広島ブログランキング

  • 広島ブログ
無料ブログはココログ

« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »

2008年8月

2008年8月31日 (日)

しのぶ言葉

 元三菱重工の徴用工をはじめ在韓被爆者の救済に半生を懸け4月の末、87歳で亡くなった詩人・歌人の「深川宗俊さんをしのぶ会」が開かれ平和運動や市民運動、文学運動、マスコミなど縁の人達50人余が集まった。深さんを慕っていた人達が深川さんをしのぶいい会だった。

 会場には深川さんの同志的な旧友で今は病に伏せっている画家の四国五郎さんが30年前?に書かれた肖像画と彼のトレードマークのハンチングに著作などが飾られた。

 冒頭、世話人を代表して詩人で医師の御庄博実(本名:丸山博)さんは「深川さんとの出会いがあってこそ、広島で文学と在韓被爆者に関わる今の自分がある」と偲ばれ、今も韓国の被爆者が多い狹川に通い続けて居られる。

 在日朝鮮人被爆者協議会の李実根会長は「常に『ワン・コリア』の視点で行動された私の兄貴であり師匠だった」と偲んで、肖像画に全員で献杯した。

 深川宗俊(本名:前畠雅俊)さんは終戦の年に観音の三菱重工広島工場で朝鮮から徴用された人達の教育係として勤務していたが、被爆し日本が敗戦し戦勝国民になった彼ら246人が9月15日に広島駅を出発するのを見送った。しかし、10数年後ただの一人も祖国の土を踏んでいないことを知って“消えた被爆朝鮮人徴用工246人、追跡の旅”を始めた。
軍政下で特に日本への風当たりの厳しい韓国へ関係者を訪ね、昭和20年9月17日に九州から西日本を襲った枕崎台風に巻き込まれた可能性を掴んで壱岐を中心に探索が続いた。

 RCCが昭和49年(’74)に制作したドキュメンタリー「鎮魂の海峡」のサマリーが上映され、深川さんが壱岐に韓国に東京・三菱本社で元気に活動する様子を映し出す。徴用工の賃金が未払いになっている問題や企業が徴用者を祖国に送り届ける責任を放棄している等未解決問題が山積していた。しかし、当時の三菱側はまるで厄介者を振り払うような扱いだった。ジックリゆっくり淡々と心の襞に響く深川さんの言葉は重い。
 
 出席者は自分の深川さんを語って偲んだが、出席出来なかった人からおくられたメッセージは『優しい人。正義。温顔と秘めた闘志。寡黙。尊敬。歴史の証人。情熱。忘れえぬ先輩。加害の視点。志に感銘。忍耐力。真実は勝という強靭な意志。心の襞に届く言葉…』
 これだけ違う言葉が一人の人を捉えている。 何れも深川さんを偲ぶ言葉だ。

 参加者に配られた栞には原爆ドームや相生橋をバックにした深川さんのスナップ写真には『生きるとは まぶきものぞ ひと房の ぶどう青青と わがてのひらに… 宗俊』 
『わたらねば 帰れぬひとつの橋ありき 夜となり雪となりし ひろしま… 宗俊』
 深川さん手書きの詩が飾られている。
 口数少ないが静かで情熱的な闘志だった深川さんを偲ぶ格好の言葉、記念の品だ。
 深川さん、安らかに…。

12

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月30日 (土)

元安橋オープンカフェ

元安橋のたもとにオープンカフェができた。
以前は、小さなしゃれた木の6角形のボックスがおかれ、飲み物やアイスクリームを売っていた。
それが今回かなりきちんとした建物に変わった。
デッキボードの上に設けられた大きなパラソルの下で、道行く人々を見ながら、アイスコーヒーを飲むのはまた楽しい。

この場所は、太田川クルージング船、宮島との連絡船の船着場があり、平和公園と原爆ドームと本通りを結ぶ交通の結節点でもある。
ここは広島市中心部の拠点だ。

いままでも、ときどき野外コンサートも開かれることはあったが、ほとんど、ただ人が通り過ぎる交差路だった。
このオープンカフェができたことで、ちょっと立ち止まって休む場所ともなった。
街の賑わいを創りだす上で、このオープンカフェの果たす役割は大きい。

1

カフェでコーヒーを飲みながら、桟橋に着く船を見ていれば、船にも乗りたくなるだろう。
これからは遊覧船に乗る人も増えるだろう。
遊覧船に乗る人は少なく、過去には撤退したこともあった。
いまでも経営もそれほど楽ではないと思われる。
雁木タクシーの乗り場もここに設けたらいい。
いろいろな機能が集積することで、街の賑わいが創り出される。

しかしそれにしても最も安全性と公共性を問われる国の1級河川の堰堤の上に、よくもこうしたオープンカフェを作ることができたと改めて感心する。
広島市はこうした面でも、最先端を行っている都市だ。

建物の高さが問題になった三井と三菱の共同事業として作られたマンションの1階にも、何かカフェみたいなお店が出来ていたら、この一帯はさらに楽しくなったろうにと、ちょっと残念に思う。

このオープンカフェを契機に、この川沿いの道路に面しておシャレなお店ができていくことを期待したい。
そうすれば、また一つ広島の新しい街並みが生まれる。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月29日 (金)

浮島?

―結婚式の島

元宇品には結婚式場がいくつもある。
近頃この岬は「婚礼の島」とも呼ばれているという。
広島プリンスホテル、ルメルシェ元宇品、リーベリアがあり、今年10月にはザハウスハーバーリゾートがオープンするという。
そうなれ4か所になる。
広島プリンスホテルには、建設当初からの神式、チャペルの結婚式場があるが、近年それに加えて、ロビーにも結婚式場がもうけられ、ことしから庭園にも結婚式場がもうけられた。
一つのホテルに4カ所も結婚式場がある。
ということでは、この元宇品地区に7カ所の結婚式場があるということになる。

この元宇品地区は、広島プリンスホテルができるまでは寂しいところだった。
古い住宅地の中の狭い道路を、バスが住宅の軒先にぶつかりそうになりながら走っていた。
そのバスの終点、岬の先には倒産して、人気もないなんともうらさびれた旧宇品造船所があった。
しかしプリンスホテルができたことで、この地域の様相は一変した。
造船所の後には、超高層のホテルが建ち、途中の埋立地には太い道路が作られた。
以来、その道路に面して、マンションが建ち、ボートのショールームができ、ボートの運転免許証取得の学校ができ、倉庫はレストラン等に改装されていった。
今回の結婚式場もその一つだ。

信じられなーい!

1_2

この元宇品からは、目の前に瀬戸内海の海と島を望める。
マツダの車を運ぶ大きな船、クルージング船、連絡船が行き来する。
原生林もある。
国立公園特別地区の第2種に指定されているから、今後も木は切られることはない。
政令指定都市の街中に大変厳しい規制を受ける国立公園特別地区があるなどいうのは、常識ではありえないことだ。
その特別地区の岬の先には白い灯台もある。
マリーナもある。
愛をささやくには最高の環境だ。
そんな素晴らしい環境が、広島市の中心部からたった5KMのところにあるだから凄い。

東京に住む私の友人の娘はアメリカ人と結婚したが、結婚式を厳島神社であげ、パーティーを広島プリンスホテルで行った。
そんな粋なこともここでは可能だ。

最近は結婚式前にウエディングドレスを着て色々な場所、ポーズで結婚式の前に写真を撮るということも流行しているという。
そんな写真をとるには、ここ元宇品の海と緑は最高だ。

広島プリンスホテルには最近海を望む温泉もできた。
元宇品地区は「アーバンリゾート」として変貌しつつある。

この元宇品は元々、海の中に浮いている島=浮島だったそうだ。
それが変化して宇品と書くようになったと聞く。
この際、地名も「浮島」に変えたらいい。
源氏物語に出てくるような洒落た地名になる???
そう思うのは、私だけ?

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月28日 (木)

パセーラ前広場とイベント

広島市基町のSCパセーラの前に、ちょっとした広場がある。
そこでは年間を通して様々のイベントが行われている。
脇には畳4畳半もあろうかという大きなTV画像もある。
そのTV画像もイベントを盛り上げている。

先日、そこで大塚製薬のドリンク剤、元気一発の広告イベントが行われていた。
リポビタンDのTV・CMのように、人工の壁を設け、ハングライディングを試みた若者に、ドリンク剤をあげるという催しをしていた。
何人もの若者が、ガールフレンドにいいところを見せようとチャレンジしていた。
しかしそうは上手くいかない。
途中で落ちてしまう方が多い。
意外と難しい。
そんな姿が、脇の大きなジャンボトロンの映像に映し出される。
それでも、ちょっとは彼女にいいところを見せられた?
単純に商品のCMをするのでなく、製品を配り、チャレンジさせるというのはなかなか上手い手だ。
TVのCMに出てくるスターのような感じになれるのが、またいい。

1

しかし、こんなイベントが可能になるのは、こうした広場があるからこそだ。
すぐ近くには屋内のイベントスペース、シャレオ中央広場もある。
広場は、街の魅力を高めるのに大きく寄与している。
NTTはそれなりの使用料をとっているようだが、それはそれでいい。
広場を設けたNTTの見識を感じる。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月27日 (水)

猛暑の中で朦朧と考えたこと

250pxshiyakusyo_mae_station_in_kago

若い頃は夏が大好きと言っていたが、最近はそうでもない。
暑すぎる!
年のせいで暑さに弱くなったのか?
いえいえ、やはり地球温暖化のせいでしょう。
「今日も猛暑日となります。暑さ対策を忘れず、こまめに水分補給してください。」
という天気予報をききながら、
「猛暑日」なんていう言葉、いつから使われ始めただろうかと思い返してみる。
猛暑日連続○○日!などと言われると、真面目にCO2削減しなきゃ、と、あわてる。
しかし、寒さに弱い私は暖冬が好きだ。
だから冬になるとCO2削減だなんて、
しかも家庭でこまめにチェックしましょうなんて言われても
ピンとこない。
こんな無精者がいるから二酸化炭素の削減は進まないのだろうか?

