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2007年7月

2007年7月31日 (火)

ミュージカル「美女と野獣」がやって来る

 偶然、ホテルのロビー喫茶で劇団四季の佐々木典夫社長にあった。
同病の先輩に当たる社長は顔を見るなり「元気そう」と久しぶりの再会を喜んでくれた。

 劇団四季が広島での公演を始めて40年近くになる。文化の東京一極集中を是正し、全国に演劇の感動を届けると言う理念で始まった地方公演である。

私が劇団四季に関わるようになった10年余前は1公演を3スーテジ以上にこぎつけ、大型作品のロングランが課題だった。

佐々木さんは仙台、静岡、広島の大型公演を企画し「広島は蓄積された文化度が高い、ロングランは成功する」と言い続け、自治体や財界に協力を求め仕掛けてきた功労者だ。

‘01の「オペラ座の怪人」は2ヶ月69回公演で10万5千人を動員し、’03の「キャッツ」では4ケ月115回公演で15万5千人を記録し、広島の文化力の豊かさを証明する結果を示した。会場の確保はいつの場合でも問題になる。広島会場は出演者から大変評価の高い旧郵便貯金会館の継続が懸案となっていたが、1年近い遅れで第3弾の公演が実現する。

第3弾はディズニーの大ヒットミュージカル「美女と野獣」。映画、アニメそしてショウビジネスの歴史を塗り替えるミュージカルに成長し、日本では‘95以来3000回を超える公演で300万人を動員している。

古くから伝わるおとぎ話をもとに構成された「美女と野獣」は衣装と舞台装置、特殊なメイクにカツラなど演劇の限界を超えた「魔法にかけられた舞台」と評価が高い。

公演は来年2月からのロングラン。第2弾の「キャッツ」を超える動員を前提に、公演日時や回数が、今後詰められる。

企画発表の記者会見には企画制作の浅利慶太氏をはじめ主催に名前を連ねる藤田県知事、秋葉広島市長、宇田商工会議所会頭に協賛・協力企業のトップをはじめマスコミなど100名を超える人が参加し、盛り上がった。

9月には「夢から覚めた夢」(9月5日~9日:厚生年金会館)公演も待っている。

広島に元気なにぎわいと楽しい文化の香りを運ぶ「美女と野獣」の公開が待ち遠しい。

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2007年7月30日 (月)

中越沖地震から学ぶ

サスティナブルシティー・広島(2)

今回の中越沖地震では、多くの建物が壊れ、11人の死者がでた。柏崎原発もかなりの損傷があったことが報告されている。原発本体はなんとか無事だったようだが、関連施設の60ヶ所以上で様々のトラブルがあったという。改めて原発の危うさを感じる。もしもということを考えたら、寒気がしてくる。
しかし今回の地震で最も驚いたのは、リケンといういままで聞いたこともない、さして大きくもないだろう企業の工場が壊れたことで、トヨタ、日産、三菱、ホンダ等世界的大企業の自動車工場が、数日間とはいえ、休業に追い込まれたことだ。そのリケンという工場で作っているのは、直径7cmほどの小さな金属の輪だ。それが不足したからといって、国内の全ての自動車工場がストップしてしまったというのだ。普通の常識では、とても考えられないことである。
それだけ精緻に、現在の自動車製造のシステムがつくられているということにも驚くが、なぜそんなことが起こったかという理由を知ればもっと驚く。その工場の作る小さなピストンリングと呼ばれる製品が、国内の50%のシェアを握っているということと、トヨタが開発したという看板方式という在庫を持たない生産方式が極限まで追求していったことで、こんなことになったのだという。1部品の製造がストップしたからといっても、在庫が充分にあれば、しばらくの間はなんとかなっただろうし、またこの会社1社の占有率がそれほどに高くなければ、他社から調達すればいいわけだから、こんなことにはならなかったというのである。
ある単一の基準のもとに、システムを作り、それを極限にまで高めていくとどうしても、こうした不測の事態が起こったときに耐えられず、いとも簡単にシステムは破綻する。よくある話だ。
それこそ東京で、今回のような地震が起こったら、どんな悲劇が起こるかわからない。超高層ビルは倒れなくとも、水がストップした、トイレが使えなくなった、食料がなくなったというような状況のなかで、ある1ヶ所でガス管が破裂し、火災が発生したというようなことが起こったら、それこそ東京はどうなってしまうのだろうか。今回のリケンの例を見るまでもなく、ほんの些細なことであっても、それが大きなシステムの1部が破損すれば、システム全体に影響し、大変なパニックに陥ることは容易に想定できる。
しかしそんなことは、あまりに恐ろしすぎて、皆思考がストップしてしまったかのように、考えようとしない。
どうも人間は今、金儲けするにはどうしたらいいか、どこが一番面白い都市かというプラスの面からしか見ようとしないようだ。しかも、それに最も適った人、都市を勝ち組と称している。お金を儲けて何が悪いんですかという。それがダーウインのいう適者生存であるとして、当然のことと思っている。おめでたいとしかいいようがない。
しかしそれは条件が変わったら、簡単に絶滅する危険性を孕んでいるのだということも、同時に知るべきだ。ダーウインの適者生存の理論は、マイナスの面からも適用される条件なのだ。地震が起こったらどうするのか? 食料の輸入がストップしたらどうなるのか?という視点から、都市を、世界を見直すことが、今必要なことのように思う。
なんでもかんでもグローバル化すればいいというわけはない。東京1極集中は極めて危険なことなのだ。
サスティナブルシティーとは、持続可能な都市ということであるが、何があっても生き延びる都市ということでもある。そのような別の視点から、都市を創ることが求められているのだと思う。
「不都合な真実」でいう環境問題から都市、世界を考え直そうということもその一つだが、もっともっと見直さなければいけない問題は沢山ある。
広島市の食料自給率は4%だという。これでいいのだろうか。
「サスティナブルシティー広島を創る」ことは、これからの都市、世界のあり方を示すことになるのだ。
広島市は、そのモデル都市になることを目指すべきだ。

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2007年7月29日 (日)

名所広島百景?

―広島市景観100選(4)

歌川広重によって「名所江戸百景」が、江戸時代末期安政3年から5年にかけて、描かれた。
街の風物、ディテールが細かく描かれている。
芸術作品としての価値だけでなく、極めて貴重な歴史の記録ともなっている。

P1

当時の江戸の人口は、現在の広島市とほぼ同じ100万人位であったといわれている。
広島市でも、充分江戸時代にされたことと同じレベルのことが出来てよさそうである。
と思って改めて調べてみると、広島市にあっても、すでにそんな試みがされていた。

毎週中国新聞の毎週日曜日に、広島の街を描いたイラストが連載されている。
「BOOSKAのぷらぷら日記」である。
6月24日でもう42回になる。
描いているのは、BOOSKAさんというイラストレーターである。
私はてっきり外国人と思っていたが、ネットで調べたてみたら、「本名は本名兼田亮一。1960年尾道市因島生まれ。イラストレーター。京都精華大卒。広告制作会社勤務を経て開業。今春、東京から広島市内に拠点を移した。」とある。
ご本人の承諾はいただいていないが、イラストの宣伝をさせていただいているということに甘えて、BOOSKAさんのイラストを転載せさせていただいた。

P2

しかし、ネットでは広島市内を描いた絵が見つからなかったので、ここでは宮島の絵を使わせていただいた。
いずれ、時間がたてば、こうした作品も、広島市の誇る財産となることとも思う。
広島の景観も、広重の描いた江戸百景と同様、多様な形、視点で見られ、記録されることで、さらにその価値が高まるのだと思う。

このブログで募集している広島市景観100選の景観の全てを、いずれBOOSKA氏に、素敵な絵にしていただきたいとも思っている。

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2007年7月28日 (土)

“痛み“に優しい街つくり

 大手術をしたあと筋肉の急激な退化で足や腰、尻の筋肉痛が発生した。
整形外科をはじめペイン・クリニック、ハリ・灸の東洋医学にもお世話になったが根本治療は背筋、腰・臀部筋を徐々に強化すりしかないとの診断で、朝昼晩と真面目にストレッチ体操をしている。

 痛みを伴うようになって街を歩くと、私と同じように体に“痛み”を抱えた人が大変多いことに気がつく。杖を持った人は誰にでもわかるが、何も持っていない人の歩き方でその痛みがどの辺りなのかまで判るようになった。しかも、決して高齢者ではなく初老をはじめ若年者にも目立つ。

 本通りから八丁堀界隈のデパートに出かけるとまず一休みする。デパートには各階にそれぞれの階に相応しいデザインの椅子がある。これはもう10年になろうか?初めて福屋が導入しそごう、天満屋、三越も導入して広島のデパートの特色になった。

