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2007年10月

2007年10月31日 (水)

反面教師「相撲とボクシング」

 いま、二つのプロ・スポーツが衆目を集めている。
大相撲・時津風部屋の新弟子の死亡事件とボクシングの亀田大毅のルール違反・反則行為に対する対応ぶりである。

 時津風部屋の事件は発生から既に4ケ月が経つのにまだ決着を見ていない。
亀田事件は発生5日目で厳しい処分を行った。

 11日のWBCフライ級タイトルマッチは試合前からいろいろ注目されていた。全勝とは言え僅か10戦の経験でタイトルマッチへの挑戦に疑問の声もあったが、記者会見でチャンピオンの内藤大助(33)に対するチャレンジャー亀田大毅(18)の「ゴキブリ」や「切腹」などパホーマンスを超えた発言はしてひんしゅくを買っていた。

 亀田3兄弟はこれまでにもその発言や行動で何かと物議を呼んできた。トレーナー役の父は試合会場でフアンとトラブルを起こし兄弟は対戦相手に過激な発言をするなど協会から注意を受けるなど問題のボクシング一家として知られている。
 
 しかし、今回のタイトルマッチは30%近いTV視聴率でこれまでの内藤の世界戦が数%だったのに比べ大変な人気だった。
 こうした亀田人気の背景には鳴り物入りでPRするTV局の戦略がある。「人に迷惑かけなければ何をしてもいいだろう」と言い放つ父親に3兄弟は今時不思議なくらい従順な面を見せ、フアンを引き付ける。
 他の格闘技に比べ低迷するボクシングになんとかスポットを当てたいと考えるTV局にとって亀田ファミリーはチョイ悪親父が率いる甘ったるい今時の家庭環境に対するテレビ向きの格好の個性的な一家だった。テレビ局はこれを逆手にとって、長男がいち早く世界チャンピオンにのし上がる過程をこまめに追って亀田人気を煽ってきた。しかし、そのTVが逆に桧舞台で反則行為を余すところなく暴く結果になった。
 ある意味では亀田一家はTV視聴率競争の犠牲者かも知れない。TVの責任は重大で、今後のTBSの出方・対応が注目される。
 
 それにしても苦労人の内藤の対応も爽やかだったがプロボクシング・コミッショナーはこの反則行為に間髪をいれず反応した。大相撲と大きく違うところを見せた。ボクサーOBの集団でなく学識経験者?を入れた社会性のある組織として存在感を示した。

 いまだに協会の責任を曖昧なまま「部屋の責任」を強調するばかりの日本相撲協会はボクシング・コミッショナーの対応を反面教師として捉えて、国技であるの大相撲の再建に当たって欲しいと願うばかりだ。

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2007年10月30日 (火)

安倍内閣の内幕本「官邸崩壊」

 売り切れ続きで5軒目の本屋でやっとベストセラーの「官邸崩壊」を手にした。
サブタイトルが~安倍政権迷走の1年~

 気になっていたのは安倍首相が突然の辞意表明をする前の8月末の出版で、まるで安倍辞任を予測していたようなタイミングで発売されたことに、興味をそそられていた。

 「美しい国」「戦後レジームからの脱却」などを引っさげて、初めての戦後生まれの首相として安倍晋三首相が誕生したのは昨年の9月26日。

 そして1年後。参議院選での自民党大敗後も早々と続投を宣言し、内閣改造後の臨時国会での所信表明を受ける形で野党の代表質問の日に、あまりにも唐突な辞意表明だった。

 その突然の辞任劇の裏に何があったのか、既に終焉した内閣とはいえ不思議に思う人は多い。それが、この内幕本の売れ行きになっているものと思われる。

 安倍は「歴史に名を残す」・・・。そのために自分の内閣は本格的でなければならない。その内閣で憲法改正をやり遂げようと決意した。
 
 側近の塩崎官房長官、世耕広報担当補佐官、井上秘書官など「チーム安倍」が矢継ぎ早に政策を繰り出す。背後に、安倍ブレーンと言われる保守論壇の学者知識人が支える。
 
 安倍は保守論壇人たちの拉致事件、中国脅威論、憲法改正、核武装、集団的自衛権、国家観などの議論の中で「昭和の妖怪と言われた―祖父・岸信介」を目標の政治家に据えた。

 就任直後の電撃的な中韓訪問でスタートを切らせた若き「チーム安倍」の自信や忠誠心競争、功名争いが間もなく自画自賛と自己顕示に変わる。
 官房副長官の人事をめぐり官僚・霞が関の反発が静かに進行する。
 靖国参拝のあいまい戦略から年金、大臣の自殺・更迭などに至って「チーム安倍」が危機的な関係に陥る。

 相次ぐ強行採決が墓穴を掘り続ける結果を生むことすら予測できず、決して厳しい直言をしない「チーム安倍」の経験と能力不足がつぶさに暴かれていく。
 結果的に彼は「獅子身中の虫」になって、お友達内閣・お坊ちゃん宰相の足もとが露わになる。

 筆者の優れた先見性が示されたのか。それとも、安倍追い打ちの意識的一撃なのか。
フリーのジャーナリストにしては得にくい、安倍追い落としを狙う内部の協力者が居たとしか考えられない情報がある。だが、病気のことは全く出てこない。

 一国の宰相が孤独であることは過去多くの内幕本で語られている。あの大平首相が行き詰ると「占い師」に足を運んだ裏面史もあった。

 国政であれ地方自治であれ権力の座にある者は常に孤独であろう。
孤独と苦悩を乗り切る術は「優れたスタッフ」に恵まれることと「権力の座に連綿としない」覚悟であろう。

 誰にも本心を曝け出すことなく、遂には自ら病を招いて辞任した安倍首相は正に戦後最低の内閣総理大臣だったと言えそうだ。
「官邸崩壊」はそうした内閣の壮絶な奮闘ぶりではなく、情けない日本の中枢を露にしたドキュメントである。

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2007年10月29日 (月)

黒川紀章氏死去

黒川紀章氏が亡くなった。
広島市現代美術館が黒川紀章氏の作品だ。

黒川紀章氏は若い頃は嫌な奴だった。
自己顕示欲の塊みたいな男だった。しかし、喋らせるとメチャ上手かった。
あまりに流暢に喋るので、どこか詐欺っぽく感じてしまうほどだった。
上手すぎると、心が感じられなくなるようだ。
最後は変な奴だった。知事選に出ること自体おかしいと思うが。
しかし1対1で会うと、意外と愛嬌のある、可愛い人だった。
若尾文子と結婚した頃、建築家では、それこそ初めてマスコミに登場したが「あれはね、<黒川紀章が競輪場で、若尾文子とデートしますよ>と私が、受話器にハンカチを当てて、ライデーに電話したんですよ。」と自慢げに話していた。
世間では原田康子の建築家を主人公にした小説「挽歌」が売れ、建築家が格好いいともてはやされた頃でもある。

建築界では顰蹙を買い、異端児だったが、そのメタポリズムと共生の思想を広めたことはやはり評価されていい。

変な人だったが、いなくなると妙に寂しい。
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2007年10月28日 (日)

