金剛山歌劇団

 朝鮮総連の歌劇団“今剛山”の公演を見た。
金剛山歌劇団は‘55年(昭和30年に)日本で生まれた北朝鮮が国外で認知した唯一の在日朝鮮人芸術パフォーマンス集団である。
 
 公演のテーマは「一滴の雫がせせらぎとなり山河をとうとうと流れる大河となる 輝く未来に向かう流れを もう誰も止められない 我が民族 今心をひとつに」…。
祖国の正当性と在日のより一層の団結強化を呼びかける意図が見えるが歌に舞踊や太鼓の演奏でそれらしい発言やアピールは見当たらない。

 朝鮮総連はいまだに日本と国交がない北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の大使館?として在日朝鮮人と北の政府や団体の交流窓口として存在してきた。
 歌劇団は在日同胞を鼓舞する役割に加えて日本政府や国民へのプロパガンダ(国家方針の宣伝)戦略を帯びていたと言えよう。
 かつては日朝間の政治的問題にも言及していた時代もあった…と思うが最近は全くない。
外野で問題を起こさないと言うそれなりの配慮か?北を支持する朝鮮総連系の人たちが自国の正当性についてもあまり多くを言わないのもその表れとも思える。

 近年の日朝間は日本人拉致問題で極めて良くない関係が継続している。’02年と’04年の二度にわたる小泉首相の訪朝で日朝平壌宣言で拉致問題と日本の過去の植民地支配問題の清算で国交の正常化が盛り込まれた。
 しかし、核を巡る米国を中心にした6カ国協議の頭打ちや、拉致問題の行き違いで日本の経済制裁が強まり、一歩も前進しない膠着状態が続いている。

 横田めぐみさんを始めとする拉致被害者の救出交渉は一刻も早く進めなくてはならないが何はさて置き先ず国交正常化交渉こそが急がれるべき順序だろう。

 米朝間は’50年~’53年の朝鮮戦争の休戦状態が継続中だ。
 日朝間は1915年の日朝合併以来の植民地政策に於ける大量の強制連行(事実上の拉致)を始めとする数々の問題が’53年の南北休戦以来も、全く手付かずである。
 米国は自国の都合を優先し日本の事情は置いてきぼりにされているのが実情で、何より大切なことは小泉・金正日会談に基づく日朝国交正常化を優先しながら拉致問題も並行させる…事が重要である事は誰の目にも分かっているはずだ…が。

 胸に青いバッジをつけた麻生総理以下民主党国会議員の中にも多く、私には拉致家族に対する意識的パフォーマンスやお為ごかしで、事の本質が理解できていない人に見えるのは間違いだろうか。
 
 この歌劇団の公演に全国各地で公営会場を貸すなとか自治体に後援等を止めるようにと言う圧力が掛っていると言うが広島公演は広島市と教育委員会中国新聞・RCCが後援していた事にエールを送る。最終的には制裁より友好交流の方が大切だから…。

 歌劇団の公演を見ながら日本の圧政で言葉や文字に氏名まで奪われ民族の誇りや生きる権利や生活のすべてを奪われた人達の事を考えた。

 今なお国外で税金を納めながら参政権や基本的人権すら保障されない苦しみや悲しみを抱えている民族がどれだけいるだろうか。

 更迭されたとは言え、日本の植民地化や侵略行為を正当化し旧軍隊を美化する、現職の航空幕僚長がいるこの国の防衛感覚が徹底的に追及され問われる時ではなかろうか。
 改めて在日朝鮮人や日韓、日朝の問題解決のため日本国民の緊急な政治課題として、次の総選挙の争点として位置づけられるべきとの思いを強くした。
                   

