広島ブログランキング

  • 広島ブログ
無料ブログはココログ

« 海の都・広島(2) | トップページ | わたしと憲法(2) »

2007年6月28日 (木)

わたしと憲法(1)

 駆け出し間もない記者時代のデスクだった山崎さんの記事を読んでいて37年前のことを思いだした。
私が初めて中国を訪れる機会を得た国交回復前年の‘71年12月のことである。
山崎さんから当時の中華人民共和国の周恩来首相に宛てた分厚い手紙を託された。

 中国全土を燎原の火のように包んでいた紅衛兵の波は表面的には下火になりつつあった。
しかし、どこへ行っても「造反有理」のスローガンが幅を利かせていた時代である。
 
 当時の中国では外国からやってくる交流団体には必ず政府のお目付け役が同行していた。
私たちには郭 冶さんという一見穏やかな軍人が1ケ月間の滞在中ずっと帯同した。
当時の中国の軍隊は文化大革命の中から階級を表示しない軍隊となっていたが、郭さんは現役の少佐だった。

 記者交換条約がなく中国に常駐する日本人記者は北京に新聞とテレビの代表記者が各1人いるだけで取材用のカメラを持ち込むことなど全く考えられない時代だった。しかし、またとない機会とばかり、何の事前許可なく没収を覚悟で16ミリカメラを持ち込んだ。

 「労働者交流団」の一員に記者が参加することはわかっていたので、全くクレームはなく「撮影の希望があればなんでも遠慮なく言ってください」と極めて協力的だった。
思案の末、郭さんに山崎さんの周恩来首相あての手紙について相談した。
 山崎さんの手紙は日中戦争時代に戦死された父上の墓参を陳情したものだった。

 日中戦争の責任は一部の軍閥・帝国主義者の仕業で一般の軍人も犠牲者でやさしい人がたくさんいました。郭さんは「山崎さんの希望が実現するその日が近いことを祈ります」と言って周首相あての手紙を預かってくれた。
          
 もちろんこの手紙がその後どのように扱われたかは分らない。国交回復後、中国への渡航が可能になった時、山崎さんはお母さんの手を引いて父上が亡くなられた地に墓参されたことは言うまでもない。

 昨今、憲法や戦争犠牲者が祀られた靖国神社、遺族をめぐる議論が盛んだ。勢いイデオロギー的な議論が活発だ。しかし、本当に遺族の気持ちを大切にした論はなかなか聞きにくい。三田村の碑は全国各地にある歴史の一頁である。「村に戦争があった」時代の歴史を身近に考え、今一度憲法を考える上で極めて大切なことがわかる。
山崎さんの「わたしと憲法」を読んで、ぜひ紹介したいと思いご了解を得たので転載する。(続く)

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

« 海の都・広島(2) | トップページ | わたしと憲法(2) »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/211008/15535925

この記事へのトラックバック一覧です: わたしと憲法(1):

« 海の都・広島(2) | トップページ | わたしと憲法(2) »

関連書籍

  • サイフもココロもハッピーに!ちょびリッチ
2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30