コンサート

先日、友人から広島交響楽団のコンサートのチケットをいただき、ALSOKホールにいってきた。
常任指揮者の秋山和慶氏が、あんなに凄い鉄道マニアだとは知らなかった。自分で作った鉄道模型をロビーに展示し、広電の制服を着て、RCCの池田アナウンサーと嬉々として鉄道にまつわるトークをしていた。
鉄道にまつわる音楽が、こんなにも沢山あるとも知らなかった。高倉健主演の鉄道員の主題歌、汽車ポッポ、汽車の窓から・・・・・ よく知っている歌だと楽しくなる。
ドボルザークも鉄道マニアだったという。鉄道はどこか夢を誘うところがあるようだ。
しかし鉄道と音楽の両方の趣味を持つ人は少ないようで、チケットの販売に苦労したという。
音楽にはトンと弱い私には、指定席4,000円は高いと感じる。しかしそれも鉄道協会の支援、市からの支援があっての価格だ。しかし実際に本物を聞けば楽しいことがわかる。来てよかったなと思う。
今の時代はCD、そしてネットからダウンロードすればバーチャルでいくらでも音楽が聴けるようになった。
そんな時代にリアルな演奏をきくというのはなんとも贅沢なことだ。バーチャルな音楽とはまた違った趣がある。
広島には、こんな素晴らしい文化があることを誇らしく思う。
C
全国日本オーケストラ連盟に加盟しているオーケストラは東京に8つ、地方に15を含め、約40あるという。
地方の楽団はどこも自治体からの支援が4割を越えるという。広島市の広島交響楽団に対する支援が何割か知らない。しかしどこも自治体からの支援が減り、財政難に陥っているという。

ボストンフィルは、冬はボストンのコンサートホールで演奏会をしているが、夏になるとタングルウッドという郊外の小さな町で野外コンサートをしている。コンサートホールの演奏会には皆着飾ってくるが、タングルウッドにはみな思い思いのラフな格好で来ている。その差が面白い。
昔スイスのコモという町にいったとき、古い修道院の片隅で数人の音楽家が奏でていたのを聞き、感激したことがある。アメリカでは、こうしたアウトリーチ(団員による出張演奏)が各地で盛んに行われ、クラッシックのフアンを増やし、資金を集めているという。
広島でもNHKビルの1Fで、毎週月曜日から金曜日までの平日にランチタイムコンサートをやっている。
NHKの努力も大したもんだ。広島にはエリザベート音楽大学もある。クラシックに限らず、音楽は町のあちこちにある。
しかしそれにしても、音楽の価値を理解してもらい、きちんとビジネスとして成り立たせるためには、何か別の次元での仕掛けが必要のようだ。

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2007年10月27日 (土)

立体都市広島

広島市では、中心市街地、アストラムライン沿線でもマンション建設が急激に進み、街が急速に立体化している。数年前には超高層のマンションもできた。
政令指定都市の中でも、広島市は際立ってマンションが多いと思う
それにも増して特徴的なのは、中心市街地を取り囲む里山の斜面に造られた住宅、大学、マンション等の建物だ。
それは、立体的で、美しい。斜面に建つ建物の窓から望む街の景観は、また美しい。
こちらから美しいということは、あちらから見ても美しい。

ノッペラボウな東京の街と比べると、その違いはよりはっきりする。
東京の街には遠景がない。すぐ目の前の建物の壁しかない。景色がないのだ。
超高層ビルからは建物の屋上しかみえない。建物の屋上は、クーリング塔等が置かれ、醜い。
そもそも建物の屋上は見られることを想定して造られていないのだ。

広島には、近景としての目の前の建物、そして向こうに並んでいる建物、そして遠景としての向こうの山といった景色がある。そしてそれは見る地点によってどんて様々に変化していく。
夜になって、灯が立体的に見えるのは、また美しい。綺麗だ。
東京の人に教えてあげたい。
R
広島の人に、教えるのが先かな?

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2007年10月26日 (金)

住んでいる地域を気に入っていますか?

10月6日付けの朝日新聞に「住んでいる地域を気にいっていますか」ということについてのアンケート結果が載っていた。
「はい」の理由は、
① 交通の便、
② 自然環境
③ 買い物が便利
④ ・・・・・
ここで取り上げられている「気に入っている理由」は、全て広島市に当てはまる。
なのに、「どこに住みたいか」と言う段になると、広島県はベスト18にも入っていない。
どうしてだろうか。
理由のリストに載っていないが、「文化的芸術的環境」も、本当はもっと高い理由になっていいはずだと思う。
カープ、サンフレッチェの試合が見られ、広響のコンサートが聴け、劇団四季の公演も見られるという広島はいいところだと思う。調査の仕方にも問題があるようだ。
県を対象にしているから、性格が曖昧になってしまうからであるからだろうか。
都市を対象にすれば大分違ってくるのだろうか。広島県人の自虐的性格によるのであろうか。
住むにはおよそ適さないと思われる東京が、NO・1だ。それもおかしい。
いずれにしろ、広島県人は、広島の良さをもっと自慢すべきだと思う。広島のPR活動が必要のようだ。

Ki

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2007年10月25日 (木)

別荘地

東京に住む友人が、苗場スキー場に、リゾートマンションを持っていた。しかしバブルが崩壊した頃売ってしまった。
その彼が、『苗場のマンションは、年間平均して、20日間程度使っていたかなー。冬になれば毎週末いっていた。親父の遊びに、子供たちは付き合わされたわけだけどが、生まれてすぐにスキーを履かされた子供たちは、結構スキーは上手くなったよ。それに、普段は家族と会話することもなかったけど、このマンションにいる間は、否応なく家族と会話せざるをえないので、家族関係のためにもよかったと思っている。でも女房には、いつも「なんでリゾートマンションに来てまで、私はオサンドンをしなければいけないのか」と文句をいわれていたねー。
大学の研究室の学生たちとは、夏は軽井沢でテニス、冬は苗場でスキーをするのが恒例だった。当時の学生たちにとっては、それがもっともファショナブルな生活スタイルだったから、皆面白がって参加してくれたよ。
でもマンションとはいえ、大変にお金も手間も暇がかかるんで、とても維持しきれなくなって、バブルが崩壊した頃、取得額の半値で売ってしまったよ。充分リッチな気分を味わえたし、暮れから正月にかけて、ホテルが全く取れないときに、悠々とスキーが楽しめたから、まあいいかと、思うこととしているよ。』といっていた
B
『お正月には苗場まで、車で片道8時間もかかったことがあるよ。空いていれば2時間半もあれば楽に着く距離だよ。』ともいっていた。
広島ではスキーをしたいとおもえば、1時間も走れば、立派なスキー場がある。街の中でテニスをする充分なコートがある。ヨットだってできる。

近頃別荘地の軽井沢に、生活拠点を移す人も増えきている。軽井沢に住む人は、昔は作家、学者といった時間に余裕のある人であったが、いまではIT関連の人も増えているようだ。東京には住みたくないという人は、どんどん増えている。
バブルのころマルチハビテーションと称して、何軒もの住宅を持つことが持て囃されたことがある。それはあまりに無駄が多すぎる。賢明ではない。

生活拠点の選択条件として、いままでは働く場所が最優先であった。それが今では、リゾート性が大きな要素になってきていることを感じる。広島は、そうしたリゾート性を充分備えている。リゾート+生活拠点=広島市といえる。
広島市は、これからの時代に適った場所だと思う。

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2007年10月24日 (水)

道の駅

 「道の駅」誰が名づけたのだろう。云い得て妙だ。
高速道は、2~30分走れば、パーキングまたはサービスエリアがあり
まったく不自由はない。高速道のない昔、松江までゆっくり走ると4時間弱かかった。途中息抜きやトイレ休息については、赤名峠など数少ない休憩所を頭に置いてから走った。

 いま、広島県内に13箇所の「道の駅」がある。単なる休憩にとどまらず
変わった趣向に和まされることが少なくない。
 地産の野菜は、形が悪くても安くてみずみずしい。その場でトマトにかぶりついたことがあった。旅の疲れが一瞬癒された。

