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2007年11月

2007年11月30日 (金)

「大連立」サプライズとその影

 “自民・民主の大連立”の衝撃から、小沢民主党代表の辞意表明そして撤回続投に至る1週間。安倍首相の突然の辞任に次ぐ今年の重大ニュースが相次いだ。

 昨日7日の小沢民主党代表の辞意撤回の記者会見で騒動の背景の一部が見えてきた。

「2カ月前後まえ、『さる人』から呼び出しを頂き食事を共にしながら話を伺った。お国のための大連立を」と言う類の話であります。

 その席で小沢氏は①参議院選で多くの議席を頂き、衆議員選でも頑張れば勝てると言う雰囲気の中で前途がある②そういう類の話(大連立)は、現実に政権を担っている人が判断することで、私どもがとやかく言う話ではない・・・と話したら、先月半ば「福田総理も是非そうしたいと言う考えだ」と『総理の代理人』と会う話があり、「むげにお断りできる相手でない」ので会った。

 『総理の代理』は「ほんとに総理はそんな事を考えているのかと問うと、総理もぜひ連立したいと言っており、自分も本気」と言い「総理から直接伺うのが筋」と返し、党首会談の申し入れとなった。
 
 この『さる人』は読売新聞の渡辺会長。『総理の代理』は中曽根元総理と森元総理の2説が報道されているが、二段構えで総理との党首会談を仕組んだ“フィクサー”がいた。
 
 このことは参議院選で自民党が大敗した時から福田首相も「何とかしないと」と考えていたと言い、小沢代表は「この勝利気分で衆議院選は勝ちきれない」と考え、それぞれ対策を苦慮していた隙間を狙ったのが“フィクサー”と言える。

 学生時代は共産党員として活動後転向し、政治記者を経て右寄り論調の新聞社を引っ張って来た鵺(ヌエ)的存在が自社の新聞だけでなく、一部自民党議員を通じて各紙記者や週刊誌やテレビなども陰で『極秘情報』として情報操作していたことが推測される。

 この操作は参議院選直後から仕組まれていたことが、インターネットによる各新聞、週刊誌の見出しを遡るだけで「大連立」記事が目立ち、ある程度確認できる。

 自民党を離れて14年。ジグザグな道を政権目指して走ってきた小沢代表の思いの中に『既存する自衛隊を軍隊として成長させないで国連配下の平和貢献軍にしたい』
 その日のために役立つように大学を卒業したばかりの長男を自衛隊幹部学校(江田島)に送り込んだ(10数年前?)当時の写真記事(アエラ)を思い出す。

 権謀術数が渦巻く中、小沢代表の深謀遠慮が逆に取り込まれたのか。
 新聞社の合従連衡が言われる時代。マスコミに対する情報操作は今後さらに熾烈を極める恐れはある。
 
 今回、小沢代表を突き動かしたのは何といっても「福田首相が安全保障政策、平和貢献について今までの政府の考えを180度転換する、憲法解釈を180度転換すると確約する」と言う発言だった。

 その狙いを推測しながらも、過去のしがらみが断りきれなかった小沢代表は結果的に自分から党首会談を申し入れる形になった。このことが彼自身“誤り”<はめられた>と強く気づいている。

 「“恥”をさらすようだがもう一度頑張りたい」と再度受けて立つ決意を“恥”という彼の美学で受け止めた?と理解すれば、一連の騒動も読めてくる。

 二大政党が今後の日本のあるべき道なのかどうか疑問は大きいが、55年体制が崩壊後、当面日本に政権交代が可能な民主政治が実現・定着するために小沢代表の復活と民主党の踏ん張りにエールを送り見守りたい。

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2007年11月29日 (木)

広島都市圏

東広島市の人口は約18.7万人だが、日本経済新聞社の調査によると、人口増加率は3.77%で、全国第16位だという。
少子高齢化時代、それに加えて東京への1極集中が進む時代にあって、大変な人口増加率である。
地域別で見ると、北海道、東北、九州の人口減が目立つ。
これら3つの地域に共通していることは、札幌、仙台、福岡への一極集中だという。
その北海道では小樽、釧路等周辺の都市すべてで人口が減少しているようだ。
広島市に隣接する東広島市は、人口が増えているが、それは広島空港、広島大学を核にして、エルピーダメモリ、シャープ等のIT関連の新しい産業の集積が起こり、それが近年の人口増加の要因となってからのようだ。
広島市の旧市街地と、新都市ともいえる東広島市は上手い具合に棲み分けがされているともいえる。

M

広島市を云々するとき、この東広島市含んだ都市圏を、広島市として捉えたほうがいいように思う。
そう捉えれば広島市は、元気な都市だということがはっきりしてくる。
西には西風新都もある。
広島駅周辺の開発も勢いを増している。
広島市の発展性は高い。

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2007年11月28日 (水)

コスプレパレード?

先日、鯉城通りで、様々に扮装をした若者たちに出会った。
女装したり、仮面をかむったり、楽しそうに通りすがりの人に手を振っていた。
近頃流行りのコスプレもある。
市民も笑顔で応えていた。
この日は、10月31日のハロウインの日、アメリカ等の英語圏では悪霊を追い払うために、カボチャやお化け、魔女などに仮装して、隣近所を回り、お菓子を貰う習慣にならったのだという。
広島外語専門学校生の学生、教師ら約300名が参加したという。
たまに街中で、コスプレの女の子を見かけるが、ちょっと違和感がある。
しかし、この日は誰もが、そのコスプレを楽しんでいた。
コスプレは、もともとはアニメなどの登場人物のキャラクターに扮する行為を指し、コスチュームプレイを語源とする和製英語だという。
いまではコスプレは世界中に広まり、日本が世界に誇る文化となっている。
今回のパレードは、専門学校としての宣伝活動が主たる目的でもあるのだろうが、コスプレパレードとしてみれば、街つくりの一環として大きなポテンシャルを秘めている。
広島市には全国的にも珍しい漫画図書館もある。
その漫画図書館とも提携したらいい。
今後は、他の学校にも呼びかけ、参加者を一般からも募り、大きなイベントとして育っていって欲しい。

K

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2007年11月27日 (火)

広島県高等学校総合文化祭

11月4日、広島県内の高等学校の文化祭の総合開会式が、シャレオ中央広場、クレドふれあい広場であった。
当日は、高校のブラスバンド部が本通り商店街をパレードした。
音が反響し、すごい迫力であった。
クレドの広場では、書道部員が大きなパネルに字を書いたり、様々のイベントが繰り広げられた。
書道もイベントになることを知った。
12月23日までの間、市内を中心に12会場で、写真、美術、演劇の展示、発表を予定しているという。
県内の高校が、文化系の部活の発表会を、一緒に開催しようというのがこの催しだ。
バラバラにやっていたんでは、仲間内だけのイベントで終わってしまうが、手を結んで、一緒にやれば、シャレオ、クレドでも開催することが可能になり、新聞、TVに取り上げられる。
一般市民の注目をあびることにもなる。
いいことだ。
今回が31回目だという。
これからも続くけて欲しい。

