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2008年12月

2008年12月31日 (水)

阿戸のお屋敷

広島市の郊外、安芸区阿戸町に築200年という大きなお屋敷がある。
広島市の文化財にもなっているようだ。
こうした古いお屋敷は、歴史的にも価値があり、建築的にも立派だが、冷暖房は効かず、今では住むにはなんとも具合いが悪いというのが普通だ。
住むのに不適というだけでなく、維持管理費もかかるということで、近年こうした古い家はどんどん壊されていっている。
勿体ない。

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最近になって、志和のICの近くにできた大和花というレストランもそうだが、古い蔵や住宅がその価値が見直され、レストラン等に改装して、一般に開放するというケースが増えてきている。
このお宅もレストランにするのも1案だろうが、ちょっとしたイベント会場にするというのも考えられる。
11月にはジャズのコンサートも催されたというが、こんな古いお屋敷の中で聞くジャズは、市内のジャズバーで聞くのとはちょっと違った趣があっていいだろうと思う。
こんど開かれる時は是非行ってみたいと思っている。
度々そうしたことがされるようになれば、ここはちょっとした熊野、阿戸地区の「文化の拠点にもなるだろうと思う。

近くに熊野筆の展示、販売をしている「熊野筆工房」があるが、そうしたお店もこのお屋敷の中に設けられれば、もっと熊野筆の歴史が感じられ、新たな広島の名所にもなっただろうと思う。

街から離れてポツンと建っているような場所にあっても、この車社会では、結構人を集めることはそんなに難しいことではなくなった。
イベント情報だって、ネットで簡単に知ることもできるようになった。

こうした類の建物は、広島市内にはまだまだ沢山ある。
草津地区にも古い建物が沢山残っている。

これからは、やみくもに新たな建物を作るのではなく、こうした古い建物の再利用の仕方を、もっと積極的に考えることが求められる時代になったようだ。

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2008年12月30日 (火)

英語と日本語

ノーベル賞授賞式で、日本人3人の業績が日本語で紹介された。
「ますかわせんせい・・・」と始まったのには、びっくりした。
こんなこと、初めてだ。
ノーベル賞委員会の人たちが日本語を読めるはずがない。
スエーデン語で書かれているのだろうが、きちんとした日本語となっていた。
ちゃんと理解できた。

8日のノーベル賞の記念講演を、益川氏が日本語で行ったからだろうか。
世の中変われば、変わるもんだ。

益川氏は、海外にも行ったことがないからと、パスポートも持っていないという。
怖ろしい学者がいたもんだ。
ここまで徹底すると、凄いとしかいいようがない。

益川氏は、博士論文の英文タイプを、当時名古屋大学職員だった夫人に頼んだのが縁で結婚したというから、これまた可笑しい。


私の友人で、アメリカの大学で講義をしたほどに英語力はあるのに、日本では英語が全く喋れないかのように振る舞っている人がいる。
彼は、アメリカ人と同席し、どうしても英語をしゃべらざるを得ない時ときにしか喋らない。
そのアメリカ人は、彼の英語を上手いですねーと褒めていた。
彼は、英語を喋ると頭が痛くなる、英語で喋ると、理屈で喋ることになり、喋ることが楽しくなくなるから、日本語で喋るのだといっていた。
しかし本当の理由は、どうもただ単純に英語に自信がないからのようだ。
面倒くさいからだともいえるが、益川氏ほど徹底しているわけではないから、大したことはない。

そういえばもう一人、バイリンガルのように英語の上手い友人は、喧嘩したときは、思わず日本語になってしまうといっていた。
英語では、理性的になってしまうから、感情的になれず、怒れないようだ。

インターネットで使われる言語の殆どは英語だそうだが、2番目に多いのは日本語だという。
フランス語でも、ドイツ語でも、スペイン語でもないという。
理由は、日本人は英語が苦手だからというのが1番の理由だろうが、どうもそれだけではないように思う。
殆どの国は、実は自国語で高等教育をすることはできないのだという。
インドは言語の数が多すぎて、仕方なく英語を共通語にしているという。
故にインドの企業は、簡単にアメリカのビジネスに溶け込むことができるともいわれている。
つまり、日本のように自国語で科学、芸術、ビジネス、教育の全てが事足りるという国は意外と少ないようだ。
そうしたこともあって、インターネットの世界で、日本語が2番目に多いという理由になっているのではないだろうか。
益川さんのように、ノーベル賞をもらうほどの研究だって、日本語で事足りるのだ。

英語が喋れないからといって、卑下する必要は全くない?

だから、うちの子供は英語を殆ど勉強しなかった?

「コラッ、それとこれとは全く違うだろう。
いいかげんな言い訳するな!
喋れたほうがいいに決まっている!」

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2008年12月29日 (月)

嬉しい忘年会

 長年同じ職場で働いてきたAさんの掛け声で忘年会が開かれた。Rさんの娘さん夫婦が営む評判の蕎麦屋で開かれた会には14人が参加した。

 私はこの秋、肺に転移した癌を抗がん剤の投与で味も匂いも失って半日は寝たきり状態になった。思考力も薄らいで「人間らしさ」を全くなくした状態を脱するため“抗がん剤の中断”をブログで宣言して、長年お世話になっている十河医院の東洋医学による治療一本に切り替えた。
 幸い、味も匂いも回復し徐々に抗がん剤の投与前の状態を取り戻し、中断していた散歩も日課に復活させた私を元気付けようと集まってくれた…と知った。

 丁度この日、広大病院で抗がん剤中断後初めての血液とCT検査を受けた。3月ケ前より体重が2㌔増えているが、自覚症状としての病変は無く食べ物の味は大変良くこれ以上太らないように注意が必要だ。結果診断は1週間先になる。後刻報告したいと思っている。

 筑紫哲也さんと先輩でRCC夕方ワイドニュースの初代キャスターを務めた佐伯亨さんの二人が癌に倒れて急逝されショックを受けていた頃, 病後も何かと気遣いしてくれるAさんが「忘年会を開こう…」と声を掛けてくれたので「喜んで参加する」と答えて出向いた。
 
 診察に講演に多忙を極めるK医師夫妻、この夜も大分への講演会に出かける時間を2時間延ばして出席してくれた。何かにつけて激励してくれるブログ仲間のNさんやシネクラブの運営で力を貸してくれるUさんに憲法9条の会でリードしてくれるHさん。影絵展で中学生のワークショップに参加協力してくれるK先生、現役時代から国際交流や平和問題で付き合い頂いたK名誉教授、いま広島の平和問題を先頭でリードしているRさんと平和研のA所長。記者時代の先輩KさんにTさんの13人。

 「抗がん剤に頼っていては長生きできん、いい決断だった」とは癌経験のK名誉教授。会う度に元気になっている、少し太った、声の張りが良い…など力強い激励をいただいた。
 毎日散歩に出かけても知り合いに出会わない限り他人と言葉を交わさない日が何日もあることに気付いて唖然とする事がある。奥様に先立たれたK名誉教授は「誰とも話さない日が続く」という。寂しいとか悲しいのではない。ともすると悲観的になったりマイナス思考に傾いたりしてなかなか元気が出ない…のだ。
 友人が声を掛けてくたり、手紙やメールでの激励が嬉しくどれだけ元気が出るかは想像以上で、本当に有難い嬉しい忘年会だった。
 こんなに“穏やかな気持ちで元気にお正月が迎えられる”ことに感謝したい。

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2008年12月28日 (日)

‘08年回想「不安な越年」

 福田首相の突然の投げ出しで交代した麻生首相は3ケ月でマスコミ各社の世論調査の内閣支持率が20%余と安倍、福田の末期レベル(27~8%)以下に急落、100年に一度と言う金融・経済不況の煽りも受け、年の瀬に難破状態に達した。2008年を締め括る好材料は何もなく、相次ぐ解雇に就職内定の取消し等「先が見えない不安社会」が出現してしまった。

 師走になってトヨタを筆頭に日産、いすゞ、本田にマツダの自動車メーカーを筆頭にキャノンにソニー等ここ10年,栄耀栄華を極めた世界的な製造業を中心に相次いでリストラに踏み切っている。派遣契約を解除されたフリーターが突然会社の寮を追い出されてネットカフェ難民になりつつある…と言う報道に心が痛い。
 4月の新卒採用内定者の取り消しは各業種に幅広く及びつつある。

 “定額給付金“の支給を考える前に、これらの人の雇用対策なり緊急対策が出来ないのか不思議でたまらない。大手製造業の派遣や契約など非正規社員の多くは各事業者の地元では無くほとんどが全国から集めて派遣会社が送り込んでおり、解雇と同時に住まいが無くなり住所不定になる人が多いと言う。
 そういう人を簡単に雇ったりアルバイトをさせる企業は無く、無職であれば部屋を借ろうにも不動産屋も相手にしない。ここが、立ち直りの大きな壁になる…と言われる。

 ホームレスとフリーターの境界が無くなりつつある…との指摘がある。
 ネットカフェで無一文のフリーターや高齢者が逮捕され刑務所行きを希望する者がいると言う現実はあながち誇張ではなさそうだ。自暴自棄になって凶悪犯罪に結びつく可能性は否定できない。社会不安を取り除くためにも一刻も早い失業者の住居確保や次の就職斡旋までの繋ぎ資金を用意するなどの対応が急がれる。
                                        
 雇用が不安定になれば社会不安を招く事は当然の帰結だ。
 非正規社員は働く人の三分の一まで増えた。
 嘗て日本に長く続いた終身雇用という文化?を改革の名の下に解体していまの実態を生んだ。政治が財界の要望に沿った制度を導入した結果で、米国同様に貧困層の拡大を容認してきた政府自民党・公明党の政策の失敗だ。

 この年の瀬に失業者、非正規労働者、零細事業者など様々な不安定な労働者が大量に出現している。 民主党はじめ野党各党は麻生内閣の舵取りは政権末期の座礁寸前との冷ややかな見方をするだけでは済まされない。政治の力を発揮できる環境づくりが急がれる。
 先が見えない不安な越年は、新年早々一気に解散・総選挙に向かうのだろうか?

