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2007年8月11日 (土)

「ミリキタニの猫」は反核・反戦映画だ!

 ‘06~’07の世界の映画祭で賞を総なめして話題のドキュメンタリィー映画「ミリキタニの猫」を先行試写会で見た。

 映画は2001年9月11日、同時多発テロで世界貿易センターがする崩壊するニューヨークの路上で始まった。騒然とした周囲をよそに絵筆を動かす老人がいる。ジミー・ミリキタニ80歳だ。日系人のストリート・アーチィストである。
彼の絵を買ったのが縁で、時折彼を撮影していたこの映画の監督リンダ・ハッテンドーフはこの日から路上生活のジミーを自分のアパートに招いて二人の奇妙な共同生活が始まる。そして、ジミーの過去を辿る旅が始まる。

 ジミー・ミリキタニ(日本名:三力谷)は1920年米国サクラメント生まれの日系二世。3歳で母国日本で教育を受けるため父の故郷広島の郊外(五日市)に帰国し、少年時代を過ごした。18歳になったジミーは日中戦争の勃発で軍国主義が強まる日本を逃れて絵描きになる夢を抱いて自由の国・米国に戻った。

 しかし、1941年日本の真珠湾攻撃で第二次世界大戦に突入。‘42年大統領令で強制収容所に収容され、忠誠テストで“敵性”と見なされた為、抵抗の証として米国市民権を自ら放棄して反骨の人生が始まった。
戦争が終わっても市民権は回復されず公的な権利は奪われたままで人種差別を受けながら戦後を生きる。‘59年に市民権は回復するが、働き場を得られず各地を放浪し続けるジミーにその知らせは届かない。

 リンダのアパートで猫とじゃれたり得意な猫の絵を描き、歌を歌いながらTVに映るアメリカの報復攻撃に「NO War!」とつぶやく。収容所での生活や原爆ドーム、やがて9・11を重ねながら怒りと恨みを込めた絵を書き続ける。

 やがて、周囲の人たちの努力で47年前に回復されていた市民権を受け入れ老人ホームへ入居する。閉ざされていたジミーの心は収容所跡を訪れ、少しずつ解かれ、深い怒りは祈りへ変わる。 彼はやはり日本人だった。報復から和解の道を自ら選んでアメリカを受け入れる。被爆者が辿った同じ道を選んだ。
「もう怒っていない。通り過ぎるだけだ。思い出は優しかった」と語るジミー。

 決して声高に「反戦・反核」を口にしないが、米国への反骨と彼の絵画に表現される作品は「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・戦争」を一貫して訴えている。

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 貴ブログへの突然の書き込みの非礼をお許しください。この度、私たちは「運動型新党・革命21」の準備会をスタートさせました。

 この目的は、アメリカを中心とする世界の戦争と経済崩壊、そして日本の自公政権による軍事強化政策と福祉・労働者切り捨て・人権抑圧政策などに抗し、新しい政治潮流・集団を創りだしたいと願ってのことです。私たちは、この数十年の左翼間対立の原因を検証し「運動型新党」を多様な意見・異論が共存し、さまざまなグループ・政治集団が協同できるネットワーク型の「運動型の党」として推進していきたく思っています。
(既存の中央集権主義に替わる民主自治制を組織原理とする運動型党[構成員主権・民主自治制・ラジカル民主主義・公開制]の4原則の組織原理。)

 この呼びかけは、日本の労働運動の再興・再建を願う、関西生コン・関西管理職ユニオンなどの労働者有志が軸に担っています。ぜひともこの歴史的試みにご賛同・ご参加いただきたく、お願いする次第です。なお「運動型新党準備会・呼びかけ」全文は、当サイトでご覧になれます。rev@com21.jp

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