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2007年9月

2007年9月30日 (日)

むかし暴走族と対峙した

17~8年前になる。ラーメンを食べながら、カラオケを歌わせるという変わったお店があった。家内と訪ねてみた。そこへドヤドヤと6~7人の若者が入ってきた。その風体は、あきらかに暴走族だった。入店と同時に彼らは傍若無人に振舞った。3~4組いた客は、歌もやめてシーンとなった。「囲まれたらひとたまりもない」一瞬頭をかすめたが。体は立ち上がっていた。
「君たち、ほかにもお客さんがいる。少し静かにせんか」
一人が立ち上がった。「おっちゃんセンコーか」 「いや、ただのおっさんや」
「なら、おっさん、ビールを飲ませ」
「あんたらバイクに乗っとるんだろ、それに年はナンボや」
「17や」 「そんならなおさらいけん。カラオケなら2~3曲歌ってもいいで」
 私は、店長に1000円札を渡し、「3~4曲歌わせてやって」といって、店を後にした。「唐獅子牡丹」という曲のがなり声をあとにしながら、少し体が震えていた。

 暴走族の集会を禁じた市条例が憲法違反か否かとの争いに最高裁の判断が出た。5対3のきわどい判断であったが、「違憲にあらず」との判断が示された。

極悪非道の犯罪人であっても必要な人権は擁護される。が民主主義の世で保障される各種の権利、集会・言論・結社の自由は、「人権」とは少し異なる。

 戦後、小学生の頃、新しい教育で民主主義を教えてもらった。
「民主主義に基づく自由や権利は、人が果たすべき義務を行い、始めて享受できるもの」だとの先生の言葉が新鮮だった。

あらゆる可能性のある青春を生きる自由を得ながら、「暴走族」のスタイルと生き様を選んだ彼らだが、現代の理不尽についての言い分はあるかもしれない。が、衆を頼み、異様な風体、傍若無人な振る舞いで時には法律を犯し、市民を不安がらせる日常の中で「結社・集会の自由」だけを身勝手に主張してもそれは受け入れられまい。

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2007年9月29日 (土)

再「軍艦マーチ」考

 秋の運動会シーズンを迎えた。9月になっても炎暑日が続く異常な気象のせいで運動会の練習中の子供たちが病院に担ぎ込まれるニュースが相次いでいる。

 さて、5月26日(土)付けで掲載した「軍艦マーチ」考について、昨21日???さんからコメントが寄せられた。

 コメントは「貴方の考えは余りに単純です。軍艦行進曲が不快と思うならば“旧友”(ドイツの軍隊行進曲・・・)等にも当然不快な気持になるのですか?日本の行進曲は不快で諸外国の行進曲は不快でないとする貴方の考えには矛盾が発生しますよ。行進曲として捉えると軍艦行進曲は素晴らしい曲です。世界の三大行進曲と言われる所以であると思います。学校で使用する事にどんな問題が有るのか全く理解できません」と言うものです。

 掲載から4ケ月経ってからのコメントです。何か、切っ掛けになることがあったのでしょうか?それにしても、ありがとうございます。

 本来なら、コメント欄に書くべきものかも知れませんが、敢えて「再・・・・・孝」として掲載させていただきます。言い訳や反論のつもりではありません。
あくまで、再度「軍艦マーチ」について考えてみたいのです。

 貴方はきっと戦後生まれの方なのでしょう。本記に書きましたが「軍艦マーチ」には戦争を遂行するため、戦意高揚のために積極的に使われた歴史があります。
軍歌としての歌詞は「守るも攻めるも黒金の 浮かべる城ぞ頼みなる 浮かべるその城 日の本の 皇国(みくに)の四方(よも)を守るべし 真鉄(まがね)のその艦(ふね)日の本に 仇名す国の攻めよかし・・・」と言う、まさしく敵に打ち勝つため戦意を高揚するための歌でした。<。沢山の替え歌もありました。>

 このマーチに送られて戦場に駆り立てられた人や空襲に曝され、原爆に見舞われ多くの命が奪われた時代を過ごした戦中派にとって決して快い響きのマーチではないことをご理解いただきたい。音楽性を云々しているのではありません。

 世界の三大行進曲の一つである「軍艦マーチ」が単にマーチとして優れている音楽性だけで見るのでなく、このマーチが持っている由来や歴史的な背景を考えることの大切さを指摘したつもりです。
学校で使う場合に、今一度、考えてみていただきたいと思います。

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2007年9月28日 (金)

折り鶴

 昔ピースという煙草があった。濃いブルーの箱に真っ白な鳩がシンプルにデザインされていた。デザインはアメリカのデザイナー、レイモンド・ローウィ。高額なデザイン料も話題になった。アメリカの最高級バージニア葉を使っているというが、香りも高く、ニコチンも強い。発売当初は、それまでの煙草が10本入り20~60銭なのに対し、ピースは7円という破格の値段であり、庶民には手の届かない高級たばこであった。煙草にフィルターが付くようになっても、この両切り煙草のピースには根強いフアンがいる。
 ピース=平和のシンボル=白い鳩というイメージを作るのにも、一役買ったと思われる。
それがいまでは平和のシンボルは折り鶴である。折鶴そのものは、日本に古くからある文化だが、偏に、これは佐々木貞子さんと折鶴の話による。被爆した佐々木貞子さんが生きる希望と、世界の平和の願いを折り鶴に込めて折ったというお話が、折り鶴を平和のシンボルにした。
 「佐々木禎子さんは、2歳のときに被爆し、9年後の小学校6年生の秋に病の兆しが現れ、8か月の闘病生活の後12歳で亡くなった。その間、回復と世界の平和を願って包み紙などで鶴を折り続けた。その禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め、平和を築くための像をつくろうという運動が始まり、全国からの募金で平和記念公園内に「原爆の子の像」が完成した。」
いまでは貞子さんついての絵本が幾種類も書かれ、たくさんの言語に翻訳され、その思いが世界に伝えられている。佐々木貞子さんのお兄さんが、貞子さん本人の折った折り鶴をアメリカに届け、貞子さんの平和への思いをアメリカにも伝えた。そして先日はイタリアのバイク愛好家の3人が、イタリアの小学生の折った折り鶴を携えて、はるばるユーラシア大陸を走り、チェルノブイリを通って、広島を訪ねてきてくれた。
 いまでは世界の人々が折り鶴を折り、佐々木貞子さんの慰霊碑に捧げられている。またそれだけでなく、市内に幾つもある慰霊碑にも捧げられている。このようにして広島に届けられる折り鶴は、年間1千万羽を越えるという。
 原爆の子の像を囲んで、折鶴を収納するガラスのケースも設置されている。旧日銀ビル3Fには、折り鶴が保存、展示されている。
 折り鶴の一羽一羽に、折った人、一人一人の思いが込められている。それは凄いことだ。
 その折り鶴を折るという行為が、世界各地に、自然発生的に広がって行くというのも、また凄いことだ。
 折り鶴は紙でもいいし、金属でも、プラスチックでもいい。大きさも自由だ。


Ori

広島では、七夕飾りも折り鶴だ。
「平和を祈る=折鶴を折る」とは、なんとも粋なアイデアだ。 
“折り鶴”は、広島が発信した世界に誇る文化だ。
秋葉市長は折り鶴ミュージアムをつくり、そして届けられた折り鶴を永久保存したいという。素晴らしいことだ。