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2008年12月27日 (土)

「年賀状」あれこれ

 今年も年賀状を書く時期が来た。今年は特に11月中旬から喪中ハガキが届きだした。
 年齢的に早く書く事が出来る時間が持てる人が多くなった…せいかもしれない。
 そう言えば、このブログで今年は5本の追悼記を書いた。

 そもそも年賀状なんてどこの国で生まれたのか。紙に文字と言う文化発祥の地に暦が生まれ、収穫に感謝し新しい年の豊穣を祈り、それぞれの健康と無病息災を願う習慣の中から書状を通じて交わすように生まれた…と言う説がある。
 もっともな説だが日本ではどうだったのだろうか。少し、探ってみた。

 6世紀半ばに暦が伝わり紙と文字が普及?し始めた7世紀後半に貴族の間で遠方の知人や友人への「年始の書状」が広まったとの説が有力のようだ。
 江戸時代には飛脚が定着する頃には商人や町人の間でも寺子屋で「読み・書き・そろばん」を習い、手紙のやり取りも増え「年賀書状」は身近な存在になっていた。しかし、明治になって郵便が国家的事業として全国を結ぶようになると「はがき」が急速に普及し、明治38年には今の年賀はがき制度の原型になった「年賀はがきの特別取扱い」が始まった。

 明治の終りから昭和にかけて増え続け昭和10年には初めて年賀切手が発行され私製はがきも増えて、年賀状取扱いが7億通を超えたと言う記録がある。しかし、私が生まれた昭和13年頃から日中戦争による物資不足と国家総動員法で世の中は次第に「年賀状どころではない」時代になり急速に減り始め、昭和15年には「年賀郵便取扱」が中止になる。

 戦争に向かってまっしぐらに進んだ時代が終わって年賀状が復活するのは「お年玉籤引付き年賀はがき」が発行された昭和24年。商品の特賞がミシン1等は純毛洋服地2等グローブ3等こうもり傘。発売と同時に大ヒットし、取扱量が一気に4億枚になって戦後復興の息吹を呼んだ格好となり、昭和30年には戦前ピークの年賀状取扱いレベルを超えた。
 芋や消しゴムで印を彫った思い出がある。年々増加を辿り平成9年には37億枚に達する。
 年賀状は正しく戦後日本の経済発展に比例する形で伸びてきた大衆文化のひとつだ。
 しかし、ここを境にITの発展でメールや配達便が代わって台頭し始め、徐々に減少の傾向にあるのが現状だ。だが戦時中に官制で中止した様な事は再びあってはならない。

ひと頃は1千枚もの年賀状を印刷せず手書きで続けてきたが退職後5年かけてメールにも切り替えながら徐々に5分の1に減らして来た。45年間、手書きしてきた年賀状をはじめてPSで作ってみた。これも楽しみな一つになりそうだ。それにしても、年賀状の未来はどうなるのだろうか。平和な世が続く限り伝統的文化として生き続けて欲しい物の一つだ。

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2008年12月26日 (金)

携帯電話禁止の是非

 小中学生の携帯電話使用をめぐる社会的意見は分かれているが、何かと問題発言の多い大阪府の橋下知事が今度は「公立小中学での携帯禁止令」を出して波紋を呼んでいる。
 都道府県単位で「公立小中学校への携帯持ち込み禁止」は初めてで、全国各県教育委員会の今後の対応や父兄をはじめ一般社会からの反応も注目される。

 橋下知事は「携帯電話への依存度が高いと学習時間が少なくなるのは当たり前」と学力低下への悪影響を指摘し、「携帯は学校に必要ない。まず“家庭の責任”だが学校でも取り組み、弊害は是正する」としている。
 
 府教委は7月に公立小2年から高3までの1万3600人と対象に調査した結果、中高生の4人に1人がメールを1日に31通送信するなど「携帯電話依存」拡大の実態を掴んだ。
 学校への持ち込みは小学校の88%、中学の94%が禁止しているが、保護者から「携帯を持たせたい」と要請がある場合は学校が理由を聞いて判断してきたと言う。
 因み携帯を持っているのは中1で51%、高1で91%。小2でも18%が持っている。

 橋下知事の言う学力低下への影響も無いとは言えないだろうが、最近は掲示板やメールに書き込まれる悪口がいじめの原凶になっているケースが少なくないとの指摘もある。
 出会い系サイトを巡る犯罪などのトラブルも後を絶たない状況もある。
 
 小学5年の孫に聞いてみると学区外から父兄が送迎している子どもや両親が共働きやお店をしている子どもが持っているようだ。中2の孫の学校(私立)は携帯・ゲームの持ち込みは禁止しているが、隠れて持っているものが結構いて、時折抜き打ちチェックで見つかると家族へ連絡注意する…ようだ。
 二人ともサッカー・野球とテニスに夢中で「携帯で遊ぶ時間なんか無い」と、今のところ全く欲しがっていないのに安堵した。

 携帯は「心の痛みや悲しみを感じる心が育たなくなる…」と弊害を警告する人もいる。
 GPSを組み込んで居場所を確認出来る等の優れた機能を持たせて子どもや介護老人の安全監視が出来るなど優れた面も持たせることもできるが商品開発はあまり進んでおらず普及は遅れているようだ。

 子供に持たす携帯は親の都合や利便と安心のために持たす“家庭の責任”が大きい様だ。
 何でも有りの時代に利便さだけを追求する結果に生まれた現象に多少の不便は譲ってもいいのではなかろうか。今回ばかりは橋下知事の決断に軍配・支持が上がるように思われる。

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2008年12月25日 (木)

定額給付金を市に任せる!

定額給付金として、今年度末に、一人あたり12000円、子供と65歳以上の人には、さらに8500円プラスされるという。
世論調査では、この定額給付金をもらっても、「べつにありがたくもない」と答えている人は65%にもなる。
定額給付金のための予算は2兆円になるという。
さらに給付するための費用もかかるはずだ。

2兆円ものお金があれば、相当のことができる。
それが国民一人ひとりに配分されるというのは、つまり今の政府には、配布する以上にいい策がないということだろう。
なんともお粗末な政府だ。
麻生さんは所得制限をするか否かは地方に任せるという。
そして、それは地方分権でもあるという。
エッ、地方分権て、そういうことをいうの?

それならいっそ、定額給付金を配分するか否かも、地方に任せたらいい。
広島市の人口は116万人だ。
(12000円+α)×116万人=130億円にはなる。
これだけのお金があれば、財政難の広島市として、やりたくてもできなかったことが、できるようになる。
サッカー専用球場だってできる。
小学校の耐震構造化だって進められる。
壊れそうになっている橋の改修もできる。
介護、医療施設の充実だって進められる。

同じような問題は、どこの市町村も一様に抱えているはずだ。

そうしたほうが、自民党にとっては選挙対策になるのではないだろうか。

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2008年12月24日 (水)

国会議員と市長

定額給付金が日本国民全員に配られようとしている。
所得制限を設けるか否かについては、地方自治体の判断に任せるという。
「地方分権の時代だから、よろしいんじゃないですか」と麻生首相はいう。
任せられる方の地方自治体の市町長は、「年度末でもあり、その膨大な作業に対応できない、手違いがあれば文句をいわれるのは地方自治体の自分たちだ」と一斉に反発している。

地方分権の意味がどうもおかしくなっている。

そんなことを話していたら、友人がヨーロッパでは「市長が国会議員を兼務しているケースは多い」ということを教えてくれた。
なにそれ?

早速ネットで調べてみると、小野吉郎氏は「新しいフランス」という本で、
「フランスでは、国会議員は市長、県会議員、地方ブロック議員の4役を兼ねることができる。国民議会だけで、577人中331人が4役を兼務している。上院でも321人中165人が兼務だ。国会議員に専念しているのは少数派だ」と書いていた。
何?
国会議員、県会議員、市議会議員、それに市長を兼ねる?
そんなことができるんだ。
これは驚いた。
要するに兼務してはいけないというのは、日本の法律がそうなっているからということのようだ。
それならその法律を変えればいいだけの話ではないか。

フランス程に大きく変更はしなくともよい。
例えば、参議院議員の242人のうちの146人が地方区選出の議員だが、その地方区選出の議員すべてを、地方自治体の知事、市長の兼務としたらどうだろうか。
都道府県知事の47人と政令指定都市の市長17人+全国の市町村長の代表82人を国会議員の兼務とするのだ。
この82人をどうするか、抽選としたっていい。
知事、市長が忙しすぎて兼務は難しいというなら、知事、市長の任命する人を国会議員にしてもいい。
アメリカでは上院議員が欠員になった場合、州知事が任命する人が上院議員になるという。
それが法律で決まっているようだ。
いずれにしろ、地方と中央を連結する何らかの仕掛けが、政治の世界にも必要だ。

参議院は衆議院のコピーの役割しかしていないと、酷評もされているが、選出制度を変えれば、その存在価値も変わってくるはずだ。
何かを変えるには、そのシステムを変えなければ、変わらない。

金融危機問題、環境問題を発端として、今世の中は大きく変わろうとしている。
政治だって、どんどん変わらなければいけない。
政治の世界は戦後60年たっても、そのシステムは基本的には何にも変わっていない。
金属疲労を起こしているようだ。
そろそろ変え時ではないだろうか。

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2008年12月23日 (火)

違法駐輪と柵

広島市内どこでも、違法に停められる自転車の処理に困っている。
違法駐輪を排除するために、通常棒を渡したコーンを並べて、停められるスペースがないようにしている。
それでも置く人がいるのだろう、確実に排除するためにガードマンを置いているところもある。
違法駐輪は危険だし、あまり格好いいものではない。
でもこのコーンと棒はなんとも汚らしい。
置くにしても、もう少しなんとかならないもんだろうか。

1

先日お寺の入り口に木の柵が置かれているのを見た。
なかなかきれいなデザインだ。
これは日本人の知恵とセンスが作り出したデザインだ。
コーンと棒の代わりにこんなのを置いたらどうだろうか。
この程度の木材なら間伐材で充分だろう。
間伐材の利用の仕方としてもいいことだ。

