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2008年2月 9日 (土)

汽車がトンネルに入った途端、原爆が・・運命を痛感

 戦前戦後を通して広島を代表する歌手といえば、二葉あき子さんだろう。「夜のプラットホーム」「フランチェスカの鐘」「水色のワルツ」など数多くのヒット曲を放ち、70年近く昭和の激動期を歌いぬいた日本の歌謡界の大御所の1人だ。
 吹き込み曲600。大正4年広島市大須賀町二葉(現在の東区二葉の里)生まれ。名前は「二葉の里」と「安芸の国」からとった。5年前老人性難聴のためやむなく引退。帰郷して余生を送っている。
 私の手元に、二葉さんを仕事でインタビューした時の録音テープがある。二葉の里にある鶴羽根神社の祭りや池、にぎ津神社のポプラの木、東照宮の階段や灯篭、旧練兵場から聞こえるラッパの音など子供の頃の思い出。
 昭和20年8月。双三郡布野村(現在三次市)の父の実家へ汽車で行く途中、芸備線の中山トンネルに入った途端原爆が炸裂。13分遅れの広島駅発の汽車がもっと遅れたり、トンネルに入るのが少しでも遅かったらと、運命の恐ろしさを痛感。二葉さんの生き方を変えた。「フランチェスカの鐘」は被爆者への鎮魂歌として歌っていることを話してくれた。
 取材の後、食事に連れて行ってもらった所が、焼肉レストラン。二葉さんは若い私に負けずに注文。飲みにと息子さんの妻が経営する「野いばら」(広島では「社長室」を開店)という店で二葉さんはピアノに合わせて踊った。この時82歳。私はそのパワーに驚かされた。
 二葉の里は現在「歴史の散歩道」として整備され、賑わいを見せ、開発計画も進行中。また「フランチェスカの鐘」のモニュメントが布野の実家に隣接して建てられている。除幕式には本人も訪れ、私も取材協力のため同行した。
 「夜のプラットホーム」は出征兵士を送る女心を歌ったものだが、65周年のディナーショーで「戦争は絶対いけないと思って歌っているのよ」と話していた二葉さん。いつまでもお元気でと祈るばかりである。

上村和博

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