銘刀 肥後守
「肥後守」というナイフは今もあるのだろうか。刃渡り10センチ強の折りたたみナイフ
で少年の頃、常備品であった。鉛筆を削り、竹とんぼを創り、薬草を摘む「道具」であった。
砥石でピカピカに磨き、切れ味を競った。
その頃、子供たちは食糧不足で飢えていた。山野は滋養の宝庫であり、空腹を満たす
神の恵みの場であった。そんな中、藪の中に「赤蛙」がいた。太ももが異様に赤かったため
そう呼ばれていた。遊んでいても、その蛙を見つけると、遊びを中断して捕獲した。
「肥後守」で捌いて火にあぶり醤油で食すると、えもいわれぬ味で、今もそれを思うと
懐かしく思う。 そう、蛙の話ではなかった。「肥後守」の話だ。
よく、ケンカをした。いつも素手の殴り合いだった。ポケットに「肥後守」があっても
それを手にすることはなかった。当時のケンカは、「力の誇示」であり「意地の張り合い」でありであったが、相手に対する「憎悪」や「殺意」はなかった。カブトムシの、決して
相手を傷つけることなく、角でつつき威嚇するだけのケンカに似た自然のいさかいであった。
今、刃物は保身の道具とされ、憎悪と殺意の道具と化した。
幼い頃から、人と動物の違いは、「火」と「道具」を使うことだと習った。人間は、動物以外の厄介な存在に成り下がろうとしているのだろうか。
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かつて「男の子の宝物」であった和製ナイフ・肥後守は、今でもネットなどで売られています。
ただ育った環境が浅井様とは違ったのでしょう。私は40年前に広島市内の公立中学校で育ちましたが、ナイフやチェーンなどの武器を使ったケンカは日常茶飯事でした。今では全国どこの学校であれ、そんなことがあれば大きなニュースになります。実体験から見る限りでは、今の子ども達は随分と大人しく良い子になっているように思うのですが、私の育ったところが悪すぎたのでしょうか。
投稿: ヤス | 2008年7月19日 (土) 18時46分
はじめまして
僕も待ってます
ちなみに 小学校は 幟町小学校卒業してます
昭和43年5月生まれです
投稿: 松根康人 | 2011年1月 9日 (日) 22時14分