 ところで、二酸化炭素が増えると地球が温暖化するというのは
どういうからくりなんだろう。
空気成分を調べると、二酸化炭素の重量比は0.04%。
たったこれっぽっちのものが、地球環境に重大な影響を与えるなんて、
自然の力ってすごいなと思う。
反面、見えない、におわない、量も少ないものを、一体どうやって
削減するのか、頭で理解できたとしても、実感することはできない。
見えないものに対して努力して削減せよといわれても・・・
ピンとこない。

 そんなことより、この暑さを何とかしてほしい!
子どもの頃聞いた話。
「日本家屋は、夏の暑さをしのぐように建てられている」
寒さに弱い私は、期間の長い冬の寒さをしのぐ家にしてほしい、と、思った。
昔の日本人はどうして厳しい寒さ対策よりも暑さ対策を優先したのだろう。
寒さは着込めばしのげるが、暑さはそういうわけにはいかない。
言い換えると、個人の力ではどうにもできないのが暑さ対策ということになる。
だから、夏の暑さ対策はもっと社会全体で取り組むべきだと思う。
それは、二酸化炭素削減という眼に見えない、体に感じられないものではなく、
「あ〜、気持ちいい」
と、実感できる対策で。
(蒸し風呂状態の中でこれを書いているので、文脈にずれを生じているかも)

私が常々考えているのは水の力。
広島は川がヒートアイランド現象を抑えている、という話を
きいたことがある。
水は温度を下げる。見た目も、水の流れる音も涼しげだ。
もっと積極的に、街中に水の流れをとりこめないだろうか。
噴水なども、見ているだけで気持ちいい。

夏の暑さでうんざりするのはアスファルトの道路。
地表面は50℃にも達するという。
別の素材にすればもっと温度は下がる。
まずは、歩道や駐車場の地表面を、アスファルト以外のものにしてほしい。

広島市の植物公園では「緑のカーテン」を提案している。
これもいい。
夏に外を歩いていて街路樹の下へ来ると、生き返った心地になる。
緑の力はすごい!

ヒートアイランド対策を調べていたら、電車の軌道を緑化している研究報告があった。
高知での実験だが、地表面の温度は10℃近く下げられる。
電車の街、広島でも是非取り入れてほしいと思う。

思いつきで書き並べてみたが、ヒートアイランド対策、夏の暑さ対策を
考えるのは具体的で楽しい。
眼に見えず、努力結果の効果を実感できないCO2削減、温暖化対策よりも
すぐに効果が実感できてしかも楽しいヒートアイランド対策のほうが
はるかに温暖化対策になりそうな気がする。

 かおりん

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月26日 (火)

元宇品の巨木

元宇品の岬の灯台の脇に、ものすごく大きなクスノキがある。
これだけ大きいとなかなか格好いい。
高さ27M,樹齢140年以上だという。
2~3人が手をつないで囲んでも届かないくらい大きいな樹だ。
ちょっと強調されすぎるが、後ろに立つ女性の姿からもこの木の大きさが知れる。

1

こんな大きな樹が、この岬にはあちこちにある。
こうした巨木があるのも、この岬が国立公園特別保護地区に指定され、木を切ることも、むやみに立ち入ることも禁止されているからだ。
全域がいまでは完全な原生林になっている。

国立公園は大きくは普通地域と特別地域に分かれる。
ここ元宇品の森は、その特別地域のなかでもさらに厳しい規制を受ける第2種に指定されている。
1950年に瀬戸内海国立公園に追加指定された地区だというが、立ち入りを禁止されてもおかしくないほどの価値のある公園だ。
植生は豊かで、ツブラジイ、クスノキ、タブノキなどの高木やヤブツバキ、シロダモ、テイカカズラなど多種多様な植物がはえ、虫や鳥も沢山生息している。
広島市南区の作成する散歩マップには約4時間で一周できると書かれている。
http://www.city.hiroshima.jp/minami/gaido/map/minato/02/index.html
デートする、家族で散歩する、健康のためにウオーキングするには最高の場所だ。
広島の中心市街地から5KMほどのところにこんな素晴らしい場所があるのは、常識ではちょっと考えられないことだ。

この原生林は現在林野庁の所有になっている。
国の所有だからこんな形で残ったともいえる。

この元宇品地区を自然史博物館にしようという動きもある。
しかし厳しい規定もあり、ここには建物の建設は難しい。
もっともこんな素晴らしい環境の中に、建物は建てない方がいい。
この地区全域をあるがままの状態で保存し、研究の対象とすることの方に価値が生まれる。

しかし反面どこか市民からは遠い存在になっている。
いっそ、この地区を国は広島市に無償譲渡したらいい。
そうすることでより市民に親しみやすい公園になる。
地方分権の必要性をあらためて感じる。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月25日 (月)

交通科学館と工作教室

夏休みの期間中、8月31日までの間、交通科学館では小中学生を対象とした工作教室をやっている。
私が行った時は、たまたま発泡スチロールのボディーに電池で動かすモーターを乗せた水陸両用車を作っていた。

1

なるほど発砲スチロールは軽いし、車輪は丸くした発砲スチロールのボールに刻みを入れれば、それで水を掻いて前に進む。
モーターと車輪は輪ゴムで繋がれている。
なかなか上手い仕掛けだ。
子どもたちは、皆夢中なって作っていた。
作るのも面白そうだが、何故浮くのか、電池にモーターをつなぐとどうして動くのか、ちょっと考えれば、知的刺激は多い。
そうした勉強は、それはそれでまた面白そうだ。
対象は小学校3~6年生という。
費用は800円だというが、職員の人件費は入っていない、まったくの実費だという。
指導の職員は学校の先生であったり、学芸員であったり、ボランティアであったりする。
モーターはマブチモーターから、電池はマクセルから寄付を受けているという。
一番値段の張るモーターと電池は無料でも、これだけかかる。
遊ぶのも、勉強するのもお金がかかる????

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月24日 (日)

広島市・e-都市ランキング9位

日経BPガバメントテクノロジーが2008年度の「e都市調査」の結果を7月29日に発表した。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080627/309669/
全国の市町村に東京23区を加えた1811自治体を対象にして、「情報・サービス」「アクセシビリティ」「庁内情報化」「情報化政策」「セキュリティ」の5つの分野の取り組み状況についての、2008年5月末時点での調査結果だ。
広島市は、2008年度は総合トップ9に浮上した。
凄い。
昨年の調査では政令指定都市で3位、全国で18位とある。
それが今年は政令指定都市としては断トツの1位となった。
人口100万人を超えるような大きな都市は小回りが利かない。
それで、これだけの位置にいるということは凄いことだ。
評価されていい。

私の友人にこの件について話したところ、
「秋葉市長が就任当初は180位くらいだったと思う。それが2002年には総合6位、政令市1位になった。
その後の上下は細かくは覚えていないが、政令市では昨年も大阪市に次いで2位、今年も福岡市に次いで2位だったと思う。
昨年の大阪市は、それまで随分遅れていたのが幸いし、政令市1位になったが、今年は総合ベスト10 から外れている。
そういう意味では、広島市は秋葉市長就任以来、よく上位を保っている。
私は予算については知らないが、導入されている機器を見る限り、かなり少ない予算で行っていると思う」というようなことを教えてくれた。
順位が微妙に違うが、調査機関が異なっているからのようだ。

今の時代、ITがなくして、一時の生活も成り立たないという状況になっている。
歩きながらも携帯を見つめている人がいる。
それもITだ。
市役所、県庁に行くと、皆書類の中に埋もれて仕事をしている。
それだけたくさんの書類を作成しているというわけであるが、それはすべてITの対象になる。
また行政は全ての書類を一定期間残さなければいけない。
それも凄い量だ。
そうしたこともあって、広島市は懸命にIT化を進めている。
いまでは広島市役所のHPを見るだけで、かなりのことを市役所まで直接いかなくとも済むようになった。
広島市では視覚障害者に対してもポッドキャストでの音声での情報発信サービスを始めた。
それもこれもIT技術の進歩と最新のIT技術の導入の努力のお陰だ。

広島市のIT関連費用は約63億円だという。
行政=情報発信装置といってもいい。
行政にあって、今後ITの果たす役割はさらに大きくなる。
利便性を高めるとか、安全性を高めるとかだけ見ても、まだまだやることは山ほどある。

秋葉市長は今年総務省の情報関係のキャリアを副市長兼CIOとして登用した。
CIOとは聞きなれない名称だが、最高情報責任者Chief Information Officerをいう。
通常は企業にあって、情報や情報技術に関する最上位の役員のことを指しているが、地方自治体という組織にあっても、そうした業務をつかさどる人が必要となったということである。

広島市役所はITの分野でも、他の自治体のモデル都市となることが期待される。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月23日 (土)

元宇品のトイレ

公園のトイレは、「目立ってはいけない」、でも、「どこにあるか、すぐに解らなければいけない」とい矛盾した要求を満たさなければならない。
その上、便器、手洗いもあり、浄化槽もついているので、坪あたりの工事費は結構高い。
近頃は身障者用トイレも併設することを義務つけられている。
ということで、トイレはなかなか厄介な建物だ。

