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2008年1月

2008年1月31日 (木)

在外被爆者支援に懸けた人

 年末にお会いした方の訃報が報道され驚いた。フリーのジャーナリストで在韓被爆者の支援をはじめ在米、在ブラジルなど海外に在住の被爆者の支援にかけて来られた方だ。

 中島竜美さん(80)は‘52年早稲田大を卒業直後から文筆活動に入り児童文学を手掛ける傍ら朝鮮人被爆者問題や人権問題に取り組み評論やルポルタージュの執筆、ドキュメンタリーの構成などに取り組んで来られた。
 
 ‘70年暮れに、広島で被爆した韓国在住の孫振斗さんが日本で原爆症の治療を受けるため密入国して逮捕された「孫振斗裁判」に深く関わり、‘78年に最高裁で「不法入国した被爆者も救済を必要とする健康状態に置かれている点で一般被爆者と変わらない」と原爆医療法の適用と“日本政府の責任を認める”勝訴を得た。厚労省をはじめ与野党議員や厚労大臣、総理などにも積極的に面談するなど韓国のほか在米、在ブラジルなど外国に居住する広島長崎の被爆者支援活動をリードした。
 
 ‘80年にRCCが制作した「孫振斗裁判」をめぐるドキュメンタリー『ヒロシマ35年・未ダ補償ナシ』は中島氏の企画・構成によるものでギャラクシー賞のグランプリを受賞するなど在外被爆者問題を語る際に外せない代表的な記録となっている。

 昨年末24日に市内で開かれた三菱広島の元徴用工被爆者裁判の最高裁判決勝訴の報告集会で久方ぶりにお会いした。数年前、厚労省の被爆者調査検討会の委員を受けた際に、何度かお電話を頂いたが、お会いするのは10数年振りだった。

 講演の中で自分は当初は中国新聞の平岡敬記者(元広島市長)が表面立てないカバーをする程度に考え、中国新聞の金井学校(故・金井利博中国新聞論説主幹が戦後いち早く平和問題に取り組み若い記者たちの育成継承された)の生徒の一人として関わったと在外被爆者問題に打ちこんだ来歴を披露しながらヒロシマに心をこめて振り返えられた。

 久しぶりの中島氏は以前よりやや太っておられ、杖を離せない年になってしまったが健康状態はまずまずだと話しておられた。
 懇親会をご一緒出来なかった為、会場で握手をしてお別れしたが「また来ますよ」と元気だった丈に訃報には驚いた。

 奇しくもドキュメンタリー『未ダ補償ナシ』で中島氏と一緒に未決拘留中の孫振斗氏に面会インタビューするなど撮影を担当したカメラマンS氏が中島氏の一週間前に逝った。
 今頃、孫氏とS氏に中島氏の3人が「今年は認定問題の進展を含めて外国人被爆者対策の正念場」と話しているに違いない。
 在外被爆者のため半生を懸けて指導的役割を果たして来られた中島さんに、改めて敬意を払うと共にご冥福を祈る。  合掌。

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2008年1月30日 (水)

冬の緑・クスノキのトンネル

 よそから来た人たちが必ず言うのは「広島は緑が多いいですね」である。街中にある公園とりわけ平和大通りの木々が目を引くのだ。
 過日久しぶりにやってきた友人の言うには、他都市に比べると特に冬場の緑が多いいのが目立つと言う。

 それは一般的にクスノキが多いいためである。平和公園、平和大通り、河岸緑地の緑の半分近くをクスノキが占めて、広島の街を年中緑に包んでいる。

 クスノキは葉の寿命は1年で春に新芽が出る頃に前年の葉が落ちて、知らない人を時ならぬ落葉が驚かせるが同時に新緑の美しさが輝く常緑樹である。だから冬場にもしっかりと緑を蓄えている。また、防虫剤の樟脳の原材料で防虫作用と長寿木にあやかって古来、神社仏閣を取り巻く森に多く夏前に小さな白い花をつけることや「トトロの木」がクスノキの巨木と言う事はあまり知られていない。

 更に樟脳の効果というかクスノキは四季を通じて大量の二酸化炭素を酸素に変え、カンファアーという酵素を放って夏の清涼感を生んだり抗癌能力を高めるという森林浴のストレス解消効果もある木と言えば市民にとっては大層ありがたい木でもある。

 そんなクスノキの大木10数本が散歩道の両側から包むようにトンネルをつくっている場所がある。元安川にかかる明治橋と中島橋の間の西岸の加古町で、戦前の市長公舎があった場所だ。今は河岸に「粟屋市長、被爆死の地」の小さな石碑がある。

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 冬は風除けと陽だまりを作り、夏涼しく木陰のトンネルは、市民にとって手じかなストレス解消の場で、散歩道には打って付けだ。

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2008年1月29日 (火)

「突発性難聴」の体験的教訓

 人気歌手の浜崎あゆみさんが突発性難聴になって音を失ったことを発表してテレビのワイドショウの話題になっている。最近、著名人の“癌闘病の告白や宣言”は多いが極めて稀な例だろう。歌手が音を失うことがどれだけ重大なことか…。それでも「残された右耳で限界まで歌い続ける」決意をしている。

 突発性難聴といえば私には苦い思い出がある。既に18年前のことだ。東京へ出張のため自宅を出て空港(現・西空港)へ向かうタクシーの中で突然左耳に虫でも入ったようなガサガサという音に見舞われた。たまたま職場に2人の経験者がいて体験を聞いていた為咄嗟に突発性難聴と考え、空港から自宅に電話して保険証番号などを聞いて東京へ向かった。

 機内で乗務員に医者はいないか確かめたがあいにく同乗者はなかった。
 機内では大きな変化は無かったが羽田に到着し外に出て驚いた。タクシーなどの騒音でいきなり頭をハンマーで打たれたようなショックを受け、至急の診察が必要と考えた。
 当時は東京在勤時代から引き続いて国会記者の登録をしており院内に全診療科があることを知っていたため国会内の診療所へ走った。

 診察に当たった医師は開口一番「音を取りますか、仕事をとりますか」と質問した。
 どういう意味ですかと尋ねると「国会議員の中には結果的に仕事を優先して、聴力を失う人が多いい」と答えた。患者の三分の一は回復するが三分の一は難聴に、残る三分の一は音を失う結果になっていると説明し即入院を勧めて慈恵医大を紹介された。

 出張先での入院を断って広島にとんぼ返りをして2週間の安静治療をはじめた。幸い手当てが早く音を失うことなく治癒を得たが、いまだに確たる治療法がない。しかし、不思議なことに、この病気は両方の耳を患うことはないと聞いた。その後の調音チェックでも“正常”との診断を得るが実際には左右のバランスが悪くいまも難聴を引きずっている。

 発症の原因はウイルス感染説もあるがまだ解明されていないため根本的治療法がないのが現状であるが、発症の背景に疲労やストレスの蓄積があげられている。特に蓄積されたストレスを一気に解放する状況は発病の引き金になると教えられた。私の場合はまさしく一週間近い半徹夜の後の出張と数日の休養を入れていたことが見事に重なっていた。
 ストレス解放は徐々に行わなければならない事が重要で私の体験的教訓は今も活きている。

 若い歌手の告知は病気と闘う多くの人に勇気を与える決断としてエールを送りたい。
 
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2008年1月28日 (月)

孫の涙

 久しぶりに小学校4年生の孫と映画を見に行った。
映画館に入るなり「僕は前の方がいいから前で見る」という。
しばらくして私から2つ離れた席に落ち着いてみ始めた。

 映画は「マリと子犬の物語」。’04年の中越地震で村が全壊した新潟県の山古志村であった実話に基ずく映画で、テレビでしきりに紹介されたりPRされていた。

 早くに母を亡くした兄妹と村役場に勤める父と祖父の一家をめぐる物語。
 ある日、妹は小さな捨て犬を見つけて「飼いたい」とねだる。犬嫌いの父も「母さんがいなくてかわいそう」という彩の気持ちを察し“マリ”と名づけて飼う。すっかり家族の一員になったマリは翌年3匹の子犬を産んで家族は犬を中心に幸せな時間を過ごす。
 そんな時、中越地震は起きる。仕事で村を離れていた父と学校に行っていた亮兄は難を逃れたが家にいた祖父と妹は倒壊した家の下敷きになり大けがを負う。死をも覚悟した祖父は意識が遠のく中でマリの鳴き声に元気づけられる。怪我をしたマリは瓦礫をかいくぐって二人の元へ辿り着き救い出そうと懸命に頑張る。
 救助にやってきた自衛隊員に二人のいる場所を知らせて救助されるがマリと子犬をヘリに乗せる事が出来ず山古志に残して行く…。
 食べ物もなく危険がいっぱいのマリと子犬。避難所でマリを気づかう兄弟は二人だけで山古志に向かう…。大切なものを守りたいという、犬と人の絆の物語だ。

 2人の子役にもまして犬たちの演技が自然で素晴らしい。日本で動物が主役を張る映画は珍しい。南極で生き延びた犬タロウ・ジロウの「南極物語」や「北キツネ物語」がある。
 
 画面の随所であちこちから鼻をすする音がする。二つ離れた席の孫もしきりに涙をぬぐい鼻をすするのに気づいた。私も手からハンカチが離せない。

 映画館を出た後、二人で食事をしながら映画の感想を聞いた。すかさず「おじいちゃんも泣いていたね。僕も涙が止まらなかった…」あまり多くを語らない。一緒に行きたいと言っていたお兄ちゃんは何故来なかったのか聞くと「泣くのを見られたくないのかな…」と言う。
 冬休みに入ってすぐクラスメートと一緒に行った「三丁目の夕日」を見て「涙が止まらなかった」と話していた中一の兄から事前にいろいろ吹き込まれていたようだ。
 席を離れて座ったのに合点がいった。事前に予測した涙を悟られまいと考えての行動だったようだ
 