12

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

安芸の柿―広島ブランド

11月に入って、湯来町を走ると、あちこちの庭先に柿の木を見かける。
黄色くなった柿が、一杯についている。
綺麗な景色だ。
その殆どが西条柿だ。
西条柿は渋柿で、干し柿にするか、渋を抜かなければ食べられない。
皮をむいて干し柿にするのは面倒なのか、ほとんどの家では、そのまま放置し、熟して、落ちるに任せているという。
柿を生ったまんまにしておくと、熊が食べに来ることもあるので、本当は危険なのだという。
私の友人のS氏は「西條の実家にも屋敷内に樹齢50年以上の大きな西条柿の木が数本あって、秋には熟した柿が落ちていました。その木も幹がひと抱えにもなった頃、誰も食べず、干し柿にする手間もなくやむなく30年前に伐採してしまいました。」といっていた。
もったいない。

1_2

通常お店で甘柿と称して売っている柿は、渋柿を炭酸ガスやアルコールを使って渋を抜いているのだという。
そうすると、渋の成分であるタンニンは不溶性になり、渋みがなくなるのだという。
昔は、一晩お風呂のお湯につけて、渋を抜いたそうだが、なかなか上手くいかず、半分近くが渋いまま・・ということもあったという。
今では、ドライアイスでいとも簡単にできるそうだ。
それでか、甘柿といっても、そんなに美味くはない。

本当の甘柿は、やっぱり木で熟して、トロッとなった頃食べるのが美味い。

子供頃育った家の庭には、柿の木、グミの木と八重桜の木があった。
我が家にあったのは甘柿だった。
木に生っている状態で熟した柿は本当に美味かった。
凄く大きかった。
種類は甲州百目だったのだろうか。
秋になって、毎日一つずつ取って食べるのが楽しみだった。

この甘柿は渋柿の突然変異でできたもので、日本にしかない品種なのだという。
だからか、甘いだろうと思って、かじってみると渋かったりする。
甘さに安定性がない。
そんなことでか、トロッと熟した甘柿は、お店には売っていない。
熟す前に取って、人工的に渋を抜いているようで、あんまり美味いとはいえない。
その所為もあってか、どうも柿の人気はいま一つさえない。
ほんとうの柿の美味さが、どうもきちんと伝わる仕組みになっていないようだ。

柿の旬は数週間と極めて短い。
それならいっそ、その短い旬を、逆に「売り」にする仕掛けを考えたらどうだろうか。

ケーキだって、弁当だって本日中にお召し上がりくださいと書いてある。
「柿も明後日中にお召し上がりください」と書いて売るようにしたっていい。
「湯来町に行けば、美味い柿が食べられる。行かなければ食べられない」なんて宣伝の方法もありそうだ。

干し柿だって、私は好きだ。
でも家族の中で干し柿を食べるのは私だけだ。

本当は干し柿もカチンカチンになるまで干したものより、ちょっとトロッとした感じの方が美味い。
西条柿を買ってきて、皮をむいて、4~5日たって渋が抜けてから食べても、結構美味い。

「柿の本当の美味さ」をきちんと知ってもらうことがまず必要だ。

柿の栄養価についても、もっと宣伝したらいい。
バナナがダイエットにいいということがTVで放送されたら、バナナが売り切れたという。
「柿はビタミンOの含有量が、ミカンの倍もある。
柿の渋みの成分、タンニンは血圧を下げる効果もあるという。
またアルコールデヒロゲナーゼは2日酔いにも効果的だという。

広島市には農業振興センターもある。
甲州百目とかの甘柿を品種改良して、新種広島特産の甘柿をつくったらどうだろうか。
安芸の甘柿を作るのだ。
それを、農家の庭先に植え、「広島ブランド」として売るようにしたらいい。
湯来町にいかなければ、熟した甘柿は食べられないというようにしたっていい。
秋になって湯来町にいけば、どこの農家にも柿があるのは景観的にも美しい。

広島の温暖な気候は柿に合っているように思う。
虫もそれほど付かないし、手入れも難しくない。
桃栗3年、柿8年という。
そんなに時間はかからなくとも大きくなる。
渋柿の木に甘柿の木を接ぎ木すれば、数年で実がなるようになるだろう。

リンゴ畑とか梨畑、みかん畑はあるのに、柿畑というのはあまり聞かない。
例えば湯来町に大きな甘柿の山があるということにでもなれば、それはちょっとした名所になるだろう。