公園に建つトイレで、これはいいなーと思うデザインはなかなかお目にかかることは少ない。

元宇品の岬の先の駐車場に木造のトイレは、そうした要求に対して、なかなか上手く答えている。
森の中に木の塀がある、箱があるという感じで建っている。
このトイレは屋根がないことも特徴だ。
木は腐りやすいので、通常はなかなか雨が直接当たる部分には木は使いにくいが、この建物はまだ腐ってはいない。最近はかなり高度な防腐塗料が開発されていることもあり、あちこちの建物で外壁に木材が使われているのを見かける。
ここでもそうした類の塗料が使われているのであろうか。
水も水道管で引かず、後ろのタンクにその都度給水している。
汚水もバイオで処理している。
国立公園特別地域という特別の場所であることへの配慮も上手くされている。
木造であること、バイオトイレであること等なかなかの苦心の跡が覗える。

3

こうした場所にポツンと建ち、通常のトイレと違う維持管理を必要とする類のトイレはとかく汚くなりやすい。
維持管理は大変だろう。
しかしこのトイレは意外と綺麗に使われている。
住宅のトイレが綺麗か否かで、その家庭の生活がわかるとよくいわれる。
公園のトイレが綺麗か否かで、その街の市民のレベルがわかるというわけである。

広島市民の意識はかなり高いようだ。

このトイレは、街から離れた所に作られるトイレのモデルになる。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月22日 (金)

元宇品の白浜

暑い夏ももう半ばを過ぎた。
夏になると、TVには海水浴客で一杯になった湘南の江ノ島の海岸、材木海岸が映る。
実はあの海岸は真っ黒な砂浜だ。
乾いているところは白くみえるが、濡れれば真黒だ。
広島の人は、海辺はみんな広島の海岸のように白いものと思っている。
東京で生活していたことのある広島人に聞いても「そういえばそうでしたねー。その時はこんな汚い海岸で、よく泳ぐなーと思っていましたよ」という。

広島の海岸はどこも真っ白だ。
真砂土でできた海岸だから、濡れても白い。
乾燥すると白く光り、まぶしいくらいに光る。
綺麗な海岸だ。

2

広島市中心部からすぐの元宇品にもそんな海岸はある。
後ろは瀬戸内海国立公園特別地域に指定されている原生林だ。
そして前は瀬戸内海の島々を望む。
景観も美しい。

夏になると水はちょっと濁るが、水質だって、江ノ島海岸に比べてもそんなに劣るとは思えない。
街の近くに、そんな素晴らしい海岸があるということの価値を、どうも広島の人は気づいていないようだ。
何人かの友人に聞いてみたが、あるのは知っているが、行ったことはないという。
もったいない。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月21日 (木)

元宇品の灯台

元宇品の原生林の中に真白な灯台がある。
手前には数人がかりで手がまわらないほどの大きな楠の木がある。
その大きな楠の木に遮られ、駐車場側からは灯台はちょっとみえにくい。
そのせいか、ここにこんな綺麗な灯台があるというのは気づかない人が多い。
海を走っている船からはよく見える。
真白な綺麗な灯台だ。

1

脇の説明板には「1950年1月、旧宇品島南端信号塔に灯器を取り付けて宇品港灯柱として新設された。光源に使われている六等レンズは1985年のフランス製。10秒毎に赤白光を2閃光、光の届く距離は赤光は約27.7KM、白光は約31.4KM」と書かれている。
レンズはフランス製?
どうして?
何かいわれがあるのだろうか。

広島には、都会の真ん中ともいえる場所に、こんなオシャレなスポットがある。
紙屋町の交差点から約5KMほどのところだ。

隠れたデートスポットだ。
ここを見て、そのあと広島プリンスホテルでコーヒーを飲む?
いいですねー!

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月20日 (水)

LPG車―ヨーロッパの状況

ネットで拾った情報だ。

「ドイツで天然ガス自動車の普及が加速しそうだ。フォルクスワーゲン(VW)や米ゼネラルモーターズ(GM)系のオペル、伊フィアットがターボモーター搭載モデルの導入を計画しているほか、国内のガススタンド数も現在の800カ所から1,000カ所以上 に拡大する見通しとなっている。

VWは現在開催中のライプチヒ国際モーターショーに天然ガス車の「パサート1.4TSIエコフューエル」を出品している。同車はターボエンジンを採用し、同じクラスのガソリン車に匹敵する出力を誇る。圧縮天然ガス(CNG)の使用に最適化されており、100キロ走行に必要な燃料は5.2リットル。年末ごろに欧州で発売される見通しだ。

天然ガスは改造すれば従来のエンジンでも使用できるほか、排ガス中の有害物質も少ないことから、環境対策の有効な手段とみられている。ただガソリンなどと比べパワーが出ない点が弱みとされてきた。VWはターボエンジンの搭載により、これを解決する考えだ。開発責任者のマティアス・ライフハイト氏は「天然ガス車はわが社の戦略にとり重要な位置を占める」とコメント。新機軸を他のモデルにも広げる意向を表明した。

なお「エコフューエル」は天然ガスだけでなく、ガソリンでも走れる。1回の燃料補給で最大800キロ強の走行が可能だ。天然ガスだけなら約420キロとなる。

一方、オペルはターボエンジン搭載の天然ガス車「ザフィーラCNGターボ」を2009年初めに市場投入する予定。フィアットも同様の構想を打ち出している。

天然ガス車は改造せずともバイオメタンを動力源として使用できるのもメリットだ。原料となるバイオマス(生物資源)の種類にもよるが、バイオメタンを用いた場合、二酸化炭素(CO2)の排出量は従来の化石燃料と比べ最大90%抑えられるという。(ドイツ&EU版編集部長・野村智)」

ヨーロッパではLPG車の開発・販売が急速に進んでいることがわかる。

ちなみに日本国内には既に2,000か所に近いLPGスタンドがあるという。
全国にあるガソリンスタンドは約51,100カ所だという。
自家用乗用車5,800万台に対し、タクシーは23万台というから、LPG車の割合は0.4%といえる。
LPGのサービスをしているガソリンスタンドはまだまだ少ないが、それでも台数に比べたら、インフラとしてのLPGステーションはかなり充実しているともいえる?
しかしLPGの需要が高まり、売れるとわかれば、ガソリンスタンドにLPG供給施設を併設することはさして難しいことではないだろう。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月19日 (火)

エネルギーの多様化とCO2削減

ガソリンが高騰しているからと、今電気自動車への転換が大きな話題になっている。
しかし電気自動車はまだまだ高い。
ということでは、その前にできることはある。

1973年の石油ショックを受けて日本の電力のエネルギー資源は原子力発電、LPG発電、石炭発電と多様化した。
そのようにしてエネルギー源を多様化したことが、今回の石油の高騰を受けてもそれほど電気代は高くならずに済んでいる理由だという。
しかし残念ながら、車に限ってはエネルギー源の多様化はかなり遅れているといわざるをえない。

韓国では20%以上の車はLPG車だという。
ヨーロッパでも、いくつかの国は積極的にLPG車への転換のための施策を進めているという。

LPGは、採掘される原油・天然ガスから生産・供給されるので、LPガスの生産可能年数は、原油・天然ガスの可採年数と同じと考えることができる。
しかし現在、天然ガスの可採埋蔵量は約67年分、原油の可採埋蔵量は約41年分と言われている。
ということは、LPGは石油の倍近い可採量があるということになる。
それが、現在のリッター当たり、ガソリンは180円、LPGは70円という価格差に現われているようだ。

エネルギーの多様化は、本来自動車にあっても、進められるべきことだったと思うが、つい最近まではガソリンとLPGの価格差は20円程度と、ほとんど差がないこともあって、日本では、一般の自家用車にはLPG車は普及しなかった。
しかし今ガソリンとLPGの価格差は100円を越えた。
これからはこの差はもっと大きくなることも予想される。
こうした価格の高騰に耐えられるようにするためにも、LPG車の普及は緊急の課題としてあるようだ。
それはいいかえれば、LPG車の普及はエネルギー源の多様化という面からも極めて意味のあることだといえる。

またLPG車のCO2排出量はガソリンに比べ12~15%低いといわれている。
LPG車の推進は環境的な面からも、極めて望ましいエネルギー源であるといえる。

LPG車は①エネルギーの多様化、②CO2削減、③LPGはガソリンに比べ100円以上安い、
日本でもLPG車普及の条件は整った。

マツダのLPG車の開発、販売が望まれる。
かってマツダのロータリーエンジンはガソリンをがぶのみするといわれ、敬遠されてきたが、価格の安いLPGでも十分なパワーを発揮できるということを証明できれば、爆発的に売り上げが伸びることも期待される?
そうなれば広島の経済は大きく発展する????

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月18日 (月)

なぜタクシーはLPGで、自家用車はガソリンなのか?

昨日乗ったタクシーの運転手は、
「LPG車で何も具合の悪いことはない。エンジンも綺麗だから、40万キロ以上は楽に走れる」といっていた。
ここで、なぜタクシーはLPGで、自家用車はガソリンなのかについてちょっと考えてみたい。

1

タクシーは年間約10万キロ以上、廃車になるまで通常少なくとも40万キロは走るという。
LPGでリッター8キロ走るとすると、年間のLPG消費量は5万リッターとなる。
5~6年前、ガソリンが80円位していた頃、LPGは60円位だったそうだから、当時はその差額は20円だった。
とするとLPGを使うことによるメリットは100万円だったということになる。
通常LPG車に改装するには25万円程度かかるが、タクシー車は最初からそうされているので、その改装費はいらない。
タクシー用の車はデザインの変更もないので、同じグレードの普通車と比べても取得価格は却って安いようだ。
タクシーは、LPG車にすれば年間100万円もメリットあるとなれば、それはLPG車にするのは当然だといえる。

自家用車は、普通の人で年平均5千キロから1万キロ走るようだが、所有期間は大体8年くらいだそうだ。
年1万キロ×8年=8万キロとすると、
自家用車の使用するガソリンは、8万キロ÷8キロ=1万リッターとなる。
LPGを使用すればそのメリットは、1万リッター×20円=20万円となる。
年間では、20万円÷8年=2.5万円程度得することになる。
費用面で自家用車をLPG車にするメリットはあまりないといえる。
購入してから、LPG車に改装するには費用は25万円かかる。
改装したら5万円損するということになる。
損してまで改装する人がいるわけがない。

故にタクシーの殆ど全てはLPG車となるが、自家用車のLPG車はほとんどなかったということは、費用面からも頷ける。

しかし今ではLPGとガソリンの価格差は100円を越えている。
タクシーではLPGにするメリットは、5万リッター×100円=500万円にもなる。
凄い額だ。
自家用車でも、1万リッター×100円=100万円ということになる。
これはちょっとした額だ。
改装費25万円を引いても75万円得することになる。
今のガソリン価格が高騰しているときにあっては、これからでもLPG車に改装するメリットは充分あるということになる。
年に5千キロしか走らない人でも、2年程度で改装費を回収できる。

ガソリンがこれだけ高騰すると、価格面からもLPG車のメリットがある。
さあ貴方ならどうする?