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2007年9月27日 (木)

携帯電話

広電、アストラムライン、JR等の電車の中で、脇目も振らず携帯電話の画面を見つめている人が増えている。
10人のうち数人はそうだ。時には乗客の殆どが携帯電話の画面をみている。
なんとも異常な雰囲気である。

自転車に乗って、携帯電話の画面を見ている人もいる。他人事ながら大丈夫?と気になる。

「アラジンの不思議なランプ」という話があった。いろいろなストリーがあるようだが、私の知っている話は、「悪いことをして、ランプに閉じ込められてしまった大男が、ランプの火をつけてくれた人のおかげで、この世に戻ることができ、そのご主人さまの願いを叶えてくれる」というお話だ。

携帯電話は電話、メールの機能だけでなく、TVにも、財布にもなる。今晩の料理は何すればいいか、そのために何をかえばいいかも教えてくれる。もう携帯電話にできないことはないくらいだ。
現代人にとっては、携帯電話=アラジンの不思議なランプとなっているようだ。
しかし本当はどうも、そうではなくて、「現代人は、ランプの中に閉じ込められ大男のように、携帯電話の中に閉じ込められてしまった」といったほうがいいようだ。

メールが着てないかと、時々チェックしないと落ち着かない。
届いたメールには、すぐ返信をしないと落ち着かない。
それは、すぐに返信メールを打たないと嫌われるかもしれないという思いからのようだ。
ゲームを始めたら、途中で、止められない。カルビーのかっぱえびせんだ。
カフェで、若いカップルが、向き合って座っているにも拘らず、話もせず、それぞれが携帯電話の画面を睨んでいる。そんなんなら、デートするな、といいたくなる。

そんな携帯電話に閉じ込められてしまった人々は、人と人とが直接コミュニケーションすることができなくなってしまったようだ。自分の気持ちを携帯電話でしか伝えられなくなっている。
直接話し合い、喧嘩し、そして仲直りするということができなくなってしまった。
人間関係がバーチャルになってしまったのだ。
そして、なにかあれば、自分の思い込みだけで行動するようになってしまった。
その結果、現実の行動になると極めて過激になってしまう。
すぐ切れる、プッツンというやつだ。

16歳の少女が父親の首を斧で切って殺したというような、とても信じられない事件も、こうしたことが背景にあるように思う。

こんなおかしなことがあっていいのだろうか。

いま人類を、携帯電話から解放しなければいけない!?
“周りの方のご迷惑になりますので、携帯電話の電源をお切りください。”

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2007年9月26日 (水)

新しい被爆証言・語り部活動

 労働組合運動の傍ら演劇や文芸活動に熱心だった国労の活動家久保浩之さんと取材を通じて知り合ったのはもう30年余も前のことだ。

 年賀状を交換するだけの関係がしばらく続いて5~6年前から再び交流するようになった彼は“緩急車雲助”を名乗って幅広いテーマで講談を語っていた。
 その活動は碑めぐりガイドや紙芝居である。それに、ここ2~3年被爆体験手記や原爆詩の朗読が加わった。
 
 ユニークな芸名?の由来は彼が国鉄時代、長い貨物列車の最後尾に連結された緩急車に乗務する車掌だったことにある。

 2年前の被曝60周年には国連の軍縮総会が開かれたニューヨークまで出かけて英語で被爆証言紙芝居を披露した。また、平和公園にある国立追悼祈念館の朗読ボランティアとして他県に足を伸ばし、県外から来る修学旅行生にも被爆体験手記の朗読を聞かせている。
 「黒こげの弁当箱」「ヒロシマの河は黒かった」「石に影をやきつけた男」「ヒロシマの海の底で」紙芝居「昭ちゃんの原爆体験記」原爆詩や被爆者の体験手記の朗読である。

 秋葉市長は今年の平和宣言で、被爆者が「この苦しみはほかの誰にもさせてはいけない」と忘れてしまいたい体験を語り続けたことが三度目の核兵器使用を防いだと、被爆者証言の功績を位置づけ、市民の力で“核廃絶”に向けた国際世政治を動かす呼びかけをした。
 
 ヒロシマの体験継承をする上では、いつの間にかなくなっていた市内の小学校の“8・6登校”が昨年から復活した意味も大きい。

 しかし、何よりも非被爆者が被爆者に代わってヒロシマの証言を伝える活動の意義はいっそう重くなる。国立追悼祈念館が主催するアナウンサーOB・OGなどの朗読ボランティアの役割も大きくなっている。
 余生を反核・反戦の語り部活動に懸ける緩急車雲助さんが、春から夏に行った活動は30ケ所に及び2500人を超える人たちに語ったと言う。

 年々少なくなる被爆証言者に代わって被爆の惨状・実情を伝える新しい証言者・語り部の育成は被爆地の責務であろう。
2020年までの核廃絶を目指す平和市長会議の活動を市民の立場から支援する大きな力になることが期待される。

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2007年9月25日 (火)

大きな樹

昔「あの木なんの木、気になる木」というCMがあった。
「大きな栗の木下で・・・・」という歌もあった。
大きな樹は、そこにあるだけでなにかホッとさせてくれる。心が癒される。
平和大通りにも、そんな大きな樹が何本もある。
私にとって、その1本がこのクスノキだ。
直径は優に1Mを超える。 高さは20Mに近い。
背の高さの辺りで2股に別れているが、それがまたこの樹を味わい深いものにしている。


Kina

東京に、小金井カントリー倶楽部という名門のゴルフ場がある。
日本で会員権が一番高いゴルフ場である。
コースもクラブハウスもたいしたことはないが、コースの中に大きな樹が何本もある。
その樹がなんともいえない風格を創り出しているのだ。
この風格だけは、いくら金をかけてもすぐには造れない。

平和大通りには、何本もの被爆樹木があるが、この樹はそうではないようだ。
この平和大通りには、12万本以上の樹が、1954年から58年にかけて、県内各地の供木運動により植樹されたという。
国内に限らず、世界各国からも、苗木が贈られたともいう。

この樹が樹齢何年かよく知らない。
60年以上は経っているだろう。
ようやく大きくなった樹を大切にしていきたい。

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2007年9月24日 (月)

歩道

デオデオの横、南北に走る大手町通りに新しく歩道が整備された。
この大手町通りに造られた歩道は、いままで目にしたことがない造りである。
歩道と車道との間に、かすかな勾配をもったコンクリートパネルが置かれ、車道と歩道とを仕切っている。
新しい歩道は、わずかに車道より高いだけだ。
なかなか快適で、美しい。

通常歩道は、車道から一段高く作られ、約20cm程度の段差があり、車が建物に入る部分だけ削られ、低くなっている。
新しく建物が作られ、車が建物に入るようになると、その都度必要な部分の縁石を低くする工事がされる。
邪魔な工事だし、勿体ないことだと常々感じていた。
波打つ歩道は、美しくなかった。
こうした20cmほどの段差は、安全上必要なことだと考えられてきたのだろう。
ここでは車はそれほど早くは走らない。
車の平均速度が15km/hr程度であれば、これできちんと車道とは仕切られ、安全は確保できるだろうと思う。
これなら自転車も歩道と車道を使い分け、上手く走れるだろうと思う。
しかしだからといって、どこでもこうしたら良いとはいえないだろう。
車の平均速度が40km/hrを越えるようであれば、歩道と車道との間の20cmの段差は必要なのだろうし、場所によっては、車道と歩道を分離するに安全策も必要になるということなのだろう。