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京都の町屋には「犬屋来」が置かれている。
ウィキペディアには
「犬矢来は、家の壁や塀の、中程から裾にかけて、割竹や細い桟木を円弧状に曲げたり、真っ直ぐ斜めに並べたものです。いまでも花街に行くとよくみられ、京の風情を演出する大切なデザインになっています。
もともと「犬の放尿を防ぐ」というのが名前の由来のようですが、そのカーブで泥棒が塀を登りにくくなることや、建物の外壁の裾を、泥はねなどの汚れや損傷から守る役目や、道と家の敷地境界を示すなど、先に挙げた様々な問題の解決に活躍していたようです。「犬矢来」は可動式のものが多く、がばっ、とはずしてお掃除もできます。」
と書かれている。

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これは柵として完成した美しいデザインだ。
こんな伝統美が日本にはある。
それに竹ならいくらでもある。
材料の調達には困らないだろう。

違法駐輪を排除するのも、臨時の処置だからといって、いい加減にしないで、何かこうした工夫が欲しい。

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2008年12月22日 (月)

交通需要予測と少子高齢化と地産地消

先日、国土交通省が交通需要予測を発表した。
今後10年間はちょっと増えるかもしれないが、概ね減少傾向にあるという予測になっている。
02年の予測では、20年のピークには8700億台KMとなっていた。
それが、今回の新たな予測では、20年のピークの上限でも7700億台KMと、10%も下回っている。
02年時には、高齢者や女性ドライバーが増え続けるから、交通量が伸びると予測したようだ。

今回の予測でも、20年までの間は伸びる可能性はあるとしているが、それは自動車道の料金の減額、無料化等の政策が実行され、一時的に利用者が増えると考えているのであろうか。
しかし現実は多分、この数字を下回って減少するだろうと思う。
サブプライムローンに端を発した今回の金融危機で自動車の生産、販売台数は大幅に減少している。
自動車の保有台数も08年の7923万台をピークに減り始めている。
石油価格は長期的には値上がりするだろうし、それに環境問題も加わって脱車社会は進行している。
人々の都心回帰は進んでいる。
絶対的な人口減少傾向も当分止まりそうにない。
国内の交通量が増える要素は殆ど見当たらない。
今回の交通需要予測の下限を下回った交通量になることすら私には思える。

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交通需要が現状より増えない、しかも減るだろうということになれば、交通計画は劇的に変わらざるを得なくなるはずだ。
交通渋滞だって、今がピークで、今後は減るということだ。
新しい道路はもういらないんじゃないという議論が、今よりもっと強くなるのは当然だろう。

道路計画の考え方も、新しい道路や橋をつくるということから、老朽化した道路、橋の改修工事、渋滞対策のための道路工事、曲がりくねった道を走りやすくするための工事に、比重がシフトすることになるだろう。

なんとなく私たちは、あの頑丈な橋は永久に持つように思っているが、実は橋の寿命は大体50年程度だという。
最近ではアメリカ・ミネソタ州の橋が落下するという大事故があった。
道路だって、橋だって寿命はあるのだ。
国内の殆どの橋は、戦後に作られたこともあって、架け替えや、修繕の必要性を今まであまり感ずることはなかったが、それらの橋はいまではかなり老朽化が進み、危険にすらなっているのだ。

広島市は2M以上の橋2,818について点検し、軽い損傷があるのは792、補修が必要な橋194、橋脚の腐食などが激しく早急に架け替えや部品の交換が必要なのは13だったという報告書を発表した。
道路だって、上下水管だって、ガス管だって同じことがいえる。

道路工事も少子高齢化対策になるということだ。

人間の高齢化対策費用は、産む費用の数10倍も掛かっているはずだ。
道路にしても、橋にしても、その架け替えの費用、そして寿命が尽きるまでの維持管理費用は、新たに作る費用以上にかかるはずだ。

橋の架け替えを例にしてみれば、すぐイメージできるだろう。
架け替える間、代替えの橋を何らかの形で用意しなければいけない。
その費用は膨大な額になるだろうことは想像に難くない。

しかし軽い損傷、補修、腐食に対する改修等の工事は地元業者でもできる。
地元のゼネコンにとっては、ちょうど適当な仕事が生まれるということでもある。
こんなところにも、地産地消はある。

世の中、どんどん変わる。
変わるというのは、単に多くなるとか、少なくなるとかではない。
問題は質が変わるということだ。

そろそろここらあたりで、新たな道路を作るということから、高齢化対策、老朽化対策に比重を移したほうがいいということのようだ。
しかもその老朽化対策工事は、より地元に密着した企業が担当するだろうことも、また注目すべき点である。

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2008年12月21日 (日)

セグウエイ

先日、ちゅーピーパークでセグウエイに初めて乗った。

セグウエイは、日米首脳会談で、ブッシュ大統領がセグウエイを小泉首相に贈り、首相官邸を走る小泉首相の姿がテレビでも報道されて話題になった乗り物だ。

危険もあるということで、誓約書にサインし、ヘルメットをかぶり、手袋をして乗った。
乗ってみれば、そんな難しいもんではない。
初めての人には数分の教習があって、それからコースを走る。
最大時速20KMというが、自転車よりちょっと遅いかなという感じである。

操作の基本は体重移動だ。
スキーの感覚に近い。
体を前に倒すとその角度でスピードが決まる。
ハンドルを左右に倒すとその角度で曲がる角度が決まる。
慣れると結構思ったように動いてくれる。
アメリカでは、車や自転車の代わりというより、馬の代わりという感覚で乗られているようだ。
確かに機械を操作して動かすという感覚より、馬のように以心伝心で動いてくれるという感覚に近い。

ちゅーピーパークのコースは、工事用のプラスチックコーンと棒で仕切られ、幅2Mほどで作られている。
ストレートなコース、カーブ、そしてコース内に置かれたプラスチックのマークをジグザクと通り抜けるコースが作られている。
10分間で1,000円だ。
大体4~5周できる。
なかなか面白い。
シーズンには、90分で8000円という料金もあるようだが、それも予約でいっぱいになるという。
来シーズンはもっと本格的なコースを作る計画もあるという。

セグウエイはガソリンを使わないクリーンエネルギーによる乗り物として、アメリカではニューヨーク市警やシカゴ警察、マイアミ警察そして民間警備業者などでも導入されているようだ。
ゴルフ場にも導入されているという。
その数は500以上にもなるという。

日本では、栃木県にある「25那須ゴルフガーデン」には、すでにこのゴルフモデルタイプが導入されているという。

自転車は縦に車輪が2つ付いているが、セグウエイは横に車輪が2つ付いている。
車輪が横についているだけで、こんなにも違った動きになるのには驚く。
電気2輪車というわけだが、なんとも不思議な乗り物だ。

トヨタも、この横に2つ車輪のついた乗り物を開発したと報じていた。

どんな展開の仕方をしていくのか、これからが楽しみだ。

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2008年12月20日 (土)

平和公園の“民放の森”

 広島平和公園の平和記念資料館東館の北側にある被爆青桐二世と背中あわせに『民放の森』があることを、最近になって散歩中に発見した。

 昭和38年(’63年)4月に広島で開かれた社団法人日本民間放送連盟の年次大会を記念して泰山木が植樹され「記念碑」が据えられている。
 当時25本が植えられたが、いまも13本が確認出来る。5~6月頃には10 ~15センチの白い大輪の花を咲かせる。何故、泰山木が植樹されたかは判らない。

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 RCCの50年誌の記録によるとこの大会を前に「街には20台の花電車や広告塔にアドバルーンが挙げられて春のいろどりを添えて全国からの参加者を歓迎した」ようだ。
 
 思い起こして見ると、当時の民放と言えば開局12年目の“ラジオ中国”(67年4月:中国放送に変更)と開局半年の広島テレビだけでHOMEもTSSもまだ産声を上げるはるか前で、ローカルテレビが開局して5年目と言うTV局の黎明期だった。

 私は入社2年目でRCCは春闘が尾を引いて大会の構成演出を担当するはずだったがRCC労組がストライキに入ったため急遽広島テレビにお願いするハプニングがあった。
 大会では11回目で足立会長(TBS社長)が国際性に備え、斜陽視されているラジオの再認識、第3の電波FMの放送開始に関する態勢の確立を力説している。記念講演では森戸辰男元広大学長が「放送と文化」をテーマに“テレビ文化の功罪”についてふれ、民放の責任と使命について強調している。当時、民放テレビの功罪を評論家の大宅惣一氏が“国民総ハクチ化”とテレビのもたらす影響を酷評した時期だったことを思い出す。

 時は去って平成11年(‘99年)10月に、36年ぶりに再び「第47回民放大会」がこの地で148社の首脳1,000人が参加して開催され、地上デジタル化問題がテーマだった。
 そして現在、民放は地上デジタル化完全実施を3年後に控え、移行の為の経費負担などを含めて取り巻く環境は厳しく、民放史上最大の壁として立ちはだかっている。

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2008年12月19日 (金)

高校の「喫煙室=禁煙指導室」

 愛知県の私立高校の寮に『喫煙室』が設置されていたとして警察が県の青少年保護条例・喫煙場所提供禁止違反容疑で家宅捜索し、近く送検の方針…の報道があった。

 一見、「当然の対処」と言う意見は多かろうが、よくよく考えて見ると“これでいいのか?”との疑問も大きい…のは私だけだろうか…。

 最近の大学における相次ぐ大麻事件。これとは違うがたばこの癌起因説も手伝って禁煙ブームは官公庁をはじめ民間でも組織的に取り組まれて成果を上げている時期だけに、「高校の喫煙室」は常識的には考えにくい破廉恥?と言える事件だろう。

