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2007年12月

2007年12月31日 (月)

暮れの便り

 年々暮れに受け取る便りが増えている。「喪中につき・・・」と身内の忌中を知らす喪中ハガキが師走はじめと言うのにすでに30枚に達した。ご両親やご兄弟が亡くなったケースが大部分だが、ここ数年はお付き合いしていた方の奥様からのハガキが増えている。
 今年は親しく付き合いしてきた2人の方が亡くなった知らせもある。

 2月に亡くなったMさんは長年労働組合活動を通してここ30年余、被爆者運動に力を注いで来られた。非被爆者である事を負い目に背負った活動は被爆者訴訟の支援活動や原水爆実験抗議の座り込みをはじめ被爆者の相談事業などに献身的だった。
 ここ数年は腎臓を患い週3~4回の人工透析をしながら病身をおして訴訟支援などに費やしておられた。享年78歳だった。

 キー局で長年中国の専門家だったO氏は北京特派員をつとめた後、北京マラソンを仕掛けるなど中国関連の企画や特集を担当する窓口として辣腕をふるった。

 20年前、系列局として上海に支局を開設するために準備を始めた時も何かと気遣いして上海へも足を運んで独特の人脈を生かしたサポートをして頂いた。
 四国出身の彼は広島が好きで、特に広島の酒が好きで暇を見つけては一人でやってきた。

 10年程前に脳梗塞を患って半身がやや不自由になったが関連会社の社長として復帰して頑張っていた。中国の首脳が来日する情報があると北京に飛んで特番の企画を提案し時間をかけた準備に情熱を燃やしていた。
 今年の年賀状に「新年好!…自を知る者は明なり…自ら勝つものは強し」と闘病に立ち向かう強い意思を記していた。その彼が9月に、まだ67歳の若さで逝った。
改めて奥さまに懇ろなお悔やみの手紙を書いた。

 年賀状を書く時節になった。
 従来から、年に一度の便りだからと拘って印刷しないで自筆で通してきた。
 現役時代は毎年11月のうちから、約1000枚書いていた年賀状はここ数年減らしつつ三分の一程度までになり、ここ三年はまるで健康状態の報告書のような賀状になっている。

 古稀の年に始めたブログは時に私の70年を振り返りながら思いのままに綴ることが日課の一つに定着したことが嬉しい。ブログ仲間の支えに感謝しながら、今年頂いた年賀状に目を通しながら、例年より遅いスタートの賀状書きにいそしんでいる。

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2007年12月30日 (日)

裏カフェ

 そのカフェは、ちょっと老朽化したオフィスビルの階段を上がった2階にあった。ブログ「広島コンセルジュ」さんが、紹介していた「R[a:r]cafe」。店内はあまり綺麗とはいえないが、それでも剥き出しの高い天井の空間。コーヒーは確かに美味い。柳宋理デザインのコーヒーカップを使い、水はオーナーが島根県の天然アルカリ水をわざわざ取りに行っているという。オーナーの拘りを感ずる。
 もう一軒、ガイドブック「広島カフェ」に載っていたカフェ「CITROEN」に行った。この店も老朽化したビルの2階にある。お店の看板は、板にかかれた名前とボートに書かれたメニュー案内だけだ。狭い階段を上がると、扉にはお店の名前も書かれていない。恐る恐る扉を開けると、中は満席だ。
 本通りヒルズ7階には「Hills Café」がある。ここはカウンター形式のBARもある。なかなかオシャレなカフェだ。
 こうした類のお店の客の殆どは、若い女性のグループか、カップルだ。多分ガイドブックで読んでか、ネットを見て、あるいは口コミで、探してくるのだろう。そうでなければとても、こんなところにカフェがあるとは気づかない。

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 こうした類のカフェは、本通りとかの人通りの多い道路に面してあるスタバとか、ドトール、サンマルクといった全国チェーンのカフェとは明らかに違っている。
 それらがチョッとオシャレな雰囲気の中で、200円前後の安いコーヒーをセルフサービスであるのに対し、こちらのお店は、オーナーの拘りを売りにし、コーヒーの値段も400円前後と高い。オーナーの拘りは、その空間であったり、コーヒーであったり、音楽であったりする。とてもビジネスにならないだろうなと思われるほど、なにかに拘っている。こうした類のお店を、「裏カフェ」と呼ばれているようだ。
 改めて見てみると、コーヒーの店も時代と共に大きく変わってきているのがわかる。昭和の時代に流行したいわゆる「喫茶店」の時代を第1世代とすれば、スタバの時代が第2世代、そして今こうしてビルの2階以上の階に隠れるようにしてある「裏カフェ」の時代は、第3世代のカフェと呼べるのかも知れない。
 こんなオーナーの拘りの裏カフェを“宝探し”のように探して歩くのも、中心市街地の楽しみの一つだ。
 こうした裏カフェ文化の現象は、昔男が通った居酒屋の並ぶ○○横丁文化とは明らかに違う。女性がイニシャティをとる、情報社会だから可能になったお店のあり方だろう。時代の変化を感ずる。

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2007年12月29日 (土)

シャンバラ

 平和公園西の交差点脇にある「シャンバラ」というお店を友人に紹介された。見つけるのに苦労するほどの小さなお店である。マンションの1階にある1つのお店の中で、2人の女性が、それぞれ全く別々の品物を販売している。

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 1人の女性はインドネシア人で旦那が日本人、もう1人の女性は日本人だが旦那が中国人という。なんともインタナショナルな組み合わせのお店である。旦那が中国人という女性は、上海製の絹に、蘇州の刺繍を施し、その布を使って、サンプルからデザインを選び、採寸し、中国で製縫するという商品を扱っている。インドネシア人の女性は、インドネシアの財団が生産している野繭(愛知万博に出したゴールデン・コクーン)と伝統のオーガニックコットン、それにバティックとイカットを合体させたリ・ウーブンという布を販売している。こんなユニークなお店が広島にはあるということにも驚く。しかしビジネスということになると、なかなか厳しいようだ。
 このお店の扱っている商品は、東南アジアからの輸入布、皮膚に優しい布、個性的なデザインと、いくつもの独自性がある、ということであれば、ネット販売の可能性があるのではないかと、アキハバラ塾塾長の河口知明氏に相談した。
 彼は、「このジョグジャ・ゴールデンコクーン リ・ウーブン等をネット検索で調べてみると、ゴールデン・コクーンは有名のようですが、問題は、ネットで検索するこのような言葉(キーワード)を消費者が打ち込む時に、どうやってこのキーワードを消費者が知るかが問題です。知るための情報としては、雑誌・TV・口コミ・ブログがありますが、一番良いのは、まずTVで話題にし、次に雑誌に載れば このキーワードが知られ、そのキーワードから検索してきます。その時に、オーダーメイドで作っていますとか、生地を売りますとかすればいいでしょう。
 その例として、広島菜漬けの生産者の場合、現在ネットでも販売していますが、1年間に250万円しか売れていないそうです。それはなぜか?広島菜漬けというキーワードな有名ではないので、消費者はこの言葉では、打ち込んできてくれません。この店の販売額を増やすのにキーワードとして、「漬物」「漬物販売」「漬物製造」 そしてその説明文には 「広島にも漬けもんがあるけ~食べてみんさいや」ということを付け加えるということを提案しています。この2つのお店とも、雑誌とか、主婦の方の知名度調査をすれば、どういう切り口(キーワード)で売っていくかで、検討がつくと思います。」とアドバイスしてくれた。
 広島のこんなユニークな、小さなお店が、ネット販売という手法を使って、あらたな可能性を掴むことができたら素晴らしいことだ。もし成功すれば、市内にある沢山の小さなお店にとっても参考になることと思う。

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2007年12月28日 (金)

西風新都-負から正の遺産へ

 西風新都は広島市の市街地から山一つ越えた地域に広がる広大な地域を指す。五月丘団地、修道大学、広島市立大学、広域公園、そして工場、倉庫、店舗等の開発されている。
 1970年代当時、広島市の発展は目覚しく、この地域もテンデンバラバラに開発が進められ、どんどんアーバンスプロール化していった。困った市はそうした土地買収をきちんと整理するために、1986年「広島西部丘陵都市建設基本計画」が策定し、広島市市制100周年記念事業として、1989年西風新都の開発として改めて事業着手された。
 世はまさにバブルの真っ最中であった。しかしその後のバブルの崩壊を受け、この西風新都は、開発を進めていた企業にとって、大きなお荷物となってしまった。広島市内では、他都市に比べ、バブルの遺産は比較的少ないが、それでも西風新都は大きな負担になっていた。
 当時の土地利用計画の考え方は、用途によってきちんとその利用は区分することが好ましいとされ、そうしたことが、用途間の摩擦を少なくし、効率を高めることにもなると考えられていた。
 しかし最近になって、西風新都の分譲率が8割を越えたため、広島市は、住宅団地に予定していた地区を産業団地に変更し、合わせて、土地利用についての規制を緩和するということを決めた。

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 それは、妙に用途の制限をせず、多様な使い方をしたほうが、より人間的環境を作り出すことにもなり、かえって開発を進める上で効果的でもあるといわれるようになってきたというkとが背景にある。
 こうした開発の仕方は「複合開発」ともいわれ、都市開発の成功のための必須条件とさえいわれるようになってきた。今回の用途の変更及び規制緩和はその流れに沿ったものだといえる。
 世の中の景気も、ようやくバブル崩壊から抜け出し、回復してきた。その西風新都も、ようやくその価値を発揮し始めたといえる。官は、とかく時の流れに遅れがちだが、今回のこうした規制緩和処置は、開発を後押しするものとして歓迎される。
 西風新都は、自動車道のICにも近く、アストラムラインも近くを走る。高速4号線を通れば、市内にはすぐいける理知にある。消費地にも近く、働く人も近くにいる。
 今まで負の遺産であったものが、今「正の遺産」に変わろうとしているのだ。そして広島市発展の起爆剤になろうとしている。世の中、変化は激しい。
 西風新都の開発はこれからだ。

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2007年12月27日 (木)

ドリミネーションー2

 平和公園に碑の前に和紙で作られた「折り鶴みこし」がライトアップされ、置かれた。市や青年会議所のライトアート事業実行委員会の主催という。平和の門も以前からライトアップされている。
 先日中国新聞の夕刊に「訴えるミュージシャン」と題して、近頃GLAYやミスチルのミュージシャンも「自分だけよければなんて、生き方はしたくない」ということで、環境や平和について訴える曲を作り、コンサートをするようになってきたという。そうしたことでは、広島市は、音楽家、ミュージシャン、画家、建築家等の芸術家にとってここから原点になる都市といえる。
 「ひろしま・ドリミネーション」にとっても広島の思い=平和への願いを表現する、折り鶴、平和の門のある平和公園の存在は大きい。「広島の灯り=ドリミネーション」は平和への道を示している.

