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2008年10月

2008年10月31日 (金)

「抗がん剤決別」1週間

 抗がん剤の服用をやめて1週間が過ぎた。日々、薄皮をめくる様に手の痺れ全身の倦怠感が和らぎ歯茎や口内からの出血が止まった。何よりも味覚が少し戻ってきている。
 まるで砂をかむようで味が殆んど感じられず、従って食欲も減退気味でここ1年近く維持してきた体重が3~4日間で2キロ余り減っていた。

 抗がん剤は本来癌細胞をたたく訳だが、残念ながら正常細胞も副作用で大きな影響を受けてしまう…と言う特性がついて回る。
 服用していたTS-1カプセル20の副作用は倦怠感、出血、口内炎に息切れなど骨髄抑制や立ちくらみふらつき、白目の黄色など溢血性の貧血症状に皮膚の乾燥や黄ばみや痒み、耳鳴りや目まい、判断力の低下、食欲不振などの症状が出た。
 吐き気やおう吐に腹痛、発熱に意識の低下、物忘れや痙攣なども出てくる…と言う。
私の場合、ここまでの副作用が出るまで辛抱すれば、日々重病人に近づいていくと言う実感が強烈に迫ってきた。しんどい時はこのまま逝ってしまうのか…と死を意識した。
 中断するか継続するかは患者自身の自己責任であり、中断した場合のあらゆるケースを想定して判断しなければならない。だからエンディングノートの続きとしてメモして置く。

 副作用の出現率は一般的に87~8%と言われており、抗がん剤を服用すればほとんどの人に大なり小なりの影響は出るのが当り前で、これを避ける方策治療はない。

 抗がん剤について専門家の中でもいろいろな立場から投与に批判的な意見や説は多い。
新潟大学の安保徹教授は免疫力を高めることを前提に①ストレスの多い生活パターンを見直す②癌の恐怖から逃れる③免疫を抑制するような治療は受けない(止める)④積極的に副交感神経を刺激する…と“癌を治す4ケ条”を提案している。
 癌の宣告をされるとそれだけで不安感にさいなまれて副交感神経が減少状態になって、リンパ球が増えず免疫抑制状態になる…悪循環を起こしてしまう。
 手術、抗がん剤、放射線投与はすべて免疫力を抑制するものだ…と厳しい見方で抗がん剤の投与を受けないこと、受けていれば中止するように警告している。

 味が戻り手袋を2~3枚はめているようだった手先の感覚もだいぶ薄らいできた。
 僅か1週間の結果でとやかく言える状態では無いが人間としての根本を取り戻しつつある…実感を強めている。
 腹を決めた以上、余計な事は考えず、ブログにシネクラブに小さな祈りの影絵展のNGO法人化を軸に、徐々に人間復活が出来るよう散歩も再開し自分を取り戻したいと思う。
 友人の励ましは挫けそうな軟な心の励みになって有難い。

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2008年10月30日 (木)

天才?「ジミー大西」個展

 広島三越で一昨日から始まったジミー大西(本名:大西秀明・42歳)の「夢のかけら展」を見た。平日の午前中と言うのに大変な人出だった。百貨店が相当数の招待券を出していることが予測されるがそれでも尋常な数では無い。

 ジミー大西と言えばいま流行りのおバカタレントのはしりのような天然ボケ・タレンとして売れ始めていた。高校時代から吉本に出入りし、明石家さんまの運転手をしながら一発芸を仕込まれた。さんまが運転手を打診した時、免許はないので自動車学校へ入った。「2週間で大丈夫…と言いながら、筆記試験が長引いて取得に半年以上かかった」ことはTVの画面を通して知られているユニークな芸人だった。

 彼が画家になったきっかけは展示パネルを辿りながら探ると以下のようだ。‘93年読売TVの企画番組「タレント絵画オークション」に出品したジミーの作品が33万円と最高値がついて売れ、横尾忠則や岡本太郎が高い評価をして絶賛した。岡本太郎は「君は画家になれ」と「キャンパスからはみ出せ!」とエールを送っている。

 これを契機にジミーは無限の可能性と夢を追い続けて「絵画と立体の融合」と言うべき挑戦をはじめ、93年に初個展を開催するが、’96年に画業に専念するため芸能界を引退しピカソの故郷スペインに渡り、今や活動の場は世界中に拡大中だ。

 ジミーは岡本太郎のメッセージを「紙からはみ出すように描くこと」と理解していた。大阪万博で見た太陽の塔は「まだ幼かったが度肝を抜かれた。屋根からはみ出してるやないですか」でも「はみ出せ」はそうゆう意味ではない…気づいて悩むうち、岡本さんはこの世を去られて会う機会を逸してしまったが、今も「はみ出せ」をテーマに追及している。
 しかし、岡本太郎がジミーの画才の片鱗を強く感じていた事は間違いない。百点を超える作品はピカソやマチスに並ぶ日本人の感覚をを超えた画家?を思わせる秀作ぞろいだ。

 作品はキャンバスの絵画を離れて切手,CDジャケット、ポスター、オブジェ、ワインラベル、バスやモノレール・車や天然ガスタンカーの外装デザイン、モニュメントと幅広い。
 絵画もアフリカからヨーロッパ、インドや中国にテーマを見つけた作品が溢れている

 鮮やかな多彩と大胆な構図と独創的な作風は天才的だ。実にユニークで「夢」が詰まった楽しい展覧会だ。鑑賞を勧めたいが開催期間が5日までは短くて残念だ。

AB

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2008年10月29日 (水)

推奨映画「マンデラの名もなき看守」

 映画「マンデラの名もなき看守」を見た。平日の午後5時過ぎからの1回だけの上映だからだろうか、上映開始から1週間を過ぎたのに60人を超す人が並んでいた。

 南アフリカ共和国で黒人の自由と権利を獲得するため闘い続け、27年間の投獄生活の後に初の黒人大統領となりノーベル平和賞を受賞したネルソン・マンデラを一介の刑務所の看守の目を通して描いた、人間の本性を浮き彫りに心を揺さぶる作品だ。

 多くの映画製作希望の中から90歳を迎えたマンデラが初めて自身の人生の映画化を許した記念すべき作品で、独逸、フランス、ベルギー、イタリアに南アフリカの5ケ国が参加しての共同製作は異例だ。

 映画は既に世界で知られているマンデラの輝かしい功績でもノーベル賞受賞の栄誉でも大統領に選ばれた歓喜でもない。マンデラが刑務所の中から改革運動を指揮し続け、表舞台で南アフリカが変革していく以前の“囚われの27年間“である。

 刑務所の下士官グレゴリーは最悪のテロリストとされているマンデラの担当に抜擢される。マンデラの故郷近くで生まれ育った彼は黒人の言葉が判る為、マンデラに来る手紙や文書に会話までチェックして報告する…スパイ的な監視役だ。
 凶悪なテロリストと教え込まれ、それを信じて任務に忠実なグレゴリーはマンデラに厳しく接する。 しかし、彼らが主張する“憲章”を、身分を隠して図書館で密かに検証して彼がテロリストでなく自由の為に闘い犠牲を払っている事を知る
 マンデラは過酷な独房でありながら自宅の書斎に居るかのように堂々と振る舞う。グレゴリーはマンデラの闘いに一層魅了され、彼が目指す平等な社会に憧れて行く。
  
 しかし、マンデラに傾倒していることが上司に知られれば、評価を受けている今の立場も妻子の安全さえも脅かされ兼ねない。
 家族や仕事・国や良心…葛藤の中で妻に“正しい歴史の一部でありたい“と打ち明けその意思を貫いた看守グレゴリーとマンデラの数十年に渡る魂の交流を描く感動作だ。

 たった1割余りの英国系白人がダイや金の産出を背景にアパルトヘイト制で徹底した人種差別による反発者を弾圧した南アの歴史の裏面を、一介の監視の目を通じて描く作品は淡々として静かな中に熱くたぎる民主と自由の尊さを描いて観る者の心を強く掴む、稀少推奨作品だ。

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2008年10月28日 (火)

県の施設と指定管理者

広島県の6施設、グリーンアリーナ、フォレストヒルズ等の指定管理者に、今回、民間からの応募はゼロだったという。

自動的に、これまで運営をしていた県や自治体の出資している外郭団体が指定管理者となるようだ。

中国新聞の記事によれば、説明会には、民間企業は22社来ていたが、県の委託料が低く、収益を見込めないから辞退したという。
グリーンアリーナにあっては、県が示した年間委託費用の上限は3.62億円。いままでよりも1.47億円、6割減だったという。
凄い額の減額だ。
外郭団はその額でできるというわけだ。
大したもんだ。
それにしても民間企業の応募がゼロというのは寂しい。

1

それら外郭団体が生き残りに危機感を感じ、必死の努力をし、それなりのノウハウを蓄積し、実績をあげてきたことは確かだ。
どの施設にあっても、指定管理者となってからの運営は、以前とは大きく進歩し、サービスもよくなり、利用者数は15.5%の増加、その結果、収益も向上させたという。
その努力は評価されていい。
このことだけでも、指定管理者制度導入の効果はあったといえる。

民間企業にとっては、グリーンアリーナを管理する県教育事業団は公益法人であることで、事業所税等各種の税の優遇処置もあることもハンデキャップになっていたとも指摘されている。

また首都圏ではこうした類の施設に民間企業が積極的に指定管理者として応募しているが、そうした企業に聞くと、地方に進出するのは、遠く離れているため、ロスが多く、収益が期待できないという。
だから応募しないのだという。

広島にはサービス業の民間企業が少ないことも、今回の応募がゼロだったことのもう一つの理由でもあるだろう。

こうした状況を見ると、それならいっそ、これら県の外郭団体を株式会社化したらどうだろうか。
それら外郭団体は、現在財団法人が多いが、実は財団法人であることで、様々の規制を受け、本音の経営は難しい。
株式会社化することで、自由に経営もできるようなるだろうし、発展性もでてくる。
現在受けている指定管理者制度の適用事業だけでなく、その他の様々の行政がやっていた事業もできるようにしたらいい。
そうなれば結構仕事はあるはずだ。