 地元の青年たちや主婦が工夫の加工品を並べている。漬物や作り立ての
五目寿司あり、この季節だと地場でとれた「きのこご飯」が美味だ。
 そんな中でどの「駅」にも決まって共通のメニューがあることに気がついた。
それは「よもぎ餅」だ。香り豊かで素朴な味は、人の心が土に帰することを
感じさせる。

旅の癒しに立ち寄る人の、そのひとときのため、夕べから漬物をつけ朝から
お餅をつくる在郷の人々の所作に想いをはせた。
 地域おこし、村つくり、地域連帯…、過疎化の中でふるさとを愛する情熱が
アイデアとなり行動で積み重ねられていく「道の駅」わたしは必ず立ち寄ることにしている。

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2007年10月23日 (火)

稀観本

旧日銀ビルで、10月3日から14日までの間、石田学園の創立100周年事業として、広島経済大学の所蔵する西洋古書本の展覧会「書物のルネサンス」展が開かれていた。
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印刷という技術は、1455年頃グーテンベルグによって発明されたという。
いまでは、本や新聞等の印刷物のない社会は想像することも出来ないが、印刷技術の発明は衝撃的であったことは想像に難くない。それは、まさに現代のIT革命の魁ともいえるとんでもないことであったのだろうと思う。

その14世紀から18世紀かけて発行された、貴重な古書本が展示されていた。
中には数億円もする貴重な古書本が展示されていたようだ。
1493年に書かれたというコロンブスの報告書も展示されていた。
報告書はラテン語で書かれているという。
そのラテン語がスラスラと読める人が広島にはいるようだ。それも凄い。
広島経済大学の知性への意欲と経営の確かさを感じる。
これは広島の誇る財産だ。
広島には、こうした文化があることを、もっと沢山の人々に知って欲しい。
そして、こうした地味な活動を支えている旧日銀ビルの果たしている役割も無視してはいけない。

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2007年10月22日 (月)

水と空気はただ?

10月に入っても、まだ暑い日が続く。確かに地球環境はおかしくなっていると感じる。
しかし、さすがに朝晩は涼しくなった。
カラッとした気候は、気分まで爽やかにしてくれる。
広島の気候は穏やかで、そして明るい。
これは広島のいいところだ。
でもこの気候のよさを、あんまりいう人はいない。
まさに、「水と空気はただ」という感じになってしまっている。

この広島のよさは、他都市と比べるとよくわかる。
東京の夏は、排気ガスとヒートアイランド現象で、うんざりするほど暑苦しい。
北九州の冬は、どんよりした寒い日が続く。九州というから、冬でも暖かいのかと思っていたが、そうではなかった。
北九州は日本海に面した裏日本なのだ。
どこも広島に比べれば、やっぱり広島っていいよなと感じるだけだ。

広島は、水道水でもおいしい。
ご飯は水道水で炊いてもおいしい。お湯を注ぐだけのインスタントラーメンを食べると改めて感じる。
東京では、水道水はまずい。ご飯をペットボトルの水で炊く人もいる。
その上、広島は、水不足になることもまずない。台風がくることも少ない。
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水と空気は、人間が生きていくための根源的な条件だ。
広島の「水と空気」は素晴らしい。
広島は、住むにはいいところだ。

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2007年10月21日 (日)

核のない未来賞

世界平和市長会議と秋葉市長が、ドイツに本部を置く反核団体フランツモール財団の設けた「核のない未来賞」を受賞した。活動の広がりを感じる。
広島にとっても、人類にとっても喜ばしいことだ。
「世界平和市長会議と秋葉氏と両方が選ばれた」「問題解決部門」ということの意味するところは大きい。

秋葉氏の核廃絶のための活動暦は長い。
1961年、広島で開かれた核廃絶のための世界会議の際に、同時通訳をした大学1年生のときに始まるのだろうと思う。
以来すでに46年経つ。その間、彼は絶えることなく、世界に向かって核の廃絶を訴え続けてきた。
その活動は全くぶれていない。
アメリカの大学で数学の先生をしているときに、アメリカ人のあまりの無知に怒り、アメリカのメディアの関係者を広島に呼ぶという「アキバプロジェクト」を始めた。大した行動力だ。
広島市長になって、世界の都市の市長に呼びかけ、ともに核廃絶のために活動をすべく働きかけてきた。
「都市は、核を持たない。核を持つのは国だ。
都市は一方的に被害者になるだけだ。
だからこそ都市が手を携え、核廃絶を訴えなければならない。
それが平和への道だ」
という思いが秋葉市長にはあるようだ。

核廃絶に向かって、世界平和市長会議と秋葉市長の果たす意味とその可能性は大きい。

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2007年10月20日 (土)

城山三郎の「自衛隊論」

 書店の新刊本コーナーにこの春亡くなった城山三郎氏に関する著書が目立つ。
この10年、雑誌に掲載された随筆40編をまとめた「嬉しうて、そして・・」を読んだ。
 
 彼は海軍に志願し戦争末期の一時期、呉の郷原に駐留していた。彼の「私の履歴書」の記述によると「特攻」攻撃の訓練を始めていた。しかし「陸海軍の仲が悪かったせいもあり、私たち海軍の少年兵は、陸軍の根拠地である広島への派遣だけは、おかげで免れた。人生何が幸いするかわからぬと、しみじみ思いながら・・・親元に帰った」と当時多くの軍人が各地から広島に救援のため駆けつけているが、入市被爆することなく郷里の名古屋に復員している。

 その著書の中に‘04年2月号の文芸春秋に掲載された一文に、自衛隊のイラク派遣の時期に「自衛隊」について述べている。

 昭和39年9月26日東海地方を襲った伊勢湾台風の時、彼は朝日新聞に依頼を受け被災地のルポ記事を書いた。その中で、町中に多くの死体が山積みされ、行政が大混乱の時
「自衛隊は何のためにあるのか。こういう災害時こそ出動すべきではないか」と書いた。

 記事のせいかどうか全国の自衛隊が出動して救助にあたり住民から感謝され、これが以後の雲仙普賢岳の噴火や阪神大震災などの自衛隊の災害派遣のはしりとなったようだ。

 『それまで私は「自衛隊は軍隊」と考えていました。・・・しかし、これを境に、自衛隊は軍隊と違う、自衛隊は人を助ける組織であると認識を改めたのです。・・・
自衛隊は軍隊とははっきり違います。軍隊組織に似ているが、性格は全く違う。軍隊は人を殺す組織です。それに対して人を殺すのではなく、人を救う使命を持つ組織というユニークさにおいて、日本の自衛隊はおそらく世界でも例を見ない存在です。私はこれを自衛隊の誇るべき伝統だと思っています。』

 イラクへの派遣は自衛隊の本義を変えてしまうような重大な決定で、小泉首相は決定前に自ら自分の足で現地を歩き、自衛隊が人殺しをしないですむことを確かめるべきだった。
人道復興支援を掲げた派遣であるなら武器を持っていくべきではないと主張している。

 戦争体験を通して平和主義に徹する言論人としての姿勢が強く滲んでいる。
国会では「テロ特措法」(新法)をめぐる論戦がはじまる。自衛隊の性格・本義につい改めて議論を深める時ではないだろうか。

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2007年10月19日 (金)

平和公園に桜が咲いた

 今年の猛暑はいたる所に異変をもたらしているが、平和公園の桜にも時ならぬ開化をさせた。元安川沿いの十数本のソメイヨシノにそれぞれ数輪の花が咲いている。
花は白がなぜか多くソメイヨシノ本来のピンク色もある。
花は少ないがまるで枯れ木のような葉が落ちた木に咲いていて意外に目立つ存在だ。

