「年賀状」あれこれ
今年も年賀状を書く時期が来た。今年は特に11月中旬から喪中ハガキが届きだした。
年齢的に早く書く事が出来る時間が持てる人が多くなった…せいかもしれない。
そう言えば、このブログで今年は5本の追悼記を書いた。
そもそも年賀状なんてどこの国で生まれたのか。紙に文字と言う文化発祥の地に暦が生まれ、収穫に感謝し新しい年の豊穣を祈り、それぞれの健康と無病息災を願う習慣の中から書状を通じて交わすように生まれた…と言う説がある。
もっともな説だが日本ではどうだったのだろうか。少し、探ってみた。
6世紀半ばに暦が伝わり紙と文字が普及?し始めた7世紀後半に貴族の間で遠方の知人や友人への「年始の書状」が広まったとの説が有力のようだ。
江戸時代には飛脚が定着する頃には商人や町人の間でも寺子屋で「読み・書き・そろばん」を習い、手紙のやり取りも増え「年賀書状」は身近な存在になっていた。しかし、明治になって郵便が国家的事業として全国を結ぶようになると「はがき」が急速に普及し、明治38年には今の年賀はがき制度の原型になった「年賀はがきの特別取扱い」が始まった。
明治の終りから昭和にかけて増え続け昭和10年には初めて年賀切手が発行され私製はがきも増えて、年賀状取扱いが7億通を超えたと言う記録がある。しかし、私が生まれた昭和13年頃から日中戦争による物資不足と国家総動員法で世の中は次第に「年賀状どころではない」時代になり急速に減り始め、昭和15年には「年賀郵便取扱」が中止になる。
戦争に向かってまっしぐらに進んだ時代が終わって年賀状が復活するのは「お年玉籤引付き年賀はがき」が発行された昭和24年。商品の特賞がミシン1等は純毛洋服地2等グローブ3等こうもり傘。発売と同時に大ヒットし、取扱量が一気に4億枚になって戦後復興の息吹を呼んだ格好となり、昭和30年には戦前ピークの年賀状取扱いレベルを超えた。
芋や消しゴムで印を彫った思い出がある。年々増加を辿り平成9年には37億枚に達する。
年賀状は正しく戦後日本の経済発展に比例する形で伸びてきた大衆文化のひとつだ。
しかし、ここを境にITの発展でメールや配達便が代わって台頭し始め、徐々に減少の傾向にあるのが現状だ。だが戦時中に官制で中止した様な事は再びあってはならない。
ひと頃は1千枚もの年賀状を印刷せず手書きで続けてきたが退職後5年かけてメールにも切り替えながら徐々に5分の1に減らして来た。45年間、手書きしてきた年賀状をはじめてPSで作ってみた。これも楽しみな一つになりそうだ。それにしても、年賀状の未来はどうなるのだろうか。平和な世が続く限り伝統的文化として生き続けて欲しい物の一つだ。
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