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2008年7月

2008年7月31日 (木)

副都心線渋谷駅

6月14日、池袋と渋谷を結ぶ副都心線が開業した。
東京では、多分最後の地下鉄だろうといわれている。
池袋を通る東武線、西武線との相互乗り入れがされている。
20012年には東急東横線との相互乗り入れも計画されている。
便利になったことは確かだが、池袋駅周辺に立地するデパートにとっては、お客が減少するのではないかとその対策に必至だ。
今のところそうした努力もあってか、東武、西武デパートとも、お客、売り上げとも増えているという。
競争は当事者にとっては大変なことだろうが、いまのところ全ての関係者にとっていい結果になっている。
繋げて、便利なれば、必ずいい結果になるということだ?

副都心線の渋谷駅は、安藤忠雄が設計したということで話題を呼んでいる。
渋谷駅から何かが生まれるということをテーマにして、卵のような形の空間が嵌め込まれている。
それがどこにあるのか、気をつけてみないと、わからないいというのは可笑しい。
しかし駅全体には不思議な緊張感がある。
安藤忠雄氏特有のコンクリートの打ち放しとステンレスの無色な空間は、かえって色鮮やかな大きな広告看板と大きなサインにマッチしている。
却って広告看板を却って引き立たせている。
安藤忠雄氏の建築も発言も、わかりやすい。
そうしたことも安藤忠雄氏の人気になっているのだろう。

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それに比べて途中の他の駅はなんともつまらない。
賞味期限切れのシュークリームではないが、駅のホームにいることが全く楽しくない。
嫌になってくる。
もうすこし何とかして欲しい。

副都心線の駅は21駅ある。
それらの駅のデザインを変えることは、今からではもうできない。
勿体ないことだ。

それらの駅がもう少し美しかったら、都民の気分はもっと変わっただろうと思われる。
社会インフラとしての土木的施設の果たす役割は大きい。
だからこそ美しくあってほしい。

副都心線の工事費は総額2700億円という。
駅のデザインを良くしたからといって、それにかかる工事費は微々たるものだろう。
全体工事費からみればほんの数%という額だろう。
駅にしても、橋にしても、土木的施設の技術者はどうも美の感覚が欠落しているようだ。

しかしこの渋谷駅のデザインは、駅の魅力を高めていることは確かだ。

これから作られる、或いは改修される駅、橋、高架の道路等土木的施設は、美しくあることを意識して作られることを期待したい。

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2008年7月30日 (水)

ビフォー&アフター

既存の建物の脇にちょっとせりだしてコンクリートの壁を立て、その壁にちょっとデザインを施すことで、全くイメージの違ったしゃれたレストランが創り出されている。
上をみれば既存の建物がどんなデザインの建物かわかる。
古びた、なんの変哲もない建物だ。
お店の看板も新しい大きな板に書かれ、壁に取り付けられている。
こんなちょっとしたことでこんなにも変わるとは驚きだ。
工事費だってほとんどかかっていないだろう。
なかなかのデザイン力だ。
今流行りのビフォー&アフターの一つだ。

本当は、もうちょっと進めて、この新しく設けた壁の一部に専用の入口を設けてほしかった。
現在の入り口には、2階に上がる既存の階段が残っている。
これはちょっと艶消しだ。

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TVで放送されるビフォー&アフターは全面的に改修が施され、元の姿はどこにもないというのが一般的だ。
それでも改修工事だというのはちょっと無理があるケースが多い。
しかし、これは壁一枚を付けただけだ。
そんなちょっとしたことで、こんなにも大きく変わってしまうのには驚く。
こんなやり方もある。
これからの時代の参考にしたらいい。

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2008年7月29日 (火)

七夕と折り鶴

今年の七夕には、本通りのアーケードに折り鶴が飾られた。
様々の色を使い分け、綺麗な模様が作りだされている。
脇の短冊には「平和の願い 空へ届け!」書かれている。
広島らしい七夕飾りだ。

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元々の中国の七夕伝説は、
「織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘であった。夏彦もまた働き者であり、天帝は二人の結婚を認めた。めでたく夫婦となったが夫婦生活が楽しく、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなった。このため天帝は怒り、2人を天の川を隔てて引き離したが、年に1度、7月7日だけ天帝は会うことをゆるし、天の川にどこからかやってきたカササギが橋を架けてくれ会うことができた。しかし7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず牽牛も彼女に会うことができない。星の逢引であることから、七夕には星あい (星合い、星合) という別名がある。また、この日に降る雨は催涙雨とも呼ばれる。催涙雨は織姫と彦星が流す涙といわれている」
という。
大変ロマンチックな話だ。

日本ではいつの頃からか知らないが、七夕の日に、それぞれの思いを短冊に書いて笹の葉に飾れば願いが適うということで全国に広まったようだ。

仙台の七夕飾りが有名であるが、
「第1次世界大戦のあと、1927年に、仙台で衰退した商店街を盛り立てようと大規模に飾りつけが行われた。すると、大勢の見物客で商店街は賑わった。これ以降、「七夕祭り」が集客力のある商店街イベントとして認知され、現在では都市イベントとなるまで発展している。飾りつけに見られるくす玉も、仙台七夕が発祥である。」
という。

広島では、星に願いをすると適うということからか、折り鶴が飾られ、平和を願うようになったようだ。

「岡山市でも、岡山空襲(6月29日)の犠牲者を慰霊する「平和七夕まつり」(平和の波おかやま実行委員会主催)が、岡山市の表町商店街と駅前商店街で開かれ、色とりどりの折り鶴で作られた吹き流しがアーケード街を彩っている。19日まで。」という。
七夕に折り鶴が折られ、飾られるのは、広島だけではないようだ。
折り鶴を飾ることが、全国各地に広がる可能性もある。
そうなれば素晴らしい。

私も平和を願って、折り鶴を飾ろう。

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2008年7月28日 (月)

うらぶくろとイベント

本通りの南にある2本の通りに面する店舗が集まり、地域を活性化しようと「袋町裏通り活性化委員会を発足させた。
7月5日の発足式は、取りあえず駐車場になっているスペースを会場にしておこなわれた。
炭焼き焼き鳥雷、西山酒店のビバレッジコーナー、レストラン暖厨のチャーハン等の模擬店も設けられた。
関係者はお揃いのピンクのTシャツをきて参加していた。
秋葉市長、商工会議所副会頭も出席し、激励の挨拶をした。
メインイベントは通りがかりの人も加わって約300人が手をつないで歩道に並び、ウエーブをしたり、拍手をしたりした。
その趣旨は、皆の気持ちを繋げ、さらに広げていこうということのようだ。
スマイルチェーンと称している。
ちょっと照れ臭かったが、私も参加した。
何か街の賑わいつくりに、一役買っているような気分がしてきた。

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原宿には、通称裏原(ウラハラ)と呼ばれる地域がある。
原宿は今の代々木公園にあったワシントンハイツにはいる表参道に面してオシャレな街ができ、そのあと竹の子族などの若者」文化を作り出した竹下通りが凄い賑わいの通りとなった。
その原宿の街から明治通りを渡った一体、旧渋谷川暗渠に面した極めて個性的な店が並びその地域が裏原と呼ばれている。
広島でもこの「うらぶくろ」の地域には、極めて個性的でオシャレな店がある。
それに倣ったのだろう、それならと開き直って、袋町地区にあることで「うらぶくろ」で行こうということになったようだ。
ネーミングも洒落ている。

今回の企画は、元々は焼き鳥店の女性オーナーの村井氏はじめ数名の店主が呼びかけ人になって始まったようだ。
今回のイベントには、「うらぶくろ」にある200店の内、93店が参加したという。
会としてはいままでも、子連れのファミリーが来やすいようにとおむつを替える場所とか、ベビーカーの貸出場所とかを書き込んだガイドマップを配ったり、地域のお店の割引券を配ったり、皆で掃除をしたりということをしてきた。
ショッピングセンターだって一つ一つの店舗がただ集まっているだけではない、利用客のために様々のサービスをしている、「うらぶくろ」のお店も個々のお店がいいというだけでなく、協力して、地域の魅力を高めることが必要だという思いがあるようだ。

広島では、昨年JT跡地に大型SCゆめタウンができた。
東にはソレイユがあり、西にはアルパークがある。
中心市街地は四方八方、大型SCに囲まれ、売上は73%に減っているという統計もある。
そうしたことへの危機感も背景にはある。

「うらぶくろ」に出店しているお店が個性的であるということは、それだけ個性的なオーナーがあつまっているということでもあるはずだ。
その人たちをここまで纏めてきた努力には敬服する。

今回のこの「うらぶくろ」のイベントは、街をなんとかしようという数人の人の熱い思いと、それを表現する具体的なテーマがあれば、ここまでのことができるということを示してくれた。

建物ができるだけでは、賑わいは生まれない。
こうしたイベントが街の賑わいを創り出す上で、その果たす役割は大きい。
中心市街地には、まだまだ多様なイベントを生み出すポテンシャルは残されている。
それを顕在化させるこうした活動が、大手町、基町等周辺の街にも広がっていくことを期待したい。
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2008年7月27日 (日)

自走式駐車場ビル

三川町に自走式駐車場ビルができた。
5月1日オープンという。
中央通りに面して1階の一部は店舗で、駐車場には裏から入る。
1~9階までは駐車場、10~13階までは事務所になっている。

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自走式の駐車場ビルは、すでに何軒かある。デパート等の付帯施設としての駐車場ビルは大手町のデオデオの脇にもあるし、八丁堀には市の経営する駐車場ビルもある。
しかし駐車場経営を主目的としてビルが建てられたのは、すぐ斜め前にある料亭の跡の新川パーキング、大手町にある大手町グランドパーキングに次いでこのビルが3軒目だろう。
機械式のタワーパーキングも市内にはかなりあるが、それはどうも仮の土地利用という感じがある。
自走式の駐車場ビルは、本格的に駐車場収益を目的とした不動産事業として建てている。
駐車場を主目的にビルを建てても、ビジネスとして成り立つようになったということだ。
この違いは大きい。
特に近頃のように人件費が高くなると、人手のいらない、無人でも管理できる駐車場ビルはいいビジネスとなったということだ。

さらに次の計画が決まるまでのいうことで、とりあえず遊休地となっている土地を、無人有料パーキングとすることはどんどん進んでいる。

中心市街地では、かってのような駐車待ちの車が道路を占拠するということが殆どなくなった。
かっては駐車待ちで何時間も待つのが嫌だからと、郊外の大型SCにでかける人も多かった。
しかし今では中心市街地には約7,000台の駐車場があるという。
中心市街地では駐車場は殆ど充分に整備されたようだ。

広島市では、いままで中心市街地にちょっとしたビル、例えば1,500m²以上のビルを建てようとすると、デパート、事務所では150m²に1台というように駐車場を設けることが義務付けられていた。
義務として作らせなくとも、商売になるとわかれば、黙っていても、企業はどんどん作る。
そろそろこうした駐車場附置義務という制度も必要なくなってきたように思える。

しかし自転車の駐輪場はまだ圧倒的に不足している。
駐輪場をつくることがビジネスになっていないからだともいえる。
以前無人の有料駐輪場について書いたが、駐輪場もビジネスになる可能性はすでにあちこちに見られる。
http://hiroshima.moe-nifty.com/blog/2008/02/post_507c.html#comments
広島でも駐輪場専用ビルが建つのは近いのだろうか?