 出かけるところが少ない老人や一人暮らしの人たちのデパートでの滞留時間が延び「売り上げ向上につながった」と聞いた。東京や大阪のデパートにはこしたお客サービスの椅子は見当たらない。たまに出かけても妻や娘たちが買い物する間、たいてい私は階段に腰掛けて休憩する。

 地方都市の商店街に椅子が常備されたところがある。松山大街道や高松の書店街。
広島の本通りではアンデルセン前にある。一寸と一服するのにとても便利で好評だ。これはアンデルセンの市民サービスである。

商店会に問い合わせたら、本通りは市道を時間制限した歩行者天国扱いなので椅子が置けないという返事だった。道路管理者の広島市と商店街が警察に相談して創意工夫すれば長椅子が置ける知恵が出ないはずはない。やる気があるかどうかに掛っている。

 広島は平和公園や平和大通り、各川沿いの緑地にはたくさんの椅子やベンチがあって散歩の人たちが活用している。体に痛みがあると判る人たちのリハビリ散歩姿も多い。

 大抵のことは徒歩で用がたりる広島の街は“元安川”さんが提案する歩行者を優先する街創りが望ましい。加えて緑地公園だけでなく多くの人が集まり通行する商店街や通りには何としても椅子やベンチを設置して“痛みに優しい”街創りをしてほしいのは私だけではないと思う。

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2007年7月27日 (金)

広島ボートパーク

海の都・広島(3)

吉島の旧貯木場跡に、ボート置き場=マリーナの建設が進んでいる。この秋には、その一部が供用開始されるという。
最終的には1,080隻のボートの収容が可能になるという。かなりの規模だ。完成すれば、多分日本では最大規模のマリーナとなることだろう。

Aa

                 HPより転載

河川に違法に停められているボートは、見た目にも汚らしいが、台風のときには危険な存在にすらなっている。河川という公共のスペースを、無料で占拠しているのもおかしい。
広島市内の河川に違法に停められているボートは数千隻あるともいわれているが、しかし、いままではそうしたボートを停めるスペースがなかったという理由からか、黙認されていたようだ。
今回そうした違法繋留のボートを一掃しようということを主たる目的として、ボートパークの建設が進められたという。
しかし、これだけの規模になると、そこに新たな価値が生まれてくる。都市計画学的には、こうした現象を「集積効果」というのだろうが、面白いことだ。
レストランやガソリンの供給施設、コンビニ、釣りショップが作られるという。ボートパークを見下ろすことになるマンションにとっては、いい環境になる。いずれはマリーナホップのように、商業施設も立地してくるものと思われる。
550台とかなりの規模の駐車場も作られる。いままでは、ボートの近くに車は違法駐車していたのだと思うのが、このボートパークが作られれば、そうした違法駐車もなくなることになる。これは付随的効果だ。
海を見ながら食事するのは、気持ちのいいことだろうと思う。ボート所有者以外の人々が、ここをおとずれることも予想される。海の都・広島市の新たな拠点となることが期待される。
政令指定都市の街中に、このような施設ができるというのは、広島市ならではのことだ。
今建設中の南道路がボートパークの真ん中を横切って走るようになる。このボートパークは道路からの景観の一つになるだろう。
こんな素晴らしい施設が、広島市内に作られていることを、市民はあまり知らない。広島市民が誇っていい施設だ。
産業用港湾施設が、市民の利用を対象とした施設へ転換した典型的例でもある。きちんと育って欲しい施設である。

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2007年7月26日 (木)

障害者、公園を歩けば

 私は労災事故で右足が短くなった”にわか障害者”。ドライブを兼ねて各地の公園を”ハシゴ”し、歩行訓練のリハビリに励んでいる。
 私の団地は住民の高齢化が進み、子どもの数はめっきり減って、公園は閑散としている。そこに現れるのが、ゴルフの練習に励む退職者と思しき熟年男性。ヨセの稽古程度ならいいが、思いっきり遠くへ飛ばす姿も・・・・。松葉杖の私は、怖い怖い。「危ないことはやめてくださいヨ」と勇気を出して言うと、「人のおるところへ打ちゃあせんわい。お前や、何丁目の誰なら」と、にらみつけられる始末。ゴルフは「紳士の」スポーツと思っていたのですが・・・
 この公園、坂道を上るとお地蔵さんがいらっしゃる。「足を少しでも治してください」とお願いするのが日課。その坂道を降りているとき、綱を外してもらったデッカイ犬が勢いよく下から駆け上がる。怖い怖い。「綱は外さんといてくださいヨ」と訴えると飼い主の女性「優しい犬なんじゃけえ、大丈夫よね」と、美形の顔に似合わず、軽蔑の眼差し・・・。後味の悪いこと・・・。
 廿日市の峰高公園では違った。キャッチボールをしていた児童、私の姿を見ると
「歩きよってじゃけえ、いま投げんなヨ」と相手に声をかけてくれた。これだけのことが私にはまことに嬉しい。
 五日市中央公園でも、嬉しい発見があった。
 最近植えられた10本あまりのハナミズキに、プラスチックのパネルがくくられている。それに児童がメッセージを書いている。
 「平和があって自然いっぱいの国にしよう」、「かくへいきで何万もなくなります。かくへいきをなくしていこう」、「平和な国にして緑をふやそう」、「戦争のない平和なくらしを作ろう」、「緑と命をいつまでも」・・・・。こんな純真な子どもの願いが、虹や樹木、花などの挿絵とともに描かれてあった。「広島市立五日市中央小学校4年生一同、2001年子どもの森創設事業」という説明がしてあった。
 現役記者時代、必ず持ち歩いていた取材メモを、いまも私はズボンのポケットに入れている。
こんな嬉しいことに出会うと、メモして帰り日記に書いておく。ささやかな日々の充実感だ。

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2007年7月25日 (水)

自転車の交通ルール教室

―自転車のモデル都市広島(4)

先日、歩道を歩いていたら、危うく自転車にぶつかりそうになった。数ヶ月前には、後からきた自転車にベルを鳴らされた。邪魔だからどけというわけだ。よほど呼び止めて、文句をいってやろうか思ったが、大人気ないと止めた。
ポーッとしていたこっちも悪いが、そもそも自転車は、歩道を走ってはいけないということを解っていないようだ。
そんな自転車に対して腹も立つが、それ以上に歩道を走る自転車は危険だ。
自転車と歩行者のぶつかる事故も、近年急激に増えているという。
自転車は人間に対しては強者なのだ。自転車は凶器になるのだ。そこのところがどうもわかっていないようだ。
自転車は軽車両に分類され、れっきとした車であり、交通ルール上は、原則車道を走らなければいけないことになっている。
しかし、自転車が車道を走って、車にぶつかったら、負けるに決まっているから、車道なんか怖くて走れないということで、歩道を走ることになる。その気持ちは良く解る。だからといって歩道を我が物顔で走っていいわけはない。
鯉城通りの広い歩道には、「自転車歩道走行可」という表示がある。だから、鯉城通りは、自転車は走っていいのだ。
そんな表示のある歩道は市内あちこちにある。
どうもそんなことがあってか、どこの歩道でも、自転車は走っていいと思われてしまっているようだ。
・自転車歩道走行可という表示がなければ、自転車は歩道を走ってはいけない。
・雨の日に傘を差して、片手で自転車に乗ってはいけない。
・自転車に乗って、携帯電話をしてはいけない。
・右折するときには一遍左側の道路に入り、そこで直進できるまで待たなければいけない。
こんなことを、知らない人が多すぎる。
そうした人のために、自転車の交通ルールをきちんと教える必要があるようだ。
地域によっては、自転車運転免許証を出している所もあるという。
面白いアイデアだ。
この際、小学校とかで、自転車講習会を始めたらいかがであろうか。

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2007年7月24日 (火)

間抜けで無責任な候補者“NO”

 自民党に批判的な発言を積極的にしたり、バラエティーでも“笑わないアナウンサー”で知られていた元テレビ朝日の丸川珠代氏が自民党・東京選挙区から出馬した。
 安倍総理に直接声をかけられたタレント候補“安倍チィルドレン?”の一人だ。 

近場では6年前、さんざん自民党をけなし・こきおろして無所属で当選し、舌の先が乾かぬうちに自民党に入党したテレビキャスターがいた。2人に共通しているのはジャーナリストとは無縁で、よくある「口先三寸の世界」の人と見ていた。

 予測通りと言うか、彼女はマスコミを引き連れて期日前投票に行った区役所で門前払いを喰って「自ら馬脚を暴露」した形になった。投票権が無いことが判明した。

 東大卒のアナウンサーとして放送局はそれなりの期待を込めて?2003年6月にニューヨーク支局に派遣。この時に住民票の転出届を出していた。翌年6月に帰国したが、今年4月に転入届を出すまで3年間そのまま放置していた。選挙権は転入届を出して3ケ月経過しないと発生しない。

