しのぶ言葉
元三菱重工の徴用工をはじめ在韓被爆者の救済に半生を懸け4月の末、87歳で亡くなった詩人・歌人の「深川宗俊さんをしのぶ会」が開かれ平和運動や市民運動、文学運動、マスコミなど縁の人達50人余が集まった。深さんを慕っていた人達が深川さんをしのぶいい会だった。
会場には深川さんの同志的な旧友で今は病に伏せっている画家の四国五郎さんが30年前?に書かれた肖像画と彼のトレードマークのハンチングに著作などが飾られた。
冒頭、世話人を代表して詩人で医師の御庄博実(本名:丸山博)さんは「深川さんとの出会いがあってこそ、広島で文学と在韓被爆者に関わる今の自分がある」と偲ばれ、今も韓国の被爆者が多い狹川に通い続けて居られる。
在日朝鮮人被爆者協議会の李実根会長は「常に『ワン・コリア』の視点で行動された私の兄貴であり師匠だった」と偲んで、肖像画に全員で献杯した。
深川宗俊(本名:前畠雅俊)さんは終戦の年に観音の三菱重工広島工場で朝鮮から徴用された人達の教育係として勤務していたが、被爆し日本が敗戦し戦勝国民になった彼ら246人が9月15日に広島駅を出発するのを見送った。しかし、10数年後ただの一人も祖国の土を踏んでいないことを知って“消えた被爆朝鮮人徴用工246人、追跡の旅”を始めた。
軍政下で特に日本への風当たりの厳しい韓国へ関係者を訪ね、昭和20年9月17日に九州から西日本を襲った枕崎台風に巻き込まれた可能性を掴んで壱岐を中心に探索が続いた。
RCCが昭和49年(’74)に制作したドキュメンタリー「鎮魂の海峡」のサマリーが上映され、深川さんが壱岐に韓国に東京・三菱本社で元気に活動する様子を映し出す。徴用工の賃金が未払いになっている問題や企業が徴用者を祖国に送り届ける責任を放棄している等未解決問題が山積していた。しかし、当時の三菱側はまるで厄介者を振り払うような扱いだった。ジックリゆっくり淡々と心の襞に響く深川さんの言葉は重い。
出席者は自分の深川さんを語って偲んだが、出席出来なかった人からおくられたメッセージは『優しい人。正義。温顔と秘めた闘志。寡黙。尊敬。歴史の証人。情熱。忘れえぬ先輩。加害の視点。志に感銘。忍耐力。真実は勝という強靭な意志。心の襞に届く言葉…』
これだけ違う言葉が一人の人を捉えている。 何れも深川さんを偲ぶ言葉だ。
参加者に配られた栞には原爆ドームや相生橋をバックにした深川さんのスナップ写真には『生きるとは まぶきものぞ ひと房の ぶどう青青と わがてのひらに… 宗俊』
『わたらねば 帰れぬひとつの橋ありき 夜となり雪となりし ひろしま… 宗俊』
深川さん手書きの詩が飾られている。
口数少ないが静かで情熱的な闘志だった深川さんを偲ぶ格好の言葉、記念の品だ。
深川さん、安らかに…。


























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