そうなれば違法駐輪は一掃される?
早くそうなって欲しいと期待している。

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2008年7月26日 (土)

広島市現代美術館と石内都さんの写真展

写真家石内都さんの写真展が、6月28日から8月6日までの間、広島美術館で開かれている。
被爆者が身につけていた衣類や装飾品を撮り、ヒロシマを表現している。
被爆した衣類はボロボロだが、妙に色彩は鮮やかであり、素材には力強さがある。
しかしこの衣服を着ていた人はもういない。
衣服だけが残っている。
不思議な感覚に陥る。

石内さんは広島の平和資料館の展示に、写真家として強い刺激を受けたという。
石内さんはこの写真を持って、世界を回るという。
広島に刺激されて、素晴らしい作品を創り出した芸術家は多い。

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別のコーナーでは、原爆ドームをモティーフにした何人かの作品も展示されている。
土田ヒロミ氏の原爆ドームの周辺の建物の変化を10年ごとに撮った写真もある。
原爆ドームは全く変わらないのに、周りにはどんどん新しいビルが建っていく。

こうした写真も、東京で見れば、ただの街の変化の記録としてしか見ないだろうが、ここ広島でみると、様々のことが考えさせられる。
広島で見るからこそ、価値があるともいえる。

こうした展覧会の意味は深く、大きい。
改めて広島市現代美術館の果たしている役割の大きさを知る。

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2008年7月25日 (金)

びっくりAN「今夜もごゆっくり……」

アナウンサーという職種には、個性派が多い。同期生の原かんじ君もユニークな人物だった。彼には4人の娘さんがいた。子煩悩な彼はいつも4人の娘自慢をしていた。「長女は皇室に嫁ぐ。次女は政界で3女は財界だ」誰かが「では4女は?」と尋ねると「ホステス、俺が毎晩通う店だ」とうそぶいた。彼の話にはいつもオチがあった。
 彼は大の酒好きであった。ある晩、流川のスナックで隣り合わせた客に、「明朝、俺の番組で君の名前を放送する」と約束した。その客は、「岡峰」という人だった。翌朝、マイクの前で放送を始めた原アナは「おはようございます。オカにもミネにも春が来ました…」と語り始めた。ラジオに耳を傾けていたオカミネ氏もびっくりしたことだろう。
 当時、ゴールデン番組のスポンサー名のアナウンスは、生放送で行われた。
問題を起こした番組は明治乳業提供だったと思う。スタンバイでスタジオ入りした彼は、スタジオの技術屋さんに「もし森永乳業とやったらもめるだろうなあ」と冗句を飛ばしていた。放送が始まった。本番生放送で彼は「この番組は、モリナガ乳業の提供でお送りします」とやってしまった。
スタッフたちは、立ち上がって騒然となった。前代未聞の放送事故である。
このあと、営業スタッフや責任者がどれほど走り回ったかは思いはかることができる。
 その時代、テレビ番組は深夜12時半から1時半ごろには終了した。終了直前には、ハープを演奏する女性のシルエットの画像を背景に、宿泊のアナウンサーがアドリヴアナウンスで一日を締めくくる。おおかたは「夜もふけました。どうぞ戸締り、火の元をお確かめの上、ごゆっくりお休みください」というのが定番であった。
 ある夜彼は、テレビ番組終了のためスタジオへ入った。「戸締り火の元をお確かめの上、どうぞごゆっくりお楽しみください」……スタジオの外のスタッフは一瞬耳を疑った。やがて笑いが広がり、「彼らしいなあ」というささやきが広がった。
その愛すべき原かんじ君は喘息がもとで、転院先の大阪病院で急逝した。享年38歳。惜しまれた15年のアナウンサー暦であった。

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2008年7月24日 (木)

ダンサーに蹴られたアナウンサー

京都大学出のインテリのアナウンサーが開局後まもなく入社した。ド近眼の眼鏡をかけた小柄なY氏、物静かだが大酒のみでバンカラ精神の持ち主だ。
 ある真夏のお昼時、暑さに耐えかねたYアナは局舎近くの京橋に出て橋の欄干から京橋川に飛び込んだ。「真っ赤なふんどしが鮮やかだった」と目撃者は語っている。今なら、数台のパトカーがサイレンを鳴らして集まる騒ぎになっていただろう。

柏村武昭氏が入社して間もない頃のことである。彼が宿直の時、先輩のHアナは、将棋を指していた。ニュースを伝える時間が迫っており、柏村氏は「先輩、あと5分しかありませんよ」と伝えた。かのHアナ「まだ5分ある…」将棋は正念場に差し掛かっていたのだろう。気がついたらニュースの時間は過ぎてしまった。「ああ!過ぎてしまいましたよ」という柏村アナに、Hアナ「過ぎてしまったものはどうしようもない」と将棋を指し続けたという。
 ニュースの数分間、RCCラジオは、無音のまま過ぎた。
 
当時、宿直アナウンサーは、朝10時に勤務が終了して自由時間となる。ある朝
勤務明けとなったKアナウンサーは、同僚アナとさる劇場に向かった。昼日中から怪しげな演技を披露する「広栄座」という劇場である。当時市内には、こうしたいかがわしい劇場が3箇所あった。デスクのTアナはもっぱら広島駅近くの「二葉劇場」のファンであった。
Kアナは最前列に陣取って、やがて始まるであろう魅力的な踊りに期待を抱いていた。が、前夜酒を飲み明かして一睡もしていなかったKアナは、開演まもなく深い眠りに誘い込まれていったのである。気がついたときKアナは、ダンサー嬢に足蹴にされ、「気に入らんかったら去んで寝ッ!」とどやされた。誇りを傷つけられた彼女の怒りはもっともだ。客としての面目をなくした彼は2度と広栄座に足を運ばなかったという。「全国アナウンサー多しといえども、ストリッパーに蹴られたアナウンサーはお前一人だろう」当分評判であった。

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2008年7月23日 (水)

「族譜(チョッポ)」が示唆するもの

 戦前、日本が朝鮮半島で行った朝鮮名を捨て日本名に改めさせる「創氏改名」を描いた梶山俊之の小説をジェームス三木の脚本演出する青年劇場の「族譜(チョッポ)」を見た。

 父上が朝鮮総督府の技師だった梶山は京城(現・ピョンヤン)で生まれ、戦後両親の郷里の広島で育った作家だ。会場は奇しくも彼の記念文学碑が敷地内にあるアステールプラザで、公演は日本近代史の重要な部分で、熱の籠った重い舞台だった。

 親日家で地主のソル氏は700年にわたって受け継がれてきた「族譜=家系図?」を守り抜こうと「創氏改名」に抵抗する。朝鮮総督府(日本政府)は応じないソル氏に家族への嫌がらせや娘の婚約者にひどい仕打ちをして改名を迫る。仕打ちが孫へ及んだ時に改名をしたソル氏は命を絶って民族の誇りと尊厳と「族譜」を守る。
 劇中でも出てくる豊臣秀吉、加藤清正が侵略の限りを尽くしたたが長い歴史の中では朝鮮通信使など友好交流も深めてきた。しかし、明治政府は対中国対ソ連を理由に朝鮮の皇民化を進め言葉も日本教育も押し付け、「創氏改名」で植民地の仕上げを狙う。「創氏改名」は世界の歴史に類がない民族の歴史と尊厳を深く傷つけるものだった。

 見終わって2つの事が思い浮かんだ。ひとつは10余年前初めて大邱を訪ねた時に聞いた話だ。秀吉の朝鮮侵略時、『サヤカ』を名乗る日本武将が「秀吉の戦いに義はなく、礼と義の国を侵すことはできない」と朝鮮側について秀吉に盾突き形成を逆転させ、その後数々の武勲をたてた。今も大邱には『サヤカ』を祀るお寺があり尊敬されている。子孫は13代目の当主以下300人、全国には一族が7千人もいると言う…日本では知られない、知らされていない裏面史であり、韓国における優れた日本人逸話だ。

 あとひとつは拉致被害者とその支持者達のことだ。被害者家族の苦しみや悲しみは理解できる。日韓では解決したがいまだ未解決問題を抱える北朝鮮がある。しかし、長い歴史上積み残され問題を解きほぐす場合どこから手をつけ整理するか難しい。拉致被害者は確かにまだ生存の可能性が高い人も多いだけに急がねばならない。だが、解決すべきは歴史の手順に従うのが筋だ。北朝鮮を“テロ国家”と位置付けるかどうかより、過去に日本が朝鮮で何をしたのか歴史を正視する大切さが重い。6カ国協議やサミットの力も必要な時はあろうが、まずは日本自身の判断が改めて問われる重要な時期に来ている。
 
 二度目の小泉訪朝時の「平和条約締結(案)」を一気に進め、同時に拉致問題の解決を進めることこそ急務ではないか。水色のバッジを胸にした国会議員・有識者たちよ! 一度「族譜」を見て改めて日朝問題に取り組んではいかがか?貴方はどう思われますか?

