足している」と回答する。
「何が不思議って、自分が生きていることだ」といっている。
85歳以上を超高齢者と呼ぶそうだが、医史学者の立川昭二・北里大名誉教授は「超高齢者は不思議な達成感や充足感に包まれ、自然の理そのものの中にいるような感覚になる。その心の状態が気の充実を生む」といっている。』

そういえば、90歳を過ぎて亡くなった義理の母は、毎日目が覚めると、神棚に向かってどうもありがとうございますと拝んでいた。

私も「年をとって、車椅子生活や、寝たきり生活はしたくない。あんまり長生きはしたくないなー」と思っていたが、意外とそのころになると、幸福感を感じ、精神的にも穏やかな状態になるというなら、「長生きしてもいいか」なんて思えてくる。

先日、誰かが「青春時代はよかった、あの頃に戻りたいという人が多くいるが、私にとってはあんな苦しかった時代はない。何をしていいかもわからず、女の子にはもてず、厭な思い出、恥ずかしい思い出、人には随分と迷惑をかけてしまったという思い出ばかりだ。あの頃を思い出すと、ワーッと叫びたくなる。削除したい位だ。今の方がよっぽどいい」と書いていた。

それを読んだとき、思わず、「私もそうだ」といいたくなった。
私も、今のほうがよっぽどいい。

ということでは、私は、85歳にならずして、その心境に到達しているということだろうか?

そうだとすれば、格好いいが、そうではなく単に、「若いのに、早くも老化している」ということなのだろうか?
だとすれば、これはちょっとヤバイ?

しかし文句、不平不満をいっているより、私は楽しく毎日を過ごしたい。
それには、要するに「生きていることを感謝し、有難いと思うようにすればいい」ということのようだ。

超高齢者から学ぶことは多い。

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2009年2月 4日 (水)

通りの名称

「袋町通りのお店」というテーマでブログを書いていた際、この通りの名称は一体何ていうんだろうと、あちこち聞いてみた。
結論は、名称は正式にはないということだった。

広島には、本通り、大手町通り、並木通り、地蔵通りとか呼ばれる通りがある。
それらはどれも、誰かがいいはじめて、いつの間にか、なんとなく皆がそう呼ぶようになったということのようだ。

日本では幹線道路は「国道54号線」とか、「市道吉島観音線」と付いている。
それら幹線道路を除いて、殆どの道路に名前はついていない。
市街地、住宅地の中の細い道には、まったく名前はない。

日本では、住居表示にしても、通常広島市袋町町1番地というようにある一定の広がりのある街区を指している。
道路は街区の境界線になっている。
そのためもあってか、道路の両側の町内会は別々のことが多く、なかなか道の両側の街が一体になって活動をすること難しくしている。

アメリカではすべての道路に名前が付いている。
住居表示も例えば121.Obamard St.というように表示されている。
お店にしても、友人宅を探すにしても、大変見つけやすい。

日本では、これまでは道路は「車の通る道」というイメージが極めて強い。
歴史的にも車の通る道の整備として道路が作られてきた。

しかし今「車優先社会」から「歩いて暮らせる街」への変換が求められるようになった。
この際、「通りの名称」も街のイメージ、町並みの雰囲気を代表するような名称をつけたらどうだろうか。
街の雰囲気を良く現わしている通りの名称は、街の魅力を高めることにもなるはずだ。

広島五日市の「コイン通り」も定着して来た。
基町護岸の「ポップラ通り」もほのぼのとしていい。

このポップラ通りを命名したのは、ポップラ・ペアレンツ・クラブ(PPC)の「川通り命名委員会」(CAQ)だ。
PPCは、広島の水辺の通りに名前をつけよう、と提唱して活動をおこし、市民からの公募をし、3つの通りに名前をつけた。
「基町ポップラ通り」のほかは、「8月6日通り」と、「京橋カフェ通り」だ。
国交省と交渉し、看板までつけた。

他の都市で、こんな運動があったとは聞いたことがない。
都市計画学的にも素晴らしい活動だ。
PPCの行った活動を、もっと広げて『広島市内の全ての通りに、名前をつける』としたらいい。
広島発の、画期的なまちつくりの運動になるはずだ。

2_2

そういえば昔、親不孝通りとか、狸小路とか呼ばれる飲み屋横丁もあった。
いつのまにかそんな通りは消えてしまった。
寂しい限りだ。

「カープ通り」とか「サンフレッチェ通り」とか、色々考えられる。
「うらぶくろ通り」なんてのも、あっていい。

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2009年2月 3日 (火)

袋町通りのお店

広島市市民交流センター前を通って、本通り、平和大通り間を結ぶ一方通行の道がある。
この通りの名前は、正式にはないようだ。
袋町通りとでも呼んだらいいかもしれない。
この通りに面して、また1店、オシャレなブティックがオープンした。
ベルジュアと読むようだ。
お店の建物も、道路からちょっと下がっていることで、建物の前にちょっとしたスペースができている。
そこに木製の大きな花壇が設けられ、綺麗な花が植えられている。
お店の木製の扉はどっしりとして、高級そうな雰囲気を醸し出している。
店内で売っている服も、なんとなく高級そうに感じる。