その方がより利用者の要望に沿ったサービスがされるようになるだろうし、さらにいえば、そうすることによって広島に新しい企業を育てることもできるだろう。

ただ単純に県の費用削減のための指定管理者制度ということではなく、指定管理者制度の新しい活用の仕方を考える時にきたようだ。

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2008年10月27日 (月)

大学と資格

先日久しぶりに京浜東北線に乗った。
最近新聞でも電車内でも大学の広告がやたら目につく。
大学全入時代を迎え、それぞれの大学が学生集めに必死になっていることの現れだろう。
某女子大の広告は、入学すれば保育士、小中学校教諭、栄養士等、どんな資格が取れるかをひたすら書きならべていた。
近頃の大学は専門学校化しているというが、その典型的なケースだろう。
またこうしたことの背景には、学生にしても、親にしても何か資格をとれば、なんとか食って行けるだろうという思いがあるのだろう。

しかし企業が採用するときの条件としては、資格は殆ど評価しないという調査結果がある。
資格は採用条件として当然という場合もあるし、入社してから取ればいいという場合もある。
労働政策研究・研修機構の調査では、熱意・意欲が73.3%、次にコミュニケーション力56.6%、3番目が協調性の41.5%、行動力・実行力が35.9%と続く。学暦はたったの7,4%、資格は5.3%と、ほとんど問題にしていない。日本では1度その会社に入社すれば定年まで40年近くの間勤めるというのが前提になっている。
そんな長い間一緒に生活するのだ。人間性のほうがより重要になってくるのは当然だろう。
私も民間企業に長く勤務したが、資格力より、人間力だということをつくづく感じさせられた。

親や高校生、大学生が思うことと、企業が期待していることが大きく乖離していることのほうが問題だ。

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資格取得をすることに反対ではない、取得した方がいいに決まっている。
そしてそれを売りする大学もあってもいいとは思うが、大学では本当は「生きていくことの楽しさや、周りの人とうまくやっていく」ということをもっと教える必要がある。

ホイジンガがホモルーデンスという本の中で、「人間は遊ぶ動物だ」といっている。
広島大学のキャッチフレーズは「学問は最高の遊びだ」といっている。
本当はそうだろうと思うが、そこまでストレートに言ってしまうと、ちょっと誤解を招きかねない。
そんな屁理屈を言わなくともいいから、大学では、「ほらこんなに面白いことがあるよ」と示してあげることが大切だろう。そのためには、教員自身が夢中になっていることを見せてあげる必要があるのだろう。

通常資格取得の授業は、面白くもなんともない。
ひたすら苦痛だ。
それなのに、資格は取ったけれど、その仕事は嫌だといって、折角入社した会社を辞めてしまう人も多い。
資格を取るために何年も努力したことを簡単に無駄にしている人も多い。
資格はあった方がいいと思うが、殆どの人にとっては、生きていくのに実は殆ど関係ない。
ものつくりの企業にあっても、かなりの社員は営業とか、経理、総務とかに所属しているから、資格には関係ない。
遊園地、ホテル、スキー場とかのサービス業にあっては、9割以上の人がなんの資格も持っていない。
コンビニ、SCだって資格はいらない。これからの時代は商業、観光産業を中心にして、サービス業従事者がどんどん増えるだろう。
ホテルだって、英検2級という資格も持っていた方がいいとは思うが、なくとも充分やっていける。
これからサービス業の分野の発展性は高い。
大学生達にもっと「人生面白いよ」、そして「サービス業は面白いよ。就職の可能性も高いよ」と教えてあげる必要があるようだ。
資格をとれば大丈夫だといういい方がされているとすれば、それは詐欺だとすらいっていいだろうと近頃は感じている。

大学教育を見直す時に来ているようだ。

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2008年10月26日 (日)

被爆建物・旧理学部校舎

広大跡地に建つ旧理学部校舎は被爆建物だ。
平成7年に建てられ、広島大学が移転するまでは、理学部校舎として使われていた。
広島高等師範学校の歴史を受け継ぐ「知の象徴」でもある。
建築的にも貴重な歴史的建造物である。
鉄筋コンクリート3階建て、9,000M2とかなり大きい。
しかし老朽化が著しく、危険だということで、いまでは柵で囲われ、使用は禁止されている。
その「知の象徴」ともいうべき建物が、今朽ち果て、消えようとしている。
広大跡地計画の事業予定者として当選したアーバンコーポレーションが倒産したことで、跡地計画は白紙に戻る恐れが出てきた。

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アーバンコーポレーショングループが示した「ナレッジ・フォレスト=知の拠点構想」では、改修して、専門学校の校舎として使用することが提案されていたようだ。
しかし杭は松杭、コンクリートの鉄筋は腐食していて補修程度では耐震化基準を満たすのは難しい、冷暖房の設備を取り付けるにはかなりの工事をしなければいけない等様々の問題が次々と明らかになって、有効利用することについては、大変苦労していたようだ。
さらに理学部校舎と使われていたころの有害物質もかなりあるとのこともわかり、その処理をどうするかについても苦慮していたようだ。

だからといって、その建物としての価値を考慮すると、そう軽々しく解体してしまうというわけにはいかない。

ここでその、その利用の仕方について、改めて考えてみたい。
「愚かな知によって、広島の知の拠点が被爆した。新たな知をこの広島から起こそう」ということをテーマに、広島大学、広島市立大学の平和研究所、或るいは比治山にある放射線影響研究所等の機関を、この被爆建物の中に移設するとしたらどうだろうか。
インタナショナルスクールの進出の話もあったと聞く。
広島に世界の人々が交流する拠点を作るということをテーマにして、そのインタナショナルスクールを誘致するということも考えられる。

そうした利用の仕方をするには、現状のままでは、無理のようだ。
利用するということであれば、改修はせざるを得ないだろうが、少なくとも「知の復興の象徴」として建物の一部、たとえば外壁の一部を残す程度の事はしてほしい。
この旧理学部校舎が被爆建物であるということの事実は、何らかの形で残すべきだ。

或いはまた、被爆して消されようとした「知の象徴」として、原爆ドームと同様、現在のような完全保存を考えられる。
その場合には、旧理学部校舎周辺を都市公園指定することが必要だろう。

いずれにしろ、この「被爆した知の象徴」としての旧理学部校舎の一部を残すにしろ、全部を残すにしろ、その費用は莫大な額になる。
一企業、広島市の負担できるレベルを越えている。

旧理学部校舎をどうするかについては、コンペの対象から外し、この際別途改めてもう一度考えてみる必要がありそうだ。

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2008年10月25日 (土)

「世界市長会議」残念“ノーベル平和賞”

 ノーベル物理学賞の3人に化学賞と相次ぐ日本人の受賞に日本中が喜びに沸いた。
 相次ぐ日本人科学者の受賞は閉塞感に包まれた日本の久々に明るいニュースだった。
 この勢いでもしかしたら平和賞も…と期待した人達もいたのではなかろうか。

 3月20日付のこの欄で平和市長会議の「ノーベル平和賞」受賞に期待する記事を書いた。
 ジュネーブに本部がある国際平和ビューロー(IPB)と国際反核医師の会(IPPNW)が「核兵器のない世界を目指す都市ネットワーク造りに共同して力を発揮した」として『世界市長会議と秋葉広島・田上長崎市長』をノーベル平和賞に推薦した。

 日本でノーベル平和賞と言えば「非核三原則」を国是として定着させたとして佐藤栄作元首相が受賞している。また、日本財団の創始者で日本モーターボート競走会の笹川良平氏が国際的団体に多額の資金提供した功績で推薦された際に疑問のブーイングが上がった。
 また、日本被団協(日本被爆者団体協議会)が‘85年と’94年の2回、推薦を受けているが残念ながら“命がけの被爆者の声”はまだ届いていない。

 しかし、2020年までに世界の都市が連帯して国連や核保有国を動かして核兵器廃絶を目指す「2020ビジョン」を推進する世界市長会議はここ数年で急速に拡大し131カ国地域、の422都市に達した。これまで、手つかず状態だった国内の自治体への加入も積極的に進める方針が確認されており運動に大きな弾みになるものと期待され、世界市長会議の役割は更に大きくなっている。

 核超大国・米国はいま大統領選の真っただ中。金融問題で大揺れに揺れているが、日本での報道は少ないがキッシンジャー元国務長官ら米国の核戦略を立てて推進してきた人達の「核の抑止力は無くなった…」などの影響もあってオバマ氏をはじめマケイン氏までも核兵器の削減に言及するなど、核兵器廃絶に向う動きは徐々に高まってきている。

 今年のノーベル平和賞は旧ユーゴやイインドネシアに北アイルランドなど多くの地域紛争で和平の仲介や交渉で成果を上げたフインランドのアハティサーリ元大統領に決まった。

 残念ではあるが「2020ビジョン」が実現するためにはまだ多くの課題がある。
 2つの国際平和団体からの推薦は世界市長会議への励ましのエールであり、被爆者と広島長崎市民が一層連帯を強めて「原爆展」を核保有国をはじめ世界中で実施したり、核の本当の恐ろしさを世界の国民レベル普及しなければならない。
 この運動を着実に進めればノーベル平和賞は間違いなくヒロシマにやってくると信じる。

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2008年10月24日 (金)

自己責任で抗がん剤との決別

 8月10日のこの欄で「ガンへの再挑戦」を書いた。
10月のCTチェックと診断が気懸りだったが“抗がん剤・継続”となった。
 医師の診断は肺にある3つの癌の内2㌢大だった一つが半分の大きさに成り他の2つも縮小傾向にある。抗がん剤の効果が表れているので継続投与が必要だ。
 万一、ここで薬物療法を止めて癌が再び拡大し始めると命に関わる重大事態に成りかねない。 従って、投与の継続を…と勧める。薬物投与はいつまで続くのか?と聞くと、生涯切り離せないと言う。自己責任で判断してほしいとの宣告だ。

 さんざん迷った結果、7月末から3クール続けてきたのをここで中止するにはそれなりの決断が必要だ。2年半前の投与は幸い冬場で爪の変形や皮膚の乾燥や充血それに手足の痺れも比較的軽く、味覚も短期間の変化でなんとか維持できた。
 