 兄弟げんかでいまだによく泣く普段の涙とは明らかに質の違う涙を意識しているように思える。初めて見る孫の感動の涙だ。二人の涙はすがすがしい涙だったに違いない。
心を揺さぶられる涙は精神的に発達途上の二人にとって良い肥しになろう。

 後日、二人とキャッチボールをしながら話した。「次朗物語」や「路傍の石」を読んで涙した中学生のころを思い起こして、読書や映画が優しさや思いやりや悲しみなどの人の感情を育む上で影響の大きいことを話した。
 黙って聞いている二人に成長の兆しを強く感じた。

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2008年1月27日 (日)

高齢者受難時代 

 昨年の全国の交通事故による死亡者が5743人で、7年連続で減少し54年ぶりに5000人台になった。県内の死亡事故も57年ぶりに140人を下回る喜ばしい傾向だった。

 警察庁の発表によると昨年中の事故は83万3000件余で前年より5万3800件余減っている。負傷者も6万3700人減って103万4500人余。死亡者は過去最悪だった’70年の約三分の一で’00年をピークに減り続けている。
 改善の背景は道交法の改正で飲酒運転の取り締まり強化やシートベルト着用の促進がある。

 これに対して自殺者の数は年々増加傾向で年間に3万人超えはすでに10年続いている。
 昨年は’04年の3万4000人と’01年に続いて3万3000人を超えた。この陰にある自殺未遂は10倍と言われているから毎年30万人、日に1000人近くが自殺を図っていることになる。
 
 自殺者の数は交通事故の6倍にのぼり、イラク戦争で戦死した米兵の10倍で‘60~’70年代の「交通戦争」は今や見えざる「自殺戦争」時代になっている。
 しかも日本の人口10万人当たりの自殺率は米国の2倍、英国の3倍で先進国では群を抜いて高率になっている。
このうち60歳以上の高齢者の占める割合は交通事故による死亡者はこの10年間で7~8%増えて34~5%になり、負傷者も2%増えて全体の9から10%を占めている。
 自殺者の場合も三分の一の1万1000人余を高齢者が占めている。

自殺者を原因や動機別でみると健康問題が41%、経済・生活問題が約30%を占めており高齢者の場合も同じ傾向にある。
 高齢者の交通事故で第一当事者つまり過失責任者に当たるケースはこの10年で2倍近く増えており、高齢者の安全運転指導の強化に加えて免許の自主返納が指導されている。
 反面、免許を返納したら暮らせない過疎地の高齢者が多いい事実も見逃せない。

 昨年の自殺者の中には生活保護支給を拒否されたり返上したケースが報告されている。
 国民健康保険や年金の掛け金支払いが出来ない人が増え米国並みの入院先の病院から追い出されるケースも報道されている。加えて、最近の老老介護を巡る自殺や心中事件の多発は目に余るものがある。

 経済成長を支えてきた世代の高齢者に経済大国日本の歪みや格差がいま大きく被さってきているのではなかろうか。誰もが貧しかった時代には考えられなかった「高齢者受難」を、改めて政治課題として考える必要に迫られているのではないだろうか。

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2008年1月26日 (土)

電柱と電線

 広島市内の主だった道路では、電柱は殆ど見かけなくなった。平和大通り、鯉城通りにはない。電柱は街の景観を著しく損なう。電柱がないことで、広島市は他都市に比べればはるかにすっきりした街になっている。広島市では、着実に、電柱、電線の地下埋設化は進んでいるようだ。
 政令指定都市としては、一番無電柱化率は高いというが、それでもまだ4.9%だ。ヨーロッパの都市は殆どが100%というのには、比ぶべくもない。
 ちょっと脇路に入ると、まだまだ電柱はあちこちに残っている。頭の上には電線が縦横無尽に走っている。電柱、そして電柱からビルに引き込まれている電線は、あまり綺麗とはいえない。電柱は大体歩道上に設けられることが多く、歩行者にとって危険であるだけでなく、建物の美しさ、楽しさを消している。 しかしお店の経営者も、そして歩行者も、こうした現象を当たり前のこととして、あまりおかしいことと感じていないように感ずる。
 滝田ゆうの漫画にも、電柱と電線はよく出てくる。電柱と電線は昭和の懐かしい思い出ではある。
最近では路面電車も電池で走る電車が開発され、電線がいらなくなりつつある。路面電車の電線もなくなればそれにこしたことはない。山の中にある高圧線も、高圧線を繋ぐ鉄塔も決して美しいとはいえない。 しかしこれも皆当然のこととして認め、仕方がないと諦めているようだ。

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 阪神大震災の際には、電柱が倒れ、道路をふさぎ、救援にも支障をきたしたということから、国も以降急速に無電柱化をすすめているというが、現実に、無電柱化を進めようとすると、かなり厄介な問題もあるようだ。
 その費用については、国、電線管理者、地方公共団体の協議により全国一律の負担ルールが決められているようであるが、今はどこもお金がないということで、そう簡単には進められないということが、まずあるようだ。また地下埋設するには、そのためのスペースが必要となるが、地中には上水道・下水道・ガスなどの走っていて、幅員の狭い道には余剰スペースが無い場合が多く、電線の埋設の前に道路の拡幅が必要になることもあるという。
 そのためもあってより簡便な共同溝方式を採用し、コストの削減も図ったりするだけでなく、国は、全国10ブロックの「無電柱化推進計画」(5カ年計画)を策定し、毎年数百KMの整備が進められているという。
 そして景観法が出来、街の美しさを創りだすことについても、法的裏づけがされるようになった。
ことはそう簡単ではないようだが、歩きやすい街、安全な街、美しい街を創るにも電線、電柱の地下埋 設は必須条件だ。せめて都心の電柱、電線だけでも、できるだけ速やかに埋設して欲しい。


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2008年1月25日 (金)

松くい虫

 近年、広島県内の山中に白い棒が沢山見られるようになった。最初は、電柱にしてはおかしいし、その白い棒が何か、そしてなぜあんなにも沢山の白い棒があるのかよく理解できなかった。しかし最近になって、その白い棒は、松の木が松くい虫に食われて枯れ、樹皮が剥がれて、幹だけが白くなって残ったということがわかった。そしてその枯れた松は暫くすると腐って倒れてしまうのだという。
 松食い虫にやられた松は、即伐採しないと、どんどんその範囲はどんどん拡大していくそうだ。薬もあるようだが、かなりお金も手間隙もかかるという。
 広島県内のゴルフ場は、どこも松の林が美しいが、その松もどんどん枯れていっている。街の中の大きな松の木も、海岸にある面白い形をした松の木も枯れている。このままでは、もう暫くすると、日本中から松の木がなくなってしまいそうだ。

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 生態学の植生遷移という理論では、何もないところ裸地に、まずコケが生え、その次に草が生え、そして低木が生え、そしてそこに松、シラカバ等の陰樹がはえ、そのあとにブナ、カシ等が生えてくるというように、長い時間の経過とともにその地域の植生が移り変わっていくという。
 その典型的な例が明治神宮の森で、当初あそこは練兵場でなにもなかったが、明治天皇が崩御されたあとの1915年に、全国から様々の樹木が寄せられ、創建されたが、当初は松もあったが、長い年月を経て今ではあおのような鬱蒼としたカシ、シイ、クスの常緑広葉樹林の植生に変化してきたのだという。
 この今の明治神宮の森に見られるような最終の状態を極相というようだが、こうした状態になるまでに100年近くの年月がかかっているのだ。
 日本のゴルフ場に松が多いのは、戦時中に燃料と山の木が使われていたこともあり、戦後すぐの頃は殆ど禿山状態だった故に、松が多いという植物遷移学的なことによるのだろうか。
 山や広島のゴルフ場の松が、そうした植生遷移による変化で枯れているのではない。ただ単純に松くい虫にやられて枯れているだけだ。
 早急に、どんぐりなどを撒くなど、人工的に手を入れないと、山は禿山になりかねない。ゴルフ場からはコース間をセパレートしている林がなくなり、リンクスのようなノッペラボウなゴルフ場になってしまう。私はそんなゴルフ場はあんまり好きではない。
 日本の林業がおかしいといわれて久しいが、それがこんなところにも現れているようだ。 事態は深刻だ。

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2008年1月24日 (木)

七福神

 広島駅北口の二葉山の麓、約2KMの間に7福神を祭った神社仏閣がある。初詣を兼ねて、西の神様から順番に巡った。怠惰な正月を過ごした後には、ちょうどいい散歩であった。中には長い階段を登らなければならないところもある。年をとったら登れるかなと不安になった。
 前にある道は旧山陽道だという。その道に面して、西から、恵比須天を祭るにぎ神社、毘沙門天を祭る明星院、弁財天を祭る鶴羽根神社、福禄寿を祭る広島東照宮、寿老人を祭る長尾天満宮、大黒天を祭る国前寺、布袋尊を祭る聖光寺がある。それぞれになかなか由緒がある。広島の素晴らしい歴史遺産だ。脇に書かれている札を読んで、広島の歴史を改めて知ることができた。

1鶴羽根神社

2聖光寺

 恵比須天は、鯛と釣竿をもった姿で、商売繁盛の神様。毘沙門天は、怖い顔をして甲冑で身を固めている、外的から身を守ってくれる神様。弁財天は、琵琶を抱えた女性の神様で、水の神様。福禄寿は、福は幸福、禄は高禄、寿は長寿の神様。寿老人は、富と健康の神様。大黒天は、右手に打ち出の小槌もっている、農業の神様。布袋尊は、大きなおなかと大きな耳を持っている、勤勉に心がければ和合成功をかなえてくれる神様。だという。
 今まで7福神のそれぞれの意味なんて殆ど知らなかったが、おかげで知ることができた。この7福神を祀っているのは神社だけに限らない。お寺も神社もある。宗派も様々だ。当然建物の様式も様々である。それはもう多種多様というより雑多といったほうがいいくらいだ。しかしまあなんとも、都合のいい神様ばかり集めたもんだと感心する。ご利益があれば、なんでもいい。みんな一緒に拝んじゃえというのも、いかにも日本人らしい発想である。
 私も、「今年も、よい年でありますように!」とお願いした。

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2008年1月23日 (水)

選挙の年?