 愛知県新城市の私立黄柳野(つげの)高校は4棟ある男子寮に1室ずつ「禁煙指導室」という「喫煙室」を昨年7月に設置し、教職員が喫煙した生徒をチェックして禁煙を指導していた…と言う。
 この高校は“偏差値や内申点にとらわれず子どもの個性を大切にする教育”を掲げて全国の不登校や登校拒否児の再挑戦校として'95年に発足した。生徒の60%が不登校経験者で生徒の年齢も幅広く20歳代の生徒十数人もいる
 寮の周辺は山に囲まれ、隠れて喫煙する生徒が後を絶たず寮の外で喫煙してボヤ騒ぎもあって、山火事の危険があるための配慮だったとしている。

 同校は在校生231人の内、男子41人女子25人の72人と31%が喫煙者。
 校長は「法令違反と認識しているが、このような方法しか考えられなかった。いい方法があれば教えてください」とインタビューに答えて悩みもがいているようだった。
 テーマや事件の社会的背景を考えるとまるで映画を見ているような錯覚に取らわれた。
 
 気になるので同校のHPを開いてみた。案の定、報道に至る経過や禁煙指導室の設置に至る経過や今後の対応がテレビや新聞報道ではわからない事実が掲示されている。
 
 9月にあった集団暴力事件の捜査来た警察が寮内喫煙を知り校長や教員の事情聴取をしていた。学校側は“ご理解頂いた”と思っていたことが突然の強制捜査になってしまった。
 学校側は隠蔽するつもりは全くなかった上事実は開示するとして授業中の家宅捜索を避けるように懇願したが聞き入れられなかった…と説明している。
 警察の官僚的な規則通りの判断が伴ったのではなかろうか?そうであれば残念なことだ。
 
 生徒の喫煙は開校以来の問題で長時間かけた取り組みを計画して進めてきた。
言わばはじめから喫煙など問題を抱えた子供たちの課題を解決する有効な手段などない。

 法令違反だから受け入れない、法令違反したら退学処分となればこの学校の生徒の30%の行く先は無い。喫煙者が多いい事を前提に受け入れた学校の対応は決して手を抜いたりさぼったりしてはいない。

 喫煙者全員を把握して法律違反である事や健康被害について指導し、平成22年までにすべての生徒が禁煙するための対策を進める計画だった。
 喫煙の恐ろしさを伝える講演会を実施したり、月に1度の禁煙カウンセラーによる指導も行っていた。
 喫煙指導室以外の場所で3回の指導を受けた者は自宅待機処分にし、反省文を書き病院での禁煙治療を受け、反省の状況があれば謹慎を解除するなどの対応をしていた。
 細かい事情は判らないが警察の対応や報道の在り方に問題はなかったのだろうか。
 警察に「もう少し見守る」と言う教育的配慮を求めることは間違いなのだろうか。

 学校では「禁煙指導室」を閉鎖し「学校敷地内での全面禁煙」の方針を示している。
また、今後の入学生については「喫煙者の入学は断る」方針を徹底するとしている。

 特効薬のない禁煙対策がこの高校でどのように実践され効果をあげて行くか、全国的な関心は高い…と思われる。
 全国から批判も寄せられたが激励と禁煙指導へのエールは多く、甘いと言われるかもしれないが、学校側が挫けず禁煙に取り組んで改善する事を願ってやまない。
 これが教育だ!!!と言う結果を残してほしい。

 学校と教師のやる気が試されている。
 同じ悩みを抱える全国の学校と教師、生徒の為にも「禁煙に向けて」がんばれ! 黄柳野高校の先生たち!! 生徒達!!!

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2008年12月18日 (木)

BPO・知事裏金疑惑報道で元県議の名誉棄損を門前払い

 藤田県知事の裏金疑惑を巡って「中国放送が実名で裏金を受け取ったような報道で名誉を傷つけられた」と元県議3人が放送倫理・番組向上機構(BPO)に苦情を申し立てていたのに対してBPOは「期限切れ」を理由に「審理をしない」決定をした。
 形式的には“門前払い”だが実質的には「名誉棄損はない」判断を示した。

 石田幹雄、宮本新八、木山耕三の元県議3人は今年4月にBPOに申し立てた。

 BPOはNHKと民放が出資して組織している任意団体で「放送の公共性と社会的影響の重大さを鑑みて、言論と表現の自由を確保し、視聴者の基本的人権を守るため、放送への苦情やる倫理上の問題に対し独立した第三者の立場から対応する」ことを目的に96年に設立。
いわば放送界の裁判所。法律家や評論家等で委員会を組織して審理・解決している。

 3人の元県議は、知事選の裏金疑惑を巡って、2002年11月からRCCがTV報道やインターネットでの情報配信で、有権者から“裏金を受け取った”との疑惑を持たれ、選挙で落選する被害を受けたと訴えてBPOの放送人権委員会に審理を求めていた。

 委員会は申し立てが決まりの一定期間を過ぎて行われたことやインターネットでの文字情報の配信は放送と同視出来ないとの判断で、実質審理に入らない事を決定した。
 BPOの委員会決定をHPで見ると①申し立てに至る経緯②申立人の要旨③被申立人の答弁要旨④委員会の判断を踏まえてA4版に20ページに及ぶ決定書に纏めている。

 その中で委員会は「本件報道は、一般視聴者から見れば申立人らに対する社会的評価を低下させる内容を含むものであることは否定できないであろう。しかし、報道が真実であり、真実と信じるに足りる相当の理由があると認められる時は、報道機関は免責される。取材源秘匿が報道機関にとって極めて重要であることに鑑みれば、報道機関としては、取材源を秘匿しつつその報道の真実性、あるいは相当性を立証する事は困難が伴うが、それを成し遂げることは可能であり、それが報道機関の責務であると言えよう」と述べて、報道の正当性を結果的に支持し、あえて申立期間の規定を破ってまで踏み込む理由がないとしている。つまり「報道が人権侵害に至っていない」とRCC報道の妥当性を支持している。

 報道は地味でささやかだが「報道が落選を招いた」事にならない…とのBPO委員会の判断で、極めて妥当なものと支持できる。
 3人は「申立期間の経過と言う形式論での門前払いは遺憾」としている。むしろ裁判へ持ち込んで“真相”を追求してはいかがか…?出来るかな。成り行きを見守りたい。

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2008年12月17日 (水)

頑張れ カープ

今年の日本シリーズは第7戦までもつれ、ライオンズが3-2で逆転勝ちし、日本一になった。
ライオンズの選手のヘルメットから後ろにはみだした髪の毛が、ライオンの鬣のように映え、妙に格好よかった。
そのあとに行われたアジアチャンピオンシリーズでも優勝した。
初戦で韓国に負け、どうなるかと思ったが、決勝では勝った。
アジア各国も力を付けて来ている。
野球はオリンピック種目からははずれたが、世界のスポーツになってきている。

今回のライオンズの優勝にはいくつか注目すべき点がある。

① ライオンズの選手は殆ど全員が日本人選手だった。
それも皆ライオンズに入団して、育った選手だ。
外国人選手は、第6戦の途中から、そして最終戦に出場したボカチカ、そして最終戦のリリーフをしたグラマンだけだ。
2人とも主力選手とはいいがたい。
FAで獲得した選手と、外国人選手で固めたジャイアンツと大きく違う。

年俸だって、ジャイアンツの選手の年俸総額は34億円だが、ライオンズは18億円である。
松坂、松井の抜けたライオンズで、年俸の高い選手はいない。
ライオンズは、先発メンバー9人を合わせても、ジャイアンツのイ スンヨブ選手一人の年俸にもならないのではないかという。
ちなみにカープの選手の今年の年俸総額は12億円だ。

そんなライオンズが優勝した。
小さな力士が、大きな横綱を倒したような爽快感がある。

② もう一つは監督の渡辺久信だ。
西武が優勝したころのエースだったと紹介されているが、最多勝、勝率1位になっているが、そのころのエースは工藤公康であり、石井丈祐だった。
渡辺久信は、体は大きく、球は速いが、エースというほどの選手ではなかった。
西武を辞めたあと、韓国球界、台湾球界と渡り歩き、相当の苦労を重ねたのだろうと思う。
そんな渡辺が次期監督と発表されたとき、「エッ、なんで渡辺なの」と思ったのが正直なところだ。
言葉も通じない海外での、そうした苦労が実を結んだというのが、今回の優勝だったように思う。

そういえばアメリカのワールドシリーズで優勝したフィラデルフィア・フィリーズの監督マニエルも、日本球界で活躍した選手だった。
監督には、色々苦労した人が向いているということなのだろうか。

生え抜きの日本人選手が活躍したということでは、カープが優勝した時も、古葉監督、山本浩司、衣笠祥雄と、主力は皆カープで育った選手だった。

金にあかせてFAの有名選手を集め、海外から強力な助っ人を集めればいいってわけじゃない。

今年のカープも、まあそこそこ頑張った。
もうちょっとだった。
栗原、大竹、東、梵と戦力も大分充実してきた。
来年度からは新球場での試合だ。
素晴らしい舞台ができた。
来期は広島カープの優勝を期待したい。

あんなジャイアンツなんかに負けるわけにはいかない!
“頑張れ カープ”

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2008年12月16日 (火)

市商ピースデパート

11月29日(土),30日(日)の2日間。市商ピースデパートが開かれた。
この催しは今年で2回目だという。
講堂、体育館を使って、販売していた。
安いこともあってか、バーゲンセールの会場のように混雑していた。

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私は音戸のちりめん、どら焼き、折り鶴の3品ほど買った。
「ありがとうございます」という笑顔が、なんともうれしそうだった。
お辞儀の仕方も一生懸命勉強したのだという。
どら焼きは、広島市商NEWSと空口ママとのコラボレーションで作ったのだという。
一緒に行った友人と食堂で食べたが、なかなか美味い。
「銅版の折り鶴」も買った。
折り鶴は友情出店していた広島工業高校生のコーナーで売っていた。

去年の800万円の売り上げだったが、今年は1,000万円の売り上げを目指しているという。
商品の仕入れは、先輩の伝手とかでかなり安く仕入れているようだ。
チラシを作ったり、ポスターをアストラムラインの駅に貼ったりもしている。
混雑している売り場もあれば、お客がほとんどいない売り場もある。
それぞれの売り場は各クラスの責任でやっているようだ。
昨年開発したというバーコードをパソコンで読みとり、領収書を発行するソフトを使っている売り場もあった。

この市商デパートを催すにあたっては、模擬株式会社の設立、取締役の選出、株主総会の開催、総務部は株券の管理、受付接待案内、経理部は金銭の管理、販売部はちらしを作る、仕入部は材料の仕入れを行うというように、現実のデパートのような組織を作って進めたという。
商業高校ということで、授業の一環としてやっているのだろうが、いいことだ。
普段つまんないなーと思って聞いている簿記、情報処理等の授業も、こうした経験をすることで、興味をもって聞くことができるようになるだろう思う。
流行っている店があれば、ほとんど売れない店もあるのは、なぜかとその理由を分析することも、またいい勉強になるだろう。
どうでもいいと思っていた「笑顔」が、意外と大きな意味を持っているということも知るだろうと思う。

「ピースデパート」とわざわざ「平和」という言葉をいれたのは、こうした催しができるのは平和があってこそだという思いから付けたのだという。
そりゃそうだろう。
戦前であれば、こんなことをする余裕があれば「軍事教練をしろ」ということになっただろう。
「平和」の有難みを改めて知る。

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2008年12月15日 (月)

サンタクロースが2人も来た?

