広島ブログランキング

  • 広島ブログ
無料ブログはココログ

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

2007年6月

2007年6月30日 (土)

スキー場に温泉を!

先日、渋谷の女性専用温泉で爆発事故があり、数名が亡くなった。
温泉と一緒にでてくる天然ガスをきちんと処理しなかったからだという。
悲しい事故である。
しかしいくら東京とはいえ、女性専用の温泉が、ビジネスとして成り立つことにも驚く。

今全国あちこちに温泉が作られている。
それでも、温泉が倒産したという話は聞かない。
日本人が、温泉が好きなことがよくわかる。

そうした都会の中の温泉もいいが、雄大な自然の中の温泉の露天風呂は最高だ。
そこで一つ提案である。
広島のスキー場に露天風呂の温泉を作ったら、いかがであろうか。
広島のスキー場は、どこも広島市内中心部から1時間もかからず行けるところにある。
しかし、それでも広島のスキー場も近頃の温暖化による雪不足で経営は大変苦しい。
冬にしかお客の来ないスキー場にあって、その冬も駄目となったら閉鎖以外に道はない。
しかし、スキー場にはそれまでに蓄積されたサービス業としてのレストラン宿泊施設、土産店の施設、従業員、ノーハウがある

温度が25℃以上であれば、成分に関係なく「温泉」というそうであるが、100m掘ると地温が2.3℃ずつ上昇するので、1000Mも掘れば、全国どこでも「温泉」を誕生させることができるという。
100m掘るためには1000万円近いお金が必要であるが、近頃はかなり安くなっているようだ。
またどこを掘れば温泉が出るかについても、宇宙探査技術などを駆使するとかなりの確率で成功するという。
いまでは温泉は、いわゆる温泉地だけのもではなくなった。

私の知り合いにも、熱烈な温泉フアンは多い。
広島でも、大自然を望む露天風呂の温泉を、スキー場の中に、是非作って欲しい。
例えばウッドワン美術館のある女鹿平スキー場に作ってみてはいかがだろうか。
冬は雪を見ながらの温泉もいい。

そんな温泉があったら私はいきたい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月29日 (金)

わたしと憲法(2)

       「わたしと憲法」   <山 崎  優>
 
 稲田に囲まれて建つ広島市安佐北区白木町の市立三田小学校の片隅に、高さ3メートル、自然石作りの戦争犠牲者の慰霊碑がある。
 旧高田郡三田村が合併で歴史を閉じる2日前の昭和31年9月28日に除幕された。

 村の犠牲者174人の内訳は、日清戦争4人、北清事変3人、日露戦争8人、シベリア出兵2人。日中戦争を含む太平洋戦争135人。原爆による勤労学徒22人。

 一つの村の若者が明治以降、ほとんどの戦争に狩り出され、犠牲になった事実を具体的に物語る証拠。毎秋、碑前で遺族らによる慰霊祭が細々と続く。
日中戦争の昭和13年、中国江西省九江で父を亡くした私も慰霊祭執行の一角を担う。

 広島市の中心まで20キロ。旧三田村は戦前から純農村。働き手を兵役に取られた農家は、戦後を待つまでもなく、慢性的に「じいちゃん」「ばあちゃん」「嫁さん」の三ちゃん農業。

 わが子、わが夫が白木の箱で帰還しても涙することはご法度。その見返りに、天晴れ「軍国の母」「皇国(みくに)の母」「九段の母」と讃えられた。

 戦後62年。日本は戦争に巻き込まれなかった。稀有なことである。日米安保条約の賜物と見る向きもあるが、私はそうは思わない。世界に冠たる第九条を持った憲法によって平和は維持された。の憲法が還暦を迎えた。護憲、改憲議論が熱を帯びる。

 小学校付近に建つ戦争犠牲者の慰霊碑を疑問視する意見も確かにあるが、私は必ずしもそうは思わない。何故か。父が眠っているからか。「ノー」。

 慰霊碑の前に戦争犠牲者を刻印した真鍮製の銘板が製作されたのは平成7年のこと。
174人の氏名がびっしりと刻まれていて余白はゼロ。
175人目の戦争犠牲者は絶対に出ないと見ているからだ。

 わが村の慰霊碑は「戦争否定の碑」である。
(広島マスコミ九条の会:機関紙第11号転載)

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月28日 (木)

わたしと憲法(1)

 駆け出し間もない記者時代のデスクだった山崎さんの記事を読んでいて37年前のことを思いだした。
私が初めて中国を訪れる機会を得た国交回復前年の‘71年12月のことである。
山崎さんから当時の中華人民共和国の周恩来首相に宛てた分厚い手紙を託された。

 中国全土を燎原の火のように包んでいた紅衛兵の波は表面的には下火になりつつあった。
しかし、どこへ行っても「造反有理」のスローガンが幅を利かせていた時代である。
 
 当時の中国では外国からやってくる交流団体には必ず政府のお目付け役が同行していた。
私たちには郭 冶さんという一見穏やかな軍人が1ケ月間の滞在中ずっと帯同した。
当時の中国の軍隊は文化大革命の中から階級を表示しない軍隊となっていたが、郭さんは現役の少佐だった。

 記者交換条約がなく中国に常駐する日本人記者は北京に新聞とテレビの代表記者が各1人いるだけで取材用のカメラを持ち込むことなど全く考えられない時代だった。しかし、またとない機会とばかり、何の事前許可なく没収を覚悟で16ミリカメラを持ち込んだ。

 「労働者交流団」の一員に記者が参加することはわかっていたので、全くクレームはなく「撮影の希望があればなんでも遠慮なく言ってください」と極めて協力的だった。
思案の末、郭さんに山崎さんの周恩来首相あての手紙について相談した。
 山崎さんの手紙は日中戦争時代に戦死された父上の墓参を陳情したものだった。

 日中戦争の責任は一部の軍閥・帝国主義者の仕業で一般の軍人も犠牲者でやさしい人がたくさんいました。郭さんは「山崎さんの希望が実現するその日が近いことを祈ります」と言って周首相あての手紙を預かってくれた。
          
 もちろんこの手紙がその後どのように扱われたかは分らない。国交回復後、中国への渡航が可能になった時、山崎さんはお母さんの手を引いて父上が亡くなられた地に墓参されたことは言うまでもない。

 昨今、憲法や戦争犠牲者が祀られた靖国神社、遺族をめぐる議論が盛んだ。勢いイデオロギー的な議論が活発だ。しかし、本当に遺族の気持ちを大切にした論はなかなか聞きにくい。三田村の碑は全国各地にある歴史の一頁である。「村に戦争があった」時代の歴史を身近に考え、今一度憲法を考える上で極めて大切なことがわかる。
山崎さんの「わたしと憲法」を読んで、ぜひ紹介したいと思いご了解を得たので転載する。(続く)

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月27日 (水)

海の都・広島(2)

イタリアの都市ベネッチアは、海洋都市だといわれる。水の都ともいわれる。
ベネッチアは地中海貿易で栄えた。
独立した都市文明を誇ったことで、都市国家の代表的都市とされている。
アドリア海沿岸地域は元々ビザンティン帝国の支配下にあり、ヴェネツィアも同じように支配されていたが、697年初代総督を選出して、独自の共和制統治が始まったとされる。
以来1000年以上にわたり栄えた。
古来、海洋都市、国家と呼ばれたところは、大陸の外縁部にあり、土地支配よりも、交易を重視したことで、交易のために必要な情報を尊び、先進的、開放的性格を有しているといわれる。
その代表的な例として、古代ギリシャのアテネ、中国の華南政権(呉や南宋、明)、近代のポルトガル、オランダ、スペイン、イギリスが挙げられる。
「海の都」という言葉には、世界に開かれ、世界中から人が集まり、交易がされ、栄えたという響きがある。
対して、「水の都」といわれる茨城県の潮来、水都―蘇州、それぞれ大変美しい景色を誇るが、どこか情緒的で、内向きの、自己完結的な響きはないだろうか。
広島市が、世界に開かれた都市を目指すなら、「水の都」というよりも、「海の都」といった方がいいように思うが、それは私だけの感覚だろうか。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月26日 (火)