 今回、特に背中を押されたのはもう一つの医師の診断を聞いた為だった。
肺への転移は早い確認だったので第一期…と他の医師の説明で納得していたが、4期だった胃からの転移だから肺も4期と見る…と言う見解だ。肺が一期である場合は転移でなく原発性つまり肺に新たに発生した場合に限るとの診断だ。
 今回の治療開始に当たって十分に説明されていなかった部分で、いささか不満が残る。

 しかし、再開して見て判ったのは前回には無かった4クールと言う新しい領域の治療の副作用だった。4クールに入って数日の内に味覚がほとんどゼロ状態に成り従って食欲も著しく減退した。加えて手足の神経が著しく痺れ物を掴む感覚や触感が大きく後退した。
 不思議なのはこれまでに無かったお酒による酩酊状態のように頭がボンヤリふらふらする状態が生まれ、午前中はほとんど横になった病人状態になった。
 主治医のN先生は週一回の血液検査でヘモグロビンが多少低い以外は今のところ変化が見られないと一度も聴診器すらあてない。データとCTやPETOの結果による判断だけだ。

 長年東洋医学を研究し治療では実績が大きいドクターS先生の経絡診断検査では悪性の癌では無い肺房や間質にある炎症と分泌液の固形化?でむしろ抗がん剤で生じた可能性すらある…との診断だ。
今の状態が続けば生きた心地は日に日に薄らぎゆく予感が強まっている。俳優の緒方拳さんが誰にも言わず癌と戦って逝ってしまったが、見事な生き方をされた様に思う。
 まだ、2回ストップしただけで今日は味が少し戻ってきた。手足の痺れも軽い。
 一時の感傷では無く妻とも相談の上坑癌済と決別して、東洋医学一本の治療に専念する覚悟を決めた。エンディングノートの1ページとして記録に留めたく、記した。

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2008年10月23日 (木)

沢田研二の「我が窮状(9条)」

 NHKで偶然つけた番組でジュリーこと沢田研二が歌っている歌が気になって聞いた。
 タイトルがふるっている「我が窮状」と「日本国憲法9条」に引っ掛けた歌だ。少しふざけているのかと思ったら、大真面目で「憲法9条を守る」歌を静かに訴えている。 

♪ 麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが/
忌わしい時代に 遡るのは賢明じゃない/
英霊の涙にかえて 授かった宝だ/
この窮状 救うために 声なき声よ集え
我が窮状 守り切れたら 残す未来 輝くよ…と続く。

 9条は「英霊の涙にかえて 授かった宝だ」とは、天皇の為お国の為に死んで行かねばならなかった無名で無数の戦死者の無念や悲しさ怒りを歌いこんで、彼らが命と引き換えに残した憲法9条を守り抜く事の大切さを強調している点に共感を覚える。

 沢田研二と言えば’60年代にグループサウンズの“ザ・タイガース”のメンバーで一世を風靡し、その後は歌手として役者としてまた作詞作曲家して幅広く多彩な活動をしてきた。
 
 コーラスをバックにバラード風の歌詞は自身の作詞で、紛れもない憲法9条の賛歌だ。
‘48年、鳥取に生まれ京都で育ち戦争体験もない彼がいま何故「憲法9条」の賛歌に結びついたのか不思議だ。
 朝日新聞の記事によると『60歳になったら、言いたい事をコソッと言うのもいいかな、と。いま憲法は、改憲の動きの前でまさに“窮状”にあるでしょう。言葉に出さないが9条を守りたいと願っている人達に私も同じですよと言うサインを送りたい』とこれまでも目立たない様に賛同してきたが、自らの還暦記念だと語っている。

♪この窮状は 救えるのは 静かに通る言葉
 我が窮状は 守り切りたい
 許しあい 信じよう…と歌う「我が窮状」は、嘗て“時の過ぎゆくままに”“君だけに愛を”を歌ったジュリーとは少し太めの沢田研二は前にも増して輝いているようだ。

 所信表明で天皇の承認を“御名御璽”として、歴史の歯車が逆転しかねない政治感覚を剥き出しにした新総理が更にどんな憲法感覚を示すかわからないが、きな臭さを感じる。
 選挙も遠くないこんな時期である。
 それだけに是非とも一度、視聴されることをお勧めしたい。

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2008年10月22日 (水)

ひろしま昼市―ひろしま夢ぷらざ

本通り商店街の真ん中あたりに、広島県内各地の特産品を売っているお店がある。
店頭ではその時々の旬のもの、鯖寿司とか、団子とかミカンとかを売っている。
今日は何を売ってるかなと覗くのは、楽しい。
中に入ると広島県内各地のコーナーが設けられ、特産品が並べられている。
お米があったり、干物があったり、醤油があったり、お人形があったりする。
無添加無着色チリメン、自家製天然酵母とか結構拘りのあるお店もある。
ネット販売もしているようだ。
自然や田舎の体験講座等の紹介もする「やまなみ大学」の受付カウンターもある。
多種多様ともいえるし、支離滅裂ともいえる。
それがまた面白い。
なんとも人間的な味わいのあるお店だ。
ちょっと食のフェスティバルのお祭りのような雰囲気もある。

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呉、尾道、三次、等の商工会が主体になって出店しているようだ。
広島県内の市町の特産品のサテライト店舗というわけだ。
まああちこちにある朝市がビルの中にできたと思えばいい。
ビルの中にあるから、冷暖房も効いているし、もちろん雨も関係ない。
朝10時からから夜7時までやっている。
結構賑わっている。
朝市のように朝開いているだけではないし、農産物だけでもない。
昼間開いているから、昼市と呼べばいい?
「ひろしま昼市」とネーミングしたほうがシャレてる?

平成10年に始まったというが、以前に比べてだんだんお客が増えてきているように感じる。

本通り周辺には、こんな類のお店が他にもある。
本通りをちょっと入ったところに、愛媛の特産品を売っているお店もある。
山口県の特産品を売っているお店もある。


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そうしたお店が1カ所に集まれば、もっと街が楽しくなるだろうし、賑わいも生まれるはずだ。
もっともっとそんなお店が、集まる工夫をしたらいい。
裏通りにも出入口が出来たら、裏通りにも人が流れるようになる。
そうなればここが本通りの中心になる?

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2008年10月21日 (火)

iTunes+TV+読書

私はかなりのTV中毒だ。
TVがついていないと、なんとなく落ち着かない。
だからといってちゃんと見ることは殆どない。
TVをつけっぱなしにして、新聞を読んだり、本を読んだりしている。
まあ俗にいうナガラ族の典型だ。
しかしそれにしても、近頃のTVはバカバカしい番組ばかりだ。
おバカキャラ?一発芸?なんだよ、それ!
居酒屋で酒を飲んで、騒いでいる若者を、そのまんまTVで中継しているような感じだ。
いいかげんにしろ、と怒鳴りたくなる。
あいつ等、遊んで金もらっているのかと、怒りが込み上げてくる。
だからといって、TVを消すことはしない。
困ったもんだ。

最近ちょっと上手い対処の仕方を見つけた。
かなり嵌っている。
先日パソコン専用のスピーカーを買った。
小さなスピーカーが2つ、それに低音用のスピーカーが一つ別についている。
パソコンに内蔵されているスピーカーと比べたら、段違いに音がいい。
TVは音量をゼロにし、映像だけをつけておき、片やiTunesの音量を思い切り上げて、JAZZを聞きながら、本を読むのだ。
最高に気分がいい。
TV番組に、腹をたてることもなくなった。

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ニュースが気になる時は、TV画面の字幕を読めばいい。
だいたいわかる。
字幕は視覚障害者のためだけでない。
こんな使い方もある。

時にはYouTubeで、映像を時々見ながら、本読む。
これもまたいい。

今は望むものは、何でも手に入るようになった。
しかし嫌なものも同時に入ってくる。
嫌だったら、その部分は無視し、自分に都合のいい部分だけを選ぶようにする工夫が必要だ。

やり方さえ間違えなければ、極めて豊かな気分になれる。

自分の都合だけで生きるようになると、引きこもりになる?
ヤバッ!

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2008年10月20日 (月)

街の壁画

大手町通りをちょっと南に下ったところにあるお店、バーの壁面一杯に絵が描かれている。
縦3M、横15M位もある大きな絵だ。
中のお店は、カウンターがあって、ビリヤードが置かれている。
ステージでは時々ライブ演奏もある。
アメリカンスタイルのバーだ。
絵はそんなお店の雰囲気を上手く表現している。
お店の看板にもなっている。
隣の建物が解体撤去されたことで、それまで見えなかったノッペラボーの壁面が表れてしまったから、ぼろ隠しのため、止むを得ず絵を描いたということだろうが、なかなか楽しい風景を作りだしている。

よくある落書きとは全く違う。
こうした絵が描かれている壁面には、落書きマニアも落書きはしないようだ。
おかしい。

Photo

いわゆる窓があって壁があるという建築のデザインなんて関係ない。
絵だから、どんな類の絵でも描ける。

建物の壁のデザインの一つとして、もっと積極的に取り入れていったら面白い街になる?