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2008年7月22日 (火)

「ダビング10」と放送局の使命

 最近ニュースのほかCMにも「ダビング10」という言葉を耳にすることが多い。
 加えて、以下のような事態に出くわして改めてTV番組のコピーや著作権について考えた。
  
 4月に亡くなった知人の偲ぶ会を開くことになった。世話役が集って会の持ち方を相談した所「彼の活動を熱心に報道、番組化された映像を通じて“在りし日を偲び”その志を改めて心に刻もう」と期せずして声が上がった。
 早速、実行委員会の責任者名で某局に「番組映像利用」の協力要請をした.所、「著作権・コピーから事務手数料」など経費の有料制などの問題が出た、が協力頂けると信じている。

 TVの録画については従来から私的利用を目的にした複製は著作権法で認められている。しかし、新しいデジタル放送では従来のアナログ放送に比べて画質の劣化が無いため、受信者によるコピーを際限なく許せば映像、映画や音楽などの著作権者の利益を損うことやDVD販売などにこれまで以上に大きく影響することが予測される。

 このため「番組の複製・コピーを10回まで出来る仕組み=ダビング10」が7月4日から法規的にスタートした。ハードディスク(HDD)を内蔵したレコーダーで録画後、DVDやブルーレイディスク(BD)携帯プレーヤー用メモリーカードなどに計10回コピー出来、それ以上は制限される。著作権保護のための規律である。
 
 視聴者(私的利用)にとっても製作者・著作者にとっても当然の妥当な対応と言えよう。キー局や準キー局、地方局の場合はどうだろうか。基本的には変わらない。

 上記申し入れに対する結果はまだ示されていないが地方局が制作著作権を基に営業する場合はせいぜい「映像のCM使用」か「大量コピーによる映像販売」に限定され、既存映像の販売は極めて少ない。従って、キー局等と同じスタンスで対応する事は好ましくない。

 特に広島の局の場合は「ヒロシマの世界化」に“被爆証言”など地域から有形無形の多くの協力を得て共に築いて来た歴史がある。「ひろしま応援団」「コミュニケーション放送局」を標榜する局があるのはその典型的な表れである。

 広島の放送局はもっと積極的に「ヒロシマ・映像ライブラリー」を地域だけに留まらず、ヒロシマ修学旅行を目指す全国の学校や文科省が学習指導要領の解説書に書き込みを新たに認めてお墨付きを出した“平和学習”に活かされる「ダビングと協力」を期待しエールを送りたい。
 近年はこれに個人情報保護法が絡んで映像の扱いは極めて神経質にならざるを得なくなっている。しかし、画面上“本来なら同意を得るべき人物”の確認が得られない為に上映に同意しないのではなく、マスクをかけてでも(ぼかしを入れる)上映すると言う善意の違反(あまで同意がない事)者であって欲しいと思うのは無理難題になるのだろうか。

 「ダビング10」は放送機材とその発達に伴う問題であるが、「映像コピーと著作権」は本来国民のためあるTVの存在価値を問い直す問題であり、「金銭に縛られた杓子定規な管理上の問題」か「地域とともに育ったと言う心根を大切にする問題」か、放送局はどちらの立場に立つかが問われる問題でもある。

 在広放送局が、共同で「ヒロシマ・映像ライブラリー」の設置や運営が出来ないものか…放送局が内部の財産と考えて持ち続けるなら宝の持ち腐れになりかねない。
 積極的に開放して活かす方向を目指せば『ヒロシマの放送局』として意義づけは大きい。
 そのための在広局間協議の提唱、広島市や平和文化センターと協議を期待・要望したい。

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2008年7月21日 (月)

拓かれるか、米国の「核廃絶世論」!?

 6月23日の記事「期待できるかオバマの『核廃絶』議論」に、数日後<JNICC勝見>氏からコメント投稿を頂いた。

 核廃絶を考える:ケリー元大統領候補が米主導の核廃絶を提唱 …との投稿だ。
 『出張先で読んだ25日付の英フィナンシャルタイムズに、上院議員であり元米大統領候補でもある民主党のジョン・ケリー氏が寄稿した「America look to world of nuclear weapons(核兵器のない世界を望むアメリカ)」と題したコメントが掲載されていた。コメントの中でケリー氏は、両党の大統領候補が声を揃えて「核兵器のない世界」を提唱しており、驚くべき超党派のコンセンサスが形成されつつあるとして、革新的なアメリカの核兵器戦略誕生の展望を示した。次期大統領はこの「公約」を実現する為、就任半年内に4つの事をすべきだとして、アメリカが主導する「核兵器のない世界」の具体的な指標を紹介している。』右記Blogで記事をご覧ください。  http://blog.goo.ne.jp/jnicc_org_tk_06

 つまり、ケリー氏によれば、民主党の大統領候補オバマ氏は昨年10月段階で「アメリカは核兵器のない世界を望んでいい」と述べ、共和党の候補者マケイン氏も先月「核のない世界」を目標にすることを公言した…と勝見氏は『米国核廃絶議論は可能!』との指摘だ。

 それは、ケリー氏が米国新大統領(2大統領候補者)に「核のない世界」ビジョンに向けて、次の4つの具体的な行動で提示していることでも判る。①米国民に向けて「核兵器のない世界」に向けた方針演説を行う②核テロ対策を専任する新たな大統領次席補佐官を設置する③新設担当官に核廃絶促進計画(逆マンハッタン計画)を指揮させる④基本政策にポスト冷戦的核軍縮促進の枠組みを組み入れる…である。
  果たして、この提案がどこまで活かされるだろうか?大統領選で論戦されれば「核廃絶の道=米国世論」は拓く可能性が一気に高まる。米国内で巡回開催中の「原爆展」もインパクトになって、米国ではかつてない状況が生まれる条件がある…と言う訳だ。

 投稿頂いた<JNICC勝見>氏はオランダのハーグにある国際刑事裁判所(ICC=国連加盟106ケ国批准)の「翻訳品質管理者」の肩書で ボランティア活動をしている翻訳者(本業は翻訳会社の翻訳者)で「国際連絡担当」だ。<参考:Blog>

 ICCには日常的に国際的な政治課題や紛争問題とその恐れのある課題が持ち込まれており核を巡る問題の提起提訴も多いいようだ。それだけに“このBlog”の核に関する情報入手も早く、明快な倫理で掲載されていて面白く、広島にとっては興味深い。

 それにしてもこれらの情報が日本のマスコミに取り上げられないのは何故だろう?不思議だ。私が承知していないだけだろうか。
 米国大統領選を巡る『核廃絶・情報』は。この<上記Blog>でも期待できる
是非ご覧頂きたい。

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2008年7月20日 (日)

ピオーネの季節

 広島にはいろいろな名産がある。この時期のチャンピオンは何と言っても三次のピオーネだ。やっと、市内のデパートの果物売り場に並び始めた。夏の暑さと梅雨の鬱陶しさを吹き飛ばす味と香りは夕張メロンにデンスケスイカや水密桃に比べようがない逸品だ。
 強い甘みがありながら爽やかな酸味があって、すっきりとした味が特徴だ。
 
 岡山生まれと思っていたが50年前、静岡で巨峰とカノンホールマスカットを交配して生まれた。ピオーネはイタリア語の開拓者(パイオニア)の意味。三次のピオーネは米に依存した農業構造から脱却しようと‘74年(昭和43年)に24戸の農家が県の果樹試験場の指導で生産組合を立ち上げてスタートした。

 海抜300メートル前後の丘陵地で山陰と山陽の中間的な内陸型の気候で夏は暑く冬は低温で年間平均気温が13度前後に降水量は年間1600ミリ、積雪は20センチ前後。秋から春の晴れた日には川霧に覆われる日が多いのが特徴で20戸が32haで栽培している。
 この時期に出荷するためには冬の間からビニールハウス内の温度管理をして育て、盆明けまで出荷される。ここでも重油の高騰が大きく響いているが、雨が少なく昼夜の温度差などの天候に恵まれて色も味も良好…で、8月末から10月初旬までは露地ものが出回る。

 初めて口にしたのは30年くらい前、導入を強く推した当時の竹下副知事の口利きで三次の生産組合の人たちが県庁の記者クラブにPRのために持ち込んできた。当時は生産量が少なく一粒数百円?と値段も高く、東京や大阪の高級料亭や専門店への出荷が中心で広島の一般店頭ではお目にかかれない超高級品でもあった。

 生産者は集荷の半年も前から市場と綿密な打ち合わせの上出荷計画を作り、品質規格の統一を図った厳しい選果で高品質を保ち安定した出荷を維持し高いブランド化に成功した。
 広島カキや広島菜でも同じような計画的出荷が成功の陰にある。旨いから出来るだけたくさん生産して出荷する…のは消費者のため?と誤解するむきがあるがそれは違うようだ。
                    
 私が全国の友人たちに「黒い真珠」を届けるようにようになって10数年になる。冬のカキと並んで楽しみに待っている人に届くけられると必ず電話が来る。弾んだ声は満足の声だ。ふるさと自慢の宅配便を始める時期が来た。今年も秋までかけて徐々に届けようと思う。

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2008年7月19日 (土)

銘刀 肥後守

「肥後守」というナイフは今もあるのだろうか。刃渡り10センチ強の折りたたみナイフ
で少年の頃、常備品であった。鉛筆を削り、竹とんぼを創り、薬草を摘む「道具」であった。
砥石でピカピカに磨き、切れ味を競った。
 その頃、子供たちは食糧不足で飢えていた。山野は滋養の宝庫であり、空腹を満たす
神の恵みの場であった。そんな中、藪の中に「赤蛙」がいた。太ももが異様に赤かったため
そう呼ばれていた。遊んでいても、その蛙を見つけると、遊びを中断して捕獲した。
「肥後守」で捌いて火にあぶり醤油で食すると、えもいわれぬ味で、今もそれを思うと
懐かしく思う。  そう、蛙の話ではなかった。「肥後守」の話だ。
 よく、ケンカをした。いつも素手の殴り合いだった。ポケットに「肥後守」があっても
それを手にすることはなかった。当時のケンカは、「力の誇示」であり「意地の張り合い」でありであったが、相手に対する「憎悪」や「殺意」はなかった。カブトムシの、決して
相手を傷つけることなく、角でつつき威嚇するだけのケンカに似た自然のいさかいであった。
 今、刃物は保身の道具とされ、憎悪と殺意の道具と化した。
幼い頃から、人と動物の違いは、「火」と「道具」を使うことだと習った。人間は、動物以外の厄介な存在に成り下がろうとしているのだろうか。

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2008年7月18日 (金)

さり気ない高齢者への配慮

 5月に古希を迎えた。杜甫が自ら70歳を「70は古来希なり」と言ったこと由来する。
 平均寿命84~5歳の今では70歳は老人の入り口だ。

 それにしても今年は長寿国日本の高齢者対策が冷淡だと批判が噴出した。
 「後期高齢者医療制度は姥捨て山」と厳しい批判にさらされ、予備軍としてはこの国の老人対策の軽薄さが露呈して情けなく腹立たしい思いだ。

 古希を境に広島市から2つの通知を受け取った。いずれも70歳以上の高齢者に対応する広島市の助成制度の活用案内である。
 ひとつは国民健康保険の高齢受給者証の発行である。70歳以上でも負担は2~3割に変わりはないが市民税課税所得が145万円以下の人は1割で済むという。残念ながら結構、感謝される人は多いと推測する。

 いま一つは、公共交通機関を利用する際の助成制度だ。「高齢者の外出のきっかけづくり」として、市内のバス・電車も利用券が交付される。対象は広島市に住民基本台帳か外国人登録原票に登録している70歳以上の人だ。
 たとえば市内バス・アストラムライン・電車で6,000円カード1枚。JR回数券引き換え券(1,400円券×3枚、1,250円券×1枚)タクシーチケット(500円券×12枚)などたくさんのメニューがある。高度成長期にはフリーパスを出した時期もあった…。

 財政が厳しい今は、70歳以上なら誰でも利用できる訳ではない。一定の所得制限はある。
 年金収入が年間340万円で国保の支払いが年間25万円、控除対象配偶者、扶養親族が0人の場合では公的年金控除額160万円を除くと課税対象額は155万円で結果所得限度額159万5000円以下であるため、この制度が利用できる対象になる。

 市の年間予算がどれ程あるか判らないが、かなり多くの高齢者がこの制度を活用できることになろう。街中に住んで徒歩と自転車で大抵の用事が済む私にとって利用価値は低いが、周辺団地や郊外に住む高齢者は大いに活用すればよいと思う。『高齢者の外出のきっかけづくり』とは、使いやすさを演出する役所の“さり気ない高齢者への気配り配慮“が感じられて嬉しい。

 こんな世知辛い時代に、この街の良さや優しさをこうした行政施策を活用することを通してでも実感できるのではなかろうか。“人に優しく高齢者に温かい街”をより多くの人が実感できる時、広島は世界に誇れる街に成熟して行くのだろう。

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2008年7月17日 (木)

“平和教育”に国がお墨付き?