自転車のパーク&ライドシステム

―自転車のモデル都市・広島(3)

全国各地の鉄道駅前の放置自転車は、どこも困っている。大分以前から、大きな社会問題となっている。
首都圏の駅では特に深刻だ。
東京都豊島区では、とうとう業を煮やし、その責任は鉄道会社にあるとし、撤去等にかかる費用を税金として賦課しようとした。
鉄道会社は、そんな責任は鉄道会社にはない、放置している個人にあると反論し、大騒ぎになったが、結局はなんとなくウヤムヤになってしまった。
基本的には、なんら、駅前の放置自転車問題は解決されなかったということである。

アストラムラインでは、地上を走る区間の全ての駅に、きちんと自転車の駐輪場が設けられている。
さすがに地下鉄となっている都心部の駅には駐輪場はない。地価を考えればやむを得ないこととも思うが、ちょっと残念なことだ。
しかし、このアストラムライン沿線の各駅に作られたこの自転車の駐輪場は、自転車と鉄道をつなげるパーク&ライドシステムとして極めて画期的なことなのである。
自転車のパーク&ライドシステムは、放置自転車対策として効果があるだけでなく、地球環境問題に対しても、効果あることとしても、もっと高く評価されるべきことだと思う。世界的にも、このような例があるとは、私は聞いていない。
パーク&ライドシステムは、一般的には乗用車と鉄道の関係を指していると思われているが、自転車から鉄道に乗り換えるのも立派なパーク&ライドシステムなのである。
アストラムライン沿線でも、自動車のパーク&ライドシステムをもっと推進すべきだという議論があり、何度かそれらしきことが試みられたが、結局はそれほどの広がりをみせなかった。
広島のスケールには、この自転車とのパーク&ライドシステムの方が、遥かに適っている。
それこそ広島市が世界に誇るべき財産の一つでもあるといっていいほどのことだと、私は思う。

By1_1
長楽寺駅前駐輪場

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月25日 (月)

赤い橋・白い橋

住吉神社のすぐ近くに、赤い橋と白い橋がある。
アーチ型の赤い橋は住吉橋、白い橋は昨年完成した明治橋である。
明治橋は、細かいところまで配慮の行いた大変美しい橋である。
東大教授の内藤廣氏のデザインだという。
大げさな飾りもないし、小さな橋であるからか、あまり話題にもならなかった。
手摺りには、大変珍しいことだが、木が使われている。
この木の手摺りにもたれて、川の流れを見ながら、愛を語りあい、そしていつか住吉神社で結婚式をする。
この「白い橋と赤い橋を渡ると、幸せになる」という話を聞いたことがある。
よくできた話だ。
そんなことを話していたら、ある人は、それなら今年の大晦日の紅白歌合戦に取り上げてもらったらどうかといっていた。
それは面白い。
地元の人たちで、是非進めて欲しい。
Hasi1
明治橋

Hasi2
住吉橋

広島は水の都といわれる程沢山の橋がある。
岩国には、国の重要文化財にもなっている錦帯橋がある。
広島に数多くある橋も、その殆どが、そろそろ建て替えの時期が来ていると聞く。
平和公園の近くには、イサム・ノグチ氏設計の有名な平和大橋がある。
どうせ作り替えるなら、広島に橋を見に行こうと言われるほどの美しい橋を作って欲しい。
この明治橋は、その美しい橋の一つに数えられると思う。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月24日 (日)

薬の副作用?

先日の中国新聞で、米谷ふみ子さんが、中国新聞にバージニア工科大学で起こった韓国人学生の銃乱射事件の背景には、抗欝剤の使用があるのではないかと指摘していた。

私にも、思い当たることがある。
義理の父親がパーキンソン病になり、その後急に我儘になり、威張りちらし、やたら攻撃的な暴言を吐くようになった。
パーキンソン病になる前の父は、穏やかな父であった。
それを知っているだけに、家族は皆困惑した。
どうもその理由は、パーキンソン病の進行を止める薬のせいではないかという感じがし、担当の医者に相談した。
パーキンソン病の薬には、そうした副作用はあるとのことで、弱くしましょうかともいわれた。
しかし、原因がわかれば、それなら家族皆で我慢しましょうということになった。
家族には辛い選択だった。

今、日本では、聞いたこともなかったような異常な事件があちこちで起こっている。
子供が母親の首を切って、警察に出頭したということもあった。
常識では、とても信じ難い事件だ。
親子の関係がどうであったかについて、TV等ではさまざまのコメントがされている。
しかし、これなどは、薬による幻覚症状からの犯行ということはないのだろうか。
タミフル服用後に仙台の中学生がマンションから転落死するなどの事故の報告が続いたことから、注意を喚起することとなったが、注意して欲しいという程度の言葉で終わっている。
通常こうしたことが、薬の副作用だと指摘されることはまずない。
これは大変珍しいケースだ。
学問的にも、そうした関係を説明するのは、極めて難しいということもあるのだろう。

しかし、米谷さんの指摘されるように、最近の異常な事件と薬の副作用の関係について、今一度考えてみる必要があるのではないだろうか。

そして米谷さんは、更に製薬会社とブッシュ大統領との関係も懸念していた。
日本では、そんなことはないと私は信じたい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月23日 (土)

幻想との決別

 今年も「6月15日」がめぐって来た。
 私にとっては忘れられない、特別な日だ。
 なぜか。ある文芸誌に寄せた私の自分史の記述から
読み取っていただきたい。その一部を再録する。

 「幻想との決別」
 忘れもしない。1960年6月15日。
 警官隊が学生を包囲し襲撃、樺美智子さんが犠牲となった。
 心が震えた。そして、アメリカのアイゼンハワー大統領の訪日
は阻止された。
 この前後の1週間、私たちは国会の解散を確信し、「俺たちが
歴史を切り開いている!」という確かな実感があった。
 が、しかし、未来への展望は空しく消えた。
 二日後の17日、東京の七つの大新聞は「七社共同宣言」を
掲載した。この宣言は「国会内外における流血事件は、その事の
よってきたるゆえんを別として、議会主義を危機に陥れる痛恨事
であった」と書き始め、「暴力を排し、議会主義を守れ」と訴えた。
 こうして政治の季節は、池田内閣の所得倍増政策へと移っていく。
 この闘争で私は、ある種の違和感を覚えていた。
 私たちのデモの隊列が議事堂に近づくと、革新政党の代議士の
スピーカーが聞こえてくる。
 「ありがとうございます。ありがとうございます。みなさん、どうぞ
整然と流れ解散をお願いいたします」と呼びかけている。
 おかしい。あなたたちに感謝される理由はない。それとも、
あなたたちは何か得をすることでもあるのですか?これ以上の
闘争の盛り上がりは困るのですか?と疑問がわいたものだ。
 その疑問は、七社共同宣言で決定的となる。
 革新を唱える政党・労働者組織・そしてなによりもマスコミ、
それらを軽々しく「味方」だと考えてはなるまい。
 自分の頭で考え、自分の足で歩く、それ以外にはない!。
 そのことを私は闘争の現場から体で学んだ。・・・・
(山代巴文学研究所発行「土と暮らしの文芸」第3号から)

 貧乏学生のあの「燃える青春」から、47年の歳月が流れた。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月22日 (金)

減築

―価値が逆転する

30年ほど前、ある人が「俺は家を減築した。年をとったら、1部屋にして、全て手の届く範囲の大きさの家にする」といっていた。
何をいっているのか、そのときは、よく理解できなかった。
「増築」という言葉はあっても、「減築」なんて想像することもできなかった時代である。
その当時は、まだ「日本人ネズミ小屋に住んでいる」といわれ、もう少し大きな家に住みたい、自分の部屋を持ちたいというのが誰もの願いだった。
その人の義理の弟さんの新潟の家は、部屋数が10以上ある古い木造の建物であったが、雨戸の開け閉めが大変だ、冷暖房もできないといって、実際に使っているのは、ほんの角の2室くらいであった。
結局しばらくして、その殆どを壊してしまった。
お金持ちは贅沢なことをするなーと思っていた。
しかし今少子高齢化が進み、それに都心回帰、住宅のストックが充実したということが重なり、そうした1部の特別な人にのみであった現象が、他人事ではなくなってきたようだ。
今では、空家が1割を越えるといわれている。
高齢化した夫婦にとって、子供が巣立ち、空いた部屋を維持していくより、いっそ建物を小さくしたほうが住みやすいということになったようだ。
日本の一般的な住宅は2階を寝室、子供部屋にしている。
その2階部分を取り払い、平屋にするというわけだ。
木造住宅のいいところは、そんなことが容易にできることである。