広島に、サンタクロースが2人も来た?
ビルの壁を這い上がろうとしているサンタクロース、2人を見つけた。
白い壁に、サンタクロースの赤い服が映えて、きれいだ。

平和大橋の近くにあるこのビルは、しばらくの間、空家になっていたが、そこにちょっとおしゃれなディスプレイ用品、造花を売るお店が、夏ごろか、オープンした。
このビルの脇を通るときは、ちょっと覗くのを楽しみにしていた。
今度はこんな粋なことをした。

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世界的な金融危機の影響で、広島の景気もあんまり芳しくない。
そんな広島に、2人もサンタクロースが来てくれた。
なにかいいことがあるかもしれない。

ドリミネーションに来た人たちにも見えるように、夜になったらライトアップしたらいい。
ドリミネーションのちょっとした名所になる。

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2008年12月14日 (日)

映画「不都合の真実」から

 何度も鑑賞の機会がありながらその都度、都合が悪く1年も見逃してきたアカデミー受賞のドキュメンタリー映画「不都合の真実を」を見た。

 米国のクリントン米国元大統領の相棒だったゴア元副大統領の地球温暖化への取り込みを追った記録映画だ。米国で公開されて、たちまち記録的な大ヒットとなった話題作だ。
 なにがこれほど世界的な観客を動員する要因だったのだろうか。
 地球への危機感を感じている人達が多かった…と言うより、米国の副大統領だったゴアがエネルギッシュに語る説得力とそのカリスマ性が惹きつけた…と感じた。

 学生時代から環境問題に興味を持ち議会活動や国際会議の場でも温暖化対策の必要性を訴え続け、2000年の大統領選でブッシュに敗れたのを機に本格的に取り組みを始め、世界中で1000回を超える講演を行った。

 映画の内容は地球規模でCO2の排出実態を実写映像やデータを駆使して、どれほど環境破壊が進んだかを解説している。C02の増加、気温の上昇やハリケーンに竜巻にウイルスへの影響が新しい疾病を生むなど地球規模に連鎖する状況が理解しやすく判りよい。
 
 ヒットの背景には大統領選挙で「企業利受益より環境問題を重視しているようなゴアに国を任せていいのか…」とあしらったブッシュは、利益優先の為に京都議定書の批准を拒否して環境破壊を続け、イラクやアフガンで戦争を泥沼化させている実態にあると思う。
  
 もしも、ゴアが大統領だったら…と匂わせているあたりはストレートにブシュ政策を批判し民主党の支持を明確にしたマイケル・ムーアの「シッコ」等とは一味違う。
 民主党が政権を維持していたらどうなっていたのだろうか?
 京都議定書は批准されて温暖化に少しは歯止めがかけられたのか?
 オバマ新大統領はゴアの環境政策をどれほど取り入れて実行するのだろうか…。
 いろんな見方が出来だろう。しかし、今では、何と言っても世界に最も影響力のある米国が環境問題で今後どの道を進むのか?が“核廃絶”と並ぶ最大の今日的政治課題だ。

 オバマは「グリーン・ニューディール(環境への投資で危機打開)」を掲げて、ゴアに閣内協力を求めている…ニュースが伝えられている。
 環境破壊はテロ以上に地球規模で危険をもたらしかねない実態がある…と訴えている点がこの映画の最大のメッセージと言えよう。
 改めて、この映画を通じて国民レベルで実行可能なCO2に対する意識変革を勧めたい。

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2008年12月13日 (土)

被爆者“心の傷”

 将来の研究課題をリサーチするため秋口まで1年2ケ月を広島で過ごした東京の一ツ橋大学の大学院生N君から誘いで広大の平和科学研究センターのシンポジュウムに出かけた。
 千田町の旧広大跡地にある放送大学の広島学舎で開かれた会には30名足らずの参加者で6時間近い長時間のシンポを展開していた。
 テーマは「核の被害再考」で外国人を含む専門家・研究者の参加者が中心の中にチェルノブイリ被爆者の支援を長年続けてこられた平岡敬前広島市長の姿もあった。

 広大原医研の川野徳幸教授の「セミパラチンスク地区の核被害」や京大原子炉実験所の今中哲二教授の「チェルノブイリ原発事故の調査を通じて学んだこと」金沢大低レベル放射能実験施設の山本政儀教授の「ビキニ原爆被災事件から半世紀:今おもうこと」に続いて一ツ橋大社会学研究所の浜谷正晴教授が「原爆体験と“心の傷”」について発表された。

 浜谷さんとは東京支社に在勤中の昭和48年から53年までの数年間、浜谷さんの恩師石田忠教授が進められた被爆者相談に関わる病院や被爆者団体のケースワーカーと月に一度開いておられた「ケースススタディー研究会?」に一緒に参加させて頂いた御縁だ。

 昨年夏、「小さな祈りの影絵展」に東京から友人と一緒に参加した一橋大の大学院生Oさんと知り合い浜谷さんの消息を尋ねるとよくご存じだった。名刺の裏に伝言メモの伝達を頼んだ。年賀状などで交換したが、この夏もまた浜谷さんの教え子と偶然に知り合った。
 冒頭に書いたN君だ。ある、交流会で「グランパさんですか、ブログを読んでいます」と声を掛けてくれた。以来、彼が東京に引き上げるまでの数カ月だったが、縁遠くなった被爆に関するデータや資料に本などを喜んで引き取ってくれた。

 そんな縁で、久々に広島に来られた浜谷さんと引き合わせてもらったのがこのシンポ。
私はこの日、二つの予定が入っていて浜谷さんの発表は聞けたが、十分に話せる時間がなく別れた。しかし、彼が続けている研究がヒロシマや被爆者にとって極めて重要な研究である事を再認識した。簡単に纏めることは難しいが次のように思う…。
 
 原爆被害の特徴は熱線・爆風に加えて放射能が挙げられる。他の戦争被害にはない特殊性だ。浜谷さんは、被爆者の原爆体験とは「あの日」の体験を起点に戦後積み重なった身に起こった総ての事が包括され「人間として到底受忍できない…自己を苦しめてやまない<原爆>と対峙することで生まれた<反原爆>の思想と位置付けている。

 被爆40周年に日本被団協が行った13万人を超える膨大な被爆者アンケート分析から「あの日」「つらかったこと」「不安」「死の恐怖」「生きる意欲の喪失」「生きる支え」を分析した結果、「健康への不安・出産や生まれた子どもの健康と将来への不安」。原爆被害者に固有の苦しみ<不安…57%>。
 生き延びたものの癌など“遅れてくる原爆死、病苦や恐怖、苦しみ抜いたあげくの死”のど<体の傷…39%>に加えて「被爆したために、こんなに苦しみを受けるくらいなら、死んだ方がましだとか、いっそあの時に死んでいた方が良かった…」と思う<心の傷…64%>が大きいことを掴んでいる。

 被爆60周年の被団協調査でも「死に方のむごさ…69%。苦しむ人達の姿…65%。助けられなかった…49%」と「瞼に焼き付いて」「脳裏から離れない」「心にひっか掛って忘れられない」<心の傷>が今も尾を引いていることを裏付けている。

 原爆訴訟では専ら<体の傷>が対象になっているが、癒しがたい<心の傷>の対応は今後も大きな課題であり、戦争犠牲者被害者対応としての未解決課題として社会科学的な探求が求められる…との見解だ。
  
 今や数少ない<原爆体験と心の傷>研究者の探求に期待したい。
10数年ぶりにあった再開は短い時間だったが、大切な問題を再考させられる出会いだった。

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2008年12月12日 (金)

師弟W受賞を弾みに…

 映画の美術監督で今年2度目の日本アカデミー賞最優秀美術賞を受賞した部谷(へや)京子さんから「広島市から“市民賞”を頂くことになったよ!」と言う電話が10日ほど前にあった。同じ日に彼女の恩師で広島女学院の理事長・院長の黒瀬真一郎先生が二度目の文部科学大臣賞を受賞された知らせを受けた。
 部谷さんが受賞のため帰広するのを機にお祝いしようと声が上がり、すかさず部谷さんの同級生たちが動き出した。
 2~30人も集まれば…と会場設定して呼びかけると、たちまち末広がりの58人になった。

 部谷京子と言えば映画界ではちょっと売れた顔である。’92年に周防正行監督の「シコふんじゃった」で一本立ちし'97年の「Shall We ダンス?」で日本アカデミー賞を受賞して以来10回の優秀美術賞を受賞し、今年は「それでもボクはやっていない」(周防監督作品)で2回の最優秀美術賞を受けた人気の若手女流美術監督だ。

 4年前から古里へ恩返しの気持ちから影絵作家で友人の浜崎ゆう子さんや広島女学院時代の同級生たちと8月5~6日に平和公園東の元安橋東詰めの河岸で被爆者の慰霊と追悼の「小さな祈りの影絵展」を開催し、大きな反響と高い評価を得て定着している。