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月17日 (日)

つまずいた日韓青少年交流

 広島市と韓国テグ広域市の姉妹都市提携(97年)を記念して、02年、両都市の青少年(中高生)の交流が始まった。
 この夏も、広島から20人の若者がテグを訪れることにし、研修を重ねて準備をしてきた。出発を目前にして、突然テグ市から「受け入れを見合わせたい」との連絡が入った。背景は、「竹島(韓国名独島問題)」である。
 参加者はもとより、この事業を支えてきた関係者も愕然とした。隣国との政治問題が、このように身近に迫ってくることを、よもやと思っていたからである。

 子供たちは純真だった。ホームステイをし、キムチをつくり、渓流に遊び、片言の
日韓英語で語らい、交流を積み重ねた。この交流の体験者たちが、「アクス~日本意で握手~」という会をつくり、その後の交流事業をささえるスタッフになっている。
若者の交流の典型的な成功例である。「アクス」は一昨年、広島を訪れたテグの子供たちに、手作りの日本の夏祭りを経験させた。浴衣で、カキ氷、金魚すくいの祭りに、テグの子供たちは歓声をあげた。昨年、テグを訪れた広島の子供たちは、「きんさいよさこい」を披露して盛り上がった。 その交流が6年目にして中断した。

 竹島(韓国名~独島~)問題は、両国が国交回復をし交流が盛んになったいまも
のどにささった「とげ」であることにはちがいない。厳密に言えば、「とげ」と感じるのは日本側で、韓国側からすれば喉もとに突きつけられた刃のように感じるらしい。
日韓併合のシンボルとして悪夢をよみがえらせるシロモノなのである。

 北方領土(千島列島)もそうだが、領土問題には、「絶対」がない。たえず歴史の
力関係、いえば戦争の産物として帰属が決められた。この竹島も遠く「新羅」の時代には、朝鮮が支配していた。05年には、日本が領土宣言をし、戦後は、李承晩ラインにより、韓国が奪回をし監視塔などを置いて実効支配している。

 3~4年前にも「竹島・独島」問題が起こって、交流に冷水を浴びせた。そして
今回である。G8や6者協議などの日米韓情勢、はては牛肉問題や金剛山事件などの韓国国内情勢をからめて深読みをする向きもあるが、私ども凡夫には、なぜ今再燃するのかわからないし、失意の子供たちに説明する言葉も持ち合わせない。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月16日 (土)

環境対策も地方自治から

 昨年、韓国(ソウル)に初めて行って、インターネットで知っているようでも、やはり行ってみないと分からないものだと思ったことがいくつかありました。

 その一つがソウルでは営業車と3人以上で乗車している車は有料道路が無料になるということでした。なるほどと関心したものです。私は道路はアメリカのように全部無料がいいと考えていましたが、そういう料金体系なら、それはそれで悪くないと思いました。

 また、韓国ではガソリンではなくガスの自動車が多いのにも驚きました。日本ではガス車と言えばLPGのタクシーかCNGの大型運搬車両くらいしかありません。それが2割近い車がガス車なのです。

 そこで、最近ガソリン代の高騰で、燃料がガソリンの半額以下というLPガス車について調べてみたのですが、イギリスではパワーシフトプログラムというエネルギー源の分散化政策の中で、LPガス車は通行税の免除や、バスレーンの通行ができるなどの特典があるこを知りました。

 つまり海外で、LPガスは安い上に、低CO2、低Noxというだけでなく、ガソリンや軽油のように100%石油依存しない、複数の資源から精製できる燃料として優遇されているというわけです。

 ただ、こういう施策を国でやろうとすると様々な利害関係者がいて、簡単にはいかないでしょうし、自治体レベルでは法的なハードルも高そうな気がします。何をするにしても、もっと地方自治にお金も権限も移る必要がありそうです。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月15日 (金)

街のグリーンポケット

広島の中心市街地のいくつかのビルの前に、小さな緑のスペースが設けられている。
木が植えられ、石が置かれ、ごく小さな川があったりする。
どれも「緑のポケット」といえるほどに小さい。
銀行協会ビル前、袋町の市民交流プラザ前、鹿島建設ビル前、広島TV前、漁業組合ビル前、マンションの前。
注意してみると、街のあちこちに、そんな「緑のポケット」はある。

1

2

建築基準法上の空地を設ければ、建物の高さ、容積率を緩和してよろしいという「公開空地」という制度を使って、緑の空間を作り出しているケースも多い。
しかし、この二つのケースはそうではないようだが、こんな小さな「緑のポケット」でも、街の景観を作る上では大きな役割を果たしている。
この小さな緑のポケットを「街のグリーンポケット」と呼んだらいいのだろうか。
街を歩くことが楽しくなる。
癒される。
広島の街の品格を創り出してもいる。

古来、日本には建物の中に小さな庭をつくる「坪庭」という技術がある。
ビルの前に作られたこの小さな「街のグリーンポケット」は「街の坪庭」ともいえる。

東京の銀座には、こんな緑のスペースはない。
どのビルもぴっちり道路に接して建っている。
道路に面した1Fの方は高く貸せるという計算をすれば、なかなかこんなスペースは作り難い。

日比谷公園のように、ニューヨークセントラルパークのように大きな公園は、それはそれでいい。
平和公園、平和大通りも素晴らしい。
しかし「街のグリーンポケット」にはまた一味違った風情がある。

「歩いて暮らせる街を創る」ということはこれからの時代の重要なテーマだ。
「街のグリーンポケット」そのための重要な要素だ。
そんな場所が広島の街には至る所にある。
広島人の品格を感じる。

広島は住むにはいい街だ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月14日 (木)

お店のトイレの無料解放とトイレマップ

飲食店には必ずトイレがある。
街には公園があり、そこにはたいていトイレがある。
トイレは街にとっては必要不可欠な施設となっている。

しかし公園のトイレは汚いだけでなく、危険な場所でもある。
臭い、汚い、危険?
トイレは典型的な3Kの場所となっている。
そうでないトイレのあるデパート、コンビニ、ガソリンスタンドのトイレは誰でも使えるようになっているが、場所が限定され、数も少ない。
そこまで行くのが大変だ。
レストランでも、ファションのお店でも、どのお店も、お客さん以外の人はトイレを使っては駄目ですよと事改めて断っているわけではない。
しかし用もないのに、トイレだけを使おうとお店に入るには気が引けるから、使う人はまずいない。
お店に入れば、数千円、数万円もかかるかも知れないとなれば、ちょっと入り難い。
そんなとき数百円で入れるカフェは、安くて、綺麗で、安全なトイレだということになる。
ということでは、いっそ「中心市街地にあるお店のトイレは誰でも使っていいですよ。それも無料で結構ですよ」とトイレを解放したらいい。
そんなトイレを表示したマップを作ったらいい。
「うらぶくろ」には綺麗で、安全なトイレが、どこにでもあるということになれば、お年寄りや、子連れの女性にとってはさぞかし有難いことだろう。

2

そんな無料トイレがどこにあるかということも、携帯で見られるようにしたらいい。
そんな無料トイレがあれば、それは街の大きな魅力になり、吸引力になるはずだ。
トイレを使えば、無料で出ていくというわけにはいかない、今日でなくとも次は、ということになるのがお客の心理だろう。
トイレを解放すれば、売上アップにもなる?
そんなことも期待できるというわけである。

東京巣鴨のとげぬき地蔵通り商店街では、190店舗の内約6割がトイレを無料で、自由に使えるように解放しているそうだ。
もうすでに前例はある。

誰でも使えるようにお店のトイレを無料解放する、そしてそんなトイレのマップを作ることは、この少子高齢化時代にあって、街を活性化させる上で重要な戦略になるはずだ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月13日 (水)

マツダRX500と交通科学館

マツダRX500が修復され、この7月19日から8月31日までの間、広島市交通科学館で展示されている。
他にランボルギーニ、ポルシェ等9台のスーパーカーも展示されている。
中でもマツダRX500は圧巻だ。
展示・公開を目的に開発されたロータリーエンジン搭載のコンセプトカーだという。
マツダが1番輝いていた時代の作品だ。
本当にカッコいい。
幻のスーパーカーというのに相応しい。

1

1970年の東京自動車ショーに登場し話題をさらい、78年のマツダ新型車発表会にも登場したという。
スーパーカーブームが去った後、今日まで約30年間マツダの倉庫に眠っていた。
改修前の写真を見ると、相当に痛んでいたことがわかる。
キーやガソリンタンクの蓋もなくなっていたという。
改めて手作りした部品も多いようだ。
RX500はグリーン、黄色、グレイの3台あると思われていたが、そうではなく、その順に塗り替えられてきたということも、修復中にわかった。
要するにRX500はこの世に1台しかないのだ。