 平和公園には300本を超える桜の木がある。
ほとんどが樹齢50年のソメイヨシノだ。その寿命は60年と言われており、このまま放置しておくとやがて枯れてしまう。
百年を超す長寿のソメイヨシノの記録があると言うが、余命は長くて10~5年。

 そこで、桜木の衰えに歯止めをかけ、寿命いっぱいに花が咲き続けるために木の根元の土を柔らかくしたり腐葉土や肥料を施し、枝の若返りを図るための剪定や枯れ枝打ちなど「桜木再生ドック」が行われている。

 手入れをしている造園業者の人に聞いてみると、よそでは時たま見られるが平和公園の桜がこの時期に花をつけるのは初めてではないかと言う。

 花は枯れ木のように落葉した木に咲いている。
 原因は夏の暑さで樹木が自身を守るための自然落葉と台風などの風で葉が落ち、眠りに入っていた樹精が春先に似た気象に惑わされて目覚めて花をつけたようだ。

 朝夕はすっかり秋の気配になったが最低気温はまだ22~3度。
 昼間は夏日が続いている。
 秋の到来に異変が起き、紅葉の見頃が12月に入る所があると予報している。

 これも「温暖化に対する警告」と考え、深刻に受け止める必要があるのだろう。

<10月6日・記>

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2007年10月18日 (木)

朝鮮通信使に学ぶ

 1607年、朝鮮半島の使者が江戸幕府を訪ねて今年で400年。これを記念して
各地で通信使の関連行事が行われています。広島でもフラワーフェスティバルで行列が再現されました。が、厳密に言いますと通信使の来日は、これより古く、1428年室町時代に始めての使節が来日しています。当時は、双方の国内事情を探るといった目的もあって、純粋な友好親善とは言い切れませんでした。

 秀吉の朝鮮侵略(文禄・慶長の役)はつとに知られていますが、徳川家康は
この侵略に批判的であったことが、歴史学者や作家(司馬遼太郎氏ら)によって伝えられています。この通信使を派遣する前、韓国の松雲大師が家康を伏見城に訪ね、1400人に及ぶ捕虜の交換や国交回復を話し合って「通信使」が実現するのです。300年間に12回という事業ですから。ふつうの人は一生に1回か2回しか目にすることができない大きなイベントであったようです。

 対馬を経て馬関(下関)通過、上関、蒲刈、鞆の浦、牛窓に宿して大坂に上陸、中仙道から東海道を歩いて江戸に入りました。500人をこえる華美な大デレゲーションで、出迎える地元の人たちも、最高のホスピタリティを発揮したそうです。そのことはゆかりの上記の土地に記録が残されています。

 この外交の窓口だったのは、対馬藩でした。ここの藩主に友好親善の役割を
説いたのが、儒学者 雨森芳州というひとでした。彼の言葉が正鵠をえています。「お互いに欺かず、争わず、誠意をもって交わる」ことが大切だと、対馬藩主に説いているのです。

 「韓流ブーム」で昨今韓国との接近・交流は深まってはいますが、「朝鮮侵略の後遺症」「拉致の未解決」「国家と民族の分断」「戦争状態の継続」と、いまだ朝鮮半島とわが国をめぐる情勢は、大きく変わっていません。

 雨森のいう「欺かず・争わず・誠意をもって」永続的な平和と東アジアの安定をめざすという大義こそ、「朝鮮通信使」に学ぶ歴史の教訓だと思うのですが‥……

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2007年10月17日 (水)

衣替え

 この時期は夏から秋への衣替えのシーズンだ。
嘗ては6月1日と10月1日のテレビの昼ニュースは「今日から衣替え」と小中高校生の登校風景を定番の歳時記として伝えていた。
俳句の世界で「衣替え」は代表的な季語である。
季節によって着る物を合わせる日本の伝統は四季がある日本独特の生活習慣である。

 いつの頃からか定かでないが各学校は「衣替え」にルーズになってきた。「暑さ寒さも彼岸まで」と言う言葉も気象的には通用しなくなった。
孫が通う中学の入学式では「特に衣替えは設定していません。時期を見計らって夏服に切り替えてください」との指導があったと言う。
近くの高校の生徒たちはまだ半そでの夏姿が大半で、制服の上着を着たものは全く見かけない。

 街では中年以上のご婦人の長袖や気の早い人はカーディガン姿の人を見かける。
昔ながらの習慣を忠実に生きている人だろうか。
一方、夏日が続いているだけに若い女性はまだノースリーブ姿が目立つ。四季で着衣を変える習慣のない外国人観光客はまだ夏スタイルが多い。

 テレビの画面に現れる若い女性タレントは年中ノースリーブ姿を見かける。冷暖房が完備して、年中同じ温度管理がされているTVスタジオだから出来ることであるが時代の流れなのだろうか。こうした風潮は若者にトレンドし、ますます季節感を無くしている。

 いずれも来る原因は「温暖化」にある。しかし、日本に伝わる大切な生活習慣を一気に気象・温暖化のせいにして捨て去ることは如何なものだろうか。
学校で生活習慣や規律の指導を求めにくくなっているならば、せめて家庭では子供たちには「衣替え」をはじめとする生活習慣を教え伝えてほしいものだ。

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2007年10月16日 (火)

広島西飛行場

 現在、広島西空港から鹿児島と宮崎を結ぶ便が飛んでいる。宮崎便は69.5%と毎年徐々に利用者を増やしているが、鹿児島便は、九州新幹線が八代―鹿児島間が一部開業されたこともあって、06年度の利用率は59.2%と05年度の65.5%から6%近くダウンした。05年度の利用者数は、鹿児島便は往復3便、乗り降り合わせて年間48,800人、宮崎便は往復1便、年間17,100人だという。計65,900人である。1日あたりの利用客は平均180人となる。利用率だけをみれば、両便ともそこそこあるように見えるが、利用客数についてみれば、ちょっとしたレストラン程度の規模であることがわかる。利用客はマックや吉野家の方がはるかに多いだろう。
 飛行機かJRかの、どちらを選択するかは、料金だけではない。所用時間、そして乗りたいときに乗れる便があるかどうかといった利便性にもよる。鹿児島までの九州新幹線が完成すれば、鹿児島便については、料金、便数は、JR方が圧倒的優位に立つと思われる。となればさらに鹿児島便の利用客はさらに減り、鹿児島便の運行は経営的に難しくなることが予想される。宮崎便だけになったとすると、現行どおり1日1便が運行されるとしても、西飛行場の利用者数は1日平均47人ということになる。いくらなんでも、この47人のために、広島西空港を維持するのはちょっと辛いだろう。西飛行場を維持するために、東京便の開設を期待するのは当然だ。しかしその東京便にしても、現在の羽田空港の滑走路が1本増設されることで、可能となる増便枠も、広島西飛行場便に割り当てられるのは、現実問題としてはかなり難しいようだ。仮に東京便が復活したとしても、現在の広島空港の利用客をごっそり取り戻すほどのことになるとは考えにくい。精々鹿児島便の利用客の穴埋めが出来る程度の人数であろう。