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「ひろしま・ドリミネーション」は平和公園からスタートする。


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ドリミネーション・ひろしま

 今年も平和大通りを中心にドリミネーション・ひろしまが始まった。普段であれば日が暮れれば全く人通りが途絶える平和大通りも、土曜日には、もう夜の10時頃だというのに、本通り商店街のような混雑である。今年初めて登場したパイプオルガンをモティーフにしたイルミネーションの前には人だかりもできている。音楽に合わせてイルミネーションの色も変わる。黄金の木のように輝いている木、幻想的なお城、赤、青、緑に輝いた高さ30MもあるXマスツリーもある。光のトンネルもある。昨年に比べ、電球の数も2割増え、120万個になったという。青色LEDが開発されたことによって、発生熱量が減っただけでなく、赤、緑、青の光の3原色が揃ったことで、どんな色の光でも作れるようになったという。寒い冬の夜に、灯りがともると、気持ちまで暖かくなる。若いカップルも、家族ずれもなんとなく幸せそうに見えてくる。

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 以前東京表参道のクスノキにイルミネーションは、その発生熱量が高く、植物への影響が大きいとのことで中止されたということがあった。新しい技術はそうした心配も消してくれたようだ。仕掛けも大掛かりになり、デザインも様々になった。東京ミッドタウンのイルミネーションでは、そのデザインをする特別な光のデザイナーまでいるという。こうしたイベントは、そうした新しい職業まで作り出しているようだ。広島のドリミネーションでも、広島市立大学芸術学部の学生や、デザイン専門学校の学生、教員のデザインした作品が競うようになったら、もっと面白くなるだろうと思う。このドリミネーションの共催事業として、旧日銀ビルではAKARI BANKの催しとして、学生の照明器具のデザインコンペの作品も展示されている。素晴らしいことだ。イルミネーションの脇に、ストリートミュージシャンがいたり、コーヒーが飲めたりしたら、もっと楽しくなるだろうとも思う。今は音楽もなく、食べ物があってもいいように思う。ちょっと寂しい。ドリミネーションを契機にして、そうした様々なイベントが生まれてくることを期待したい。
 11月17日から1月3日までの47間に、今年は約30万人の見物客を予想しているという。もっと人出は多いように感ずる。ドリミネーション・ひろしまは今年で6回目になるという。年毎に内容が充実し、人出も増えてきたように感ずる。こうしたイベントの類は毎年続けることで、価値が高まり、人出も増える。イベントは続けることが大切だ。
 平和大通りがドリミネーションというイベントの受け皿になっている。通常ホール等の集客施設を作ると、大体建設費1~2億円で1万人の集客ができているとある人がいっていた。ということは、このドリミネーションは30億円以上の箱物をつくったことになる。ホールは作ったが、あまり使われることもなく、結局は赤字の垂れ流しとなっているという話を良く聞く。ドリミネーションは、そんな箱物より、はるかに上手い仕掛けだということがわかる。広島市で、今必要なことは、こうしたイベントをいくつも創り出し、育てていくことだと思う。
 「ドリミネーション・ひろしま」は広島市、そして中心市街地の貴重な財産となった。

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2007年12月26日 (水)

暮れの便り

 年々暮れに受け取る便りが増えている。「喪中につき・・・」と身内の忌中を知らす喪中ハガキが師走はじめと言うのにすでに30枚に達した。ご両親やご兄弟が亡くなったケースが大部分だが、ここ数年はお付き合いしていた方の奥様からのハガキが増えている。
 今年は親しく付き合いしてきた2人の方が亡くなった知らせもある。

 2月に亡くなったMさんは長年労働組合活動を通してここ30年余、被爆者運動に力を注いで来られた。非被爆者である事を負い目に背負った活動は被爆者訴訟の支援活動や原水爆実験抗議の座り込みをはじめ被爆者の相談事業などに献身的だった。
 ここ数年は腎臓を患い週3~4回の人工透析をしながら病身をおして訴訟支援などに費やしておられた。享年78歳だった。

 キー局で長年中国の専門家だったO氏は北京特派員をつとめた後、北京マラソンを仕掛けるなど中国関連の企画や特集を担当する窓口として辣腕をふるった。

 20年前、系列局として上海に支局を開設するために準備を始めた時も何かと気遣いして上海へも足を運んで独特の人脈を生かしたサポートをして頂いた。
 四国出身の彼は広島が好きで、特に広島の酒が好きで暇を見つけては一人でやってきた。

 10年程前に脳梗塞を患って半身がやや不自由になったが関連会社の社長として復帰して頑張っていた。中国の首脳が来日する情報があると北京に飛んで特番の企画を提案し時間をかけた準備に情熱を燃やしていた。
 今年の年賀状に「新年好!…自を知る者は明なり…自ら勝つものは強し」と闘病に立ち向かう強い意思を記していた。その彼が9月に、まだ67歳の若さで逝った。
改めて奥さまに懇ろなお悔やみの手紙を書いた。

 年賀状を書く時節になった。
 従来から、年に一度の便りだからと拘って印刷しないで自筆で通してきた。
 現役時代は毎年11月のうちから、約1000枚書いていた年賀状はここ数年減らしつつ三分の一程度までになり、ここ三年はまるで健康状態の報告書のような賀状になっている。

 古稀の年に始めたブログは時に私の70年を振り返りながら思いのままに綴ることが日課の一つに定着したことが嬉しい。ブログ仲間の支えに感謝しながら、今年頂いた年賀状に目を通しながら、例年より遅いスタートの賀状書きにいそしんでいる。

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2007年12月25日 (火)

「明日の神話」を広島へ!

 岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」を広島へ誘致し展示する場所が決まった。
 
 「明日の神話」は岡本太郎がメキシコのホテル経営者の依頼で1968年から2年がかりで制作した縦5・5メートル横30メートルの巨大な壁画だ。制作中にホテル建設が中断され作品は行方不明になっていたが、2003年発見されて日本に里帰りして修復された。

 作品は副題が「ヒロシマ・ナガサキ」とされているように、原爆の炸裂の瞬間をモティーフに“芸術は爆発だ”と言う岡本の「核兵器に対する怒り」と人類の未来に対する「核の被害を乗り越えて明日に向かって進もう」と言うメッセージが込められている。
 
 思えば岡本太郎が急逝した1996年1月7日。広島市の現代美術館で「岡本太郎展」が開催中だった。10万人を超える入場記録はいまも破られていない?と言う記憶があり、「明日の神話」誘致の因縁を強く感じるのは私だけではないと思う。

 岡本太郎記念芸術振興財団が示している条件は①市と市民あげて熱意がある地域②多くの人が無料で見る事が出来る場所への展示③無償貸与などである。
誘致は大阪万博のシンボル岡本の「太陽の塔」がある吹田市や長崎市、東京都などが興味を示して動いていると言う。
 
 この作品が広島に展示されるのが最もふさわしいと考える人は多く、広島でも幅広い市民の誘致運動が展開されて来た。
 秋葉市長は10月に財団の与謝野馨(衆議院議員)理事長に陳情したのに続きこの程展示場所を市民球場北側のハノーバー庭園を指定して近く正式に文書で財団に申請する運びだ。
 
 原爆資料館の入場者は年間130万人。修学旅行生は60~5万人。しかし、平和公園を訪れる人は1000万人を下らない。これらの人が「明日の神話」の鑑賞に足を運ぶ可能性は100万人、200万人と予測出来るのではなかろうか。

 展示の予定地は2011年に市民球場跡地が再開発で生まれ変わり美術館や科学館などの芸術文化地域として平和公園・原爆ドームと一体になって内外の訪問者を迎える新しい核になって回遊の楽しみが一層増してくる。

 2年余に及んだ広島市と市民の誘致運動もラストスパートを迎えた。
 来年春には展示先が決められる予定だ。朗報を期待して待ちたい。

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2007年12月24日 (月)

老後は広島市で

 近頃団塊の世代の大量退職を控えたせいか、「リタイアしたら、田舎に住んで、晴耕雨読の生活をする」というTV番組が目に付く。団塊の世代の人たちは、猛烈社員がもてはやされた時代に生き、家族も省みず、嫌な上司に仕え、飲みたくない酒も飲んだ。自分のやりたいことも我慢して、そんな働き蜂に徹してきた。もう子供も巣立ったし、ようやく仕事からも、社会からも解放され、やっと自由気ままの生活を手に入れたのだ。自然豊かな田舎で、畑を耕し、好きな釣りを楽しみたいと思う気持ちになるのはよくわかる。そんな夫婦の生活は、いずれも、喧騒の都会を離れ、素晴らしい自然環境に恵まれた田舎に住むというのがテーマになっている。
 しかし、そんな晴耕雨読なんて仙人みたいな生活は、すぐに退屈しそうだ。私にはそんな生活は出来ないなと思っていたら、同じような思いの人が他にもいた。
 山崎武也氏が、PHP研究所発行の「老後は銀座で」の本の中で、年を取ったら、都会の真ん中、銀座に住むのがいいと進めていた。銀座というのは勿論東京の銀座にかぎらない。都市の中心部であり、街の繁華街を指している。