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2008年10月19日 (日)

伝統に挑む韓国舞姫

若い娘さんの訪問を受けた。朴裕恵(パクユヘ)さん。75年生まれ33歳。広島生まれの在日3世で、安芸南高校を卒業してしばらくしてから韓国の伝統の舞いの世界に没入していったという。韓国伝統の舞いでは一人者の京都の師匠に弟子入りして広島に戻った。いま、在日のアイデンティティを求めて「韓国伝統芸術院」という教室を作った。広島で多くの人に観てもらいたいという。朝鮮半島の伝統芸術は、朝鮮総連系の「朝鮮歌舞団」が有名だ。
歌も演奏も舞いも秀でたグループだが、残念ながら北朝鮮への風当たりが強い昨今、一般の人がこの芸術に触れるチャンスは少ない。
私は、小さな朝鮮半島の伝統芸術に南北どのような違いがあるのか興味を覚えた。いろいろあるそうだが、素人にわかりやすくいえば、朝鮮系は細身にスマートな印象があり、韓国系は丸い柔らかな曲線が特徴だそうだ。いずれにしても、日本舞踊や能など日本の伝統と違う
趣を持っている。「能面のような」と比ゆされるように無表情な日本の舞に対して、韓国の
舞踊は、南北ともに笑みにあふれ、躍動的だ。
 ずいぶん先だが、この「韓国伝統芸術院」の1周年初公演が、来年2月22日にアステールプラザの中ホールで開かれる。2・22アステールと憶えていただきたい。
 韓流は、テレビドラマだけではない。あでやかな舞を通してあらためて身近に韓国を感じていただければうれしい。

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2008年10月18日 (土)

無責任な県議会「県知事の疑惑追及」の断念

 事件の発覚から3年。広島県議会は、藤田知事の後援会による政治資金違反事件で県議が受け取ったとされる疑惑について真相解明の断念を決めた。
 多くの県民が予測していたと思える“いい加減な結果”に呆れてしまう。

 藤田知事を巡る知事選対策費疑惑は2006年2月、藤田勇山後援会の政治資金不正事件の初公判で広島地検が「激戦時で数億円、無風の時でも数千万円に上った」と対策費の存在を指摘した。地検が押収した元事務局長と元秘書のメモや供述により、’97年の知事選では当時の県議18人に30万円から百万円が渡ったと言う疑惑が浮上した。

 これを受けた県議会は弁護士に調査を依頼し、3か月の調査結果が「元事務局長、元秘書に名前が挙がっている当時の県議18人に面談した結果、元秘書、元事務局長には証言拒否され、県議には受け取り拒否したとして『証拠不十分』と結論し県議の実名は公表すべきでない…としている。

 報道によると、これに対して自民系の3派は「法律の専門家でも究明できないならこれ以上の進展はない」とか「疑いが無いなら信用するしかない」更に「グレーでなく白を感じる。嬉しい結果だ」と調査結果を歓迎している。一部の小会派は「強制力がなく、元々究明は不可能」と言い「悪しき習慣が闇から闇に葬られようとしている」「真相解明を継続」すべきと主張している。

 そもそもこの事件は藤田知事の担ぎ出しに動いた桧山元議長や元秘書たちと林現議長派の対立から表面化し、担がれて桧山議長の手のひらで動かされることに不満が生じた知事との間でできた隙間から発覚した事件だ。

 2度の辞職勧告をしながら「法的拘束力がない」とし知事の座に連綿とする藤田知事。
 “全国に先駆けた”…を売り物に広島県議会は「政治倫理条例」を設けた。金品の授受や道義的批判を受けるような寄付は受けない等、当り前過ぎるこんな規約が必要な議員の政治感覚の低さが腹立たしい。
 結論は「拘束力がない」為で、最初から疑惑議員が対策費の受領を否定すれば打開できないことは分かっていながら県費で「名ばかりの、県民向けの隠れ蓑」作りだった…としか言えない。知事は「コメントする立場でない」と逃げているが、これで後1年知事の座に座り続けることにお墨付きを貰ったとばかり、胸をなでおろしているに違いない。
 それにしても“知事は次期国政選挙に出馬?”の噂が流れる県会を巡る状況は嘆かわしい。
 疑惑の封印を決めた慣れあい県議会に改めて怒りを感じるのは私丈ではあるまい。

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2008年10月17日 (金)

新商工会議所ビル内に小ホールを

音楽、演芸の催事に詳しい私の友人が、広島市では今100~300席の小ホールが絶対的に不足している、是非欲しいといっていた。

ALSOKホールは1,730席、アステールプラザは大ホールが1,204席、中ホールが547席、厚生年金会館ホールは2001席と、大きなホールは広島市内ではそれなりに充実している。
しかし、ちょっとなにかやろうとしたときの小ホールが足りないのだという。
なるほど、サッカーであればサンフレッチェを頂点にして、ユース、高校、大学、小中学校と様々のチームがあって、あちこちで試合をし、練習している。
そのためは、観客席がなくてもいいから、様々のグランドが多様に必要だ。
そうした仕組みがあって初めて広島のサッカーが強くなる。

音楽であれば、広島交響楽団を頂点にして、エリザベート音楽大学があり、大学、高校、中学のオーケストラがあるというように、本来様々の下部組織があってしかるべきだろう。
そのためにもノンプロのオーケストラや、アマチュアが演奏できる小さなホールがいくつも必要になる。

プロの歌手も長い下積みの期間があって、メジャーになっていく。
その下積みの期間にあっては、数100人も入れば一杯というようなところで演奏し、CDを売って、育っていく。
音楽、演芸、演劇等それぞれの活動に適った小ホールがいくつも、多様にあって、はじめて層の厚い文化が育っていく。

商工会議所ビルの移転が検討されている。
いささか気が早いが、その建物内、或るいは周辺に100席程度の小ホール2つと、300席程度の中ホールを設けたらどうだろうか。
小さなホールは、大ホールと違い、稼働率も高い。
例えば、
100人収容の小ホール×2つ×1.5回転×300日=90,000人
300人収容の中ホール×1.0回転×300日=90,000人
ということになれば、年間約18万人の利用者が想定される。
小ホールは、規模は小さいが、それこそ365日24時間、希望があれば、オープンすることも可能だ。

ホールは用途や舞台の大きさ、バックスペースの充実度によって様々だが、
概算値として客席1席あたり3~4m2ぐらい(ホワイエ、客席、舞台、楽屋含む)必要だ。
工事費としては、あればあるほどいいのは当たり前だが、まあ坪当たり150万円位見ればいいだろう。
とすると、
100席の小ホールで、100坪×150万円→1.5億円×2つ→3億円
300席の中ホールで、300坪×150万円→3億円
合わせて約6億円程度でできる。

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費用対効果を考えたらこれは効率がいい。
利用客のシーズン変動、曜日変動が少ないのも、天候に左右されないのも運営する側にしては助かる。

商工会議所ホールで、友達の娘さんがピアノのコンサートがある、町内会の踊りの披露会がある、夜にはオジサンたちのカラオケ大会がある、若者たちのロックバンドのコンサートがある、二つ目の落語の会があるというようになれば、上手い下手ではなく、それはそれで楽しいではないか。

紙屋町のデオデオには吉本興業のホールがある。
デオデオも頑張っている。
本通り商店街の裏にあるダイエーの跡地にもこんな小ホールができたらいい。
小ホールはあちこちにあっていい。
本通りのお客を増やすには、こうした仕掛けが必要だ。

ネットで、そんな催しの内容を配信したら、もっと面白そうだ。
ネットの世界もコンテンツが不足している。
小ホールがそのコンテンツを作る場になればいい。
面白い時代になってきた

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2008年10月16日 (木)

路地の街・元宇品

広島プリンスホテルに向かう通りの西側に、古い住宅街が残っている。
築100年を越す古い住宅もあるようだ。
被爆地広島では古い木造の建物が残っている地域は少ない。
貴重な街だ。

この元宇品地区は江戸時代末期から昭和の中ごろまで、造船会社の街として栄えた。
その造船会社の関係者の住む家として建てられたのがこれらの住宅のようだ。
何軒かの住宅は船大工が作ったといわれている。
よく見ると随分と立派な材木が使われ、手の込んだ造作もされている。
屋根の勾配は古い和風建築特有の緩いむくみがある。
こんなことはかなり高度な技術がないとできない。

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草津の古い住宅街もそうだが、この元宇品地区も世代が代わり、こうした古い住宅を持て余しているのが現状のようだ。
広島プリンスホテルができるまでは、埋立地の中央を走る2車線の通りはなかった。
住宅街の狭い路を、バスが軒先にぶつかりそうになって走っていた。
環境が変わったことで、新しい大きな建物がどんどんできている。
古い住宅もマンションに建て替えられている。
この状態がそのまんま進めば、いずれはこの古い住宅は消えてしまう。
なんとかこの古い住宅街を残したい。

近頃古建築を改装してレストランにするというのも流行っている。
元宇品地区の古い住宅を改装して、瀬戸内海の新鮮な魚を食べさせるレストランとか、カフェとかにする手もありそうだ。
この元宇品地区は近年急速に結婚式場がいくつもでき、オシャレな街として変わりつつある。
倉庫がシャレたレストランに改装されたりしている。
この元宇品地区の古い住宅にはそれぞれの家の歴史がある。
そんな歴史を展示する品物がレストランの一部に展示されていたら、それはそれでなかなか味わいのあるものだろう。
1軒が改装されれば、次々と変わっていくことも期待できる。
そうなれば、ソレイユとかの大型SCとは一味違った、歴史のあるシャレた「路地の街・元宇品」ができる。

東京でも向島の古い路地の街が若い創作家を引きつけ創作場兼店舗を作ったり、ギャラリーを作ったりしているという。
街の中に息づく生活感が人々を引きつけているのだという。
以前、東京六本木の昔ながらの古い住宅の2階の畳の部屋で、年取った老夫婦が1日たったの1組、天ぷらのサービスをするというお店に行ったことがある。
それは感激した
そんなお店がこの元宇品の一角にあっても面白い。

裏山は原生林だ。
ものすごい大きな巨木もある。
白い砂浜もある。
目の前には船が行き来している。

この元宇品の住宅街がそんなオシャレな街に変貌したら、広島の名所になる。
元宇品のポテンシャルは高い。

ソレイユ、JTゆめタウンのお店も、こうした地区に進出するビジネスモデルを早く作った方がいい??

