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2007年4月29日 (日)

昭和20年9月の戦災(4)

 事件後、混乱期とはいえ当然警察が検証をしたはずであるが、私は一度も警察に事情を聞かれた記憶はない。しかし、何故こんな事件が起きたのか?両親や周囲の大人たちが語り、子供同士で話した記憶を辿ってみると以下のような総括が出来る。

 青年学校の訓練銃を焼却したのは原村の陸軍訓練場に連合軍(オーストラリア、・ニュージーランド軍)が進駐して来る前に処分しておく必要があったと推測される。父の話では学校から「総ての銃の引き金を引いて弾が残っていないか確かめた。爆発は複数の銃創に残っていた火薬が一気に爆発したと考えられる」と説明があったようだ。しかし、一人の児童が死亡し一人が重傷を負った以外に事件の顛末や全体像は今のところ、判らない。

 事件後、時折Oさんのお母さんに出会うことがあった。私を見ては「良かったね、元気になって」と涙ぐまれる。田舎の一本道で避けようもなく出会うのがとても辛くて溝の中に姿を隠したり、黙って走り去った暗い記憶が消えていない。

 この事件についてその後同級生と話した記憶が無い。敢えて避けてきた意識も無い。後年は原爆被爆というあまりに大きな戦争被害に接する機会が多くて「9月20日の戦災」という小さな戦争被害を忘れていたような気もする。

 戦災とは無縁だった西条の地でしかも終戦後一月以上たって発生したこの戦災の記録も記憶も消滅する日が近い。この間、日本は「戦争をしない国」「平和憲法を持つ国」として世界に定着してきた。その一方で戦争の被害や加害を意識的に忘却の彼方に捨てようとする勢力が拡大してきた。

 そして今、平和憲法を改めて「戦争が出来る国」にしようと言う大きな波が押し寄せている。改めて身近なところで起きた小さな戦災を掘り起こし語り継ぎ、広島長崎をはじめ戦争被害の継承の重要性を再認識している。
<一旦おわり>


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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

平和とは、国や市によって与えられるものでなく、市民一人一人が、自ら創りだすものとの思いを改めて強く感じます。

佐々木さま
とても面白かったです。毎回、次を楽しみにしていました。こうした、決して数では言い表せない一人ひとりの体験の寄せ集めが戦争というものなのでしょう。もしかして、教師をしていた父の日記にこの事件が記されていないかと古い日記帳をめくって見ました。ところが、原爆をはさんで、日記は切り取られていました。「某国の悪口が多いので切り取って捨てた」と記されています。進駐軍が来て、捜索をするとの噂があったようです。つくづく体験の継承をどうするか、考えなければと思います。
このブログ、楽しみにしています。ますますのご発展を!!
                             河野美代子

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