 6月30日の夜のTVニュースは一斉に「小学校で原爆投下や沖縄戦の歴史を判り易く指導する方向づけが出来た」と放送した。
 翌日の新聞もそれなりに報道しているが、今更…なんだ?と反発する人は多いと思う。
 文科省が2011年度からの新しい学習指導要領の解説書に広島・長崎への原爆投下や沖縄戦や各地の空襲など戦災の事例を明記する方針を初めて決めた。国が初めて“平和教育”の指針を示して、各都道府県の担当者に説明した…と言う報道である。

 小学校で原爆投下や沖縄戦について全く扱われていない訳ではない。が、極めて不十分との認識を長い間、強く持ち続けている人は多い。全国的に見ると「8・6」や「8時15分」が判らない児童が大部分で、広島県内でも増えているのが現状のようだ。
 
 県内では広島県教職員組合と被爆教師集団などが「平和教育センター」を構築して副読本作りや視聴覚ライブラリーなど独自の教材による平和学習に取り組んできた。しかし、旧文部省の「是正指導」で県教委が副読本や平和教育の排除を進め、教組の組織力低下と並行して「平和教育」はここ十数年で急速に後退した。たまりかねた広島市教委は一昨年から小学校に「8・6登校」を復活し「平和学習」の再構築に動いた。
  
 今回、文科省が「平和教育復活」?とも受け止められる方針転換したのは其れなりの訳があった。昨年高校の日本史の教科書検定で「沖縄戦の集団自決は日本軍の強制」の記述削除に沖縄県議会や県民が激しく反発して「軍の関与」を復活させた。渡海大臣が「沖縄戦に関する学習が一層充実するよう努めたい」と約束していた。
 
 新しい解説書に「沖縄戦」や「広島・長崎への原爆投下」「東京大空襲や全国の戦災」が書かれ教師の指導指針に明記されたからと言って簡単に「平和教育」が蘇るわけではない。
 かつて私たちの時代に教員免許を得るには「憲法」は必須科目だった。いつの間にか必須から消えて「平和教育」も疎んじられるようになった。
 いまや、現場に戦争体験持つ教師はいない上、纏まった手引書などはない。戦争の恐ろしさ悲しみや怒りを子供たちにどう伝えるか、失われた経験は簡単には取り戻せない。
 しかし、いつか来た道…と嘆くことがあってはならない。そのために2011年の新指導要領の実施に向けて広島市が蓄積し、いま修学旅行のために準備している教材や手引書や資料などを国や全国の学校現場へ積極的に提供し協力する仕組みを考える必要があろう。

 国が初めて「平和学習・平和教育」にお墨付きを与えた…と前向きに受け止めれば、遅すぎたとは言え広島や長崎が率先して協力する意義は大きく、やるべきことも多い…。

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2008年7月16日 (水)

シネ・クラブによせて(4)

 広島平和教育映画ライブラリーは劇映画にアニメ(紹介済)と記録映画の3部門がある。
記録映画の大部分は30~50分の作品が多い。学校上映を進める上で1時間以内は必要条件だった。
‘90年以前の作品ばかりだが、平和教育の扱いが県教委の指導で遠ざかり始め、学校での上映会が遠のいていった裏返しを証す結果になっているのは残念なことだ。

 広島の代表的な記録映像は原爆資料館の東館1階で毎日3~4回、上映されている。
市民募金で入手した米軍爆撃調査団が被爆直後に撮影していたフィルムの中に自分の姿…。
10フィート映画第一弾「にんげんをかえせ」 ‘82年 橘佑典監督 NA・大竹しのぶ 20分
10フィート映画第二弾 「予言」 ‘82年 羽仁進監督  45分
10フィート映画第三弾 「歴史―核狂乱の時代―」83年 羽仁進監督 116分 10フィート総集編

 資料館上映は一般見学者がいつでも無料で見られるようにセットされているが意外に知られていない。決して、薄らいでいないヒロシマの63年前が再確認される貴重な存在だ。
 以下、広島に偏った記録映画10作品を雑にピックアップした。
(1)原爆の図 ‘52年 28分 NA:山本圭   
被爆直後に故郷に入市した丸山位里・俊夫妻の作品を峠三吉の詩の朗読を挿入しながら紹介する…。
(2)ヒロシマ原爆の記録 ‘70年 30分 20年9月、日本の学術調査団は被爆の実相と治療活動を調査で広島入りし、撮影を開始。10月、突然フィイルムを米軍が持ち去り25年後に返還された。NA:宇野重吉
(3)広島・長崎’45年8月 ‘70年初輸入 18分 米軍が撮影したものや、日本の調査団から持ち帰ったフィルムを活用した最初の、まとまったレポート。コロンビア大学が制作し、国内初上映された? 
(4)ドキュメント8・6 新藤兼人監督 ‘78年 85分 戦後33年、今なお続く原爆の悲劇を広島とアメリカでロケし、返還フィルムを活かしたドキュメンタリー。
(5)ヒロシマ・ナガサキ 核戦争がもたらすもの ‘82年 45分 企画:広島市長崎市
飯島広大学長と庄野直美女学院大教授が纏めた「広島・長崎の原爆被災」(岩波書店)に基づいて科学的視点から、原子爆弾の総合的被害を描いた記録。
(6)迫りくる核の脅威 ‘78年 国連 30分 各国の核兵器の実態を紹介し、核の脅威を訴える。
(7)生きるための証言 ‘84年 59分「今こそ私たちが語らなければ、世界が滅びる!」と被爆体験証言 
(8)赤い月の街 ‘85年 35分 呉空襲を、市民の手で買い戻した記録フィルムと影絵で呉の戦災を再現。
(9)沖縄戦―未来への証言 ‘86年55分 「返還・沖縄戦記録フィルム」で実相を明らかにしていく。 
(10)ヒロシマ母たちの祈り ‘90年 30分 広島平和文化センター NA:杉村春子

3部に分けてピックアップした作品すべてを無料で鑑賞できるわけではない。希望に沿って鑑賞の機会を作りたい…。一般の洋画・邦画は徐々に紹介します。
ご要望は
<HP: http://cc.hiroshima.ciao.jp E-mail:cc.hiroshima@gmail.com>へ記入ください

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2008年7月15日 (火)

シネ・クラブによせて(3)

 広島平和教育映画ライブラリーの中のアニメは40本近くある。
 何よりも広島映画センターが企画製作し全国に配信したのが「はだしのゲン」の中沢啓治原作のアニメ『かっ飛ばせドリーマーズ~カープ誕生物語~』(’93年制作、90分)だ。

 8月12日(火)18時30分~横川の西区民文化センターで「シネマ・クラブひろしま」の特別上映会を開く。当日は会員でもある中沢さんに「カープ誕生当時のヒロシマ」を特別に講演して頂く。市民球場が完成前の試合やたる募金などのカープ草創期の話が聞ける。

 進は原爆で両親を失い、原爆症で寝たきりの弟・歩と暮らしていた。日々の生活に追われる進にとって大きな楽しみは野球だった。進は野球仲間と毎週のように呉の進駐軍基地を訪れて若い兵士たちのチーム「ヤンキース」と試合をしていた。勝てば缶詰や食料品がもらえる。寝たきりの弟を抱えて自活する進にとっては、生活がかかった試合でもあった。
 その頃、プロ野球チームが各地につくられ始め、広島にも市民球団として「広島カープ」が誕生することになった。進をはじめ少年たちは狂喜し、期待に胸を高鳴らせるのだった。そして、広島での開幕戦を迎えたその日…。
 声の出演は広島出身で大のカープフアンの風見しんごや相原勇に往年の小さな大投手で監督も務めた長谷川良平さんや衣笠祥雄さんも花を添えている。その他の作品を紹介する。

(1)対馬丸 ‘82年70分 昭和19年8月22日、学童疎開船・対馬丸は魚雷攻撃を受けて沈没した。1458 名の犠牲者を出した世界子供史の中でも稀な悲劇的事件。ドキュメンタリー・アニメ。 
(2)はだしのゲン ‘83年 80分 ゲン・アニメ化第一弾
(3)はだしのゲンⅡ  ‘86年85分 ゲン・アニメ化第二弾<戦後激動編>
(4)黒い雨に打たれて ‘84年 95分 原爆投下から30数年経った広島。スナック「赤馬」を舞台に、そこに出入りする被爆2世の生きざまを通じて原爆への怒りを描く。中沢作品。
(5)火垂るの墓 ‘89年 88分 高畑勲監督 国際・日本映画祭多数受賞 野坂昭如原作のアニメ化
   終戦を挟んだ3か月間に両親を亡くした兄妹、どう生きたか…を感情豊かに描く…
(6)かんからさんしん ‘89年 79分 「平和」「生きる」「文化」とは…。沖縄を通して考える…
(7)クロがいた夏 ‘90年 69分 戦争末期の広島で少女と拾った猫との心のふれあいを描く。
(8)後ろの正面だあれ ‘91年 90分 20年3月。質素にも明るい下町の職人一家。大空襲で6人家
族を失う。家族愛を通して“戦争”を告発した蛯名香葉子(林家三平夫人)原作
(9)お星さまのレール ‘93年 小林千登勢の朝鮮半島からの引き上げ体験を少女の目からアニメ化。
(10)ピカドン ‘78年 10分 木下蓮三監督 国際的に高い評価のヒロシマ・アニメの原点的作品
 短編作品(10~30分)が多い。次回は記録映画部門を紹介する。
 一般邦画洋画は徐々に紹介する。鑑賞ご希望の声を<HP、E-mailに>寄せてください。(続く)