 この間、彼女は住民税を納入しないばかりか衆議院議員や都知事選挙も放棄している。
自分が投票に行かないで、人には投票に行ってくださいと言えるのだろうか。間抜けな上に無責任この上ない事である。立候補辞退に値する大きな失策ではないだろうか。自分に責任が持てない前代未聞のこと、本人は言うまでもなく出馬を要請した側の政治姿勢が問われてしかるべき事態ではないだろうか。

 件の元テレビキャスター氏はこの春の広島市長選に出馬し惨敗した。秋葉候補を口汚く批判し「広島に元気を取り戻す」と豪語していた。当時、巷では「敗れても、参議院比例区に出馬する裏取引がある」との噂がしきりだった。しかし、流石にあの負けっぷりではだれが考えても不可能なことだった。しかし、目下の参議院選に大きな禍根を残している。
 無所属候補の事務所に「当選後、どこの党に入るのか」との問い合わせや電話でのお願いに同じような質問が多いという。彼が有権者の信頼を裏切った後遺症と言える。

 地道な政治活動や政治姿勢が見えない上、マスコミで売れた知名度だけで選挙に出馬することがどれ程乱暴で有権者に対して失礼千万なことかが伺える見本のような出来事だ。

 有権者はこうした類の候補者に厳しいご託宣の時ではなかろうか。

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2007年7月23日 (月)

アキハバラ塾

広島市が、ネットビジネスの起業家養成のためのIT塾を始めるという。名称を「広島アキハバラ塾」というそうだ。塾の経営を民間に任せるということで、塾経営の企画書と、塾長を8月3日まで募集している。
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1181709990848/index.html
広島ブログの参加者の中に、そうしたノウハウを持つ人は沢山いると思う。是非応募して欲しい。

今回のこの試みは、秋葉市長のマニフェストに書かれていたことだ。秋葉市長が着々とマニフェストに沿って、進めていることがわかる。
広島市内には、各種の情報専門学校があり、そこでも同じような趣旨の教育がされていることと思うが、広島市が敢えてこのような試みを始めると表明したことは、広島市としての産業育成の方向を、より明確に示したということでもあると思う。

ネットビジネスは、まだまだ全く未開拓の分野だ。起業チャンスはいくらでもある。新聞には毎日といっていいくらい、新しいネットビジネスが紹介されている。
ネットビジネスの最大の魅力は、家庭の主婦、落ちこぼれ、定年退職者といった、いままでの概念では、勤労弱者といわれるような人たちに、働くチャンス、起業のチャンスが開かれていることだ。
しかし、ネットを使ってビジネスを起こすといっても、殆どの人は、そしてどうすればいいのかわからず、ただ手を拱いているというのが現状だろう。
このアキハバラ塾では、そうした人たちに対し、一歩前に踏み出す手助けをしようということだろう。

私の知人に、Tシャツの販売店をネット上に設けて、大もうけ?した人がいる。そのノウハウは、様々に応用可能だろう。是非、そのノウハウを伝授して欲しい。
またブログを始めたことで、欝から立ち直った人もいる。そうした悩みを抱えた人たちに、ブログの書き方を指導することも、ビジネスになる。これはネットによる、新しい概念の社会貢献ビジネスだといえる。
袋町地区のお店が集まって、「うらぶくろ」というブログを始めた。始めて1ヶ月も経たないうちに、あっという間にベスト30に入ってきた。毎日300件以上、1ヶ月で1万件以上のアクセスがあるようだ。広告宣伝費としてみれば、恐ろしく安い費用ということになる。1万件に対し、新聞の折り込みをしようと思ったら、かなりの費用がかかる。ネットを使えば、殆どその費用は無料である。こうしたことを、各地の商店街ですればいい。
このように、このアキハバラ塾では、どのようなことがネットビジネスになるのか、どうすれば起業できるのかを学んでもらおうということだろうと思う。

このアキハバラ塾を契機にして、広島市が、いままで経験したことのないような新しい概念の都市に変貌していくことを期待している。

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2007年7月22日 (日)

傘の忘れ物

先日、電車の中に傘を忘れた。500円で買った傘だ。500円のために、わざわざ手間隙をかけて、取りに行くのも面倒と、諦めた。
つい10年くらい前は、傘は数千円もした。そこそこの高級品だった。だから忘れれば、懸命になって探し、見つかれば、即取りに行った。しかし今は、100円ショップでも売っているし、500円も出せば立派な傘が買える。歩いている途中で、急に雨が降ってきたら、つい近くの店で傘を買ってしまう。そうして、たまった傘は、会社に7~8本、自宅には折りたたみ傘をいれて10本以上もある。
電車、レストランに忘れた傘は、私自身、この10年くらいの間に2~3本はある。しかし、その傘を取りにいったことは一度もない。
JR東日本の調査では、忘れ物の傘は年間153万本になるという。広島市内では、どのくらいの数になるのだろうか。人口から換算すれば、年間数万本にはなるだろう。
こうした忘れ物の傘は、全て警察に届けられ、6ヶ月間保管されることが、法律で決まっているようだ。その6ヶ月間が過ぎても、所有者が現れなければ、取得者に返されるという。
JR東日本の調査では、その7~8割は廃棄されているという。どうもその原因は、濡れたままの状態で6ヶ月も放置していたことで、返されたときには、もう錆びて使えなくなっているということによるようだ。
その結果、産業廃棄物として、お金を払って捨てなければならなくなる。勿体ない話だ。そのお金も勿体ないが、地球環境的にもよくないことは明らかだ。
傘に限っては、6ヶ月間の保管することの義務を、1ヶ月間くらいに短縮したらどうだろうか。
傘といえども、物によっては様々の思いの篭っているのもあるだろう。そんなことを考慮しても、ネットで検索するとかの技術を導入することで、1ヶ月もあれば、なんとか対応できるのではないだろうか。

でも、こんなことは、誰に言えばいいのだろうか。
国会議員?これを読んだ国会議員の先生、是非ご検討ください。

しかし、1人で20本近くの傘をもっているというのも、これもまたおかしなことだ。我が家の下駄箱は傘で溢れている。
これはこれで、なんとかしなければいけない問題だろう。

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2007年7月21日 (土)

お勧め読書!「参議院なんかいらない」

 参議院選挙がスタートした。告示日に候補者のポスター張りを初体験した。
わが河野美代子候補者は1番くじ。8時半に真っ白な掲示板にピンク色のポスターが映え、一番乗りは気持ちいいものでした。途中、徐々にS、Mと重なりながら張って行った。旧町村の一町分1万分の64枚を2組で張り終えるのにほぼ5時間。なんと広いことか。候補者のご苦労を察し、何とかしてその一念を実現したい思いを深めた。

 全県を組織に頼らず、1月かけて個人の支持者数百名が手分けをして分担し、1日で貼り終える事が出来たのは、まず大きな成果の第一歩だ。

 河野美代子候補は「憲法と命」を守る第一声を平和公園であげて選挙戦をスタートした。
 さて、最近奇抜なタイトルの本が出版された。「参議院なんていらない」(幻冬舎新書)。
タイトルから見て不真面目なものかと思ったが、著者は元自民党参議員会長で“天皇”と呼ばれた村上正邦、小沢一郎民主党代表の知恵袋・懐刀と言われた平野貞夫それに共産党の政策委員長を務めセクハラ事件に巻き込まれて辞任した筆阪秀世の元参議院議員三人の参議院をめぐる鼎談だ。

「参議院を駄目にした元凶」を自民党の実力者である青木幹雄参議院議員会長を挙げるなど“良識の府”に大胆にメスを入れ、あるべき提案もしている。
 参議院の改革は「政党化」を排除すべきで一致し加えて、閣僚を出さない、選挙の公営化、党議拘束を外す事なども挙げている。

 また、郵政民営化関連法案が参議院で可決された際、当時の小泉首相が衆議院を解散したことについて村上氏は「参議院の良識として、青木氏は職責を賭しても解散を阻止すべきだった」と指摘するなど大胆な発言と指摘が詰まっていてなかなか面白い。

 タイトルからすると“恨み・つらみ”の満載かと思ったが、3人が参議院に寄せる思いは半端ではない。タイトルとは逆に本音は「参議院をあるべき姿に戻し、国権の最奥機関の一翼を担う参議院の存在意義を高めたい」思いが溢れている。

 ユニークな3人の鼎談は参議院選後も2弾3弾と発展すること間違いない。投票前にぜひ一読をお勧めしたい一冊である。

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2007年7月20日 (金)