Hodo

敢えて注文をつければ、こうした道路に残っている電信柱も早急に地下埋設してほしい。
歩き易い歩道というだけでなく、歩くことが楽しくなるだろう。
歩いて暮らせる街を作ることが、これからのまちつくりの基本的なテーマだ。
そんな街には、電信柱はないほうがいい。

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2007年9月23日 (日)

映画「新・あつい壁」

 西本願寺別院の若い僧侶のグループが上映普及に取り組むための試写会で「新・あつい壁」を見た。
ハンセン病に対する偏見と差別によって、身に覚えのない罪を着せられ、50年前に死刑になった冤罪事件。熊本であった事実に基づくドラマである

 映画は若いフリーのルポライターが取材中のホームレスの男から聞いた冤罪事件の真相追及がきっかけになる。50年前、自分が働いた窃盗事件を当時発生した殺人事件の犯人に押し着せた。殺人容疑の男は一貫して「無実」を訴えながらも殺人罪で死刑になった。

 無罪の根拠はいくつもあって患者団体や弁護士も丁寧に調査すれば証明できると信じて支援する。しかし、警察も裁判所も頭から彼を犯人と決め付けたように処理する。
 
 彼は無罪を決定的にするアリバイについて真実を証言すれば家族や親類に迷惑がかかる、真実はいつかきっと判ると信じて口を閉ざす。一審の死刑判決後10年、あまりに不条理に進められる裁判に疑問を抱いて再審を請求してアリバイを主張し、裏付けの調査が始まると、国はひそかに死刑を実行する。

その背景にはハンセン病と診断された人が一度強制収容されると、一生そこを出ることを許されなかった法律があった。
彼がハンセン病患者だったとする差別と偏見がまとわりついて地域にとどまらず国も加担して死に追いやってしまう。

 ハンセン病は遺伝や伝染を理由に強制収容したが特効薬の発見で完治が出来る病になった。しかし、体に残った傷跡は古い知識や因習までも消すことが出来ず、今もその偏見と差別による「壁の厚さ」は残っている。‘03年熊本のホテルで起きた元患者の宿泊拒否事件が起きるなど差別の状況は変わっていないと言う。

 日本政府の誤ったハンセン病政策の中で翻弄された人たち、家族や親族の苦渋と悲しみ、無念さが痛いほど胸を突き上げる。

 深く重たいテーマの映画であるが「女性は産む機械」発言を平気で発する厚労大臣がいる我が国の現状を思うとき、改めて鑑賞を勧め上映が拡大されることを願わずにはいられない。
  <上映に関する問い合わせ先  広島映画センター  082-293-1119>

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2007年9月22日 (土)

ユニークな第2の人生

 古い友人から、便りが届いた。今年60歳で現職をリタイアーして第2の人生を
歩むという。ここまでは普通のあいさつ文だが、これからの生き方についての
記述が目を引いた。
 生きる限り1年を限度として全国を転々と移り歩くという。そして昨日第2
報を手にした。衣類だけを持って北海道へ着いたという。あまりに広すぎて
居住地を迷ったらしいが、結局札幌に落ち着いたようだ。「札幌の芸術の森公園」で寝そべっていると書いてあった。とりあえず北のおおらかな大地を満喫しているらしい。

 この発送人は、吉元 尊則さんという。「はだしのゲン」を発行した汐文社の
前社長である。かつて汐文社が経営不調に陥った折、労働組合の委員長であった氏が社を建て直して現在にいたる。よく広島を訪れた。笑顔をたやさない人
だが、また忙しい人だった。いまゆっくりしながら思考を深めておられるのだと思う。

 突如変わるが、アメリカにおける原爆展の開催要領が決まったと新聞各紙が
報じている。そのことと彼の顔が脈絡もなく結びついた。
吉元氏のヒロシマに寄せる関心の深さは並大抵ではなかった。
 広島に知己が多いことも、そのことを示している。その情熱と意欲をヒロシマへ寄せてもらえれば心強いと考え、3年ぐらいを投じて海外で活躍してほしいと思った。被爆者の老齢化、体験継承の後継者不足のなかにあって、ヒロシマ
を自分の言葉で語れる人の結集がいま急務なのだ。

 「北海道を皮切りに1年毎に南下していたら、ヒロシマへ到着するには
30年余かかるし、小生はとっくに鬼籍入りしている。来広を早めてほしい」と
メールを送った。

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2007年9月21日 (金)

どうなる藤田知事、政治資金不正事件の行方?

 安倍総理の仰天辞意表明が列島を駆け抜けた。

「お坊ちゃん育ちで 生活感がなく 国民の空気が 全く読めなかった」「5期13年の経歴で総理に据えるには余りに経験不足で“器でなかった”」と言う声が大きい。

 安倍さんと政治的家庭環境がよく似た人が藤田知事ではないか。党の要職や大臣などを務めて参議院議長だった父の跡を継いだ参議院議員から母方の祖父が務めた広島県知事に鞍替えし、一昨年4選をはたした。

 しかし、わずか1年で首相の座を投げ出した安倍さんと議会の二度の辞職勧告を無視して知事の座に居座り続ける藤田県知事の間には大きな違いがある。

 4月の県議選後、70%近い議員は「知事の辞職」を支持していたが、知事が「辞職勧告は法的拘束力がない」と開き直った後は野放し状態が続いている。
 
 その背景には知事与党の存在がある。林議長を中心にした一部自民党分派の“自民党刷新会議”と民主党と連合広島を母体にした“民主県政会”だ
 
 報道によると、8月初めに開かれた民主党の政治資金パーティーで民主県政会の大曽根会長は出席した藤田知事に「仕事で汚名を返上してください。同じ志を持った仲間と一生懸命応援します」とエールを送った。
 「汚名」とは言うまでもなく知事後援会の政治資金不正事件で「同じ志の仲間」とは自民党刷新会議のことだ。

 さらに8月末には、林議長の政治資金パーティーが開かれ政財界の2000人が集った。
藤田知事も出席している。県議選で「政治とカネ」を争点に闘った新人議員の多くも出席していたと言う。

 4年前、3期12年続いた檜山議長のボス支配体制を自民党の新田・林グループが民主県政会などと協力して打破し県政の新しい流れを作った。そして今年の県議会選後、改めて2会派が共同して林議長を誕生させた。

 ボス支配を断ち切ったことと「知事の政治資金不正事件」はあくまでも別件である。
自らの政治資金パーティーが後援会の政治資金不正事件の発端だったことを考える時、他の同類のパーティーにのこのこと顔を出す知事に、冒頭に書いた安倍さんに対する国民の感想をそっくり贈りたい。
「坊ちゃん育ちで 生活感がなく 県民の空気が 全く読めていない」“器でない”

 新聞のインタビューに竹下虎之助元県知事が答えている。
問われているのは、知事個人の選挙資金やパーチィーをめぐる疑惑。革新勢力がリーダーシップを持つべきで、「まあまあ」と言っていたのではしょうがない。県民から笑われていることを自覚しないといけない。

 間もなく9月県議会が始まるが、議会も知事もどのような対応をするのだろうか。
議会の与党も知事も「県民の信頼を回復する」には「仕事で返す」のではなく、まず自ら自浄作用を働かせ“辞任・再選挙”しか道はないことを改めて自覚してほしい。