地産地消、自産自消にもなる。
広島市の食料の自給率を上げるためにも、柿を各戸の庭に植えたらいい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大相撲 広島場所

10月24日、グリーンアリーナで大相撲広島場所があった。
客席は1万人近くの観客で埋まり、ほぼ満席だった。

1

私の行ったお昼近くには、序の口、新人の取り組みがされていた。
将来を夢見るスター候補生だ。
お昼休みには、初切=相撲の48手が、面白おかしく紹介された。
初切は、勝負の緊張した雰囲気をフッと切り替えてくれる。
相撲甚句、お客様に来てくれたお礼の言葉をアカぺラで歌う。
お相撲さんは、皆というわけではないだろうが、歌が上手い。
北桜も、渋いいい声だ。
続いて、触れ太鼓についての紹介、会場内に様々の叩き方による太鼓の音が響く。
十両の力士の取り組み、地元出身力士の北桜、豊桜へは大きな拍手がある。
それが終わると、横綱の土俵入り。
そして中入り、幕内力士の取り組みが始まる。
いつもTVでみている高見盛とかの、人気力士にはやはり拍手が大きい。
本番でもない。
皆、怪我をしないように最後は力を抜いている。
横綱の取り組みを最後に終了した。
弓取りは、帰るお客で、出口が込まないようにという仕掛けだ。
それぞれの場面を切り替えるのは、とても木の音とは思えない、きれいに澄んだ拍子木が打たれる。

砂被りの席は座布団に座って見る。
その座布団に力士のサインをもらっている人もいる。
いい記念になるだろう。

地方巡業には地方巡業の趣がある。

こうした内容、構成は、長い歴史の中で組み立てられてきた。
良くできている。
勝負の取り組みだけが大相撲ではない。
一つ一つがきちんと計算され、美しい芸術にまでなっている。
数百年の歴史を感じる。

大相撲は八百長があるといわれたり、暴力事件があったりと、ちょっと評判を落としているが、日本が世界に誇るイベントであることは確かだ。
そのうち大相撲ではなく「OZUMO」となり、「HIGASHI- HAKUHOU-、NISHI-・・・・」といわれる時代がくる?

大切に守り、育てていきたい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

楽々園の大名松

 最近、60肩?(嘗ての50肩は今の実態は60~70にも現れる症状)に悩む家内に付き合って楽々園で開業しているゴールドハンドS氏の鍼灸治療院に通っている。
 S氏は国内外のオリンピックやプロスポーツのトレーナーとして世界を股にする鍼灸師でもある。東京と大阪にも分院があって週の三分の一は出張治療だ。
 先の北京オリンピックのメダリストたちもお世話になっているようだ。

さて、話が余談になってしまったが、その治療院は広島市佐伯区五日市の楽々園の旧道、嘗て西国街道と呼ばれた住宅街のJRと広電の間を並行している旧山陽道沿いにある。
 その治療院を挟んで東西2~300メートルの間隔で道路沿いに二抱えはある歴史を感じさせる大きな黒松が目につく。

 私が育ったのは東広島市西條町寺家(ジケ)の塚の垰(つがのたお)と言う旧山陽街道が八本松から西條に通じる旧国道2号線に繋がる地域の集落で育った。街道には江戸時代の参勤交代を機に17世紀に植えられたと言う大人の二抱えも三抱えもある大名松が数百メートル置きにあった。(当ブログ2月18日付「ふるさと“寺家の人口増”と開発」参照)

 その大名松は昭和30年代後半の自動車の増加や大気汚染が始まった公害のせいか枯れはじめ平成になった頃にはほとんど姿を消してしまった。歴史を物語る貴重な存在は今では旧山陽道沿いには安芸郡海田町に残る“藩主、出迎えの松”くらいしか無い。JR山陽本線や国道2号線からも見られる姿は雄々しく逞しいとは言えないが現存する貴重な大名松だ。
                                           