H


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2007年11月26日 (月)

G8の議長サミット、広島で開催

G8の議長サミットの開催地が、広島市に決まった。
2008年7月、北海道洞爺湖で行われる主要国(G8)首脳会議にあわせて、2008年9月上旬に開催されるという。
河野洋平衆議院議長は「平和と軍縮」、核拡散防止条約(NPT)体制の課題を協議するには、広島市が相応しいと述べた。
秋葉市長は「主要国の議長が、軍縮や平和について協議することは、人類史的にも大変意義がある。核兵器廃絶に向け、世界的なコンセンサスを醸成する重要なステップだ」と、今回の開催の価値を評価した。
広島市にとって歴史的イベントだ。広島市民のこれまでの長年の活動の成果だといえる。
秋葉市長は数年前にも、金正日氏の広島への訪問を呼びかけた。
北朝鮮の核問題を協議する6カ国協議が、広島市で開催され、金正日氏が原爆資料館を見学すれば、今後の展開は随分と変わってくるだろうと思われる。

世界の平和に関する機関の殆どは、永世中立を宣言した国ということで、スイスにその拠を置いているが、平和という精神からいえば、広島市にあることのほうが相応しいはずだ。
今後は、平和に関する国際的会議、組織を広島に誘致すべく活動していきたい。

広島市でこうした国際会議が開催され、国際組織が広島市にあることは、ホテル等観光産業への波及効果も大きい。
平和をテーマにして、広島市の経済発展が図れれば、こんな素晴らしいことはない。

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2007年11月25日 (日)

バス

広島市内を走っているバスも、世界のあちこち走っているバスも、皆四角い箱のバスだ。
2階建てバスだって、四角い箱だ。
どれもこれも美しいとか、楽しいとかとは程遠い。
もうちょっとオシャレな、気の利いたバスは作れないもんだろうか。

広島ではボンバスというすばらしい例もある。
横川では地元の人たちが日本で最初に走ったといわれるバスを復元し、かよこバスと命名し、横川駅の広場に展示している。
そのバスはなんともいえず美しい。
バスは乗用車に比べれば、少量多品種生産のはずだ。
色々な形が可能だと思うが、殆どそうした試みがされていない。
おかしなことだ。
電気バスだってありだろうと思うが、あまり聞かない。

昔は、大きくなったらバスの運転手になりたいというのが、男との子の夢だった。
今そんなことをいう子はいない。
バスの乗客が減ったというのには、こんなところにも理由があるように思う。
私は電車に乗るのは好きだが、どうもバスは好きになれない。
乗りたいという気になれないのだ。
そんな人は多いだろうと思う。
是非乗りたくなるようなバスを創って欲しい。

Bus


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2007年11月24日 (土)

県庁前駅店舗

アストラムラインの県庁前駅のコンコースに調剤薬局がオープンした。
近頃東京で流行のエキナカだ。
市民病院の増設を睨んでのことだろうが、市民病院の診療を受けた人にとっては随分と便利になっただろうと思う。
このお店ができたおかげで、地下道が明るくなった。人通りも増えたように感じる。
たった1軒なのに、こんなにも街のイメージを変えるのかと驚く。
いままではただ広いだけで、なんとなく間延びがしていた。
人の通るスペースの広さは、実質的には、今までと全く変わっていないし、本当は人通りの人数も増えてはいないはずなのに、増えたように感ずる。
そんな風に感じるのは、通り広さにも、適正なスケールというのがあるのだろうか。
面白い。

Kn


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2007年11月23日 (金)

広島バスセンター

広島バスセンターの開業は昭和32年という。出来てから調度50年が経つ。
紙屋町、基町地区の中心市街地の発展に果たした役割は大きい。
1日の利用客は約4万人。1日に約3,400台のバスが発着し、バス会社の総数は35社という。
しかし近年公共交通機関としてのバスの利用客は減少し、このバスセンターを利用するバスも年々減っているようだ。
バスセンターは、ショッピングセンターのアクアの収益等があり会社としては黒字だが、バスターミナル部門は赤字だという。
そうはいっても、バスセンターに出入りするバスは多く、それこそ途切れることなく出入りしている。
これでも減っているのかと訝しく思うくらいに、ひっきりなしに出入りしている。

Bs

それにしても、バスセンターの環境はなんとも酷い。
バスセンターの中に立つと、排気ガスのなかに立っているような感じになる。
乗客の待つスペースも狭く、綺麗とはいい難い。
人間のいる環境としては最悪だ。
これでは、バスに乗りたくもなくなる。
バスの利用客が減るのは、こんなところにも理由がるのではないかといいたくなる。
飛行場の待合室と比べれば、その違いがよくわかる。
広島空港でも、待合室は広く、ゆったりとした椅子が置かれ、大きなTVもある。
シャレたお土産店もある。
そもそも払う料金が違うといわれそうだが、近頃は喫茶店だって、カフェと呼び方が変わり、値段は安くなったのに、室内空間は綺麗になっている。
最近は東京、京都等と結ぶ遠距離バスも増えている。
最近市の中心部にはしゃれたデザインのバス停も出来てきている。
広島市の玄関口として、もう少し気の利いたバスセンターにならないもんだろうか。

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2007年11月22日 (木)

ファサード

辞書には、「ファサード」とは建物の正面をいうとある。
建築家にとっては、腕の振るいだが、いまやそれが、巨大なポスターに占領されようとしている。
街の景観を壊すからと、その大きさを制限している都市もある。
広島市ではどうなっているか知らないが、正面の壁全てがポスターになっている建物もある。
バス1台を、全面的に広告で包んでしまう「ラッピング広告」を、数年前から見かけるようになった。
最初に見たときはギョッとしたが、いまではそんなに違和感はない。
洒落たデザインであれば、かえって綺麗だとすら感ずる。
いいか、悪いかはデザイン次第だといえるようだ。

Fs

本通りと鯉城通りの交差点には、高さ3M×幅5M程度の大きなTV画面がある。
これはまさにポスターが動き、音を発するというわけだ。
動画の画面となったことで、映画の宣伝から、イベント情報、企業のCMまで、多種多様な情報を発信することが可能になった。
建物のファサードが、単に壁があるということから、情報発信装置に変貌したといえる。
街のエネルギー感じる。
モノには程度ってモノがあるが、この程度であれば、私は認めたい。
これも街の面白さであり、楽しさの一部だ。
TVの画面も、いまでは紙のように薄く作ることも可能になったという。
まだ20cm程度の小さい画面のようだが、いずれどんな大きさでも可能ということになるだろう。
となれば、建物のファサードに貼り付ければ、どこでもTVが見られるというわけだ。
街から建築はなくなる?
怖ろしい!
建築家は何をすればいいのだろうか。

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2007年11月21日 (水)

袋町公園

袋町公園は本通りの南、通称「うらぶくろ」の中心ある。
地下には駐輪場が設けられ、グミやミカンの実の生る木々が植えられている。
公園としては一生懸命考えられて造られている。
周辺には、結構オシャレな店も並んでいる。
トイレがあって、滑り台もあるが、どこか寂しい。
周辺のお店も綺麗には見えない。
中心にあるのに、存在感がない。
勿体ない。