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 都心の真ん中に住むのは確かに快適だ。すこぶる住みやすい。街に出れば、沢山の人が歩いている。そんな人を見ているだけでも退屈しない。20分も歩けば三越、福屋、そごうのデパートがあり、カープの試合がある球場もある。劇団四季の演ずるホールもある。美術館が幾つもある。気に入ったカフェに行って本を読むことも出来る。大学も近い。NPO関連に限らずいろんな活動に容易に参加できる。都心は、刺激に満ち溢れている。
 作家渡辺淳一は老人になっても恋をするべきだと、「エ・アロール それがどうした」という本に書いている。都会には綺麗な女の女性も沢山歩いている。そんな女性と恋に落ちるかも知れないではないか。
 海の見える素晴らしい環境をうたい文句にする老人ホームがあるが、そんな人っ気のないところに住んだら、それこそあっというまに呆けてしまいそうだ。それは現代版姥捨て山だ。
 でもどうしてか、年をとって都会に住むことを取り上げた番組はない。変だ。
 銀座=都心の空気が悪いところに住んだら、長生きできないといわれそうだが、広島市の都心は、空気だって決して悪くない。すぐ近くには海を川も山もある。ちょっと走れば、田畑だっていくらもある。病院だって歩いていけるところにある。広島市は、年をとってからこそ、住むのにいい環境だ。
 「老後は広島市で」といいたい。街には綺麗な女性も沢山歩いているではないか!!

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2007年12月23日 (日)

味噌

 私の友人の一人は、チーズが全く苦手だ。その年代の人は大体苦手のようだ。そんな彼が、「チーズだらけのグラタンに、醤油をかけて食べれば凄く旨いぞ。騙されたと思ってやってみろ」といっていた。やってみたらなるほど本当に旨い。そんなことがあってから、近頃なんでもかんでも、醤油をかけて食べるようになってしまった。
 塩分の取りすぎではないかと、ちょっと心配になってくるし、あんまり品もよくないなと気にもなる。が、止められない。
 最近は旅行会社も、海外旅行の参加者に醤油の持参を進めているようだ。
 その彼が、1人暮らしをせざるを得ない羽目になってから、今度は「すごい発見をした」と喚いていた。「醤油に負けず劣らず、すごいのは味噌だ」という。
 「フランス料理のエッセンスはルーにある。その作り方をマスターするのは最も難しいといわれる。しかし日本には醤油と味噌という素晴らしいルーがある。どこでも売っているし、だれでも簡単に使える。それを使えば、誰でもミシェランのレストランガイドブックに載るような料理を作れる、味噌は、日本人の大発明だ。ノーベル賞なんて目じゃない」といっていた。 ?!?!?!!
 これからの季節、鍋は最高だ。野菜と肉を適当に切って放り込め、味噌で味付けするだけでいい。水にすぐ溶けるという味噌も開発された。誰でも出来る料理だ。味噌スープ、豚汁、味噌田楽、と調理法も様々にある。言われてみればそんな感じがしてくる。可笑しい。

Photo

 醤油はキッコーマン等の大企業があって、醤油が世界中に広まったが、味噌は作るのも簡単だし、キッコーマンのような大企業が育っていいなかったせいか、まだ世界の調味料として認められていない。醤油の次は味噌だろう。ラーメンも、醤油ラーメンと味噌ラーメンが基本だ。インスタントの味噌汁も最高だ。すごい発明品だと思う。
 最近の医学的学術研究では、みそは肝臓がん、胃がん、大腸がん、乳がんなどにすぐれた機能効果があり、また発酵によるみその食塩は血圧を上げないことも動物実験によって解明されという。
 醤油も味噌もその独特の臭いから、ずっと欧米人には敬遠されてきた。しかし近頃は、その欧米で寿司が健康にいいと持て囃され、日本食ブームも起きているという。味噌が世界の調味料になる日も近い!
 先日の新聞に、広島の新庄みそ株式会社の味噌が農水大臣賞を受賞したと出ていた。この味噌は製法が特殊なため市販の予定はないというが、広島にも素晴らしい味噌メーカーがある。広島を代表する企業として育つ日近い。

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2007年12月22日 (土)

吉和

 吉和は、広島市から直線距離で30KM、車で1時間程走ったところにある。国道186号線の途中には洒落たレストラン、カフェもある。小瀬川の羅漢渓谷、それを囲む森林は大変に美しい。その渓谷を抜けると高原状になっていて、ゴルフ場もある。北の山はスキー場になっていて、その麓にはウッドワンの美術館、ホテルがある。温泉もある。吉和は四季折々に楽しめる場所だ。吉和ICに近いこともあり、福岡、山口、岡山NOの車も多い。
 スキー場は、今年は11月23日から、人工雪を撒いてオープンした。地球温暖化の影響で日本中どこでも雪がすくなくなり、殆どのスキー場はいまでは人工降雪機を使っている。
 人工雪だからといってバカにしてはいけない。実は本物の雪より、スキーには意外といいのだという。レースをするプロのスキーヤーにいわせると、一番いい雪質はギュッと握って、水が滴り落ちるぐらい一番だというのを聞いたことがある。パウダースノーは絵としてはいいが、レースには良くないのだという。ということからすれば、女鹿平スキー場に人口雪は最高だということになる。このことはあまり知られていない。その上途中チェーンを着けなくていいとなればこんないいことはない。人工雪のスキー場であることをもっと宣伝したらいい。
 この吉和地域は、ちょっと軽井沢のようだ。ちょっとしたリゾートの雰囲気がある。そんな環境が、広島市に隣接してあるのだ。素晴らしいことではないか。
 広島市は住むにはいいとこだと、改めて感ずる。

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2007年12月21日 (金)

外国人力士の「品格?」と相撲協会の傲慢

 横綱朝青龍が30日、祖国モンゴルから帰国し横綱審議会に「今後は初心に戻って努力します」と謝罪して、4ケ月に及んだ騒動に一応の幕が引かれた。

 騒動の発端は名古屋場所で21回目の優勝後、「疲労骨折」を理由に夏巡業を休場しモンゴルに帰国中にサッカーに興じる姿がTVで放送され“仮病疑惑”で一気に「横綱の品格」「去就」を問う声が噴出して大問題になった。
 
 これに対してモンゴル大使館は相撲協会に「朝青龍はサッカーに出る予定はなかったが無理を押して出てもらった」と謝罪文を送っているが日本相撲協会は8月1日の緊急理事会で「秋場所と九州場所の出場停止と30%の減俸4ケ月・自宅謹慎」の処分を決めた。
 
 朝青龍にはこれまでに土俵上や稽古場での態度など素行が問題にされた事があったと伝えられるが「何故サッカーに出たのか」の事情聴取も無く処分したのは疑問が残る。
 
 帰国後の記者会見で「痛みはあったが断れなかった」しかし「やってはいけない事をやってしまった。今後は道を外れないよう頑張って行く」と弁明した。
 中田英元選手が企画提案したモンゴルの子供達との交歓交流。祖国の英雄を迎えて開かれた立派な国際交流で、朝青龍が突然の要請を断れなかった事情は理解できる。

 しかし、そこには国技や文化や伝統に対する日本人と外国人の認識に大きな格差があるように思える。相撲道の心・技・体や「横綱の品格」が何なのか教育して来たのだろうか。

 日本が豊かになるのに伴って有望な新弟子の入門が減少し、各相撲部屋の親方達は競ってハングリー精神に培われた外国の格闘技選手を中心に新弟子発掘を行うようになった。
外国人力士は高見山をはじめ小錦、曙、武蔵丸らハワイ出身力士で始まり今やモンゴルを軸にロシア、韓国、ブルガリア、グルジア、エストニアと幕内だけで20人近い。
相撲協会は彼らに何を期待し、どのような指導をしてきたのだろうか。

 曙、武蔵丸に続いた朝青龍は一人で3年も横綱を張り大相撲を支えてきた功績は大きく、自信や誇りや自負心は日本人力士に優るとも劣らないものを持っているだろう。
時津風部屋の新弟子死亡事件が象徴するように封鎖的な特殊な世界で、言葉や生活習慣をはじめものの考え方や古いしきたりに縛られた暮らしには苦労も軋轢も人一倍大きかったと思われる。

 小錦や曙、武蔵丸ら大相撲の功労者・救世主が引退後相撲協会になぜ留まっていないのだろうか。年寄り株の扱いなどで差別的な扱いがあったのではなかろうか。気になる所だ。

 相撲協会が日本人の価値観だけで外国人力士を日本人と同じ精神構造の力士に育て仕立てる事が国技としての必要条件と考えているならば傲慢の謗りは免れまい。
外国人だから甘くても仕方ないとは言わないが「彼はもう過去の人」と言い放って引退を促した横審の女性委員の発言は外国人力士に対するバッシングに他ならない。

 「横綱の品格」が具体的に何を指すかは別として、外国人力士の受け入れを続ける以上、まず改めなければならないのは一般社会常識に欠けた理事長以下の相撲協会自身であり、権威に胡坐をかく横綱審議会そのものではなかろうか。

 「相撲が好きだから頑張ります」と言った朝青龍の言葉を信じて「強い横綱の復活」を期待し見守る事がいまは大切だと思う。

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2007年12月20日 (木)