RX500のデザインは、全く古さを感じさせない。
今街を走っても最新のデザインの車として通る。
単なるクラシックカーとは違う。
今でも乗ってみたくなる。

ロータリーエンジンというのも凄い考え方のエンジンだと思うが、マツダは1967年、それを世界で最初に製品化した。
それがあの真っ白な、優雅なコスモスポーツだ。
そして1991年にはマツダ787Bがル・マンで総合優勝した。
ガソリンをがぶ飲みするということで目の敵にされて、一度は消えた。
しかしマツダの技術者がその技術を守ってきた。
そしてRX8に復活させた。
水素ロータリーエンジンも開発した。
そうしたマツダの様々の思いが込められているのがRX500だ。
その人気は根強くネットで写真や情報が飛び交っていた。

交通科学館の職員がそれを見つけ、今回の展示に漕ぎつけた。
普通なら、そのまんま倉庫の中で朽ち果てていただろうと思われる車が、こうして復活する。
ネット情報が埋もれていたRX500を見つけ出したといえる。
その職員の熱意も凄いが、ネット情報の恐ろしさを改めて感じる。

中国新聞、RCC等メディアもかなり大きく取り上げている。
RX500のフアンは多い。
全国からマニアが集まると予想される。

この展示が終われば、マツダはまたこの車を倉庫に眠らせるのだろうか。
もったいない。
しかし生産と販売というビジネスをやっている企業が自らの歴史を保存するのは難しいというのが世の常だ。
これまでだって倉庫で朽ち果てるに任せていた。
それならこの車を広島市交通科学館に寄付したらいい。
そうすれば半永久的に展示されることになる。
被爆電車も交通科学館の庭に展示されている。
RX500は広島市民の夢でもある。
広島市の財産として、として保存されるべきだ。
広島市交通科学館は保管、展示するには相応しい場所だ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月12日 (火)

祈りの像に残された大木惇夫の反戦への思い

 私が事務局長を務めている慰霊の夕べコンサートは、被爆60周年に広島市が計画したが、市議会が否決したため市民レベルで実施した。以後毎年8月に開催。今年は広島で「平和と軍縮」をテーマにG8下院議長会議が開かれるのを記念して、前日の9月1日に歓迎コンサートを市が企画。これに協力している。
 ところで昨年のコンサートでドイツリード協会合唱団が反戦平和の曲「土の歌」を歌った。作曲は昭和37年東京芸大在学中の佐藤真。東京混声合唱団が初演後、多くの合唱団が歌い継いでいる。作詞が広島市天満町出身の大木惇夫だ。
 大木といえば東海林太郎の代表曲の一つ「国境の歌」を思い出す。歌謡曲も多く手がけている。
大木は明治28年生まれ。広島商業学校卒業後銀行員になったが文学に対する気持ちが強く、北原白秋にあこがれ20歳で上京。その後妻の病気のため白秋のすむ小田原に移り、白秋の知遇を得た。
大正14年の処女詩集「風・老・木の葉」は白秋に絶賛され、一躍文壇にデビュー、その名をはせた。以後白秋を助けてともに歩み、中でも「冬刻詩集」は有名だ。
 太平洋戦争では宣伝班として従軍。生死をさまよった。そのときに体験したことを出版した詩集は多くの賞を受けた。これにより作品の注文が相次ぎ、歌謡曲も沢山書いた。戦後は戦争協力者として周囲から迫害され、帰郷して三滝の山荘でひっそり過ごした。晩年は仏典の現代語訳に没頭したという。
大木の詩碑が広島市内にいくつもある。「冬刻詩集」の一編「流離妙」は多くの文学碑や石碑のある三滝寺の産道に。比治山の「ひろしま文芸の碑」には「ヒロシマ夜景」として。平和公園の子供を抱いた若い夫婦の像「祈りの像」には「平和を祈り御霊を鎮めん」がある。

やすらぎの日をもたらして
国に殉ぜしもろ人の
み霊をこそ鎮めまし
み霊よ 
地下に哭くなかれ
と刻まれている。
今年も暑い夏がやってくる。

 上村和博

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月11日 (月)

動き出すか?本格・日朝平和交渉

 北朝鮮訪問から帰国間もないR氏を半年振りに若者達と一緒に囲んだ。
 
 今回の訪問は在朝被爆者支援連絡会(会長:向井県原水禁代表委員)が北朝鮮被爆者支援策を検討するため「反核平和のための朝鮮人被爆者協会」の要望などを聞くためだった。
 被爆者の多くは健康上の悩みを抱えており、日本政府の手で専門的治療が受けられる病院の建設や広島・長崎からの医療情報の提供を求められた…と言う。

 国交のない北朝鮮の被爆者は被爆後に帰国・移住した在外被爆者の援護策が徐々に進んでも、日本の来ない限り法の適用はなく唯一置き去りのままになっている。
北朝鮮に在住の被爆者は二千人前後と言われていたが今では千人足らずで、実態は未だに不明確だ。北朝鮮政府や朝鮮総連は日本政府に対して被爆者対策は求めた事はない。一貫して平和条約の締結が前提になっているからで、被爆者対策はその一部でしか無い…。

 R氏が中心になって’75年に結成した「朝鮮人被爆者協議会」は朝鮮総連の下部組織ではなく、一貫して「核廃絶と被爆者救援」を軸に自立の立場で活動してきた。R氏は朝鮮総連幹部だったが事情があって離れたが民団には移らず、あくまでこの組織の中心として広島市や政府に対する在日の朝鮮人被爆者対策など求める7者協議会のメンバーとして活動してきた。一方、ここ10数年は北朝鮮の「反核平和のための朝鮮人被爆者協会」の招きで渡航して交流してきた。国交のない国の裏側で“被爆者問題”で細々と進めてきた交流が今役立とうとしているのだろうか…。

 1月15日付け、このブログで「北朝鮮被爆者対策?カラ日朝和平へ?」とR氏の周りで起きている北の被爆者を巡る政府や北の最近の対応の一部分を紹介した。続編である。

 その後、新しい動きがある。R氏が朝鮮総連と決別し「朝被協」を結成して33年、朝鮮総連が動いた。R氏を無視し日本政府に対して一度も被爆者問題に触れずにきた朝鮮総連本部は『朝鮮人被爆者対策委員会全国協議会』の設置を決め,R氏に参加を求めたり、昔の日朝協会のような民間レベルの日本と北朝鮮・朝鮮総連との友好交流団体の結成を模索し始めているようだ。

 6者協議や日朝協議では見えない動きとして外務省も密かにR氏と常時連絡を取っていつでも協力が出来る体制を探っているようだ。決してあて馬でないことは過去6人の事務次官はR氏と会ってきた。R氏は総連下部でないことを読み込みながらの接触は今後十分に活かせるラインと計算していると思える。

 日朝の最大課題は拉致問題…と言う印象が一般的だが米国、北朝鮮から見れば核問題であり平和条約締結にある。最近の6カ国協議やG8を通じて見せた米国の外交戦術はブッシュの在任中に北朝鮮と朝鮮戦争の終結をした上で核廃棄を実現することに集約している?
 
 従って北京オリンピックの開幕式に参加後、ブッシュがピョンヤンに飛んで一気に解決の道を開くサプライズはあり得ると考える。万一、今回見送れば来年1月の引退までに実施する可能性は残っている…と見てよいのではないか。

 日朝協議や6カ国協議での日本の立場は政治的に、小泉以降は拉致問題一辺倒に見えるが、外務省は間違いなく『平和条約―被爆者問題を含む戦前の日本が侵した数々の責任に対する経済援助』問題解決を着実に進めていることが推察される。

 R氏は9月には県医師会会長に同行して23回目の訪朝をする。全く前進がないように見える日朝協議も国際的な流れに乗って着々と進んでいることを物語っている。
 
 人道問題として拉致問題を優先せざるを得ない事務方・外務省が国際的な外交孤児にならない為にも、裏で実質的に太平洋戦争の未処理問題の決着が第一義的に出来る準備を進めている…事が、R氏の小さな動きから透けて見て取れるのではなかろうか。

 いずれにしても日朝問題は米朝問題が解決する来年正月明けには待ったなしでやって来るのではないだろうか。
 
*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月10日 (日)

癌へ再挑戦

 昨年末に受けた3ケ月チェックで癌の転移は認められず、内臓の脂肪などが落ちてメタポの心配が遠のいた喜びを「災い転じて…」に書いた(1月9日当ブログ掲載)

 あれから半年余り、実は3月末のCTチェックで左肺に影が一つ出た。複数の場合は転移だが一つの場合は新たにできた原発性だ。しばらく置いて中電病院のPETOで再チェックの結果CTでキャッチしなかった小さな二つ目と見られる影を捉えた。転移の疑いが強まる。
 お世話になっているH大第二外科内の肺の専門医の説明では、初期(ステージ1)なのでしばらく様子を見て、抗がん剤から手術へと考えよう…とのことだった。

 4月に2周年を迎えた私の大手術。胃を全部と胆嚢、脾臓を摘出し胃と接している膵臓の一部を除去したが「災い転じて福」を迎えられるものと期待していただけに多少ショックである。骨やリンパへの転移は見られないが6月中旬に検査入院で「肺の生検」を試みた。残念ながら病巣の組織をキャッチできなかった。
 
 今月14日のCTチェックで「肺に三つ目の影」を捉えた。最初の影は多少肥大し「転位」の診断に基づいて抗がん剤治療を始めることになった。入院して様子を観察しながら3クール(1クール:薬剤2週投与、1週間休み)を目途に始める。

