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2007年6月29日 (金)

わたしと憲法(2)

       「わたしと憲法」   <山 崎  優>
 
 稲田に囲まれて建つ広島市安佐北区白木町の市立三田小学校の片隅に、高さ3メートル、自然石作りの戦争犠牲者の慰霊碑がある。
 旧高田郡三田村が合併で歴史を閉じる2日前の昭和31年9月28日に除幕された。

 村の犠牲者174人の内訳は、日清戦争4人、北清事変3人、日露戦争8人、シベリア出兵2人。日中戦争を含む太平洋戦争135人。原爆による勤労学徒22人。

 一つの村の若者が明治以降、ほとんどの戦争に狩り出され、犠牲になった事実を具体的に物語る証拠。毎秋、碑前で遺族らによる慰霊祭が細々と続く。
日中戦争の昭和13年、中国江西省九江で父を亡くした私も慰霊祭執行の一角を担う。

 広島市の中心まで20キロ。旧三田村は戦前から純農村。働き手を兵役に取られた農家は、戦後を待つまでもなく、慢性的に「じいちゃん」「ばあちゃん」「嫁さん」の三ちゃん農業。

 わが子、わが夫が白木の箱で帰還しても涙することはご法度。その見返りに、天晴れ「軍国の母」「皇国(みくに)の母」「九段の母」と讃えられた。

 戦後62年。日本は戦争に巻き込まれなかった。稀有なことである。日米安保条約の賜物と見る向きもあるが、私はそうは思わない。世界に冠たる第九条を持った憲法によって平和は維持された。の憲法が還暦を迎えた。護憲、改憲議論が熱を帯びる。

 小学校付近に建つ戦争犠牲者の慰霊碑を疑問視する意見も確かにあるが、私は必ずしもそうは思わない。何故か。父が眠っているからか。「ノー」。

 慰霊碑の前に戦争犠牲者を刻印した真鍮製の銘板が製作されたのは平成7年のこと。
174人の氏名がびっしりと刻まれていて余白はゼロ。
175人目の戦争犠牲者は絶対に出ないと見ているからだ。

 わが村の慰霊碑は「戦争否定の碑」である。
(広島マスコミ九条の会:機関紙第11号転載)

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