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 こうした状況の中で、県と市は毎年5億円の補助金を出して、西飛行場を維持している。九州新幹線は、今現在全線は完成していないが、鹿児島―広島間を、新幹線を乗りついでいくと、3時間46分、料金は15,640円である。飛行機では65分、21,700円である。料金は、JRのほうが、現在では6,040円安い。飛行機の料金は、これに加えて補助金分一人当たり7,600円がある。それを加えると、実質、飛行機の料金は29,500円ということになる。つまり飛行機の方がJRに比べ88%、13,960円も高いことになる。倍近く高いのだ。
 広島西飛行場は補助金という生命維持装置が付いて、ようやく生きているというのが現実だ。期待の東京便が飛んだとしても、補助金がなければ、存続は難しいだろう。
 資本の論理は、近年否応なく公的施設にも適用されるようになった。残酷な現実だ。補助金で生きながらえるということが、いつまでも続くはずがない。
 広島西飛行場は、緊急用飛行機の基地として必要だという人もいる。5億円の補助金はそのためだという。しかしヘリ、小型機にとって広島空港から飛んでも、実質的な所要時間はほとんど変わらないという。緊急用の飛行場として必要だということについても、きちんとした検証が必要だろう。そして航空燃料のタンクも撤去されたと聞く。
 毎年5億円の補助金は、10年で50億円になる。新球場が簡単にできる金額だ。すでに累積赤字は106億円になるという。合計すれば、10年後には156億円になる。これだけのお金があれば、市も県も相当なことができるだろうと思う。毎年払っている額は5億円という額であり、それほど多くはないと感じているのであろうか。
 補助金の額の大きさ、その対象としている利用者数等が妥当か否かについて、議論すべき時が来たようだ。
 広島西飛行については、これからは、より定量的、具体的に議論することが必要ではないだろうか。

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2007年10月15日 (月)

フリージャーナリストの死

 ミヤンマーのヤンゴンで反政府デモを取材中に治安部隊に銃撃されて死亡した日本人フリージャーナリスト長井健司さんの遺体が無言の帰国をした。

 長井さんは独立系のニュース社AFP通信の契約記者だった。彼は隣のタイで取材中にミヤンマーの仏教徒の反政府行動が日々拡大し治安部隊が動き出したのを知って急遽駆けつけ、その様子を世界に発信しようとしていた。

 当初、流れ弾に当たったと伝えられたが、別の社が発信した映像で鎮圧部隊の兵士が至近距離から発砲したことが確認され、真相はまだ明らかではないが、狙い撃ちされた可能性が高くなってきた。

 日本政府も素早く動き出し、外務省の高官が現地に派遣され真相究明を申し入れた。しかし、民主化の弾圧を続ける軍事政権の対応は極めて冷淡で、政府の経済援助・人道支援の縮小検討は当然である。

 ミヤンマーの民主化の象徴アウン・サン・スーチィー女史は京都大学で故・矢野暢教授(元広大教授)の指導を受け、在学中に何度か広島に足を運び「ヒロシマの心」を受け継ぎ、祖国の民主化に取り組んでいると聞いたことがある。

 ミヤンマーの背後には天然ガスの輸入などで関係を強めている中国やロシアが控えて軍事政権を支える関係にあって、今回の問題解決には困難が伴うかもしれないが政府には毅然とした「人道支援の見直し」対応を望みたい。
 
 それにしても、世界の紛争地域や戦場で命を落とすジャーナリストは3年前イラクで凶弾に倒れた橋田さんら二人をはじめいずれもフリーの人達ばかりだ。日本の大手マスコミは社員記者を危険な現地に派遣せずフリー記者が所属する独立系の通信社に依存してきた。

 長井さんをミヤンマーに駆り立てたものは「民主勢力を弾圧する軍政の真実の姿・現状を日本に、世界に発信したい」と言うジャーナリズム魂だと思う。
 
 契約の内容は分からないが今回のように命が失われても大手マスコミには及ばないことは確かで、地方とはいえマスコミに身を置いていた者としては釈然としないものが残る。

 長井さんのご冥福を祈り、福田政権の凛とした対応を切に期待したい。
 
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2007年10月14日 (日)

ボート競技

オリンピック種目にボート競技がある。
体重によって軽量級とオープン種目に分かれ、計14種目もある。
ボートの競技は通称レガッタといわれているが、イタリア・ベニスのゴンドラの競争をレガッタといっていたことから来ているようだ。
大きく分けて、大きいオールを1人が1本持って漕ぐスウィーブ種目と、1人がオールを2本持って漕ぐスカル種目の2つがある。

その中でも1番速くて、華やかなのが、8人でこぐエイトである。
オリンピックのエイトは2,000Mであるが、有名な早慶レガッタは、自然の河川を利用して3,000Mで行われている。

全国的に見ても、2,000M以上の直線距離をとれるスペースはなかなかない。
それが広島にはある。
広島西飛行場に接して流れる太田川放水路だ。

B

川岸には広大、広工大、修道大の艇庫がある。
日本ではボート競技をする人は少なく、広島でもまったくマイナーなスポーツだ。
しかしボート競技はオリンピック種目として、14種目もあるのだ。
オリンピックに出場するには、ニッチな部門といえる。

海の都、川の都を標榜する広島市として、このボート競技を、広島の誇るメジャーなスポーツとして育てたら面白いと思うが・・・いかがであろうか。

太田川の川岸は快適な観覧席になる。
太田川放水路でのボート競技見物が、広島の名物となることを期待したい。

そして、今後なされる護岸工事については、治山治水という観点からだけでなく、こうしたボート競技の見物席をつくるということ等にも配慮して、基町環境護岸にも匹敵するような美しい護岸を造って欲しいと願っている。

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2007年10月13日 (土)

基町紙屋町地区地下道

 アストラムラインの県庁前駅から階段を上がると、パセーラの下を通って市民球場に抜ける地下道がある。途中まで、両側にお店が並んでいるが、ガラスの扉を越えると、急にお化けがでそうな寂しい地下道になる。そしてしばらく歩くとなかなか気持ちのいいサンクガーデンの広場にでる。しかし、殆どの人はその良さを感ずる風もなくグリーンアリーナに向かう。そのサンクガーデンの壁には下記のような案内板があるが、気づく人は殆どいない。黄色で表示されている部分が紙屋町、基町地区にある地下道だという。広島の地下道はシャレオだけかと思っていたが、実はあちこちに地下道があることがわかる。それらの地下道を足せば、総延長もかなりの距離になると思われる。

M

 市民病院の建て替え工事に伴い、今年度末には市民病院とシャレオが直接つながるという。市民病院とテニスコート下の市営駐車場ともつながるという。
 紙屋町交差点に建つ現在の広電ビル3棟が取り壊され、その跡地に、地上14階建て、2.9万m2の再開発ビル地下でシャレオともつながる計画だという。
 シャレオは計画時点では、隣接する全てビルと地下でつながる計画になっていたが、その殆どは、未だに実現していない。計画通りに完成していれば、シャレオは日本で有数の一大地下街になっていたはずだ。そうした計画が予定通りに進まなかったことも、シャレオの経営を圧迫している原因と思われる。
 現在、シャレオの西ゾーンは、レストランゾーンを過ぎると行き止まりになっている。その行き止まり地点で、やたら広い階段とエスカレーターで地上にでられるようになっている。が、そのエスカレーターと階段が人ごみで満杯になったことを見たことがない。地下街の防災上の観点からこのような広い幅の階段を作らざるを得なかったようだ。
 シャレオもそうだが、こうしてみると広島の地下道は放射状に広がっていることがわかる。放射状に広がっているというと聞こえはいいが、その先端は皆行き止まりになっている。それぞれの地下道が、その時々の事情で進められてきたという感が否めない。勿体ない。
 いまここで、改めて総合的な視点から、地下の歩行者通路のあり方について見直すことが必要だろう。
 放射線状にある現在の地下道をつなげ、ネットワーク化し、回遊性を持たせるようにすることも一つの案だろう。地下通路がネットワーク化され、県立総合体育館、市民球場跡地、市民病院等にある施設が、本通り商店街と繋がれば、この紙屋町基町地区地の存在感が増し、利用者も増え、広島の中心市街地の活性化にも大きく寄与することと思われる。基町紙屋町地区は地上と地下に広がる多層構造の街なのだ。