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2008年7月14日 (月)

シネ・クラブによせて(2)

 映画センターが上映権を持つ作品は約500本に及ぶ。ライブラリーの中から“これは見てみたい”と思う作品を独断と偏見でピックアップしてみたい。
 貴方が“これが見たい”とか『こんな作品はないの?』と思われる場合は遠慮なく、当ブログに書き込んでいただくか別途<「シメマ・クラブひろしま」HPかメールにご連絡下さい
HP:http://cc.hiroshima.ciao.jp E:mail : cc.hiroshima@gmail.com>

先ず広島平和教育ライブラリー<劇映画・記録映画・アニメ>からピックアップしてみる。
① 長崎の鐘 ‘50年 大庭秀雄監督 若原雅夫・月丘夢二 90分白黒
  長崎で被爆し、妻を亡くした永井隆博士は幼い子供たちを残して白血病で帰らぬ人になる…
② 原爆の子 ‘52年 新藤兼人監督 宇野重吉・乙羽信子 90分白黒
  原爆で肉親のすべてを失った孝子は、被爆当時勤めていた幼稚園の園児たちに会った。盲目の知人とその孫太郎を孝子は引き取る決心をするが…
③ ひめゆりの塔 ‘53年 今井正監督 津島恵子・香川京子 130分白黒
   太平洋戦争最後の決戦場になった沖縄の女学生が一億玉砕の掛け声とともに抗戦し全滅した実話
④ ひろしま ‘53年 関川秀雄監督 岡田英次・月丘夢二 100分白黒
   一瞬の閃光とともに焼けただれた広島。街には浮浪児があふれ人々は窮乏する。作文集「原爆の子」を基にした日教組の自主製作映画。
⑤ 千羽鶴  ‘58年 木村荘十二監督 菅井美智子・島田屯 70分白黒
   争いの絶えない貞子の学級に、新しくやってきた先生を中心に学級づくりが進んでいく。ある日、原爆症の出た貞子の回復を願って級友たちは千羽鶴を折り続けるが…
⑥ 第五福竜丸 ‘58年 新藤兼人監督 宇野重吉・乙羽信子  110分白黒
   54年4月、太平洋のビキニ環礁でアメリカの水爆実験による死の灰を浴びた漁船第五福竜丸。
   船員の中でも年長者の久保山愛吉無線長はついにその犠牲となってしまった。
⑦ ヒロシマの証人 ‘68年 斎村和彦監督 望月優子・磯村みどり 105分白黒
   母の死で初めて胎内被爆者であることを知り、絶望する康子だったが、被爆者の遺伝学的影響について、根強く運動するまわりの医師たちの激励でヒロシマの証人として生きて行くことを誓う。
⑧ 青葉学園物語 ‘80年 大澤豊監督 市毛良枝  103分白黒
   敗戦後の戦災孤児収容所施設の中で子供たちが逆境にもめげず、人間として一番大切なやさしや思いやりを体得しながら成長していく…元気な姿を描く
「冬のリトルボーイ’82年 木之下晃明監督 100分」「さくら隊散る‘89年 新藤兼人監督 115分」「黒い雨 ’89年 今村昌平監督 123分」「戦争と青春 ‘91年 今井正監督 104分」「八月の狂詩曲
‘91年 黒沢明監督 98分」「月光の夏 ‘92年 神山征二郎監督 110分」など戦争と平和、ヒロシマ・ナガサキをテーマにした作品が多い。次は、アニメと記録映画からピックアップしてみる。
鑑賞ご希望やご意見のある方は<上記の「シネ・クラブ」HPかE-mail>に…記入ください。 (続く) 

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2008年7月13日 (日)

シネ・クラブに寄せて(1)

 いい映画を見たい、見せたい…と「シネマ・クラブひろしま」を立ち上げた。
当面年4回の上映会と会員対象に月1回のペースで『ワンコイン・ミニ上映会』をしようと計画中だ。ヒントはいくつかあるが何と言っても他同様クラブでは真似が出来ない…貴重な財産というか蓄積を活用できる特典がある。広島映画センターの全面的支援である。

 本屋の店頭に名画のDVDが並ぶようになって2年近くになる。先日亡くなった水野晴郎さん「いやあ、映画って本当に良いもんですね・・・」の解説付きである。ケース裏面に*この作品は製作されて50年以上経過しているため原版のフイルムの状態によっては見ずらい部分があることを予めご了承ください…とか、家庭内の個人的視聴目的で販売。複製、頒布、上映は法律で禁止されている…と注意書きがある。

 当然製作会社との間で著作権や諸課題(50年以上経っていても映像所有権や上映権は現存する)をクリアーしての日本での販売だ。500円はまさに『ワンコイン』で映画フアンにとってはうれしい商品だ。早速4~5本を買ってみた。
 エリザベス・テーラー主演の‘54年の「雨の朝パリに死す」キング・ヴィダー監督の’28年制作「群衆」’32年ゲリー・クパー主演の「武器よさらば」’52年グリゴリー・ペックとエヴァ・ガードナー共演の「キリマンジャロの雪」(ジェロでない)などだ。
 但し書きにあるように確かに映像は暗く傷も多く音声も良くない。しかし、これがたった500円。家庭に居ながらにして楽しめるのだから価値は十分あると思う…が。

 前置きが長くなったが“こんな(次回から作品紹介)映画が、いま広島で気軽に見られたら…貴方は参加されますか。
‘72年に設立された広島映画センターは35年にわたって自主的な企画製作・上映活動を続けてきた。 広島平和教育研究所と「広島平和教育ライブラリー」を設立し、初の原爆告発のアニメ「ピカドン」の製作協力・配給。「青葉学園物語」企画製作。10フイート運動の促進と映画製作…アニメ「はだしのゲン」製作協力と上映、国際アニメーションFの協力、「クロがいた夏」アニメ「かっ飛ばせドリーマーズ」製作上映など、挙げれば限がないほど多くの実績と経験に多くの作品の上映権を持っている。

 「シネマ・クラブひろしま」の中心になっている若者達はこの映画センターの歴史と蓄積を知って驚くとともに会の運営や実施に全面的な協力を取り付け、映画センターがストックし上映権をキープする邦画・洋画数百本の中からピックアップして『ワンコイン上映会』を会員対象(これは映画代ではない。交流費)に小規模でスタートさせようと企てている。
 他ではなかなかまねのできない魅力的な企画の中身を少しのぞいてみよう。(続く)
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2008年7月12日 (土)

川の不法係留船

 国土交通省の太田川工事事務所が今年も広島市中心部の河川で不法に係留しているプレジャー・ボートの撤去作業を進めている。
 今回の撤去は元安川、本川、天満川で所有者不明の9隻と27ヶ所の不法設置のいかだや金属製の杭などを簡易代執行で取り除く…と報道された。

 漁船を含むレジャー小型船が3万隻近くある広島県は小型船在籍数が全国一という。
 広島市内の太田川支流と河口周辺の不法係留小型船は2000隻(平成16年夏)と言われていた。ここ数年、太田川工事事務所が計画的に不法係留船の撤去に取り組んでいる。
 それでも年間5~60隻しか撤去できないようだ。
 相手が不法でも勝手に撤去できるわけではない。“不法係留”を公示し撤去を求める掲示をする。退去されない場合は「行政代執行」による撤去作業を進める。
 代執行費用に保管費や場合によっては産業廃棄物としての処理費用などが発生する。
当然、所有者負担である。応じない場合は「財産の差し押さえ」をしなければならない。その請求額は数十万円を超えるケースもあるが所有者不明の場合は国費で処分される。

 平和公園付近の元安川や本川にはかつて太田川工事事務所が許可した「暫定係留施設」も残っていて撤去の方向で是正指導がされているようだが、紛らわしい。既得権を主張する対象者があるとすれば公表して退去を求めるなど厳しい対応が求められて良い。

 レジャーブームの波に乗って購入したもののしかるべきマリーナで保管すれば維持管理に相当の経費がかかる。大きさによるが年間2~30万円から200万円にも及ぶ。
 海の自家用車として購入したものの家族の変遷でレジャー用途が下がり邪魔ものになって、結果的に不法係留、放置につながっているケースが大部分のようだ。

 広島の川と小船は歴史的にも関わりが深い。今でも多く残る雁木は自宅や隣近所の船着場。平和公園・ドーム周辺をベースにした雁木タクシーは徐々に観光客の認知を得て水の都広島の新しい魅力になりつつある。“不法係留船”の追放で川の環境を守り広島の魅力をアップするために、もっと取締・規制の条件を厳しくしく見直す必要があるようだ。メーカーは車庫(マリーナ)証明のない人には売らない等、罰則規制も必要ではないか。

1

 一方、安くて簡易な施設の設置も急がれる。
 国県に対して、厳しく取り締まる代りに安くて簡易な保管場所の確保も求められよう。
 ところが、少し調べてみると南吉島の「ボートパーク広島」には1080隻の係留が可能だが半分が空になっている。昨日の新聞によると、県と広島市は32億円をかけて700隻を収容できる「五日市漁協フィッシャーリーナ」をオープンした。使用料はいずれも月額1万7千円から3万円余りと町の駐車料金より安い?感じがする。

 安くて使用利便が良い条件のマリーナに空きがあるとなれば不法係留により厳しい対応を求めて当然と言える。

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2008年7月11日 (金)

広島そごうの復活

広島そごうが元気になった。
お客が増え、賑わいもある。
従業員も溌剌とし、忙しそうにしている。
4~5年前までは、これじゃ幽霊屋敷じゃないかと思えるような寂しさであった。
その頃は、照明もなんとなく暗く、従業員もどことなく気が抜けて、元気がなかった。
それじゃ買い物をする気も萎える。

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そごうは元オーナー水島氏の考え出したビジネスモデルで目覚しい発展をしたが、それもバブルの崩壊とともに破綻した。
水島氏の掲げる「でかければでかいほどよい」という巨艦デパート方式も崩れた。
ダイエー、イトーヨーカ堂等量販店の目覚しい発展もあり、デパートというビジネスモデルが、消費行動の変化に置いて行かれたということもあった。
エブリデー・ロープライスのビジネスモデルの量販店であるダイエーも破綻した。
時代はどんどん変わる。
広島では、キリンビール跡地にソレイユが建てられ、JT跡地にはゆめタウンが作られ、これでもう、中心市街地はシャッター街になるかとも思われたが、どっこいそうはいかなかった。
現状はどうも近くのSCのお客を奪うという、大型SC同士のサバイバルゲームになっているようだ。

そして今、中心市街地のデパートも、そごうの9階の超高級家具売り場に象徴されるような高級な店舗として新しいあり方を見つけたようだ。
三越の男子トイレはホテルのトイレ以上綺麗だ。
中市街地は大人の街として復活した。
郊外の大型SCはファミリーを対象とし、デパートとは役割分担がされたようだ。

広島の中心市街地の西地区の西紙屋町、基町地区にそごう、リーガロイヤルホテルがあり、東地区に八丁堀に福屋、三越、天満屋がある。
それに挟まれて本通り商店街、ウラブクロがあるということは、中心市街地が一つの大きなSCと見做せば、中心市街地はSCとしての理想的な構図にある。
そごうが破たんした時は、その構が壊れたが、いまそごうが元気になったことで、元のようにきちんとしたSCの構図を取り戻した。
そごうの復活は、中心市街地にとっては歓迎すべきことだ。

広電ビルの高層ビルに建て替える計画も進んでいる。
県庁から広島市役所にいたる鯉城通りはオフィス街として形をなしてきた。

通称デオデオ通りの人通りも最近になって随分と増えた。
相生通りを通る人も多い。

鯉の鱗らをデザインしたそごうの建物すらも元気になってきたように感じるからおかしい。

この際鱗を金色に塗る?
そうすれば、そごうはもっと元気になる?