YAHOOの新語字典を検索すると、減築という言葉は、昨年の6月に登録されている。
http://dic.yahoo.co.jp/newword?ref=1&index=2006000417
まだまだ新しい言葉のようである。

まあそれにしても、凄まじい勢いで、社会は変化している。
それも、あっという間に、価値がひっくり返る。
いままでやってきたが、全て否定されるようなことが起こっている。
それも、今までの延長線上に大きな変化が起こるということではなく、次元が変わっ
てしまうのだ。
恐ろしいことだ。
生きていくのも大変だ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月21日 (木)

ライブ アースin HIROSIMA

 7月7日(土)世界の9都市を結んで地球温暖化防止活動への参加を呼び掛ける史上最大規模のイベント「ライブ アース」が行われる。

 マドンナ、デュラン・デュラン、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ザ・ポリスなど世界的な100組を超えるアーティストがシドニー、東京、京都、上海、ロンドン、ハンブルグ、ヨハネスブルグ、リオデジャネイロ、ニュージャージーで参加するこれまでに例のないビッグイベントだ。

 平和市長会議がこのコンサートの趣旨に賛同してNGOパートナーのひとつになっており、広島でも「平和と環境」を考える関連イベントを開きたい・・・

 先週、平和文化センターのリーパー理事長を訪ねたら突然、協力を要請された。

日本ではフジテレビとNHKがライツを持って放送をする・・・という。

 何はともあれNHK広島やフジTV、ふれあいチャンネルなどにリサーチをかけると、以外にも「はだしのゲン」のプロデューサーが協力してくれてCS放送フジテレビ721に繋いでくれて道が開けた。

 イベントの提唱者は米国のゴア前副大統領とアフリカの貧困撲滅を訴えて‘85開催の「ライブ・エイド」と’05開催の「ライブ・エイト」をプロデュースした人。

 地を温暖化から救うため収益の全てを基金に充てるのが目的で、6大陸にまたがる世界の9都市を結んだ24時間のコンサートは100万人の観衆と20億人のテレビ視聴者を見込んだ、まさに世界最大のコンサートだ。

 広島では平和記念資料館のメモリアルホールにこの世界コンサートの映像を大型スクリーンに取り込んでリーパー理事長を中心に平和文化センターのスタッフとボランティアが協力し300人規模の「ライブ アース in HIROSIMA」を開く。17時半〜23時と異例の長時間だ。

 あいにく市長はカナダへ出張中だが「広島と長崎のバンドによるライブ演奏とトーク」で「広島集会」を盛り上げる。七夕にちなんで参加者が短冊に書いたメッセージと広島宣言を世界発信する企画なども考えているようだ。

 リーパー理事長を応援する意味でも「世界市長会議」の2020目標の達成のためにも誘い合わせて参加したい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月20日 (水)

戦前の子供の遊び

 今年で3回目を迎える原爆犠牲者の鎮魂のための「小さな祈りの影絵展」。今年のテーマは「暮らしの中の遊び」だ。
 影絵作家の浜崎ゆう子さんと友人で映画の美術監督の部谷京子さんは戦前の広島の子供達の遊びを取材するためやってきた。
 
 私も、戦前市内に在住していた70~75歳の友人知人に事前取材して伝えた。

 石蹴り・缶けり、竹馬、おはじき、けんだま、竹トンボ、水鉄砲、パッチン(めんこ)、凧揚げ、戦争ごっこ・弓矢・隠れ家・陣地遊び、鬼ごっこ、コマ回し、かくれんぼ、縄跳び、紙芝居、あやとり、お手玉(おじゃみ)、折り紙、ゴム鉄砲、竹返し・・・

 広島市内から30キロ東の西条の田舎住まいだった私たちの経験と似たり寄ったりである。

 ここにない私たちの遊びに紙鉄砲、杉鉄砲と言うのがあった。細い女竹を筒に使い、筒に濡らした新聞紙をつめて、更にもう一つ新聞紙の球をつめて細木を芯に押し出すと先に詰めた紙の球が飛び出す仕掛け。杉鉄砲も同じ理屈で、さらに細い竹の筒に杉の実をつめて自転車のスポークを芯にして押し出すと弾けるように飛び出す。

 コマ回しは丸い4~5センチの木の先を尖らすように削り高さも5~6センチに切って円錐状のコマを作る。これを1メーター程の帯状の布きれを細い棒にしばりつけ、円錐状のコマに巻きつけて回し帯状の紐をコマの横腹にたたきつけてコマの回転をあげて回す。
 
 竹トンボ、竹馬、弓矢。凧揚げは竹ひごつくりから始める。奴ダコは難しいのでもっぱら四角や菱形の角ダコだ。
 和紙が良いが専ら新聞紙が材料だ。接着する糊はご飯を竹や木のコテ(へら)で丁寧にすり潰し強度のある糊を作った。
 これは大人たちが葬儀の際に隣近所が集まって紙の葬式花を手作りすりのを見て育った田舎の子たちには出来る技だった。見よう見まねの伝承である。
 また子供の遊びに小刀(ナイフ)は必需品だった。何でも切り削って遊びの小道具を作った。左手の親指で右手に持った小刀の背中を軽く押し出しながら削る技は誰もが出来た時代だ。鉛筆削りの要領である。
 こんな遊びがあった・・・と言う方は是非、教えてください。

影絵展の中でどれがどのように再現されるか楽しみだが、こんな遊び道具の作り方を今の子供たちに教え伝える塾(教室)があってもよいと思う。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月19日 (火)

知事の選択権

先日、中国新聞のインタビューで、ある県会議員が「司法の場で、罰点がついていない人に、単なる疑惑だけで“辞めなさい”とはいえない」と答えていた。
藤田知事が今辞める必要はないという根拠は、どうもそこにあるようだ。
しかし、政治家は、ルールに違反しなければいいということではない。
政治家は、どうあれ、市民の信頼がなければ、政治家としての資格はない。
藤田知事は疑惑を指摘され、この泥沼状態に陥って、もう何年経つのだろうか。
そこには様々の思惑としがらみがあるようだ。
県民には、それが何かは良く見えない。
時が経つにつれ、状況はますます悪くなっている。
それはもう異常としかいいようがない。
その議員は「だらだらしちゃいかん」という。
誰もが、このままでは、任期一杯、この「だらだら」は続くだろうと感じている。
それは、本人にとっても、知事与党にとっても、決していいことではない。
こうしたことは、単純にしなければいけない。
藤田知事は、ここで一度辞めて、改めて知事選をやるべきだ。
知事には、その選択肢を選ぶ“権限”があるのだ。
その権限を、有効に使えばよい。
当選すれば、県民の信頼を勝ち得たといえばよい。
単純なことだ。
リーダーは、すべからく毅然としていなければいけない。
そのためには単純であることだ。
藤田知事は辞めるタイミングを計りかねているようだ。
どうも、ここで、誰かが、藤田知事に鈴をつけなければいけないようだ。
それが、藤田知事にとっても、県民にとっても、議員にとってもいいことではないだろうか。
問題は、誰が、藤田知事に鈴をつけるかである。
その役割は、今県会議員に預けられている。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月18日 (月)

安佐南区はブランド?