アストラムラインと沿線の大学

東京都国立市は、首都圏では、最も住みたい街の一つになっている。
その国立市の街のイメージをつくる上で、一ツ橋大学、東京女子体育大学、桐朋学園の果たした役割りは大きい。
東急線の日吉駅近くの慶応大学、東武線の川越駅近くの東洋大学、志木駅近への慶応大学付属高校、西武線所沢駅近くの早稲田大学等、その例は枚挙しきれない。
鉄道沿線にある大学のイメージが、その路線のイメージを形作ってもいるといっても過言ではないだろう。

アストラムラインについてみても、今となってみると、沿線にある安田女子大、修道大学、広島市立大学、広陵高校の存在する意味は大きい。特に、白島駅、安東の駅の傍にある安田学園の2つの女子校が、アストラムライン、安佐南区、白島のイメージをつくっているともいえる。その存在が、ひいては、安佐南区のマンション建設の増加、そして沿線住民の増加を促しているともいえる。

阪急電鉄、東武電鉄の鉄道沿線では、沿線の大学が幾つもあることで、今では、それらの大学が提携して、様々の活動を始めている。そうした活動を、鉄道会社も支援をしている。
大学間での、学生の単位の互換は当然のこととして、大学の催すオープンキャンパスを、それぞれの大学が提携しておこなうことで、高校生、市民が、いくつも学校をタイミングよく見て回れることが出来るようにするとか、市民への公開講座を、それぞれの大学の教授が得意な分野を担当することで、メニューを多彩にし、市民の関心を高め、参加者を増やしている。
或いはまた、沿線の大学が共同で、新たな研究活動を始め、地域の要望に応えようとしている。

広島市内でも、アストラムラインと大学と市民との間に、新たな関係が生まれ、そこに新しい可能性が生まれることを期待したい

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2007年7月19日 (木)

被爆「アオギリ」と十七紘琴

 琴の師匠である友人の奥さん、岡本スミエさんが、被爆後、長年を得て新芽を吹いて命を再生した「アオギリ」を知ったのは、小学生の孫からだった。
巡平クンとふたりで「アオギリ」を訪ねた。
 この世の最も残酷な破壊力をはねのけて生き延びた生命力に、彼女は激しく心を突き動かされた。帰っていっきに詩を書き上げた。
 そしてこの詩の朗読の背景に、十七紘(ゲン)の琴の演奏を用いようとした。
「人の心のひだにひそむ叫びを表すにはこの楽器しかないと直感した」彼女は言う。そのオリジナルなメロディを、大阪の師匠に頼みに行った。

 十七紘の琴は、大正時代、宮城道雄が考案したもので、十七紘筝ともいう。
低音部を強調する音色で、聴いただけではとても琴とは思えない。バイオリン楽器でいえば、ヴィオラかチェロに近い。琴をたしなむひとでも、この十七紘
を扱うのは、至難なそうだ。
 録音されたテープを聴いた。重厚な琴を背景に、孫子へ伝えるべき大切な想いを感じとった。

 ことし8月6日午後2時半から、被爆アオギリのそばで「アオギリ平和コンサート」が行われる。北海道から、沖縄から、大阪からアマチュアのミュージシャンが訪れ、歌で平和を語る。彼女はその場でこの十七紘琴を演奏することにしている。

 この演奏のあとわたしは「できれば海を越えてあなたの想いを伝えたら…」と進言しようと考えている。広島の悲願「2020年核兵器廃絶」に向けて、いろいろな力を積み重ねていけば、大きな力に発展していくであろうことを確信して

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2007年7月18日 (水)

米国人理事長はミュージシャンだった!

 七夕の夜、原爆資料館東館地階のメモリアルホールをロックや和楽器、エスニック・ミユージックが包んだ。

 米国の元副大統領アル、ゴアの提唱で展開された「LIVE EARTH」―ストップ地球温暖化の危機―に協賛して開かれた「EARTH PEACE 広島―長崎」の会場は若者から初老の人まで幅広い年齢層の人たちが会場を埋めた。何より目を引いたのは外国人客の姿だった。

 世界の6大陸10都市を結んだ24時間ライブにはマドンナをはじめ100組を超えるアーィストがボランティア参加し100万人の観客を動員し、テレビを通じて20億人が鑑賞した。入場料やTVの放映権料は総て運動の基金に積み立てられる。

広島市長が会長を務める平和市長会議がこのコンサートの趣旨に賛同してNGOパートナーになったことから広島でも環境と平和をテーマにミニ・コンサートが開かれた。
 
 主催者である平和文化センターのリーパー理事長の「核兵器が使われたら環境問題の解決は不可能になる。核廃絶と地球温暖化は一致した課題だ」とイベントの趣旨を訴えて元気の良いコンサートが始まった。
 長崎のロックバンド、地元広島の琴と篠笛、エスニック・ユニト。3つのグループがそれぞれ個性的な演奏とトークを披露した。会場は演奏合間に世界各地のLiveを大型スクリーンに投影しながら盛り上がった。3グループのセッションはエレキギターに琴と民族楽器の特性を生かしたコラボレーションで手拍子が入る実に楽しいコンサートになった。
 
 驚いたのは長崎のグループの演奏の中でギターを抱えて現れたリーパー理事長だ。5人のメンバーの真ん中に陣取って「英語の歌で広島をうたった歌はこれだけです」と[Peace]を歌い始めた。そして会場に「Peace Peace・・・」の合唱を誘い、「…平和よ、平和 戦火を消して 平和をください・・・」と見事に歌い上げ大喝采を受けた。

 会場入り口に用意された七夕の笹竹には“核はいらない”“身近なことから始めよう”“節電”など参加者の環境保全に寄せるメッセージを書いた短冊が飾った。
 
 以前このブログで“漢字が読める”と紹介した理事長は何と立派なシンガーでもあった。多才で真面目な米国人平和活動家が秋葉市長の右腕として、世界市長会議の「2020
ビジョン核廃絶」に向けて繰り出す取組みと手腕が楽しみであり期待される。

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2007年7月17日 (火)

新藤兼人監督の遺言

 「陸に上がった軍艦」の試写会を見た。
新藤兼人監督が自身の痛切な戦争体験を最下級兵の目線で戦争を告発したドキュメンタリー・ドラマだ。

 新藤兼人監督は日本映画界で最高齢95歳の現役の監督である。広島に生まれ映画界に入って73年、一貫して戦争や原爆を通して世界の不条理を追求してきた。(6月11日当ブログ掲載)
 その監督が「言っておきたいことがある」と自らの戦争体験をスクリーンで初めて証言したいわば「新藤兼人の遺言」である。

 監督は長年“新藤組”で助監督として新藤監督を支えてきた山本保博。監督デビュー作。
新藤監督は終戦前年の昭和19年春に32歳で召集され、呉の海兵団に二等水兵として入隊し、翌年宝塚海軍航空隊で上等水兵として敗戦を迎えた。一緒に入隊した100人は大部分が戦地に散って終戦時には6人だけになった。

 映画は当時の様子を証言する新藤さんをカメラが追うドキュメンタリーと新藤さんの体験をリアルに再現したドラマで構成している。
1年半の兵役のうち1年は徹底的に軍人精神を叩き込まれる。18~9の士官が30歳を過ぎた新兵を殴り蹴る体罰を喰らわす。
 
 戦地に向かう前の兵士が妻からの手紙を見せた。「今日はお祭りですが、あなたがいらっしゃらないので、何の風情もありません」と書かれていた。
新藤証言は「残った妻の人生も破壊され、何もかも破壊される大きなことがその個人には起きているが、大局から見れば一人の兵士が死んだということなんですね。戦争とは要するにそういうものなんだ」と下級の兵士のしかも個人に目を向けて戦争をえぐる。

 戦記物の読み物は多いが弱者の記録はないと新藤さんは言う。なぜなら、彼らはタコつぼの穴を掘り、殴られ、雑役に追い回されただけだからだ。そんなみじめな戦記をだれが書くか、思い出したくないのだ。戦争そのものを・・・。

 海軍に入隊し一度も艦船上で海軍らしい訓練をすることがなく「陸に上がったカッパ」同然の海軍は戦争の不条理だけが優先し階級が幅を利かし、下級兵士の目にも悲しくも哀れな存在であった。戦争能力を失った「陸に上がった軍艦」であった。
 東京では7月末から広島では9月初めからシネツイン(本通り)で上映。若い人にぜひ見てほしい作品だ。
 このところ「蟻の兵隊」「戦争をしない国 日本」「日本の青空」「ヒロシマナガサキ」そして「陸に上がった軍艦」と戦争や核開発を告発し平和憲法を擁護する作品が続く。
 いずれも心を打つ作品ばかりだ。

 こうした作品が生まれる背景は今われわれを取り囲む現状にあることを敏感に感じなければならないし、より多くの人に見せる工夫を凝らせねばいけない。

 参議院選挙を控え、改めてその思いを一層強くする。

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2007年7月16日 (月)