東京ミッドタウンに接する桧町公園は素晴らしく綺麗だ。
それがミッドタウンの魅力を大きく高めている。

当たり前の公園であることを脱皮するには、自分達でそれを創りだす工夫と努力が必要のようだ。
世界に誇る「うらぶくろ公園」とすることも可能なのだろうと思う。
それは中心市街地の魅力を高めることにもなり、活性化させることにもなるのだと思う。
袋町公園は「うらぶくろ」の貴重な緑の空間だと思う。
Fk

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2007年11月20日 (火)

街のファーニチャー

お店の前に、椅子が置かれ、そこにちょこんと小物が置かれている。
誰か特別なデザイナーの作品というわけでもないが、でもなんとなく、脇を通ると楽しくなる。
いつごろから置かれるようになったか知らないが、気の利いた街の飾りになっている。
街の息遣いを感じる。
街の楽しさを演出している。
道路交通法違反だなんて、無粋なことは言わないで欲しい。

F

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2007年11月19日 (月)

フードフェスタに80万人~ゴミリサイクルの定着~

 広島城周辺で展開される秋の恒例「ひろしまフードフェスタ」が27~28日開かれ、今年も80万人近くが集い秋の味を満喫した。
 
 RCCが育んできた「広島城秋祭り(10月)と県が行ってきた「フードフェスタ(2月)」を合体して今年で3年目。(県・広島市・中国放送など43団体の実行委員会主催)

 フードフェスタは県が秋の収穫祭として30年余前に発足させ、途中イベントの少ない2月に“かき”を中心に再スタートさせた。しかし、客足の減少傾向と合併促進で参加市町村の減少を見越した藤田知事が数年前、開催中止の検討を指示した。
“実質的な伝統的な広島の収穫祭”として祭りを長年育成し継続を希望する県農政の担当者から相談受けたRCCが引き受け、上記2つのイベントを合体させた経緯がある。

 130万人集める5月のFFに次ぐ広島秋の最大のイベント食と郷土自慢の味祭としてすっかり定着した。

 体調を崩して長らくこのイベントから遠のいていた私は新Fフェスタに初めて足を運ん
でいくつか驚いたことがある。
 県警が出展し、ストップ飲酒運転や自転車の安全ルールをPRし相談窓口を設け、パトカ
ーを展示していることだった。子供達がパトカーに乗り込み、楽しそうに取り囲んでいる。
 また、何よりも驚いたのは400もの飲食のブースから生まれるゴミの処理が見事にこなされていることだ。

 これはISO14001を登録して放送を通じ環境への配慮・啓発してきたRCCがゴミの分別や粗大ゴミの持ち帰りをこのイベントの出店参加の条件にしていることにある。
                                        
 ラーメンの器や焼き肉を入れたトレーは使用後、各人が表面のビニールをはがして別々のかごに回収する「ゴミリサイクルステーション」があちこちに配置されている。
集まったそれぞれ分別されたゴミは再び使用できるように再生される。
個々人が自然にエコ運動に参加する仕組みだ。最近はどこのイベントでもこの方式が採用されているのかどうか知らない。
 しかし、これらが日本環境経営大賞や民放連盟賞の受賞をしている点でも、地域における環境改善に役立っていると評価される。
RCCが発する「エコ・リサイクル」方式の拡大普及は地域の大切な課題でもある。 

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2007年11月18日 (日)

癌と闘う~余命告知の疑問~⑤

 では現在、一般的に癌を特定する検査技術は変化なり進歩があったのかと言えば、DNAに及ぶ検査は行われておらず基本的には検査員の目視に変わっていないと言う。

 ここで示した4つのケースはたまたま同じB病院の患者に、私を含めて関わった事例で
医学に全くの素人が物申すことは口はばったいことかもしれない。

 しかし、まさに命がけで癌と闘う患者は藁にもすがる思いで医者にわが命を託しており、
極めて弱い立場にあることを医師たちは何と考えているのだろうか。
いまやセカンドオピニオンは常識のはずであるが、これを求める患者や家族の気持ちは
医師がどう対応してくれるか大きな不安を抱いて良い返事を待っている。

 病院の経営が厳しい状況にあるだけに、個人加入で運営され医師が保険適用を認めなければ報奨金が出されるアメリカの医療制度とは逆に、患者をよその病院へ渡すとペナルティーでも科せられるのかと疑いたくなる。
 4つのケースはいずれも患者をよその病院に横取りされたくない・・・と言う力が働いたのか、それとも単に“東洋医学を蔑視”しただけの対応か、少なくとも患者の立場に立っていないことだけは確かだ。

 だが、確証を持てない医師が、どれだけのデーターに基づいて「余命はあと○月」と告げているのか。医師にそんな権限?があるのか甚だ疑問だ。
「余命告知」は患者のためになっていない。医師の自己満足ではなかろうか。

 癌告知そのものが患者に与える不安や絶望感は大きく、まして「余命の告知」が患者に
与える“免疫力低下”の影響は計り知れず、時には治療が成り立たなくなると東洋医学の医師は指摘する。

 癌発病の因果関係が突き止められていない今、患者や家族を奈落に突き落とすような「余命告知」は時期尚早ではないか。大いなる疑問であり、現在も医学会の課題ではないか。

 生きる希望を奪われた癌患者と家族の気持ちを理解しての余命告知か、誰のための告知なのか。終末癌患者が映画「像の背中」の主人公の気持ちには中々なれない。

 心ある医師たちよ!!今一度「癌告知とセカンドオピニオン」合わせて『終末医療と余命告知』を真剣に考えてほしい。  

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2007年11月17日 (土)

癌と闘う~余命告知の疑問~④

 またまた古い話で恐縮です。私は‘71年、日中国交回復前年に初めて中国を訪問し、当時世界を圧巻していた針麻酔手術や漢方によるがん治療などを見学した。
その際、直前に国交回復をなしたアメリカから200人の医師が東洋医学を研修するために送り込まれていると聞いた。

 その後、四川省のTV局と提携し、度々中国を訪問する機会に恵まれた。
四川電視台に漢方による癌治療の取材を企画して取材協力を申し入れた。しかし、機密事項が多いとして直接取材は阻まれたが、四川電視台が持っている資料VTRの提供を受けた。その中に多くのアメリカ人医師が現地で研修をしている事実を確認した。
それは今も中国各地の中医病院や大学で継続されており、その成果はアメリカの癌専門病院や癌終末医療施設の70%に東洋医学を習得した医師が配置されていることを日野原重明聖路加病院名誉院長の著書で知り改めて驚いた。

 日本の病院や癌専門施設でどれだけ東洋医学を取り入れている施設があるのだろうか。
厚労省は明治政府がとった東洋医学・漢方を見限って“西洋医学優先制度”と同じ頭を切り替えない限りアメリカの実情に追いつくことは不可能と言える。
米中国交回復に当たってニクソンとキッシンジャーが進めた遠大な計画は、ムーア監督が映画「シッコ」で暴く歪んだアメリカの民間主導の医療制度に東洋医学を35年前から営々と取り込んできた事実に改めて医学先進国だと驚かされる。