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2008年10月15日 (水)

大和花

山陽自動車道志和のICを降りて5~6分のところに、大和花というレストランがオープンした。
田圃の畦道のような狭い道の行き止まりに白い壁に囲まれてある。
門を入ると、手前の蔵は資料館になっている。
小さな広間ではコンサートも時々開かれているようだ。
レストランは、元々お酒の醸造所の一部として使われていた建物部分を改修して作られた。
趣のあるレストランになっている。
取り外した梁の木口の彫り込みが柱には残っている。
芝生の庭と和風庭園がある。
和風庭園には醸造所時代からなのだろう、大きな木や石がある。

今回オープンした部分は、40席位の小さなレストランだ。

なかなかの人気だ。
予約しようとしても、なかなか席がとれなかった。
今回は数日前に予約してやっととれた。
思いつきで、コーヒーでも飲もうとフラッとよっても席がないこともあるようだ。

ランチを注文したが、車だからお酒が飲めない。
ちょっと残念だ。

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こんな辺鄙なところにあってこの人気だ。
広島市内からかなりの距離がある。
それも幹線道路から入って、ポツンとある。
よく商売になると思うが、車の時代、ネットの時代、グルメの時代だから可能になったビジネスだといえる。
近頃は古建築を改装したレストランの人気も高まっている。
そうした時流にも乗っている。
ソレイユ等のショッピングセンターにはない味わいがある。
いいレストランがあると聞けば、皆と少々遠くともやって来るということだ。

奥の方にある母屋もいずれレストランに改装する計画もあるようだ。
いずれは、奥の別の建物を宿泊できるように改装したいという。

広島に、また一つ素晴らしい財産が生まれた。
素晴らしいことだ。
こんな改装レストランが今あちこちにできてきているようだ。
改装シリーズとして訪ねるのも面白そうだ。

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2008年10月14日 (火)

劇団四季への期待

 劇団四季のミュージカル「ユタと不思議な仲間たち」を見た。
子どもたちのいじめに真正面から取り組んだオリジナル・ミュージカルだ。  

 父を亡くして勇太(ユタ)は東京から母の実家がある東北地方の農村に転校してきた。
 村の子供たちと馴染めず、皆からは勇太でなく“ユタ”と呼ばれて苛められてばかりいた。
 そんな一人ぼっちのユタに「座敷わらし」5人の仲間が出来る。彼らは飢餓で死んだり、生まれてすぐに間引きされた悲しい運命を背負っている。
 生きる気力を失いかけたユタを5人の仲間は「せっかくもらった命は自分で磨かなければ石ころと同じだ。本当に生きることにならない!」と励ます。
 ユタは逞しく優しい彼らに励まされ鍛えられて、やがて心身ともに強くなって、級友に受け入れられるまでに成長する…と言う感動的なストーリーだ。

 幽霊やお化けと言う目に見えない存在に育まれて、生かされていく少年の魂の成長の物語だ。南部弁と言う独特の訛りで語り「生きることのすばらしさ、大切さ」を歌いあげる。

 カーテンコールでは珍しく「友達はいいもんだ」と「いきているってすばらしい」の2曲を観客も一緒に歌い、普段より多い小中学生の声も盛り上がった。

 四季は一般公演の前日に広島市内の小学6年生2千人を招待した。
 子どもたちの心に生命の大切さ、人を思いやる心、信じあう喜びなど、人が生きていく上で最も大切なものを舞台を通じて語りかけたい…と『こころの劇場』と銘打って、全国67の公演都市で5万人の児童生徒を招待した。劇団四季が長年続けてきた文化の出前、それも子供たちへのプレゼントだ。

 創立55年の劇団四季が広島で公演を始めて40年。「オペラ座の怪人」「キャッツ」に続く大型ミュージカル第3弾の「美女と野獣」をこの春公演で、12万5千人を動員して大成功を収めた。それだけに、これまで以上に各方面から広島に四季劇場を…の声は高まる。
 市民球場跡地の計画に岡本太郎の「明日の神話」展示の誘致が消えただけに、文化ゾーンの一角に「四季専用劇場」を期待する声は熱烈フアンや経済人ならずとも強い。

 劇団四季は暮れの25~6日にも「ジーザス・クリスト」の公演をする国際平和文化都市・広島の支えとして劇団四季への期待は当分の間、続きそうだ。
 四季の間尺で言えば「そう簡単では無い」ことは分かっている。しかし、劇団四季には、是非その期待に応えて欲しい。広島はその価値と応える能力がある街と再アピールしたい。

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2008年10月13日 (月)

熱い思い「詩集・ふるさと―岩国」

 御庄博実さん(本名:丸屋博)から詩集「ふるさとー岩国」が送られてきた。

 『巨大に膨れあがる ふるさとの中の異国 今津川を泳いだ少年の夢は 黒い金属音に切り裂かれて 星の旗だけが 陽にひるがえっている』と米軍再編に伴って揺れる岩国を、悲しくも熱く謳っている…。岩国に生まれ原爆に遭い医師として平和活動に取り組んできた著者が、ふるさとに思いを込めた詩が詰まっている。

 私が丸屋さんに初めて出会ったのは“被爆者治療に熱心な協立病院の院長”を本年4月に亡くなった詩人の深川宗俊さんが事務局長をしていたことから知り、紹介され取材で出会った。もう30年も前のことだ。“長身で物静かな紳士“は詩人でもあった。

 丸屋さんは1925年(大正14年)生まれの83歳。旧制広島高等学校から岡山大学医学部を出て東京の代々木病院から倉敷の水島協同病院を経て16年間も広島共立病院の院長を務められた。一貫して医療生協の医師として地域医療をテーマに水島では公害問題と取り組み広島では被爆者治療に心血をそそがれた。自らも昭和20年8月6日、岩国にいたが広島が大変だと…被爆直後の広島に入市した被爆者だ。
 昭和24年、医学生の傍ら知己を得ていた峠三吉らと『われらの詩の会』を結成して詩人として朝鮮戦争や岩国基地やヒロシマをテーマに詩作活動に取り組んだ。

 昭和26年に発表した“飛行機虫”『どこからくるのか 空いっぱい 音を立てて飛びまわる 黄色い飛行機虫を いっぴき 石と石とにはさんで押しつぶすと ピチュ! 小さな金属音を立てて 血と硝煙の匂いが広がった…』が政令325号違反(占領軍行為阻害令)容疑で逮捕され、峠三吉たち仲間が釈放のため奔走した。プレスコード時代の産物だ。

 医師として詩人として取り組んだ業績は「原爆放射線の遺伝的影響」「劣化ウラン弾の罪」「公害に挑む」など医科学的論文から幅広い随筆、代表的な詩集は『岩国組曲』(’52年)『御庄博実詩集』(‘87年)『原卿』(’06年)等がある。反戦平和を呟き叫び、心を揺さぶる。

 「ふるさと―岩国」の中「花の香りーふるさとⅢ」の一節に『眠れない時間 僕は堀の桜並木を走っている…ふるさとの中の星条旗・第一海兵隊航空指令部「在日アメリカ合衆国 軍事施設・区域 無許可立ち入りは 法規により処罰されます」 僕は花の蕾にくるまって 秋ちゃんらと遊んだ 堀の桜並木を走っている 少年の夢を見たいのだが…』。
 丸屋さんが「ふるさと―岩国」に寄せる平和活動家・詩人としての闘いは、振り出しに戻った形で、これからも続く…。あふれる熱い思いが伝わる…。ささやかにエールを送る。

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2008年10月12日 (日)

環境的なものは美しい?―窓辺の緑

道路に面して立つビルの1階の窓ガラスの前に低い木が植えられている。
地面から生えているのではなく、ガラスの下端のコンクリートの壁の外側にもう1つコンクリートの壁が作られ、その間がボックス状の大きな植木鉢になっている。
そこに木が植えられている。
シーズンともなれば可愛らしい花も咲く。

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ガラス窓の断熱性を高めるためには通常熱線反射フィルムをはる。
寒いところでは2重ガラスにしたりする。
この低い木の茂みは視線を遮るブラインドの役割を果たしているだけでなく、太陽の熱も遮断している。
今よくいわれる屋上緑化の窓ガラス版だといえる。
植物を植えることでCO2削減にもなっている。
なんともシャレている。

意外と美しい。
フランスの建築家コルビジェが「機能的なものは美しい」といったが、「環境的なものは美しい」とすら、いってもいい。

この緑は、今回の広島市の進めようとした地球温暖化対策条例に配慮して設置されたわけではない。
そんなことがいわれる随分と前に作られている。
このビルのオーナー、設計者は、多分この方が冷暖房費も安いだろうという思いから木を植えたんだろうと思う。
結果として、条例に対する模範的解答になっている。
地球温暖化に対してと大上段に振りかぶらなくても、ちょっと知恵を働かせれば結構面白いことができる。
そうすることが、却って美しいということで、評判を呼んだりする。
そんな思わぬ効果があったりする。
条例に反対する建設関係者は多いが、こうした工夫をもっともっと進めて欲しい。

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2008年10月11日 (土)

広島市民球場の記憶

現広島市民球場はいずれ解体される。
市民球場は被爆都市広島の復興のシンボルであった。
カープが優勝した時には市民は熱狂した。
弱いときでも、一生懸命応援した。
あのとき座った椅子、選手の使っていたロッカー、汗と涙のしみ込んだグランドの土。
市民球場のあちこちに、そのすべてに沢山の思い出がある。
残り試合が少なくなってからは、雨の日でも観客が球場に詰めかけた。
広島市民球場でのカープ最終戦には今期最高の30,609人が観客席を真っ赤に染めた。

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そんな市民球場をコンクリートの塊として廃棄してしまうのはいかにも寂しい。
広島市民球場の記憶をきちんと残す仕掛けが欲しい。

9月19日の中国新聞夕刊に、アメリカの球場の取り壊しの際「思い出グッズ」を販売したら凄い値段で売れたとあった。
メッツスタジアムの椅子は、2脚1組で9.3万円で完売した。
ヤンキースタジアムの椅子は、2脚1組で20.6万円になるといわれているという。
2005年には、ブッシュスタジアムの選手用トイレが21万円で売れ、総額で10億円を越えたという。
それを参考に、市民球場に当てはめて、単純計算してみると、
椅子1組20万円×1万セット→20億円
トイレ、ロッカー等備品→16億円
と、とんでもない金額になる。
こんな金額で売れれば、解体費どころか、跡地の整備費も出てしまう。
なんでも鑑定団の世界だ。

椅子やロッカーにそんなに高い値段がついては、私にはとても買えない。
第一そんなにでかいものを置く場所が我が家にはない。
コンクリートの破片、グランドの土だっていい。
小さな綺麗なケースに入れて売ったらいい。
棚に飾っておきたい。
そんな思いは私だけではないだろう。

ベルリンの壁のコンクリートの破片は現地ではいまだに売られており、偽物まで出回っているという。

広島カープ、市民球場の歴史についてはDVDが作られている。
そのDVDと球場のコンクリートの破片をセットにして売ることも考えられる。

仮にその収益が1セットに付き1,000円とすれば、10万人に売れば1億円の収入になる。
100万人に売れれば、10億円だ。
ネットの世界ではありえない話ではない。