 平成14年に始まったボランティアやスポーツ・文化活動などで市民に夢や希望を与えた人達に送られる今年の広島市『市民賞』は7回目を迎え、作家の見延典子さんや野球殿堂入りしたカープ監督だった山本浩二さんら8人と3団体に贈られた。

 黒瀬先生は広島女学院で部谷さん達を高校で最初に送り出した教え子で、被爆60周年に日野原重明・小澤征爾の『世界におくる平和のメッセージ』の仲間でもある。。  
 黒瀬先生の文科省大臣の2度目の表彰も極めてまれなケースで、同じ時期のWの受賞に日野原・小澤・吉永小百合さんの“セカヘイ・グループ”や吉川浩二や山口良一さんら映画関係者からのメッセージに第一回市民賞のビオラの沖田孝司夫妻の演奏プレゼントや会場での合唱も飛び入って盛り上がった。

 先々月、97歳になられた日野原先生からは「2010には2度目の“セカセイ”開催の準備に入ろう」とのメッセージが寄せられ、第二回日野原・小澤の『世界におくる平和のメッセージ』宣言となった。日野原先生に次いで小澤さんも今年は文化勲章を受賞され“セカヘイ”の再スタートは師弟のW受賞が新しい弾みになることは間違いない。
 部谷さん広島市民球場を舞台にした映画制作に意欲を燃やそうとしている
 改めて、W受賞を喜び、この塊のパワーが次の発展に繋がる…事を期待したい。

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2008年12月11日 (木)

もっと生まれ育て「広島」の歌

 中国放送の“歌えるアナウンサー”田中俊雄さんがこのたび定年退職した。退職後も会社に残り、担当している番組を続ける。アナウンサー一筋で歩み、特に歌謡曲に精通し、長寿番組「演歌茶屋」ではお世話になった歌手は多いはず。

 彼の番組では、昭和54年から始まったラジオ番組「演歌大学」を思い出す。広島をテーマにした歌を、広島の歌手によって全国に発信する「オリジナル演歌」活動の番組。多くの歌手が誕生した。
 
 最近「広島天国」をリメイクした「雨の港から」の南一誠。今、東京で頑張っている「そんなあんたに惚れました」の森若里子。現役を引退しているが、当時ともに司会を務めた「さすらい星」の束為五郎を始め、小松わたる、奈津しげき、佐藤ゆかりなど大勢いる。中には瀬川瑛子が歌った「ひろしま、そして雨ん中」、鳥羽一郎の「海の匂いのお母さん」もある。いまでも歌われている曲だ。田中さんも昭和56年「大竹ひとり」でレコードデビュー。その後「今が青春」など3枚出している。

 過去広島をテーマにした歌謡曲は沢山あるが、全国ヒットした曲は残念ながら少ない。広島から“火”がついた曲はかなりある。なぜなのか。広島は原爆のイメージが強いため、どうしても長崎みたいな情緒に薄い。反戦平和という理念が先行して「広島」とつく歌謡曲はヒットしにくいと言われている。

 しかし最近、地域の活性化や賑わいを創出するための歌づくりがされている。先日も広島駅前再開発Cブロック準備組合代表理事の中村興夫さんが自ら歌う「荒神町ブルース」と「アイユーロードめぐりあい」が誕生した。後者は主婦角田洋子さんとのヂュエット曲。広島駅から愛友市場、新球場を結ぶ応援歌だ。

 市民レベルで地域を元気にさせる歌づくりをし、歌うには広島には材料がたくさんある。いまからどんどん生まれて育ってほしい。

上村和博

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2008年12月10日 (水)

安達春汀さん

広島の女流書家の安達春汀さんとお弟子さんたちの展覧会が11月21日から26日までの間、本通りのお店「熊野筆センター」で開かれていた。
今回でもう20回目を迎えるという。
安達さんの作品は、筆で字を書く面白さ、そして可能性を見せてくれる。
お弟子さんたちの字は、自由気まま、それこそ多種多様だ。
上手いとか下手を越えて、皆筆で字を書く楽しさを見せてくれている。

安達さんの作品は、もう一つ凝っている。
筆で書いた字を板に写し、彫っている。
刻んで字を創り出しているから、刻字というようだ。
刻字にすることで、微妙に色をつけることが可能になる。
字で表現しようとしたことが、より美しく、深く表現されている。
こんなきれいな色づかいは男にはできない。

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NTTは、安達さんの作品を、毎年のカレンダーにしている。
綺麗なカレンダーだ。
NTTのこうした活動も評価したい。

安達さんは広島の誇る書家だ。
お店の看板、お酒のラベル、広島ブランドの商品のラベル等を安達さんの刻字で作ったらいい。
広島の街がもっと楽しくなる。

広島には世界的に有名な熊野筆がある。
化粧筆のメーカーとして世界的に有名になった。
熊野筆は伝統的工芸品として、ほとんどが手作りで作られている。
毛筆、画筆、化粧筆とも国産の80%を占めるという。

熊野筆、書家、スポンサー等が一体となった活動が進めば、可能性はもっと広がる。
期待したい。

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2008年12月 9日 (火)

うらら就航

広島には原爆ドームと宮島を結ぶ海の航路がある。
この航路に乗れば、瀬戸内海の美しさと、広島の街並みを眺めながら、世界遺産の2つが見られる。
渋滞に巻き込まれることもない、まことに贅沢なルートだ。

08年11月23日から、この航路に新たに「うらら」が加わった。
これで、きらら、るんるん2に加えて3隻になった。
1日9便から13便になる。
平均して50分間隔で発着する。
さして待たなくて乗れるようになった。
随分と便利になった。
船を待つ間、すぐ脇にこの夏にできたオープンカフェでコーヒーを飲みながら、ポーッとと川や人通りを眺めているのもまた楽しい。

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この航路は平成17年に開設されたが、以前にも定期便はあったが、しばらくの間廃止されていた。
利用者が少なく、経営が成り立たなかったのだろう。
それが株式会社アクアネット広島によって再開された。
それだけでも素晴らしいことだと思っていたが、それが今回さらに増便される。
喜ばしいことだ。

宮島の観光客数も11月24日現在で、すでに過去最高の314万人を越えた。
その理由はフランスのガイドブック、ミシェランの三ツ星をとったことにもよるようだが、この航路の存在も、少なからず貢献しているはずだ。

この桟橋は元安川東詰にある。
ここは平和公園、原爆ドーム、本通りを結ぶ結節点でもある。
オープンカフェができたことも、この場所の拠点性を高めた。
それが航路の利用者数の増加にも貢献している。
この寒いのに外のテラスに座り、コーヒーを飲んでいる人も多くみかける。

原爆ドーム、平和公園、宮島航路、オープンカフェ等の施設が集積することで、相互にプラスの相乗効果が生まれ、元安川東詰めは、広島のちょっとした観光スポットとなった。
賑わいつくりには、集積させることがポイントだということがよくわかる。

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2008年12月 8日 (月)

首相のダブルKY・政局の行方?

 一国の首相がこんなにも簡単に揶揄?されたことがあっただろうか。

 KYと言えば“空気が読めない”…その場の空気・雰囲気・状況が理解できない…人の代名詞として今年の流行語になっている。
 所が、いま麻生首相に被せられているKYは『漢字が読めない』のKYだ…。
 週刊誌の公告の見出しには「学習院・先輩も見限った…」などと賑々しい宣伝が目立ちテレビのインタビューに現役の学習院大の後輩は「ちゃんと学生をしていたの?」と発言。

 就任前から心配されていたのは軽口や失言癖が指摘されていた。
 しかし、漢字が読めない等と誰が予想しただろう。
 “踏襲”や“未曾有”“頻繁”“煩雑”は中学生レベルだが国語の専門家が「漢字にルビをふる」運動?を提案するなど、些か程度の低い揶揄が飛び交っているように思う。

 全国知事会の席上で地方の医師確保策を問われて「(医師は)社会的常識がかなり欠けた人が多い」と発言し、会議後の会見で撤回したものの、自民党の集票マシンであるはずの日本医師会から強い抗議を受けている。

 「2兆円給付金」を巡っても「対象は全世帯…」が、いつの間にか「お恵み」「ばらまき」と不評の声に所得制限の設定から自治体任せで丸投げし、経済対策の芯が通らなくなった。
 政府が保有する郵政株の売却や道路特定財源の一般予算化を巡っては党内の郵政・道路族の議員からも激しい反発の声が出る様。
 発言の都度、異論が聞こえると歩調を合わせる姿勢は「弱小派閥」に対する対応だけではなさそうだ 。総理自身が“国会や国民の空気が読めない“KYと言えよう。

 政府が第二次補正予算案を出さないなら補給支援特措法改正案の採決に応じないと言う民主党の対応に国会は混迷をし始めている。
 早期解散…を謳って着任したはずの麻生内閣は当面先延ばしに出て支持の低迷が続き、マスコミ各社の世論調査は早くも支持率と不支持率が逆転している。

 KYパンチの内閣は安倍・福田内閣より早いテンポで瓦解に向かっている…のでは?なかろうか。自民党内の解散総選挙はさらに遠のいているようだが、国民の気分は『自民党離れ…自滅』の意向が一層早まるのではなかろうか…。

 KYは今や麻生首相にとって間違いなくWパンチだ。今後の政局動向が注目される。

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2008年12月 7日 (日)

追悼・佐伯亨さん

 突然に、RCCの夕方ワイドニュースの初代キャスター佐伯亨さんの訃報に愕然とした。
 あの人か…とご記憶の方も多いと思う。

 今では当たり前のニュースのワイド化は昭和30年代後半から始まった。
 言論機関としてのテレビのスタートを担ったのは新聞や通信社のベテラン記者だった。
 TBS系(JNN―ジャパン・ニュ‐ス・ネットワーク)が共同通信の田英夫記者をキャスタ―に迎えて、昭和37年10月1日にスタートさせた「JNN・ニュースコープ」(月~金18時30~19時、後に朝日新聞の入江徳郎、毎日新聞の古谷綱雅氏も参加))への登場が皮切りだった。