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2007年9月20日 (木)

新球場のネーミングライツ

新球場の建設工事も、何とか業者が決まった。
本契約をするには、議会の承認が必要だというが、これで新球場建設もようやく軌道に乗った。
取りあえずよかった。
しかしまだまだ、これから越えなければならない問題は次々と出てくるだろう。
ともかく大きなハードルを一つクリアしたことは確かだ。

しかしそれにしても、ここに辿りつくまで、呆れるくらいいろいろなことがあった。
そんな今、建設費の90億円位、マツダが全額出すといって欲しかったと改めて思う。
マツダにとって、新球場のネーミングライツを買ったと思えば、それほど大きな金額だとは思えない。
現市民球場は1957年に開業しているから、調度50歳ということになる。
ネーミングライツの契約期間50年とすれば、単純計算で、年間1.8億円の負担で工事費全額を賄えることになる。
首都圏の或る球場のネーミングライツは5億円を越えているという。
常石造船が、現市民球場に2億円出すといっていた。
マツダの平成19年3月期の当期純利益は737億円であった。
郵便貯金会館のネーミングライツは、ALSOKに3,300万円/年で決まった。
ALSOKの平成19年3月期の当期純利益は75億円である。
マツダにとって1.8億円の負担は、利益金額から見ても、充分可能な額であろうと思われる。
マツダの広告宣伝費からみても、1.8億円という数字は、そんなに大きな額とは思えない。
マツダはフォードの子会社であるということ、かって事実上倒産したこともあるということ、ここ数年の黒字決算もまだまだ極めて瞬間的なことだと思っているということで、マツダの名前が出てこなかったのだろうと思う。
新球場のネーミングライツを売るということは、ほぼ決まっているようだ。
広島を発祥の地とする企業マツダが、その取得に名乗りを挙げて欲しいと願わずにはいられない。

親会社のフォードは苦戦しているという。
そのアメリカフォードを、広島のマツダが買収するくらいの意気込みを持って欲しい。
「老いては、子に従え」という諺もある??

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2007年9月19日 (水)

「敬老会」を考える

 敬老週間を前に今年も町内会の「敬老会」のご案内を頂いた。
65歳以上が参加資格で、古希を来年に控えた私はご案内を頂くようになって5回目。今年は妻も有資格者になった。
 
今年の老人福祉月間のスローガンは「みんなで築こう 活力ある長寿社会」
 
 60歳以上が敬老者だったのが、いつ頃から65歳になったのか分からないが日本人の平均寿命が飛躍的に長寿化する過程で当然なことだ。
 因みに、昭和22年(‘47)に男性50歳女性54歳だった平均寿命は昭和35年(’60)にM64歳W67歳に飛躍した。男性の飛躍は戦争で奪われる命が無くなったことに起因しているが、いまやM79歳W86歳と世界一の長寿国になった。

 百歳以上の長寿者も県内で1049人と初めて千人を超え、過去最高を更新した。全国では3万人を超す勢いだ。県内で調査を開始した昭和41年(‘66)に16人だった百歳長寿者は今年は広島市で328人、福山で116人、呉で114人と数の上では都市部に集中している。

 所が人口に占める百歳以上の割合は神石高原町の0・14%、安芸太田町の0・13%
安芸高田市と大崎上島町の0・12%と中山間・過疎地域の高齢化が目立つ。

 かつては、各自治体が高齢者に敬老のお祝い金を奮発していた。もちろん今も祝い金制度はあるようだが自治体の財政悪化で額を大幅に抑えたり、対象年齢を引き上げたり、敬老会を廃止している所もあるようだ。

 平成の大合併は自治体の対応が高齢者に届きにくし、共同体意識を薄めて更に過疎地の高齢化を進めたと言う指摘がある。
‘70年代に整備された広島市内や周辺の団地にも高齢化が進み、10年後には中山間・過疎地域で起きている状況が生まれるだろう。
わが街中の小さなマンションでも半分近くが敬老家庭である。
これまでのところ、せいぜいマンションの自治組織のお世話をしてきた。

 「活力ある長寿社会」を築き為に何が出来るか。

 せっかく頂いた敬老会には今年も出席しなかったが、地域の住民自治組織への関わり方をどうすれば良いのかを考える機会にしたいと考えているこの頃である。

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2007年9月18日 (火)

市民球場跡地利用

 広島の一等地をどう、効果的に利用しようかという議論が、進んでいる。
公的な価値、商業的な魅力、ヒロシマの特性など、その活用を考える際の
いろいろな戦略が乱れ交錯しているといっていいだろう。

 具体的に進む中で、商工会議所や地元商店街と広島市の間でちょっとした鞘当てがあった。
出てきた案に難癖をつけることはたやすいし、市長が言うように「フェアでない」ともいえる。かつて、紙屋町地下街の「シャレオ」の計画が示された折、
本通り商店街の猛烈な反発があったことを思い出した。いま「シャレオ」との
共存で、あの反発も聞こえない。

 人は、自分の生きている空間と時間の中で論評するし、その直接的な利害によって主張することが多い。もちろんそのことが大切なことは否定しないが、
百年の大計といわれるように、人類の生きる限り輝く平和のメッカとしての壮大気宇な発想がこのヒロシマにあってもいいと思う。でもそれがなになのか
愚かなあたまでは思いつかないが、少なくとも、天空を突く巨大なマンション群や、ショッピングセンターができることはごめんこうむりたい。

 人同士のおろかな争いが続く限り、ヒロシマの使命は続く。残念ながらその現実を前提とするなら、一等地である球場跡地は、当面はカルチャー、アミューズメントの施設が組み込まれたとしても、平和のメッセージを発するインタナショナルな施設として将来、発展していく要素や可能性を戦略的に織り込んだものにしてほしいと心底願っている。

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2007年9月17日 (月)

信号撤去!?

 「ドイツ西部の町の自治体が、交通の安全性を高める最良の策として、繁華街の信号や停止標識を取り払うことを決めた。
 交通事故を減らし、歩行者が歩きやすい環境を実現するため、ボームテの町の中心部では、9月12日から全ての信号・標識をなくす。
 交通安全の向上目的で標識を取り払うという考え方は「Shared Space(共有空間)」と呼ばれ、オランダ人の交通専門家ハンス・モンデルマン氏が考案、欧州連合(EU)の支持も得た。
 ボームテでも、信号などを取り外す費用120万ユーロ(約1億8800万円)の半分をEUが負担する。」
という記事が、今日のネットに載っていた。
エッ、何それ?
「信号は、交通の安全性を高めるために設置されているということではないの?」と、一瞬目を疑った。

 歩行者、つまり人間が最優先だということが徹底すれば、交通標識に頼らなくなるから、返って安全だということなのだろう。
昔息子が、中学生の頃、自転車で出かける際、「気をつけろよ」と声をかけると「大丈夫だよ。ちゃんと右左見てから走るから」といって、信号を、全く無視していたことを思い出した。

 「規則で雁字搦めの生活から抜け出すことが、より人間的だ」という哲学が背景にあるようだ。
面白い。
新しい可能性を感ずる。

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2007年9月16日 (日)