市民球場の施設が売れれば、廃棄物になるものは何もない。
ゼロになる。
素晴らしいCO2削減プロジェクトにもなる。

一石三鳥だ。

広島市民球場の残し方については色々提案されている。
こんな残しかたもあるのではないだろうか。

市民球場の解体工事を始めるときには、盛大に「ありがとう 市民球場」の感謝祭をしたい。

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2008年10月10日 (金)

環境からの視点―自然中心主義への転換

近頃雨の降り方が尋常ではない。
1時間100m/mwを超えるゲリラ的豪雨があちこちで起こっている。
それも極めて狭い地域に、急に降り始め、滝のようにふり、ものすごい量の雨が降る。
現在の技術では全く予測不可能のようだ。
いままでありえなかったような地域に洪水が起こったりする。
急に水かさがまし、流されて人が死ぬという事故も起きている。
広島市の中心部はデルタの上にある。
広島でそんな雨が降ったらどうしようと心配になる。
広島は大丈夫なんてことは決してないだろう。
地球はどうもおかしいということを近頃は誰でもが身近な問題として感じるようになった。
ゴア元アメリカ副大統領の作った映画「不都合な真実」でも指摘しているよう似、地球全体がおかしくなっている。
地球が壊れそうになっていることを感じる。

石油の枯渇問題に対しては、速やかに車社会から脱皮し、できるだけ公共交通に乗り換えるべきだ。
それがひいてはCO2削減にもなる。
太田川の水質の汚染はまだまだ解消されていない。
瀬戸内海の水温上昇も深刻だ。
外国からのからの輸入食品は様々に汚染されている。
広島市の食糧自給率は3%だという。
地産地消も食糧の安全性という面から見直されている。
こうした問題は、すべて環境という問題に収斂できる。

環境問題は極めて複雑多岐にわたる、総合的な問題だ。
広島市でも今年を環境対策元年として、地球温暖化対策推進条例を制定しようとしたが、議会で否決されてしまった。
総論賛成、各論反対といった感じだ。
しかし残念なことだ。

広島大学の中根教授もそうした状況に対して危機感を感じ、多方面の研究者に呼びかけ「環境ビジョン 21」という活動を始めた。
先生方も環境問題については、単に研究していればいいという状況ではない、市民、企業にきちんと警告しなければいけないという思いからのようだ。

東京のような大きな都市ではこのように多方面からの研究者を集めた活動を進めることは難しい。
広島だから可能なことだ。
新たな可能性を感じる。

広島大学中根教授らの活動に期待したい。

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文化勲章受章者の梅原猛さんが
「人間中心の哲学から、自然中心の哲学に転換すべきだ」
といっている。
デカルト「我思う、故に我有り」というように我を世界の中心において自然と対立させるという近代の科学文明主義が環境問題の原点にあるともいっている。
「生きとし生けるもの中に、人間が生きている」という自然中心主義に転換すべきだというわけだ。
まさにコペルニクス的思想転換が起ころうとしているようだ。

今私たちの生活そのものが大きな価値観の転換、パラダイムシフトを迫られている。

こんな大きな価値観の転換を起こすには既存の価値観の中にある人には無理だ。
まったく別の価値観で生活している人でなければ難しい。

平和をテーマとする広島市の秋葉市長に対し、環境をテーマとする広島県知事が誕生すれば、それは素晴らしいことだとも思う。
そんな知事の誕生をも期待したい。

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2008年10月 9日 (木)

ある居酒屋の閉店

 平和公園から旧革屋町本通りに入った道沿いにある「酒蔵しげ」は知る人ぞ知る広島一安くて季節の旬を用意した居酒屋だ。その「しげ」が来年一月末で閉店する…。

 金曜日の夜、ある会合の後、若い2人と一緒に出かけると女将さんが開口一番“おでん”が売り切れよ!!…と空になった大鍋のふたを開けて言い放った。未だ8時半と言うのにこんな事は珍しい。
 注文を聞きにきたお姉さんが「酒蔵しげ」を愛して下さった皆様へ…と言う閉店を告げるあいさつ状を持ってきた。突然の事にびっくりした。

 しげが開店したのは昭和39年。5時に開店し10時にはきっちり閉店して44年間、広島一安くておいしい季節の味を提供してきた。「本通り商店街」の西の端にあるこの店は入口が半間の横開きのガラス戸で極めて地味で目立たない存在だ。
 一歩、店に入るとすぐ左側に12人ほどのカウンターがあり、狭い通路を奥に進むと4~8人用のテーブル席3つが並ぶ。奥まった左側には6~8畳の日本間2部屋があり、常時3~40人の常連が席を占めている。10年前までは2階の3和室も目一杯の繁盛店だった。

 この店の名物は年中あるおでんだ。スジと大根に豆腐、ジャガイモに小芋など季節の野菜を添えるおでんは人気で早売れする日も多いが、決して追加仕込みはしない。
 小鰯の刺身に天ぷら、カキフライに鯵のたたきに南蛮漬けになまこ、〆サバやシャコ茹でに茹でた小エビにから揚げ、金平ゴボウにイカのゲソ、豚バラ串に辛子明太子と焼き鳥、わけぎのヌタに蛸きゅうりの酢の物など小鉢物と豊富なメニューだ。

 酒は賀茂鶴に雨後の月、五橋や菱正宗などに焼酎も豊富な品ぞろえだ。
 隣の酒の販売店が経営しているだけにお酒のキープも1升ビンだ。
 何よりの人気の基は安さだ。一人3千円を超えることはない。2千円台で収まるのが人気だ。

 客筋は県庁の職員が多く、学生から一般サラリーマンに最近では女性ばかりのグループも多い。30年前に誘った東京のカメラマンは今も広島に来るとここから電話が入る。

 女将以下4人のおばちゃんたちの家庭的な雰囲気も良い。曰く「いろいろと人生の勉強をさせて頂きました」。
 閉店の背景には大手の安売り店の出現で個人経営の街の酒販店の経営を立ち行かなくさせた…のが、真相のようだ。 広島の大衆名所?が消えるのは実に寂しい。
長年ありがとうの気持ちで、来年1月末まで、時折足を運びたい…。

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2008年10月 8日 (水)

93歳・ジャーナリスの叫び

 93歳のジャーナリスト・むの たけじの「戦争絶滅へ、人間復活へ」を読んだ。

 むのさんは大正4年(1915年)生まれの93歳。今もジャーナリスト・評論家として活動している戦前・戦中・戦後を生き抜いて来た“戦争の世紀・昭和の証言者”だ。

 そもそも『むの たけじ』は外交官を目指して東京外国語学校(現・東京外国語大学)に入ったが外務省に入れず、昭和11年に新聞記者になった。従軍記者も経験した。
 昭和20年(1945年)8月15日に、「負けた戦争を勝った、勝ったと嘘ばかり書いたのだから…全員が辞めるべき」と主張して、自らの意志で朝日新聞を辞めた。

 その後、郷里に近い秋田県横手市に移り、昭和23年2月に「たいまつ」と言う週刊新聞を創刊し、全国に購読者を増やし昭和53年まで30年間発行した。
 更にその後の30年は反戦・平和の為に全国を股に執筆講演に取り組み、2度の癌に見舞われながら乗り越え、93歳の今も衰えることのない正義の情熱がほとばしっている。

 むのさんはこの中で「…辞めずに朝日新聞に残って、本当の戦争はこうでした、と言う事を正直に検証する記事を書き続けるべきでした。戦争は諸悪の根源だとあの時強く訴えるべきでした。それをいま非常に後悔している…」と述べている。

 その背景になる事項は多い。その筆頭が、日本人は戦争は天皇に命じられ、国家に要求されてやったことだと考えるから、自分は加害者だと言う自覚が乏しい。…日本は日中戦争で多くの中国人を殺しながら本気で詫びる事をしていない。日本はODAなどで少しずつ金を払うことで謝罪代わりにしているが、そんな中途半端な謝罪でなく、ドイツのように民族全体で兵士の家族も一緒になって詫びなければいけなかった…と指摘する。
 特に、天皇制については厳しい。敗戦時、天皇家は天皇の命令で多くの兵隊が死んで行ったのに、体制はそのまま残された…事はおかしい…。これはGHQが新しい体制に移行するのに利用できると考えて存続させた…天皇の名のもとで戦争をしたことに対して何も始末しなかった…けじめを全くつけないで63年過ごしてしまった点を挙げている。

 戦後、その都度解決しなければ成らなかった事の一つが憲法9条であり、原爆慰霊碑の碑文の問題も挙げている。碑文からは誰が誰に詫びているのかわからない。しかも、非核三原則などと言っても既に大量の核兵器が出来て、日本はそれを認めている…。
 世界には3万発を超える核兵器があるのにこれらを問題にしないで北朝鮮やイランの核を問題にするのはおかしい…と指摘する。
“老いの一徹“と言うか、むのさんの無念さ悔しさ情けなさは怒りにも似て爆発している。
総選挙も近い、93歳の老ジャーナリストが投げる戦後から現在に積み残してきた課題を改めて認識し世の中を変え得る一票に結び付けたい。
 老人・壮年は言うまでもないが、現代史を見直す意味でも特に若者に勧めたい一冊だ。

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2008年10月 7日 (火)

広島市の「オフィスアワー

 行政に自分やグループの意見を直接反映させる手段はあまり無い。
 広島市は秋葉市長が最初から公約に掲げて当選して「オフィスアワー」がスタートして既に10年目を迎えている。
 若い友人がこの程体験した。市長とあって直接自分の意見を述べ、「これまでにない提案だ、検討したい」と応じてもらった事を、今後自分が進む道の灯りになりそうだ…と受け止めている…嬉しいことだ。

 オフィスアワーが始まったのは秋葉市長初当選の平成11年からで、毎月1回市役所本庁の1階にある市民ロビー横の市長分室で5~6人を対象に行われている。5人平均として市長は年間60人、これまでに5~600人との直接対話で苦情や提案を受けていることになる。このほか各区で年間4~5回「タウンミーティング」を開いている。

 件の若い友人は東京のH大学大学院博士課程のN君だ。研究者を目指しているN君は
ヒロシマでこの1年「研究テーマの候補」を探るため滞在し、研究者や運動活動家それに世界から日本中から広島にやってくるなど幅広い人と交流し、100人を超える被爆者から体験の聞き取りも重ねている。