専用の軌道上を走るアストラムラインは、紙屋町、八丁堀地区の広島市の中心部と安佐南区の郊外住宅地との間18.4キロを結んでいる。
アストラムラインが開業する前は、市内に入る北からの道路は大変酷い渋滞があったが、アストラムラインの建設と、それと同時に作られた建設された国道新54号線と市道により、渋滞は大きく緩和された。

ここでちょっと注目すべき点は、アストラムラインの開業した平成6年度以降、沿線の安佐南区の人口が毎年伸びていることである。
広島市内で、こうした人口増がみられるのはこの安佐南区のみである。
アストラムライン建設の効果が大きいことが窺える。
最近では、「安佐南区は便利なところね」ということが噂され、沿線に住むことは、今やブランドになりつつあるらしい。
昨年あたりから顕著に見られるようになったことであるが、今沿線のあちこちでマンションの建設工事が進んでいる。
いまでは10ヶ所程度の工事が進められている。
こうしたことから、アストラムライン沿線の人口は、これからも当分増え続けると予想されている。

今地球環境問題が厳しくいわれるようになった。
そのために自動車社会からの脱皮が求められている。
これからの社会にあって、アストラムラインの果たす役割は大きい。
 
       広島市各区の人口変化      
Asa

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月17日 (日)

広島市景観100選(3)

ブログの書き込みで、たまーさんから次の15ヶ所の推薦をいただきました。
ありがとうございました。
ブログに書き込みいただいた場所をそのまま転載させていただきました。
いままで取り上げた場所とダブっている感もありますが、それは見る視点の違いと解釈し、あまり拘らないこととしたいと思います。
・絵下山からの夜景眺望
・黄金山からの眺望
・鈴が峰公園からの眺望
・三輪明神からの眺望
・祇園春日野からの夜景眺望
・毘沙門台からの夜景眺望
・マリーナホップからの瀬戸内海眺望
・三井ガーデンホテルレストランからの市内眺望
・観音町~小網町の電車通り
・世界平和記念聖堂
・広島城
・相生橋
・平和大通りクリスマス電飾
・西飛行場西遊歩道から見る放水路
・広島ホームテレビ北緑地から北に望む太田川
これで、累計35ヶ所になりました。
このようにして100ヶ所を、皆さんから推薦いただき、それから人気投票をしたいと思っています。
その人気投票を、どうやったらいいのかについても、何か上手いやり方があれば教えてください。
年1回、年末に投票、発表するというのもありますし、あるいは、この広島ブログのように、常時投票で変更されるというのも有りかと思います
また、どなたか写真を付けていただけると有難いのですが。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月16日 (土)

密造酒守った老婆

 昔むかし、といっても敗戦直後物のない時代の中国山地。
山奥の農家に、警官と税務署員がやって来た。
 家にいた婆さんに「おいおい、この辺でサケを作っとろうが」と話しかけた。密造酒のドブロクの摘発だ。
 老婆は答えた「はいはい、作っとります」。「そこへ案内してくれんか」「はいはい分かりました。じゃが、まもなく孫が学校からかえるんで、いま飯を炊いとります。留守中に火が出ちゃいけませんけえ隣りへ言うときます。ちょっと待っとってください」
 「やれ、お待たせしました。では行きましょう」。婆さんは役人を案内して
山奥へ時間をかけて歩く。「まだか」「もう少しの辛抱です」・・・・。
 「お疲れでした。ここでがんす」婆さんはタケ藪を指差す。
「サケを作っとるのはどこじゃ」「え?、あんたらサケ言うちゃった?。わしゃ
耳が遠いけえ、タケに聞こえた」「立派なタケでしょうが・・・」
「サケやなんかあ作っちゃおりませんで」「・・・・・やられた」と気づいたときは後の祭り・・・そこへ婆さんの追い討ち「久しぶりに山坂歩いたらくたぶれて
もう足がゆうことをきかん。すまんが役人さん、ワシを背負うて帰ってくださらんか」・・・いっぱい食わされた役人は、これに懲りて二度とこの村にはやって来なかった。
 この日、ドブロクのひと壜たりとも役人に摘発されることはなかった。留守を頼みに隣へ行った婆さん「税務署が来た。今から奥の竹やぶへ連れて行くけえ、大急ぎでみんなで隠せ」と手配していたのだ。メデタシ、メデタシ。
 農村記者時代に教わった、宝物の民話です。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月15日 (金)

被爆教師江口保さんと広島修学旅行 

 平和公園はいま連日修学旅行生で賑わっている。子どもたちは公園内の数ある慰霊碑の前で萌黄色のジャンパーのボランティアガイドさんの説明に耳を傾けている。この時期は小学生が中心で、中高校生のシーズンは秋である。

 もう20年も前になるが、東京葛飾区の上平井中学で長年教鞭をとった江口保さんが定年まで3年を残して退職し、第二の人生の場を広島に移してこられた。
 「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」を名乗って広島に来る修学旅行の事前学習から本番のヒロシマ案内までを手助けをする為だった。

 江口さんは長崎の旧制中学で教練の助手として勤務中に被爆し大けがをしたが急死に一生を得た。その後、師範学校を卒業し東京の大学へ通いながら中学の教師になった。
 
昭和50年(‘75)に新幹線が博多まで開通し、東京の中学生の修学旅行の範囲が広がったのに着目した江口さんは教育委員会や教師仲間を説得し、翌年初めて上平井中学の「ヒロシマ修学旅行」を実現した。

江口さんの「ヒロシマ修学旅行」は物見遊山的な修学旅行を平和教育の場にしようと担当教師の事前の下見を行い、生徒には半年間の事前学習を盛り込んだ。広島では中学生や女学校生だった子供を失った父兄を中心にした被爆者の体験を聞くことに時間をかけ、生徒たちの手で独自の慰霊祭を行った。

証言に立った被爆者たちは亡くなったわが子と同じ年齢の子供たちを前にわが子や自らが被った惨状を克明に語り心の痛みを聞かせた。学校に帰った子供たちは証言をしてもらった被爆者に手紙を送り、数々の交流が生まれた。

乱暴者だったり学習嫌いで「原爆なんか興味ない」と言っていた多くの子が涙を流し、心を揺さぶられ感動を呼び起こされて変わっていった。

江口さんが指導したこの修学旅行は“上平井方式”と言われるようになり、全国からやってくるヒロシマ修学旅行のモデルとして広く高い評価を得るようになった。

上平井中学の広島修学旅行が10年経過した年、江口さんは配転となったのを機に退職し
一人広島で第二の人生をスタートした。そして、また10年間「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」でヒロシマ修学旅行を目指す全国の小中高校に出向き手助けに励んだ。
 この間お世話された学校は千校二十万人を数え、ピークで年間60万人近くの修学旅行生がやってきた。

 広島市に対しては生徒たちが雨天でも証言が聞ける会場や昼食を摂たり雨宿りができる場所を確保ほしいと署名を添えて再三陳情された。しかし、当時の市当局は極めて冷たく、修学旅行生に対する施策は全く対応されないと江口さんは嘆いておられた。

 上平井中学の修学旅行がスタートして20年、江口さんが広島で第二の人生をスタートされて10年が経ったころ、体調を崩され「骨髄性白血病」のため急逝された。早いもので6月19日に10回忌を迎える。

 当時、江口さんが大変気にされていたことの一つに広島修学旅行のための「事前学習教材があまりに少ない」ということだった。
 それにしても、いま広島市が修学旅行の担当課を設けて誘致に熱心な状況や秋葉市長自ら地元の学校だけでなく全国の大学に「ヒロシマ・ナガサキ講座」を出前する様を江口さんはどんな気持ちで見つめておられることだろうか。
 
 加えてVTR「ヒロシマの記憶」~広島を歩く人のために~が発売された。
これは中国放送が原爆投下の2月後に日本映画社が撮影したフィルムをベースに現在の場所を対比して、60年前のヒロシマと現在、戦争と平和、あるいは当時の記憶を蘇らせる3分半の番組シリーズ(52本)の中の8本を選んで纏めた30分の作品。ヒロシマ修学旅行の事前学習に打って付けの素材だ。

 秋葉市長は「このビデオは広島の記憶を辿ることができます。“ヒロシマの記憶”は明日を創るための記憶です。このビデオを見た後は是非広島にきてご自身で広島の昨日と今日を確かめてください」と推薦しています。

奇しくも、江口さんの10回忌を前にして報告できる修学旅行をめぐる話題である。

<問合せ先>
VTR 被爆60周年「ヒロシマの記憶」 ~広島を歩く人のために~
   発売元=株式会社 汐文社
   製作著作=中国放送 
日本映画新社東京都港区新橋6-20-1
03-5404-7870 http://www.n-eigashinsha.jp/

