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2007年5月19日 (土)

無機質な地名

 安佐北区に、口田という町名がある。「矢口」「小田」という旧地区の統廃合でおそらく、両方の地名から一文字ずつ採用して「口田」にしたと思われる。両地区の住民の心情をおもんばかって、あとくされがないように決められたのだろう。いかにも机上で考えた安易な決定で、何の意味もないばかりか味も素っ気もない無機質な地名で、住んでいてもさっぱり愛着がわかない。太田川に迫る小高い山々、その狭隘な土地に小さな田んぼがひしめき、「小田」という名が付けられたのだろう。

 広島市の平和公園を南下した地区にある「加古町」もそうだ。むかしは「水主町」と書いた。浅野藩の軍船の水主たちが、勇壮に船出していったさまが眼に浮かぶ。「加古町」ではそのイマジネーションが浮かばない。

 広島市のほとんどは、城下町の名残りをとどめる町名が付けられていた。
今残っているのは、紙屋町・八丁堀・薬研堀・的場…と少数派になった。
金屋町、研屋町、魚屋町、革屋町…などが消えた。
「横川町」は、太田川本流から横にそれた流れのそばにあったから付けられた。
「大手町」は、広島城大手門から南に位置するところから、付いたのだろう。
「紙屋町」は、浅野藩の有名な紙商が、商売していたという。
「的場町」は、的を作っていたのだろう。
「富士見町」はすぐそこが海で、安芸の小富士(似島)が美しく望めたからという。
安佐南区の「高取」は、殿様の鷹狩の鷹をつかまえるところだったそうだ。

 毛利から、福島・浅野と、戦国時代としてはおだやかに続いた城下町の人々の安寧の歴史が、商いの息使いが、数百年を通して地名として残ってきた。
それもいつか、消えていくのだろうか。

無機質で意味不明な名に変えられた地名は、ふるさとを慕う人々の心のひだに愛着をもっていき続けることができるのだろうか‥…

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コメント

こんにちは。
いつも 興味深く拝見させて頂いております。
今 拝見すると なくなった地名はたくさんあるんですね。

加古町は 今の地名でしか知らないのですが
水主町だったとは。
確かに 歴史を感じます。

伝えていくのが大切ですね。
また遊びにきます。ありがとうございます

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