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2008年9月23日 (火)

カープの昔話・裏話①

 8月最後の日曜日,二葉公民館で開かれた「中沢啓治さん(69)が語るカープ物語」の会に出かけた。この日の会は中沢さん原作のアニメ映画「かっ飛ばせドリーマーズ~カープ誕生物語~」を観て、中沢さんとカープの生き字引と言われるカープ職員OBの渡辺英之さん(78)さん、カープOB会会長の長谷部稔さん(77)が語る「カープの昔話・裏話」を聞く集いだ。

 中沢さんは「はだしのゲン」の原作者で「カープ誕生物語」や「野球バカ」などカープをテーマにした作品がある球団創立時からの熱烈なカープフアン。
 長谷部さんはカープ発足時、最初のテスト入団し長年、エース長谷川良平投手の女房役を務めた生え抜きのキャッチャーで、長谷川さんの後を受けてOB会の会長を務めている。
 渡辺さんはカープの創設時から石本監督に請われて球団の事務から選手マネージャー、試合中は球場アナウンサーを務めるなど貧乏時代のカープを縁の下で支えてきた陰の功労者で、球団史を語れる「カープ語り部プロジェクト」の講師を務めている。

 3人はそれぞれの被爆体験からカープ誕生と創設期に関る、とって置きの裏話を披露した。中沢さんの話は9月5日に『はだしのゲンとカープと若者達』で掲載済みなので割愛する。

 長谷部さんは昭和25年12月,カープが初めて行った新人テストを皆実高校(旧県工)3年生の時に受けた。百人を超える人がテストを受けた。皆実の野球部から数名が受け翌年1月の発表で5人の第一期生として採用され、翌日から練習に参加した。
 三菱の徴用工達の寮だった合宿所で、よく判らないまま契約の署名を強く求められた。
 「署名しないと帰らせない」と言う監督の勢いに押され、家族と相談する間もなくサインをした。神様のように思っていた石本監督のヤンヤの催促だった。 契約後は卒業試験を除いてカープの合宿で野球漬けの毎日で、遂には卒業式も欠席し、そのままプロ野球の世界に突進していった。今では考えられない新人確保の契約状況だった。
 監督が契約を急いだのは連盟に届出が必要な50人がなかなか集められず焦っていた。
他球団で一度は引退したり首寸前の選手を中心に寄せ集めたがそれでも足りない数人を新人テストで間に合わした…という事情があった。
 しかし、待遇は魅力的だった。
 当時、県庁や市役所の初任給は1700円、貧乏球団とは言え月給5千円は流石プロの世界の待遇だった。所が、長谷部さんが手にした初月給は千円だった。
 残り四千円はある時払い…と言う貧乏球団でプロ野球選手のスタートを切った。 
                     <続く>

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