環状線を創る

―歩いて暮らせる街

広島市では他都市に比べ、路面電車、アストラムライン等の公共交通機関が、それなりにきちんと整備されている。
公共交通機関が、それなりにきちんと整備され、街の中心部の歩いていける範囲に公共施設、商業施設が集積している街には賑わいがある。
デパート、県庁、市役所、オフィス、マンション等の集積している紙屋町、八丁堀、流川地区の賑わいは、広島市の誇るべき貴重な財産となっている。
車主体の都市にはこうした賑わいはない。

しかし残念なのは、広島市内を走る交通機関がすべて放射線状にあることだ。
広電も、アストラムラインも、バスも、郊外と中心部を結ぶだけの路線になっている。JRも同様だ。
これでは、交通機関としての効果は半減する。
利用者の利便性を高め、より住みやすい街になるためには、公共交通機関が、街を面的にカバーしていなければいけない。
そのためには、鉄道、バスの路線と路線とが繋がり、ネットワークされ、相互の乗り換えがスムーズにできるようになっていなければいけない。
そのネットワーク化することの緊急性とその効果が今最も高いと思われるのは、JR山陽本線とアウトラムラインの乗換駅となる新白島駅計画だ。
新白島駅計画は、本来アストラムライン建設時に、建設されていなければならないことであった。
そのときは、そのときの事情があったのだろう。
それをいまさら、とやかくとやかくいっても仕方がない
このような結節点を作ることは、当然線を作ることに比べたら、遥かに安いに決まっている。
新白島駅の建設は、ビジネスでいうコスト・パーフォマンスはいいのである。

そしてもう一つ、路面電車とバスはできるだけ環状線にすべきだ。
環状線は自己完結型のネットワークといえる。
その効率の良さ東京の山手線をみれば、だれでも感覚的に理解できることと思う。
広島市の市街地は1辺が4キロの街といわれる。
理屈では、その内側に1辺2キロ、計8キロの路面電車を走らせれば、全ての地点に、1キロも歩けば、行けることになる。

路面電車を、狭い範囲でもいいから、環状線とすれば、利用者の利便性は大幅に向上する。
そして環状線が一つあれば、放射状になっている路線との間に結節点ができることになる。
高架の道路をつくるのに60億円/キロくらいかかるが、路面電車の路線はその10分の1くらいでできる。地下鉄は10倍だ。
これからの広島市にとって、必要なことは、道路を作ることではない。

これから必要なことは、広島市内の各種の公共交通機関を繋げ、ネットワーク化することだ。
交通機関は、インターネットと同じで、“繋げば繋ぐほど価値が出てくる”のだ。
いまからでも遅くはない。

このようにして、公共交通機関の利便性が高まれば、皆が公共交通機関を使うようになることも期待できる。
“繋げる”ことがこれからの時代のキーワードだ。

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2007年7月15日 (日)

渋滞?

「広島市の道路の渋滞は酷い。道路長も政令指定都市の中では最も短い。道路整備の遅れが、街の発展を妨げている
州都になるためには、道路の整備が不可欠だ。」という発言をよく聞く。
渋滞が酷いといっても、東京の渋滞に比べれば、広島市のそれは渋滞の内に入らない。
東京では、人と会う時間の約束をしたら、殆どの人は、車を使わない。電車に乗る。車に乗ったら、それこそ何時に着くかわからなくなるからだ。早めにと出かけると、そんな時に限って早く着き、1時間以上も待つ羽目になる。近くのカフェで時間つぶしをせざるを得なくなる。
朝9時頃に会う約束をしようものなら大変だ。朝の渋滞時間に巻き込まれたら大変と、車は、5時ごろ自宅を出なければ、何時に着くかわからなくなる。
大企業の役員で、専用の社用車があっても、車には乗らず、電車に乗っていく。社用車は、前日に都内に入り、近くの駐車場に停めておく。そして当日は目的の会社の前に、予めその社用車を回してもらう。本人は相手先の会社に着いたら、その前に停まっている車にコートを預け、相手先に届ける荷物を取り出す。
飛行機に乗る予定がある時は、それこそ絶対に車には乗らない。そんなことをしたら、車に乗っている間中、飛行機に間に合うかどうかの心配をしていなければならなくなる。
先日行われたTBSの株主総会では、その前日から、役員を含めて担当者は全員、会場となるホテルに泊り込んだという。万が一にも、渋滞に巻き込まれて、遅れてはいけないという配慮からだという。担当者といってもその数は相当な人数になったはずだ。
広島市内の渋滞が酷いといっても、こんなに酷いことはない。大体何時ごろには着くかということくらいの予測はできる。

「渋滞のないところに、街の賑わいはない」という言葉をご存知だろうか。
渋滞があるところは、それなりに人々が集まってくるからであり、そこには街の賑わいがあるということだ。
自動車の街といわれる愛知県では、道路も充分に整備され、車での生活が定着したことで、人が街を歩くことがなくなり、街から賑わいが消えてしまったという。賑わいのあるのは郊外の大型SCだ。日本がお手本とした自動車の国、アメリカでは、街から賑わいが消えて久しい。古い街に残っているのは犯罪だけという現象が起きている。それでは益々人は街にいかなくなる。
渋滞を消したら、一緒に街の賑わいも消えてしまったということだ。
車を持つことが、ステイタスのシンボルであり、アメリカ型生活が理想であった時代は、とうの昔に終わった。アメリカ型社会を目指すことは、もう止めるときに来たのだ。しかしまだまだその幻影にとらわれている人が多いことは、なんとも困ったことだ。

地球環境問題からも、街の賑わいを取り戻すということからも、住みやすい街をつくるということからも、今求められていることは、車社会から脱皮することだ。
広島市では、もう充分な道路整備がされた。そう認識すべきだなのだ。
強いて必要な道路を挙げれば、市内を通過する車の迂回路を作るくらいである。それも今工事中の高速道の建設区間だけで充分だ。それ以上の新たな道路の建設は必要ない。

そのためにも、その受け皿となる公共交通機関の整備をどのように進めるかが、これからの課題だ。

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2007年7月14日 (土)

邪念の果てに目からうろこ

「ん?財政問題講演会?」行こうか行くまいか、一瞬邪念が働いた。仕事を終えて6時過ぎ、思いっきり背伸びして「さあ、一杯」という時刻だ。
邪念を振り切るようにして会場へ向かった。120人の客席は、いっぱいだった。

スライド(今はそうは言わないらしい)を駆使して市長は流暢に説明した。
プライマリーバランスの骨格、現市長が前任を引き継いだ前後の市財政の借入返済の経緯、累積赤字をゼロに近づける努力へ話が進んだ。いかに歳出を抑え、
歳入をはかるか、市長はもとより心ある市幹部や職員の心血をそそいだ努力に想いが及ぶ。
 とりわけ印象深かった話は、公共事業の談合問題だ。巨大建設業者がいかに公共事業を喰い物にしていまにのし上がったかは、こどもでも知っている。広島市は、血税を喰いものにさせてはならないとの思いから、「広島では談合はできない」と業者に言わせるほど、公正な入札へのてだてを尽くした。
 一方で、公共事業の見直しをはじめ、事務作業の点検、人件費の削減など
自分たちの体にメスをいれることも含めて躊躇なく改革を進めていった。

問題は国の「三位一体改革」の名のもとに進められる地方切捨ての政策である。
知っているつもりながらあらためて唖然としたのは、「見直し」の名のもとに行われた県の補助金の打ち切りである。
 「乳幼児医療費」「一人親の医療費」「重度身障者医療費」のいわゆる「弱者」
を対象とした年間5億円にも上るカットである。市長は言う「乳幼児は声をあげません。一人親も弱い、障害者も主張しません」そうした物言わぬ弱者を一方的に切り捨てた。しかも、県内他都市は対象外で、広島は政令指定都市だからという理由だけで、カットするという。でも広島市民も平等に「県民税」を納めているではないか。なぜ…?