「放火殺人事件に無罪判決」が教えるもの

 昨28日、「守屋元防衛事務次官夫妻逮捕」や「坂出の祖母と孫殺人犯逮捕」の陰で薄らいだが広島地裁で驚がく的な判決があった。
 死刑が求刑されていた「殺人放火事件」に無罪判決が下された。裁判長は「シロではない。灰色とも見えるがクロとは断定できない」と刑事裁判の原則に帰って「疑わしきは被告人の有利」と無罪を言い渡した。

 37歳の被告は2001年1月、広島市西区で母を殺して放火し自分の娘2人も焼死させたとして起訴されていた。
 初動捜査で警察は被告の保険金受け取りをなどの事実を掴んだが物証がなく逮捕の決め手にならなかった。しかし、5年後別の詐欺事件で拘置中、被告が放火殺人を認めて再逮捕。
裁判では自白の任意性と信用性が争われた。

 自白の任意性や信用性が争われる裁判は旧刑事訴訟法が新法に変わった昭和30年代当初発生の事件で冤罪として争われるケースが多かった。自白が証拠とされていた旧法時代の名残が捜査をずさんにし物証を軽んじた時代である。

 新聞報道によると判決は任意性については認め、信用性についても「放火した状況は詳細に語っている」と一部認めている。しかし、動機が当初の自殺願望から死刑願望に変わり、更に保険金目的に変わっていった経緯などが不可解とした。その上で「犯人しか知ることが出来ない事実の裏付けがない」「具体的な供述も捜査官と共同で作成された疑いが排除できない」と自白の信用性に疑問を示して刑事裁判の原則に沿った判決を示した。

 一見、見事な大岡裁きだ。しかし、真犯人がいる訳ではないからすっきりしない。

 今回の判決が警察のずさんな捜査に疑問を投げかけたことは間違いない。
 先ごろ全員が無罪になった鹿児島県議選違反事件は自白偏重の捜査の在り方が問われた事件だった。
 検察側の即時控訴で改めて自白の任意性信用性が争われる事になろうが、奪われた3人の命に報いるためにも広島県警が真犯人の犯行を裏付ける新たな物的証拠をあげる他ない。

また、この事件は改めて警察の取り調べにVTRやDVDなどを導入するなど、その在り方を大幅に改善しない限り問題の根絶は難しい事を教えたと言える。

 2年後に導入される裁判員制度を控えて、貴方が裁判員であったらどう判断しますか。

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2007年12月19日 (水)

自動車産業は斜陽?

 トヨタが半期で1兆円を越える利益を出し、売り上げはGMを抜き、世界最大の自動車メーカーになった。
 すごい。わが世の春を謳歌している。しかし日本国内での自動車の販売台数は落ちているという。これは今期に限った一時的なことではなく、かなり構造的な要因によるように思う。GMの赤字は2兆円を越えるという。これもまたすごい額だ。フォードも赤字だという。クライスラーはすでに消えた。かつてアメリカの経済を象徴した自動車産業がいまや凋落の一途を辿っている。どうもこれはアメリカの自動車産業に日本が勝ったというような単純な問題ではなく、そこにはかなり深刻な問題があるように、私は思う。
 若者の車離れが加速しているという。使うお金も携帯の費用を下回り、支出総額のわずか3.5%だという。
 昔は、男の子にとって、車が必須アイテムであった。ピンとテールの跳ね上がった大きなオープンカーに、女の子がポニーテールの髪をなびかせ、ジュークボックスの前でツイストを踊るというアメリカ映画に、みんな憧れたもんだ。アメリカの若者のようにあんな車をもったら、女の子にもてるだろうなと想ったりもした。
 マツダのロータリークーペは今見ても、なんともいえず美しい。ロータリーエンジンも未来のエンジンといわれ、自動車レースでは破竹の快進撃があった。マツダの心意気を感じた。そこには夢があった。

M1

 いまでは車に、誰も、そんな夢を持たない。第一、ランドクルーザーも、ワンボックスカーも、車そのものがちっとも面白くない。女の子にもてたいがために、頑張るという男もいなくなったということもある。携帯の出会い系サイトで、女の子を誘い出すというのだからなんとも暗い。
 車はかっては憧れの対象だったが、今では憧れの対象でなくなった。日本では、車なんかなくとも生きていける。憧れの対象でなくなったら、そろそろその産業の終焉は近いと思ったほうがよさそうだ。
 今全国のスキー場はお客が減り、倒産、閉鎖が相次いでいる。しかしそのスキー産業にもかっては華やかな時代があった。当時の若者にとって、スキーは最高にゴージャスな遊びだったのだ。広島ではスキー場に至る道路が何キロにわたって渋滞したことがあった。東京では土曜日の夕方になると、夜行列車に乗り、床に新聞紙をひき寝た。スキー場につくとひたすら滑って、時間ぎりぎりまで滑って、夕方の列車に飛び乗った。そんな状況でも、皆夢中になってスキーをした。スキーは豊かさの象徴でもあり、若者の憧れだったのだ。スキーのうまい男はもてた。スキーが縁で結婚したカップルも多い。都会の女の子が地元の農家の息子と結婚して、苦労したという話は嫌というほどある。しかしそのスキー場もいまは悲惨な状況にある。途中スノーボードが現れ、スキー場が持ち直したように見えた。でもボードは1部のマニアックな若者の遊びであり、誰もが憧れるような遊びではなかった。結局、ボードがスキー場の寿命を縮めたような感すらある。
 スキーが「憧れの対象」でなくなったとき、スキー産業は廃れたということである。
 造船業も同じような軌跡を辿っている。造船会社が日本の産業を牽引していた時代もあったが、船の需要が満たされると、一気に造船不況に陥り、造船会社の倒産が相次いだ。造船会社は大きく方向転換し、様々に事業に進出することで生き残りを図り、いまでは造船業は企業の一部としてようやく生き残った。
 建設産業も今大きな変換点にあるが、建設産業の衰退も自動車産業の将来を示唆しているように思う。建設工事は1993年には85兆円、GDPの18%を占めていた。それが今では半減した。倒産したゼネコンはワンサカある。その理由はバブルの影響だけではない。建設工事が減ったのだ。欧米では建設投資額は10%を切っている。日本は台風、地震が多いから建設工事はなくならないといわれているが、それは反面正しいが、建設工事が多い国は開発途上国といえる。建設産業も様変わりせざるをえない。あの栄華を誇った時代はもう来ないのだ。いまでは住宅の寿命も100年持たせようともいわれている。「新規需要が満たされたら、そこからあとの建替え工事だけでは工事量は激減する。」ということである。
 日本の自動車産業も「車の新規需要は満たされた。車は憧れの対象でもなくなった」ということである。
 GM、フォードの凋落は、日本の自動車に追い抜かれたからということだけではないと理解すべきだ。トヨタだってGM、フォードの辿った道を辿らないとも限らない。明日は我が身だと理解すべきだろう。
 石油の枯渇から、自動車産業に未来はないという人もいる。中国、インド、ブラジル、インドネシア、アフリカの人たちの、60億人もの人が車に乗るようになったら、それは石油が足りなくなるだろう。石油の値上げは、自動車産業の凋落に追い討ちをかけることにもなるだろうと思う。その前に不都合な真実で、地球はぶっ壊れるかもしれない?
 そう考えてくると、水素自動車、電気自動車の開発も、こうした構造的な条件を変えるほどにはなりそうにない。
 トヨタもそんな危機感を感じているのだろう。車にNAVIを乗せたり、車そのものをITルームのようにしょうとしたり、まったく他分野の住宅産業への進出を図ったりし、様々の生き残り策を講じている。
 日本の自動車産業はどう戦略転換を図るのだろうか。マツダはどうするのだろうか。
 今のうちに考えておかないと、そのときになってからではもう手遅れだ。

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2007年12月18日 (火)

九州新幹線との直通運転

 JR西日本とJR九州が、九州新幹線の2011年の全線開業に合わせ、直通運転をすることに合意したという。大阪―鹿児島間を4時間で結ぶことになり、飛行機の利用客は、かなり新幹線に移るだろうと予測されている。
 現在、鹿児島空港は市内から1時間ほど離れていることもあり、飛行機では(大阪伊丹空港―鹿児島空港)1時間05分+(空港―市内)40分=2時間程度掛かっている。新幹線が直通になれば、充分対抗できるというわけである。
 問題は、広島―鹿児島間がどうなるかだ。
 新幹線が直通運転された場合、広島駅―鹿児島中央駅間は2時間20分程度になると思われる。現在が3時間40分程度だから、1時間20分も短縮されることになる。直通運転の便は1時間に1~2本という。乗り換えの便を加えれば、さらに増えるだろうと思われる。
 飛行機では、西飛行場―鹿児島空港間1時間05分+空港―市内間40分=約2時間程度である。1日3便である。
 広島―鹿児島間の所要時間は、直通運転がされれば、新幹線と飛行機は殆ど変わらないということになる。
 それに加えて新幹線と飛行機の料金はほぼ同じ、便数は新幹線のほうがはるかに多い、安心感も新幹線のほうがあるということになれば、西飛行場からの鹿児島便が、影響を受けないわけがない。
鹿児島便が消えてなくなる恐れは多分にある。
 それでも宮崎便の1日往復1便、利用客1日平均47人のために西飛行場を残すのであろうか。
 東京便?その利用者は何人を想定しているのだろうか。州都便?それはビジネスになるのだろうか?その赤字は州が被えというが、州にそんな余裕はあるのだろうか。いささか無理があるように思う。
 直通運転開始は2011年というから、4年後だ。
 新幹線の九州直通運転の影響をどうみればよいのだろうか。

S

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2007年12月17日 (月)

バカップル

制服を着た男子高校生と、私服の女の子が手をつないで歩いている。
こんな風景は、近頃それほど珍しいことではない。
しかしよくみると、男の子は、女の子の小さなバッグを持っているが、学校の鞄は持っていない。

「オイ、学校の鞄はどうした?授業は終わったのか?」
まだ昼をチョット過ぎた時間だ。
ズボンは、お尻にかろうじて引っ掛かっている。
ずり落ちない。
どうして落ちないのか、気になって仕方がない。

こんなカップルを「バカップル」というそうだ。
結構古い言葉のようだが、なかなか上手く表現している。

「河野先生のお世話にならないように気をつけろよ」といいたくなる。
大きなお世話???