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2008年7月10日 (木)

医療機関の経済波及効果

広島市民病院が改装してイメージを一新した。
広島市内最大の総合病院として、診療科目25科目、ベット数743になった。
平成18年度にあっては、外来患者は年間37.8万人、入院患者は延べ24.1万人になる。
ここで働く医師は209名、医療技師は121名、看護師+非常勤看護師は744名、事務は69名+非常勤216名である。
広島市民病院で働いている総数は1,359名になる。
お見舞いの人が、患者1人当たりに対し2人だとすると、年間48.2万人のお見舞いの人が訪れることになる。
それに医療機器、資材を納めている関連業者もいるだろうから、それらの人々を加えれば、広島市民病院に出入りする人は軽く年間200万人を超えると想定される。
凄い人数だ。
広島市民球場は年間100万人だ。
それに比べてみても、「街」への影響がいかに大きいかがわかる。
球場や劇場のようにワーッと騒がないからか、そんなに沢山の人が出入りしているとは思えない。
しかしちょっと計算してみると、意外に集客力があることに驚く。

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広島市民病院の平成18年度の支出総額は226.3億円である。
宮沢健一一橋大名誉教授は、連鎖的波及効果まで含めた医療機関の「生産誘発係数」は4.3だという。
ということは、この広島市民病院は973.1億円の経済波及効果をもたらしていることになる。
凄い額だ。

経済という面からも、医療機関は大変大きな役割を果たしていることがわかる。

しかし薬や医療機器は広島市以外のところで作られることの方が多いのであろうから、962.8億円が即広島市内への波及効果というわけではない。
226.3億円-材料費69.4億円=156.9億円が広島都市圏域への経済波及効果と捉えた方がいいかもしれない。
156.9×4.3=674.67億円になる。
それにしてもすごい額であることには変わりはない。

しかしこのことはまた、医療機関だけでなく、薬や医療機器といった医療関連産業を広島市都市圏地域で育てるべきであるということでもある。
薬は医療機器のメーカーでは、広島市から育ったJMSという素晴らしい企業もすでにある。
そんな産業を広島市でも育てるべきなのだ。

一時公共事業が地域にもたらす経済効果は大変大きいともてはやされたことがある。
その公共事業の生産誘発係数は4.1だという。
その公共事業より、医療機関のもたらす経済波及効果の方が大きいのだ。

広島市からの補助金は3.6億円と書かれている。
広島市の負担は、その他諸々入れても、どうも数十億円といった額ではないだろうか。
医療は市の財政にとってはマイナスだというイメージがあるが、ちょっと様子が違うようだ。

広島市市内には広島大学病院もある。
ベッド数は720である。
広島大学病院は、広島市民病院と同じ、或いはそれ以上の経済効果をもたらしていると思われる。

そのほかにも、中電病院、マツダ病院、鉄道病院、日赤病院、記念病院といくつもの大きな病院がある。
広島市の医療機関は他都市に比べてもはるかに充実している。

それら医療機関の広島市内の総ベッド数は平成20年3月時点で、約1万5,000ベッドだという。
それに基づいて一つの計算をしてみた。
674.67億円÷743ベッド=0.9億円/ベッド
0.9億円×15,000ベッド=1.36兆円
医療機関は広島都市圏に1.36兆円もの経済波及効果を及ぼしていることになる。
これはまた凄い額だ。
広島市の経済を発展させる上で、医療機関と医療関連産業の充実が極めて効果的であることは確かなようだ。

医療機関、および医療関連産業が「市民の健康を守る、病気を治す」といった役割だけでなく、地域の経済を発展させる上でも、街の賑わいを創り出す上でも、大きな役割を果たしていることにも目を向けるべきだろう。

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2008年7月 9日 (水)

平和祈念切手と折り鶴

先日、平和記念切手について、中国新聞で特集をしていた。
平和をテーマにした最初の切手は1919年、第1次世界大戦の終わったことを祝う切手だったという。
それはハトとオリーブをもモチーフとしていたというが、以来沢山の平和記念切手が発行されているが、その殆どすべてがハトをモチーフにしているようだ。
世界的にもそうした傾向にあるという。

しかし広島では平和のシンボルといえば折り鶴だ。
ハトより折り鶴の方が平和のシンボルにはふさわしい。
この際、広島郵便局から「折り鶴をモチーフにした平和祈念切手」を発行したらいかがだろうか。

折り鶴をモチーフにした切手は、過去にも何度か発行されているようだが、それはどれも慶弔用として発行されたようだ。

1

折り鶴をモチーフにした平和祈念切手を、広島・長崎から発行することに意味がある。
今年の8月6日に間に合えばいいが、
しかし平和を願う心はいつも変わらない、
いつ発行してもいい。

G8の議長サミットが9月に広島で開かれる。
それを記念してでもいい。

知人に出す手紙には、すべて折り鶴祈念切手を貼れば、何をいわずとも平和への願いを届けることができる。

是非「折り鶴平和祈念切手」を、発行して欲しい。

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2008年7月 8日 (火)

中国放送が「RCC」って?

少し前小さなスナックで20代の若者が語り合っていた。「中国放送はなぜRCCというのか」と一人が問いかけた。「知らん。RCCにきいてみいや」と相方。現在の若い世代で、中国放送が「ラジオ中国」として誕生したことを知っている人は少ない。全国に民放ラジオが登場したのは、戦後5年を経た1950年である。ラジオ局だから、RNB(ラジオ南海)RSK(ラジオ山陽)RKK(ラジオ熊本)など呼称の頭文字に“R”がつく局が多かった。RCCは「ラジオ中国カンパニー」の頭文字である。「親父の時代ですね」私の説明に二人の若者は納得した。

民放ラジオが誕生したのは、1950年。以来5年後には7~80局のラジオ局が生まれていた。ラジオ中国は、51年予備免許、翌52年(昭和27年)10月1日開局した。
スタジオは、当時の中国新聞社(現三越デパート地)に間借りして作られた。その頃は冷暖房の設備も充分でなく、スタジオは雑音を遮蔽する密室として造られていたため、真夏はまさに蒸し風呂状態だったそうだ。朝、冷房用に大きな氷柱が持ち込まれたが、夕方にはやせ細りドサッと床に倒れてその音が電波に乗りスタッフを慌てさせた。「ピッ・ピッ・ピッ・ポ-ン」という正午の時報も正確に出す技術がなく、なんとNHKのラジオをモニターしてそれに合わせて時報を出したそうだ。

私が入社したのは、開局から11年を経た63年(昭和38年)であったが、こうした開局時のエピソードは口伝で継がれており、今なお、往時の先輩の労苦を偲ぶよすがとなっている。そう、こんな話もある。宿泊で朝寝坊したアナウンサーが、ステテコ姿でスタジオ入りし、開口一番「こんな格好で失礼します」とやったそうだ。
 アナウンサーは、放送局の顔である。この欄の執筆者でカープ中継の名アナウンサーとして名を馳せた山中善和氏、全国区となった柏村武昭氏、いまなお活躍中の上野隆紘氏ら、RCCは名物アナウンサーを多く輩出した。次回は、アナウンサー逸話をご紹介しよう。

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2008年7月 7日 (月)

公約・女性副市長の誕生

 6月26日、CA-TVで広島市議会中継を見た。秋葉市長が過去3回提案して否決された「女性の副市長人事案件」が質疑され、『全員賛成』で初の女性副市長が誕生した。
秋葉市長が公約に掲げて10年目での実現だ。
 新・副市長は広島市3人目の副市長。旧郵政省出身で独立行政法人情報通信研究機構の豊田麻子氏(42)でIT分野のエキスパートで大使館勤務も経験している国際派だ。

 なぜ、ここまで時間かかったのか?多くの市民はまだ記憶に留めている人も多いいと思うが、少し振り返ってみる。
 
 秋葉市長が公約に「女性助役の起用」を掲げたのは’99年(平成11年)の初出馬時で、当選後の’02年3月の議会に提案を試みた。しかし、事務系助役の辞任などで混乱し議会主流派との対立が表面化して議会が「待った」をかけ、6月議会でも再び否決した。’03年に再選後、3度目の「女性助役の登用」を提案した。
 
 中国新聞のアンケートに答えた議員は「賛成」が多数派だった。ところが議会の多数派は「起立採決」の議会規約を「無記名投票」に改めて『誰が反対したか判らない=無記名投票』形で否決した。
市長の足を引っ張りながら自分は市民からの監視の目には曝されない…という仕組みだ。
 マスコミは“手の込んだ市長・いじめ・いびり”と指摘した。反対なら堂々と議論すべきところを、 こんな調子で市政を牛耳られては誰だってたまらない。
 
 秋葉市長は3選を果たした昨年6月の議会で「時期を見て女性副市長の登用を図る」と表明していた。過去3回の否決時に非主流派として「賛成」してきた藤田博之氏が議長として主導権を握っている。昨年、非自民系議員が結束して議長に選出。政務調査費の公開や議会改革を前面にした藤田議長と市政改革を掲げる秋葉市長が歩調を強めてきた。
 何よりも市民の立場で「是々非々」を明確に掲げる藤田議長の采配がカギになった。
 秋葉市長は提案に当たって「CIO」(最高情報責任者)も兼ね男女共同参画推進をはじめ環境や国際問題にも率先してパラダイム(思考)の転換を図るリーダーとして期待を寄せた。

