93歳・ジャーナリスの叫び
93歳のジャーナリスト・むの たけじの「戦争絶滅へ、人間復活へ」を読んだ。
むのさんは大正4年(1915年)生まれの93歳。今もジャーナリスト・評論家として活動している戦前・戦中・戦後を生き抜いて来た“戦争の世紀・昭和の証言者”だ。
そもそも『むの たけじ』は外交官を目指して東京外国語学校(現・東京外国語大学)に入ったが外務省に入れず、昭和11年に新聞記者になった。従軍記者も経験した。
昭和20年(1945年)8月15日に、「負けた戦争を勝った、勝ったと嘘ばかり書いたのだから…全員が辞めるべき」と主張して、自らの意志で朝日新聞を辞めた。
その後、郷里に近い秋田県横手市に移り、昭和23年2月に「たいまつ」と言う週刊新聞を創刊し、全国に購読者を増やし昭和53年まで30年間発行した。
更にその後の30年は反戦・平和の為に全国を股に執筆講演に取り組み、2度の癌に見舞われながら乗り越え、93歳の今も衰えることのない正義の情熱がほとばしっている。
むのさんはこの中で「…辞めずに朝日新聞に残って、本当の戦争はこうでした、と言う事を正直に検証する記事を書き続けるべきでした。戦争は諸悪の根源だとあの時強く訴えるべきでした。それをいま非常に後悔している…」と述べている。
その背景になる事項は多い。その筆頭が、日本人は戦争は天皇に命じられ、国家に要求されてやったことだと考えるから、自分は加害者だと言う自覚が乏しい。…日本は日中戦争で多くの中国人を殺しながら本気で詫びる事をしていない。日本はODAなどで少しずつ金を払うことで謝罪代わりにしているが、そんな中途半端な謝罪でなく、ドイツのように民族全体で兵士の家族も一緒になって詫びなければいけなかった…と指摘する。
特に、天皇制については厳しい。敗戦時、天皇家は天皇の命令で多くの兵隊が死んで行ったのに、体制はそのまま残された…事はおかしい…。これはGHQが新しい体制に移行するのに利用できると考えて存続させた…天皇の名のもとで戦争をしたことに対して何も始末しなかった…けじめを全くつけないで63年過ごしてしまった点を挙げている。
戦後、その都度解決しなければ成らなかった事の一つが憲法9条であり、原爆慰霊碑の碑文の問題も挙げている。碑文からは誰が誰に詫びているのかわからない。しかも、非核三原則などと言っても既に大量の核兵器が出来て、日本はそれを認めている…。
世界には3万発を超える核兵器があるのにこれらを問題にしないで北朝鮮やイランの核を問題にするのはおかしい…と指摘する。
“老いの一徹“と言うか、むのさんの無念さ悔しさ情けなさは怒りにも似て爆発している。
総選挙も近い、93歳の老ジャーナリストが投げる戦後から現在に積み残してきた課題を改めて認識し世の中を変え得る一票に結び付けたい。
老人・壮年は言うまでもないが、現代史を見直す意味でも特に若者に勧めたい一冊だ。
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