愛犬家のマナー

 三か月ぶりの検診のため自転車で大学病院まで出かけた。
朝8時はサラリーマンの出勤や小中高校生の登校に重なって自転車の走行にブレーキをかける事が多い。

 そんな朝の時間帯に愛犬と散歩中が人の多いのに驚く。大抵の人がシャベルと袋を携帯している。もちろん、犬の糞を始末するためのものだ。
犬たちはそこらじゅうの木や交通標識の根元にオシッコをするマーキングをしている様を見て、先日の新聞記事を思い出した。

 「歩道上の道路標識が根元の部分が折れて、下校中の女児を直撃・ケガ」と言う記事。
警察の調べでは「犬の小便で根元の部分が錆びて腐食、強度が落ち、強風にあおられた」とあった。しかも、同様な事故が各地で発生しているようだ

 ここ十数年、ペットブームは上昇続きで、アメリカでは世帯の37~8%で6100万匹、日本でも20%近い家庭で1200万匹と15歳以下の人口より多い犬が飼われている。
その一方では昨年湯来町で起きた「ドックパーク事件」のようなペットの虐待や飼い主を失った犬が40万匹以上も処分されている日本の世相を反映した状況がある。

 犬のマーキング行動は本能的なものだから仕方なかろうと思っていたが、今朝の風景を目の当たりにして改めて調べてみた。

 犬は元来群れをつくる動物で、その中で上位の順位になろうとする本能を持ち、同時に上位の者に従う本能も持つ。従って、飼い主はこれを曖昧にしないで「犬が人に従順に従う訓練・しつけ」が大事。マーキングは犬の本能と思って好き放題にさせないことが大切な訓練だと専門家が指摘している。

 我が家のあるマンションの玄関横のタイルは犬のマーキング場所になっている。1匹がすると後から来る犬は際限なく繰り返す。管理のオジサンは掃除の度に嘆いている。

 札幌市には「畜犬取締り、野犬掃討条例」で家の前や公共の場所での糞尿の不始末を取り締まる5万円以下の罰金を伴う条例がある。
 広島市にこんな条例の制定を望むものではないが、改めて「愛犬家の皆様」に「犬の散歩マナー」の自覚を高めていただきたいと思う。

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2007年9月15日 (土)

市民球場の跡地利用「未来へのレシピ」前進へ

 新市民球場の工事が動き出すのに伴って現球場の跡地利用について秋葉市長が市の選考委員会が優秀作に選んだニ案を軸により具体的な検討を進める考えを改めて示した。
 
 公募の期間中に実現性のある案を提示しないで、後からとやかく注文をつける経済界や商店街はフェアでない・・・と言う秋葉市長の発言はもっともだと思う。

 そもそも、市民球場の用地は広島市のものではない。国有地である。従って、再利用するにもかなり厳しい規制がある。都市計画公園であることで、公園に必要とされる施設以外の建設や利用はできない。まして民間による建設・利用となると更に難しい。
 ここは特に世界遺産である原爆ドームに隣接している為、バッファーゾーンの変更、特に新しい構築物の建設は一層難しい規制を受ける。新たに、市の景観条例で高さ20メートルの制限も加わった。木造建築や木造建築の集落をつくることや広告看板などの設置も厳しい指導を受ける地域になっている。

 1年余り前、商工会議所が市に「商店街が疲弊しないように賑わい機能を意識した利用」の要望書を出した。また、いま絞り込まれたニ案に対し「年間150万人の集客が望めない」との批判の声を上げているとの報道に接して思う。

 商工会議所や商店街は(建設募金を除いて)市の企画や計画に具体的にどんな協力をしたのだろうか。加えてカープの年間地元試合の大半のナイター終了時間に本通りはシャッター街で、1軒の商店も開いてはいない現実をどう捉えれば良いのだろうか。

 全く別の要件で言えば今や、お洒落な街の商店街の必要条件になっている椅子やベンチの一つもない商店街は珍しいくらいだ。市民サービスに無関心で創意工夫のない商店街なのだろうか。本通り裏筋の商店のいろいろ工夫を凝らした取り組みが目を引いているのに比べ街の疲弊の責任を行政に求めているとすればお門違いではなかろうか。

 新市民球場が貨物ヤード跡地に移り、多少の賑わいが移るとしても本通り商店街がこれで疲弊することは考えられない。夜遅くまで開店しているお店が多いい広島の玄関・駅周辺がさらに活性化し、流れ川・薬研掘りに賑わいが流れて広島市全体的に反映する可能性は大きいと考えられる。

 市長が3選を前に示したマニフェストに「万人の夢」を目指す<未来へのレシピ>がある。
これらを取り込んだより充実した「150万人誘致の実現」計画の実行を期待したい。

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2007年9月14日 (金)

安倍総理の無責任な辞任表明

 安倍総理が全く突然の辞任を表明した。
7日付けの記事で「政局・秋の陣」を書き、今臨時国会で民主党が安倍退陣を迫り大きな政局を迎え、目が離せなくなる・・・と書いた。

 TVの前でチャンネルを変えながら見ていると自民党、民主党など国会議員から一般市民まで一様に驚き隠さない。だが、概ね年末までは持たないだろうと思っていた人が意外に多いのに驚いた。
しかし、共通しているのは「無責任」「投げ出し」「お坊ちゃんの甘え」「世襲議員の非力」などを挙げている。5期13年の経験不足と甘さを指摘する評論家諸子。

 本当は参議院選の惨敗直後に辞めるべきだった。所が、自らが続投宣言して内閣を改造し臨時国会を召集して所信表明をした。この間、ASEANやAPEKUに出かけ米国ブッシュ大統領や中国の胡首相らと会談し「テロ特措法」の延長や訪中の約束を交わすなど「国際公約」をして積極外交の姿勢を見せたのは“空威張り”で日本の信用を失墜させた?

 それにしても、シドニーで「テロ特措法」に賭ける意気込みを「職を賭してあたる」などと言ったあたりで計算していたとも考えられるが“前代未聞のタイミングの悪さ”は自民党内部からも指摘する声が大きい。

しかも、辞任の理由が民主党の小沢代表に申し入れた会談を断られたことから「テロ特措法」の延長に目途が立たなくなったことを挙げ「国民の支持・信頼を失う」ので「自らけじめをつける」と言う。そんなことは参議院選の結果でわかっていたはずのことで、辞任のきっかけを探していたのかも知れない。

 美しい国造り・戦後レジュームからの脱却・教育再生・憲法改正など祖父の亡霊に取りつかれた様な課題を掲げ、1年で5人の大臣の首を挿げ替え「女性は産む機械」「原爆投下はやむを得ない」発言など、スタッフに足を引っ張られて「前門の狼 後門の虎」状態で自滅した形だ。

 次の総理の選考は14日公示、19日投票?。国会を1日開会していれば数億円の経費がかかる。自民党の勝手で長期の国会空転は許されない。
誰が総理の座についても安倍首相の所信表明を大きく変えることは出来ない。従って、解散総選挙がそう遠くない日に来ることは間違いなかろう。
 いずれにしても、政局・秋の陣は引き続き厳しさを増すことになり、目が離せない。

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2007年9月13日 (木)

安倍総理辞任!