 海の向こう米国では大統領選挙の幕が上がった。
 米国大統領選挙の候補者選びは共和党、民主党がそれぞれの候補者を指名する代議員を州単位で選ぶ最初の党員集会がアイオワ州でスタートした。

 朝日新聞によると『…ともに「希望」と「統合」を掲げた民主党のオバマ上院議員、共和党のハッカビー前アーカンソー州知事が急浮上。ブッシュ政権の7年間で米国を覆った混迷を「リセット」したいと言う米国民の思いを、「経験」が頼りのヒラリー・クリントン上院議員はすくい上げられなかった。… この国を変えたという草の根の意思が伝わってきた。』と伝えている。2月5日のスーパーチュースデーで大勢が判明し夏の両党大会で代議員の投票で正副大統領候補が決まり11月の大統領選につながる。

 民主党では一貫してイラク戦争に反対の立場をとり、ブッシュ政権からの「変化」を強調し若者を中心に支持を広め米国発の黒人大統領を目指して初戦を制した。今後の流れの行方が注目される。                                
 世界では昨年、英国やオーストラリアでブッシュ政権と距離を置く流れが生まれた。米国政権の行方によって世界の流れが変わり、日本への影響は大きい。それだけに海の向こうの選挙とばかりは言っておれない人たちは多く、関心も高まって来るだろう。

 岩国では2月、在日米軍再編による米艦載機移転の受け入れを巡って「出直し市長選」が争われる。3年前の旧市時代の住民投票、2年前の合併後の新市での市長選では「移転受け入れ反対」の民意が示された。今回は市庁舎建設費をめぐって国が35億円の補助金を見送った事に端を発している。

 市庁舎は3月に完成し建設費の支払いが迫っている。暮れの市議会はこれまで4度にわたって否決された建設費に充てる合併特例債などを充てる一般会計補正予算の審議過程で、井原市長が「自分の首と引き換えに」可決を迫った。その結果、修正可決し市長は辞職して2月10日の市長選挙となった。

 判りにくいが「移転受け入れ・賛否」で3年余で3回の市長選挙を争うことになる。日本にこれまでにこんな経験をした街があっただろうか。岩国の結果は在日米軍再編の流れや日本の防衛政策に大いに影響を及ぼすことになるだろう。小さな街の大きな課題は岩国市民に留まらず広島を含む周辺自治体の住民も関心を高める必要があろう。
 昨秋、広島弁護士会が行った調査で「基地騒音は人権侵害に当たる」との見解を示し、これをベースに「米軍機の飛行差し止め」訴訟の準備が進んでいるようだ。この流れは市長選挙にも次に控える衆議院選挙にも、憲法に保障された基本的人権を取り戻す闘いとして成り行きが注目される。

 選挙と言えば衆議院議員選挙だ。
 年内に衆議院の解散総選挙もほぼ間違いないとの見方が強まっている。
 与野党が逆転した現状をどう打開するか。野党が勝利して与野党逆転させるか、再度与党に多数を与えるか。
 福田首相は年頭会見で「生活者を主役に…」と宣言した。しかし、年金・物価をはじめ具体策は全く見えてこない。暮らしに憲法が活かされた国の実感をつかむには程遠いいだけに「次の選択に向け」しっかりと見つめ見極めていきたい。

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2008年1月22日 (火)

「ヒロシマを伝える民間大使の入国」米国が拒否?

 兵庫県三田市で高校の教師をしながら米国の子供たちに原爆の映画を見せ被爆者のメッセージを伝える運動を続けてきたネバーアゲインキャンペーン(NAC)を主宰する北浦葉子さんからSOS年賀状が届いた。

 ネバーアゲインキャンペーンは1985年に塩川(北浦)さんが米国の大学で平和学の教授をしていたレイスロップ夫妻と共同で立ち上げた草の根民間交流ループです。
一般公募で集まった若者から選んだ人を米国に派遣し、1年間ホームステーしながら学校や教会で原爆の映画を見せたり被爆者のメッセージを伝える活動を続けて来た。

 初代の派遣者になった中村里美さんは「少しでも良いからヒロシマを伝えたい」という情熱で単身米国へ乗りこんだ。英語もままならない彼女の奮闘ぶりをRCC中国放送のカメラが追ったドキュメンタリー「ひろしまってなあに」は全国的な番組コンクールで優れた平和・民間外交活動として高い評価を受けた。<視聴希望があれば連絡ください>

 あれから22年NACは9期にわたって51人が34万人以上の子供たちに原爆映画を上映し被爆者の声を伝え、折鶴の折り方を教えたり日本文化を紹介するなどの草の根国際交流の民間大使を果たしてきた。

 以下、北浦さんの年賀状を引用します。
『2001年NYの9・11テロ事件以来、アメリカ入国のビザ取得が年々非常に困難になってきました。昨年初めに9期生達が帰国したので10期生を送りだしたいと希望していましたが、今のところビザを取得する目途が立っていません。
 それは、私たちのグループが手弁当の小さな小さなボランティアグループであるため、Jビザという正規の国際交流ビザを出してもらえない事が原因の一つになっています。レイスロップ教授夫妻は70歳を越え、私も50歳となりました。
 これまで通りの活動形態をとり続ける事は難しい局面にもあります。しかし“日本の若者が海外の学校を回り、現地の子供たちに被爆者のメッセージを伝える“という方法は「とてつもなく有効な平和外交手段」です。多くの人々、特に子供の心を捉えるということ、子供のつまり私たちの「未来」に直接訴えることの大切さは他に無いと感じています。
 私たちはビザ取得に今後も精一杯努力し、何らかの形で継続されるよう努力します。
何かのきっかけとなるアドバイスがありましたらどうかお聞かせ下さい』

 米政府にとってNACは歓迎したくないグループかも知れない。しかし、「核を無くし平和を創ろう」と言うヒロシマの被爆者のメッセンジャーがテロ規制策によって米国への入国が許可されないとするならばヒロシマの共通した問題として考えねばならない。

 広島の平和団体や広島市長、平和文化センター理事長などが保証人になるとか米国の世界市長会議のメンバーや平和団体と連携する等の方策が通じるのかどうか判らない。しかし、このまま推移すれば20年にわたって積み上げてきたこの企画に終止符が打たれるかもしれない。
誰か米国の対応に詳しい人の知恵を活かして応援することが出来ないだろうか。

どなたか、いいアドバイスをして下さることを期待します。

NAC事務局 代表:北浦(塩川)葉子  E-mail: yokotja@ybb.ne.jp
<グランパ>佐々木典明        E-mail: sasakitenmei@ybb.ne.jp

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2008年1月21日 (月)

68歳と8歳の年末年始 その2

 いまどきの子は小食です。それは、うちの孫に限ったことでしょうか。
 せっかくの正月だし、わずか1週間の滞在だから何かおいしいものを食べさせようと、張り切って「男の料理」の腕をふるいました。でもあまり食べてくれません。「何が食べたいの」と訊ねると、「スパゲッティ」「ラーメン」です。
 ガッカリです。正月の「おせち料理」などは奇妙な食べ物に見えるようです。
 「黒豆」は甘いので少し食べました。「海老」は皮をむくのが面倒なようで、手を出しませんでした。そこで、知恵をしぼり「ポパイ」の上腕部の筋肉モリモリをみせて「これはどうして強くなったか」と話して聞かせました。そのあと彼は「ほうれん草」をむしゃむしゃと食べてくれました。そこはまだ8歳です。

 その日タイミング良く新聞で、現代っ子の食事は「ニワトリ症候群」といわれていることを知りました。
「孤食」 ~ひとりで食べる~      
「欠食」 ~朝ごはんを抜く~
「個食」 ~家族がバラバラのメニュー~ 
「固食」 ~好きなものだけを食べる~
その4つの頭文字をとると「コケコッコ―」となるからだそうです。
 愕然としました。我が孫の食生活そのものだからです。

 またも私の8歳の食生活体験が出てきます。ザリガニを塩湯でしてむしゃぶりました。畑のサツマイモを掘り盗んで、芝生で土を落として生でかぶりつきました。赤蛙を捕まえて焚き火で焼いてしゃぶりました。おいしかったです。
 また、まずしい食事の時間でも、それは家族の最大の憩いの場でありました。

 あれからわずか60年、いまの8歳は、「スパゲッティぺペロンチーノ」とおっしゃいます。でも心配です。彼にとって食事は、きれいに、おいしそうに加工された食品を口に入れることでしかなく、自然から恵まれた食材の姿や命を思いはかることはできないし、ましてや、その自然の命と引き換えに自らが恩恵をこうむっていることへの感謝など思いも拠らないことでしょう。
 1週間の滞在で、そのことを教えることは無理でした。でも、たったひとつだけ彼が理解してくれたことがありました。彼が雑煮の「ハマグリ」を残したとき、「このハマグリは君に食べられるため生まれてきたんだよ。それが捨てられたのでは、可哀想だと思わないか」というとうなずいて食べてくれたことです。

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2008年1月20日 (日)

68歳と8歳の年末年始1週間

 大晦日の夜、突然、東京の小学2年(8歳)の孫が新幹線で我が家にやってきました。折りしも風邪にやられ、年末年始の人ごみの中に出向く元気もないので、充分なホスピタリティも発揮できないまま1週間を過ごしました。年の差60年、自分の8歳に重ね合わせていきざまの違いを知らされました。

 DSというハンディゲームとWiiというゲームを買わされました。それだけでは済まず、数種のソフトも合わせたら5~6万円の買い物でした。多くを語る必要はないと思います。それ以降の彼の暮らしは、ご想像のとおりです。
 
その中で3つも4つもいろいろなことを思いました。
① このゲームを買うことのできないない子はどうしているのだろうか 
② このゲームは、大事な成長期に何を教えてくれるのだろうか
③ このゲームは、大事な成長期にどんな弊害をもたらすのだろうか
④ このゲームで遊んでいる時間は有益なのだろうか …… などと。

