映画「原爆の子」
<シネマ・クラブひろしま>が企画した“社会性が強い、いい映画を見たい、見せたい”と定期上映会のほかに始めた第一回の『ワンコイン上映会』で「原爆の子」をかけた。
‘52年(昭和27年)新藤兼人監督が小中学生の原爆体験記「原爆の子~広島の少年少女のうったえ~’51年出版」(長田新広大教授編纂)を基に製作した所謂「原爆もの・ヒロシマもの」の古典と言われる作品だ。
原爆で父母に家族を失った孝子(乙羽信子)は、今は瀬戸内海にある小島で叔父の家に身をよせて先生をしている。夏休みに孝子は広島に帰って家族を失った友人の家や以前幼稚園で教えた子供を訪ね歩く。そこでケロイドを背負って乞食に落ちぶれた嘗ての使用人。子供を産めなくなった友人。原子病で苦しむ子供や亡くなる教え子の父、目に見えない差別を気にしながら障害を負った妹を約束通り嫁にしたいと言う婚約者に「手を合わして拝みたい」気持ちの兄の呟きは“生きて居てよかった…”。施設にあふれる原爆孤児…。
街はまだ瓦礫が散在しようやく復興に向かう姿を捉えられた実写が痛々しい。
そんな生まれ故郷の広島で新藤監督は原爆や後遺症、米国にすら恨みや嘆きを直接言葉でぶつけることなく健気に生きる人々を明るく描いていく。
あの日本を代表するドキュメンタリスト新藤監督が被爆者の証言でなく著書を基に製作したのか…なぜ上記のような表現に留めたか…と疑問が浮かぶ人もあろう。当然の疑問だ。
昭和27年と言えばようやく日米講和が結ばれた年。GHQの目が光り、原爆の被災や原爆症や被爆の実情などはプレスコード(情報規制)で占領下の厳しい統制。まして反米反核平和などはビキニ環礁事件(昭和29年3月1日=第五福竜丸被爆)後まで続く事になる。
従って、当時は新藤監督も題材は少年少女の手記・作文に依拠するしかなかった訳だ。
おまけに売り込んだ各映画社がGHQの許可が下りないと腰が引ける中で近代映画協会と民芸の自主製作と言う日本映画では新しい形で初めての製作となった。
登場のスタッフは細川ちか子、清水雅夫、滝沢修、宇野重吉、北林谷栄、東野英治郎
下元勉、多々良純、殿山泰司、奈良岡朋子、山内明など戦後の新劇舞台やスクリーンを支えた劇団民芸の俳優たちがキラ星のように連なっている。
アメリカで手術をして帰国した原爆乙女たちのなにげない出演…。歪んだ手・指・ケロイドは無言ながらもドキリとさせる。
映画センターの車庫を映画館代りに扇風機に蚊取り線香の小道具も生きて、20代から70代までの25人は飲み物を片手に映写フイルムの音を小耳にしながら、あっという間の2時間だった。広島を見つめ直す時代を超えた名作と確認をした。
数人を除いて初めての人ばかりで時代を超えて感動に包まれた様子だった。
終了後の雑談も弾んで『見せたい映画、見てほしい映画』の声が強く、若い人たちを対象に上映普及を考えねば…と感じた。また、次回以降の上映作品にも期待が寄せられ、第一回のワンコイン(500円)上映会は盛会で、「社会性が強い、いい映画を見たい、見せたい」その大切さを再認識した。

*問い合わせ<シネマ・クラブひろしま>
HP:http://cc-hiroshima.ciao.jp E-mail: cc.hiroshima@gmail.com
Tel:082-293-1274 中区堺町1-2-9 貴志ビル102 広島映画センター内
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