9月12日、安倍総理が辞任を発表しました。
びっくり!
仰天!
しかし内閣改造をし、所信表明演説をし、今日から代表質問を受けるという状況の中で辞任するというのは、メチャクチャです。
一国の総理ともあろう者が、こんな状況で「ヤーメタ」は無いと思います。
無責任です。
所詮総理大臣の器ではなかったということでしょうが、あまりに自分勝手、幼稚です。

辞めるなら、そのタイミングがあると思います。
参院選で負けた時。テロ特措法が否決された時。敗れて辞めるなら解ります。
本人は、今がタイミングだと思ったとすれば、ちょっと勘違いです。

隣のおじさんが、朝起きたら、首を吊って自殺していたという感じです。
欝から?

それにしてもです。
安倍さんは、日本国の総理大臣です。
それとは、ちょっと訳が違います。

こんな総理を戴いていた日本国が可哀想です。

ある人が「安倍総理と、並んで歩いたことがあるけど、なんとも薄っぺらで、吹けば飛ぶよな感じだった」といっていたことが思い出されます。

次は「舛添総理?」 
意外と早く、その場面が来そうです。
自民党というのは、そのくらい何でもありの党です。

政治家に「志」を期待するのは、もう無理なのでしょうか。

まあ、日本が平和であることを喜ぶべきなのでしょう。

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2007年9月12日 (水)

動き出した新球場建設への期待

 広島市民球場に替わるJR貨物ヤード跡地に建設される新球場の本体工事の施工業者がやっと決まった。

 2年前、広島市は現在の市民球場の建て替え案を断念して貨物ヤード跡地への建設に決めた。昨年春の設計施工のコンペは参加した4事業体のうち3事業体がよその事業で談合があった為、失格になり広島市は1社だけのコンペで選ばれた案を見送った経緯がある。

 今回の入札も多くの業者が談合などの指名停止で参加できない異常事態の中で、呉が発祥の地である五洋建設と増岡組それに鴻治組と地元縁のJVだけの参加で行われた。しかし、広島市が目安にしてきた最低入札価格が設計金額の95%を超えたため落札決定を保留して談合の有無や積算の妥当性をチェックの結果「問題なし」の結論に至った。
あとは、市議会の採決後に正式契約して10月に着工、‘09年春の完成を待つことになる。

 今回の入札に関して次のような気になる新聞記事があった。
業界には今回の結果を「予想できた」との声がある。松山の坊ちゃんスタジアムや倉敷のマスカット球場の建設費は百数十億円。新球場は九十億円以内に収める方針で、業者には「相場とかけ離れた発注側(広島市)による価格破壊」との受け止めもある・・と言う。

 業者サイドからみた場合「うま味が薄い仕事」で、公共工事が“濡れ手に粟”の時代にしっかりと「うま味」を味わった業界からすると“厳しい仕事”かもしれない。
しかし、広島市がいち早く談合を防止するためにとった制度導入に応じた今回の五洋建設JVはむしろ歓迎されるべきなのではなかろうか。
企業が本来持つべき社会的な使命感を発揮し「広島市民・県民の待望に応える」ため「実より名をとった」と受け止めるのは単純で早急?

 市議会が「安すぎる」「粗悪工事になる」などと足を引っ張らない限り、新市民球場はこの秋から本格工事に入る。
恙無く‘09年春の完成を心から期待して待ちたい。

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2007年9月11日 (火)

いま注目、宮本常一

日本中をくまなく歩いて、庶民の生活を記録した民俗学者、宮本常一が生まれて今年で100年。上滑りの現代、にわかに注目が高まっていることがうれしい。
 東京新聞9月2日号サンデー版に特集が組まれた。東京で、である。
ノンフィクション作家の佐野眞一氏は、「時ならぬ宮本への関心の高まりは、
時代のほうがやっと宮本に追いついてきた証しに見える。言葉を変えれば、今という時代の絶望的な暗さと表裏の関係にあるように思えてならない」と述べ
とどまるところを知らない日本人の精神の劣化のなか、一過性のブームに終わらせてはならないと、指摘している。

 1907年、山口県周防大島に生まれた宮本常一は、15歳で大阪へ行く。30歳を過ぎて、全国の民族調査を思い立ち、以後30年余、地球を4週する距離16万キロの行程を踏破する。汚れたリュックを背負い、こうもり傘をぶら下げて歩く姿は、しばしば、富山の薬売りに間違えられたという。

 こうした地道な努力を支えた裏に、著名な二人がいた。ひとりは民俗学の祖といわれる柳田国男氏、今一人は、実業家渋沢敬三氏だ。ふたりとも物心両面から宮本を支えた。とりわけ渋沢の私邸では、長年民衆の生活や文化に関する調査を行った。

 宮本の実績は、いうまでもない。
 庶民の暮らしを記録するため、古老からの聞き取りに精力を費やした。
「周防猿回し」や「佐渡の鬼太鼓(おんでこ)」など郷土芸能の興隆に尽くした。
また、対馬や五島列島など離島振興にも努めた。その記録は、10万枚におよぶ
写真と50巻の著作にしたためられている。

 15歳で故郷を離れる際、父親善十郎が「10か条」の言葉を送った。~詳細は
著作「民俗学の旅」を参照~その4条に「時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ」という条項がある。ハッとした。
 ジャーナリストの端くれの頃、真実に迫ろうと思ったら歩け!と教えられたことがある。人の営みとその心に迫ろうとしたら歩けということを、宮本は父から教えられて愚直に歩き続けたのだと思う。

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2007年9月10日 (月)

河畔の道路

この春、平和公園東の大手町側の河畔道路の、川に沿って設けられていた駐車スペースが撤去され、その分、建物に沿って歩道が作られた。


M

駐車している車が無くなっただけで、こんなにも綺麗になるのかと、いささか驚いた。
堰堤まで美しくなったように感ずる。そのせいか、通勤等で普段堰堤の上を歩く人が増えたように感ずる。
建物側に歩道が設けられたこともあってか、その歩道にそってレストラン、カフェ、ヘアサロンが出来てきた。2階からでないと、川は望めないが、その窓からの景色はなかなかいい。
河畔の美しさ、街の美しさは、こうした一見極めて些細なことの積み重ねで、少しづつ、創られていくことがよくわかる。
車は1台1台を見ている分には美しいが、どうも駐車している車は美しくない。
道路に駐車している車は、街の景観を壊す要素にすらなっている。
放置自転車? あれはもうゴミが捨てられているようなものだ。
市内の道路には、まだあちこち駐車ゾーンが残っている。
ひろしまの街を美しくするには、この際、道路に設けられている駐車スペースを、止める工夫をすべきだろう。
場合によっては、そのスペースを自転車専用レーンとするのもいいと思う。
河畔に沿った自転車の専用レーンを走るのは、さぞかし気分がいいことだろうとも思う。

今、街を、車から取り戻すときに来ているようだ。

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2007年9月 9日 (日)

広島商工会議所ビル

平和公園から原爆ドームを望むと、その背景にある商工会議所の黒い建物が、どうしても目に入ってきてしまう。
見ているだけなら、無視できるが、写真を撮ろうとすると、どうにも困る。

M
無いほうガいいとは、誰もが感じていることだと思うが、だからこの商工会議所ビルをどこかに移したらどうかという議論が起こっているとはあまり聞かない。
既にあるのだから、壊したり、移したりするのは難しいと思われているようだ。
いわば既得権というやつだ。

商工会議所ビルの竣工は1975年である。既に42年経っている。
相当に老朽化もしているはずだが、それ以上に問題は、新しい耐震構造の基準を満たしていないと思われることだ。
建築の耐震構造の基準は、1981年に大きく変わったそうだが、それ以前に建った建物は、かなり危ないと聞いている。
商工会議所ビルは、構造的にも、そろそろ建て替えの時期に来ているというわけだ。

それに加えて、現在の商工会議所ビルは、新しく設けられた景観条例の高さの基準を満たしていない。
元安川橋の東詰にマンションが建ったが、その時、その高さを巡って大きな議論になった。
その問題を契機に、原爆ドーム周辺にあっては、ビルの高さは20M以下と制限されるようになった。
商工会議所ビルも、建て替えの時には、その高さを20M以下にしなければならなくなった。

今市民球場跡地の利用計画について、様々に議論されているが、この際同時に、商工会議所ビルはどうしたらよいのか、どこにあったらよいのかについても、議論すべきではないだろうか。

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2007年9月 8日 (土)

舛添総理?