 私の8歳は戦後3年目。応召された父親が肺結核を患って戦場から帰り命尽きた年でした。疎開先では竹の子生活を強いられ、幼い遊びは、自然の中での食料調達でした。田んぼを掘り起こして「泥鰌」をとり、小川で「ザリガニ」をすくい、林のなかで「きのこ」を採り、田のあぜで「野芹」「よめな」を摘んで母親の喜ぶ顔に応えることが幸せな日々だったと記憶しています。
 かくれんぼをしていたとき、突然鶏が鳴きました。野飼いの鳥が卵を産んだのです。明日をも知れぬ父親にその卵を食べさせたい、とっさにその卵を盗んで家へもって帰りました。産みたての暖かいその卵の触感はいまもわが手にあります。 
  
 年寄りの繰言です。こうした比較論は、たぶん若い人たちからはヒンシュクを買うでしょう。ただ、年寄りの特権として言わせてください。
 悠久の宇宙、40億年の地球史でみればわずか60年の瞬時の中で、こうまで人の住む環境が進化していったことが、「すばらしい」ことなのか。「憂うべき」ことなのかわかりません。そのことを、ちょっとだけ考えてみてください。
 それは、あなた方の「今」であり「明日」につながることなのですから。

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2008年1月19日 (土)

農業の企業化

 スキー場で栄えた元芸北町は、もともと農業の村だった。しかしご他聞にもれず、殆どの集落は、平均年齢65歳以上の老人が半分以上を占める限界集落の状態になっていた。そして頼りとしていたスキー場も閉鎖が相次ぐ状態になり、もう絶望的な状態の中で、ある集落では、農家が寄り集まり、農地を集積して、平成7年共同出資の「うづつき集落農業型農業生産法人」を設立し、みんなで農業をしようということにした。
 そしてお米だけを作るのでなく、なにを作れば売れるかを考え、どうすれば収益が上がるかを考え、やっていくうちに、いまでは経営面積も45haに増え、お米に加え、トマト、キャベツを作るようになり、構成員16名もなり、販売額は4.6千万円にもなったという。
 また、農業経営に魅力を感じる若者が帰農し始め、すでに20代が5名、30代が1名に増えているという。
 消えるのを待っているだけの状態にあった限界集落に若者が帰ってきたのだ。凄いことだ。
 この大きな変貌の理由は、一言でいえば、「農業を企業化する」ということにあるように思う。
 ある人が、「株式会社」は人類最高の発明であるといっていた。「ある目的のために、組織をつくり、役割を分担し、情報を収集し、必要とする事業資金を株式で調達し、結果責任はその出資した株の範囲とする」ということは、ある目的を遂げるためにはもっとも適った形態であり、それによって今日人類は現在の繁栄を獲得したといえるようだ。
 戦後の農地解放によって、農家は土地を所有し、家族で経営する形態になったが、それは反面経済学の論理からいえば、きわめて不合理な生産方式であったともいえる。それはそれでいいところは沢山あるが、今そのシステムから農業が脱皮しようとしているようだ。しかしまだまだ法人化を進めるには沢山の障害があるようだ。例えば今所有している農機具はどうするのかとか、法人に参加するには、そうした問題を一つ一つ辛抱強くクリアしていく必要があるようだ。
 日本の食料の自給率はとうとう昨年になって39%に落ちたという。広島市の食料自給率は3%だという。
 自分で自分の食料を確保するということは1番望ましいことだ。そのためにも食料を自給するには「農業を企業化する」ことは大きな意味がある。
 農業への企業参入を認めたことで、広島県内では、農業以外から農業への参入は平成17年までは7社であったが、平成18年以降の1年半ちょっとで15社あり、計22社になったという。
建設業からの参入が半数以上の12社ある。時代を感じる。
 販売のノウハウを持つ食品業、経営のノウハウと人材を持つ建設業、それに既存の農家の農業のノウハウとが手を組み新しい農業のあり方が生まれつつある。
 期待したい。

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2008年1月18日 (金)

無人駅

 無人駅だったJR山陰線の山口県湯玉駅が改装され、薬局としてオープンしたという。駅近くにある病院から相談をうけた調剤薬局・医療コンサルタントの会社が、20年近く無人化していた湯玉駅の駅舎を買い取り、老朽化した旧駅舎を撤去し、その跡に、木造2階建ての薬局と平屋の駅待合室を建てたのだという。薬局が駅の業務もやっているのだと思う。地元の人たちからは大変感謝されているという。
 JRの駅は、無人化されるような利用者が少ない駅であっても、長い歴史もあり、その地域の拠点になっていることが多い。通常、そうした駅は、幹線道路からのアクセスもよく、駅前には広場を持ち、利便性も高い。

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 そうした環境にある駅が、このように薬局等の他の用途を兼ねた駅になることは、地域の住民にとって、都合のよいことであろうことは容易に想像できる。
 同社は薬局だけでなく、いずれは地元産の野菜販売などをしていきたいといっている。
 無人駅に薬局、コンビニ、町役場の出先をとりこむことは、近頃流行りの「エキナカ」といえるが、駅とは本来そうしたものではないだろうか。
 「エキナカ」ならJRは充分の経験と実績がある。無人駅を複合化して、駅を再生することは、鉄道そのもの収支を改善することにもなるであろうから、今各地で問題になっている赤字3セクの再生にも有効な策かもしれない。
 郵便局にローソンのコンビニができるとは、民営化されるまではだれも予想しなかったことだ。
無人駅に限らず、駅の複合化には様々な可能性が覗える。こうした試みは、これからもどんどん進めて行って欲しい。

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2008年1月17日 (木)

日本酒

日本酒の国内消費量は減っているというけれど、輸出はぐんぐん増えているという。
近頃は、原料となるお米の半分くらいまで研ぎに研いで作るという大吟醸という極めて贅沢なお酒まで作られるようになった。
日本酒のこのデリケートな味わいは日本の文化そのものだ。
新酒が喜ばれるというのも、日本の文化らしい。
ワインの古さを尊ぶというヨーロッパ文化と比較するとその違いがよくわかる。
「お燗」というのも、また不思議といえば不思議な文化だ。
他のお酒では聞いたことがない。
日本の酒造メーカーは大体地域の古くからの名家であり、その地域の文化を支えても来た。
酒造メーカー地域の財産でもある。
広島は水がいいということで、日本でも有数の酒造メーカーが揃っている。
しかしその国内の酒造メーカーはどんどん減っている。
その傾向は当分続きそうだ。
広島では、西条に有名な加茂鶴酒造があり、広島市内の草津には小泉本店もある。
広島市内でも、20年位前には10ヶ所以上の酒造メーカーがあったようだが、今では4~5社になってしまったようだ。
残念なことだ。

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アキハバラ塾の河口氏によれば、或る会員の企業で、英語版のHPを作ったところ、海外からの注文が何件も飛び込んできたという。
その会社もさすがにびっくりしたようだ。
いまはネットで自動翻訳のサービスもされているから、外国語でHPを作成し、外国語での注文の翻訳もそれほど難しいことではないという。
ワインは輸送中に揺られると味が変わるというが、日本酒はそんなことはない。
海外に送るにも、ワインに比べたら、適している。
小泉本店等広島市内の日本酒についても、4ヶ国語の説明を付け、海外へのネット販売を考えたら、まだまだ可能性はありそうだ。
日本酒の良さ、そして広島の美味い酒を、もっと、もっとPRしたい。

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2008年1月16日 (水)

長楽寺

アストラムラインの駅に長楽寺という駅がある。
駅のすぐ近く、細い坂道を上がって行くと小さな社がある。
それが長楽寺のようである。
住職もいない。
ネットで検索しても何も出てこない。
長楽寺という地名、駅名にはあっても、寺そのものは市民から忘れられた存在になっているようだ。

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しかし脇にある「長楽寺観音堂縁起」を読むと、「創建は1600年以上昔の平安時代に始まる。本尊観世音菩薩のご真像は慈覚大師の作、本尊不動明王は弘法大師の作である。毛利元就の庇護を受け、七堂伽藍の威容を誇り、遠く関西からも信者が群れを成した。毛利輝元が長州に移遷されて以降は、寺領も没収され、衰えて、ついに廃寺の運命を辿るに至った。」
と書かれている。
七堂伽藍の凄いお寺だったのだ。
大変由緒ある寺であることがわかる。
いまはこんな小さな社しか残ってない。
1600年の間に、どんな歴史を見てきたのだろうか。
と考えると、そんな寺を見つけたと、妙に嬉しくなる。
可笑しい。

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2008年1月15日 (火)

北朝鮮被爆者対策?から日朝和平へ?