 RCCが夕方18時~30分の「RCCニュース6」をスタートさせたのは昭和51年3月29日だった。それまでのローカル・ニュースは朝、昼、夜の全国ネット・ニュースの末尾の2~3分と夕方の5分枠(実質3分45秒?前後)が定版だった。
 
 民放がテレビの放送開始したのが昭和33年。「ニュースコープ」が安定・定着し、ローカル局の役割が問われ始めた時期にあった。
 青森放送が昭和46年に全国の民放のトップを切って夕方ローカル・ワイドニュースをスタートさせたが、その後の後続がなく推移していた。
 RCC夕方ワイドニュースの初代キャスターをアナウンサーでなく取材記者を据えて発足したのは全国で初めての試みだった。

 その初代キャスターが佐伯亨さんだった。
 RCCのテレビが開局した34年に入社し、警察いわゆる“察まわり”や裁判所を担当する司法記者をへた筋金入りの社会部記者で、多くの特ダネをものにしたつわものだった。
 三度目の最高裁判決で無罪を勝ち取った「八海事件」で当時としては異例の2時間特番を全国ネットするなど『裁判制度についての報道』で民放祭の連盟会長賞を受賞した。

 当初、署まわりだった私にとっては“記者職に留まらず万事、師匠”で多くの薫陶を得た。
 刑事宅などの夜討ちを終えて深夜に帰社すると、『その日の内に纏めよう』が口癖の佐伯さんが待っていた。
 その後、東京支社時代の国会まわりや東京での地元ネタ探しなど思い出は尽きない。
酒は消して強くはなかったがデカ達との付き合いで腕をあげ、よく付き合った。

 若い時からパイプでの喫煙が趣味で、特にキャスターになってからはストレス解消のために離せないパイプが似合うスモーカーかった。

 得意な英語活かして外人と直に対話・インタビューし、国連特別総会時には自ら取材に出かけ、特番を組むなどローカルながら筑紫哲也に引けを取らない活躍で一時代を築いた。

 性格は温厚で後輩の面倒見は良く、配慮に気遣いすると「後輩に…」とたしなめられた。
 地味を活かした洋服やシャツにネクタイなどにもおしゃれ感覚が身について溢れ、いい男振りで結構若い女性社員を始め夜の街でも人気が高かった。

 キャスターとして11年余。その後、局長や役員を経て多くの功績を積み上げられたが、放送局の表看板を張った当時のストレスが病の尾をひたのだろうか。

 語りつくせぬ思い出が沢山ある佐伯さんから『喉頭癌』告白されたのは6年前?
 東洋医学専門の医師を紹介したりして徐々に改善されている…と聞いていた。

 同病になって入院中の大学病院で追跡検診などの佐伯さんに時折出会っていた。
 1年前にお会いして以来、久しくご無沙汰している内に「東京の病院で治療中」との情報を聞いていたが、夏に帰広し大学病医院で入院中の今週初めに亡くなった…ようだ。
 
 発病以来、旧友や知人との交流も敢えて避けてこられたが、最後のお別れをすることも出来なかったのは残念だった。

 72歳。駆け出し記者時代以来、人生の師匠でもあった。
 あまりにも若い死に自分を重ねてみた。ありがとう。
 尽くせぬ思いを込めて、ご冥福を祈るばかりだ。合掌。

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2008年12月 6日 (土)

経済人の危険な暴言

 トヨタ自動車の元社長の奥田碩(ひろし)相談役の発言が波紋を呼んでいる。
首相官邸で開かれた「厚労省行政の在り方懇談会」でテレビの年金報道について「厚労省たたきは異常。スポンサーを降りるなどマスコミに報復してやろうか」と発言した。

 民放はスポンサーの意向が大きく反映されるのを前提にした発言(圧力)である。

 奥田氏は懇談会の座長をつとめているが、懇談会の終りに「個人的な意見だが、本当に腹が立っている」と厚労省に対するTV放送への不満を述べた…と報道されている。
 「“ああゆう番組”のスポンサーは大きな会社ではなく地方の中小企業…」と恰も地方の中小企業がTV放送の勝手を許している責任を責めるなかのような発言もしている。
 民放を支えているのはトヨタと大企業だけでは無い。地方の中小企業も大きな支えをしている。それだけに地方の財界も巻き込みかねない様に受け止められる発言である。

 TV放送に問題が無い訳ではないが、TVは今や国民最大の情報源であり批判の大きい番組や発言者が淘汰されるのは日常茶飯事で、奥田氏の言う“ああゆう番組”がどの番組を指しているのか定かでないが、ニュース番組やワイドショーを指していると思われる。

 年金や後期高齢者問題など厚労省に対する国民の批判の声は嘗てないほど高く、批判の仕方に問題があったとしてもその元凶こそ厳しい反省が求められている現実を考えなければならない。スポンサー料を盾に編集権に介入する…などとお考えではあるまいが、奥田氏の発言は<経済不況に対する>独り善がりな八つ当たり発言?としか考えられない。

 しかし、嘗てはそうした発言が広告代理店や放送局の営業現場に何らかの形でフィードバックされて、少なからず制作現場に影響をもたらすのは世の常だった。中にはスポンサーを降板するケースも少なくなかった。

 景気の低迷を理由に数万人の派遣社員を一度に解雇する日本一の企業?の現状から考えると、航空自衛隊幹部の独り善がり思想とあまり違わない、いかにもその独善性が滲み出ているように思われて情けないと思う。
 
 それにしてもマスコミや放送局がもっと厳しい反発や批判、奥田叩きに出ないのは何故だろう…と考える人は少なくないと思う。
 今回の奥田発言は日本のテレビにとって極めて危険な発言であることは間違いない。
 そこが日本の現実です。今は黙って過ごし、世間の常識にすがって見る…?。残念至極。

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2008年12月 5日 (金)

ひろしま・カレッジライン

アストラムライン沿線には、数多くの大学、高校がある。
安田学園小中高学校、崇徳学園高校、広島市立商業高校、比治山大学、安田女子大学、広陵高校、広島市立大学、修道大学と、ちょっと数えただけでも8つもある。
その殆どの校舎は、山の中腹か丘の上に建っている。
下から見ると、キャンパスの敷地は狭そうに見えるが、行ってみると意外と広い。
校舎が高台にあることで、見晴らしも素晴らしくいい。

校舎が街並よりちょっと高いところに建っているからか、なんとなく「知の拠点」らしい雰囲気もある。
可笑しい。

1

アストラムラインの窓からも、高校、大学の校舎がよく見える。
はるか遠くには広島経済大学の校舎も見える。
建物が見えることで、それが高校、大学の広告にもなっている。

広島は平地が少なく、広い敷地とそれなりの価格で敷地を確保するには斜面地しかなかったということだろうが、結果として、そのことがプラスになっている。
何事もちょっと知恵を働かせれば、なんとかなるということだろう。

アストラムライン沿線にこれだけ沢山の高校、大学が立地していることが、アストラムライン沿線の住み心地の良さを高め、アストラムラインそのものの評価を高めている理由でもあるようだ。
アストラムラインを「ひろしま・カレッジライン」と呼んだらいい。

首都圏を環状線に走る武蔵野線は通称「ギャンブルライン」といわれている。
沿線には中山競馬場、立川競輪場、府中競馬場があるからだ。
「ギャンブルライン」はあんまりいただけない。

「ひろしま・カレッジライン」
いいですねー。

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2008年12月 4日 (木)

広島市まんが図書館

アストラムライン上安駅に隣接して「まんが図書館」ある。
れっきとした広島市立の図書館だ。
まんがカフェとか、市内には、ちょっといかがわしい雰囲気の店があるが、それとは明らかに違う。
中に入れば図書館らしい雰囲気もある。
読んでいるのが「まんが」という違いだけだ。

1

ここは正式には広島まんが図書館あさ閲覧室という。
比治山の上にある広島市まんが図書館の分室である。
「まんが」とひらがなで書くというのも面白い。

本館の開館は1997年だ。
出来てもう11年経つ。
意外とその歴史は古い。
「延床面積は約200坪。蔵書は2006年末で約9万冊。
設立目的は「漫画及び漫画に関する資料を体系的に収集、保存及び提供すると共に各種行事を開催することにより、漫画文化の発展に寄与すること。
子供たちの好きな『ドラえもん』から、古くは平安時代を代表する鳥獣人物戯画、絵巻物諷刺画等の歴史的資料まで約77000冊(平成13年10月4日現在)を蔵書しています。」とある。
その内容はかなり充実している。
公立では日本唯一のまんが専門の図書館だといっていたが、最近では京都にもできたようだ。

まんが図書館あさ閲覧室は、1999年にできている。
こちらは面積約80坪、2005年度末で約5万冊という。

最近になって漫画の社会的評価もかなり変わってきた。
昔は漫画を読んでいると、「漫画なんか読んでいないで、勉強しなさい」といわれたもんだ。
漫画は勉強の妨げになる、レベルの低い読み物と思われていた。

しかし全共闘華やかりし頃、口角泡を飛ばして議論していた学生が、少年ジャンプや少年マガジンを夢中になって読んでいたこともある。
近頃は漫画雑誌で人気がでると、それが映画化されたり、TV番組になったりしている。
麻生太郎首相は漫画が大好きだそうだ。
一国の首相の愛読書が漫画だという。
それが麻生さんの人気にさえなっているとさえいわれている。
変われば変わるもんだ。

被爆体験を元にした漫画、中沢啓治の『はだしのゲン』(Barefoot Gen)は、核廃絶を訴える力、平和へのメッセージを伝えるものとして極めて高く評価されている。
京都精華大学には2006年漫画学部も設置され、きちんと学問の対象にすらなっている。
フランスでは日本のマンガが一つのカルチャーになっているという。
いまやMANGAは世界の言葉になっている。

広島では毎年アニメーション・フェスティバルも開かれ、隔年でアニメーション・ビエンナーレも開かれている。
広島市民のマンガ、アニメへの関心は高い。

どういう経緯で、広島にまんが図書館ができたかよく知らないが、それにしても全国に先駆けて漫画図書館を作ったことは素晴らしいこととして評価されていい。
官が、まんが専門の図書館を作ったなんてのは、それこそ世界で最初のことだろう。

広島という都市は、不思議な都市だ。

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2008年12月 3日 (水)

コンビニ?