 そんな中から「被爆体験の継承と証言活動」に絞り、その歴史と経緯、そして今、被爆者がいかにして証言をするようになり、どう展開してきたのか、証言する過程でどのように考えるのか。個人史と団体活動の歴史を交差させつつ考察したい…様だ。

 彼は証言活動と言う特殊な活動は『広島新史』の中でもあまり触れられず、歴史的に整理する意義がある…と指摘している。
 また、被爆者の証言の中から放射線それ自体が解明されず、曖昧である点が多くの被爆者に不安を生みだしていると指摘し「遺伝」「被爆二世」「心の傷」問題も今後のテーマに挙げている。嘗て、被爆者差別を生みかねない…と行政や運動体をはじめ被爆者自体が避けてきた課題でもある。
 
 これらを踏まえて今後気がかりな点は“若い世代と平和運動の活動家や被爆者の間がうまくつながっていない“事から、若者と被爆者の交流による『継承』の重要性に着目した提案をした。

 修学旅行や団体で来る人達は事前に要望すれば「被爆者証言」を聞く事は出来る。
 旅行業者と被爆者グループが永年、便宜的に協議実施してきた経験が生かされてきた。
 学校単位で言えば一人の被爆者証言で5千円から1万円も用意すれば可能だった。
 しかし、個人で広島を訪れた人たちが事前に要望しても被爆者から直接体験を聞く事はほとんど不可能だ。個人の要望を聞きいれる機関や業者、まして行政では有料での被爆者証言や場の設定は出来ない。
 近年では、市の被爆者を含むボランティアガイドの活躍は評価が高いが「誰もが自由に聞ける…被爆者証言」の場は63年経った未だに実現していない。

 彼がこの1年間、接してきた被爆者の中には、嘗て若いころに有った誘いは断った人たちが、いま市や平和文化センターの呼びかけなら応えたいと言う人達が居られる…ことを伝えたようだ。
 月または週ごとに日時を決めた“被爆証言を聞く会”…の設置があれば参加したいと言う被爆者は、高齢化の中で改めて「被爆の継承」その意義を考えておられるのだろう。

 一年間、研究のため広島に滞在したN君が、いま一番気がかりな広島の課題について提案した『継承―若者と被爆者の交流・被爆証言を聞く会』の設置検討は、秋葉市長にバトンタッチされた?ように思う…。
 何よりも、若者が運営しながら継承を支える役割が大切になる。
 広島市による、新しい『被爆証言を聞く会』の設定は期待できる。
 市民の声を正面から受け止める広島市の「オフィスアワー」の存在意義を実感している。

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2008年10月 6日 (月)

メディカル・ツーリズム

―医療を経済、まちつくりの視点から捉える

つい最近までなんとなくではあるが、日本人は医者がいてベッドがあれば病気はなんとかなる、直ると思っていたようだ。 
それで医療は充分と誰もがおもっていた時代があった。
事実私がそうだった。
そんなはずはないのであって、医者にもいい医者と駄目な医者がいるということ、いい病院と駄目な病院があるということを、近頃は皆感じるようになってきた。
週刊誌にも、いい病院ベストテンとかが載るようになった。
ノーベル賞クラスの論文を発表しているからといって、その先生が手術も上手いわけではない。
当然癌とか、小児医療とか婦人科医療とか専門が違えば、一人の医者でなんでもわかっているというわけではない。
そんなことを、ようやくみんな理解するようになってきた。
それは近年になって医療技術、機器の凄まじい発展があり、昔は不治載の病だった病気も治せるようになったことが背景にある。
それは極めて高度な医療技術の習得を必要とするということでもあり、一人の医者が何でもできる状態ではなくなったということでもある。
そうなれば当然、病人はそのいい医者、いい病院を求めて、日本国内を移動するということになる。

先日の朝日新聞に、
『シンガポールは、東南アジアの「医療ハブ」を目指し、積極的に海外からの患者を受け入れる体制作りを進めている。
それに関連して、保健省、観光局、医療業界が連携して「医療観光=メディカル・ツーリズム」を売り込んでいる。
20012年には100万人の患者を受け入れ、2千億円の経済波及効果を目指している。
タイも、アジアの「健康首都」を宣言し、民間病院で外国人患者を受け入れるだけでなく、スパ、マッサージ、ハーブ産業の振興をはかっている』
とあった。

医療が医者と病院だけの問題でなく、医療は旅行、宿泊、買物等の観光分野にも大きく関わっているというわけである。

すでに中電病院の癌検査施設のPETセンターは、通常の検査には2日間を要するということで、宿泊のためのシティーホテルとの提携をしたとHPに書いている。
癌の検査を専門にするPETセンターでこうだ。
国内、国外から来た癌患者は、手術前の検査期間中だけでなく、手術後のリハビリのためにも、病院、医師と長期の関わりを持つことが必要になる。
患者にとって、検査、リハビリの間に、広島の街にでて食事をするとか、買物をして回るとか、サンフレッチェの試合を見るとか、またあるときには瀬戸内海をヨットでクルージングするとかができれば、気分的にもかなり癒されることだろう。
医療の充実は、それ例外の時間の受け入れ施設の充実も必要というわけである。
広島はそうしたことをするには、素晴らしい環境にある。

1

補聴器についてみても、年を取って耳が聞こえなくなったからといって、お店に行って適当に補聴器を買えばいいということではないようだ。
どの程度聞こえないのかということによっても、器具の違いはあるだろうし、また耳の形は一人一人違うので、その人に合わせて補聴器を作りなおさなければいけないのだという。
そのために何日もかけて調整する必要があるのだという。
広島に素晴らしい補聴器の会社があるとなれば、それこそ世界中から顧客が来るということだってある。
ヘッドホンであれば、耳にさして聞けばそれでいい。
補聴器はヘッドホンとはかなり違うようだ。
補聴器の調整の間、ちょっと街にでかけようとか、旅行をしようとかいうことになることも期待できる。

広島の医療のレベルは、世界的にみても相当なレベルにあると思われる。
インド、中国等アジア各国に比べれば相当に優れているはずだ。
その気になれば十分世界各国から広島に患者を呼ぶことも可能だろう

広島にいけば病気が治るということになれば、それは平和都市・広島が世界の貢献することにもなる。
医療と観光産業とが一体となっての活動が今必要のようだ。

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2008年10月 5日 (日)

医療産業都市・広島

最近ではどんな医療行為も、高度な医療機器なしでは成り立たなくなっている。
新しい医療機器の発展は日進月歩である。
その新しい高度な医療機器はどんどん高度になっているだけでなく高額にもなっている。
そうした高額な医療機器の導入が、病院の経営を圧迫している原因にもなっている。
先日は広島大学医学部と広島市立大学情報学部が提携して新しい医療機器の開発に取り組むことを発表した。
医療と工学の結びつきはそれだけ強くなってきていることは確かだ。

しかし新しい医療機器の開発には、高度な学問的研究だけでなく、「ものつくりの技術」が欠かせない
広島には、そのものつくりの技術がマツダの自動車生産ということを通して膨大に蓄積されている。

土屋病院から育った通称「JMS」と呼ばれる素晴らしい医療機器メーカーも広島にはある。
設立は昭和40年だが、いまでは連結売上高435億円、従業員4538人の東証1部上場企業になっている。
殺虫剤の「フマキラー」も広島から育った会社だ。
そうした企業に劣らぬ極めて高いレベルの技術をもった小さな会社がまだまだ広島には数多くある。

自動車関連産業として育ってきたものつくりの技術も、それを所有する企業と病院、大学の医学部、薬学部、工学部、製薬会社とが一体となって新しい医療機器の開発に取り組むことで、その技術が生かされる。

「ものつくりのノウハウ、技術の蓄積を、新しい医療産業の創造に生かす」というビジョンを掲げるときがきたようだ。

1

アメリカには知名な病院を中心にして、高度に医療産業が集積した都市がある。
アメリカ・ミネソタ州のロチェスター市は、メイヨークリニックという病院を中心にして、多様な医療施設が集積している。
2001年の経団連の「米国医療産業集積結果要旨」によれば、ロチェスター市は、ミネソタ州の農業地帯の真ん中に位置しているにも関わらず、メイヨークリニック、心臓ペースメーカーのメドトロニック社を含む様々の内容の企業8,000社が集積し、「メディカルアレイ」と呼ばれるほどの街になっているという。
医療という分野にあっても、様々の産業が集積する効果は大きい、とその報告書は指摘している。
病院の集積が医療機器メーカーの集積を呼び、それが新たな医療技術の開発を可能にし、医療技術の信頼を高め、患者がおしかけてくるという循環を創り出しているようだ。
ロチェスター市には、世界中から、それこそありとあらゆる種類の病気を抱えた患者が集まってきている。
街には患者や、その家族、その見舞い客のために、幾つものホテルが建ち並び、幾つものゴルフ場もある。
郊外には空港もある。
医療を中心にして、一つの街ができている。
医療門前町といってもいいかもしれない。

広島市内には、大きな病院がいくつもある。
広大医学部付属病院を中心にして、市民病院、県病院、日赤病院、JR鉄道病院、記念病院、中電病院、マツダ病院とある。
その数は、他都市に比べて際立って多いと思われる。

病気を治すという医療行為は、極めて総合的な行為である。
広島市内にはこれだけ多くの大きな病院もある。
湧永製薬があり、エピキューダ等のコンピューター関連企業の集積も進んでいる。
医療機器メーカーの発展の歴史もある。
医師、薬剤師、看護師、医療技術士の養成の仕組みもある。
さらには患者、見舞客の受け入れる施設も十分にある。
そうした集積を、広島の医療産業を発展させるというテーマの元に結集することがいま必要のようだ。

日本の医療費は30兆円を越えた。
建設産業は50兆円くらいだ。
建設産業の経済波及効果は4.1だが、医療産業の経済波及効果は4.3だという。
ということでは129兆円の経済波及効果があるということになる。
医療産業の巨大さがわかる。
医療は金がかかるから大変だ、どうしよう、どうしようといっているだけでなく、医療を経済という面から捉え、広島市の経済発展にいかにつなげるかという視点かみていくことがいま必要ではないだろうか。