 昨年末、押し迫って旧来の仲間数人と忘年会をした。席上、30年余一貫して朝鮮人被爆者問題に取り組んできたR氏から日本政府の日朝外交の意外な裏面を聞いた。

 昨年秋以来、北朝鮮をめぐる情勢が大きく変わりつつある。一昨年10月の北朝鮮が核実験して以後、昨年は6者協議に合わせて米朝交渉が急速に変わってきた。任期内の核問題の解決を目指すブッシュ政権の姿勢が強く滲んで、北の核施設の無能力が進んでいる。
それに合わせた拉致問題は具体的な進展を見ていない。

 R氏は一昨年秋20回目の訪朝途上に北の核実験があり途中から引き返し時を待っていた。
昨年11月に原水禁の代表と一緒に訪朝し北朝鮮の被爆者組織や被爆者たちと会った。
 
 北朝鮮に在住する被爆者は現時点で千人足らずで、広島長崎から帰国した被爆者の実態はいまだに不明確なままである。北朝鮮政府をはじめ北を支持してきた在日朝鮮人の総本山の朝鮮総連も被爆者対策について要求や請求はした事はない。一貫して日本政府に対しては平和条約の締結が前提にあるからである。

 戦後30年目の’75年8月に在日朝鮮人被爆者が結成した「広島県朝鮮人被爆者協議会」は朝鮮総連の下部組織ではなく「核廃絶と被爆者救援」を中心に自立の立場で活動をしてきた。R氏は総連幹部だったが事情があって離れた。しかし、決して民団には移らずこの組織の中心的存在として広島市や対政府に対する在日被爆者対策などを求める7者協議会のメンバーとして活動してきた。

 そのR氏の20回目の訪朝で北の対応が従来に比べて変わっていたと言う。これまでは常に日本の平和団体や労組の代表の介添役だったのが副団長的扱いに変わっていた。帰国すると外務省から面談の申し入れが来た。谷内事務次官が応対して北朝鮮在住被爆者に対する日本政府の今後の対応について打診された。もちろん彼は北の政府や総連の組織人ではないので個人的な考え方を述べたに留めたと言い、ここでその内容は触れない。

 拉致問題が置き去りになって前進が見られない中で北に厳しかった安倍内閣が退陣し、福田内閣の誕生で日朝の平和条約締結と言う小泉首相が同意しその後ストップしている命題に風穴があこうとしているのかも知れない。

 拉致問題は平和条約締結と同時に並行して進める事が大前提になるという常識的な考え方だとすれば、外交の裏舞台で北の被爆者対策と言う小さなパイプを通して大きな動きが粛々と進められている可能性が高いと見てとれる。
 
 今年は長い間足踏みしてきた日朝間の問題が「北の核の無力化」の蔭で一気に進む気配として捉える事が出来る。
 選挙を控えて人気低下に喘ぐ福田内閣の支持率回復へのサプライズ狙いかも知れない。
 
 日朝間の歴史的課題が“村山談話”が活かされ日韓と同じレベルの経済援助が前提で進展すれば両国間の戦争状態に終止符が打たれ、当然のこととして拉致問題も解決の道が開かれることになる…という初夢を期待したい。

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2008年1月14日 (月)

仏の歴史学者マルゴラン氏の伝言

 暮れの28日、フランスの大学に留学中の広島出身のDさんが来日中の仏の歴史学者を案内してやってきた。原爆資料館の東館の展示を見るのが目的だった。
 
 ジャン・ルイ・マルゴラン氏は仏蘭西プロバンス大学の教授でアジアの戦争犯罪を中心にした歴史研究家だ。’97に発表した共著「共産党黒書(コミュンテル・アジア篇)」はベストセラーで今年発行の「ソ連編」は優良歴史書として受賞をしている。

 彼は過去に2度広島を訪れ原爆資料館を見学している。今回の来日は明治大学で開かれた「南京事件70周年 国際シンポジウム:過去と向き合い東アジアの和解と平和を」にパネリストとして参加し、中央 大学や立命館大学でも講演した後、広島に足を延ばした。

 江田島の「日本海軍の戦史資料館・参孝館」の見学に時間がかかり約束の時間を大幅に遅れての到着だった。早速、アポを取っていた前田館長に面会した。
 今回の取材目的は‘96に開館した東館の陳列展示がどのようにされているか。原爆投下に至る広島の前史の展示に最大の興味があるようだった。

 日本各地で見た戦争博物館では政治的意図を感じるものがあったが、ここでは展示内容の検討は誰がどのような形で行ったのか。中国・朝鮮・アジアとの関わりがどのように展示されているか。今後、展示内容の再検討はするのかなどを矢継ぎ早に質問していた。
 原爆の恐ろしさ悲惨さに戦争の暴力―具体的に<被爆者がいなくなる時代>の“核廃絶”を繋ぐ継承はどのように考えているか。学生生徒・若者にどう伝承するか…。

 東京のシンポジュウムで彼は、市民による文化的交流を経て戦争認識の話へと移行していったヨーロッパの過程に触れ「遅々とした動きであったが下から上がって来る動きこそ大事だ」と参加者を激励し「南京事件の記憶を人類の記憶に留める営みが国境を越えた市民の連帯と対話、学者による研究を基礎に国家間の和解が進められる」というシンポの趣旨に「それを実現できるのは市民運動」というエールを送っている。
 被害者・市民の声が反映される意議が大きいとの趣旨のようだ。
 
 御用納めの日の閉館時間が迫る中で時間をかけて展示をみる事が出来なかった。
彼は私に対して外国人歴史家の立場から今後の展示について2つのメッセージを残した。
 
 「広島は地方都市」であると同時に「国際的な様々な意義づけ」がされてきた点で地域史を尊重すると同時に国際関係を視野に入れた地域史の文脈化を強調している。
 ①被爆者だけでなく、その他の人々の数を明らかにして比較しながら、当時の広島の人々の流れが見える展示。
 原爆投下前の広島の軍需工場でどれだけの人間が働いていたか、朝鮮人中国人の強制連行の労働者。大陸に渡った日本軍人戦死者・生き延びた人、外国人捕虜などと原爆死没者を比較した表示。人の動きが見える展示で国際的なアプローチが拡大するとの考えだ。
 
 ②呉や広島にあった軍需産業が日本の軍需産業の中でどれだけの重要度を占めていたかを示す生産量、消費量などを数字で比較した「広島の軍事都市化」の視点を導入する。

 可能であれば展示内容を検討する委員会へ自分の考えを提示したいとの意欲も見せ、“米国での原爆展“や”世界市長会議の取り組み“にも強い関心を示していた。
 
 閉館時間になって資料館の出口は100人近い見学者がいた。今年最後の開館日の最終見学客の多さに驚いた。今年の入館者は昨年を上回る130万人台だと聞いた。
 
 国や自治体が運営する美術館や博物館の新年のオープンは役所と同じ4日~5日の所が多いいと聞くが原爆資料館は2日から開館している。今年も、内外から多くの人を迎えるだろうが率直な意見や提案が反映できる仕掛けも必要ではなかろうか。

 仏歴史学者の原爆資料館に寄せる伝言にどれだけの思いが込められているか判らない。彼の伝言をどれだけ理解できているかどうか不安は残るが政治的には中立公正の立場が旨の原爆資料館の展示に歴史的流れを踏まえたヒロシマの主張を求めていると感じた。
 彼は自らの思いを伝える為、近いうちに再びヒロシマに戻って来るに違いないと感じた。

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2008年1月13日 (日)

珈琲蔵人珈蔵

安佐南区伴の道にそって、ちょっと洒落たカフェがあった。
いままで気づかずに通り過ぎていた。
外観は蔵風の白い壁、中は民家風に梁がむき出しの仕上げ、庭は枯山水風に造られている。
なんとも不思議なコンセプトだが、それなりに納まっている。
コーヒーカップは、ウエッジウッドとかのブランド品を使っている。
コーヒーも美味い。
置いてある雑誌もMORE、クロワッサンといった女性誌だけだ。
女性の好みに合わせて造られているのがよくわかる。
愛媛県松山を拠点とするFC店だという。
客の殆どは女性だ。
ちょっとHな漫画とスポーツ紙の置かれていた、今までの街中の喫茶店とは一味違っている。
文化を創るのは女性だ、ということを、こんな所にも感じる。

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2008年1月12日 (土)

公園のトイレ

 どんな小さな公園にも、大抵トイレはある。身障者用トイレも付いている。建物も立派だ。一つのトイレをつくるのに随分とお金がかかっているだろうなと思ってしまう。このトイレを維持管理するのもまたかなりのお金がかかりそうだ。
 ホームレスが公園に住みつく最大の理由は、トイレと水があるからだという。人間は水とトイレがあれば生きていける。また公園のトイレの最大の利用者は、タクシーの運転手だという統計もある。
 しかし一般の市民にとって、公園のトイレに入るのは昼間でもなんとなく怖い。日が暮れたら、男でも、近寄るのが怖い。

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 知人の女性は、公園のトイレは絶対に使わないといっていう。その理由、まず怖いということのようだが、それに加えて汚いからだという。近頃はあちこちにコンビニがあるので、コンビニのトイレを使うのだという。ある友人はオフィスビルのトイレを無断拝借するといっていた。そういわれて、ちょっと見回してみれば、デパートにも、デオデオにも、ガソリンスタンドにも無料のトイレがある。あちこちにトイレはある。お金と暇があれば、カフェのトイレだっていい。
 デパートにもある。三越の男性トイレは、最近改修され、あたかも高級ホテルの部屋のような造りになっている。入り口を入ったすぐのところには数十万円はするだろうと思われる有名デザイナーの椅子が置かれていた。入り口を入った瞬間、間違えたかなと思い、一瞬入るのを躊躇ったほどだ。当然このトイレは無料だし、誰でも使えるようになっている。

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 街中で、トイレに不自由することは殆どなくなった。もちろん場所によってだが。どうも公園のトイレは、すでにその役割を終えた感がある。だからといって、これだけ立派なトイレを壊すのは勿体ない。
 最近市は公園のトイレの設計を市民から公募するということを発表した。面白い発想のトイレが作られるだろうし、それは、若手建築家の登竜門にもなりそうだ。
 こうした試みは、それはそれで素晴らしいことだと思うが、この際、どうしたら公園のトイレをちゃんと維持管理できるかの仕組みも、同時に考えることが必要のようだ。
 例えば、公園にオープンカフェを作り、その出店したお店に、トイレの維持管理をまかせることも考えたらいい。トイレを使用する市民は無料で使えることを条件に、カフェの営業を任せるということだ。
 カフェにはトイレと水が必要だが、公園のトイレには、水も電気も来ている。カフェの営業のための、最も必要なインフラはあるということだ。
 京橋川のオープンカフェには小さな仮設トイレがある。当然それはお店の費用で管理されていることと思う。綺麗に維持管理されている。公園のあり方も大きく変わってきている。市民皆で力を合わせて、綺麗な公園を作っていきたい。

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2008年1月11日 (金)