 自治体財政の仕組みと運営については、一般市民のとってなじみが薄い。
なにせ桁が違うし、難しすぎる。でも源はわれわれの血税だ。あらためて説明を聞いて、納税者はもっと賢くならなくては…との思いを一層強くした。
昨夜は120人の聴衆で、120万市民の0・01%である。今日の話を100倍の1%の市民が聞いたら、恐らく広島は変わるだろう。

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2007年7月13日 (金)

さえない県知事の暴挙

 秋葉市長の講演「夕張化を防いだ広島市の財政と国の三位一体改革」を聞いた。

広島市の財政がなぜ厳しいのか。改革の背景から道筋、累積赤字の解消と財政健全化の取り組みの過程を具体的な事例を引いての説明で理解を深めることができた。120席の会場は満席で熱心な質疑も交わされた。

 国の三位一体改革に絡んで多少知ってはいるつもりになっていたが改めて県の対応に腹立たしさを超えた強い怒りを感じた。

 三位一体は国が基礎自治体に税源を移譲する代わりに県も補助金をカットしたり地方交付税を削減する。広島市で見るなら税源移譲で74億円の市税が増えるのに対し使用が指定された国庫補助金は70億円減額になる上自治体の判断で自由に使える地方交付税は200億円の大幅減額になる。加えて県は乳幼児医療費・ひとり親家庭医療費・重度心身障害者医療費の補助金カットを決めた。この額は毎年5億円のカットを続けて平成22年には22億円に達する。

 県の方針は広島市に相談することもなく一方的に「政令市は県と同格」と言う理由で通達された。従って、他の市町村には従来通り交付されるが広島市は県がカットしたからと言ってこの制度を止めるわけにはいかない。

 所でこの財源は県民税である。県民のうち40%の広島市民から徴収した税金を一方的にしかも社会的に一番弱く何かと困難な家庭の人たちにしわ寄せされることになる。しかも、15の政令市の内で、3年間で全額削減しようとしているのは広島県だけだと聞くと「何を考えているのか藤田知事」と言いたくなる。知事の暴挙と言わざるを得ない。

 選挙で湯水のように金をばらまき、元秘書などに証言を拒否されて「手立てを失った」として自らの政治資金不正事件の真相解明を放棄して居直った県知事。
県民から笑われ県庁職員から「恥ずかしくて県庁職員と名乗りたくない」とまで言われている情けない知事がどうしてこんな弱い者いじめを発想するのだろうか。広島市は来年度以降、補助削減を中止するように粘り強く県と交渉してほしい。市民も怒れ!

 それにしても県政・市制記者クラブの皆さんはどこに目を向けて取材しているのだろうか。こんな事実を知らない訳はない。記者諸君、目を見開いて“社会の木鐸”(死語になっているのか)としての役割を果たして頂きたい。 

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2007年7月12日 (木)

「アメリカ原爆展」に強い助っ人

 アカデミー賞のドキュメンタリー映画賞受賞の在米日系三世スティーヴン・オカザキ監督の最近作「ヒロシマナガサキ」(米タイトル:白い光、黒い雨、あの夏の記録)の試写会が開かれた。
 監督は英訳の「はだしのゲン」を読んで触発されて初めて広島・長崎を訪ねて以来四半世紀、多くの広島、長崎関連の作品を発表してきた。

‘82に第一作「生存者たち」を発表。’91には日系人強制収容所を描いた「待ちわびる日々」でアカデミー賞ドキュメンタリー映画賞を受賞した。
 オカザキ監督は一貫して被爆者に目を向け「原爆投下は戦争終結を早め、日米両国民の命を救った」との認識が強いアメリカで映像を通じて核の脅威を訴え続けてきた。

 新作「ヒロシマナガサキ」は監督が広島・長崎に取り組みだして25年、取材してきた500人を超える被爆者の中からピックアップした総括作品だ。14人の被爆者のあの日とその後の体験と原爆を投下したエノラゲイの搭乗員や原爆の開発に関わった科学者ら4人の証言が中心。 キノコ雲の上と下に位置した人間を軸に貴重な歴史的記録映像を交えてヒロシマナガサキの真実を描いている。

 貧しさと悲しさと寂しさに負けて自殺した妹を通して逆に勇気と希望を持って生きることを教えられた姉。同情も後悔もなく、一刻も早く戦争を終わらせたかった米軍人。
 被爆者の想像を絶する心身の苦しみ後遺症の恐ろしさと向き合って、生きる勇気と人の尊厳を深く受け止めた映像は、観る者の胸に迫る90分の作品。

 広島市はこの夏以降再来年にかけてアメリカ50州の各2ケ所とワシントンDCの101都市で「原爆展」の開催準備を進めている。世界市長会議加盟の1651都市中100近いアメリカの都市が参加しているが、開催は決して容易ではない。

 映画「ヒロシマナガサキ」の一般上映は8月5日(日)広島国際会議場で18時半から、
18日から31日までシネツイン1(本通り)で上映され、県内でも学校や公民館などでの上映会も計画中だ。(シネツイン082-241-7711)
 
 アメリカでは8月6日夕からは全米4千万世帯の視聴契約を誇る有線TV最大のHBOが放送する。この日から繰り返し当分の間放送される。アメリカ国内ではかつてない試みがテレビを通じてどのように受け止められるか興味深い。「原爆展」開催の強い助っ人になることは間違いなく、成り行きを期待して見守りたい。

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2007年7月11日 (水)

広島記者塾の設立を!!

 広島マスコミ九条の会結成2周年記念の集いに参加し、
いろいろ考えさせられた。
 特に胸に響いたのは、締めくくりの平岡代表の挨拶。
「史上最低の内閣、それに対しマスコミは怒らない、国民も
怒らない。戦時下、すべての新聞は、”鬼畜米英”とか”ざまあ見ろ”
といった、読むに耐えないような記事で戦意高揚を煽った。
中国新聞も例外ではなかった。
 そうした記事は恥ずかしいが残っている。そんな先輩たちの
仕事を振り返りながら、今こそ後輩たちにジャーナリストの使命を
引き継ぐ取り組みをすべきではないか。
 「そうだ!現場の塾だ!」と思った。出来るところから始められないか、
と思う。
 さらに、集い全体で感じたのは、現状分析、運動の展望について、
人間の「顔」が浮かばない、ことだった。
 例えれば、出来上がった「農作物」についての論評はいろいろされるが
それを産み育てる「畑」についての分析がない。地質のこと、肥料のこと・・・。
 論説や記事は誰かが書いている。番組やニュースも誰かが企画し制作
している。
 どんな仲間がどんな理想と制約のなかで、仕事を進めているか、あるいは諦めているか。
ジャーナリスト出身の、多くの人脈をお持ちであろう識者は、文献資料など
の活字とともに、現場の生産者の肉声を精力的に取材し、メディア現場の展望
を示唆して欲しい。
 ジャーナリストとしての使命を考えるとき、私には浮かぶ「顔」がある。
城戸又一氏、東大新聞研究所所長時代聞いた最後の退任講義。
「私は、言論の自由を守るために、クビしか賭けられなかったが、君たちはイノチを
賭けて欲しい」。毎日新聞論説委員のとき、戦後の講和条約で「全面講和」を譲らず
社を辞したひとだった。
 報道デスクの日々を克明に記録し続けた、大和田次郎こと原寿夫氏。さらには、
「竹ヤリでは勝てない。と書いて弾圧を受けた毎日の記者、新名丈夫氏。などなど
報道陣というより言論人。少なくともテレビ局から声がかかるのが嬉しそうな方々
とは違った先輩が、私の青春時代のともし火だった。
 「ひと」に学び、「ひと」と腕を組み、自分の頭で考え、自分の足で歩く、
その原点を考え直す集会であった。

 訴え(講義ではない)の実感と迫力はそこから生まれる。

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2007年7月10日 (火)

「記者クラブ」って(4)

 広島県庁の記者クラブは、警察のそれより品性は高く、記者たちはよく机に向かっていました。
 県庁担当記者は、教育委員会と、広島県議会を掛け持ちしていました。特に
当時の県議会は、歴代最大といわれる西田氏が、長年議長の座に君臨していました。
 自分の生きてきた道の対極にいる相手でしたが、私は30代、彼は70代と世代が大きくかけ離れているせいもあって、さほど反発感もなく、よく議長室を訪ねました。思いも及ばぬ裏の世界のエピソードを聞かされて、たじろいだことも再三でした。とても記事にはできない意外性ととっぴさを含んでいたからでした。無防備なところへ懐にとびこまれ、銃の引き金に指をかけられない猟師といった類です。
 その話は、刺激的で生涯忘れることのないものですが、今は亡き故人の尊厳にも配慮して、2つほどご紹介しましょう。

 ロッキード汚職で、時の宰相、田中角栄がその罪状で追い詰められているさなかでした。西田議長は、私が思いもつかない独特の発想で、田中角栄をかばうのです。「角さんはなあ、アメリカから両手いっぱいに砂を持って帰り、日本全土にばらまいたんじゃ。その手をはたいても多少は砂が手についている。あんたらは、そこまでとがめるんか」…あぜんとして反論できませんでした。
 西田氏は、議長のかたわら、警察商工労働委員会の委員長を務めていました。
私は、「何で建設委員会でなくて、警察委員会なんですか」とたずねたところ、
すかさず彼は「わしゃ、あんたらマスコミとケイサツを除いて怖いものはなにもないんじゃ。建設委員会におらんでも金はどこからでも入ってくる。」またも
私は、二の句がつげませんでした。