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2007年10月12日 (金)

県議会の政治感覚

 県知事の裏金疑惑に対して二度の辞職勧告をしながら「法的拘束力がない」と無視されている広島県議会が、今度は「自らを律する政治倫理条例」を創ると言う。

 条例設置の目的は「政治倫理を確立し、県議会の権威と名誉を守り、清廉で民主的な県政の発展に寄与する」となっている。
 知事の後援会の政治資金不正事件問題をめぐっては県議会も大きな政治不信を招いた為、議員自らを律する4つの規範を設けて政治倫理の確立を目指すと言う。
①品位と名誉を損なう行為で、県民の議会に対する信頼を損ねない。②公正を疑われよう
な金品の授受をしない。③政治活動に関して、道義的な批判を受ける様な寄付を受けない。④県議の権限や地位よる影響力を及ぼし、自己の利益を図る目的で、行政庁の処分や・・・
特定なものに有利不利になる働きかけ・・・。

 知事の無様な対応を見て「他人の振り見て我が振りを直そう」と考えた動機?があるのではなかろうか。せめて、知事を含む県庁三役を参加させるなどの対応はできないのか。
 
公正を疑われるような金品の授受や寄付があった時は、複数会派の11人以上の議員で審査を要求でき、違反があったと判断されると辞職勧告などの処分を議長に要求できる。
 
 地元への利益誘導や支援者の就職、転職、とりわけ県職員と教員移動の口利きが得票に結びつく大事な仕事と考えてせっせとお世話する議員が多いい中で果たして自らの問題を自己申告する議員がいるのだろうか。
 知事のように例え辞職勧告までこぎ着き得ても「法的拘束力がない」と開き直る議員はいないのだろうか。

 民間のオンブズマンの力に依存しなければ4つの規範に照らしたチェックは難しい。
県民の審査要求を認めるものなら条例設置の意味がある。しかし、それは盛り込まれておらず、縛りの緩い「手前味噌」な条例との指摘は避けられまい。

 決して悪いことではない。共産党まで賛成して成立の見込みだと言う。外部の専門家や一般県民も参加するシスティムならいざ知らず、余りにも議会の身内だけでの対応で、甘さが出る恐れは十分にある。
 議長は「他県に誇れる」と胸を張ったそうだが、こんなものまで創らねばならないほど広島県会議員の政治感覚は低く情けない状態にある裏返しではなかろうか。
 せめて県民向けの隠れ蓑にならないことを祈るばかりだ。

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2007年10月11日 (木)

グリーンアリーナ

 市民球場北に県立総合体育館、通称グリーンアリーナがある。大アリーナは、最大1万人の収容が可能である。ハンドボールの男子の湧永製薬、女子のメイプルレッズ、そしてバレーボールのJTサンダースの本拠地でもある。その他、各種コンサート、ショー等の大きなイベントが開催されている。小アリーナ、武道館、弓道場もあり、フィットネスプラザ、レストラン、売店も備えている。大変立派な施設だ。
 この巨大なグリーンアリーナは、アジア大会の開催に合わせ、400億円もかけて造られたという。

G

 しかしそのわりに存在感がない。グリーンアリーナの年平均利用者数は150万人という。市民球場の利用客が100万人というから、それよりもはるかに多い。にも拘らず、この存在感のなさはどうしてだろう。

 設計上はグリーンアリーナ北が正面入り口になっている。が、まず使う人はいない。シャレオ、メルパルク、県庁前駅を通って、地下道を通ってアクセスする人が殆どだ。しかしそのアプローチとなっている地下道も何か寂しい。日が暮れると歩くのはちょっと怖い。
 グリーンアリーナへの通り道となっているはずの紙屋町、本通り商店街、シャレオとも切れている。現市民球場が巨大な壁と遮っているのだろうか。武道館の屋上は、ホームレスのねぐらになってしまっている。すぐ隣接してトイレがあるから、大変都合がいいようだ。
 グリーンアリーナは、市民球場の裏にあるという感じになっている。勿体ない。

 グリーンアリーナとシャレオ、本通り商店街との繋がりがもっと強くなり、中心市街地の1部としての雰囲気が作り出されれば、グリーンアリーナもさらに街の活性化に大きく貢献することになると思う。
 そのためには、何らかの仕掛けが必要だろう。

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2007年10月10日 (水)

免許証の返納

06年の運転免許証返納者は、全国で21,390人だったという。
意外と多い? 少ない?
私の知り合いに、80歳を越えて、まだ車を運転している婦人がいる。
同乗したことがあるが、さすがに怖い。
変な運転をしているなーと車の中を覗くと、女性か高齢者が運転していることが多い。
高齢者ドライバーの事故は多いという。

マイカー以外の交通手段がないということで、やむを得ず運転しているというのも事実だろう。
広島市でも郊外に住んでいると、高齢になっても1人1台の車を持ち、医者に行ったり、買い物をしたりせざるをえず、1日の走行距離が、どうしても平均20kmを超えるという話も聞く。

最近全国各地で、今高齢者の運転免許証の返納を支援する活動が進んでいるという。
返納者を対象として、静岡県、秋田県ではバスの割引、新潟県、長野県ではタクシーの割引、静岡鉄道では運賃の割引、土佐清水市では中央商店街の商品の1割引をしているという例がある。
そうした活動を積極的に進めている静岡県は、返納者数が2510人、返納率0.69%という。
が、一方そうした活動が全くされていない最下位の和歌山県では、返納数16人、返納率0.01%という。
その差は実に69倍である。

広島市は都市圏も狭く、よくいわれるコンパクトシティーとなっているだけでなく、広電、アストラムライン等の公共交通機関も発達している。
歩いて暮らすには大変都合のよい構造になっている。
より安全で、住みやすい街を作っていくには、こうした免許証返納者を支援する地道な活動も必要だろう。

因みに広島県は返納者808人、返納率0.32%で、全国第9位の返納率だという。
広島県が、積極的に何か支援策を進めているということは、寡聞にして知らない。
広島市は・・・???

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2007年10月 9日 (火)

シャッター街

銀行のシャッターは土休日、閉店後は降ろされている。
それが当たり前のこととして、誰もそれがおかしいこととは感じていない。
??
どこでも銀行は、街の中心で、地価の高い所に立地している。
それが、土休日、そして平日の3時を過ぎると、「シャッター街」になってしまう。
街の賑わいを阻害していることは明らかだ。

Sh

東京丸の内のオフィス街も、以前は、土休日となると人っ子一人いないゴーストタウンであった。
東京駅のまん前にありながら、それはもったいないと、地主の三菱地所も気づいたのか、いまでは道路に面した1Fは、全てレストラン、フアションの店になっている。
日本で最高級の店舗の集まる場所となった。
土休日でもかなりの賑わいがある。

広島の中心市街地にある銀行等のビルも、なんらかの工夫が必要ではないだろうか。
1Fが店舗にできればそれはそれでよし。
せめてブラインドシャッターを格子のシャッターにするとか、閉店後でも照明をつける等、街の賑わいに参加する工夫が欲しい。
広島市商工会議所は夜のライトアップ作戦を進めていると聞く。
中心市街地の活性化にとって、銀行等の大きなビルの果たす役割は大きい。

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2007年10月 8日 (月)

知られざる弱者への福祉の切捨て

 広島県が、各市町村に助成している弱い立場の人たちへの医療費の補助金を
今年度から広島市だけ減らし、3年後には打ち切るという措置をご存じない方は
多いと思う。

 障害者団体の人たちは今、「子どもと重度障害者の医療費を無料にしてほしい」と運動しているが、先月末その代表の人たちが県議会を訪ね、林議長に
「県の補助金減額と打ち切りをやめてほしい」と陳情した。その様子は
写真入りで新聞に報じられた。車椅子の代表たちが不自由な体を押して、懸命に訴えていた。写真からはそのひたむきさが伝わった。