真砂土舗装の技術

 平和大橋の脇の堰堤の園路が昨年11月ごろ舗装された。表面は、土が踏み固められ、ちょっと固くなっているだけという感じの舗装である。それほど強度はないようで、磨り減ると、手前の舗装のように、凸凹になり、亀裂も入っている。しかしその凸凹、亀裂がかえって自然で、味わいとなっている。
堰堤の園路は舗装も何もせず、自然のままがいいと個人的には思うが、この舗装なら、車椅子にもよさそうだ。
 広島市もなかなか粋なことをする。
 公園の中の路や歩道が、車道と同じアスファルトコンクリート舗装であったりするのは、全くいただけないが、タイルや石というのも、どうも不自然でしっくり来ない。
 この真砂土舗装は明るく、温かみもあり、目にも優しい。弾力性もあり、足にも馴染む。継ぎ目も少ないから、車椅子にもよさそうだ。熱を吸収するので、ヒートアイランド対策にもいい。
 市内の歩道は、全部これにしたらいいとも思うが、車の出入りが激しいところでは、まだちょっとその強度に問題があるようだ。それにしてもどこにでもあるタイル、石より、広島らしいこの舗装は、はるかにいい。
 真砂土は広島のどこにでもある。その真砂土を使っての舗装は、地域資源を活用した大変ユニークな「広島らしい街並み」の景観を創り出している。

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 真砂土舗装の技術は真砂土を様々の硬化剤で固めていることから、「酸化マグネシュウム系」「セメント系」「石灰系」「樹脂系」といくつか種類はあるようだ。価格はアスファルト舗装の3倍~6倍になるようだが、それでもタイル、石の舗装よりは大分安いようだ。
 低開発国では、土を塗り固めたり、日干し煉瓦で建物を造ったりしているが、その類の建物は、ちょっとした地震ですぐ壊れ、大きな被害をだしている。土を固めるということでは、この真砂土舗装の技術は大いに応用できそうだ。是非研究して欲しい。
 この園路をショウルームにして、全国に、世界に真砂土舗装の技術を発信、販売したらいい。広島の誇る新しい産業の一つとなるはずだ。是非アキハバラ塾でも考えて欲しい。

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2008年1月10日 (木)

芝浦工大の新学長に三菱重工元常務

芝浦工大の新学長に、三菱重工元常務技術本部長の柘植綾夫氏が選任された。
原子力発電所の蒸気タービンの研究者としては、かなりの実績のある人のようだ。
国内の大学で、民間企業の出身者が学長になった例はないだろう。
広島市内の私立の大学の学長も、広大教授出身者が多く、民間企業出身者がなったというのは聞いたことがない。
国立大学の独立法人化に伴い、最近山形大学の学長に文部科学省の元次官の結城章夫氏がなったが、そのときは天下り人事として大分物議を醸した。
大学の学長に期待される役割も随分と変わってきているようだ。
芝浦工大と柘植氏がいままでどういう関係にあったのか知らないが、民間企業出身者を学長にするとは、また随分思い切ったことをするもんだ。
民間企業出身者を学長にしたというこということは、学生を採用する企業の側に立って教育を考える、そして就職を控えた、学生の目線で教育考えるということだろう。
大学がそうした必要性を強く感じたというということだろう。
今回の人事になにか新しい可能性を感ずる。
頑張って欲しい。
芝浦工大はノーベル賞受賞者の江崎玲於奈氏を学長に招いたこともある。
大学全入時代を迎え、大学も生き残りをかけて必死だ。
民間人の官への登用も始まっている。
国立大学学長への民間人の登用はあるのだろうか。
全共闘世代の「企業は悪だ」という時代を経験した者にとっては、隔世の感がある。
しかしいいことだ。
今後、こうした産官学の流動性がどんどん高まることが期待される。

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2008年1月 9日 (水)

災い転じて…

 昨年末に受けた3ケ月チェックで改めて肝臓や肺・リンパなどへの転移がないとの診断が示された。4月の1年チェックでもOKが出たが気分よく新年を迎えられたことが嬉しい。

 丁度、2年前のこの時期は抗がん剤の投与で頭髪をはじめ体毛が抜けはじめ爪には激しい変形が生じ、皮膚にも深いシミがあちこちに発生するなどの副作用が出始めていた。一時は“ステージ4?”との告知?に終末を考えるなど暗い気持の新年を迎えていた。

 4月に胃を全摘し胆嚢と脾臓もとり膵臓も一部を剝離するなどの手術で一気に16kg体重が落ちた。手術前には痛風が出るなど思わぬ付録が付いてしまった。体重が急激に減り歩く際に腰回りや太腿辺りに痛みが生じるようになった。ペインクリニックや整形に通い、韓国のハリ治療に出かけそれなりの効果はあったが筋肉を支える筋(スジ)の伸縮が十分でないためだ。ストレッチと散歩が一番良いとの結論を得て毎日散歩を楽しんでいる。

 最近の胃癌治療は大きく変わりつつあると言う。比較的進でいても術後の抗がん剤投与で3年後の生存率は8割になり、手術単独の場合の7割より向上すると言う結果が発表されている。術後の抗がん剤を使用していない私の場合は4月以降の2~3年は半年間隔のチェックで必要だが「胃癌の診察ガイドライン」が変更される可能性が高いというニュースは嬉しい知らせだ。

 一時は86㎏とメタポリックシンドロームに最短距離にあった。スポーツジム通いで4~5キロの減量を出来たもののあと10㎏の減量を指示されていた。それだけに思わぬ手術結果に驚き、手術後1年8ケ月経過した今は体重が5kg回復し、69㎏と理想的になった。
ついでに長年悩まされて来た痔が嘘のように消えてしまった。血中のヘモグロビンが多少低いが日常生活に全く支障はない。
 主治医は「当分、成人病と言うかメタポリックシンドロームの心配がなくなりましたね」と元気づけてくれた。

 長年お世話になっている東洋医学専門の医師も今回の検査結果と同じ様に「癌のスジは消えています」と根気よく痛みが消える様な散歩が一番良いとの指示を頂いた。

 一時期は終末を考えていたがむしろ成人病や持病の苦痛からも解放されつつあることはまさしく「災い転じて福」を頂いたことになる。お世話になった多くの人たちに感謝すると共に改めて健康に留意して1年1年を大切に生きなければならない。
 今年もブログの書き込みと散歩を日課に一歩一歩を大切に前進しようと自覚している。

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2008年1月 8日 (火)

カーボンオフセット・ツアー?

 テレビの企画ニュースで「カーボンオフセット・ツアー」を取り上げていた。
耳慣れない用語だが面白い試みだった。環境保護の新しい切り口だろう。

 Carbon二酸化炭素をOffset打ち消す・相殺する…地球温暖化防止に貢献する運動だ。
 人間の生活や経済活動を通して排出された二酸化炭素などの温室効果ガスを植林や森林保護、クリーンエネルギー事業で直間接的に吸収して相殺する考え方の活動である。

 東京から名古屋まで車で2往復するとCO2を400Kg排出する。これに対して5000円募金をして年間檜16本を育てると排出したCO2分(400kg)を木が吸収して相殺する。
 森を育て日常生活で排出したCO2を一時的に貯蔵してもらうための森林を育てると言うのがカーボンオフセットだ。算出根拠はNPO法人の「環境エネルギー政策研究所」が移動距離・移動手段・参加人数・日数から簡単に割り出す。
 
 1997年に英国で始まりEU各国や米国カナダなどでビジネスとして普及し始めたという。
 英国のCO2排出ゼロを目指す自治体では政府や電力会社交通機関などからの基金を基に’03年から4年で5万トンのCO2の削減を達成し、航空会社などの導入が進んでいる。

 日本でも環境NGOなどが取り組みをはじめ政府も今年から神輿を上げたと言う。
企業ではJTBや日本郵政が取り組んでいる。JTBは上記・下記の旅行企画がそれである。

 昨秋、茨城県の高校は沖縄へ「CO2ゼロ」修学旅行を行った。通常の旅行代金に一人当たり700円を上乗せすると、生徒が飛行機で往復する際に出るCO2の10%を、自然エネルギーで相殺(オフセット)して、地球温暖化の防止に貢献し環境学習にも役立っている。すでに団体旅行を中心に3000人もの申し込みで思わぬ人気商品になろうとしている。

 日本郵政は昨年カーボンオフセット年賀ハガキを売り出している。55円の5円分で地球温暖化防止を推進するプロジェクトを支援して、京都議定書で定められた日本の温室効果ガス排出削減目標のマイナス6%に貢献すると言う狙いだ。

 関心を示している企業は多いいと言う。原油値上げで喘ぐ日本でどれだけ浸透するかが問題だ。何より自動車メーカーやタクシー運輸業社、電力会社、航空会社が取り組むか。
 広島にも新しい芽が出るのだろうか。
 政府主導でなく個々人にどこまで取り組みが根付くことが出来るのか。
 「カーボンオフセット」は環境問題を考える上で今年の国民的課題と言えそうだ。

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2008年1月 7日 (月)

屋上

 超高層ビルからの景色は美しい。初めて見たときは、その景色に驚く。しかし慣れてくるに従い、眼下に見下ろすビルの屋上が意外と汚いのに気づく。あきれると共に、いささか嫌になってくる。
 マンションやオフィスビルの屋上には、クーラーや仮設の倉庫やなんやかやが雑然と置かれている。部屋の中に置くには勿体ないといった類の物が、屋上に追いやられ、物置になってしまっている。ゴミ捨て場のようですらある。写真の景色はまだ良い方だ。
 そもそも建築のデザイナーも、ビルの屋上が見られると思って、設計していない。横から見られることは解っているから、横からみれば、クーラーや、物置もブラインドで囲われ、隠されているから見えない。が、隣にさらに高い建物ができると、隠したつもりの雑物が見えてしまう。これでは頭隠して、尻隠さずだ。