 癌の告知は一昔前に比べると放射線治療を始め抗がん剤の改良などで治療法が格段に進み、今や常識になっている。しかし「余命の告知」にはまだ問題が多い。

 少しさかのぼった話である。
私が、最初に「癌」と告知され、当時では珍しくセカンドオピニオンで「嫌疑なし」で放免された時、人間ドックで誤診されてはたまらんと騒いでいた。
大学病院で長年病理の専門家でならし、退官後に東洋医学の内科を開設している私の主治医の仲間の医師に以下のような説明をされ、納得した事があった。

 西洋医学の癌検診、特に生検で癌を特定する作業は人の目で行う。「疑わしきは罰する」が原則。従って、特に胃の場合は術後に詳しく検査すると25%前後は悪性でなく結果的には手術しなくても良かったケースがある。しかし、疑わしい場合は必ず手術で除去するのが西洋医学の原則で「誤診やミス」に当たらないと言うわけである。<つづく> 

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2007年11月16日 (金)

癌と闘う~余命告知の疑問~③

 10月になって久しく連絡を取っていなかった女性から「癌と闘っている娘婿に抗がん剤の投与前に、東洋医学の診察を受けたい」と、東洋医学の先生の紹介を求めてきた。

 42歳の彼は岡山出張中に激しい腹痛に見舞われ、担ぎ込まれた大病院で虫垂部位に癌があると緊急手術を受けた。しかし、1週間しても痛みが取れず今度は大腸癌による腸閉塞と診断され大腸切除で人工肛門の手術を受けた。1ケ月あまり経って、広島市内の前例2件と同じB病院へ転院した。

 転院時に岡山の病院は奥さんと義母に「癌巣がとりきれていない」と余命告知している。
転院してきたB病院の医師はCTやPETにかけることなく、抗がん剤の投与を勧める。患者が東洋医学の診断を希望すると、前例と同様ににべもなく断られたと言う。

 再度、会社の上司から強く勧められ、上司が先生にお願いに来ると告げると、がらりと態度が変わった。PETをとった後に漢方に行ってよいと許可された。しかし、結果的にPETでは癌や転移はキャッチされなかった。

 東洋医学の医師宛には所見を示したメモ1枚が渡されたが、カルテのコピーやPET画像などを見せる協力はない。

 東洋医学の診断は所見メモとは違う場所に小さな癌が残っているとの診断だった。先生は当面2~3ケ月で癌の芽は消せるだろうと判断した。本人の強い希望で抗がん剤は避けて漢方治療を始めることになった。しばらく様子を見ながら求職中の会社への出勤も相談しながら考えることになった。

 東洋医学について詳しいわけではない。先生との長い付き合いと私自身の経験と、この4つの具体的な事例に遭遇して、同じB病院で共通して「東洋医学蔑視」という問題が有ることに気づいた。

 最近、JNNニュースの企画で「余命を超えて闘う癌患者」のケースがシリーズで放送された。いずれも告知された余命を遙かに超えて残る人生を子供たちやお年寄りのためにボランティア活動などで健気に生きる姿は神々しさを放っていた。
高校生を前に若い命を粗末にしないでと訴える理容師の63歳の癌患者は「捨てる命があるなら私に下さい!」と叫んで“命のメッセージ”を送る姿が感動的だった。
余命告知を超えて懸命に癌と闘う患者は身近にも意外にたくさんいる。 <つづく>

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2007年11月15日 (木)

癌と闘う~余命告知の疑問~②

 東洋医学を頭から否定的な医師に対して「あなたは東洋医学をご存知ですか」と尋ねた。「知らないが、せき・熱かぜ程度の治療に利いても癌治療が出来るとは考えられない」と言いきった。「データは誰のものですか」「貴方は患者のためを考えていますか」と厳しく迫ると、今後の治療に役立つCTや血液検査などの定期的健診と検査、その都度VTR収録の協力をしぶしぶ約束した。

 すぐにも手術が必要だったはずの父は漢方治療を始めて2週間ごとの通院で、1ケ月もすると食欲も出て血色も良くなり軽い農作業を始めた。

 漢方治療を始めるにあたって父は腎臓が弱いので塩分など控え目にする等の注意を受けていたが極めて順調に元気を取り戻し始めた。「余命6月」を告知した医師たちは3月ごとのCTで5つの癌が徐々に形をかえ小さくなり肝機能の数値が標準に下がって行く様を「不思議だ」を連発しながら見守った。
余命宣告した医師は時々「お父さんはどうしておられますか」との電話がある。
元気で百姓をしています。お酒も少しですが美味いと言って頂いていますと返す。
徐々に漢方の効果を信じないわけに行かなくなった頃、定期的検査に協力しいた父の担当医師が変わった。しかし、父は2年半後腎臓炎を患って1月足らず臥せったが、「延命治療はしない」との意思通り全く痛みもなく眠るように逝った。

 一昨年暮れ、高校時代2年後輩の女性から突然の電話を受けた。3歳の孫に脳腫瘍があって脳幹に近い場所なので手術は出来ない「余命半年」の告知を受けていると言う。
 
 父や私が東洋医学にお世話になっていることを姉から聞いて知っていた彼女は、ぜひ漢方医を紹介してほしいと言う。
 この子が治療を受けてきた病院は父が手術を受けた同じB病院で、放射線治療を勧められていた。ところが東洋医学による治療を受けるのでカルテや脳の写真などの提供協力を依頼したらけんもほろろに断られたと言う。
 
 しかし、放射線治療の勧めを断って、早速漢方治療を始めた。脳幹を圧迫した腫瘍のため真っすぐに歩行出来なかった子が、間もなく真っすぐ歩けるようになり6ケ月を過ぎたころから保育園への通園を再開した。幸い、件の病院は何ら手を打つことはなかったが治療経過を見るための検診チェックは今も続いているが、この子は元気で通園している。
日増しに腫瘍が小さくなって元気を取り戻す子供の前から、この2年で2人の担当医師が交代し、今は「腫瘍は悪性ではなかった」と対応していると言う。<つづく> 

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2007年11月14日 (水)

癌と闘う~余命告知の疑問~①

癌で『余命半年』を告知された男の生き様を描いた映画「像の背中」が評判を呼んでいる。

私は癌による胃・胆嚢・脾臓の全摘と膵臓の一部摘出する手術を受けて1年半が過ぎた。
2ヶ月ごとのチェックも3ケ月ごとになり、今のところ他の臓器や骨・リンパへの転移はなく順調に推移している。

 15キロ近く落ちた体重は5キロほど回復し、食事も意外によく進んでいる。
一気に落ちた筋肉と腰回りの筋(スジ)がバランスを失って太もも辺りの痛みが伴う日々が続いたが散歩と日に数回のこまめなストレッチ運動でだいぶ和らいできたのは嬉しい。