 実は2年前の手術後、転移にしても原発性の発生にしても「術後、抗がん剤投与」を勧めてくれた抗がん剤担当の原医研の医師もいた。頭髪をはじめ体毛が抜け爪には激しい変形が生じて皮膚にも深いしみが発生するなどの副作用は意外にきつい。食事が取れなくなる人や立ち上がって歩けないと言う人に比べれば軽い方かも知れないが全身の倦怠感は思いのほかしんどい。

 主治医の説明は胃の摘出時に私の希望で手術を引き延ばしたことや術後の薬物治療拒否を許したことが「転位」に繋がった可能性に痛く責任を感じて「薬物治療の開始」に強い意志と拘りを示された。私が東洋医学を取り入れたドクターの治療を受けていることを知っている主治医は「私が薬物治療を拒否する恐れ」を予感されてのことと推察した。
 それにしても、静止画による説明だったCT画像は最近では動画に改善され癌の成長具合や新規の発生拡大が迫力をもって迫る。患者にとって無言の圧力であり“脅迫”にすらなりかねない命の説得だ。

 3~4ケ月のもやもや期間を経て「再度・癌への挑戦」が決まった以上、今は気持もすっきりと立ち向かうことにした。
 幸いなことに抗がん剤担当の医師は入院を避けて週一回の点滴と毎日の飲み薬で当分は外来・通院を選択して頂いた。
 これまで通りの日常生活が維持できるのは嬉しい。
 心して治療に専念したいと思う。
 
 早ければ10月の声を聞く頃には冷たいビールで乾杯したいと思う。

 ついでに、馬鹿げたことではあるが本音でそう思ったことを一つ披露しておく。
 肺の影が「転位」と確認されたとき『たばこのせいでは無かったんだ』と思い何かしら“ホット”した。あれだけのヘビースモーカーだったのだから「原発性…胃からの転移でなく新たに発生した癌」であればたばこ犯人説は否定できない…訳だ。

 肺に癌が出来た事は避けられない事実で、原因・要因?がどちらであっても一緒であるが家族や周囲に嫌われながらも喫煙してきた者の意地汚い…言い訳や逃げでしかあるまい。

 しかし、この後に及んで尚“ホット”した気持は偽らざる本音である。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月 9日 (土)

教育者の汚職

 大分県の教員採用を巡る汚職事件は全国的に“教育不信”を拡大していると思う。

 本当なら合格していた人の得点を下げて教壇への夢と希望を打ち砕いた。校長が金でわが子の採用を頼む。採用だけではない、管理職への登用も堂々と賄賂が大手を振って罷り通っていた。不正は組織ぐるみの可能性も強まっている。

 先日以下のような新聞投書を目にした。『… 10数年前まで、私大で教員をしており、教員を目指す教え子もいた。中には英語の発音もままならず、教員には不向きと思った学生が“教員になりました”と報告に来る。いぶかる私に“父が校長ですから”と答えて唖然とさされた。しかし、教員に適任と思った学生が不採用の連続だった。立派な成績の学生でも、採用試験の合否は学校関係者の面談がモノを言うようでした。結局、教員になるにはコネが大事である事が判った。…自分も教育関係者に口利きを頼むようになり、みな採用された。金品のやり取りはなかったが、これも不正…』と告白し、また別京都の人は声欄に『…今年度の小学校教員採用者の内半分は県教委幹部の口利き…』と告げている。

 広島県が戦後の一時期“教育県”を標榜したことがある。県内各地の公立高校から旧帝大系の国立大学に束ねて入学した時期だ。学区制や入試方法などの見直しと中高一貫の私立高校の台頭に合わせて公私の力が逆転し、次第に公立校が荒廃し後退が進んだ。
 そんな時期に、全国的な傾向として「採用はテストだけでなく人物を見る面談」に大きな比重が置かれるようになった。文部省の指導による日教組対策の一つで古い保証人制度のような関係者の口利きや推薦が幅を利かせだした。

 教員は大人と対等に付き合う世界が狭く、子供を上からの目線で見ている。社会性が極めて低く上下関係がはっきりした村社会とか派閥社会と言われてきた。情実の世界、コネ社会とまで指摘する人は多い。

 県会議員を取り巻く仕事?の一つに“お世話”がある。就職、結婚、進学を巡ってそれぞれお世話の程度によるが“就職・仲人百票、人事移動50票”とお世話活動を揶揄する向きがあった。実際はこれ以上の票を依存するのが議員の力?とばかり言われていた。
 特に教員採用に口利きするのは県議の特権、当たり前と考えている人が多くいた。まして、県北の学校から市内や周辺の学校へ呼び戻す働きかけは当たり前のようにされていた。
金銭が絡んでいたかどうは判らないが、私が知る範囲でも“教育界での口利き”は日常茶飯事だった時代はあった。
 
 大分で県議は「口利きは通常の議員活動」と言って憚らない議員がいる現状は「広島はどうなのか?」との不安を持つ人も多かろう。いや、全国各県で同じ不安と疑心暗鬼の人のためのも各県教委は速やかに応える必要がある。

 教師はエコ贔屓し、親たちはピアレントモンスターなどと言う自分勝手な父母が増える時代であるが、それだけに教育現場の信頼を取り戻す必要がある。

 県教委は昨日(7月16日)「教員採用試験の合否結果について、県議らの問い合わせに応じていた」とし「合否結果に影響していないが、誤解を招く恐れがあるので止める…」としている。「問い合わせ…」があると言うことは、図らずもその前に「口利きがあった」と言う裏付けを示しているようなもので…むしろ逆に“頭隠して尻隠さず“の疑念が強まる。

 「ありません」「やっていません」と通り一遍の言い訳でなく、教員採用と移動などを巡って県民が納得のいく「公正で厳正」の策を示すことが急がれる。
 こんな機会に人事は文科省に一本化と言うようなことになっては、余計にいけない。

 組織ぐるみの恐れさえ指摘されている。「教職汚職」は諸悪の根源と位置づけ、万一発覚した場合、各県とも教育長以下が総退陣するくらいの規約・罰則を導入するくらいの覚悟が示されてよかろう。
 失った信用と猜疑心を取り戻すには各県・各自治体教委は大幅に民間の知恵と力を大胆に取り入れて総懺悔・改革実践しかない。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月 8日 (金)

映画「原爆の子」

 <シネマ・クラブひろしま>が企画した“社会性が強い、いい映画を見たい、見せたい”と定期上映会のほかに始めた第一回の『ワンコイン上映会』で「原爆の子」をかけた。

‘52年(昭和27年)新藤兼人監督が小中学生の原爆体験記「原爆の子~広島の少年少女のうったえ~’51年出版」(長田新広大教授編纂)を基に製作した所謂「原爆もの・ヒロシマもの」の古典と言われる作品だ。

 原爆で父母に家族を失った孝子(乙羽信子)は、今は瀬戸内海にある小島で叔父の家に身をよせて先生をしている。夏休みに孝子は広島に帰って家族を失った友人の家や以前幼稚園で教えた子供を訪ね歩く。そこでケロイドを背負って乞食に落ちぶれた嘗ての使用人。子供を産めなくなった友人。原子病で苦しむ子供や亡くなる教え子の父、目に見えない差別を気にしながら障害を負った妹を約束通り嫁にしたいと言う婚約者に「手を合わして拝みたい」気持ちの兄の呟きは“生きて居てよかった…”。施設にあふれる原爆孤児…。
 街はまだ瓦礫が散在しようやく復興に向かう姿を捉えられた実写が痛々しい。
 そんな生まれ故郷の広島で新藤監督は原爆や後遺症、米国にすら恨みや嘆きを直接言葉でぶつけることなく健気に生きる人々を明るく描いていく。

 あの日本を代表するドキュメンタリスト新藤監督が被爆者の証言でなく著書を基に製作したのか…なぜ上記のような表現に留めたか…と疑問が浮かぶ人もあろう。当然の疑問だ。

 昭和27年と言えばようやく日米講和が結ばれた年。GHQの目が光り、原爆の被災や原爆症や被爆の実情などはプレスコード(情報規制)で占領下の厳しい統制。まして反米反核平和などはビキニ環礁事件(昭和29年3月1日=第五福竜丸被爆)後まで続く事になる。
 
 従って、当時は新藤監督も題材は少年少女の手記・作文に依拠するしかなかった訳だ。
 おまけに売り込んだ各映画社がGHQの許可が下りないと腰が引ける中で近代映画協会と民芸の自主製作と言う日本映画では新しい形で初めての製作となった。

 登場のスタッフは細川ちか子、清水雅夫、滝沢修、宇野重吉、北林谷栄、東野英治郎
下元勉、多々良純、殿山泰司、奈良岡朋子、山内明など戦後の新劇舞台やスクリーンを支えた劇団民芸の俳優たちがキラ星のように連なっている。
 アメリカで手術をして帰国した原爆乙女たちのなにげない出演…。歪んだ手・指・ケロイドは無言ながらもドキリとさせる。

 映画センターの車庫を映画館代りに扇風機に蚊取り線香の小道具も生きて、20代から70代までの25人は飲み物を片手に映写フイルムの音を小耳にしながら、あっという間の2時間だった。広島を見つめ直す時代を超えた名作と確認をした。
 
 数人を除いて初めての人ばかりで時代を超えて感動に包まれた様子だった。
 終了後の雑談も弾んで『見せたい映画、見てほしい映画』の声が強く、若い人たちを対象に上映普及を考えねば…と感じた。また、次回以降の上映作品にも期待が寄せられ、第一回のワンコイン(500円)上映会は盛会で、「社会性が強い、いい映画を見たい、見せたい」その大切さを再認識した。

6

*問い合わせ<シネマ・クラブひろしま>
 HP:http://cc-hiroshima.ciao.jp E-mail: cc.hiroshima@gmail.com
Tel:082-293-1274 中区堺町1-2-9 貴志ビル102 広島映画センター内

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月 7日 (木)