 このように彼はマスコミ対策として前述の料亭「新月」の豪華接待を毎年行ってきました。私と中国新聞社のデスクは相談の末、この悪しき接待をやめさせようということになり、議長室を訪ねた。「議長、あなたの地元の酒造会社の酒かすは、郷土愛を感じるので遠慮なくいただく。料亭と高級酒の土産はやめていただきたい」 以外にも、彼はすなおに了承してくれました。
 あれほど無防備に懐に飛び込んでくる権力者は、あとにも先にも彼をおいて
ほかに知りません。警察の実力者に対し、金、天下り、酒、女とあらゆる手練手管をもちいて篭絡した話も聞きました。何一つ原稿にできませんでしたが政界の裏、権力者の手筋、手の内をたっぷりとみせてもらいました。いつかまた。

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2007年7月 9日 (月)

「記者クラブ」って(3)

 「記者クラブ」の部屋に入ることができるのは、登録されている加盟記者と、広報担当者、会見者、それに世話係の職員(大半は女性)だけといってよく
一般の人が入ってくることは皆無です。
それゆえに「記者クラブは聖域か」という批判も浴びました。
 記者クラブには、牢名主のような古参の記者が何人か決まっていました。
広報の職員を、あごで使うようなこともしばしばありました。「記者会見」が
もたついたり、要領を得ないようなとき、彼らは「本部長を呼べ」「知事を呼べ」
と怒鳴りつけ担当者を泣かせたものです。
 若手記者の中にも、父親のような官庁の幹部職員から丁重な扱いをうけてふんぞり返る勘違い者もいました。

 年末年始、警察の記者クラブは、忘年会や新年会のラッシュでその日程調整が大変な仕事でした。とくに、県議会の忘年会は、桁外れの豪華なものでした。
市内最高の料亭「新月」で宴会を催し、帰りには袋いっぱいのお土産を頂戴して帰ったものです。おそらく当時でもひとり数万円のもてなしであったでしょう。紙袋の中には、「靴下」「高級洋酒」になぜか「酒粕」が入っていました。
 この宴会は、のちほど良心的な幹事記者たちによって廃されることになります。

 こうしたなかで、現状に疑問を抱く若手記者たちの中から、職能の組織が
作られます。「日本ジャーナリスト会議広島支部」で、戦争のために再びペンとマイクを握らないという不戦の誓いのもと、正義の活動を展開していきます。この記者クラブの枠をこえた活動は、権力側からはもとより、政党、被爆者運動、当時活発だった公害闘争のひとたちなどから注目を集めました。地域ジャーナリズムの確立、とりわけヒロシマ報道の追求に大いに貢献したのです。活動の成果と記録は、膨大なものがあり紹介しきれませんので、ここでは省略します。

 この「日本ジャーナリスト会議広島支部」はいまも活動を継続しており、今年は、40周年を迎えます。

 つぎは、お隣の県庁記者クラブを覗きます。

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2007年7月 8日 (日)

大物政治家

 歳をとると変な夢を良く見る。
地方記者時代、大ベテラン政治家が郷土入りした。
「解散近し」の雰囲気で、記者仲間が相談し、その政治家に
「先生、解散が近いようですが、顔写真を撮らせていただけませんか」
と申し入れた。帰ってきた返事「オヤオヤ、そんな情報があるんですか、
聞いてませんナ〜」と、軽蔑の眼差しで田舎記者はけんもほろろの
対応を受け、後味の悪いこと・・・・。
 程なく大先生は総理に、しかしいろいろあって、今日にも内閣不信任が
可決しそうな事態の早朝、テレビ各社が自宅前に殺到、ゲタ履きで現れた
ご本人「オヤオヤ、皆さんお揃いで何事ですかナ・・・」とオトボケ。実に
国民をバカにした話。
 ある地元テレビ局が選挙企画として「ハダカの候補者」といった番組を
企画した。「財布の中身は?」「そのネクタイを選ばれたのはどなた?」
といったまことに次元の低いインタビューで候補の素顔を伝えようと
いうテレビ的な企画のハシリで、大方の候補陣営の内諾を得ていたが、
録画直前になって「大先生」ひとりに謝絶され、企画は流れた。
 なぜいま、こんなへんな夢を見たのか分からない。
 知性・人格ともに百パーセント完全な人はいないが、いくら正しく素晴らしい
識見を示されても、それはそれ、軽蔑されバカにされた田舎記者は、そのことを
忘れることが出来ない。
 くどいようだが、これはあくまでも夢。決して体験などの証言ではない。
今になって、なぜこんな夢を見たのか、年とともにボケが進むのか。

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2007年7月 7日 (土)

「記者クラブ」って(2)

 私が、広島県警察本部の記者クラブ詰めになったのは、だいぶ遅く、30歳を過ぎてからでした。夜討ち朝駆けといわれる多忙な世界では、若くないと勤まりません。着任してまもなく、総務系の管理職と名刺を交換した際、彼は「お宅のお嬢さんは、○○幼稚園で可愛い娘さんと評判だそうですね」といわれました。
 聞きようによっては、相手を持ち上げたようにとれますが、私は、そうは受け取りませんでした。「お前のことは、何もかも調べ上げているんだぞ」と聞こえたのです。

 警察担当記者は、裁判所や自衛隊、消防署、第六管区海上保安本部などを
あわせて受け持っています。デスクに「六管へ行ってきます」といっては、宇品の競輪場で遊んだことも白状しておきます。
 大概の記者クラブには、麻雀卓、碁盤、将棋盤、花札が置かれており、お堅い庁舎のなかで麻雀牌の音が、昼日中から響いたものです。

 海田の陸上自衛隊であったことです。Kという期待の13師団長が着任した
時の記者会見だったと記憶しています。話が進んだところで、突然時事通信社の若い記者が立ち上がり、「その机の下の風呂敷包みは何だ!」と叫んだのです。あわてた事務局員が、その包みを抱えて弁明しましたが、それは録音機でした。6~70年代の激動期、権力側は、記者たちのほとんどは、「アカ」つまり「新左翼」か「共産党」かその「シンパ」と見ていたのでした。こうした権力側とクラブ側のつばぜり合いは、たびたび起こりました。
 余談ですが、いま自衛隊の情報収集が問題視されていますが、警察、自衛隊の情報収集は、当然の業務で今に始まったことではありません。

 では、「無冠の帝王」であるはずの記者側には問題がなかったのか、次回は、自己批判も含めて具体例をお話しましょう。

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2007年7月 6日 (金)

「記者クラブ」って何?(1)

 「記者クラブ」という特異なシステムは、日本と韓国にしかないそうです。しかも韓国は近年、日本を模して取り入れたそうですから発祥の地は日本です。
 この「記者クラブ」をめぐって、最近日韓両国で問題提起がありました。
日本では、あの東国原知事が「定例記者会見は必要か?何かあった際その都度行えばよいのではないのか」と発言しました。韓国では、メディアと何かとギクシャクしているノムヒョン政権が、中央官庁の統廃合を提起してメディア側の反発を招いています。
 東国原さんは、根っこでは「記者クラブ制度」に疑問を抱いており、ノムヒョンさんもメディアの執拗な攻勢に辟易としているようです。

 「国民の知る権利」「報道の自由」は、戦後の民主主義の急成長のシンボルとして国民の間に浸透し、司法・立法・行政に次ぐ第四権とさえ位置づけられるようになりました。
 新聞記者は古くから「無冠の帝王」と呼ばれ、戦争や政治権力に対峙するジャーナリズムは「ペンは剣よりも強し」という世界共通の諺で評されていました。
 こうしたジャーナリズム近代史のなかで、特に「記者クラブ」がつくられたことをどうみたらいいのでしょうか。
 報道機関は、権力の中枢に入り込んで、その使命である権力監視の役割を発揮したいと考え、権力側は、便宜供与をはかりながら報道機関を手近にたぐり
寄せてとりこもうという、双方の思惑が一致して産まれたものといえるでしょう。
両者は、奇妙なもたれあいと、時に小競り合いを繰り返しながら今に至りました。
 私の知っている「記者クラブ」は3~40年まえの古い時代です。いまは、多少変わってきているかもしれませんが、本質は変わっていないと思います。
市井の人が入ることのできない「記者クラブ」ですが、ちょっと覗いてみたいと思われませんか? 