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月14日 (木)

「はだしのゲン」初のテレビドラマ化

 5月6日付の「嬉しい“はだしのゲン”映像化」の企画内容が明らかになった。

 フジテレビが8月10(金)~11日(土)のPM9時から2夜連続で4時間のスペシャル枠で放送。劇映画、アニメ映画に続く三弾目。テレビドラマとしては初めての登場だ。

 出版元の汐文社の吉本社長の紹介で資料収集にやって来たプロデューサーは31才の若手だ。彼が学校図書館で「はだしのゲン」に出合ったのは小学校3年生の時。テレビ局に入社以来温めてきた「ゲン」のドラマ化を大スケールで実現する。

 脚本は「踊る大捜査線」シリーズなどの君塚良一、音楽は「ALWAYS三丁目の夕日」「海猿」などの佐藤直紀、演出は「拝啓、父上様」「ドラマ ちびまる子ちゃん」などの西浦正紀と「電車男」「白い巨塔」の村上正典。プロデューサー増本淳は「Dr。コトー診療所2006」や「白い巨塔」などを手がけた新進気鋭だ。

 配役は“ゲン”を多くの子役から厳選された小林廉君。父親中岡大吉を中井貴一、母君江役を石田ゆり子さんがつとめる。

 増本氏が「ゲン」のドラマ化を思い立った意図を企画書からピックアップした。

 いま、日本人は三世代にわたって戦争を知らない。小学生は勿論、戦争の悲しみを教えるべき親もまた戦争体験はない。そしてその親も戦争体験がないか、あったとしてもほとんど記憶にないというのが現実だ。私自身、戦争と言われても実感がわかず、怖いと言うだけ知っていればいい昔話のように思っていた。
戦争という大いなる過ちの歴史が風化しつつある日本において、一年に一度くらい子、親、祖父母まで、家族みんなで戦争について考える、そのきっかけを提供するような番組が必要ではないか。

 世界的にも核兵器は軽い存在になっているようにも感じる。ハリウッド映画の中では“たんに破壊力の強い爆弾”くらいの扱だ。広島長崎に落ちた原爆の70倍と言われる今の核兵器の破壊力が招く悲劇は生易しいものではない。ならば、その恐ろしさを誰が訴えるのか。それは、実際に被害にあった日本人ではないか。
「ゲン」に描かれた一家族の眼線を通じて、戦争と原爆というものと面と向かい合い、
その悲しみと怒りと、そしてそこから立ち上がる人々の勇気と力強さを描く。

 「ゲン」の徹底したテーマは“戦争への怒り”“反戦の叫び”だ。そして“不条理な死”とそれに負けない“人間の持つたくましい生命力”で、風化していく戦争を、今一度考え直すためにふさわしいと考える。
さらにもう一つのポイントは目線の低さだ。「ゲン」を知らない子供たちには共感の湧きやすい同世代の目線を通じて戦争を考えてもらいたい。

 ここ2~3年、夏の終戦記念日前後に「ヒロシマもの」が話題を呼んできた。
若い世代のTVマンが一冊のマンガとの出会いを大切にしながら取り組む姿勢が嬉しい。

とかく軽薄のそしりを免れないTVの面目躍如となることを期待し注目したい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月13日 (水)

とうかさん

―こうしたお祭りは、ソレイユではできない。

広島に初夏を告げる祭り「とうかさん」が1-3日まで行われた。
「とうかさん」は円隆寺に祭られる稲荷大明神にちなんで、300年以上前に始まったという。
衣替えの季節と重なるということで、いつの頃からか浴衣姿が目立つようになった。
和服店が潤うことはたしかだ。
若い女性が浴衣を着て、男の子と手をつないで歩く姿は、嬉しそうで、どこか誇らしげだ。
いいことだ。
お祭りにはこれといった仕掛けは何もない。
しかしとうかさんのお祭りということで、これだけの賑やかさを作りだされている。
浴衣姿の女性は、数えてみれば1~2割程度だが、行き交う女性は殆ど浴衣のように感じる。
浴衣でといのを、誰が、いつの頃、仕掛けたか知らないが、しかし、上手い仕掛けだ。

ショッピングビジネス、観光事業等は、まずお客が来なければ話にならない。
こうした客商売の成功の秘訣は、まず女性を集めることだという。
女性がくるようになったら成功だといわれる。
男は、女性を追いかけて、必ずやってくるというわけである。
中心市街地の活性化にとっては、こうした若い女性をどれだけひきつけられるかがポイントだ。

こうしたお祭りは、ソレイユ等の新しいショッピングセンターでは絶対に真似できない。
街の歴史が作り出す賑わいだ。
えべっさんのお祭りにしてもそうだ。
中心市街地の活性化にとって、こうしたイベントの果たす役割は大きい。
街の貴重な財産である。
大切に守り、育てていきたい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月12日 (火)

広島からの外交

 6月1日付け、Sさんの品川正治氏の記事拝読。
私も先日、品川氏の講演を直接聞いて、心強く感じた。
 特に、日米間の価値観の違いを正しく認識した上での、
日米友好関係の構築が必要だという氏の訴えに、
何度もうなずいた。
 それを受けて私の訴えたいこと。昨今の「デジタル発想」を
乗り越えよう。ということだ。
 この社会、軽薄なテレビ演出の「2択」のクイズやゲームでは
いけない。
 百パーセント「親米」か「反米」か。「戦争」か「平和」か。
「敵」か「味方」か。「野党」か「与党」か。「賛成」か「反対」か。
 そんな単純な発想でいいのか。シロかクロかではなく、
さまざまな心の色を塗り合わせて、未来を描きたい。
 とくに、二大政党での政権交代こそが理想の議会政治、
などと言われると、答えは「考える」もので、「択ぶ」ものではない
と思って学問をしてきたつもりの私にはついていけない。
 テレビ番組でも、「トーク・バトル」などと銘打って、主張の対立を
煽り、視聴者の政治的な不満の「ガス抜き」を巧妙に演出する
正義感面をした司会者にはうんざりだ。
 意見の違いはある、しかし社会の未来のために、知恵を出し合い
ましょう、という真剣な番組の使命感は全く感じられない。大衆迎合の
視聴率市場はどこまで堕落していくのか。
 話を戻す。
「核廃絶」か「核武装」か。「民主国家」か「ならずもの国家」か。
そして、「非国民」「国辱歴史観」・・・レッテル貼りが進む。
 物事に「絶対」はありえない。それを言い始めると、実に危ない。
批判的な主張に対しては、家の焼き討ち、果ては命すら狙われる
不気味な風が吹いている。
 しかし、「楽観は許されない。が、絶望することはない」と思いたい。
そこで、秋葉広島市長、スティーブン・リーパー平和文化センター理事長ら
に切なるお願いと期待。
 堪能な語学力、幅広い国際人脈を駆使して、次のようなヒロシマの願いを
ブッシュ大統領に、ことあるごとに伝えて頂きたい。
・一気に核廃絶は無理としても、まず自国の核軍縮の努力をして下さい。
・指導者はナラズモノかもしれないけど、罪のない子どもらの命を奪う戦争
は、早く収めてください。
・中国山地一帯の危険な低空飛行はやめてください。
・銃の規制についても、真剣に検討されてはいかがですか。
   こうした点をお互いに率直に話し合って、日米のゆるぎない友好関係を
   築き上げたいものです。
 「国家」よりも「世界」を、「国民」よりも「人類」を、「武装」よりも「対話」を、
その道を拓く平和都市からの、「ヒロシマ外交」を!いまこそ!         