自民党は参院選で惨敗した。なのに、安倍総理は続投した。
麻生氏が、続投すべきだと進言したことで流れは決まったようだ。
流れを作った麻生氏は、総理の椅子に最も近いといわれる幹事長になった。
そして安倍総理の続投にもっとも批判的だった桝添氏が、厚生労働大臣に任命された。
傍からみれば、厚生労働大臣になることは、年金問題という誰がやっても解けそうに無い難問を抱えることであり、それこそ罰ゲームをさせられているかのようにさえ見えるポジションに就いた。
しかし厚生労働大臣になってからの動きは鮮やかだ。
被爆者への対応、全国で数百人しかいないという難病への対応、奈良県の救急医療体制への対応はなかなかのものだ。さすがメディアの世界を生き抜いてきただけのことはある。
こうした対応をみてか、永田町には早くも、次は舛添氏を総理との声がでているという。
その無節操さには呆れる。
しかしそんなことを平気でやりかねないのが自民党だ。
背景には、武藤農水大臣が就任7日目で辞任したこともあるようだ。
こんな状態の安倍総理では、次の衆院選は戦えないという声がますます大きくなっているという。
「当選をする。政権を取る。そのためならなんでもあり」というのが、自民党だ。
自民党は、前回の衆院戦には、派閥をぶっ壊すと叫んだ小泉氏を総理にし、大勝した。
それがこんどは、自民党に最も批判的スタンスをとってきた舛添氏を、党の顔にしようというのだ。
舛添氏は、参議院2期目であり、政治家としては、新人の類であり、自民党的な体質から最もところから遠いところにいる政治家である。
自民党というのはヌエみたいな党だ。
節操とか志とかから一番遠いところにいる。
自民党は、自民党をぶっ壊すと叫んだ小泉さんによってではなく、町村合併、郵政民営化、公共工事の削減、農村の大規模化といったような政策によって、自民党を支えていたその構造そのものが、とうの昔に根本から壊れてしまっていたのだ。
それが今回の参院選の結果に出たというだけだ。
自民党は脱皮をせざるをえない状況にある。
舛添氏という仮面を被ることで、自民党は変わったというイメージを演出しようというわけだ。
自民党は、建前と本音を、その時々で、都合のいいように使い分けていく。
まあ日本的だといえばいえる。
しかしあまりに日本的だ。

これでは民主党は労組の党だといわれかねない。
民主党は大丈夫だろうか?

世の中、いいほうに変化していると信じたい。

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2007年9月 7日 (金)

政局・秋の陣

 自分が組合長を務める農業共済組合が掛け金を国から不正に受け取っていた遠藤農水大臣が就任後わずか1週間で辞任に追い込まれた。
 安倍内閣が発足して1年。大臣の辞任は5人目。農水相は松岡、赤城両大臣に次いで3人目だ。農水相は呪われた椅子なのか?
 前2人の大臣が事務所費をめぐる「政治とカネ」の問題であったのと違い、今回は直接担当の農業に関わる不正事件である。

 自民党の農政は一貫して国の補助金づけ政策で、自治体の首長や農協の組合長を中心にした集票マシンとして活用してきた歴史がある。
 
 今回の事件は正にその典型で、農家の名前を勝手に使い、国の補助金115万円を不正に受け取っていた。と言うより、だまし取った詐欺事件だ。しかも、この事件はすでに3年前に会計検査院の調査で判明していた。しかし、返還すらしようとしておらず、遠藤氏は大臣就任にあたって支障はないとし、更に「辞めて更に問題を大きくすることはない」と考えていたと言う。遠藤氏に刑事責任が及ぶかどうか判らないが、大臣を辞めればいいと言う類ではない。議員辞職も追及されるべき性格ではなかろうか。

 先の参議院選で自民党が大きく後退した裏に自民党の集票システィムが崩壊したことがあげられる。全国で3300もあった基礎自治体は平成の大合併で3分の一に縮小した。従って、当然集票マシンも小さくなった。特に、農山村ベースにした自治体は5~6市町村が一つになり、市町村長は一気に減少して力を失った。そして、補助金農政は村の田畑を荒廃させ農業生産率を下げ、魅力を失わせた歴史の積み重ねがある。

 間もなく開会される秋の臨時国会でこれらの問題がどのように捌かれるか。
民主党は先の参議院選で全農家に補償する「個別所得補償制度」の導入を掲げた。農業問題を大きく取り上げた先見性は評価できても、国民から本当に信頼される為には相手の失策でなく本当に支持される内容が重要になる。

 今回も大臣を辞めて済む問題ではない。「テロ特措法」と絡まって「政治とカネ」やこれらが臨時国会の焦点になることは間違いない。民主党は過半数を握った参議院を主戦場に、衆議院の早期解散に追い込む構えだ。政府の対応いかんによっては自民党内部からも安倍退陣論が出てくることは避けられまい。

 すっかり鳴りを潜めている県知事の政治責任問題など身近な問題にも関心を高めたい。政局・秋の陣から目が離せなくなる。

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2007年9月 6日 (木)

前田・涙の2000本安打

 カープの前田選手がついに2000本安打を達成した。昨年の野村選手に次ぐ大記録だ。
カープでは衣笠、山本浩二に次ぐ4人目。プロ野球史上36人目の偉業だ。

 昨年の世界選手権ですっかり野球フアンになった孫の大直(だいち)は熱烈なカープフアンにもなった。今シーズンはすでに14~5試合に足を運んだ。

 大阪での対阪神戦を前にあと6本になった時、彼は「おじいゃん、前田はどんなに打てても1本だけ残して広島に帰るよ!」と予言した。
それは やっぱり、広島市民球場で打つのが一番嬉しいからだと言う。
翌日の新聞にブラウン監督が同じ趣旨のことを言っている記事を見て驚いた。

案の定、3本残して広島に帰ってきた。

この日の市民球場は2階席も埋まって3万人近い観客であふれた。声援は途切れることなく終始、前田コールに包まれた。
6対7とリードされた8回の裏、代打の嶋が逆転3ランホームラン。前田を支援したいカープナインの魂に火がついて燃え上がり、ドラマの舞台は整った。

4打席目の前田の出番だ。嵐のような“前田”コールの中でついにヒットが生まれた。
悲鳴に近い大歓声がスタンドをこだまして地鳴りのようなウエーブが起きた。
鳥肌が立った瞬間だ。隣席の若者は周囲をはばかることなく鳴き声を挙げている。
スタンドの観客の目が潤んで、球場全体を熱いものが包んだ。

 カープ入団18年目。当初は順調なスタートで3割を超える打率が11シーズンと現役では最多の記録を残しながら、この間2度のアキレス腱の断裂などで故障に苦しむシーズンも多かった。しかし、地道なリハビリと真面目な練習の積み重ねでプロ野球史上36人目の打者の栄光を手にする事が出来た。

 お立ち台に立った前田は「怪我をしてチームの足を引っ張って・・・」と言葉を詰まらせた。大スクリーンの画面に映った目にいっぱいの涙をためて「こんな不愛想な選手を応援してくれてありがとう」とフアンへの感謝を表し、前田とフアンの熱い思いが一つになって感動を新たにした。
 新井や前田のサイン入り帽子やユニホームを着た大直は見知らぬ人たちと握手を交わしながら「大きな感動」をお土産に意気揚々と帰路に就いた。

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2007年9月 5日 (水)

HIROSHIMA!?