1_2

袋町通りには、他にも随分とオシャレな店ができてきた。

道路から、半階下がって入るお店もある。
道路から下がって入るなんてのも、シャレている。

この袋町通りは、一昔前の銀座の並木通り、青山通りのような雰囲気になってきた。

こうしたお店が出店するようになったのは、袋町小学校、広島市交流センターの建物がちょっと豪華で、その前にちょっと綺麗な広場があり、並木道があるからだろうか。

この袋町通りも「うらぶくろ」の1角だ。
「うらぶくろ」を散歩する楽しみが、また一つ増えた。

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2009年2月 2日 (月)

古希記念個展“山岳70景”

 友人の平昭治(廿日市市在住)さんが元気で古希を迎えられた記念にこれまで出会った心に残る山、岳、峰々を年の数のだけ展示した個展を開いた。(2/21 ~27)
 中区鉄砲町のキャラリーブラックの1階と2階をフルに活かした展示は小品が中心だがなかなかの迫力で活力に満ちている。

 個展のタイトルが「絵姿70景 山岳の詩(やまのうた)」とある。北は北海道から紅葉の八甲田、安曇野の朝や桜咲く宮島の春に南は屋久島まで訪れた山々の凛とした美しさと神秘と気高さが丹念に描かれている。

 同じ寅年の平さんが絵を始めたのは30年余前。県庁職員時代に子どもの頃から好きだった日本画の修行を始めた。2000年には院展に入選し県庁を退職後は作家として打ち込む一方で地域の高齢者や障害者の絵画指導をしながらNPO法人「ふくし文化塾」を立ち上げて力を注いできた。
 また、‘94年の広島アジア大会を機会の組織されたカンボジアとの市民交流組織が現地に建築を進めてきた広島ハウスの資金集めに協力してきた。何度もカンボジアに足を運びスケッチや画集を作るなど原画をFFのバザーや交流協会の資金集めに提供するなど絵画を通じて交際交流に協力してきた。彼のひた向きさには頭が下がる。

 流石にこの一年は今回の個展の為に集中して取り組んで70点を完成させた。
こうした個展は最後にする…気持ちのようだ。
 得意の分野で老後を生きる理想的な取り組みに見えて羨ましい限りだが、ご本人にとってはそれなりの御苦労も気遣いも多いようだが新しい目標を構えるようだ。
 これまでも何点か見たことのある仏画に挑戦すると言う。親しい高僧の希望も手伝って
仏さまの絵を描く…。
 
 画業を通じて更に一歩進めることは正に生きざまを掛けた修行にも通じるだろう。
新たな挑戦の成果が見せてもらえるのは何時か?多少の時間が必要かもしれないが楽しみに待ちたい。古希の決意は爽やかだ。新しい歩の健闘を祈り期待したい。

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2009年2月 1日 (日)

駅伝今昔

 心配された雨に見舞われることなく14回目の都道府県対抗「ひろしま男子駅伝」は長野県の連覇で幕を閉じた。沿線の25万人の駅伝フアンはふるさとの味と県人の集いなどで大いに楽しめたようで広島の正月明けのイベントとしてすっかり定着した。

 14回にもなると、この駅伝の前身が福山と広島間107キロ余りを結んで1931年(昭和6年)に発足、戦時中から終戦直後の4年間中止されたが’48年(昭和23年)に復活し日本3大駅伝として全国の力のある実業団が覇権を争った事等来歴を知る人は少なくなった。
 コースは山陽唯一陸の動脈国道2号線だったが片側一車線の旧国道が中心で本番前の練習中に有名選手の死亡事故が発生、レースに選手全員が喪章を付けて走ったことがあった。
 
 西條の駅伝コース沿いに生まれ育った私は物心がついた頃から毎年沿道でわくわくしながら声援を送った。当時は選手の傍を自転車で声を掛けながら一緒に走る伴走者がいた。 今のような軽量な自転車では無く伴走はおそらく選手以上に厳しい役割だったに違いない。
 建国記念日という年で一番寒い2月11日は雪が舞う日が多く、選手に遅れた伴走者が後から来るトラックにピックアップされる姿が脳裏に焼き付いている。

 RCCは’56年(昭和31年)からラジオで実況中継をはじめ‘81年(昭和61年)からはヘリコプターを中継基地に活かした日本初の方式を編み出したテレビの実況中継も行った。
 日本陸連は京都で行ってきた全国都道府県対抗女子駅伝が日本女子陸上界のレベルアップに成果を挙げていた為、男子でも同じ大会の開催を模索していた。’94年の広島アジア大会の成功を契機に道路事情が極端に悪くなっていた中国駅伝からのスイッチを画策し、’95年(平成7年)の62回大会を最後に「ひろしま男子駅伝」にバトンタッチされた。

 男子駅伝の特徴は47都道府県が参加し、チームの編成は中学生2人、高校生3人、一般実業団大学生2人で日本男子陸上競技の中・長距離選手の強化育成が大きな目標で、14回大会にして既にオリンピックや世界陸上の代表選手を生んできていることは頼もしい。
 第一回大会は最終区で広島が福岡を逆転して劇的な優勝を飾った。今年も大いに期待された中電の岡本選手が区間賞記録で5人抜きしたが12位に終わった。
 NHKがTVでRCCがラジオで全国中継し知名度は上がり広島に全国の県人会が結成されこの時期の催事として理想的に定着した。二つの駅伝に多少関わった者としては感慨深い。
 それにしても沿道の観衆がラジオからワンセグTVに大変化したのには驚いた。

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