 その冷たい措置は、「乳幼児」「重度心身障害者」「一人親家庭」の医療費の補助の割合を今年度から削り、平成10年度には助成を打ち切るというものだ。
その理由が一般市民にはよくわからないが、広島市が「政令指定都市」だからということらしい。だが広島市民も等しく県税を払っている。障害者たちが広島に住むものだけが差別されることは納得いかないと主張していることはよくわかる。巷でいわれる県市の不仲、意思不疎通も一因なのかとさえかんぐりたくなる。

 弱者へのしわ寄せや格差の拡大がますます顕在化するなか、こうした矛盾に
目をつぶっていていいのかと、自問した。県市とも厳しい情勢下にあることは理解しているつもりだが、歳出削減に際しては一律○○%削減などと無為無策で乱暴な策定はつつしんでほしい。

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2007年10月 7日 (日)

出張費詐取議員、辞職勧告は当然

 出張旅費を二重取りしていた山田春男市議への辞職勧告決議案が、圧倒的反対で否決されたことを知り、議会の良識を疑いました。
 16回にわたり、113万円の出張旅費を、子ども会と政務調査費から二重に受け取っていたとのこと、公金詐取の立派な刑法犯罪ではありませんか。
 これを報じた新聞各紙は、議案に対し53人中46人が反対を投じながら、反対議員が誰一人として反対討論しなかったことを問題視しています。

こうした問題が起こるたびに政治家が使う常套句があります。「議員の出処進退は自らが決すべきだ」という台詞です。最終的に「辞める」という決意をするのが本人であることは当然ですが、市民代表(エリート)としてその品格を
犯した仲間に対して「あなたのやったことは犯罪であり、市民有権者への裏切り行為です。信頼を損なった行為を恥ずかしいと思いませんか。この際議員を
おやめになったらどうですか」ということに何の理屈とためらいがあるのですか。反対の意見を述べず、挙手だけでことを済まそうとすることは、「同僚をかばった」行為としかみえません。

 山田議員選出地盤の西区の皆さんにお尋ねしたい。ご本人は「~引き続き頑張って欲しい~という地元の励ましに応えて辞めない」と言ってますが、本当ですか?地元の方はそれほど寛大なのですか。16回にわたり公金を含めた詐取
をした議員に「まあ、がんばれよ」というのですか。こうした鈍感さが、政治とカネをめぐる問題を野放しにさせているのではないでしょうか。

 新聞記事の最後に、藤田議長が「提案した議員(馬庭氏)と賛成した共産党はキチンと自分の考えを主張していた。反対者も堂々と論陣をはるべきだ」と
述べられたと書かれていました。せめてもの救いでした。

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2007年10月 6日 (土)

少子化とお墓と家

今、少子高齢化社会といわれ、その現象のもたらす問題について色々議論がされている。
あまり表面には出てこないが、実は大変深刻な問題がある。

1つはお墓だ。
1人っ子の長男と長女が結婚すると、通常新郎側の性を名乗ることになる。
ということは、それは新郎側のお墓を継ぐということになり、それは必然的に新婦側の実家のお墓をどうするかという問題が起こってくることを意味する。

私の知り合いは、その問題であわや離婚という事態にまでなった。
いずれ男の子が2人生まれたら、1人は新婦側の実家のお墓を継がせるということで、取りあえず問題を先送りして、事なきを得た。
しかし現実は、そんなに都合よく男の子が2人生まれるなんてわけにはいかないだろう。
いずれ問題は火を噴くことは目に見えている。

私の家には、そうして引き継いできた元禄時代からのお墓があった。
母は、そんな厄介なお墓の面倒は子供にはさせたくないからと、父がなくなってから、処分した。
それは、なかなか覚悟のいることだったろうと思う。
大変由緒のあるお墓だったので勿体なかったと、今でも思うことがある。
しかし仕方がない。それが現実だ。

もう1つ、その長男と長女が結婚したとき、通常は新たに家を借りたり、買ったりする。
2世帯住宅というのもある。
しかし両家の両親が亡くなると、長男と長女の夫婦は2or3軒の家を持つことになる。
それでも、なかなか処分できずにある実家の家はかなり多い。
いずれ残された1or2の家を処分せざるを得なくなる。
子供達が東京に出て行ったから、田舎の家がいらなくなったということだけではないのだ。
2005年の期間合計特殊出生率は1.26という。
ということは、少なくとも2軒に1軒は、いらなくなっているということを意味している。

田舎から、家とお墓が同時に消えていくのだ。
そこに人が住んでいたという痕跡が、綺麗に消えてなくなる。
怖ろしい話だ。

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2007年10月 5日 (金)

「ザ・広島ブランド」の開発に期待

 広島市が広島独自の素材を生かした特産品「ザ・広島ブランド」の開発を目指している。

 既存の広島ブランド品と言えば「広島かき」「広島牛」「広島お好み焼き」「お好みソース」
などが代表的な商品だ。
 
 全国的に近年で見れば、かつて大分で始まった「一村一品運動」が地域ブランド品開発の元祖?的存在かもしれない。関サバ・関アジをはじめこの時期に生まれたブランド商品は多い。また、古くからその地域にある「讃岐うどん」「博多ラーメン」など個人に属さないブランド商品は多く、根強い人気を保っている。

 最近では、宮崎の東国原知事の出現でテレビや新聞を通じて売り込む「宮崎の特産品」がヒット商品として注目を集めている。一地方にこれだけマスコミが集中的にスポットを当てたことはないように思う。従って、時間とともに多少冷静になれば商品販売力は下がって来ることが予測される。しかし、宮崎に大きなブランド力を生んだことは間違いない。

 そもそもブランドとは「家畜に焼印をつける」ことに端を発して「識別する印」として商標やマークになり、「優良な商品・企業」や「使い勝手の良い高級な商品」の代名詞として使われるようになった。近年では、世界的に幅広く企業戦略の一翼を担う企業名・商品に発展して定着化している。

 「ザ・広島ブランド」は9月いっぱいの募集後、「味わいの一品」と「匠の銘品」で広島らしさや品質、デザイン、独自性、希少性などを基準に認定審査される。
 
 認定されれば「ザ・広島ブランド」のロゴマークを付け、市が行うイベントなどに出店する優先権が得られ、融資の斡旋もされるほか全国へ発信される。
 また、今後は年1回、期間を定めて募集し、新商品開発に当たる。

 「ザ・広島ブランド」の選定、発売に当たっては、宮崎を真似る訳ではないが新商品に相応しいイメージの広島出身の売り込み応援団「広島ブランド大使」(タレント・経済人・作家など著名人)を一般市民の投票で公募してお願いするのも一案ではなかろうか。

 既存の枠に縛られない柔軟な発想で新しい広島の特産品が開発され、地域経済の活性化に貢献し「新・広島ブランド」として全国発信できることを楽しみに待ちたい。

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2007年10月 4日 (木)

新甘えの構造

福田政権が発足して、支持率が50%を超えた。
閣僚17人中13人が再任、2人が横滑り、1人が再登板、全くの新人は渡海文科省大臣の1人だけである。
シャッポが変わっただけで、殆ど中身は同じというのに、この変化はなんだ。
その同じ中身で、安倍政権の改造時には40%台だった。
状況に応じて適宜変化するカメレオン自民党の面目躍如だ。
安倍内閣の時には、「重厚な布陣で、構造改革を推進する」といっていた。
それが今度は「背水の陣。守りの内閣」だという。
同じ中身なのに、1夜明ければ「攻めの内閣」が「守りの内閣」に看板が、がらりと変わっている。
これをある人は「守りもできるし、攻めも出来る内閣だ」という。
そんないいかた、ありか。