これで、日本は大丈夫なのかと心配になる。

自分だって、若い頃は、この連中と同じようなことをしていたではないか!
んだろう???

しかし近頃はバカを売りにしたタレントがいるのには呆れるほかない。
お前はバカだといわれて、嬉しそうに笑っている。
本当に大丈夫かよ!

いじめられて、不登校になるよりいいか。

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2007年12月16日 (日)

地域国家

 朝日新聞の社説に「地域連合国家ニッポン」をつくるという考えが連載された。「暮らしに関わることは地域で全て決める。そこでできないことだけを中央政府に委ねる。分権というより、地域主権の原則を徹底させる。地方自治体を地域政府と呼ぶべきものに進化させる」という提案だ。
 政府の地方分権推進委員会も、国と対等な「地方政府」を確立するために、自治体事務に対する国の関与や義務付けの原則廃止などを柱とする中間報告をまとめた。また自治体固有の財源を確保するために、国と地方の税源配分を現行の6:4から5:5にすべきだとも提言している。
 欧州連合条約には「補完性の原則」として、地域にできることは地域が行い、できないことだけより大きな自治体や国が補完するという考え方が盛り込まれているという。
 こうした考えは、江戸時代の幕藩体制に極めて近いように思う。故に今いわれている地方分権の本質は、現代版廃県置藩だという人もいる。廃県置市といってもいいかもしれない。
 「なにをやるかは中央が考える。地方は言われたとおりにしていればいい。」という明治以降の考え方は、欧米列強による日本の植民地化を防ぐには有効であった。そしてそのために優秀な人材を中央に吸い上げ、中央官僚として養成し、すべての物、金、人、情報を東京に集中する仕組みを作ってきた。
 しかしその中央集権国家のコンセプトがいまあちこちで破綻している。その典型例が、厚生年金事業団が進めたグリーンピアの破綻に象徴されるような、全国一律にしようとした開発計画であった。
 また市町村は箱物建設費の負担は3分の1だという甘言につられて、どんどん箱物を作ったが、結果は惨憺たるものであった。3分の1の負担は実はかなりの負担となったし、出来た施設の建物維持管理の額も大きな負担になるということも明らかになった。しかしそれが解ったときにはもう遅かったというのが夕張市だといえる。 
 この一連の地方分権の流れをもう少し冷静に見てみると、実は国が借金で首が回らなくなったから、要するに「金がなくなったから地方は地方でやってくださいということになった」、国は責任を放棄したと理解すべきだろう。故に、三位一体改革といわれる補助金削減、税源委譲、交付税改革というのも、 結局は地方への補助金が3兆円減ったということであった。そして当然の如く交付税依存の高い自治体ほど三位一体改革の打撃を受けている。
 今地方自治体は、いかにこれをチャンスにするかが問われているといえる。
 堺屋太一氏は何事も「NEAR IS BETTER」だという。
 自分のことは自分で決めるから、苦しくとも面白い、やりがいもある。義務感もあり責任感もでる。
 民主主義とは本来そうしたものであったはずだ。大体お金に釣られて、人に決められたことを、やるだけというのは面白くない。無責任にもなる。
 また今盛んにいわれている道州制についてみれば、県の組織と業務の殆どを地方自治体に移し、残った1部の県の組織と、今の国の出先機関を纏めて州政府とすればいい。道州制をしくに当たっては、鳥取市から、州に移った鳥取県部署に来る必要がないようすることも原則とすべきだ。
 政府の地方分権推進委員会のいっていることも、朝日新聞の社説でいっていることも、そして欧州連合の目指すところも、みな同じ地方が自立した一つの国のようになるべきだということのようである。
 秋葉市長の提案する「広島市を都市州に」ということは、そうした考えに沿っていることのように思う。
 いずれにしろ、広島市にとって、まず必要なことは、広島市民が自立しようという心構えのようである。

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2007年12月15日 (土)

小さな町から米大統領への「原爆投下謝罪」決議

 東京の栗原淑江さんか届いた「自分史通信ヒバクシャ」に添付された資料の中に大分県の宇佐市議会が「アメリカ大統領に原爆投下への謝罪」を求めた決議文があった。

 栗原さんは一ツ橋大学の石田忠教授の下で被爆者の体験聞き取り調査に取り組み、後に日本被団協の事務局で被爆者の相談事業に携わってきた。14年前からは被爆者の声を次世代に繋ごうと「自分史通信ヒバクシャ」を発行。被爆者に自分史の発掘・執筆を促し、被爆者9条の会にも取り組んでいる。

 その「自分史通信」178号に~小さなUSA(宇佐市)から大きなUSA(米国)へ~の記事で、宇佐市議会が9月21日の本会議が全会一致で行った上記「議決」を紹介している。
 
 私は残念ながらこの宇佐市議会の決議を全く知らなかった。
 一地方都市の議会がアメリカ大統領に「広島・長崎への原爆投下の謝罪を求める決議」とは唐突な感じがしないでもない。
 しかし、その背景には太平洋戦争中海軍航空隊があった宇佐市は米軍の爆撃で航空隊員をはじめ市民が巻き添えで死亡するなどの被害を受け、「戦争遺産」の保存など長年市民の平和活動は地道に取り組まれてきた歴史があると言う。この決議の発端は長崎で被爆二世の証言を聞いた一市議の発案から具体化したものだと言う。

 決議は「原爆投下は国際法違反行為であるにもかかわらず、米国政府からは今日まで一度の謝罪もない。アメリカの言う原爆投下は戦争終結の方法で大儀であるとの見解は断じて容認できない」として“核廃絶”を訴え、米国大統領に広島・長崎に出向いて謝罪するよう求めている。

 日本政府は最近の国会議員の質問趣意書に対して「先の大戦後、米国政府に直接抗議したことは確認されていない」と答え、あわせて「米国に謝罪を求めるよりも核兵器のない平和で安全な世界を目指して現実的かつ着実な核軍縮努力を積み重ねていくことが重要」と、今後も謝罪を求めない意向を明らかにしている。
 
 しかし、地方議会のこうした決議は極めて異例で、宇佐市議会は全国の自治体議会に働きかける構えのようだ。小さなUSA(宇佐市議会)から声を上げ大きなUSA(米国大統領)にどのように届くかどうか。
 はたして、広島市議会に働きかけがあったかどうか判らないが、宇佐市議会のユニークな平和活動の今後の取り組みに期待したい。

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2007年12月14日 (金)

一本の鉛筆

 歌は人を感動させ、夢を与え、癒してもくれる。世相風俗を反映し、人生の“ひだ”として、いつまでも心の奥に残るのが歌である。
 これまで広島にもたくさんの歌が生まれた。しかし全国ヒットした歌は少ない。被爆地だから当然反戦・平和の歌が多い。
 昭和の歌姫ひばりさんが歌った「一本の鉛筆」(松山善三詞・佐藤勝曲)がある。1974年(昭和49年)から開催されている広島テレビ主催の「広島平和音楽祭」で誕生した。ヒロシマの願いを歌に託している。“一本の鉛筆とザラ紙があれば、戦争は嫌だと私は書く”という平和のメッセージだ。ひばりさんは2回(第1回と第15回)歌っている。
 最初の会場は広島県立体育館(広島市中区基町)。当時は冷暖房の設備はなかった。館外に冷房のある部屋を用意されていたひばりさんは、リハーサルを待つ間「広島の人たちは、もっと暑かったのよね」とつぶやき、氷柱が立てられた器具置き場の控え室からしばらく動かなかったという。
 2回目は88年。入退院を繰り返しながら「世界平和のために歌う」と、会場の広島サンプラザ(広島市西区)にベッドを持ち込んでの出演。終了するとそのまま福岡の病院に再入院した。
 翌年の89年(平成元年)6月24日永眠。私はその前日、帰郷中の「悲しい酒」の作詞家・石本美由起さんと一緒だった。翌朝、滞在中の広島全日空ホテルが、急遽、石本さんの取材現場となり、マスコミの対応をしたことを今でも思い出す。
 「こんな名曲がなぜヒットしなかったのか不思議だ」と広島市長の秋葉さん。200年(平成12年)の平和宣言では「一本の鉛筆があれば『人間の生命』と書き、『核兵器廃絶』と書き続ける」と一部を引用した。海外でも自ら歌って紹介している。
 日本クラウン歌手真木洋介さん(安芸高田市出身)は、私が推薦したこの曲を最近カバーした。毎夏、広島、ニューヨークの平和コンサートで歌い、継承している。
 この歌のメッセージが世界の人々に、もっと広まることを願っている。

上村和博

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2007年12月13日 (木)

政務調査費

広島市、県で、議員の政務調査費が様々に問題になっている。
取りあえず政務調査費は1円以上全てについて、領収書を添付することになった。
透明性は高まったが、しかし政治と金の問題への不信感は消えたわけではない。
使途がいいか悪いかについて、いくら細かく決めても、グレイゾーンは残る。
先日は、京都府議の政務調査費の1人当たり平均2割が「目的外支出」であるとして、監査委員会から返済するようにとの勧告がされた。中には7割が返還すべきだと認定されたという。
NPO法人の住民監査請求で明らかにされたという。