Ok

 超高層ビルから見る街の景観は意外と美しくない。ただもの珍しさだけだったようだ。
 古来日本の寺社仏閣に限らず、屋根はなんともいえず美しい。その屋根の連なる町並みも美しい。京都では、京都の美しさは町家風の屋根にあるとし、景観条例の中で、全ての建物の屋根に勾配をつけるよう決められたようだ。
 小学校唱歌に、「甍の波と雲の波 重なる波の中空を 橘かおる朝風に 高く泳ぐや 鯉のぼり」という歌があった。
 ということをみると、どうも戦後になって、近代建築がもてはやされ、RC造の陸屋根になってから、屋根が消え、屋上が汚くなってしまったようだ。コルビジェ等の近代建築思想では、屋根は合理的でないとして、なくなってしまった。
 しかし合理性ということからいえば屋根があったほうが、本当は合理的なようだ。陸屋根は雨漏りがしやすく、断熱性も悪い。建物のオーナー、建設業者は雨漏り対策に悩まされ、設備業者は最上階の部屋とそれ以下の部屋の室内気温の調整が難しく、頭を悩ませているのが実情だ。屋根がないことは、総合的に見れば、実は意外と不合理なのだ。屋根の価値が再認識される時代になったようだ。
すべてのマンション、オフィスビル等の陸屋根の上に蓋をしたくなってきた。屋根を架けたくなってきた。
 可笑しい。

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2008年1月 6日 (日)

そごうインテリアスタジオ

 そごう9階に高級インテリアショップができた。この場所には2007年の2月まで、ベスト電器があった。そこを改装してのお店だ。B&B、アルフレックス、ムーア等の輸入家具を中心に、かなりの高級家具を揃えている。これだけ揃えている店は東京にもちょっとない。
 誰がこんな高いのを買うのかと思うが、企業のオーナー等が新たにマンションを購入した際とかに、カーテン、テーブル、椅子、棚、照明器具等の家具をワンセットで買い換えるのだという。子供が巣立って、空いた部屋を改装するケースもあるという。ここはそうした人たちのためのショウルーム、相談コーナーになっているようだ。
 郊外型大型SCに対抗するための、デパートの高級化路線の象徴といえる。
 衣食住というが、ようやく日本の経済水準もこうしたいい家具を揃えようというレベルにまでなったということが、背景にあるようだ。
 このお店の対象とするマーケットは中四国一円だという。

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 それぞれの家具、調度品は、どれも素晴らしい芸術作品だ。見るだけでも楽しい。無料の美術館だといえる。
 宇品港には倉庫を改装したインテリアショップ・アクタスがある。お店の一角にはオシャレなカフェレストランもついている。
 こうしたお店を巡るのも、都心の楽しさの一つだ。広島の街の魅力の重要な要素になっている。
 こんなお店がどんどん増えていって欲しい。
 私は見るだけだけど・・・・・
 紙屋町のカフェ・サンマルクの上には高級インテリアショップがあったが、最近撤退してしまったようだ。
 ちょっと寂しい。

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2008年1月 5日 (土)

サラウンドシステム広告

 日経ビジネス2007年12月10日号に興味深い記事が載っていた。
 今ネット広告がもてはやされ、その勢いはTVのCMを凌駕するような状況だ。駅の看板は東京ですら、広告主がつかず、白いままのを目にする。こうした広告看板や電車の中吊り広告は時代遅れといわれて久しい。
 そうしたことに対し、日本コカコーラが現在の費用配分での広告と、それと全く予算配分を変えての広告の効果を比較したところ、コカコーラの愛飲者を作り出す最強の広告媒体はTVでも、ネットでもなく、電車の中や駅構内に張られたポスター等の広告だということがわかったという。結局コカコーラは、今ではTVのCMが1番多いが、2番目は交通機関と屋外広告にしたという。
 なぜそうしているかの理由は、低音や高音を出すスピーカー、そしてそれを四方八方に置かれた幾つものスピーカーから音を反響させた方が、音が立体的になり、豊かになるという「サラウンドシステム」という原理があるが、それと同様、TVCMオンリーという単一スピーカーでの広告より、複数の広告媒体を調和させて、発信したほうが、広告効果がより高くなるということのようだ。
 看板、ポスターといった古典的な広告媒体は、もう時代遅れといわれ、見放されかけていたが、どっこい生きていたというわけだ。

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 しかしこの古典的な広告看板もよく見てみると、アストラムライン本通り駅には2M×4M位の大きな広告看板が設置されているし、柱巻きの広告もされるようになった。当たり前のように貼られているポスターにはQRコードがついていてその広告主のHPに飛んだりする。またエスカレーターのベルトにも広告が付いている。昨日まで普通の電照広告板があったところにフリーペーパーが置かれていたりする。バス1台、広電の電車1編成をそっくり広告媒体としてしまうラッピング広告も現れてきた。バス停も広告とセットになって綺麗なバス停が作られるようになった。建物の壁面がそっくり広告になっていたりする。古典的だといわれる看板広告も、時代と共に、大きく変わってきていることがわかる。
 しかしちょっと気をつけてみれば、街中広告だらけだ。人は広告の洪水の中で生きている?
 そんな状態をサラウンドシステム広告というの???

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2008年1月 4日 (金)

広島エアポートビレッジ

 広島空港に隣接してゴルフ場、エアポートホテル、三景園、ガーデンフォレスト、森林公園、それに空港周辺を1周する自転車コースがある。どれもこれもなかなか立派な施設だ。これだけ多様な施設を周辺に持つ空港は世界でも珍しいだろう。しかし現実は、どの施設も利用客は少なく、経営もかなり厳しい。
 ホテルの建物は立派だし、レストランの料理もおいしい。庭園も綺麗だ。でもホテルの建物はなんとなくつまらないし、庭園はどこかまだ若く、奥行きがない。それぞれの施設は空港との連続性もなく、施設間の繋がりもない。なにも空港に隣接してなくてもいいんじゃないかと思える状態にある。
 これらの施設は、殆どの市民には、殆ど無視されているような感である。空港建設にまつわる様々のスキャンダルの故にであろうか。見て見ないフリをしているか、それともその存在を忘れているのであろうか。厳しい経営状況に対し、当事者である県も懸命に支援しているが、そのことがまた批判の対象になってしまっている。
 現状は典型的なバブルの負の遺産となっている。

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 しかしもう出来てしまった施設だ。いまさら作ったことに文句をいっても仕方がない。どうすればこの立派な施設を生かせるかを考えるべきだろう。
 羽田空港も今の建物であるビッグバードに移ったとき、こんなでかい規模の建物で、経営が成り立つのか懸念された。が、できた当初こそガラガラだったが、いまでは凄い賑わいとなっている。数年前には既存のビルをJALに明け渡し、ANAは専用の第2ビルを作って移った。新羽田空港には巨大な街が2つもできたといえる。
 札幌空港ビルも巨大なビルだし、関西空港も凄いでかいビルである。
 こうした巨大な施設が成り立つのは、空港利用客の人数にもよるのは勿論だろうが、それに加えてその滞在時間の長さにもよる。空港利用客の使うお金は、人数×滞在時間に比例していると見るべきだ。とすれば、いかに空港での滞在時間を増やすかも重要なことだといえる。
 広島空港の一人当たりの平均滞在時間は20~30分だろうが、羽田空港、札幌空港の滞在時間は悠に1時間は超えているだろう。その間に使うお金が空港ビルの賑わいにつながっているといえる。
 空港での滞在時間を増やすといっても、広島空港で、これから新たな施設を作るのは難しいだろうから、よりイベント的なこと、例えば、サイクリングロードを使った「自転車レース」なども考えられるかもしれない。空港利用客に対し、三景園で上田宋箇流のお茶会を開くのもいいだろう。それから、通常空港ではお土産を買ったり、食事をしたりするだけだが、ちょっと早めに来てもらって、温泉に入る、サイクリングをする、ゴルフをするというように仕掛けることも必要だろう。長時間飛行機に乗るとエコノミー症候群になるといわれるが、そうしたことに対しても有効な施設がありますよとPRすることも必要だろう。或いは世界のエアライングッズを売る専門店など、コアなマニア向けのショップを誘致するのも手かも知れない。マニアックな品揃えなら、ネット販売をすることも可能だろう。
 いま日本全国の駅はエキナカビジネスの開発に懸命だが、広島空港では「クウコウナカビジネス」をもっと積極的に推し進めたらどうかというわけである。エアポートビレッジは「クウコウナカビジネス」のためのハードは、すでに十分に揃っている。そのポテンシャルを、いかに生かすかが今必要なことだ。
 それができれば、バブルの負の遺産であった空港周辺施設であるエアポートビレッジを、正の遺産に変換することも可能だろう。
 中国、韓国からの利用客が増えたときには、新幹線空港駅も必要となるだろうし、エアポートビレッジのゴルフ場、庭園の存在はさらに大きな意味を持ってくるものと思われる。
 関西空港、中部空港も海の中だし、羽田空港も片方は街、片方は海だ。
 こんな立派な周辺施設をもつ空港は、世界にない。
 「クウコウナカビジネス」は、広島空港を極めてユニークな、そして魅力的な空港に一変させるだろうと思われる。
 新しい年の課題としたい。

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2008年1月 3日 (木)

プロ野球選手の年俸更改

 12月中旬、ついこの前といっても昨年のことだからすでに旧聞に属することかもしれない。広島カープの栗原健太内野手が、年俸の更改にあたり代理人を立てて交渉した。カープでは初めてのことらしい。栗原選手は、訥弁で主張することが苦手ということから代理人を立てたようだ。カープ球団側は「お金の話だけなら双方が代理人でやればいい。この機会(交渉)に野球の話ができることが大切なのに」と、戸惑いをかくさないコメントをだしていた。
これを読んで首をかしげた。

 年俸の更改は賃上げ交渉だ。球団は交渉のプロ、選手は交渉について殆ど素人だ。しかも立場は弱い。だから代理人制度が存在する。
 野球の話がしたいのなら、本人も同席しているのだからすればいい。球団の査定の仕組みや本人評価をゆっくり誠実に説明することは不能ではないはずだ。