私は30年あまり抱えていた胃潰瘍が時に激しく痛んで出血を繰り返して来た。
過去A病院人間ドックで2度、「初期癌」と宣告され、そのつどセカンドオピニオンでクリアーした経緯がある。この間12年、東洋医学による治療に専念した。
3度目の癌告知は大手B病院の人間ドック。一旦、大学病院でクリアーしたが、1年後主治医の配下の若い女医に「第四ステージ」と告げられた。流石に私も家族に話すのを控えて「余命と終末」を考え抗がん剤投与を一旦は拒否、手術も先延ばしにした。しかし、潰瘍が破裂し吐、下血し手術に至った。
幸い、大学病院は院長以下東洋医学に理解が深く漢方処方もしているので、常にデータを東洋医学の主治医に提供し、入院中も引き続き従来の漢方薬の投与を受ける事が出来た。

 東洋医学の主治医は内科の開業医である。40年前から東洋医学を研鑽され、中国に伝わるツボを磁石で刺激して全臓器の脈をとり病状を把握する独特の経絡(けいらく)治療だ。
病状に合わせたせんじ薬など漢方薬を処方し、多くの癌患者の治癒を得た名医で、全国から患者がやって来る。

西洋医の中には漢方や東洋医学と言えば、まるで後進国か未開地の時代遅れの治療と考えている人が結構いる。
 
10年ほど前の話で恐縮ですが、市内のB病院で(私が「3度目も癌告知」を受けた同じ病院)結腸癌の手術を受けた父が1年後に肝臓癌を宣告され即入院手術を勧められた。
肝臓には2~3センチ大5つの癌があった。
1年前の術後の苦痛を思い起こした父は手術を拒否して、東洋医学治療を希望した。
これに対して担当医師は「貴方は癌ですよ。命を捨てる気ですか」とまるで「バカ者」と言わんばかりの蔑んだ態度が忘れられない。 <つづく>  

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2007年11月13日 (火)

「広辞苑」新村猛さんとヒロシマ

 国語辞典の「広辞苑」が10年ぶりに改訂され、第6版として来年1月に発売になる。
 編者は山口市出身の言語学者の新村出(しんむら いずる)氏だ。

 中国新聞25日の天風録によると「オックスフォード英語辞典」に衝撃を受けた新村氏は
昭和初期から言葉の収集を始めた。前身の「辞苑」は‘35年(S10年)にできたが、全面改訂を目指して集めた15万語の原稿や組版が戦災で灰になる苦難を経て、’55(S30年)に「広辞苑」初版出版にこぎ着けた。
「広辞苑」と聞くと思い出深い人がある。

 辞書は新村さんが亡くなった後も名古屋大学でフランス文学の教鞭を執っていた出氏の二男で仏文・言語学者の猛氏らが改訂に取り組んできた。
 
 その猛氏は広島に縁が深い。私が知己を得たのは東京支社に勤務していた‘74(S49年)
?頃。分裂している原水禁運動の統一に全く表に出ない所で汗をかいている人がいると知ってその人の宿舎を訪ねた。

 六本木の東洋英和近くに、嘗て前田候の江戸屋敷跡にある国際会館が定宿だった。
穏やかな初老の学者はにこやかに迎えて、よもやまな話に花を咲かせ、第二次世界大戦中の「フランスの人民戦線」や「ヒロシマの心」について熱く語った。

 主義主張を超えて“原水爆の廃絶”を唯一の柱にした「フランス人民戦線」を理想とする革新勢力の大同団結に自らの勢力を傾ける気迫を感じた。
 しかし、会話の声は消えんばかりに細く、私は以後、最初の印象である“名古屋の御公家さん”と秘かにニックネームをつけていた。

 名古屋市に革新市政が誕生したのは‘72(S34年)。猛氏はその前年の愛知県知事選に出馬して善戦し、名大教授で後輩の山本さんの名古屋革新市政誕生の先駆けになった人で、その道では知られた人だ。’35年(S10年)同志とファッシズムに抵抗する「世界文化」を創刊し、治安維持法違反で逮捕された「戦前の筋金入りの闘志」だった。

 学者・研究者としても著名でロマン・ローランなどフランス文学の訳書も多く人権問題にも熱心で「山宣」の流れをくむ初代の部落問題研究所の所長も務めた。

 原水禁運動の統一に向けては、当時の総評の市川議長や社会党の飛鳥田委員長、共産党の宮本議長、原水協・原水禁など関係者を訪ねて根気よく “運動統一”の実現を目指して、個人の立場からすべて手弁当で働きかけされた。

 彼を動かしたものは‘63年(S37年)の原水禁世界大会で愛知代表として参加し「いかなる」問題をめぐって原水協が分裂した際、議長団にいた。
 ‘30年にドイツの社共が分裂してヒトラーの独裁を許したとき、フランスは人民戦線で民主主義を守った歴史を大きな教訓にして生きてきたことにあった。

 東京の国際会館の一室には「広辞苑」の編集室を置き、名古屋の自宅と行き来しながら月10日くらいをここでを過ごし、全国に足を伸ばしながら広島にも年1~2度ふらりと姿を見せられた。
 
 JCJ(日本ジャーナリスト会議)の活動や東欧との国際交流にも熱心で、当時発足させた広島ルーマニア協会の設立や私がJNN(TBS系ネットワーク)でブルガリアに長期取材の出かける契機とルート造りにもお力添えを頂いた

 若い記者や学者との交歓が好きで広島でもワインやビールを傾けながら時折会話の中から拾った若者言葉や流行語などには敏感にメモを取られた。
 
 晩年はもっぱら「広辞苑」の編纂に力を入れ、亡くなる1~2年前から広島への足は遠のいたが手紙や電話で消息を尋ねて来られ「ヒロシマ」への関心は強かった。
 小さな体で声もか細いが何事もゆったりと構えた心の広さと反面、時折見せる老人らしくない眼力の鋭さは今も私の脳裏に強く残っている。

 その新村猛氏が亡くなって今月末で15年になる。合掌。

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2007年11月12日 (月)

岩国市長の苦悩

 米軍岩国基地への艦載機移転をめぐって、国が新しい市庁舎の建設費の補助金交付をストップしている問題で井原市長が国に対して「半歩、譲歩した」新提案をした。
 
 新庁舎建設の補助金はもともと沖縄の米軍普天間飛行場からの空中給油機移転を受け入れた見返りだった。しかし、国は井原市長の”空母艦載機移転反対”を理由に、市の新庁舎建設補助金35億円を本年度予算に盛り込まない“兵糧攻め”に出ている。
 
 井原市長は昨年春、厚木基地からの米軍艦載機移転問題を市民に問う住民投票を行った。日米安保に基づく米軍再編に関して“権限はない”自治体での住民投票で民意を問うた。
58%が投票し87%が「反対」し市民の過半数の意思表示があった。