現実はどうも、政務調査費そのものが、第2の議員報酬になっているようだ。
だからこの際一気に廃止すべきだという人もいる。
議員の先生の中にすら、そのようにいう人もいる。
全額廃止できればそれに越したことはないが、そう簡単なことではないだろう。

それなら「使途については一切問わない、自由に使ってよろしい。が、その代わり、半額にする」というのはどうだろうか。
予算があれば、残したら次の年には減額されてしまうということを恐れ、何でもいいから、使ってしまえというのが普通の人だ。
そんなことなら、使途をいくら厳しくしても意味がない。
それならいっそ政務調査費分を議員報酬として認め、かわりに半額にするとしたほうが、お互いにすっきりするし、メリットがあるのでないだろうか。
どの程度の減額にするのかは、別途議論したらいい。

といったら、ある人は次のようにいっていた。
「金儲けを考えるだけで、勉強もしない議員に、あんなに高い給料を払った上に、政務調査費は一切不要だと思います。
政務調査費を使って調査研究、条例策定、研究会などという話は、ほとんど聴いた事がありません。
使途の大半は事務所経費に当てられ、実態は後援会活動費です。
市民、国民はしっかりと議員の品質管理をして、議員にしっかりと勉強させなければなりません。
政務調査費の使途のでたらめさは国,県、市、皆同じです。
もちろん議員一人で政策立案、調査研究は限界があります。
議員をサポートする仕組みを別途考える必要があります。
政務調査費予算の半分くらいの費用で、20人くらいの専門スタッフが雇用でると思います。」
という。
かなり過激だが、きわめて建設的で、説得力があるように思う。

いずれにしろ政務調査費をどうすべきかについては、まだまだ議論すべき余地は相当にありそうだ。
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2007年12月12日 (水)

ストリートミュージシャン

金曜日の夜12時近く、シャッターを降ろしたお店の前で、バイオリンを弾いている若い女性がいた。
聞いている人は殆どいないが、一生懸命に弾いている。
クラシックのストリートミュージシャンは珍しい。
ふざけて近寄る男性の酔客がいたが、毅然と睨み返していた。
“頑張れー”と思わず声をかけたくなった。
本通りの魅力の一つだ。
本通りが安心して通れるようになったから、こうしたことが可能になったのだろう。
もっと、もっと増えて欲しい。

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2007年12月11日 (火)

紙屋町・基町回遊性向上連絡協議会

 紙屋町、基町の中心部にある比較的大型の企業が、皆で一緒になって地域の魅力をPRしようと、紙屋町・基町回
 遊性向上連絡協議会を設置した。活動を始めてから、もう数年経つ。
 年末のころになると、共同でセールのPR活動をするだけでなく、クリスマスの「みんながサンタになれる街」いうイベントを行ったり、募金活動をしたりしている。ドリミネーション、とうかさんのお祭りにも参加している。近頃あまり見かけないが、
 この地域に勤務する女性を対象にした雑誌「LSL」を発行したりもしている。年間を通して様々の活動をしているようだ。
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 メンバーのリーガロイヤルホテル広島とメルパルク広島は、今まで単独で実施していたブライダルフェアを、今年初めて共同で開催したという。同時に東宝系映画「シュガー&スパイス」とタイアップして話題性を高める試みもしたという。
 こうした様々の活動を共同で行うことで、実現可能になった活動もあるだろうし、その回数も増えただろうと思う。
 当然地域の魅力を高めることにも貢献しているだろうと思う。毛利元就の3本の矢ではないが、皆の力を集めてやることの意味は大きい。
 メンバーは、商業店舗のアクア広島センター街、シャレオ、そごう広島店、デオデオ、パセーラ、交通機関のアストラムライン、バスセンター、文化スポーツ施設のひろしま美術館、広島グリーンアリーナ、ホテルのメルパルク広島、リーガロイヤルホテル広島、広島銀行と多種多様だ。
 この活動に刺激されたのか、最近では八丁堀地区の福屋、三越、PARCO、東急ハンズ、天満屋も集まって「八丁堀 ノエル」と名づけて、一緒になって活動を始めたようだ。いいことだ。
 中国新聞が毎年行っている買い物行動調査では、中心市街地のウエイトが毎年少しづつ下がっているという。アルパークができ、そしてソレイユ等の郊外型大型SCができたことによる影響であることは明らかだ。さらにこれからはJTの跡地にIZUMIのゆめタウン広島もできる。三菱重工の祇園工場跡地にはやはり大型のSCが計画されている。広島駅周辺の開発も進んでいる。
 こうした活動は、そうしたことへの中心市街地に立地する店舗の危機感の表れだろう。
基町にあるそごうと八丁堀の三越が争っている時代ではなくなったのだ。今では中心市街地対郊外の大型SCの競争の時代であり、さらには広島市対岡山市の競争の時代になったのだ。もつといえば広島市対東京、広島市対世界の都市が競う時代になったといえる。
 中心市街地の大手企業のこうした活動は、広島市全体の魅力を高めることにもなる。歓迎したい

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2007年12月10日 (月)

映画「選挙」が語るもの

 16日、話題のドキュメンタリー映画「選挙」の上映会があった。
 2005年秋に行われた川崎市の市会議員の補欠選挙に東京の住人が落下傘候補として自民党公認候補として出馬する。参議院選の補欠選挙と市長選のトリプル選挙だ。
 映画は偶然、候補者の出馬を知った学生時代の同窓でアメリカ在住の映画監督想田和弘が自らカメラを撮って選挙戦に密着する。

 舞台は川崎市宮前区。候補者・山内和彦は東京で切手・コイン商を営む東大出の42歳。
政治に全く無縁で、選挙区には地縁も血縁もない地で選挙を戦ってみようと考えた動機は時の総理・小泉首相のフアンだったからだと言う。

 落下傘候補とはいえ選挙費用は自腹。市議の補欠選挙だからこそ地元選出の県議・市議ら現職が自民党の従来からの選挙集票システィムの流れに乗って選挙戦を展開する。
 ずぶの素人候補者に選挙のベテラン運動員は遠慮会釈なく「電柱にもお辞儀せよ!」とばかりハッパをかける。 候補は有権者に「市政への注文」を真剣に聞き歩く反面、選挙カーから降りて小学生にも「お父さんお母さんによろしく!」と働きかける。
 
 自民党候補の義理人情としがらみに支えられた「どぶ板選挙」の舞台裏から徹底的に覗き込んだ映像記録としては日本の選挙史上例を見ない作品と言えよう。

 トリプル選挙とあって参議院、市長候補と抱き合わせで地元選出の小泉首相も応援に駆け付けるあたりは偶然とはいえ、この映画を面白く味付けする要因になっている。
 しかし、何といっても候補者山内の明るく元気なキャラクターが良く、体当たりの選挙戦を結果的に「当選」で”筋書きのないドラマ”として面白くしている。

 レーションも字幕もなく、候補者の発言と周囲の人たちのやり取りが全てを語る構成もあまり例がない。字幕とナレーションに引っ張られる既存のテレビドキュメンタリーに飽きた監督のこだわりと受け止めた。

 2月のベルリン国際映画祭で絶賛され、各国映画祭や評論家の評価は高い。政治や選挙に関心が薄い若者たちに、政治参加への契機となる映画としてぜひ見てほしいと思う。

 会場に姿を見せ上映後の質疑で山内の対応がなければ分からない点が浮かび上がった。自腹選挙費はどれだけかかったか。なぜ4月の統一地方選で再出馬しなかったか。
 次に選挙に出るとすればどんな選挙戦を戦うか。残念ながら判りにくさが残る。

 日本の選挙は義理人情の民主主義と言う山内は、万一次に選挙に出る時はしがらみの無い「全く逆の形の選挙」をしたいと言う。彼が選挙を通じて学んだ「民主主義の実現は一人一人の有権者の意識」と言うメッセージがどれだけ通じようか・・・。
 政治を学ぶ教科書とは言えないが“立派な手引き・参考書”になる。

 今後もこの映画を普及しようと言う若者グループ「SENTAKU」の一人に、この春の県議選に「現職議員の横暴ぶりに歯止めをかける」と挑戦して善戦したH君の参加を見た。

 映画の上映を通して、4年先の統一地方選で県内のあちこちに若者の有権者意識の改革を生み、政治参加と足元民主主義の実現に活かされるよう期待しエールを送りたい。

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2007年12月 9日 (日)

夜の観光開発「ドリミネーション」

 広島の冬の風物詩としてすっかり定着した平和大通りを中心にしたライトアップが始まった。ドリームとイルミネーションの造語“ひろしまドリミネーション”だ。

 平和大通りのNHK前から中央通りまでの両サイド、延長2キロの14エリアにメルヘンの世界が体験できるエリアが展開されるのをはじめ中心部の商店街や商業施設10カ所でもライトアップされる。
 広島の夜の街を散策して楽しめる魅力ある観光スポットが作り出される。
スケールの大きいライトアップで知られるのは仙台のケヤキ並木を飾る電飾や阪神淡路大震災の犠牲者の鎮魂のため始まった神戸のルミナリエがある。
 
 優れた普遍的な価値を持ち、誰もが楽しめる夜景を発掘、観光資源として普及し夜の観光活性化に生かそうと言う『夜景遺産』という民間の運動がある。自然夜景遺産・施設夜景遺産・ライトアップ夜景遺産・歴史夜景遺産の4タイプで既に全国の100を超す夜景遺産がある。自薦他薦を含めて10万人の会員がリサーチして推薦する、面白い試みだ。
ちなみに県内ではでは自然夜景遺産に尾道の千光寺公園、呉の灰が峰、広島の黄金山が、ライトアップ夜景遺産には厳島神社とひろしまドリミネーションが登録されている。

 今年も青色発光ダイオードで飾られた30メートルの巨大なXmasツリーを中心に昨年より21万個も多いい120万個の電球が日暮れとともに、新年の3日まで47日間輝く。時節柄気になる電気代は発光ダイオードで従前の10分の1と節約できるのは良い。
 毎土曜日には17時からミニコンサートが行われる。仙台や神戸を超える夜の観光スポットになる事が期待できる。

 観光客で見ると22年目の仙台が20日間で200万人、13回目の神戸は12日間で500万人。
広島はまだ6回目であるが中四国、京阪神からのツアー客の定着が見られるようになったと実行委員会は今年30万人の客を見込んでいる。初日17日のオープニングセレモニーには数千人が取り囲み、23時の消灯までに数万人?で賑わった。エリア内に住んで毎日眺めていると贔屓目に見て期間中の人出は50万人いや100万人?に達するのではないかと思う。

 期間が長いとは言え5月のFFに並ぶイベントに成長しつつあることは喜ばしい。
しかし、これだけの人が来ても会場にお茶の一杯も飲めるスタンドやビュッフェもないのは残念だ。既存の業者への気配りだと考えられる。
それだけに、せめて周辺商店街のお店が歩調を合わせた営業を積極的に展開し、広島の夜の観光開発をリードされることを期待したい。

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2007年12月 8日 (土)

荒唐無稽な「国民保護法」に対抗!