 代理人制度が認められていても毎年利用する選手は、選手会に登録されている200名の中でもわずか10数名で、大半は個人交渉が実態だそうだ。代理人をたてると球団側からにらまれる、代理人報酬がかかる、有能な代理人が少ない、など多々問題があって日本ではまだなじみが薄い。本場のアメリカでは専門の腕利き代理人が活躍していて、球団交渉のほかにコマーシャル出演、節税、住宅や子供の学校紹介にいたるまでこまごまとした面倒を見るそうだ。

 選手年俸がアメリカと桁違いな日本で、代理人制度が当たり前になるのは、まだ少し先のことだろう。でも栗原選手は、一石を投じた。来年は、期待の
4番バッターとして大活躍しそうな予感がする。またそうあってほしい。

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2008年1月 2日 (水)

私の初夢―ゲームとマンガとカラオケ

 ゲーム機器メーカーの任天堂の株式の時価総額が9,5兆円をこえたという。日本では、トヨタが22.8兆円、三菱UFJフィナンシャルグループが13兆円だという。それに次ぐ3番目だ。いままで大企業の典型と思われてきた新日鉄よりも、そして旧国鉄のJR関連7社をすべてあわせたよりもでかい。 今をときめくNTTドコモ、SOFTBANKよりもでかい。立派な大企業だ。
 世界の大企業ランキングでも軽くベスト100に入っている。ベスト100に入っている企業の殆どは石油、金融、自動車、流通等大体日頃よく聞く事業内容だが、任天堂だけが全く異質だ。単純なおもちゃのメーカーだと思ってはいけないということがよくわかる。
 1人当たりの扱い額が2.8億円という。これはとんでもない額だ。普通の企業は1千万円もいけば御の字だ。2.9億円といえば、それだけで数十人規模のちょっとした会社だ。恐ろしい効率だ。
 しかしそれに加えてもっと凄いのは、その開発した知的技術が高いことだ。アメリカでは軍事産業関連が最高の知的技術水準にあるようだが、日本でのそれは、任天堂にあるといっていもいい。

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 日本が世界に誇るビッグスリーは、任天堂とトヨタとマンガだといえる。が、トヨタに代えて、カラオケを入れるべきかもしれない。
 ゲームとカラオケとマンガは日本が世界に誇る文化だ。
 日本の文化が、世界を席巻しているといえる。
 それこそ「ジャパン イズ NO1」だ。
 欧米ではマンガを読んで日本語を勉強しようとする人が増えているという。
 パリではコスプレの大会も開かれているらしい。素晴らしいことだ。
 どこかの大臣が、私の愛読書は漫画だといっていた。そしてどこかの市長は、カラオケ大好き人間だ。
 任天堂の岩田社長は「任天堂は笑顔創造産業」だという。
 テロ特措法での石油供給なんか止めて、「ゲーム機と漫画本とカラオケセット」を、イラク、アフガン、北朝鮮等に、1兆円分支援したほうが、よっぽど世界平和に貢献する?
 ここまできて目が覚めた。
 この初夢は、目が覚めたら、消えてしまう?
 正夢になって欲しい!!!!

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「お雑煮」考

 おもちが好きな孫と話していて気づいた。お雑煮にはお肉が入っているものと考えているようだ。それもそのはずだ。この子たちの母親がつくるお雑煮は祖母仕込みである。

 お雑煮は収穫に感謝し一年の無事を祈ってお正月に食べる伝統的な日本料理だ。
 日本の各地で雑煮を食べる風習は今も引き継がれ、餅の形や出汁、具の種類は地方や家庭で様々だが雑煮を全く食べない若者や家庭が増えていると言う。

 インターネットで各地の雑煮を探ってみた。秋田ではフグか焼アジのだしで岩のり・ハタハタの塩辛ショッツル味もある。釜石ではホヤにワカサギのトッピング。木曽地方ではワラビやぜんまいが笑いに通じると喜ばれ、質素倹約を旨とした徳川家康の地名古屋には今も名をあげるに通じる小松菜に澄まし汁だけの雑煮がある。
 雑煮の語源は「煮雑(にまぜ)」で何でも雑多な具材を煮合わせた事にあり、各地で共通しているのは出世魚の鰤の使用が目立つ。お雑煮は縁起ものでもある。

 我が家のお雑煮は三が日専ら牛肉雑煮だ。
私の育った西条の実家の雑煮は元日はブリ、2日は牡蠣、3日はハマグリにそれぞれ紅白の蒲鉾に里芋・大根・人参・ごぼうの根菜類にしょうゆ味の澄し汁だった。お餅は基本的に丸もちだが小さかった頃は切り餅だった時期があった。
 祖母があんこ入りの餅を雑煮にしたのは育った四国の一部地区の風習で今も残っている。

 家内の実家もほぼ同じ様な雑煮だったと言う。母は京都の出身で白味噌仕立てが好みだったに違いないが義父に合わせて広島風の雑煮で正月を祝ったようだ。ひとつ牛肉とハマグリ雑煮が祖母から家内へ、そして娘に継承されている。鰤やカキの独特の匂いが家内の嗜好から遠のいて自分の好みが優先した結果だ。従って鰤やカキ雑煮が復活する可能性は全くないと言え、すでに伝統的な風習から実用的な好みの雑煮になって伝わっている。

 孫達はそろってお餅が好物でこの時期は醤油焼ののり巻きや安倍川を好んでおやつにしているがお雑煮も結構よく食べる。カキフライやカキ鍋に鰤の照り焼きは好物だがカキや鰤が入った雑煮は想像できないと言う。

 食文化は時間をかけて継承され時間とともに消えていく定めだ。
 我が家でもお雑煮を通じて食文化の継承に変化を生んでいる事を改めて認識する次第だ。
 あなた達のご家庭では如何ですか。

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2008年1月 1日 (火)

一年の計

 毎年新しい年の干支による運勢を知らせてくれる友人がいる。
 因みに今年の辛未(かのと ひつじ)は好調で経済的な心配はないが、控え目で謙虚な姿勢を忘れると思わぬ敵をつくり人の好意を失う。思惑どおりに展開しなくても和やかに過ごすこと…とある。
 
 近年、「一年の計は元旦にあり」などと考えたことが無かったように思う。現役を離れて5年、古稀を迎えてここ3年は思いもしなかった大病との付き合いで、命と向かい合う時間が多く長いスパンで考えられず、1年を確かに生きる事だけを考えてきたように思う。

 「1年の計」は1年を振り返って始まる。そこで、昨年を振り返って見ると初めての経験があった。2つの選挙で約半年間ボランティアをした。選挙と言えば専ら取材し伝える側に40年余いた。選挙事務所の中から見ると候補者に対する誹謗や中傷の多さ、加えて伝える側のいい加減さを肌で感じ改めて選挙の怖さや難しさを体験した。
 そこで選挙を手伝った仲間とこのブログを立ち上げた事は私にとって一番の出来事だった。

 広島を見つめ広島の良いこと良くないことを率直に指摘し「広島・大好き人間」を一人でも増やし、元気で明るい広島応援団になろう…と言う趣旨のブログだ。
 選挙やブログに関連してこれまでには無かったパイプが出来ていくつかの声が掛かった。

 環境や平和、国際交流を考える若者のグループが立ち上げたNGO「from grassroots」はクリスマスイブに平和大通りをサンタのスタイルでゴミ拾いをした。消費文化に一石を投じる行動で今年の計画に弾みをつけた。いい映画を観る会の推進提案もいい。

 平和活動に取り組む市民が集い情報交換する「平和交流会」が平和文化センターのリーパー理事長の肝いりで年末にスタートした。反核、環境、国際交流に取り組む市民やグループがつながる場所が欲しいと言う声にリーパー理事長が応えて毎月第二金曜日午後6時半から原爆資料館東館で開かれる。関心がある人はだれでも参加できる緩やかな集いだ。

 これらの会や集いに参加して“新しい自分の場所探し”をしてみようと思っている。

 また、今年も孫にひかれて市民球場とバッティングセンター通いが増えそうだ。
 平和公園の散歩は日に5~6000歩を維持して臀部の筋肉痛を改善し、3年ぶりのゴルフに挑戦出来るような健康を取り戻したいとささやかな夢を抱いている。
 「1年の計」が運勢のように思惑通りに展開しなくても和やかに過ごしたいと願っている。

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初夢

 「神様、3つの願いをかなえてください。1つは、地球の温暖化がこれ以上進まないこと。2つ目は朝鮮半島が統一されて北東アジアが安定されること。3つ目は、2020年までに核兵器が廃絶されること」でも・・「何を言うか、みんなお前たち人間が勝手にしたことではないか、自分たちで解決しろ」という神様の声が聞こえてきたような気がした。

 広島平和文化センターのS・リーパー理事長は、2020年までに世界の核兵器をすべてなくそうという「2020ビジョン」について、「実現するにはもっと市民レベルの草の根運動の支えが必要だ」と指摘している。そのとおりだと思う。
 でも「2020年」というメルクマールを、いったいどれだけの市民が知っているだろうか。ひょっとすると数%かもしれない。
 
 被爆者認定、憲法擁護、韓国人被爆者支援などヒロシマがゆえに地道にがんばっている市民運動はある程度市民権をえているといえる。だが「核兵器廃絶」という運動は、相手があまりに大きく、市民の反応はいまひとつのような気がする。リーパー氏もそこを見据えながら具体的な力の結集を呼びかけているのだと思う。

 そのために、
① 人と場所を確保する。
  「人」は、平和団体、有識者、ボランティアなどを結集する。「場所」は・・・・
② 世界に通用するネーミングとする。
③ 当初は、運動の戦略の画定にあて、後半は確固とした組織つくりをする。
  世界的規模の資金調達をする。
④ 08年G8議長会議での決議を求める。
⑤ 市民の啓蒙と支持の取り付けの運動を展開する
⑥ 世界的な認知と支持の拡大を進める。
⑦ ・・・・
 やるべきことは沢山ありそうだ。

 「2020ビジョン」を多くの市民に伝え、その支持とパワーのもと、その熱き思いを世界に伝えていきたい。

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