広島・ひろしま・ヒロシマ
いつの頃からか、はっきりしないようだが、広島ではこの3つの言葉が微妙に使い分けられている。
「広島」は、地名を現す固有名詞として、誰もが、極く普通に使われている。
「ひろしま」は街つくり関連で、使われることが多い。
「ヒロシマ」と書いたら、被爆、平和がらみである。
中国新聞では特に明確に使い分けているようだ。
こんな微妙な使い分けをしている都市は他にない。
日本になければ、世界中にないということだ。
凄い。 半ば呆れる。

ある人は、これにアルファベットの言葉「HIROSHIMA」を加えたらどうかという。
エッ 何それ?
「世界と交流する都市・広島」だという。
ウーン。面白い。
いろいろな可能性を感じさせてくれる。
いいかもね。

ここでそれぞれの言葉をもう一度みてみると、それぞれにそれなりの意味があることを感じる。
ひろしま・・・・住みやすい街を創りたい。
ヒロシマ・・・・世界が平和になって欲しい。
広島・・・・自立した都市を創ろう。
それならHIROSHIMAは?
ひろしま+ヒロシマ+広島=世界のモデル都市・HIROSHIMAを創る。
ということであろうか。

いずれ「HIROSHIMA」も、「広島・ひろしま・ヒロシマ」のように、何かはっきりしたイメージ、意味がついてくるのであろうか。

広島は不思議な都市だ。

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2007年9月 4日 (火)

映画「東京原発」

 2001年に制作され何故か3年のお蔵入り後の‘04に上映された「東京原発」を改めて自主上映したいと言う若者グループが開いた小さな試写会に覗いて見た。

 映画の舞台は東京都庁。知事(役所広司)の「財政危機からの脱出に原発を誘致する」と言う過激な発言をめぐって都庁幹部はパニックに陥る。
祖母が被爆者の広島出身の副知事(段田安則)は強硬な反対論を展開。
賛成派反対派、それぞれのもっともらしい意見が入り乱れる。
 
 そんな時、フランスから極秘に運ばれてきた(日本の原発の使用済み核燃料をリサイクルして返送してきた)プルトニュウム燃料が東京のお台場に着く。政府は反対派の裏をついて一般道で福井の原発に送り込もうとする。ところが、このトラックが爆弾マニアの少年にジャックされる。
 やがて、このトラックは時限爆弾を仕掛けて都庁に向かい、都庁を巻き込み“首都壊滅”“日本全土の被曝”の危険をはらんだ大騒ぎとなる。

 都知事はこの危機をどう乗り切るか・・・日本の原発の現状とデータなどはフィクションではなく実情を踏まえている。しかし、この深刻で重いテーマを決してお説教がましくなく、コメディーとサスペンスをとり混ぜて過激に面白く描き上げている。
 
 新潟地震で柏崎の原発が稼働せず、この夏の炎暑を乗り切ることに躍起になっている東京の電力事情がある中で今一度、日本国民がエネルギィーや環境問題と合わせて考えなければいけない重大な問題がある。

 制作から上映までに3年も公開が延期されたのか理由は分からないが、国や自治体への問題提起であると同時に国民に対しても原発問題について大胆な問題提起をした作品だ。

 若者が中心になって広島で自主的な上映会が開かれるようにエールをおくる。

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2007年9月 2日 (日)

被災地のボランティア

つい先日、中越沖地震があった。
家が倒れ、何人もの人が亡くなった。
道路は寸断され、水道、ガスは止まり、大きな被害がでた。

そんな被災地では、炊き出し、介護、片付け等、ボランティアの活動が大きな役割を果たした。

ボランティアが、可哀想の一念でドップリはまり込み、被災者と心中するより手が無い状況に追い詰められるケースも多々あるという。
半面ボランティアの活動を当然のこととして受け、その対応の仕方が悪いと、文句をいう輩もいるようだ。

被災地には、多種多様なボランティアが集まってくる。
あたかもボランティアの見本市の如き様相を呈するという。
しかし、実はこうした被災地では、ちょっと表からは見えないバトルが繰り広げられているのだという。
キリスト教・天理教・仏教各宗・新興宗教が入り乱れて、ここぞとばかりに、懸命の救済活動にあたる。
特に、創価学会とエホバの会が熱心だという。
それは、各宗派の宗教的威信と拡張を賭けたバトルともいえるようだ。
さもありなんと思う。
救済活動の競争ということであるから、バトルとはいえ、結構なことではないかとも思うが、しかし当事者としては、そんな呑気なことはいっていられないようだ。
各宗派にとって、これを手抜きするとあとで、手痛い目にあうのだという。

ボランティアの救済活動ということの裏には、そんな激烈なバトルがあるとは知らなかった。

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2007年9月 1日 (土)

パールハーバーの攻撃=9.11テロ?

26日の朝のTV番組サンデーモーニングで、ブッシュ大統領の演説を取上げていた。
演説の内容は、要約すれば、
「日本軍によるパールハーバーの攻撃=9・11テロ
日本の軍事政権打倒=フセイン打倒
  ↓
その結果、日本の民主化は成功した。

だからイラクの民主化は成功するはずだ。

しかしここで、
イラクから撤退すれば=アメリカ国内、世界各国でのテロ頻発ということになる。」
ということのようだ。
その論理展開は極めて単純だ。

単純化することは、わかり易いが、しかしあまりに単純な論理展開は、得てして様々の背景を無視することになり、時としてこじ付けになりかねない。今回もいささかそうした無理を感ずる。

例えば
・日本で民主化が成功したというが、すでに戦前の日本には、立憲君主制による民主主義はあった。
・イラクはイギリス、フランスの植民地政策で人工的に作られた国であり、もともと3つの宗派の対立は厳しかった。
それをフセインがなんとか権力で抑えていたが、そのフセインを倒したが故に、パンドラの箱を開けてしまった。
・十字軍の時代から、キリスト教圏とイスラム教圏には根深い対立があった。
というようなことが挙げられるが、そうしたことがいかに無視できない重要なことであったかは、現在の結果をみれば明らかである。

アメリカ人は、いい人たちが多い。
素朴に、好意でやってくれるということを、私も沢山経験してきた。
しかしこのアメリカ人の好意も、こうした重要な局面になると、見当違いでは済まされなくなる。

また今問題になっている「イラク特措法を止め、インド洋の海上支援から撤退すれば、アメリカは日本を見放すのではないか。だから特措法は継続すべきだ」ともいわれている。
アメリカが日本を見放す?
何それ!
見放されたら日本は困る??

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