大学生の彼の住むマンションのすぐ近くには、セブンイレブン、ローソン、ファミリーマートと何軒かのコンビニあるという。
その日の気分で、弁当を買う店を変えるという。
お店によって味が違うのだという。
コンビニ弁当の味が違うなんて知らなかった。

コンビニにいけば、パン、ジュース、おにぎり、そば、お菓子、バナナ、それこそあらゆる種類の食べ物がある。
包紙を剥がせば、即食べられる。
レジの後ろのレンジで温めてもくれる。

一人になった老人も、近くにコンビニさえあれば、生きていけるという。

電池がなくなったといえば、コンビニに行けばいい。
週刊誌が読みたければ、コンビニにいけばいい。
急に人が亡くなったので香典袋が必要となったら、コンビニにいけばいい。
銀行のATMもあるから、お金の預金、引き出し、振り込みもできる。
酒、たばこも売っている。宅配便も扱っている。コピーだってできる。
コンビニにいけばなんとかなる。
24時間開いているところもあるから、それこそなんとかなる
こうして列挙してみると、コンビニに出来ないことはないんじゃないかとすら思えてくる。

1
コンビニは、またどこにでもある。
近頃は街中にあるだけでなく、郵便局の中にも、学校の中にも、エキナカにもできている。
国立大学の中にもできた。

日本フランチャイズチェーン協会に加盟している店舗だけでも、2007年度末には23.5万軒もあるそうだ。
まだまだ増えそうだ。

しかし、その若者は「これでいいのかなー」という思いに陥る時が、時々あるという。

コンビニは一切バーゲンセールをしないから、結構値段だって高い。
高い物を買ってしまっているということもあるが、いつでも開いているから、いつでも買うことができるという思いになり、どうも生活に計画性がなくなっているのではないかという不安感に陥るのだという。
そしてその計画性のなさは、買い物以外にも影響を及ぼしているようだという。
コンビニ弁当を利用することで、食べるという人間にとって極めて重要な行為を粗末にしてしまっているのではないだろうかともいう。

そういわれてみれば、母親が子供の弁当を作らず、コンビニ弁当を持たせるということを聞いたことがある。
お母さんが作ってくれたお弁当を食べるという、あのなんともいえない楽しさが無くなっている。
またホームレスが、食べ残しのコンビニ弁当の食べ過ぎで栄養過多になっているとも聞いた。
コンビニ弁当の味付けも、どうもまともではない。
人間の味覚もおかしくしている?
LEDを使ってコンビニも省エネにも努めているというが、そもそも24時間営業で深夜に営業していること事態がエコに反している。

賞味期限の過ぎたからと弁当は翌日には廃棄しているが、昔母親から、ご飯は糸を引かなければ大丈夫だといわれたことがある。
今では、そんな弁当を売っていたら大変な騒ぎになる。
中華まん、唐揚げのようなものは、賞味期限切れとして作ってから数時間後には廃棄するという。
それを肥料、飼料にリサイクルして、エコに努めているといっているが、それだってそもそもの基本を間違えているようにもおもう。

三波春夫は「お客様は神様だ」といった。
「お客の望むことはすべて正しい。お客の望むようにすべきだ。そこにビジネスチャンスがある」といった思考が世の中を席巻してきた。
その究極の姿がコンビニだ。

何か大切な物を忘れているように感じて仕方がない。
「お客様は神様だ」というが、ここでちょっと立ち止まって考えてみる必要がありそうだ。
この神様は、甘やかされすぎて、いささか手も足も、頭も、大分弱っているようだ。

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2008年12月 2日 (火)

CNGバス

圧縮天然ガス(Compressed Natural Gas) を使用した車をCNG車という。
そのCNG車は環境にいいといわれる。
タクシー等に使われているLPG車とはちょっと違うようだ。

CNG車について、ウィキペディアには
「窒素酸化物…60~70%低減
二酸化炭素…20~30%低減
硫黄酸化物…100%低減
黒煙…100%低減
(参考)バス車両の室内騒音量…5~6%低減
(参考)バス車両の価格…1台2,407万円(ディーゼル車は1,415万円)
(参考)バス車両の燃費…1kmあたり41円(ディーゼル車は1kmあたり17円) 」
と載っている。

タクシー等でよく使われる「LPGは液化石油ガスの略で完全な石油生成物と誤解されやすいが、実際には石油随伴・天然ガス随伴・石油精製・天然ガス生成など石油以外のソースも持つガス体燃料である。2気圧から8気圧という低圧で液化し、体積が250分の1となり携帯性に優れる。 圧縮天然ガス車(NGV・CNG車)の200気圧と比較して積載性に有利である。オクタン価は、ブタンで約90RON、プロパンで130RONとなり実際に流通しているブタン 8:プロパン 2 の比率では約105RONとなり、ハイオクガソリン(プレミアムガソリン)並みのオクタン価である。」という。

LPG車は液化したガスを使っているが、CNG車は圧縮した天然ガスを使っているというわけだ。
CNGバスは、エンジンもガソリンエンジンを使用しているという。

すでに、広電バスでは、CNGバスを2006年に3台購入し、江波、広島駅間に走らせている。
屋根の頭が大きく膨らんでいるバスがCNGバスだ。
私は、あの膨らんでいるのは冷暖房機器を載せているからだと思っていたが、そうではないようだ。
そこにCNGが積まれているようだ。

「圧縮天然ガス(CNG)バスは、車体下部の前後アクスル間に燃料タンクを搭載していたため超低床化が困難であったが、1999年からCNG自動車の燃料タンクに関する保安基準が改正され、ノンステップバスの屋根上に燃料タンクを搭載する事が可能になり、超低床化が進み、各社ともCNGノンステップバスの導入もかなり進んできている」とも書かれている。

1_2

バスは必ず車庫に戻ってくるから、その車庫にCNG供給施設を整備すればいいということになる。
それ故、乗用車のためのガソリンスタンドのように、社会インフラとして全国的スケールで整備する必要もないから、バス等に導入するには都合がいい。
広電バスのCNGの供給施設は広島ガスが作ったという。
今のところCNG供給施設は全国で100カ所位あるようだ。

石油の採可年数は33年、枯渇年数は79年といわれているが、天然ガスは事実上無尽蔵だという。

天然ガスは液化が極めて難しく、それまで捨てられていたが、「日本が液化する技術を開発し、船で輸送できるようにした」という。

価格が高く、燃料費も高いCNGバスの導入については、環境的、資源確保という視点から、国としてもかなりの補助金をだし、支援をしている。

エネルギーの多様化という観点からみれば、CNG車がもっと普及してもいいように思うが、あまり普及しない。
LPG車も、日本では、なぜかタクシーにだけしか使われていない。
どうしてだろう。
知っている人がいたら教えて欲しい。

マツダのロータリーエンジンは、CNGに対しても、なんら問題なく対応できるだろうと思う。

電気自動車にはまだまだ沢山の未解決の問題があるという。
闇雲に電気自動車に進むのでなく、その前に、まだまだやるべきことがあるように思う。

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2008年12月 1日 (月)

米国・オバマ新大統領への期待

 米国初の黒人大統領が誕生した。当確後の第一声は「民主主義を疑っている人がいるなら、今夜がその答えだ」「変革の時が来た」と勝利宣言をした。

 かつて米国大統領選挙で「核廃絶」を掲げる候補者は一人もいなかった。
 イラク戦争が長引き金融危機が高まる中で核を巡る米国内の環境に変化があった。
 昨年と今年の正月に嘗てアメリカの核戦略を構築し推進したキッシンジャー元国務長官ら政府要人らが「核抑止力を疑問視し、核廃絶を示唆する」論文を発表して、国民の支持を得る環境が生まれていた。
米国民はオバマなら現状を変えられる…と期待した。根拠は「米国は間違った方向に進んでいる」と言う人が80%を占めていたからだ。

 オバマ氏は選挙戦を通じて「核のない世界を目指す」と公約してきた。
 ブッシュ政権が拒否してきた包括的核実験禁止条約(STBT)核拡散防止条約(NPT)の批准に向けた努力をし、ブッシュ政権が意欲的だった小型核兵器の開発など新しい核兵器の開発を認めないなど核兵器廃絶の政策に掲げた。

 アメリカ国内で核廃絶の世論がどれだけ盛り上がっているのか定かではないが、昨年から米国50州とワシントンなど102ヵ所で広島市が開催中の「原爆展」には多くの理解と同情の声が寄せられ、従来のヒロシマと言えば「リメンバー・パールハーバー」の声でなくオバマ氏が言う「変革」しつつあるようだ。

 それにしてもオバマ氏の核軍縮の熱意について問われた麻生総理は「米国がいくら言ったってそんなに簡単にできる話ではない」と残念ながら冷ややかな見方をしたようだ。
 「米国の核政策が好転する機会になる」と「早い時期の広島訪問」に期待を寄せる秋葉市長とは対照的だ。
 オバマ氏自身の発言の中に「この勝利だけでは変革を起こすチャンスにすぎない」と指摘し「この先の道は長くて険しい上り坂だから1年や1期の任期ではたどり着けないかもしれない」と国民に忍耐と協力を呼びかけている。まして核廃絶は容易ではない。

 世襲議員の首相が続く日本と全くの無名から登り詰めたオバマ氏。米国民は「変革」を選択したが日本では「選択の機会(選挙)」も失い閉塞感に包まれつつあるのは残念だが日本政府は核に依存しない安全保障政策を米国にどう提示するか…日本の世論が大切になって来る。その為にも“世界市長会議が提案する2020ビジョンに向かって”期待を込めて広島の声を一層強く政府と米国に届けねば…なるまい。オバマ氏へのヒロシマの期待は大きい。

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