~核兵器攻撃防御策は核廃絶のみ・広島市の計画素案~ 

 まるで戦時中の立法かと勘違いしそうなタイトルの計画策定ではないか。たとえ、平和ボケだと罵られても自治体に「核攻撃から市民を守るための計画」などあるはずがない。
深いシェルターを作ったとしても、一発の核爆弾がさく裂したら広島市はおろか周辺部を含めて広範な地域が灰燼に帰すことは間違いない。

 このほど広島市国民保護協議会(会長:秋葉忠利市長)が「広島市民保護計画の素案」に「市民を守るには核廃絶しかない」と盛り込んだのは当然のことだ。

 ‘04年9月に施工された国民保護法は「地上部隊の上陸、ゲリラ・特殊部隊、弾道ミサイル、航空機」による攻撃を想定し、具体的対策の策定を自治体に義務付けた。
 この中で「核攻撃時の対処法」は「風下を避け、手袋・帽子・雨合羽などで放射性降下物による被曝を抑制する」など62年前に広島・長崎への原爆投下直後に大本営が示したような、まるで実態とかけ離れた陳腐な指針を示している。

 この法律によると、今にも武力攻撃をしてくる国があるかのような錯覚にとらわれる荒唐無稽な想定と言わざるを得ない。北朝鮮のテポドン騒ぎが招いたとしても、非現実的な想定で「国民保護」を理由に戦時下体制に組み込むような「備えあれば憂いなし」とばかりの時代錯誤的な法律と言えないだろうか。この背後には“愛国心”や“憲法9条の改正”が潜み、ひいては戦争地域への派遣が出来る自衛隊員の応募が減り、やがて“徴兵制”が浮上すると考えるのは思い過ごしなのだろうか。

 日米安保条約のもと日本の自衛隊は強化拡大し続け、在日米軍への思いやり予算は年間2700億円近くに拡大し、今や日本の防衛費は実質的に国家予算の1%(5兆円?)を超え、ロシア・イギリスに並ぶ存在になった。
 
 その自衛隊が災害出動などで国民の保護をさらに強化するための法律かと勘違いする向きすらあるが、全く違う。

 勿論、この法に対しては「机上の空論」と言う風当たりが強い。
 沖縄の自治体をはじめ全国には国の方針に従って「国民保護計画」に基づく自治体条例の制定を否決・見送った所も出ているようだ。

 広島市はあえて専門家や被爆者も含む「核攻撃による被害想定専門部会」を置いて、独自の判断を示すことを目指し、この程素案がまとまった。
 
 今回、専門部会がまとめた素案には「核攻撃から市民を守る事は出来ず、市民を守るには核兵器の廃絶しかない」と明記したと報道されている。

 秋葉市長は「核兵器廃絶の世論醸成に有効活用したい」と述べている。
広島市は今後広く市民の声を反映するための意見を募り、年度内に最終計画案をまとめる。

 広島市の今回の試みは国の方針を逆手にとった形だが、唯一の被爆国の被爆都市だから出来た当然の取り組みと言えよう。

 秋葉市長が進める「世界の都市が連帯して2020年を目標に全ての核兵器の解体に取り組む=世界市長会議」運動と車の両輪となって、この素案が広島から「新しい風」となって全国の自治体に改めて何らかの形で波及することを期待したい。

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2007年12月 7日 (金)

落ち葉

落ち葉が綺麗だ。
やっぱり落ち葉といわないと感じがでない。
落葉(らくよう)ではなにかピンとこない。
大田川の堰堤に植えられた桜の葉が、落ち葉になって路を覆っている。
落ち葉は、舗装された道の上より、土の上の方がいい。
土の上の落ち葉は、いずれ土になっていくのだろう。
でもどうしてか、堰堤の路、平和大通りの路は少しづつではあるが舗装されていく。
舗装された道は、美しくない。
人の歩く路は土のまんまがいい。
水溜り、ぬかるんだ路がいい。

遠くに見える里山も、緑の中に赤、茶、黄が混じり、深みを増している。
広島は、四季折々の変化を楽しませてくれる。

A

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2007年12月 6日 (木)

国際会議の経済効果は大きい

 訪阪の折、友人の「足を伸ばして京都の紅葉を観たら」との勧めに従った。
 嵐山の天竜寺から銀閣にくだり、哲学の道を歩いて南禅寺に至り清水寺へ出た。
 三連休のあとの普通の日にもかかわらず、名所名刹は芋の子を洗う人出で、とりわけ清水寺から下る坂道は、東京のラッシュ時のプラットフォームにいるような混雑であった。「うらやましいな、広島にこの半分の観光客でも来れば…」と思いながら帰広した。
 翌日、広島市の(財)広島観光コンベンションビューローが主催した「コンベンション誘致の懇談会」に出席した。「国際会議をもっと広島で開けるよう努力しよう」という趣旨の会合である。
 商工会議所新会頭の大田哲哉氏が、冒頭の挨拶で「昨年1年間の国内の国際会議が3000件、そのうち広島で開催されたものがわずか30件、データが不十分なので鵜呑みにできないが、少ないことは間違いない」と指摘、続いて立った秋葉市長(観光コンベンションビューロー会長)は、「来年G8の議長会議が広島で開催を予定。国権の最高機関である議会のトップが広島に会する意味は大きい。これを契機に弾みをつけよう」と挨拶した。
 仮に広島で1000人規模の国際会議が1週間の日程で行われたとすると、約
2億円の経済効果があるとの例えも披露された。
 会場には、大学・ホテル・旅行代理店・食品関係の会社、団体などが展示コーナーを設けて自社の魅力宣伝に努めた。熊の筆をPRしていたコーナーから、
 「先輩!」と声がかかった。筆の里振興事業団学芸員のM君で大学の後輩だ。
皆、頑張っている。
 平素から市長が強調されているように、世界の中で「トウキョウ」「キョウト」「ヒロシマ」は日本の3大都市だ。とりわけ現代に生きる人類にとって深い意味を有するヒロシマ、ここでさまざまなテーマを持った人々が世界各地から集い、議論することは、ソロバン勘定だけではかれない大きな意義がある。

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2007年12月 5日 (水)

銀杏(いちょう・ぎんなん)

 大分の名産、銀杏(ぎんなん)を頂戴した。堅いからを工具でつぶし実を取り出す。うすくサラダオイルを引いたフライパンに入れて熱すること3~4分。
 薄皮の中の黄色が萌黄色に変わると出来上がり。味塩を振って熱いうちに賞味する。もちもちとした食感と口中に広がる晩秋の香り、酒がすすむ。
 
 平和大通りにも銀杏(いちょう)の大木が多い。中国新聞社の前にある緑地帯でご近所のかたであろうか、年配の婦人が銀杏(ぎんなん)を拾っていた。
 都会の車の排気ガスに耐えて結んだ実は市販のそれより小さい。でも都心部で晩秋の収穫を得られるなんて、捨てたものではない。
 
 NHK前にもあるが、人が拾っているところをみかけたことはない。いまは人に踏まれた落ち葉と銀杏(ぎんなん)の残滓が道端にへばりついているだけだ。

 平和大通りを西から走り、中国新聞社のところを左折して本川沿いに2、300メートル行くと左に小さな公園(本川公園?)がある。その奥に見事に色づいた銀杏(イチョウ)が目を引く。「黄色」ってこんな色なのかと再認識させられる色感で、おもわず車をとめて見入る。

 すこし気をとめて観察すれば、穏やかな小さな秋を目にすることができる。

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2007年12月 4日 (火)

紅葉

急に寒くなってきた。
平和大通りの木々も紅葉してきた。
紅葉は、1日の最低気温が8度以下の日が続くと色づき始め、さらに5度以下になると一気に進むという。
昼夜の温度差が大きいほどきれいに紅葉するというが、今年の紅葉はいま一つはっきりしない。
この平和大通りの紅葉は、空から赤い塗料を撒かれかたように、上のほうから紅葉してきている。
紅葉は、大気圏外からの放射冷熱によるので、雲ひとつない星空の夜ほど冷えて、紅葉が進むのだという。
しかし適当に雨が降らないと、水分が不足し、紅葉する前に葉が落ちてしまうという。
どうも今年はそんな感じがする。
ちょっと残念だ。
これも地球温暖化現象の現れであろうか。

K_2

平和大通りを中心にドリミネーションも始まった。
中心市街地の四季折々の変化は楽しい。

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2007年12月 3日 (月)