 国際的な教養・語学力ともに低レベルなアナログ老人

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月11日 (月)

広島に元気をおくる2人の95歳

 広島に縁の深いお二人がとても元気である。
映画監督の新藤兼人さんと聖路加国際病院の名誉院長・理事長の日野原重明さんだ。
お二人とも95歳。ともに‘04、’05の文化勲章の受章者である。

日野原重明先生は先日、参議院選へ出馬を決めた河野美代子さんの後援会事務所開きにメッセージが寄せられた。
 「日本の憲法を守り命を優先して考える運動の先頭を走る河野美代子先生を応援します」65年以上も命を見つめ育んで来られた医師の大先輩としてのエールである。

日野原先生は医学生のころ父上が広島女学院で院長を務められていた広島で療養生活された経験があり、ヒロシマや平和について理解者としても知られている。

「戦争を知るものが多数であった時でさえ届けることの出来なかった声を、私たちは亡くなっていった者の分まで引き受けて、さらにそれ以上の思いを込めて届けなければなりません」「戦争は良くないことだと頭でわかることよりも、命の大切さを骨身に感じていることのほうが優先されるべきだと思うのです。そうでなければ、自分の遠いところで起こる戦争の悲しみを肌で感じることはできません」

日野原先生に初めてお会いしたのは‘04年の秋。被爆60周年記念の企画“日野原重明・小澤征爾 世界へおくる平和のメッセージ”の準備段階だった。当時、スケジュールは2年先までしか入れないと言われていた。’05の文化勲章を受賞され、その後ますますのご多忙を極めて年間150回を超える講演をこなし、最近ではスケジュールを3年先まで入れておられると聞いた。2010年には再び小沢征爾さんと「世界へおくる平和のメッセージ・Ⅱ」の企画を計画中とも聞いた。

新藤監督は石内村(現:佐伯区五日市町石内)の生まれ。豪農の家に生まれたが父上が借金の連帯保証人になったことで没落。14歳で一家離散。
‘34に22歳で京都の新興キネマの現像場に入り脚本家を目指した。爾来73年、映画への情熱を燃やし続けている。’50にはいち早く独立プロ近代映画協会を設立し自由な映画作りに取り組み、「裸の島」(‘60)「生きたい」(’99)でモスクワ国際映画祭で二度のグランプリを受賞。「午後の遺言状」(‘95)は日本アカデミー賞最優秀監督賞など数々の受賞に輝いている。

一方、広島に関わる作品にこだわり、核兵器の惨状を描き続けた。「原爆の子」(‘52)「第五福竜丸」(59)「8・6」「さくら隊散る」「原爆小頭症」は原爆とその被害を描いた作品である。原爆関係のTVの作品も多い。

文化勲章の受章を祝う広島での祝賀会の席で「あの瞬間をアニメで描く」構想を披瀝された。2時間の大作で20億円の資金が必要だが何としても完成したいと熱く語られた。

32歳で海軍に召集され、10代の若い軍人にこき使われた自らの戦争経験はドキュメンタリー・ドラマ「陸(おか)に上がった軍艦」として新藤組の助監督を長く務めた山本保博監督の手で完成した。
作品は新藤監督が「言っておきたいことがある」と自ら証言者として出演し、体験証言を軸に、下級兵士の目線で戦争の不条理さを描き、辛辣でありながら滑稽さにあふれた作品として公開を間じかに控えている。

 また、最近の新聞報道によると、この秋には新藤さんの小学校時代の恩師をモデルに新作「花は散れども」の撮影を広島で始める準備が進んでいる。
「子どもの心が柔らかい時に、初めて接する社会、それが小学校の先生。与える影響も大きい。そうした平凡な教師が、平凡な人間が実は国を支えている。そんな姿を描きたい」
 
仕事こそが生きる上での精神的支柱だと今も世界で最高齢の現役映画監督の道を歩んでおられる。
「死ぬ瞬間まで、仕事に対し執着を持ちたい。生き抜く。まさしくこれが僕の本音です」と語っておられる。
 衰えない創作意欲が新藤監督のパワーの源である。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月10日 (日)

憲法辛抱派

 友人から届いたメールにこんな下りがあった。

私は護憲派でなく、“現憲法辛抱派”だ。見渡すに、あれ以上の憲法をどこも作れそうにないのだから仕方なく辛抱する派である。阿部内閣が改正提案議席数に到達できないことを喜んでいるとダメ。頼りは公明党のバアチャン達だけだ。此のまま行くと公明党は連立を離れると見ている。・・・

 この見方はともかく公明党は「加憲」を掲げている。
加憲とは現憲法に新たな条項を書き加える事のようです。
 9条の1項(戦争放棄)2項(軍隊の不保持)は堅持した上で“必要最小限度の実力組織としての自衛隊の存在”や“自衛隊の海外への派遣も前提にした国際貢献”のあり方について新たに書き加えようとする考え方のようである。

 政府の改憲の狙いは足かせになっている9条を変えてアメリカ軍に協力をよりしやすくすることにある。こうした状況の下で一見現実的で前向きに見える「加憲」だが、政府の改憲をバックアップするものでしかないように思える。

 改憲派は「押しつけられた憲法を改めて国家の威信を取り戻す」と主張する向きも多いいが、皮肉なことに「押しつけ憲法」のおかげ?で米軍への協力はこの程度で抑えられているのかもしれない。

 くだんの友人は更につづけていう。
憲法は政局になって自民党は民主党に小沢氏を放逐させて合同し社会党崩れの坊やたちは駆逐されるだろう。新聞はおろか雑誌や本などを読まない現代を生きる青年に戦争の記憶でもあるように錯覚して平和を説く怠け者護憲派など頭から拒否されている。
 従って護憲派の延長ではなく「新“護憲”派」の誕生を期待する・・・という。
憲法辛抱派を名乗る理由である。

 先日、ある労組の責任者が「参議院選で憲法は政局にならない」、「政局は年金だ」と言っていた。はたしてそれでよいのだろうか。彼が言う「駆逐」の道をたどるのだろうか。
 
さまざまな憲法論議の中でユニークな友人の論議は一理あって面白いと思う。


*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月 9日 (土)

これからの公園

―東京ミッドタウン・檜町公園

地下鉄大江戸線六本木駅の改札口を出ると、即そこは話題の東京ミッドタウンの広場になっている。
広場には安田侃氏製作の白い大理石の彫刻が、天井のトップライトからの光に浮かび上がり、気持ちを
和らげてくれる。
東京ミッドタウンの建物は、木と和紙をモティーフにデザインされ、清潔感と高級感のある空間となっている。
セブンイレブンの赤と緑のあの特徴あるマークさえ、白とグレイに統一されている。
それぞれのお店の商品は、あたかも美術館のなかに展示されているように置かれている。
日本も豊かになったなーと改めて感じる。
2階の通路の先はテラスになり、そのテラスの先には広い庭園がひろがっている。
テラスから繋がるシャレた歩道橋を渡ると芝生広場に降りる。
東京ミッドタウンは、こんなに広い公開空地を設けたのか、すごいことやるなーと思って、係員に聞くと、どうも要
領を得ない。
看板には檜町公園と書かれている。
何これ?
帰ってきて、調べてみると、どうもあの庭園は、元からあの地にあった檜町公園と呼ばれる公共施設としての公
園のようだ。
檜町公園については、次のように書かれている。
「東京ミッドタウンの東側に位置するのは港区檜町公園。その昔、檜が多いことから「檜屋敷」と異名をとった萩藩・毛利家の麻布下屋敷の庭園跡です。その広大な庭は「清水亭」と呼ばれ、江戸の町並みを一望できる名園として名を馳せました。そんな由緒正しい名園の緑は、公園となったいまも、昔と変わらぬ「日本の美」を彩っています。
サクラやクスノキなど、たくさんの木々が美しさを競う、自然のアートギャラリーです。防衛庁の跡地に残された約140本の高木は、このガーデンに継承されて豊かな景観を育んでいます。また、緑地内に無線LANを備え、緑の中にいながら情報通信を楽しめるように配慮しています。」
ミッドタウンを開発したデベロッパーは、その開発に際し、檜町公園を取り込んで、一体的開発をしたということ
のようだ。
それ相応の費用は負担したのであろうし、公開空地という制度も使ったのであろうがが、それにしても、なかなか
やるなーといえる。