 政令指定都市の17市で「3人制」を導入しているのは11市という。「副市長3人制」の是非については議会各会派で十分説明、議論されたものと推察する。委員会付託を省いて一気に本会議で質疑し2人が賛成の立場で質問し、2人が賛成討論に立った。
 TV画面でその姿は確認できなかったが、過去の主流派9人は反対討論に立つこともせず
 退場したようだ。尻尾をまいて退散したのか?
 したがって、結果的に採決はなんと「起立全員」で成立した。

 過去3回の否決は何だったのか…?? 
 天に唾する例えのように、いずれ、市民がこうした議員に対しては冷静な判断をする時が来るに違いない。

 豊田副市長!
 何はともあれ、市民には今後の実践で実力を発揮してほしい!! と願うばかりだ。

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2008年7月 6日 (日)

“生きる”が テーマの「影絵展」

 平和公園に繋がる元安橋の東詰の河岸で8月5~6日の夜開く「小さな祈りの影絵展」は4回目を迎え、今年のテーマに“生きる”に決まった。

 この影絵展は影絵作家の浜崎ゆう子さんとこの影絵展の企画発案者で広島出身の映画の美術監督部谷京子さん、開催とその後の巡回展を支える高林真澄さんら部谷さんの同級生たちが心を合わせて維持継続してきたその名の通り“影絵を通して”「原爆犠牲者の慰霊と恒久平和を祈る」企画展だ。一作家の個展にしたくないと言う浜崎さんの強い思いから幼稚園児から小中高校生に大人も参加したワークショップでの作品制作も恒例で、地道な平和活動として根を張りつつある。影絵を前に父母が子に祖父母が孫に伝える姿は感動的だ。

 本番展示は5日と6日の夕方から夜10時までの短い時間だが、毎年10ケ所前後の移動展示をしてきた。この1年は市民交流プラザ、フレーザー幼稚園、女学院中高大学、中国新聞ロビーなど。そしていま鷹野橋の広島市女性教育センター2Fに展示中で定着して来た。

 第一回の‘05年のテーマは「なつかしい広島の風景」’06年は大平数子さんの原爆詩「母」、‘07年は「なつかしい子どもの遊び」だった。
 70年は草木も生えないと言われた焦土から立ち上がり懸命に『生きた』被爆者の拠り所は何だったのか?被爆した人々に『生きよう』と突き動かしたものは何だったのか?優しい言葉や一握りの米、庭の小さな木枝に吹いた芽や夾竹桃の白い花、わが子の笑顔や赤とんぼなど生きとし生けるものだった…?に違いない…。
 今年は『生きる』をどのように表現するのか興味津津である。
 <浜崎ゆう子:影絵プラネット http://www.geocities.jp/hamayujp/>
 浜崎さんは毎回テーマの設定に当たっては多くの被爆者や関係者の声を直接聞くヒヤリングを大切にし、今年もすでに数回広島に足を運んでこのテーマ『生きる』に至った。

 6月21~2日のワークショップには城北中高校の社会問題研究会の20余名が参加した。
 どんな『生きる』を掴み、表現するのだろうか。
 多くの声や反響を1月余りの間にどう表現するか浜崎さんの格闘が始まっている。

AB

 浜崎さんは影絵作家のほかに意外なもう一つの顔を持っている。
 実は長年、原爆映像の整理・編集に携わってきたエディターなのだ。
 日映新社が被爆後いち早く広島・長崎で撮影した「原爆フイルム」の画面ごとのチェックや確認をしてライブラリー・データーを作成してきた。

 被爆直後の広島と被爆者にモノクロ・フイルムの中で繰り返し出会って来た人なのだ。
 被爆の実相を克明に正確に理解してきた人です。
 その出会いの中で、自分が出来ることは何だろう?と考えてきた人です。

 亡くなった方達の追悼と深い傷を持って生きてきた人達への“ささやかな癒し”と目をそむけようとする人達に“想いを伝える工夫”としての試みが『影絵』として活かされた。
 決して声高に叫ぶでも語るでもなく、電燈に照らされて命を吹き込まれた「小さな影絵」が発する『ヒロシマの想い』を見る人たちの心の襞に刻み込みます…。

 「この小さな平和活動」は世界に通用するヒロシマの新しい息吹になって発展する可能性を十分に秘めた魅力的な素材ではなかろうか。せっかくの新しい息吹を支えられる草の根組織?が市民の間に生まれないか…いい提案が出来ないかを課題として考えたい。

 今年も、8月5日、6日の夜。元安橋東詰の「小さな祈りの影絵展」に一人でも多くの人が、家族が足を運んで下さって、一緒に考えて頂くことを願いたい。

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2008年7月 5日 (土)

女性のクールビズ

以前パートで営業の仕事をしていたときのこと。
その職場は主婦のパートがほとんどで、営業もすべてパート主婦。
営業のメンバーでお茶したときに制服について話題になった。
営業メンバーのほとんどは制服を着ていなかった。
上司からやんわりと制服を着るようにいわれていたが、強制ではないので、
誰も着用していなかったのだ。
ところがメンバーの一人が、上司だけでなく事務職など他部署の女性たちからも
制服を着用しろと厳しく注意されるというのだ。
「何を着ようと自由じゃない!ほっといてほしいわ。」
「そうよ、そうよ!」
みんな同調する。
私は苦笑いしながら言った
「何を着ても自由とは言ってもね〜、Tシャツやノースリーブ、タンクトップはまずいと
思うよ〜。営業職なんだから、どう見られるか大事だと思うよ。」
私が制服を着ない理由ははっきりしていた。
制服がポロシャツだったからだ。
営業でお客様の家に上がることもある。
お客様に信頼していただかなければならない。
あまりにカジュアルなスタイルだと、信頼も薄れそうな気がするからだ。
ところがみなさん、夏は暑いからとノースリーブは着るは、タンクトップ着るは・・・
そういえば、ツッカケで来た人もいたなぁ。
おしゃれな人は流行を追っかけて毎日ファッション誌の中から出てきたような
スタイルでやってくる。
仕事と洋服がどうも一致していない・・・つまりTPOを考えない女性がその職場では
多かった。

あるとき、所長をしている夫から相談を受けた。
夫の勤務する会社に制服はない。
事務職で、胸の大きく開いたシャツや肌を露出する服を着てくる女性がいるという。
つい目がそちらへいくと、にらまれる。
男性社員から、これは逆セクハラだ!と苦情が所長である夫のところへきた。
「これはセクハラなんだろうか、どうすればいいんだろうか。」
女性の上司から注意をするのがよいのだろうけど、残念ながら女性管理職はいない。
意を決して、男である所長の口から、仕事をするのにふさわしい服をえらぶように、
と彼女に伝えた。

女性の社会進出、職場進出は進んでいるはずなのに、女性の仕事着が
定着してこなかったのはなぜだろう。
どういう服やスタイルを選べば男性から好かれるかは必死に考えるけれど、
仕事を成功に導くためにはどういう服を選べばいいかを考える習慣が
なかったということだろうか。
つまり、責任ある仕事は女性には与えられてこなかったと言うことでもある。

ここ4、5年だろうか。女性のリクルートスーツが目に付くようになってきた。
女性の仕事着として黒のリクルートスーツが定着してきているようだ。
しかし、これも私には高校の制服の延長のように見える。
新入社員のうちはいい。
自ら責任ある仕事を求めるなら、それに見合ったスタイルを見つけて欲しい。
お手本となる女性が身近にいるといいのだけれど、まだまだ少ないのが現状。
・・・・・・
おおおっ〜!ニュース!!
広島市の副市長に女性が決まった!!!
秋葉市長が最初に女性助役を提案したのは何年前だったかしら?10年?
3度も議会で否決され、私は広島市議会の古臭さにうんざりきていた。
やっと、やっと、女性副市長の誕生!
秋葉市長の粘り強さに感謝!

女性副市長の誕生で広島の女性たちの仕事着も少し変わるかもしれない。

  迷い人

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2008年7月 4日 (金)

フラワーフェスティバルと折り鶴

今年のフラワーフェスティバルには、80基の折り鶴みこしが参加した。
折り鶴みこしの参加は昨年からのようだが、その昨年は20基だった。
今年は実行委員会が子供たちに参加を呼びかけたこともあって、一気に増えた。
平和大通りをパレードした後には平和公園の慰霊碑の前の芝生広場に置かれた。
80基もの折り鶴みこしが並ぶとちょっと壮観だ。
夜になると灯りがついて浮かび上がる。
なんとも荘厳で幻想的だ。

フラワーフェスティバルは、近年はよさこい踊りがパレードの中心に育ったこともあって、その魅力を増し、観客も増えた。
若者に交じって、中高年、子供達がエネルギッシュに、そしてはちきれんばかりに踊り、パレードする姿はなんとも楽しそうだ。
素晴らしいイベントだ。

そこに昨年から折り鶴みこしが加わった。
折り鶴みこしは、フラワーフェスティバルが平和の祭典だということをきちんと位置付けた。
「折り鶴みこし」が加わったことで、フラワーフェスティバルに一本筋が通った。
折り鶴に込めるヒロシマの人々の思いは強い。
秋葉市長も「市長日記」(市民と市制6月15日号)の中で触れているが、折り鶴みこしが加わったことの意味は大きい。

1

みこしは、神輿とかく。
本来神道の行事だ。
折り鶴みこしは誰でもが造ることもできるし、参加することもできる。
折り鶴みこしは「みこし」とひらがなで書く。
それがまたいい。
ある人が、折り鶴みこしを、広島に届けられた折り鶴の再生紙でつくったらどうかと提案してくれた。
それもいいかもしれない。

広大名誉教授の佐藤重夫氏が、「平和記念公園は巨大な聖堂だ。安らかに・・・と書かれた慰霊碑は十字架で、原爆ドームはイコン(肖像)だ」と指摘していると、別の友人が教えてくれた。
平和公園を、神社、お寺等の宗教空間になぞらえて、図式的に見てみてみると、意外と綺麗に納まっていることがわかる。
1Fがピロティーになっている平和資料館の建物は、神社でいえば鳥居であり、お寺でいえば山門だ。
鳥居、山門を通れば、そこから中は聖域だ。
それにしても「折り鶴みこし」は、フラワーフェスティバルと平和大通り、平和公園の関係をきちんと位置付けてくれた。

「折り鶴は平和と広島市のシンボルである。」ことを改めて感じる。

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2008年7月 3日 (木)