FA宣言・新井選手の涙

 プロ野球はいま各球団とも今シーズンの反省と来季へのレベルアップを目指した自主キャンプを張っている。一方,で、FA権を獲得した選手の争奪が始まった。

 今年は孫に引かれてカープの取材や中継に関わった現役時代よりはるかに多い球場通いをし、前田の熱い涙にも触れて感動したが、結果はBクラス5位に甘んじて残念至極だ。

 昨年はFA権を温存してカープ残留をして1年間頑張った黒田博樹投手(32)も今年はFAを宣言し、アメリカ大リーグへの移籍を希望し大リーグで9年間活躍した野球解説者の長谷川滋利氏を仲介に交渉に入った。

 新井貴浩選手(30)は8日、正式にFA宣言し球団に申請書類を提出した。新井は優勝争いが出来る球団への移籍を希望しており、これを受けるように広島時代から慕っていた金本選手が在籍する阪神が早速、獲得に向けて動き始めた。

 記者会見に臨んだ新井は冒頭から涙を流し、「カープが大好きで、つらい」と後ろ髪をひかれる心境を語った。広島に生まれ、カープの勝敗に一喜一憂しながらカープでプレーすることを夢に育ってきた野球人生をカープで終わりたい心境は当然と言えよう。
 しかし、カープに在籍した10年間、一度も優勝争いに参加できずBクラスに甘んじ、「優勝争いがしたい」希望を実現するためのFA宣言になった事は十分理解できる。

 愛媛県出身で大のカープフアンの辛口評論のスポーツジャーナリスト二宮清純氏はカープに対して以下のような提言をしている。
 
 FA宣言してカープから流失しそうな選手はFA権を取得前に交換トレードに出し、他球団の有望な若手選手と交換する。カープの場合は取られ損だけになっおり、制度を逆利用することだ。カープはFA宣言で選手を獲得することが難しい分、ドラフトを軸に選手を育てる以外にないとして、今年のドラフトで広島出身の大阪桐蔭の中田を指名しなかったことに首をひねる。

 S50年代の強かった赤ヘルの輝きを取り戻すにはFA、新球場、ドラフトでの対策を講じることと、強い経営母体を作り上げることだと指摘する。
 球団最大の収入源だった巨人戦の地上波TVの放送権が低落し過去のビジネスモデルが通用しなくなりつつある。
 ここを打開していく道は株式を公開して名実ともに市民球団に戻ることだ。マーケットを中四国にウイングを広げ、瀬戸内全域でカープを盛り上げる機運を高めていくことを注文する。

今朝のTVで大沢親分と広島出身の張本氏は「新井の純粋な涙は理解できる。FA制度がマネーゲームになっている現状を改めない限りFAの涙は消えない」とFA制度に“喝”を入れていた。

 カープの株の大部分は松田オーナーが持つている。しかし、嘗てカープの経営母体で、出資していた地域の企業から資本を総引き上げしたマツダが何故かカープの株だけは今でも30%余を保持し続けている。
 経営には全く口出しせず、あれだけの黒字を生んでも新球場の建設をはじめ何ら殊更にカープの応援をしない。ならば、カープの為にマツダ保有の株を放出して一般公開してはどうだろうか。せめて球団がその方向を示せないものだろうか。
 二宮氏は旧態依然とした考えではカープに未来はないと言い切る。

 「新井の涙」を活かし、現状を打破し、本当に優勝争いが出来るチームに再建するにはカープ経営陣に“二宮提言”を改めて検討してもらいたと願うのは私だけではないと思う。

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2007年12月 2日 (日)

教育特区「ひろしま型カリキュラム」発進

 秋葉市長の公約でもある義務教育の「ひろしま型カリキュラム<言語・数理運用科・英語科>の授業が先行実施している袋町小学校と千田小学校で始まり動き始めた。

 市教委が平成14~7年度に行った基礎・基本定着調査の分析で小・中学生の思考力・判断力・表現力が十分身についていないと言う課題が明らかになった。
 その解消に小1~4の「前期:読み、書き、計算」と小5~中3の「後期:思考・判断・表現力向上」に区分し、子供の発達段階に合わせて広島市独自のカリキュラムを開発して導入する計画だ。

 大学の新設学科かと勘違いしそうなネーミングは流石に広島市教育委員会が主管官庁たる由縁で、文科省の“構造改革特区”認定を受ける上で必要な官庁特有の文言で現代版”
読み・書き・IT”塾の発想だ。

 <言語運用能力>は「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し、伝えあう力を高める」事や「思考力・判断力・表現力や想像力を育てる」能力を身につける。
 <数理運用能力>は「日常の事象について見通しを持ち筋道を立てて考える能力を育てる」事や「数学的な見方や考え方の良さを知り、進んで活用する態度を育てる」。
 日常生活の中で学習の基礎である『読み・書き・そろばん(計算)』を通じて論理的学習を身につける事を目指す。

 例えば、『午前8時から午後8時は20分が百円、午後8時から翌日午前8時は60分が百円の駐車場に、午後6時から翌日午前9時まで駐車した場合は料金がいくらになるか』と言う問題に袋町小5年生が挑戦した。
 
 千田小の5年生は『毎月22日の“マイカー乗るまあデー”をテーマに、車から公共交通や自転車に移動手段を変えることでCO2排出がどれだけ削減できるかを考えた。車やバス、電車のCO2の排出量を比較したグラフを基にクラス全員が学校からJR広島駅まで移動する場合、車のCO2排泄量は電車の5倍になる計算』を通じて環境問題まで学んだ。

 算数の応用問題を生活の中で生きた形で考える。大人にとっては当たり前の事が子供の学習とは結びついていない点に着目したカリキュラムで『新聞や身の回りのものを教材に言葉や数、図形。グラフなど』を面白く使いこなせる力を育てるのが着目点で、袋町・千田小では今年度中に35時間の授業をする。
 来年度は中学2校でもスタートし、2010年には全市立小中学校で実施される。
小学5年生から導入される「英語科」は「聞く・話す」を中心に英語に慣れ親しむ事を通じて中学での英語教育の基礎を培う。
 英語の習得は母国語である国語力の能力が大きく関わるだけに日本語の能力アップが大切になる。そのためにも英語を通じて外国の文化にも興味や関心を高めることやコミュニケーションを図ろうとする態度の育成など課題は多かろう。

 訳の判らない若者言葉や流行語に絵文字が氾濫し、日本語の乱れている時代。
 袋町小の授業参観した秋葉市長は「児童自らが考え、正確に判断できるようにしていく内容で、いい授業だった」と感想を話している。

 数学者であり英語・言語や平和教育の専門家であり、政治家は言葉を大切にしなければいけないがモットーの秋葉市長がこのプロジェクトで発揮できる先見性とリード役は極めて大きいと思う。

 全国で同じ教育特区の認可による取り組みは多い。しかし、国語・算数・英語を組合せ平和都市の蓄積を活かしたカリキュラム<ひろしま型>はオンリーワンで、今後その取組成果は注目を集めるだろう。期待したい。

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2007年12月 1日 (土)

議員の視察旅行

 今朝(9日)のテレビで東京都千代田区の区会議員8人が沖縄へ3泊4日の行政視察に出かけ、3人がゴルフをした映像が放映された。3人は“自由時間”にプレーしたと言い訳したが視察旅行の一部始終を記者カメラがウオッチしていた為言い逃れが出来ない。
 3人は「不適切だった」と認めて一人20万円余の旅費経費の返還手続きを始めたと言う。
 8人の視察はどこも駆け足で、はたして千代田区の行政視察として適切なのかどうか大いに疑問で、番組進行の<みのもんた>は“ほっとけない”と怒りをぶちまけていた。

 8日の新聞報道によると‘05年、中国四川省を訪れた古参の広島市会議員が提出している報告書の記述が大手旅行会社の旅行案内や雑誌の記事と酷似しており“ゴーストライターの存在”を認めている。改めて議員の海外視察のあり方が問われそうだ。

 議員の海外視察は国会、県会、市会など国、地方ともに原則任期中に一度の公費負担の視察が規定されているようだ。国内の行政視察となると各委員会ごとに立法・条例化?に必要な場合は適宜行われている。かつては議員の海外視察と言えば“買春”が相場だった。
 最近は全国的に市民オンブズマンや市民の監査請求が増えて明らかにされるケースが増えている。視察旅行が全て無駄で無意味とは言えない。先進自治体を直接見る事は参考になろうが、今だに視察とは名ばかりの「大名観光旅行」もはびこっているようだ。
 
 ある新聞社の報告によると‘05年の夏休み時期の8月~9月、国会議員は衆参両院で175人の議員が「海外視察」に出かけている。経費は衆議院で約3億2千万円参議院で約2億円。一人当たり約3百50万円の“豪遊”が、税金から賄われている。
 視察目的は「欧州の安全保障について」「EU憲法の調査」「ヨーロッパの郵便事業」など取って付けた様なものばかりで、視察先の大使館を案内や資料制作にフル動員する様は昔から変わらず、これらの経費を加えると更に肥大化する。

 議員の視察は国・地方とも国民・市民のための法律や条例を作るための参考にする事が本来の趣旨である。かつては、歳費も低く4年に一度のご褒美的な感覚であった時期もあるようだが、今は文書通信費から政務調査費、費用弁済など手厚い“第二報酬”が付く時代である。
 “第二報酬”のあり方も問題が多く、既得権を行使する様な行政視察や海外視察は廃止し、本当に必要な場合に限ってその都度議会が自ら諮って実施するなど改革と“議会の良識”が求められる。
 これは議会自身の問題であると同時に、それを促すのは「議員の当落を握る」有権者自身の問題である。「唾棄されるべき議員を落とす」運動が必要か?

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