 市長はその後の選挙で再選され、賛成多数の議会と対立状態にあって庁舎建設のための合併特例債を二度にわたって否決された経緯がある。
 
 井原市長は今回の新提案への思いを「移転に反対してきたし、いまだに納得できない所もあるが、半歩踏み込んで、国防と地域の安全安心の観点から互いに納得できる合意点を探りたい。住民が不信感を持ち、歩み寄れない騒音問題について、滑走路の沖合移設後に試験的訓練を提案した」と苦渋の色を滲ませている。

 市民サービスの低下を招かず予定り岩国市の計画を推進するために「反対の旗をいったん収め、協議に臨みたい」と言う市長に防衛大臣は「いったん撤回するが、また反対することはないのか」と“容認を前提”に検討を示唆している。

 岩国基地の米兵による少女暴行事件の発生は艦載機移転反対の市民感情を一層強いものにしている時期だけに国は柔軟な対応を迫られていると言えよう。
 また、守屋前防衛事務次官の「納入業者との癒着」や「給油隠蔽」など相次ぐ問題で防衛庁を取り巻く環境は厳しい。小池前大臣が守屋氏の辞職を示唆した時、基地対応で守屋氏に不満を持つ?沖縄の知事らの働きかけが噂に上った。岩国市への兵糧攻めも守屋氏の指示による可能性は高く、岩国にとっては攻め時かも知れない。
 そのために周辺自治体の住民が岩国にエールを送るキャンペーンがあっても良い。

 しかし、井原市長の新提案が国に受け入れられる条件を満たすかどうか予断を許さない。この際、議会は市長の新提案に協力して、改めて国に方針転換を求める時ではないか。
国の補助金に依拠する基地の街の市長の苦悩はまだ当分続きそうだ。

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2007年11月11日 (日)

アメリカの病巣暴く映画「シッコ」

 “テロより怖い、医療問題”を捉えたマイケル・ムーア監督の最新作「シッコ」を見た。

「アメリカは先進国で唯一国民健康保険がない国・・・」は比較的よく知られている。
アメリカの医療保険は民間の保険会社が管理するシスティムで、国民の6人に一人が無保険者はで毎年2万人近い人が何の治療も受けられないで死んでいく。

 アメリカのシスティムは保険会社が「治療は必要ない」と診断した医者には“無駄な支出を減らした”と奨励金を出す。加入者には何かと理由をつけて保険金を払わない。また、政治家には多額の献金をして都合のいい法律をつくらせ、公的医療保険求める動きには
「国による保健管理は社会主義への第一歩だ」と潰しにかかる。

 ムーア監督が制作に先立って募集した医療のトラブル・ケースは2、5万件がよせられた。事故で指2本を切断した無保険の大工が「薬指は1,2万ドル、中指は6万ドル」と告げられ、薬指だけ手術し中指は無いケース。安い掛け金の保険に入っていた夫婦が心臓病と癌に見舞われ我が家を売って治療費を賄い破産状態で娘のところに転げこむケース。治療費が払えず病院を放り出される患者たち。痩せすぎや太りすぎで保険加入を断られるケースなど医療棄民の現状を暴く。

 ムーア監督は他国の実情をカナダ、イギリス、フランスで探り何れも医療は国が運営する保険でカバーされている実情を知り「アメリカはこんな社会でいいのか」問いかける。

 9・11で救命作業に参加して健康を害した救命士達を“アメリカの仮想敵国キューバ”に
引き連れ「無償の治療」を体験し、先進医療国アメリカの医療制度を透かして見せる。
 そこにはアメリカで唯一の無償医療が受けられるグアンタナモ基地がある。テロリストのアルカイダ一味が高度医療の恩恵に預かっている現実を風刺的に浮き彫りにしている。

 民主党の熱烈な支持者と言われるムーア監督。独特の政治課題である医療問題を「テロヨリ怖い」と位置付けた企画だけに、多くの悲喜劇的ケースを通じてブッシュ政権を痛烈に批判し、「アメリカの偉大さは自らを正す能力がある」とアピールする。

 国民皆保険制度の日本では医療費の削減や介護医療の民間への丸投げ、国民健康保険料が払えない高齢者の増加などの現状を頭に見ると日本の医療体制にも警告を発している。
 アメリカ追随型の日本の医療は今後どこに行くのか。日本の健保の民営化は無いとは言い切れない。決してアメリカの悲喜劇と笑ってはおれない。

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2007年11月10日 (土)

食品偽装と飽食

 甘党の私は洋菓子より和菓子が好きだ。なにより小豆の餡が好物だ。津和野や松江、岡山の老舗の和菓子にも大好物がある。
伊勢の「赤福」も月にⅠ~2度、広島のデパ地下の菓子コーナーにお目見えする。
 9月下旬に買ったとき家内が「いつもよりあんこの色が濃い」と指摘したが、味に問題はない為いつも通り頂いた。

 その「赤福」が30年も前から製造年月日を偽装表示していた。農水省は日本農林規格(JAS)法違反に当たるとして営業停止処分した。

 食品の偽装表示や賞味期限改ざん、期限切れ材料の使用問題など近年、雪印に始まって今年になっても不二家、肉のミートホープ、白い恋人、中国産「三輪そうめん」、名古屋コーチン、比内地鶏、宮崎うなぎの材料や産地の偽装があとを絶たない。

 300年の伝統と年商80億の歴史ある老舗がなぜ偽装表示したのか?
記者会見で社長は「廃棄処分はもったいないから」と漏らした。

 この「もったいない」は売上至上主義が前提で、本当に食品・材料を大切にする上での意識だったとは思えない。しかし、食料の自給率40%の我が国が食べ物を粗末にしている現実を考え、規制を含む食の問題を見直す必要があるのではなかろうか。

高級レストランやホテルの残りものにありつける銀座周辺のホームレスに糖尿病など成人病が多いという報告を聞いたことがある。飽食ニッポンを象徴する話題だ。

 外食産業が盛んになりホテルやレストランでの食べ残しは膨大な量で、コンビニでは弁当を1日3~4回、時間ごとに廃棄処分にしていると言う。学校給食でも毎日の食べ残し量は多く、養豚業者やたい肥に回される廃棄食物は膨大で、家庭から出る残飯など生ごみの量を合すと人が食する量を遙かに凌ぐと言われる。

 狂牛病が俄かに食品の安心・安全が国民の関心を高め、敏感になってきた日本。食の安全は国によって高い水準で管理されなければならない。しかし、法は杓子定規に運用すれば良いのではない。店頭から回収した『赤福』(一般的に)が食品衛生・管理上また賞味上も再販売が可能なものなら、本当に「もったいない」を活かした扱いが出来る様な法の改正・整備が検討されてしかるべきではなかろうか。 
 食糧難を知っている戦中派の嘆きではない。切実な政治課題である。  

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2007年11月 9日 (金)

草の根・若者グループの誕生に期待

 この夏、アメリカの前副大統領アル・ゴア氏が制作しアカデミー賞を受賞した映画「不都合な真実」の上映に取り組む広島の若者グループが生まれた。

 20代から30代の会社員や学校の先生、ITの経営者、保育士、平和活動などに携わっている25人が「広島市民の中から草の根活動を起こそう」と、まずゴア氏の映画会をしようと結集し、9月末に行った上映会に600人を動員して大成功を収めた。