子供を助けて!!イラクの医師の叫び②

 イラクの国立産科小児科病院のフサーム医師(38)は嘆き悲しみ声を抑えて叫びます。
イラクは元々豊かな産油国だったが、米国の侵攻以降は石油の精製工場が一か所だけに成りガソリン不足は深刻でサウジやイランからの輸入に頼っている。

 かつてのイラクは貧しい家族には政府の援助が受けられたが今は全くないのが実態だ。
子どもが急性骨髄白血病になった家族は支払いが出来ないことが分かっているため『悪霊が宿った…』と言って医者の受診を拒否したり病院に行こうとしないケースもある。今では80~90%の回復が可能な白血病の子どもの三分の一は亡くなって行く。
 戦火にさらされたクエート国境近くの地域で5歳までの子どもの癌の発症が著しく高くなっている場所=地域がある。

‘91年の湾岸戦争前に比べるとバスラの子どもの癌や悪性腫瘍、白血病は7倍くらいに増えている…と言う。全国的に増えているのも間違いないと言う。劣化ウラン弾が出す放射能の影響と見られ、兵役中に被爆した人の子どもの発病もある。 

345

 広島に原爆が投下された’45年8月には米軍は被爆者の健康調査・放射線の影響調査を開始している。比治山の上のABCCは外交官特権を持った医師や研究者、調査の専門家隊が早産した奇形や水頭症の胎児、臓器からケロイドなど被爆の影響と考えられるあらゆる物を岩国の米軍基地からフリーパスで持ち去った。被爆者の健康調査はするが治療はせず、日当を払って協力を求めた。特に、県と市の医師会と契約し妊娠した被爆女性のデータは積極的に協力させた。放射能が人体へ及ぼす影響調査とデータ収集は原爆投下前から緻密に計算された米国の核戦略上の作戦だった。
  
 3日にあげず奇形児を取り上げ、流産に立ち会ったと言う産婆さんの証言もある。二世に対する影響は『非被爆者との間に優位の差はない』と発表して“被爆者と二世差別”に配慮?をした…とされている。日米講和条約後の’75年(昭和50年)まで、プレスコード時代の出来事は長い間『被爆の後影響情報』は“タブー”として核廃絶運動や世論形成について悪影響の尾を引いたと言えよう。つまり加害の国・米国が“広島・長崎の核被害の実態”を知らせないようにコントロールしてきた。

 そのことが、今イラクで同じように繰り返されている…?
イラクでも何らかの形で医学的調査は進められているのではなかろうか?

 広島・長崎では米国兵の被爆は(一部捕虜を除いて)なかった。しかし、イラクでは多くの米兵も地上戦で被爆し退役後苦しんでいが、米国内でその事実は隠蔽されている。
 
 米国はイラクの石油を確保するために大量破壊兵器・原爆の保有にストップをかけると言う正義を御旗にこじつけて侵攻した。しかし、何もなかった事に対する謝罪も戦略修正もされないままブッシュは今年を際に去って行く。
<ブッシュ家の友達の友達はアルカイダ=5月19~20日付;当ブログをご覧下さい>

 6カ国協議やG8を通じて見せた米国の外交戦術はブッシュの引き際を配慮した策が押し通されている。 北京オリンピックに参加したブッシュがその足でピョンヤン訪問して米朝問題(米朝間の朝鮮戦争が未決着)にケリをつけると言うサプライズがあるのでは?
 太平洋戦争処理の未決着を抱える日本が“人道主張のあまり拉致に”拘り過ぎて国際的な外交孤児にならなければ良いが…と思うのは私一人だけだろうか?
 万一そうなると日本が平和条約と言う交渉の原点に出来るだけ早く戻り、同時に拉致の解決を進めないと北朝鮮の手のひらで韓国に払った数倍、数十倍の経済援助をもぎ取られることになりかねない…ことを政府は何故自覚出来ないのだろうか、不思議でならない。

 米国がイラクで行っている政策は半世紀以上前に日本で行った占領政策のリピートだ。
当面、資金や薬の支援は焦眉の急だ。
 自衛隊派遣費700億円が何故この子らの為に使えないか。
米国追随から少し目をはなして冷静になる時期に来ていることは間違いなかろう。

 だが、イラクの子どもたちを本当に救済する為の広島の動きは米国の核政策にストップをかけ“核廃絶”を2020年には実行にこぎ着ける“世界市長会議”と連帯した国際運動に結合・発展させ国連も大きく動かすことが『イラクの子どもとイラク救済』の近道になるのではなかろうか。
  
 余談が多くなってしまったがフサーム医師の生の叫びの中から何を掴むか?改めて考えることが大事だ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月 6日 (水)

助けて!! イラクの小児科医の叫び①

 イラクのバスラから来た小児科医の「バスラの子供たちの実情」を聞いた。
 医師は国立バスラ産科小児科病院のフサーム氏(38)。彼は“セイブ・ザ・イラクチィルドレン広島”の招きで<URL=http://homepage.korinkan.co.jp/iraq-children/>'04、’05年に広大病院で小児血液病を研修し、今年も4月から7月末まで研修のため広島滞在中だ。
                    

12

 バスラは人口150万人のイラク第二の大都市で嘗ては石油でとても豊かな街だった。
 総合病院は市内に4つあるがその中でも一番規模が大きく、ベッド数427うち294ベッドが小児用だが入院中の幼児たちは一つの保育器に3人が詰められ廊下やベッドの間の床に収容される等700人を超えて溢れている。

 子供たちの病気は栄養失調から悪性腫瘍・白血病など極めた深刻な状況にある。しかし、設備は古く医療機器も不足し取り分け薬が入手できない為多くの人はヨルダン、シリア、イランなど隣接国へ治療の為に出国する。待遇が良くない為医師・看護師不足は恒常的でおまけに医師や知識人の誘拐・殺害事件が目立って多くなった為に国外に避難し医師不足に拍車がかかっている。その上、治安が悪いため通院や病院間の転院もままならない。
 加え水の供給が難しくまして下水処理は極めて悪く不衛生が蔓延っている。

 元々シーア派と反政府の対立はあったが’91年の湾岸戦争や’03年の米国の侵攻で治安は一気に悪化し、使われた劣化ウラン弾の影響で癌や白血病が急増し、特に子どもへの影響は著しく拡大始めた。米国の燃料確保戦略がイラクの政治も経済も人間も狂わせている。

 医師が最も悩ましいのは医療機器不足と検査設備の不備で、子供たちの病気の診断さえ下せない…輸血体制も不十分で抗生物質から化学療法薬に至るまで薬品は不足して、日々死んで行く子供は月に平均100人を超えている。
 今なんとか命を永らえている者たちは日本とオーストラリアのNGOなどからの支援金と薬のサポートがあるからだ。

 まだ若いフサーム医師は怒りを抑えながらデーターと目を背けたくなるような写真を示しながらバスラの子どもの窮状を訴えた。                (続く)

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月 5日 (火)

ヒロシマを窮める若者達

 ある市民交流会で「グランパさんですね、平和大通りの読者です」…と小柄な若者が声を掛けてきた。差し出した名刺を見て驚いた。昔風に言えば国立のH大学大学院社会学研究科 地球社会研究専攻 博士課程の院生で東京以外に広島の住所がある。
 自己紹介の際“広島応援団”のつもりでブログ<タウンNEWS広島平和大通り>に取り組んでいると言った私の発言を聴いていたのだ。
 嬉しくなって帰り道、おでん屋に誘っていろいろ聞いてみた。

 彼の大学は嘗て東京在勤中、長崎の被爆者調査を中心に研究された広島出身のT・I教授(故人)M・H教授、自分史通信のKさん達と在京の女性ばかり5人の被爆者相談のケースワーカーの勉強会に数年間、出させていただいた因縁がある。加えて、「祈りの小さな影絵展」に関わっている若い2人の女性もOGと院生だ。

 M・H教授はもちろん院生のSさんも知っていると言う。何という奇遇であろうか。
広島の人?と聞くと「東京です」と言う。俄然興味がわいてきた。

 学部を終える前、通信社や大手新聞社を受け面接の際「フリーのジャーナリストが向いている」と言われた経験が、研究者を目指す契機になった。もともと好奇心が旺盛で東南アジアやアフリカ,豪、米などに出かけた。ある時インドのボンベイの宿舎近くで起きたテロを身近に感じ「戦争」「紛争」を意識するようになり、韓国訪問の際日本の戦争を考えるきっかけを掴んだ。日本の戦争を考えるようになると東京にいて[ヒロシマ]を意識し始め、そこで生きてきた・生きている人達を自分の目で見て話したいと思うようになり足を運び、遂に1年前の7月に広島に移住して「ヒロシマ」探求に集中している。

 文化人類学が専門の彼は当初「広島の戦後史」を軸に調査をはじめ被爆体験の継承と証言活動ターゲットに「被爆二世」「遺伝」「病気」「心の傷」など原爆被害を探っている。
既に90人以上の被爆者証言を聞いて人間関係を深め、改めて韓国の陜川にも出かけたなど博士論文のテーマの掘り下げに当たっている。
 
 研究者として最初の関門である博士論文に“ヒロシマ”を選んで情熱を傾ける若者の姿勢と生き方に痛く感動してしまった。この一年アルバイトも封印して奨学金と僅かな蓄えを頼りに自立してヒロシマを窮めようとする姿は凛としているが肩に力の入らない清々しさが良い。

 交際交流機関をやめてヒロシマの力になりたいと帰郷して草の根平和・環境問題に取り組むH君、東京をベースに平和交流機関として世界中に旅人を送る仕事に取り組みながら広島回帰をする若き女性。自衛隊を辞めてひろしまと自分探しをする防衛大卒業生。広島転勤に当たって「ヒロシマを学べ」と贈った戦中派の祖父の言葉を大切にする記者。

 見渡せば近くにいる若者達は自分の仕事と両立させながら地道な平和・環境問題に取り組む草の根集団を起こしている。驚くばかりの馬力だ。
 「今頃の若いもん」は実にタフでシナヤカな上、明く屈託なない好青年が多いことに改めて気づいて嬉しくなる。

 祖父母や父母の世代の負の遺産を次代に送ってはならないと思う反面、決して捨てたもんではない。むしろ、彼らが堂々と受けて立って立派にクリアーしていくのではないか。

 ヒロシマを軸に研究者として生きていく彼の前途に今少し役立つことが出来ないか…。

 身近に現れた若者達を通じて多くの夢を期待できることに、これから私たちが何をどのように協力できるか…課題にしなければいけない。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月 4日 (月)

「折り鶴ナイター」で核廃絶署名を!!