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2007年7月 5日 (木)

死刑論とヒロシマ

 8年前に光市で起きた母子殺害事件の差し戻し審の集中公判が広島高裁行われた。
 犯行時に18歳だった被告は26歳になり「殺害行為は全くありません。事実無根です」と1、2審で争わず最高裁でも認定した殺意と乱暴目的を一転して否定した。
 連日、新聞もテレビのニュースやワイドショーは大きく取り上げた。

 法廷に陣取った20名余の被告弁護人は「死刑廃止論」の立場に立った弁護士達だという。
この裁判を「死刑廃止運動」の一環とでも考えての弁護活動なのだろうか。
しかし、妻といたいけな娘を奪われた被害者遺族の本村洋さんの「絶対に許せない。死をもって償われるべき」に世論の大多数は傾き同情していると思われる。

死刑に対する世論調査がこれまでに示してきた一般的な賛否は賛成が80%、反対派10%前後と死刑制度の推進派が多いと言われている。

 私は死刑制度の推進者ではない。殺人者は死をもって償うべきだとは考えていない。
むしろ、死刑は国家による合法的な殺人と考えている。
  
 世論が死刑制度を支持するのには現行法では死刑に代わる恩赦や仮出獄がない重い刑、終身刑が無い為である。無期懲役と言っても10年もすれば仮出獄したり恩赦で減刑されて予想外に早く社会に復帰する現行の法体系では不安が大きいのは当然である。

 死刑廃止論者がこうした問題を解決する努力をしないで現行法の枠内で「死刑廃止」を前提にした法廷闘争をすることは一般的に国民の理解を得ることは難しいだけでなく、誤解を生みかねない。
 
 ヒロシマは原爆投下に対する被害をいまだに謝罪すらなく“リメンバー・パールハーバー”を公言する人の多い米国に「恨みや報復を超えた和解の精神で乗り越え“核廃絶”という人類の悲願」を目指している。戦争は最大の殺人行為であり「目には目を歯には歯を」という考え方はもはや文明国家のやることではない。

 戦争被害や殺人被害の追体験をどれだけ出来るか難しいが、改めてヒロシマに学ぶことが大切に思えてならない。

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2007年7月 4日 (水)

一見 平穏な家族

―良い子・悪い子・普通の子(2)

近頃、家族の間での会話がなくなっているという。
本人の子供は、病気になって保健室に通っているのに、そのことを親にいわない。
もう入院しなければいけない状態になっているのにいわない。
親に、心配かけてはいけないという配慮からだそうだ。
こうした状態が高じると、親子間で携帯のメールで遣り取りするようになる。
一見妙に平穏な家族がそこにいる。
「良い子」の仮面を被った子がそこにいる。
良い子でずっといられれば、それにこしたことはない。
しかし極限を越えたとき、爆発する。
もうそのときは、手遅れということになる。

ネット社会の怖さは、こんなところにもある。

日常的に直接顔を会わせ、話しをしていれば気づいたことが、メールでは、そうした変化に気がつかない。
しかし実は、一皮めくれば、そこには深刻な問題が隠されていることが多い。

メールは建前と本音を使い分けることを可能にした。
しかし建前と本音の使い分けは、そう簡単なことではないはずだ。

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2007年7月 3日 (火)

元宇品の原生林

元宇品の広島プリンスホテルを囲むようにしてある森は、人の手が全く入っていない原生林である。
にょきにょきと捻じ曲がり、巨木になっている樹も多い。
こんなすごい森はめったに見かけない。
それは国立公園特別保護地区に指定されているからであるという。
国立公園には普通地域と特別地域とがあり、その特別地域の1部が特別保護地区として指定されている。
通常、特別保護地区は、近づくだけでも大変な場所にある。
「特別保護地区とは、国立公園特別地域内でも特に重要な地区。特別地域で許可が必要な行為に加え、木を植える、家畜を放牧する、たき火をする、全ての動植物の採取・損傷(落葉や枯れ枝も含む)などに許可が必要となる。ただし学術目的や地域住民の生活に必要な行為でなければ許可されることはほとんどなく、実質的に「禁止」と考えてよい。また、これらの地域では盗掘を防ぐ為、植生などのマップの公開を禁止される場合がある。」と記されている。
それほどの厳しい規制を受け、価値が認められている特別保護地区が、ここでは街の中といっていい場所にある。
それも普段の生活のなかにある。
政令指定都市の、それもこんな街中に、国立公園特別保護地区がある例を他には知らない。
広島市の市民は、どうもその素晴らしい価値にあまり気づいていないようだ。
当たり前のこととして受け止めてしまっている。
“もったいない”ことだ。

その原生林の中に、自動車の走る道路までつくってしまっている。
その素晴らしい価値を自ら壊してしまっている。
特別保護地区とはいい難い状況にしてしまっている。

この際、車の乗り入れを禁止するだけでなく、このアスファルトの道路も撤去したらどうであろうか。
人だけが歩く路に復元し、全域を原生林に戻すべきだ。
岬の木立のなかにある白い灯台も美しい。
その脇にはエコロジカルなトイレも設けられている。
国立公園特別保護地区に相応しい対応をすべきだ。

自然史博物館の建設の運動もあるが、この元宇品の原生林全域を自然史博物館としたらいい。
西側のビーチには、使われなくなった広島大学のヨット部の建物が放置されている。
ここをセンターにして、公園全域を自然史博物館として整備するとしたらよい。

政令指定都市広島市にとって、得がたい環境の価値を高める工夫をすべきときにきているようだ。

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2007年7月 2日 (月)

「→」を道路面に描く

大手町通りは、北から南への一方通行であるが、時々逆走している車がある。
そんな車をみると、他人事ながら、ドキッとする。
時々交差点の角に立っている警官を見かけることもある。
なにか事件かなと思って、まわりをキョロキョロ見回すが、どうもそうではないということが最近わかった。
逆走する車を捕まえるために立っているようだ。
そのくらい逆走する車が多いということは、それだけ一方通行になっているということが、解りにくいということであろう。
平和大通りを挟んで、南にある通りは南から北への一方通行となっている。
交差点を挟んで、一方通行が逆になる道というのは、市内あちこちにある。
それにしても、ここは特に解りにくい。
逆走した車が悪いといっていては、問題は解決しない。
ここで、一方通行の道の指定の仕方ついては、もう一度見直しをすべきだろうということもできるが、
逆走していることを、気づかないというのは、交通標識そのものが、そもそもおかしいと考えるべきではないだろうか。
進入禁止のマークがあっても、進入時にそれを見落としたら、そこから後は、なかなか気づきにくい。
ということでは、例えば、道路面に「一方通行」という字を書くとか、或いは、「→」を描くというのはどうだろうか。
道路に分離帯の白線が描かれていれば、双方向だということは、すぐわかる。
道路の真ん中に「→」が描かれていれば、一方通行だと理解できるのではないだろうか。
道路面に「一方通行」と文字が描かれていれば、もっと親切であろう。
是非検討してほしい。

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2007年7月 1日 (日)

慰霊碑巡りのガイドマップを

平和公園周辺には数多くの慰霊碑がある。広島市観光コンベンションビューロー発行のガイドマップには、平和公園周辺には合わせて65ヶ所の慰霊碑あると書かれている。しかしそれだけでなく、平和大通り、中電本社ビルの前、基町の河畔、その他、街の中にもいくつもある。それらを合わせれば、その数は悠に百を越えると思われる。
慰霊碑の脇を通ると、なんとなく気になり、ときどきそこの書かれている文字を読むことがある。読む度に、改めて原爆の悲惨さ、亡くなった人々へ思いと平和への願いの強さ感ずる。
こうした慰霊碑に囲まれて生活していると、感じ方も旅行者としてのそれと、大きく違ってきていることにも気づく。それは不思議な体験だ。慰霊碑の果たしている役割の大きさを感ずる。

M

佐々木貞子さんの折鶴をテーマにした慰霊碑もその一つである。
しかし、慰霊碑と称するものの中には、これはどうかなーというのもある。あっち向いたり、こっち向いたりしていて、ちょっとテンデンバラバラじゃないかなーという感じを受けたりするのもある。その足元を作りかえれば、もっと美しくなるになーと思ったりもする。慰霊碑の前に供えられた折鶴や花も、雨に打たれて、惨めに汚れているのも度々見かける。近頃、そうしたことがだんだん気になってきた。
世界の人に、平和を発信するというという素晴らしい志のもとにつくられているのであるから、もう少し景観的に、どうあるべきかを考えたほうがいいように思う。
マスタープランを作って、どこか1ヶ所に集めたらどうかという人もいるが、慰霊碑は、その建てられた場所に、それなりの深い意味もあるようだ。そう簡単には移すわけにはいかない。また平和公園内にそれほどのスペースがあるとも思えない。
ということであれば、「あちこちに点在していること、それ自体がヒロシマの心を、より正しく伝えられる」と捉えなおし、それぞれがきちんと管理され、美しくなるよう誘導していく方が、適切な策だということになる。
そのためにも、市内あちこちにある全ての慰霊碑の写真と、そこに書かれている文字、その文章を付けたガイドマップをつくり、沢山の市民、観光客の人たちに見てもらえるようにしたらどうであろうか。ネットに公開するのもいい。
“慰霊碑は、ヒロシマの心を伝える貴重な資料であり、広島の財産なのだ”

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