Mid2

いままで、街中の公園は、塀或いは生垣で囲われ、個人或いは特定の企業の利用には偏しない施設として、周辺の建物とは一線を画していた。
公園は暗く、汚く、あるときはホームレスの棲家にさえなっているのは、そうした考え方の結果ともいえる。
公園の一番利用者は、タクシーの運転手だというような調査結果もある。
この檜町公園は、あたかもミッドタウンの所有地のようであるが、そのことによって、逆に素晴らしい庭園とさえいえるように整備されている。
こうした使われ方はいままでの公園法の概念からはあり得なかったことだ。
どうも近頃、この檜町公園の例のように、公園あり方が大きく変わろうとしているようだ。
広島市内の公園のあり方も、この檜町公園を参考に、大きく見直すべき時期にきているように思う。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月 8日 (金)

自転車のモデル都市・広島(2

―自転車専用レーンの設置

前回は、自転車の駐輪場の問題について書いた。
その際「ヒヤッとさん」から、自転車については、もう一つ、「自転車の走る道をどうするのか」という大きな問題があると指摘された。
そこで今回は、自転車の走る道について考えてみたい。

自転車は、実はれっきとした車なのだそうだ。
道路交通法上は軽車両に分類されるということで、原則歩道を走ってはいけないことになっているという。
知らなかった。
殆どの人は知らないであろうと思われる。
だからだと思うが、広島では、殆どの人は、なにか当たり前のように歩道を走っている。
鯉城通り等いくつかの道路で、自転車の歩道走行可と表示にしていることにも拠ると思われる。
そうした表示がなければ、自転車は車道を走らなければいけないようだ。
しかし自転車に乗っている人からすれば、車道なんて車に撥ねられそうで、怖くて走れないという思いがある。
自転車より弱い立場にある歩行者なら、ぶつかっても自分は大丈夫ということで、歩道を走ることになるのだろう。
なんのことはない、単なる弱いものいじめの構図がここにもあるということだ。
自転車が絡む事故は、年々増加傾向にあり、2005年までの10年間に1.3倍に増え、18.5万人に達しているという。
その間、自転車対歩行者の事故は4.6倍にもなっているという。
走る自転車をどうするかは、緊急の問題になっている。
前回に書いた放置自転車が多いのは、絶対的に駐輪場が不足していることによると考えるべきだという理屈からすれば、自転車は専用の走行路がないから、仕方なく歩道を走っているということになる。

自転車と歩行者、自転車と自動車のはやはり分離しなければ、事故が起こるということは、どうしても避けられないと考えるべきだろう。
広島市でも自転車専用レーンを設ける試みを何度かしているが、どうも上手くいかないようである。
そこで、この際、一気に車道を1車線削って、自転車道にしたらどうだろうか。
いま往復車線になっている道路のうち、これはという道路については、1車線を自転車専用レーンに転換するのである。
場合によっては、自動車は1方通行にしたらよい。
自動車1車線は3m程度であるから、自転車の往復2車線にするには、調度いい幅員である。
例えば平和公園周辺の通りなどの、川に接した道路の1車線を自転車専用レーンにしたら、自動車は1方通行になるが、気持ちいい自転車道が出来ると思う。
すでに1方通行になっている大手町通りにも、自転車専用レーンを設けるのもいい。
ちょっと狭いが、まあまあの幅はとれそうである。
平和大通りの側道も原則自転車専用レーンとしたらどうだろうか。
平和大通りの自動車の駐車場を、自転車の駐輪場に転換する工事を進めているが、同様に、自動車の占有してきた車道の一部を転換して、自転車専用のレーンにしたらどうかいうわけである。
今までの社会は全てが自動車に対応するにはどうしたらよいかということで作られてきた。
これからの社会は、全ての面で、こうした自動車優先社会から脱却しなければいけない。
中心市街地に自転車専用レーンを確保することは、また、街の活性化にも繋がると考えることも重要だろう。
本通りでは、懸命に自転車の走行を禁じる表示を出し、指導もしている。
そうした指導をするだけでなく、同時に、自転車走行の受け皿をつくることが今なんとしても必要なことではないだろうか。

社会実験というテストの方法もある。
取りあえずは社会実験で実施してみて、その効果を見てみたらいい。
国土交通省の調査では都市部における5km未満の移動の4割に自動車が使われているという。
その反面、自転車は5km以内の移動手段として最適だともいわれている。
国交省も今年に入って、ようやく、自転車の問題の検討を始めたようだ。
http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/bicycle_environ/1pdf/3.pdf

広島市にあっても、駐輪場、自転車レーン、自転車とのパーク&ライド、レンタサイクル、自転車税の導入等自転車の問題を、総合的に検討すべきときに来ているようだ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月 7日 (木)

何か意味する「言い伝え」

「夜、爪をつんだら親の死に目に会えない」「風呂でおしっこしたら、結婚式に雨が降る」こんな類いの訓話は、小さい頃からよく聞かされた。
昔の暗い灯火のもと、ハサミを使えば指先を傷めかねないから、それをいましめたものと理解できる。みんなが共有する風呂場は、清潔であるべきということもわかる。ところが意味のわからない昔の「いましめ」を最近聞いた。

過日、流川の小さな居酒屋で山菜を楽しんだ。「煮しめ」の中に山椒の香りを感じて、山椒の話に及んだところ、ママさんがこんな訓話を教えてくれた。
「鼻歌を口ずさみながら山椒の葉を摘むと、本体の木が枯れるんですよ」という。「そんなばかな」と、おもわずふきだした。70年近く生きて、始めて聞いた話だ。
 私が信じていないと察知したママさんは、かさねてその信憑性について「幼い時から両親にその話を聞かされていた私は、兄と相談の上、実験したのです。つまり鼻歌を歌いながら家の山椒の葉を摘んだら、その数日後にその木が枯れたんです。」と念を押してきた。あいまいな返事をして店をあとにした私は、
つらつら考えた。

 木が枯れたのは、葉っぱを摘みすぎて丸坊主になり「光合成」が不能になったからではないかという結論にいたった。ところで、「鼻歌を口ずさみながら葉を摘んではいけない」という訓話は、何を意味するのだろう。はたと行き詰まった。「山椒には鋭いとげがある。鼻歌交じりにのんきに摘んでいるとそのとげで指先を傷つけるので、歌などうたわず気を使って作業せよ」ということではないか、多少こじつけ気味だが、そうに違いないと思った。でも自信がない。

こんな話を聴いたことのある方は、教えていただきたい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月 6日 (水)

唖然!

「ジャーナリスト」という新聞がある。マスコミに携わる(携わった)人たちで創る日本ジャーナリスト会議という組織の機関紙である。広島でこれを読んでいる人は、200人と居るまい。最新号(5・25発行)を呼んで、唖然とした。

「憲法メディアフォーラム」開催に関連した評論家の談話の中に、「ある大学で、石原慎太郎は右翼か左翼かと質問したら、ほとんどの学生が左翼と答えた」という記事である。評論家氏は、「政府に物言う者は左翼だと思っているようだ」と結んでいる。

戦後の復興期、中産階級の子息としていち早く時代を先取りし、奔放に生きて挫折を知らぬまま湘南から「青春」を発した石原兄弟。彼らと比べれば貧しさの極みにあった私は、やきもち半分、ひとり蟷螂の斧をかざして反発した。

都知事が「ガラパゴス島」へ視察に行く必要は何か、など石原について問うことはままあるが、とりあえず、ひとつだけ腹に据えかねることを書きたい。

ずいぶん前になるが、石原が都知事として重度心身障害児の施設を訪ねたときのこと、不自由を押して懸命に生きる彼らを目の当たりにした石原は、こう言ったという。・・・「彼らには人格があるのかね」・・・
 ここまでは、一部のマスコミで報道された事実だが、このあとのせりふは、あまり知られていない。在日韓国系のある雑誌で、障害者の生命の尊厳を否定するかのような発言があったと報じられていた。そこまで聞くと、もはや反論すべき言葉を知らない。

 最近の大学生は、この石原を「左翼」という。日本は、すでに錯乱状態に陥っているのだろうか。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月 5日 (火)

広島景観100選(2)