 この成果を一回きりで終わらせないで発展的に維持していくために改めて「hiroshima from grassroots」を結成し環境問題を中心に草の根市民運動に取り組む計画を進めている。 

 代表を務めるH君は昨年までODAに在籍して海外でも幅広い活動をしてきたが平和文化センターのリーパー理事長に刺激を受け、故郷広島で役立ちたとユータウンし、既にいくつかの草の根平和活動に取り組んできた。

 新組織の第一弾は「不都合な真実」上映の成功に学んだ経験を生かして11月17日(土)<14:00~、18:30~>に西区民文化センターで、一昨年の川崎市を舞台に展開された衆議院選のドキュメント「選挙」の上映会をする。
 この映画はある自民党の若手候補に密着し、彼の選挙戦を通じて日本の民主主義を大解剖し選挙運動の裏の裏まで見せる史上初の大型選挙ドキュメンタリーだ。
 
 グラスルーツの活動の柱には商業ベースの映画館では見れない、プロダクションや自主制作による上質で優れた映画情報の提供と上映普及を目指す文化活動もある。

 第二弾は12月24日(土)のクリスマスイブには広島市内の新己斐橋東詰めから鶴見橋西詰め迄の平和大通りで、サンタのコスチューム「ごみ拾い」をする。
無 駄な資源=ゴミを出さない。そのためにゴミに対する意識の向上を目指し、消費文化に一石を投じゴミに対する関心を高めようと言う企画だ。

 彼らが今後、草の根から環境と平和問題を中心に市民の中にどんな活力を提案、注入できるか期待しエールを送りたい。

<グリーングラス連絡先:代表=平尾=090-1338-2891>

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2007年11月 8日 (木)

守屋前事務次官

防衛省前事務次官守屋氏のスキャンダルが次々と出てくる。
ゴルフを週5回、過去11年間で200回もやっていたとか、ゴルフバッグをもらっていたとか、その内容は呆れるばかりだ。
「あんた日本国の防衛のトップだろう、何考えてんの、大丈夫かよ」といいたくなる。
まだまだ出てきそうだ。
おまけに、防衛省のスキャンダルまで出てきてしまった。
懸命に否定しているが、業者との癒着がないわけがない。
相手とされるのは山田洋行の元専務だ。
こんな酷い話になるとは、守屋氏にしてもその元専務にしても、そのときは、予想だにしなかったことだろう。
だから、どんどん証拠が出てきてしまう。
しかし、今回の事件のモトは、なんともくだらない。
元専務が山田洋行社内の権力争いに破れ、新しくミライズ社を創設し、自分のお得意さんと部下を連れて出て行ってしまったことに、怒った山田洋行が、元専務の悪事を洗いざらい暴露した。そのついでに、守屋前事務次官の名が出てきてしまったということのようだ。
元専務が悪あがきせず、山田洋行をすんなり辞めていれば、こんな話にならなかったわけだ。
守屋氏としては、いい迷惑だといいたいところだろうが、しかしやっぱり悪いことは悪いんだからどうしようもない。
おかげで、防衛省はガタガタになるし、自民党の政権も危うくなっている。そうでなくとも危ないのに、それに追い討ちをかけてしまった。そりゃー自民党だって頭に来る。
あの野郎ということになるのは当然だ。

さあ、ここで問題は守屋元次官が、どう決着をつけるかだ。
これだけメチャクチャにしたのだ、自殺したっておかしくない。
こっちだって「てめーみてーな奴は死んじまえ」ともいいたくなる。
しかし、それを、やっちゃーお仕舞-よ。
いずれにしろこうなれば、きれいさっぱり諦めるよりしょうがない。
退職金も返還して、スッテンテンになるより仕方ない。
それでもガーガーいう人はいる。
まあいい思いをしたんだから、そんな非難を受けても、甘んじて受けるより、しょうがない。
あの煮ても焼いても食えないような面構えの松岡氏が自殺したのには、ほんとうにびっくりした。
人間とは以外に脆いと、その時つくづく感じた。
まずはスッテンテンになることだろう。
頭を剃って、高野山で修行するというのもありだ。

明治の初期、山県有朋は陸軍省出入りの商人、山城屋和助に公金を不正融資して焦げ付かせ、大騒ぎになったが、山城屋和助が自殺して、結局その事件は闇に葬られたという。
その程度の覚悟も出来ない奴は、悪いことはしてはいけないのだ。
長生きしたい奴は、正直に生きるしかない。
ねー 守屋さん!

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2007年11月 7日 (水)

厚生年金会館前の庭

厚生年金会館の去就が注目されている。
その問題とは別に、ここには一つ素晴らしい環境がある。

通常川と建物との間には道路があり、その道路で、建物は川から離れされている。
建物からは、車道を横切らないと川に出られないのが普通だ。
しかしここでは、普通なら、道路となったであろうスペースも、堰堤と一体になり、幅20M以上もある公園となっている。
この厚生年金会館の庭からは、直接歩いて川にまで出られるようになっている。極めて珍しいことだ。
もともとここには中央卸売市場があり、川から直接陸揚げする必要があったことにより、こうした環境が残ったのであろうか。
この公園は隣接するアステールプラザまで繋がっている。
広々とした庭と公園は、厚生年金会館を趣のある建物にし、その価値を高めている。
大切にしたい環境だ。

K


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2007年11月 6日 (火)

ETC専用ゲイトの設置

国土交通省は、高速道路のパーキングエリア(PA)、サービスエリア(SA)、バスの停留所等と、近くを走る一般道を結ぶETC専用のゲイトを大量に設置すると発表した。
ETCという技術を導入したことで、可能になったことだ。
広島市内でも、山陽自動車道に宮島サービスエリア等いくつものSA、PAがある。
宮島SAでは、サービス用のアクセス道路が施設の裏に取りついているから、その気になれば、すぐにでもETC専用ゲイトの設置は可能だろう。
宮島SAで休憩した人は、そこから瀬戸内海、宮島を望んで、宮島に寄っていこうかという気になるかもしれない。

アクセス道路は、狭い坂道となっているようなので、ちょっと安全上大丈夫かなと気にはなる。騒音も懸念される。

E
ETC専用であっても、こうした高速道路のゲイトの増設は、基本的には利用者にとっても、周辺の街にとってもいいことだろうと思う。
これでETCの利用にも一気に弾みがつき、高速道路を経営する企業にとっても、相当な収益をもたらすものと思われる。
こうしたことも民営化されたことの、プラスの効果といえるのだろう。

日本の道路にして、鉄道にしても、もともとは全て産業用のインフラとして整備されてきた。
そうしたコンセプトのもとでは、利用者の利便性とか、街との繋がりなどはあまり考慮されてこなかった。
それがいまでは、利用者という市民を基準にして考えるようになったのだ。いいことだ。
全ての基準が変わりつつあるようだ。

もっともいまだに中国や韓国では、道路は戦闘機や戦車が使用することを想定して、整備されているともいう。
怖ろしい。

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2007年11月 5日 (月)

