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2007年8月 7日 (火)

小田 実さんを偲ぶ

 もう、50年近くも前のことだ。60年安保闘争の年、私は大学祭の実行委員長として、講演会の企画の打ち合わせをしていた。相手は小田 実氏。小田氏は当時、29歳だった。私が「先生」というと、彼は突然怒り出した。「僕は君の先生ではない。君を教えたことはない」
 お茶とお菓子が出た。お菓子は和菓子で、生クリームにフルーツが乗っていた。フォークがついていたが、氏はその和菓子を、むんずと手でつかむと口に押し込んだ。そして、クリームのついた手をなめた。
 唐突さにたじろいだゆえか、どんな話をしたかさだかではない。だがその時私が一種の反発を覚えたことをかすかに記憶している。既存の知識人の枠を常識的に逸脱していたからだ。

 その後、彼の著作は、大半読破した。共感、というより肌の違う人種として関心を捨て去ることができなかったからだ。明らかにマルクスを信奉していながら、同じようにマルクスを支持した多くの学者・知識人とは異質な発言と行動が目立ち、ベトナム戦争下の時代の寵児として存在感を示した。

「生きつづけるということ」(筑摩書房)。70年安保直後の作品のひとつで、奔放な論説は、今再読しても目新しく感じる。その中で、「三島由紀夫論」を述べている。彼を「敵対視」しながら十分に彼を意識しているところが読み取れて、それは右と左の違いはあれ、極を限りなく追求して生きたもの共感なのだなと思いながら読んだ記憶がある。
 その文章の中に、小田氏が「私は畳の上で死にたい」と書いている。それは演出の死をとげた三島氏への反論である。「畳の上で死ぬことは、いろいろ大切な意味があるのですよ」と彼は書いている。

 彼は「市民」という言葉が好きだった。「戦争で殺すのも、殺されるのもふつうのひとや」市民派に徹した。早口であの独特な関西弁が、耳に残る。
 若き折お会いした姿を偲び、冥福を祈った。

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» 追悼 小田実 [試稿錯誤]
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