 核廃絶を求める署名運動とカープの試合を連携し、カープフアンの力を結集しようと言う「折りづるナイター」の準備が進んでいる。

 広島市が主宰する平和市長会議が2020年までに核兵器廃絶を目指す「2020ビジョン」の一環として、核保有国に対して『都市を攻撃目標にしないよう求める世界市民による署名活動』を展開している。これに県生協連がタイアップする広島ならではの洒落た企画だ。
 勿論、カープ球団も了解して協力するわけで、過日のベースもピンクに染めて協力した乳がん追放運動“ピンクリボン”に次ぐユニークな活動で、大袈裟に言えばプロ野球史上はじめての“球場ぐるみの平和活動”への参加だ!!

 舞台は8月26日(火)の広島市民球場。カープVSヤクルト戦を前に球場周辺と球場内で“核保有国に対して都市を攻撃目標にするな“(CANT)の”核兵器廃絶を願う市民の賛同署名を集めて…メッセージを発信する企画だ。

 その為に先ず、当日署名を集めるボランティア50名の募集を始めた。ボランティアは当日15時に球場3塁側敷地内の“勝鯉の森”前のテントに集合し19時まで球場周辺や球場内で署名集めや応援ボードによる平和アピール活動をする。
 参加希望者は幅広い年齢層に及ぶと思われる。しかし、8月の炎天下だ。健康に自信のある方でないと耐えられないだろう。親子で夏休みの一日をカープの試合を通じて平和活動をするのはいかがだろう…。被爆63周年、市民球場ラストイヤーに相応しいイベントだ。

 スタンドで『にわか・折りづるナイター応援団』がどんなパフォーマンスを展開するか楽しみだ。きっと沢山のパネルや“折りづる”や“平和グッズ”も並ぶのではないか?スタンドに陣取ったカープフアンが改めて『ヒロシマの心に向かい合い…都市を攻撃するな…核兵器廃絶』署名に結びつくことを願いたい。
<インターネットで出来る署名:http://www.mayorsforpeace.org >

 この日にブラウン監督以下選手がサインする…ことは難しいと思われるが、そこは『みんなで力を合わせて、球団を通じて選手にお願い』する、参加者の意気込みが大事になる。是非、トライ!!して選手たちの署名も確保してほしい!と願うばかりだ。
 参加者には当日、着用するオリジナルTシャツと試合中にカープの選手が袖に付けている「折りづるステッカー」と当日の外野自由席の入場券が貰えると言う趣向だ。
 市民球場ラストイヤーに相応しい企画だ! 頑張れカープ!! “折りづるナイター”!!!
 *問い合わせ*広島平和文化センター平和連帯推進課:082-242-7821
  E-mail:mayorcon@pcf.city.hiroshima.jp

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月 3日 (日)

再度「たばこ」を巡る議論

 3月から順次導入されてきた「たばこの自動販売機の成人識別カード・タスポの導入が全国的に完了した」と言うニュースが流れた。
 全国42万台、総てでカードが必要になる。しかし、タスポは全国で喫煙者2600万人の24~5%分しか発行されていないと言う。顔写真や身分書提示が足を引っ張っていると言う。
 従って、自販機の売り上げはタスポ導入前の20%位に落ち込み1台40数万円の自販機導入費の原価消却が出来ないと商売の先行きを不安視する販売業者も多いようだ。
 
 タスポの導入はWHO条約に基づいて未成年者のたばこの購入防止の目的で導入された。
 タスポ導入で未成年者が買いにくくなったことは間違いないが、これから手を変え品を変えた抜け道も現れることが予想される。 一方コンビニなど対面販売は急速に売り上げが上がっている。
 また、どれだけの人が禁煙したのかデータはないがこれを機会に禁煙に踏み切った人も多いと伝えられるが、これでは単なるたばこ販売業者いじめになっていなだろうか。

 さらに、「たばこを1箱千円に値上げすれば税の増収が期待できる」と国に巨額な赤字財政への処方箋としてたばこ税率の大幅引き上げを働きかける動きも出ている。売り上げがたとえ三分の一に下がったとしても現行の税収は維持できる…と見ているようだ。
 確かに米国や英国など海外では千円前後で販売されている。日本で3倍にすれば9兆5千億円の増収が期待できる…と国会議員有志が立法化の勉強を始めたようだ。

 最近の報道では昨年度のたばこ関連税収が‘06年度より170億円減った。健康志向の広がりが要因だ。それでも2兆2700億円余の税金をタバコが生んでいる。
 タポスの導入が追い打ちとなって今年度の税収を更に下げるのは間違いなかろう。
大変結構と歓迎する向きと大きな財源としてたばこ税を捨て切れない国や自治体は板挟み状態と言えよう。

 本当にたばこのにおいを嗅ぐだけで気分が悪くなる人、健康のために禁煙を推奨する人、たばこによる?がん発生で費やされる莫大な医療費の発生を問題視する人、なんだかんだと言いながらたばこの税収に依存せざるを得ない国自治体。それに、たばこ販売を生業にしている人、そのスタンスは一様ではない。
 喫煙がそれほどの罪悪であれば徹底的に厳罰主義で臨む事も出来ない訳ではない。
 税収に第一視点がある間は煙草をめぐる議論の終点は展望できまい。
 長年の喫煙に見切りをつけて2年余。正々堂々とたばこ税を払う人徴収する人が襟を正して議論しない限り“必要悪”の道を辿るのでなかろうか。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月 2日 (土)

女性専用マガジンに「?」

ある朝、朝日新聞に目を通していた。国際記事の下欄の広告に目がいった。エッと
思った。女性専用の雑誌の宣伝だが、なんと2ページに4つの広告が並んで記載されていた。
① プレシャス 「夏髪で、カジュアルが美しくなる」
② マリソル  「着こなしのヒント~パリ・ミラノ・NY~」
③ LEE 「総勢200人、夏のリアルおしゃれ」
④ VERRY 「ご近所にいる街の~いい女~」 各誌の見出しだ。その他の記事の
見出しには「デニム」「アイシャドウ」「靴とバッグ」「旅したく」などという言葉が並んでいる。こんなに女性専用雑誌があることを知らなかったし、一方で世の中の女は、おしゃれやファッションにしか関心がないのかと愕然とした気分に落ち込んだ。「環境」「格差」「少子化」「医療」「物価高」「戦争」……賢明な女性の知性や感性はどこへ行ったのだろうかと。

 その時だった。「スポーツ紙を見てご覧なさいよ。女の裸と競輪、競馬の予想とセンセーショナルな三文記事、男の方がよっぽど程度が低い。女はまだ可愛いほうよ」との声が聞こえた。畏敬する山の神である。 
    
 何十年前だろうか、評論家の大宅壮一氏が、テレビの低下を嘆いて「一億総白痴化」と
評した。確かに人は、「おしゃれもしたい」「おいしい酒も飲みたい」「一攫千金を夢見たい」
と思うし、そのことは悪くない。が、問題は、社会のオピニオンリーダー、啓蒙のメディアである「新聞」「テレビ」「雑誌」のありようである。大宅壮一氏の言が。歴史上の予言に
ならなければいいなと、思った。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2008年8月 1日 (金)

社会保険庁、残滓の再生

 社会保険庁の、放埓であきれた運営のあれこれは、今もたえまなく伝えられている。
 東広島市の広島大学正門近くに、ご他聞に漏れず「閑古鳥が鳴いている」社会保険庁の保養センターがあった。まったく利用価値がないその施設に、地域が注目した。東広島市、商工会議所、地元篤志家…人々がその再生と活用を模索した。その結果、その建物は瀟洒なホテルに生まれ変わった。先日、そのお披露目に招かれた。
 「HAKUWAホテル」という。地元に根付いて活動している「伯和」という会社が買収し、広島大学の関係者の利用はもとより、市民の余暇、文化施設として活用できるよう改築してオープンした。「伯和」の会長、安本養伯氏は、地元では知らぬ人のない立志伝中の成功者である。
 そのオープニングセレモニーに大輪の花が添えられた。安本社長を「父」とも慕う韓流スター、イビョンホンさんがお祝いに駆けつけたのだ。会場周辺には、その情報を聞きつけたファンや近所のご婦人たちが殺到した。色白く髪黒くさわやかな彼は、その人たちに、大きく手を振って応えた。彼の存在は、式典会場を独占した。彼は、「東広島市の発展を心から願う」と挨拶した。
 国民から徴集した潤沢な資金を、湯水のように見境なく乱費した社会保険庁。それに対する裁きはまだ中途だが、その不始末を地域の篤志家と地元の情熱が、新しい施設に産み変えた。
 会議場、ホールなど多目的利用に使えると同時に、プールなどスポーツ施設も完備されていて家族でも楽しめる施設だ。「希望に満ちた再生、ぜひ成功してほしい」式典の中で強く感じた。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »

関連書籍

  • サイフもココロもハッピーに!ちょびリッチ
2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30