 恋人ではないが昔の懐かしい人に会ったような感じがする大名松との出会いは、区役所に電話で聞いて確認できた。消して十分に生きてはいないが間違いなく200年以上生きてきた大名松だ。江戸と地方を結び巡視制度をきっかけに全国の街道沿いに生まれた大名松が今県内にどれほど生き延びているのだろうか…。
 改めて、物言わない大名松の故事来歴を調べてみたい気がしている。

123

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フードフェスティバル・ひろしま

10月25日(土),26日(日)の両日、広島城、広島中央公園を中心して、フードフェスティバルが開かれた。
2日間で78万人の人出だった。
私が行ったのは2日目の雨だったが、それでもかなりの人出があった。

1

お城に近いテントでは、菊の花が展示されていた。
広島県内の23市町が参加したというテントでは、それぞれにその町の特産品を売っていた。
牡蠣があり、お酒があり、牛の大きなモモ肉をその場で焼いてもいた。
安芸高田市のテントでは、祇園柿を売っていた。
浅野の殿様がその昔、京都の祇園から持ってきたのだという。
種なしの柿だが、どうやって増やしていったのだろうかちょっと不思議に感じた。
米粉によるパンや、うどんも売っていた。
米粉パンを買った。
なんとなくお餅みたいな感じがする。
醤油をつけて食べてみたが、どうも美味くない。
やっぱりバターとハムで食べた方が美味い。
やっぱりパンということなのだろう。

中央公園の太田川に近い西のゾーンに各国のテントが張られていた。
タイ式焼き鳥だという。
どこがタイ式なの?と聞くが、日本語が上手く通じない。
こんな国際色豊かなフェスティバルができるのも広島だからだろう。

2

こうしたイベントに関連して使うお金は、交通費等も入れて、一人当たり大体8,000円だという。
このフードフェスティバルについてみれば、8,000円×78万人=62.4億円にもなる。
イベントの経済効果の高さに改めて驚く。
イベントが、街の賑わいづくりに、重要な要素であることがわかる。

フードフェスティバルは、元々は秋の収穫祭という意味から始まったのだろうが、近年はそれに加えて、広島県の自給率を高めようと「地産地消、自産自消」というテーマも加わった。
広島県の自給率は24%、広島市の自給率は3%だ。
「環境」もテーマに加わった。

フードフェスティバルもただ模擬店が沢山でていて、賑やかだということだけはなく、長続きするには、こうした「テーマ」を持つことも極めて重要なことだ。

フードフェスティバルが、年々盛んになることを願っている。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

シネマクラブ・毎月ワンコイン上映会へ

 シネマクラブ・ひろしまが発足して半年がたった。
年4回の定期上映に年8回のワンコイン上映会を計画して取り組んでいる。

 第一回定例上映会を5月にドイツ映画「善き人のためのソナタ」を、二回目は8月に「東京原発」を2日にわたって上映した。
 
 この会は広島映画センターのご協力を得て“劇場上映される映画に限らず幅広い社会性のある話題の映画を上映して見て頂く機会を作り、映画好きな会員相互の親睦を深めつつ広島映画・映像文化の向上を支えよう“と言う目的で発足させた。
 幸いに、映画センターにある豊富なライブラリーを会員の為に試写する機会を得られるのは他のこうした同好のクラブでは真似の出来ない特典である。

 7月に開いた第一回のワンコイン上映会では新藤兼人監督の「原爆の子」を8月の特別上映会では中沢啓治さんを迎えて中沢さん原作の「かっ飛ばせドリーマーズ~カープ誕生物語~」を、そして10月は終戦後の広島の戦災孤児収容所で子供たちが逆境にも負けず人間として一番大切な優しさや思いやりを体得する「青葉学園物語」を上映した。
 上映後の交流会はワンコイン500円玉でワンドリンクにおつまみで今日の映画から当時を思い出し、いま時点での評価など幅広い話題の交流が深まり“皆で見て語る楽しさ”を徐々に実現している風景は嬉しい限りだ。

 11月22日(10時~上映)にはアステールプラザ中ホールで米国前副大統領が企画いた環境の現状を問う「不都合な真実」の特別上映()を決めた。
 12月11日(木:18時半~)と12日(金:13時半~)は横川の西区民文化センターで第三回定例上映会を落語家の立川志の輔さん原作の新作落語から生まれた「歓喜の歌」の上映も決めた