並木通り

並木通りにはオシャレなお店が数おおくある。
建物のファサードは、それぞれに個性があって楽しい。建築の美しさ、楽しさを見せてくれる。
空があるのもいい。緑の並木も気持ちがいい。
この地域の人たちは彫刻を置いたり、コンサート等のイベントをしたり、結構頑張っている。
あと10年もしたら、この並木もかなり大きくなり、風格のある並木道になると思う。
ここには、ソレイユ等の郊外型大型SCにはない楽しさがある。

歩道にあるカフェで、コーヒーを飲みながら、前を通る人々を眺められるようになったら楽しいだろうなとも思う。
夏の強い陽射しの中で、そして冬の寒さの中で震えながら、熱いコーヒーを飲むなんてのもシャレてると思う!
でもねー、駐車している車は美しくないよねー。
この際、思い切って歩道をオープンカフェに、車道を歩行者優先にすることはできないだろうか。
道路交通法等厄介な法律がありそうだ。
あの堰堤の上でオープンカフェを作るという難しい条件だってクリアしたじゃないか。
その気になれば出来ないことはないだろうと思う?

中心市街地には、アーケードのある商店街「本通り」、ちょっと粋なお店の「うらぶくろ」、地下街の「シャレオ」、基町地区の「そごう、パセーラ」、八丁堀地区の「福屋、三越、天満屋」、そして並木道の商店街「並木通り」。そして隣接して「流川、薬研掘」の歓楽街もある。
それぞれ地区に、それぞれ違った趣がある。

ソレイユ等にはない街の深みが、中心市街地にはある。
様々な姿を見せてくれるこの街は、「街を散策する」という楽しさを教えてくれる。
そしていずれ、この並木通りは、世界に誇る並木通りとなるだろう。

H


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2007年11月 4日 (日)

市民交流プラザ前の緑

広島市市民交流プラザは、道路からちょっと下がって建てられている。
その道路との間、数メートルの幅で、約20メートル位の長さに渡って、並木が植えられ、花が植えられている。
街の中の貴重な緑となっている。
こうした緑の空間が、袋町の品格を創り出している。
前の道路が1方通行というのもいい。
この並木も、後10年もしたら大きな木になるだろう。
そのときが楽しみだ。

S

公共施設だから、こんな贅沢なことができたのだろうともいえるが、民間であっても、道路に面したスペースを市民に公開した空間を造れば、高さ、容積を緩和しましょうという公開空地という制度があるが、なかなかここまで上手く使っている例は少ない。
NHKビルの広場は、1Fのホールと一体になって、コンサートを行ったり、売店を開いたりして、街の広場になっている。
県の3セクの建てたクリスタルプラザの公開空地は、屋根も架かっているのだから、使い方にもうちょっと工夫したら楽しい空間となりそうだ。

中心市街地には、こうしたところにも楽しみがある。

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2007年11月 3日 (土)

ブラジル県人会の碑

厚生年金会館の西、本川に面した公園に、ブラジル広島県人会と在ブラジル原爆被爆者協会の建てた「祈平和の碑」がある。
ブラジルの地図をモティーフにしているが、現代彫刻のように、なかなかシャレている。
市の中心部からちょっと離れたところに、樹の影に隠れるようにしてあるので、あまり多くの人の目に触れるということではなそうだ。
平和公園周辺には100ヶ所以上の碑があると思う。
散歩の途中に、こうしたシャレた碑を見かけると、妙にホッとする。

B

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2007年11月 2日 (金)

小さな親切・大きなお節介

「小さな親切」を心がけましょうという。
カフェのレジの脇には「小さな親切」と書かれた貯金箱が置かれ、お釣りの一円玉を入れてくださいと書かれているのを良く見かける。
こうした運動は可愛らしくて、いい。
そうした人の好意につけ込んで、その寄付金をネコババする輩もいるようだから気をつけないといけない。

しかし、問題は「親切ごかしに、ああしたらどうですか、こうしたらどうですか」といってくる人だ。
こっちだって、ちゃんと考えてやっている。
それをグチャグチャいわれたら嫌になる。
「いいかげんにしろ!」といいたくなる。
それはもう「小さな親切=大きなお節介」だ。
「小さな親切・大きなお世話」といってもいい。
しかし相手は、それを親切と思ってやってくれているのだから、厄介だ。
「大きなお節介だ」というと、そうした人に限って、怒ったり、がっかりしたりして、もう口もきいてくれなくなる。
妙に深く傷ついてしまう。
「無関心」というのも困るが、こうした「小さな親切、大きなお節介」というのは、本当はもっと困る。
これに対しての対応は難しい。

「お前のいっていることも、大きなお節介だ!」って。
ウーッ・・・・

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2007年11月 1日 (木)

異変・秋の香り

 やっと秋らしくなってきた。
秋を告げてくれる自然には冷気や木々の葉の色をはじめ虫や鳥の声など様々ある。

 けさ、我が家の隣の建物の上にある小さい貯水タンクの梯子の先に、いつもこの時期にやって来るモズ(百舌鳥)の姿を見た。
「チィーチィー」という甲高い鳴き声にあわせて長めの尾を動かしている。
街中のマンション住まいで見かける鳥と言えばカラスにハト、トンビに雀くらいで他の鳥を見かけることは少ない。
 ベランダに出ると隣の高校の植え込みから盛んにチィーチーとモズの声が響いている。
モズは渡り鳥ではないが不思議にこの時期になると街中に姿を見せる「秋の鳥」である。

 モズは昆虫や蛙、トカゲやネズミなどを食べる猛禽類?の小鳥で、捉えた餌は木の枝先や有刺鉄線に刺して置く習性がある。冬に備えた餌の蓄えで、子どもの頃に「モズの磔(はりつけ)」と言っていたことを思い出す。

 日本には季節の移ろいを香りで教えてくれるものがある。
春はチンチョウゲ、夏はクチナシ、秋は金木犀がその代表的な香りだ。
しかし、今年はその匂いを感じないのに気づいて袋町小学校の正門近くにある金木犀を観察してみた。2か所の植え込みには、なんと蕾ひとつない。

 平和大通りの緑地にはあちこちに金木犀がある。散歩がてらに確かめて見た。
ANAホテル前から中央通りまでの3~4百メートル間の両側にある生け垣風の植え込みから丸く刈り込んだ一本ものまで数十本、総てが全く蕾も付けていない。

 少なくとも平和大通りでは、今年は秋の馥郁(ふくいく)とした金木犀の香りは望めない。

 これまで書いた銀杏と紅葉、桜の開花に次ぐ秋の異変について共通する原因は夏の異常高温に違いない。県内の紅葉前線は全般的に遅れ気味だと言う。

 この夏、南極やアラスカ氷河の氷解スピードが速まり、現状が持続されれば今世紀末には世界中に水没地域が多発すると言う情報が盛んに流れた。
金木犀の花が咲かない・秋の香りが無くなった現象は「地球温暖化の悪影響」を身近に感じる深刻な材料のひとつではないだろうか。
違う形で身近に自然が警告を発していると考える必要があろう。

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