在外被爆者支援に懸けた人
年末にお会いした方の訃報が報道され驚いた。フリーのジャーナリストで在韓被爆者の支援をはじめ在米、在ブラジルなど海外に在住の被爆者の支援にかけて来られた方だ。
中島竜美さん(80)は‘52年早稲田大を卒業直後から文筆活動に入り児童文学を手掛ける傍ら朝鮮人被爆者問題や人権問題に取り組み評論やルポルタージュの執筆、ドキュメンタリーの構成などに取り組んで来られた。
‘70年暮れに、広島で被爆した韓国在住の孫振斗さんが日本で原爆症の治療を受けるため密入国して逮捕された「孫振斗裁判」に深く関わり、‘78年に最高裁で「不法入国した被爆者も救済を必要とする健康状態に置かれている点で一般被爆者と変わらない」と原爆医療法の適用と“日本政府の責任を認める”勝訴を得た。厚労省をはじめ与野党議員や厚労大臣、総理などにも積極的に面談するなど韓国のほか在米、在ブラジルなど外国に居住する広島長崎の被爆者支援活動をリードした。
‘80年にRCCが制作した「孫振斗裁判」をめぐるドキュメンタリー『ヒロシマ35年・未ダ補償ナシ』は中島氏の企画・構成によるものでギャラクシー賞のグランプリを受賞するなど在外被爆者問題を語る際に外せない代表的な記録となっている。
昨年末24日に市内で開かれた三菱広島の元徴用工被爆者裁判の最高裁判決勝訴の報告集会で久方ぶりにお会いした。数年前、厚労省の被爆者調査検討会の委員を受けた際に、何度かお電話を頂いたが、お会いするのは10数年振りだった。
講演の中で自分は当初は中国新聞の平岡敬記者(元広島市長)が表面立てないカバーをする程度に考え、中国新聞の金井学校(故・金井利博中国新聞論説主幹が戦後いち早く平和問題に取り組み若い記者たちの育成継承された)の生徒の一人として関わったと在外被爆者問題に打ちこんだ来歴を披露しながらヒロシマに心をこめて振り返えられた。
久しぶりの中島氏は以前よりやや太っておられ、杖を離せない年になってしまったが健康状態はまずまずだと話しておられた。
懇親会をご一緒出来なかった為、会場で握手をしてお別れしたが「また来ますよ」と元気だった丈に訃報には驚いた。
奇しくもドキュメンタリー『未ダ補償ナシ』で中島氏と一緒に未決拘留中の孫振斗氏に面会インタビューするなど撮影を担当したカメラマンS氏が中島氏の一週間前に逝った。
今頃、孫氏とS氏に中島氏の3人が「今年は認定問題の進展を含めて外国人被爆者対策の正念場」と話しているに違いない。
在外被爆者のため半生を懸けて指導的役割を果たして来られた中島さんに、改めて敬意を払うと共にご冥福を祈る。 合掌。







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