 このほど開いた幹事会で改めて今後の活動として映画センターのライブラリーから会員対象のワンコイン上映会を毎月開く事を決めた。来年4月以降は毎月第二水曜日に堺町の映画センターで19時からの上映を定例化させる。
 因みに上映候補作品を紹介しておく。
邦画:若者たち(’67年・森川時久)ひとりっこ(‘69年家城巳代治)故郷('72年・山田洋次)息子('91年・山田洋次)ふるさと('82年・神山征二郎)奴隷工場('68年・武田敦)謀略・松川事件('81年・熊井啓)松川事件(’61年・山本薩夫)八月の狂想曲(’91年・黒沢明)子どものころ戦争があった(’81年・斎藤貞郎)愛と死の記録(’66年・蔵原推繕)広島('53年・関川秀夫)第五福竜丸('59年・新藤兼人)ヒロシマの証人('68年・斎村和彦)にっぽん泥棒物語('65年・山本薩夫)
洋画:野獣たちのバラード(’65年・ミハイル、ロンム)抵抗のプラハ('71年・ウラジミール・チエフ)大いなる幻影('37年・ジャン・ルノワール)自転車泥棒('48年・ビットリオ・デ・シーカ)道(ジェルソミーナ・’54年・フェデリコ・フェリーネ)

 この他アニメーションや中短編アニメ、記録映画が数百本ある。
上記候補作品の中から12本を選定する。
会員以外でもこれを観たいと思われる方はご一報・メールをください。
上映や入会に関しては下記のところへご連絡ください。よろしく。

問い合わせ先:シネマ・クラブひろしま(広島映画センター内:担当=勝谷豊稔)
     Tel:082-293-1274  fax:082-293-2229
     http://cc-hiroshima.ciao.jp
e-mail:hiroshima@gmail.com
     sasaki.:e –mail=sasakitenmei@ybb.ne.jp

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

若者・自分の道探し

 この1年余り市民平和交流やシネマクラブ・ひろしまの活動や交流を通じて20代30代の若者と知己を得た。何れも大学を卒業して就職しながら、一端立ち止まって新しい自分の道を探しながら派遣社員やフリターとして働いている。

 その若者の一人でグループのリーダーを務めるH君は外務省の外郭の国際機関で国際貢献事業に携わりアジア・アフリカなどを中心に活動してきた。この2年ばかり、自分の仕事はこれでいいのだろうか…と考え悩んでいた時、広島から世界に平和活動を発信する広島文化センターの仕事に強くひかれて再就職を確保した。約10年間勤めた国際機関をやめる勇気は大胆なほど見事な決断だ。

 その彼が牽引役の環境問題を中心に考え活動する会に参加しているH君は同様に大学を卒業後広島市内で就職していたが、昨年の統一地方選挙で一番問題を抱えた候補者が無投票に成りそうな選挙区に突如出馬を決意した。“こんな無投票は許されない“と若い正義感が押し出した…ようだ。友人5~6人の応援部隊で闘い抜き千票確保できれば良いと思っていた得票は7千票を越して県内各地で大きな反響を招いた。
 今は再就職して2年半先の統一地方選挙にどう対応するか思案中と言う。

 防衛大学を卒業し呉の海上自衛隊で一尉として勤務していたO君は“自分の居場所では無い”と考えるようになって退職し、今は派遣社員として昼夜交代の仕事について本当の自分が目指すべき道を探しをいている。

 今年初めまで幼稚園の保育士をしていたO君もこども好きと言いながらも自分が将来にわたって身を置ける場所では無いと考えて退職し、数カ月間インドを中心に東南アジアを旅して考え至ったのは将来農業を目指したい…と目下県北部の農家で研修を目指している。 

 3人はそれぞれ安定していた職を投げ出す決断をして自ら厳しい環境に見えをさらしながら真っ向勝負の『本当の自分の道』探しに掛けている。
 “今時の若い者は…”とたやすく批判しがちだったが、大胆な一方気真面目でその生き方は私には真似のできない紳士な態度と決意が漲っている。

