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2008年9月 9日 (火)

批判

本来批判することは客観的に物事をみることであり、極めて前向きな姿勢がそこには秘められているはずだ。
ウィキペディアには「批判的思考(ひはんてきしこう、英:Critical thinking)とは、特に欧米諸国で主流となっている物事や情報を批判的に解釈する思考パターンのこと。単にクリティカル・シンキングと呼ばれる事も多い。対象物を見聞きしたままに受け取るのではなく、客観的尚且つ分析的に理解される必要がある。」と書かれている。
批判の意味を高く評価している。
しかし得てして、もっともらいしいことをいっているが、ただ単純に相手を誹謗中傷するだけのことが多い。
そうした類の批判には3つのパターンがあるようだ。
私なりに整理してみると、
(1)コウモリ的批判・・・コウモリに怒られるかな。ここでは円高になれば輸出産業が困るといい、円安になれば原油価格が値上がりして困るという類の批判をする。
いっていることはどちらも正しい。あちらを立てれば、こちらが立たずだ。
政策としてどちらかを選択すれば、どちらかが困ることになる。どちらも困らないようには務めるが、パーフェクトにどちらも困らないようにするのは不可能だ。
メディアは常に選択されなかった側に立って発言する。そしてそれがあたかも正義の味方であるかのように振る舞う。意外と両者の状況を説明しない。
困ったもんだ。
(2)永遠の真理を振りかざす・・・市民の意見をよく聞いていない、生活者の目線を大切にしていなといって文句をいうだからどうしろとは決していわないという類の批判。
こちらとしては、生活者の目線は大切にしているからこの結論になっているのだといいたいが、反論しても、それ以降は批判するほうに真理があるように見えてしまう。
これまた困ったもんだ。
(3)ラベルを貼り付けて批判する。・・・誰でもがなんとなくそうだろうなと思うようなラベルを、一方的に、短絡的に貼りつけ、だからあいつは駄目なんだと決めつけてかかってくる。
偉くなりたいから、あんなの行動をするんだというような類の批判がそうだ。誰だって偉くなりたいと思っているはずだから、そういわれるとそう見えてしまう。
しかし現実は、偉くなることは、行動の結果としてのことだ。
もっといえば、その人が偉くなることで、世の中が幸せになれば、それはそれでいいではないかといいたい。

何事に対しても批判的に発言していると、理知的に見えるのも問題だ。
失敗した後になって、「なー、だから言っただろう」ともっともらしくいわれると、頭に来る。
そんな、したり顔をした輩が多すぎる。

大体批判しているだけで、何もしなければ失敗することはない。
何も対案を出さず、批判をするだけなら、こんな簡単なことはない。
それではことは、問題は何も解決しないのだ。

「嫉妬は、正義の仮面を被ってやってくる」と竹内久美子さんの書いた有名な本がある。
もっともらしく聞こえる批判も、その殆どは嫉妬心から発しているという。
一皮めくれば、汚らしい嫉妬心が見えてくるというわけだ。
よくいう下種の勘繰りというのもその類だ。

批判しているだけの輩は、本当はアイディアもなければ、行動する勇気もないのだ。
批判的発言は注意して聞く必要がある。

批判しているだけで、何もしない輩は、早く天国にいって、下界のことを遠くから見ていればいい。

下界でウロウロしているほうが、面白い。
と私は思っているから、当分天国にはいけそうにない?

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