新しい被爆証言・語り部活動
労働組合運動の傍ら演劇や文芸活動に熱心だった国労の活動家久保浩之さんと取材を通じて知り合ったのはもう30年余も前のことだ。
年賀状を交換するだけの関係がしばらく続いて5~6年前から再び交流するようになった彼は“緩急車雲助”を名乗って幅広いテーマで講談を語っていた。
その活動は碑めぐりガイドや紙芝居である。それに、ここ2~3年被爆体験手記や原爆詩の朗読が加わった。
ユニークな芸名?の由来は彼が国鉄時代、長い貨物列車の最後尾に連結された緩急車に乗務する車掌だったことにある。
2年前の被曝60周年には国連の軍縮総会が開かれたニューヨークまで出かけて英語で被爆証言紙芝居を披露した。また、平和公園にある国立追悼祈念館の朗読ボランティアとして他県に足を伸ばし、県外から来る修学旅行生にも被爆体験手記の朗読を聞かせている。
「黒こげの弁当箱」「ヒロシマの河は黒かった」「石に影をやきつけた男」「ヒロシマの海の底で」紙芝居「昭ちゃんの原爆体験記」原爆詩や被爆者の体験手記の朗読である。
秋葉市長は今年の平和宣言で、被爆者が「この苦しみはほかの誰にもさせてはいけない」と忘れてしまいたい体験を語り続けたことが三度目の核兵器使用を防いだと、被爆者証言の功績を位置づけ、市民の力で“核廃絶”に向けた国際世政治を動かす呼びかけをした。
ヒロシマの体験継承をする上では、いつの間にかなくなっていた市内の小学校の“8・6登校”が昨年から復活した意味も大きい。
しかし、何よりも非被爆者が被爆者に代わってヒロシマの証言を伝える活動の意義はいっそう重くなる。国立追悼祈念館が主催するアナウンサーOB・OGなどの朗読ボランティアの役割も大きくなっている。
余生を反核・反戦の語り部活動に懸ける緩急車雲助さんが、春から夏に行った活動は30ケ所に及び2500人を超える人たちに語ったと言う。
年々少なくなる被爆証言者に代わって被爆の惨状・実情を伝える新しい証言者・語り部の育成は被爆地の責務であろう。
2020年までの核廃絶を目指す平和市長会議の活動を市民の立場から支援する大きな力になることが期待される。
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