しかしもっとおかしなのは、「国民がNOといえば、変わるのは当然だ」という社会だ。
極めて正しいことをいっているようだが、程度をこえると、これはもうポピュリズム、大衆迎合主義の何物でもない。
「嫌だ、嫌だ」と駄々をこねれば、「わかったよ、じゃーそうするよ」というのと同じだ。
あまりの物分りの良さに呆れる。
「良薬は、口に苦し」という言葉もある。
「甘ったれんのも、いいかげんしろ!」という毅然たる姿勢がそこにはない。
それができないのは、自民党がきちんとした「志のある政治」をしていないからだ。
また「嫌だといえば、政府はなんとかしてくれる」と思っている国民にも問題がある。
「国民が小児化している」といるのだ。
TVで、ちょっと名の知れたお笑いタレントが知事になる。
知事って、そんなに軽いポジションなのだろうか。

全てが、ぬるま湯に浸かって、ワフワと漂っている。
これでいいのだろうか。

まず、この“甘ったれ構造を改革”すべきだ。

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2007年10月 3日 (水)

ご存知ですか?「平和公園は“国の名勝”」

 昨年夏に原爆資料館が国の重要文化財に指定され、この春平和公園も国の名勝に指定されたことは意外に知られていない。
友人たちに話すと「厳島神社や縮景園はそうだろうが資料館や平和公園は違うだろう」と言う返事が返って来る。

 確かに、国の重文や名勝と言えば由緒正しい歴史的な背景がある文化財や自然景観と考えている人が多いのは当然である。

広島で国の名勝と言えば縮景園が良く知られている。県内の名勝は帝釈峡や尾道の浄土寺庭園、県の架橋計画で問題の鞆公園、北広島町の吉川元春館跡の庭園・旧万徳院庭園のほか厳島と三段峡は特別名勝で、計9ケ所になっている。<県教委HP>
重文と言えばもっと沢山ある。

 原爆ドームが世界遺産の指定を受ける前に、文化庁は国の史跡に指定する手続きを踏んだ記憶がある。その際「負の遺産」として歴史的評価をめぐっての議論があった。
 しかし、原爆資料館と平和公園が国の重文と名勝として指定される過程でどんな議論があったか知らないが、平和公園が広島復興のシンボルとして戦後整備された公園としては日本で初めての国の名勝に指定された。「慰霊と平和を希求する象徴的な場所」としての評価と位置づけは特別の意味がある。

暑い間は避けていた平和公園周辺の散歩を再開したので、資料館の「重文」や平和公園の「名勝」を表示したものがあるかどうか探してみた。周辺の案内板、案内図、平和記念館のパンフレットやそれぞれのHPにも見当たらない。

平和文化センターに問い合わせてみると資料館内に一応の表示はしていると言う。
市の公園緑地課と文化課に尋ねたところ、今年度内に表示や周知を図る策を前向きに検討するとの返事だった。

 平和公園の周辺や関連したエリア、市民球場跡地の整備には多くの課題があると思う。
単なる賑わいでなく、世界遺産や国の名勝・重文に相応しい公園地域として世界に誇れる開発整備が望まれるのではなかろうか。
 
 年間、平和公園を訪れる人は一千万人を下らない。この人たちが更に足を伸ばし、本通りなど街に流れる導線は、秋葉市長が掲げた「未来へのレシピ」計画にしっかりと盛り込まれることを期待したい。
 
その意味でも市の関連当局は「重文・原爆資料館と名勝・平和公園」の意義を重く考えた位置づけとPRをして良いのではなかろうか。

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2007年10月 2日 (火)

船から見る風景100選

―広島グランドプリンスホテル

 今年から、国土交通省海運局が「船から見る風景100選」という試みを始めた。今、その対象となる風景を募集している。今まで海運局の業務は、主として貨物船絡みの物流と安全性といった分野に限れられていた。今それが、観光という視点から、海を見直そうとしている。海の全く別の姿が見えてくるはずだ。
 今年になって、観光立国推進基本法もできた。来年には観光庁もできるという。素晴らしいことだ。
 大きく国の方針が転換したことを感じる。
 ところで、広島には「船からみる風景100選」に相応しいところがあるだろうか?
 宮島がある。これは世界に誇る景観であることにだれも異存がないだろう。
 広島にはもう一つあるのを忘れてはいけない。広島プリンスホテルは原生林を背景にして、マリーナを備えた美しい姿を見せている。こんな風景は他にない。ここは「船から見る日本の風景100選」に相応しい。是非推薦したい。

Umi100

 しかしその他は、三菱重工、マツダの工場そして産業施設に占拠されている。広島の海岸線も風景、景観という視点からつくられたことは今まで殆どなかったといってよい。日本の海岸線も、その殆ど全ては、治山治水という観点から造られた防波堤であり、産業振興としての臨海工業地帯であり、物流港であつた。その昔は、国防ということが全てに優先していた。白砂青松の海岸線もどんどん消えていっている。
 「海からみて、美しい風景を造る」という視点は、日本の歴史の中になかったといえる。
 欧米には、地中海、カリブ海のクルージングというレジやーがある。瀬戸内海もそれに負けない風景の海だと思うが、残念ながらそのように評価されていない。 しかし、瀬戸大橋も、景観としては素晴らしい。音戸の大橋も美しい。しかし何事も美しくありたいと思って整備されなければ、鑑賞に堪えられるものとはならない。何かと同じだ。
 瀬戸内海汽船の運行するクルージング船も広島の財産だ。
 瀬戸内海汽船が、もっともっと育っていく環境を創り出していくことが今必要なことだろう。
 そしてそれが広島市の活性化にも繋がる。

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2007年10月 1日 (月)

誰も伝えぬ側面~光母子殺人事件

 「光母子強姦殺人事件」は、広島高等裁判所で差し戻し審が審理されており、国民の強い関心が寄せられている。このためマスコミ各社の取材合戦も日々激しくなり、とりわけ指定された取材の記者席では事足りず、マスコミ各社による一般傍聴席の争奪合戦が峻烈を極めている。

 それぞれ、アルバイトや社員を動員して傍聴券を得ようと、わずか40席前後の傍聴席に千数百人が並ぶ。裁判所に隣接するある放送局は、社内放送で業務に支障がないものは並んでほしいと呼びかけるそうだ。そしていつも複数席を取得、多いときは7~8席も確保するようだ。
被告、検察、弁護、遺族の表情をきめ細かに観察して伝えようとすれば、何席でも取材席がほしい気持ちはわからないでもないが、あまりに身勝手過ぎないか。
 裁判を傍聴したい人は大勢いる。法学部の学生、捜査担当者、遺族、親戚、友人、被告の支援者、関心を持つ一般市民……その人たちは一人で並ぶ。
社員やアルバイトを動員した圧倒的な数にはとても勝てない。そのあげく外れた人はすごすごと帰るしかないのだ。

 裁判所のさまざまな取材規制にも問題がある。カメラや録音機の持ち込みは
禁止のため、記者は自分のメモに頼らざるを得ないし裁判所の臨場感を表現するためには、似顔絵作家によるイラストも必要だ。
 時によっては、審理や公判途中でも速報を伝えなければならないため、取材を中断して外で待機しているカメラの前へ直行しなければならないこともある。

 こうしたエスカレーションが、裁判傍聴の権利を大きく侵害していることは
いなめない。自覚をうながしても、自粛を求めても相手がマスコミだけにやっかいだと思う。

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