ロチェスター市、そしてメイヨークリニックに見るように、医療の裾野は広い。
その経済波及効果は大きい。
医療を人の命を救うという観点からだけでなく、経済、まちつくりという視点から捉えることについても今検討すべき時にきているようだ。
ものつくり都市・広島の発展の可能性は大きい。

医療産業都市・広島は平和都市・広島にとっても相応しいテーマだろう。
「医療産業都市・広島」をいかにこれから創るかを、これからの広島市のテーマにすべきだ。

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2008年10月 4日 (土)

医工学の連携

最先端の医療機器の開発、高度な医療技術を生み出すために、広島大学医歯薬研究科と広島市立大学情報科学研究科が連携すると、2008年8月29日発表した。
当面CTスキャンで得た画像の解析や、医療用データベースの活用についての共同研究を進め、いずれは共同の大学院の設置も検討するという。

1

最近では、ちょっとした手術をするのにも心臓の脈拍チェックの画像をみながら手術をする。
様々医療機器に囲まれて医療が成り立っていることがわかる。
癌の検査も、最近はPETというコンピューターの塊のような巨大な機器が使われるようになった。
PET導入には建物建設費を含めれば、すぐ数10億円になるようだ。
そうした医療機器を開発と、医療技術の発展とが一体となっているのが近年の医療技術といえる。
医学の発展は、理工学との連携が欠かせない状況になっていることが覗える。

すでにそうした試みは早稲田大学と隣接する東京女子医大の間でも進められている。

早稲田大学は医学部をもっていない。
慶応と並び称される総合大学としての早稲田大学としては、医学部を持つことは長年の懸案事項であった。
いままで何度か医学部創設の話はあったが、実現に至らなかった。
色々理由はあるだろうが、新たに医学部を作るには莫大な費用がかかるだけでなく、作って以降も医学部を維持していく費用も大変だというのが最大の理由だろう。
しかし近年になって状況が変わってきた。
生命工学という新しい分野が生まれてきただけでなく、医療機器が極めて高度化してきたことで、理工学部と医学部の関係が急激に近づいてきた。
早稲田大学理工学部にあっても、かなり以前から医療機器の開発には関わってきた。

となれば、隣接する東京女子医大と早稲田大学理工学部が連携して医療の技術開発を進めようというのはごく自然の成り行きだろう。
そうした背景もあって
「早稲田大学と東京女子医大は、連携して先端生命医科学センター、延べ床面積約6,000坪建物を政策大学院大学の跡地に建設する。
東京女子医大からは130人、早稲田大学からは300人が移転し、ロボットや人工臓器などの開発に携わってきた早大の理工学研究部門と、東京女子医大の先端医学研究部門を融合させて、ロボット手術や人工臓器を使った再生医療の実現などを目指すということになった。
そして2009年度にも両大の連携大学院の設置をする。」
という発表になった。

「医学がわかるエンジニア」、「工学がわかる医師」の養成は急速に進んでいる。
現代の医療はハイテク化した装置の開発をするだけでなく、それを取り扱う技術者の養成も急務だ。
医療機器を扱う医療工学士という国家資格もできている。
それを養成する専門学校もある。

医療は極めて総合的であり、多様な知識、技術、人材を必要とする。
今回の広島大学医学部と広島市立大学情報学部の連携の発表は、広島市内の大学、専門学校、そして企業を含めた医工連携のネットワークが、今後さらに促進される契機になることと思う。

それが広島の医療の技術水準を高め、地域の発展を促すことになることと思う。

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2008年10月 3日 (金)

浪花節の“灯”だけは消してほしくない

 浪花節(浪曲)は明治時代に始まり、大正、昭和と一時は流行歌をしのぐ勢いだったが、戦後は衰退の途をたどっている。今では定席は東京の「木馬亭」、大阪の「一心寺」のみ。テレビ、ラジオもNHKと大阪朝日放送だけとなった。
 江戸中期、浄瑠璃や説教節祭文が基礎となり、ちょんがれ、でろれん祭文、浮かれ節などと呼ばれ門付け芸が発展した。
 広島出身の浪曲師に古くは浪花節中興の祖京山恭安斎の門下・京山若丸(旧白市村)、初代京山小円(尾道)、若丸の弟子・京山呑風、そして呑風の弟子・松国十郎(旧作木村)がいる。
 ちなみに歌手の三笠優子は国十郎の弟子。京山恭安斎は巡業先の尾道で倒れ、弟子が墓を広島の旧材木町(中区中島町)の妙法寺に建立。被爆して安佐南区八木の別寺に移した。20数年前、同じ京山派の真山一郎と訪ねたことがあるが、ひび割れ、文字が消えかけていた。
 蒲田太郎著「がんす横丁」に明治時代、広島の柳橋西詰(中区銀山町)に浪花節のメッカと呼ばれた「朝日座」という、うかれ節の定席があり、初代小円はこの小屋で売り出し、若丸もしばしば出演。呑風はここで花を咲かせたという記述がある。当時広島でも盛況だったことが覗える。
 今年NHKが浪曲師三原佐知子の「はばたけ千羽鶴」を放送。反響を呼んだ。広島市東区在住で佐々木禎子の中学の先生だった豊田清史の作。
 このほか、原爆をテーマにしたものに天津羽衣の「原爆の母」、真山一郎の「ああヒロシマ」もある。真山は下松市出身だが、父は己斐、母は向原で11人兄妹の多くを原爆で亡くしている。
 前者は被爆した母子の悲哀の物語で、福山市の飯山栄淨作。後者は「はだしのゲン」の作者中沢啓治原作、被爆2世が主人公の「ある日突然に」を飯山が脚色したもの。真山は広島で原爆養護ホームを慰問したり、「芸道60周年を祝う会」をはじめ、数多く口演している。
 浪花節の復活は無理にしても、“灯”だけは消してほしくない。

 上村和博

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2008年10月 2日 (木)

胃の腑が仰天

貧しい暮らしの中で、やっとその日の食物を口に入れることができることを「糊口をしのぐ」
という。「糊」は、「のり」ことだが、その糊にしかならない事故米が、わが胃の腑にはいりこんでいたことがわかり驚いた。アサヒビールの芋焼酎「かのこ」を愛飲するようになったのはこの2ヶ月ほどだ。
「北海道の肉」「赤福」「吉兆」「中国ギョウザ」「九州うなぎ」…すべて他人事だったが
ここにいたって食の問題がわが身に及んだことを知らされた。アサヒビールに電話した。
「申し訳ない。社内検査では農薬は検出されていないのでご安心を」と言われた。なにが
安心か、多少の賞味期限切れや人の食べ残しを食べさせられたのなら「コラ!」ですむが
相手が「発がん性の強い毒カビ」とこれまた「毒性の強い農薬」ときくと尋常ではない。
最近胸焼けがしたり、胃の不快感を感じていたのもこのせいではではないかとすら思った。
もって行き場のない怒りを覚えながら、半分以上残った焼酎を流し台に捨てた。
 
86年世界貿易の不均衡をなくし、貿易の自由化を進めることなどを目的とした関税・貿易一般協定(ウルグアイラウンド)で最低輸入義務(ミニマムアクセス)が決まり、わが国も不要な米を買わされるハメになった。20年以上も昔のことだ。農薬や有害カビ汚染のことは想定外だったに違いない。が、一部の不心得の業者の仕業、農水省の不手際だけでは済まされない大きな環境破壊問題ではなかろうか。と、書きながら「ごまめの歯軋り」の無力感を感じている。

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2008年10月 1日 (水)

「エンディングノート」考

 敬老週間が近いからだろうか新聞や情報誌に人生の終焉に備える「エンディングノート」の情報が多い。古希を迎えた今年、癌の転移再発と戦う羽目に成りこれまであまり気にしていなかった事に留意して少し調べてみた。“遺書”とは大分違うことが分かった。

 判り易く言えば『自分らしい、死後までの将来設計』で、万が一の時の為、葬儀や墓の希望などを家族や周辺に宛て自分の意思を書き込んで置くのが「エンディングノート」だ。
 大阪に本部を置くNPO法人「ニッポン・アクティブライフ・クラブ」が発売しているエンディングノートは5年間で10万冊を突破したと言う…驚きだ。

 かつて日本の高齢者は家族に世話になっている手前、介護や葬儀・お墓について希望を言い“遺書を書く”ことを遠慮し、控えて来た。しかし、今では自分の死後に至るまで希望や注文をする高齢者が年々増えていると言う。経済的な自立が、その背景にあるようだ。

 親を見送った経験から考えてみると墓地や仏壇は先祖代々のものがあり殊更心配する事は無かった。父の場合い、3年余りの間、癌と戦う日々だったが抗がん剤は拒否して東洋医学のお世話で農業をしながら緩やかにそして穏やかに逝ったが屋敷・田畑・山林や預金借金などが如何なっているのか全く分からなかった

 私は実家で陶芸を生業にしている弟にすべてを相続して貰うつもりでいたが父は形ばかりでも一部の相続をするように希望し、それなりの遺書めいた物を作っておく…と時折言っていた。しかし、実際には出来ないままで逝った。そのことでトラブルは生じていない。だが、自分にあてはめて考えてみると“書き残すことが何か分からない”ので調べてみた。

 「遺言・エンヂィングノートの作り方」によると①自分の経歴と思い出・自分史②先祖のこと、家系図、家訓など③介護・親族か施設か④医療・延命治療、余命告知、臓器提供⑤ホームなど終の棲家について⑥葬式(宗派・戒名・費用)・お墓(どこに)・納骨についての希望⑦財産の記録、預金・保険・年金⑧家族親戚、親友へのメッセージ…etc。

 自分らしく家族や周囲が心穏やかにエンディングを迎えるためには出来るだけ早くから、書き始め、妻と相談しながら誕生日ごとに毎年整理してゆく…事がいい様に思える。
 そして、“遺書”では無く,飽く迄も「エンデングノート」として、決して独り善がりにならない為に、時には息子や娘、孫たちとも話題にしておくことが大切だと思う。
その時までにはまだ多少時間はあると思うが、これを機会に自分なりの「エンディングノート」作りを徐々に始めてみようと思う。

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