前回、「広島には大変美しい景観が沢山ある。それを広島景観100選として紹介したらどうか」と、思いつくままに10ヶ所挙げたところ、ばばさんという方から、それは面白いと評価をいただき、何ヶ所かの推薦をいただいた。
比治山からの眺望と現代美術館。
猿喉川沿いの上柳町周辺。
黄金山の桜並木。
白島長寿園の桜。
向宇品灯台周辺の原生林とウオーターフロント。
牛田山の原生林と日光寺

今回が2回目の選出ということで、私なりにあと4ヶ所加えると
草津の小泉本店を中心とする古民家群
湯木町の木造の温泉宿群
井仁の棚田
白木の山の中の小さな集落

これからも、このようにして、皆さんからも順次推薦をいただき、100ヶ所揃ったところで、ネットによる人気投票をおこない「広島景観ベスト10」を選んだらどうかと考えている。
こうした試みを通して、広島の素晴らしさを見つけていきたい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月 4日 (月)

リーバーさん

長崎での伊藤市長の市民葬に、秋葉市長と共に平和文化センターの理事長のリーバーさんも参列していた。
そこでの発言が新聞、TVで何度も取り上げられていた。
日本語の話せる、読める外国人としての珍しさでとりあげられることも多いと思うが、その発言趣旨はしっかりしていて、共感を呼ぶ。
しかし、まだまだ細かい日本語のニュアンスを表現するのは難しいだろうと思う。
その辺は、周りの人がフォローしてやる必要がある。
また先日の新聞には、リーバーさんらしい発想と思われる米国人留学生を対象にした被爆詩の朗読会の様子が取り上げられていた。
素晴らしい試みだ。
彼の存在は、今後、広島から世界に平和を発信するということでは、大きな役割を果たすように思う。
このような大きな可能性を含んだ人事は、その分、反動も予想される。
しかし挫けることなく、頑張って欲しい。

リーバーさんに関していえば、日本人として忘れてはならないことが一つある。
1954年 9月、台風で、青函連絡船の洞爺丸他数隻が沈没し、乗員乗客1200名が亡くなったという事故があった。
たまたまその船に乗り合わせていた、リーバーさんのお父さんは、自分の着けていた救命具を、日本人の若い人に渡し、自分は海の中に消えていってしまったという話しを先日聞いた。
リーバーさんに、そうした悲しい背景があるということは、殆ど語られることがない。
そのリーバーさんを、市民皆で、応援したい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月 3日 (日)

良い子 悪い子 普通の子

かって、「良い子 悪い子 普通の子」というコーナーが欽ちゃんの番組にあった。
私は、いい子になろうとしたが、なれなかった。
悪い子?それとも普通の子?
「いい子ねー」といわれる子供でも、大きくなったら、大抵、普通の子になってしまう。
中には、悪い子になってしまう子もいる。
秋葉市長は子供の頃からいい子だった。
誰もが、こうなりたい、やりたいということを、彼はいとも簡単に実現してきた。
そして大きくなってもいい子である。
それは、超がつくほどのいい子だといえる。
彼はいい子になりたいからといって、阿たり、媚たりしない。
当然妬み、恨みを買うことになる。
そして孤独な闘いを強いられることになる。
大人になっても、いい子であり続けるのは、並の才能、努力ではできない。
彼は、世の中がどうあればいいのかを考え、行動している。
「2020年核廃絶。世界のモデル都市広島を創る」
今彼の目指していることは、とてつもなく凄いことだ。
そんなことは、“超いい子”でなければ、考えようとも、やろうともしないだろう。
凄い奴だといつも感心している。
真のリーダーには、彼のような人が相応しいと近頃つくづく感じる。
そんなことを女房に話したら、「私は、普通の子になれなかった落ちこぼれです」と宣うた。
ウグッ!?

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月 2日 (土)

東京新聞でみた凄い市井の論客

「東京新聞」を毎日読む人は、まず居られないと思います。
5月下旬、軽薄な改憲論者、櫻井よしこに対する痛烈な反論記事が東京新聞に
掲載されました。
投稿の主は、東京在住の67歳になる無名のご婦人です。要略をご紹介します。
13日付、櫻井の「試される憲法・誕生60年」という論文に対する反論ですが、
肝心の本論を読んでいないので、不適切のそしりは免れませんが、反論を読めば、おおよそうかがい知ることができます。 以下、略文です。

「憲法はGHQが1週間足らずで作った」との「相変わらずの押し付け論」には笑ってしまう。NHKスペシャルを見ていないのか。GHQの草案自体、
戦後の民間研究者や、明治憲法の価値観に対抗した自由民権論者の意見を取り入れ創られたものであることは、資料、証言、研究によって明らか。櫻井は、
「17条憲法、五箇条のご誓文、明治憲法に記された価値観が国家だ」というが
「国家」「憲法」をごちゃ混ぜにして、何が言いたいか意味不明だ。この3つの
共通点は、天皇や摂政といった時の権力者が国民に押し付けたものではないか。
 いうまでもなく、近代国家の憲法は、国家権力の暴走に歯止めをかけ、国民の基本的人権を保障する「権利章典」である。これは中学生の常識だ。
さらに櫻井は「日本人の価値観を取り戻すことが、憲法改正なのだ」「昔ながらの価値観そのものを取り戻す」というが、明治憲法など時の支配者が国民に押し付けた価値観、つまり戦前の日本を<取り戻す>ことを主張していることがうかがえ、<放談>の域を出ていない、危険な<本音>が浮き出ている………  

痛烈で、小気味良い反論に、眼が覚めました。
改憲をもくろむ輩は、本音を隠蔽しつつ、「アメリカの押し付け」「自衛隊の
正当化」「集団的自衛権」「北朝鮮の脅威」などの小手先論法で、改憲をもてあそんでいます。人類史上、国の最高規範である憲法で「不戦」を宣言したのは、第9条だけです。その崇高な理念を、私たちは、生まれながらにして空気のように享受しているわけです。未来に対して取り返しのつかない過ちを残さないよう、踏ん張る正念場ではないかと思います。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2007年6月 1日 (金)

経済人の直言ー経済同友会終身幹事・品川正治ー

 今朝読んだ新聞に経済同友会幹事・品川正治さん(日本火災海上保険社長)の現憲法についての非常に興味深い談話が紹介されています。現職の経営者が憲法と経済についてこれほど明快に語ることは稀なことです。 
少し長くなりますが紹介記事と談話本文を転記します。


<紹介記事> 
 昭和天皇の靖国神社参拝中止の理由がA級戦犯合祀であったとする元宮内庁長官のメモは、改憲志向を強める財界にも微妙な影響を与えている。戦場を経験した財界人で、平和憲法の堅持を訴え続けてきた品川正治・経済同友会終身幹事に聞いた。 



<談話> 
 こうしたメモが今なぜ出てきたのか分からないが、終戦の詔勅くらいのインパクトがある。参拝をやめた理由がはっきりしたことも驚きだが、昭和天皇が「平和」という言葉をキーワードにものごとを考えていたことが分かる点でも意義深い。 
 今、私が懸念しているのはいわゆるグローバリズムというのが、結局は覇権主義に結びついていくのではないかということだ。イラク戦争を遂行した米国のグローバリズムは、世界を取り込むための戦略用語になっている。世界で第二位の日本経済が、それに乗っかると世界経済のかく乱要因になる。そうではなく平和憲法を持って経済をやっていくという決意を示すことが重要だ。(中略)戦争をしている国と、平和憲法を持った国とでは価値観は違う。日本は、グローバリズムを主導する米国の論理とは別に、資本主義の在り方を議論すべきだ。米国の論理に乗っかろうとするのは、その方が得する人がいるからだ。軍産複合体を持たず、平和憲法、非核三原則の下で世界ニ位まで成長したことを誇るべきだ。 
 同友会は首相の靖国参拝中止を求めたが、自分たちの座標軸が揺らいでいては迫力がない。平和を求める反面で、武器輸出三原則の見直しや憲法改正を求める企業経営者のスタンスにも問題がある。正しいことを言うためには(ビジネスの)節度と規律をはっきりさせ、言行一致を目指すべきだ。(中略)政治も経済も、国の在り方をもう一度考え直すべきだ。 
以上 談話紹介 


*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

関連書籍

  • サイフもココロもハッピーに!ちょびリッチ
2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30