ビジネスジェットと西飛行場

以前、プロゴルファーの丸山茂樹が、「アメリカのプロゴルファーは、ビジネスジェットで、トーナメントを転戦している」といっていた。
アメリカって凄いなーとただ感心した。
アメリカではビジネスジェットはちょっと高価な空のタクシーという感じで、かなり気軽な使い方がされているようだ。
ANA、JAL等の定期便は、いわば空の路線バスとみればいいのだろう。

狭い日本では、そんなビジネスジェットの利用は殆どないのだろうと思っていたが、先日
「岡山の駅から南に約10KMいったところに岡南飛行場がある。
滑走路は1,200M。
そこを基地にするジャプコンがビジネスジェットの運行事業を拡大している。
現在7機だが、この1年間に3機も増えた。
さらに9月には1機が増える。
整備だけを受注しているのは5機あり、さらに1機が増える。
この飛行場を使っているビジネスジェットは計14機になる。」
という記事が新聞に載っていた。
日本でもビジネスジェットの重要が急激に増えているようだ。

岡南飛行場について調べてみると、
「岡南飛行場は、昭和37年10月13日に岡山空港として開港しました。新岡山空港開港に伴い、それまでの岡山空港を小型機専用の飛行場として利用することとなり、現在の岡山空港と同じ昭和63年3月11日、地方公共団体が設置・管理する”その他公共用飛行場”である”岡南飛行場”として生まれ変わりました。
 運営面においては、管制圏または情報圏をもたない飛行場での対空通信情報提供や気象情報提供など、ユニークな運営が全国からも注目をあびています。
 また、岡南飛行場は、平成4年度に国からゼネラルアビエーション空港(小型航空機の拠点飛行場)第1号として認定されており、現在では、不定期航空輸送(貸切輸送・遊覧飛行)、撮影・宣伝などの航空機使用事業が行われているほか、岡山県警察航空隊、岡山市消防航空隊が基地として運用しており、防災・消防の拠点としての役割を担っています。
年間の総着陸回数は遊覧飛行176回を含め、平成19年度には5,536回です。」
とある。

そこで、さらに調べてみると、アメリカではビジネスジェットは16,000機もある。
ドイツは約500機。
対して日本は100機にもならない。
そのアメリカでは、基幹空港でのビジネスジェット受け入れは難しいので、近郊の小規模空港に誘導しているのだという。
そういえばニューヨークでもどこでも、大都市近郊には小さな飛行場がいくつもある。
それがビジネスジェットの基地になっているようだ。

それはそうだろう。
あのバカでかいジャンボジェットと自動車に羽がついたような小さなビジネスジェットとが同じ滑走路を使われたのでは、危ないし、効率も悪いだろうと思う。

日本でも、首都圏ではビジネスジェット専用空港が望まれているが、なかなか実現にいたらないという。
それがまた日本でのビジネスジェットの発展を妨げている要因でもあるようだ。

それでもようやく日本ビジネスジェット協会が1996年には設立され、すでに会員企業は60社にもなっているという。
その歴史は設立されてから12年とまだ日は浅いが、日本でもビジネスジェットのマーケットが急激に育ちつつあるkとがわかる。

自動車のホンダが、ビジネスジェットの開発を、エンジンからすべて自社開発で、進めている。
当面70機の生産を予定しているが、すでに100機の受注を確保したという。
納入は2012年からになる。
乗客定員は4~5名、離陸滑走距離は807M、航続距離は2,037KMという。
中国国内の主だった都市は航続可能圏内になる。

広島西飛行場の滑走路は、いずれ1,460Mに短縮される。
安全区域・点検用道路の新設で実効長は1,360Mになる。
短くなっても、ビジネスジェットの基地としては十分な長さだ。

広島西飛行場は宮崎、鹿児島の定期便を運航しているが、将来的にはそれを継続することには、かなりの無理が予想される。

西飛行場は、広島の中心街紙屋町交差点から直線距離で約5KMだ。
広島西飛行場はドアツードアの空のタクシーの基地としての価値は高い。
ということであれば、広島西飛行場は、ビジネスジェットの基地になることを目指した方がよさそうだ。
数十機のビジネスジェットが並んだら、そりゃー壮観だろう。
数百機が並ぶ?
いまの経済のグローバル化、中国との交流の目覚ましい発展をみれば、そんな可能性は十分にありそうだ。

1_2

そのためには、まず西飛行場を基地とするビジネスジェットの運航会社を立ち上げる必要がある。
韓国や中国などに支社や工場を持つ会社の何社かが共同出資でビジネスジェットの会社を設立したらいい。
ビジネスとして有望ならば、出資者も増えるだろう。
さらに、新たな旅行ニーズの掘り起こしもできるだろう。

ビジネスジェットは新しい可能性を感じさせてくれる。

「広島西飛行場をビジネスジェットの基地にする」?

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2008年7月 2日 (水)

ホテルウーマンと観光教育

最近になってというより、10年以上前からか、働く女性が急激に増えてきた。
以前は働く女性の代表はスッチー、飛行機のスチュワーデスが代表であったが、今ではすべての分野に働く女性を見かけるようになった。
特にSC,ホテル等サービス業への進出は際立っている。

1

かってある東京の有名ホテルは、あまりに女子大生の受験者が増え、困って、受験資格を英検2級保持者に限定したことがある。
ホテルの営業、宴会、レストラン、経理、総務の主要なポジションの責任者に、女性がなっている例も多い。
東横インでは、支配人以下全従業員が女性であることを売りにしている。
そんなホテルまで現れた。
仕事が面白いと生きがいにし、結婚しないという女性まで現れている。
この少子化時代に、これはちょっと困ったことだ。
昔から料亭、旅館は女将、つまり支配人は女性が当たり前で、料理を運んだり、布団を運んだりするような直接お客に接する仕事は皆女性であった。
旦那は厨房の料理人とかの裏方であった。
旅館、ホテルといったサービス業はそもそも女性優位の職場だったのだ。
しかしホテルはヨーロッパの執事ということからきているのか、以前はすべての部門の従業員は男性であった。
それがいまはこの状態だ。

女性の場合、建築科を出たからといって、建設業界に就職するのは大変難しい。
ましてや建設業界で生きていくのはもっと難しい。
しかしホテル業は建設業のように古い業界ではない。
ホテル業界であれば、女性でも中心的な存在になれる。
旅館は古いが、ホテルは新しい。
同じように見えて、中身は随分違う。

それにしても、サービス業が女性が向いていることは確かだ。
シティーホテルの場合、従業員は1室1名が必要といわれている。
格が高く、良質なサービスをしようとすればするほど、沢山の人手が必要になる。
広島ではまだまだこれからいくつものホテルの建設計画がある。
広島だけに限ってみても、人材の不足は明らかだ。

物を作る技術だけが技術ではない。
こうしたサービス業の世界にも高い技術と知識は必要だ。
英語、経理、IT等の基本知識に加えて、料理はどう作られているのかも知らなければ、レストランのサービスはできない。
そして経営についての知識も必要だ。
お客さんの質問に答えられるように、広島についての知識も必要だ。
そうした知識があれば、サービスの仕方も大きく変わってくる。

ホテルの従業員になるには、学ぶべき知識と技術は多い。
そして経験も必要だ。

広島には世界遺産としての宮島、原爆ドームもある。
広島には世界中から観光客が来る。
国も、この秋には観光庁をつくり、国をあげて観光事業の推進をはかるといっている。
広島市もビジターズ倍増計画を掲げている。
観光事業の推進を図るには、ハードとしての世界遺産があり、ホテルや球場があればよいというわけではない。
それを運営する人材が揃っていなければどうにもならない。
何事もソフトが必要というわけだ。

平和でなければ、ホテル、観光事業は成り立たない。
広島はホテル学、観光学を学ぶ場に相応しい。

ホテル等、観光事業について教える教育機関が必要だ。
世界各国から広島に観光客が集まってくるようにするには、「観光事業を学ぶ学生が広島に集まってくる」仕掛けが必要なようだ。

ウイメンズパワーが新しいビジネスの世界を創りつつあるようだ。

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2008年7月 1日 (火)

“映画”に集う

 先月スタートしたばかりの「シネマ クラブ・ひろしま」のスケジュールが動き出した。発会上映会の「善き人のためのソナタ」は予想外の好評だった。
 年4回の定期的な上映会ではいかにも少ないので、毎月、会員を対象にした「ミニ上映会」を開く準備を進めてきた。HPも動き出した。http://cc-hiroshima.ciao.jp
 
‘72年に創立し多くの民主的な自主映画の企画、製作、配給に上映に関わってきた広島映画センターは邦画洋画合わせて数百本のライブラリーと上映権を持った広島では最も古く経験豊富な映画組織だ。その財産を有用活用できるように協力いただけるのは「シネマ クラブ・ひろしま」の大きな力になることは間違いなく、有難いことだ。
 この中から当面2作品の上映会を企画した。

 7月14日(月)18時半~。会員30人限定で新藤兼人監督の‘52年制作で所謂原爆ものの古典「原爆の子」を映画センターの試写室で行う。
 8月12日(火)には18時から西区文化センターで中沢啓治さんのお話と中沢さん原作のアニメ映画「かっ飛ばせ!ドリーマーズ」の特別上映会をする。

 「原爆の子」は’52年(昭和27年)まだ、あちこちに焦土の匂いが残る広島を舞台に広島出身で戦後いち早く独立プロダクションを立ち上げて自主映画の制作に取り組んだ新藤兼人監督が長田新編の少年少女の手記を纏めた「原爆の子」を題材に、世界で初めて原爆をテーマに制作された劇映画で、世界各国でも上映され、ヒロシマを語る平和活動の原点であり古典とも言える作品だ。

 「かっ飛ばせドリーマーズ」は中沢啓治の「広島カープ誕生物語」のアニメ映画作品で、原爆の焦土の中から誕生した市民球団「広島カープ」に夢を託した少年たちが逞しく生き抜く姿を描いた作品。映画センターが企画・製作・配給した作品で、亡くなったカープの小さな大投手長谷川良平さんが石本監督役で鉄人・衣笠も声の出演をしている話題作。

 当面、この2作品をミニ上映会(ワンコイン上映会)と特別上映会で取り上げるが広島ゆかりの作品や思いもしない戦前の人気洋画「カサブランカ」(‘43年:アカデミー賞)などの上映も可能だ。上映権を持った広島映画センターの協力を得られる“役得”は大きい。
 今後、少しずつこうした作品の紹介をしながら皆さんの要望を取りまとめて「ミニ上映会」(ワンコイン上映会)「特別上映会」で生かしたいと考えている。 乞う!ご期待!!
  
 問合せ先:「シネマ・クラブひろしま」(広島映画センター内)Tel:082-293-1274 

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