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2008年10月 3日 (金)

浪花節の“灯”だけは消してほしくない

 浪花節(浪曲)は明治時代に始まり、大正、昭和と一時は流行歌をしのぐ勢いだったが、戦後は衰退の途をたどっている。今では定席は東京の「木馬亭」、大阪の「一心寺」のみ。テレビ、ラジオもNHKと大阪朝日放送だけとなった。
 江戸中期、浄瑠璃や説教節祭文が基礎となり、ちょんがれ、でろれん祭文、浮かれ節などと呼ばれ門付け芸が発展した。
 広島出身の浪曲師に古くは浪花節中興の祖京山恭安斎の門下・京山若丸(旧白市村)、初代京山小円(尾道)、若丸の弟子・京山呑風、そして呑風の弟子・松国十郎(旧作木村)がいる。
 ちなみに歌手の三笠優子は国十郎の弟子。京山恭安斎は巡業先の尾道で倒れ、弟子が墓を広島の旧材木町(中区中島町)の妙法寺に建立。被爆して安佐南区八木の別寺に移した。20数年前、同じ京山派の真山一郎と訪ねたことがあるが、ひび割れ、文字が消えかけていた。
 蒲田太郎著「がんす横丁」に明治時代、広島の柳橋西詰(中区銀山町)に浪花節のメッカと呼ばれた「朝日座」という、うかれ節の定席があり、初代小円はこの小屋で売り出し、若丸もしばしば出演。呑風はここで花を咲かせたという記述がある。当時広島でも盛況だったことが覗える。
 今年NHKが浪曲師三原佐知子の「はばたけ千羽鶴」を放送。反響を呼んだ。広島市東区在住で佐々木禎子の中学の先生だった豊田清史の作。
 このほか、原爆をテーマにしたものに天津羽衣の「原爆の母」、真山一郎の「ああヒロシマ」もある。真山は下松市出身だが、父は己斐、母は向原で11人兄妹の多くを原爆で亡くしている。
 前者は被爆した母子の悲哀の物語で、福山市の飯山栄淨作。後者は「はだしのゲン」の作者中沢啓治原作、被爆2世が主人公の「ある日突然に」を飯山が脚色したもの。真山は広島で原爆養護ホームを慰問したり、「芸道60周年を祝う会」をはじめ、数多く口演している。
 浪花節の復活は無理にしても、“灯”だけは消してほしくない。

 上村和博

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