 この若者の気持ちを今混乱の極みを迎えている政治に向けることが出来れば良い…と思い、お節介ながら若い世代の政治家?達を紹介している。きっと何か自分に最も向いた道を発見して掴むに違いない。
 大いに情熱をぶっつけて自分の道探しに取り組んでほしいとエールを送りたい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

空口ママのみるく工房

K氏に、もう1軒、湯来町のユニークなお店を紹介してもらった。

空口さんという女性のミルクジャムを製造販売しているお店だ。
空口さんが北海道にいるときミルクジャムを作っているところがあると聞き、押しかけていって教えてもらったのだという。
牛乳にグラニュウ糖、てんさい糖を煮詰めて作っているという。
まさに手作りだ。
湯来町周辺の農家で飼っている乳牛から絞った牛乳を使っているから、もちろん安全性も保証できる。

3

お店の一押しのミルクジャムは140g、680円だ。
美味い。
子どもころ大好きだったキャラメルの味がする。
私も、近頃あまり酒を飲まなくなったからか甘党になってきたようだ。
パンに塗って食べてもいい。
ミルクジャムが売りだが、その他にも色々作っている。

市内のお店にも卸しているという。

お店の半分のスペースが製造部門、残り半分のスペースにショーケースが置かれている。

建物といっても、素人が自分で、手作りで建てたような造りだ。
それがまた女性のお店らしい優しい雰囲気を作り出している。
お店を作る、会社を興すなんておおげさに構えていないのもいい。
それでも、お店は地産地消の立派なモデル店だ。

お店の前にテントでもいいから、オープンカフェのようにして、コーヒーを飲めるスペースを設けたらいいのにというと、
いずれ作るという。

湯来町には、こんな楽しいお店が次々とできていっている。

湯来町には、こんな素敵なお店があると、みんなに教えてあげたい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

みんなの元気な店

湯来町を走る国道433号に面して「みんなの元気な店」がある。
この店の謂れを知らなければ「なんかぼろちぃバラックが建っているなー」で通り過ぎてしまうだろう。
この店が、どんなお店かK氏に教えてもらった。

「この店は地域の農産物品を売っているというだけでなく、地域のお年寄りがふれあいながら仲間をつくり、生きがいを持って余生を楽しく過ごしていこうという思いで13年前、朝市の野菜の販売から始まりました。
開店時間は、毎週水、土、日曜日です。
みんなの元気な店は、平均年齢77歳(最高齢者88歳)の゛おばあちゃん゛たちが運営する店です。
畑で採れた新鮮野菜や手作りの加工食品、つる細工のお土産品などを地域のふれあいを添えて販売しています。ります。」
という。

2

といわれてみると、このバラックのような建物が、妙に味わいのある建物に見えてくる。
おかしい。
お年寄りが自分たちで材料を持ち寄り、手作りで建てたのだろう。
建設費は殆どかかっていないはずだ。
テンポラリーな感じもいい。

何か子供のころ、部屋の片隅に作った段ボールの箱にもぐりこんだ頃を思い出す。
あの頃の子供のように、お年寄りが夢中で作ったのだろう。

お客さんが来れば、誰にでもお茶をだしているのも可笑しい。
お年寄りの誰かが近くの松林から取ってきたのだろう、7,000円と値札のついた松茸も売っていた。

お年寄りが茶飲み話をする場をつくり、その費用をねん出する仕掛けを作ったというコンセプトもいい。
なんとも楽しいお店だ。

平均年齢が77歳?
こんなことができるなら、私も早く後期高齢者になりたいとすら思う。

このお店のありかたは、これからの時代の高齢者のあり方を示している。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

もみじー古民家のレストラン

湯来町、国道433号からちょっと入ったところに、古民家のレストランがある。
看板がなければ、全く普通の農家と思って通り過ぎてしまうだろう。
建物は、築100年を超えるという。
奥には囲炉裏があり、土間もある。
レストランにするからといっても、改装は殆どされていない。
農家の住いだった懐かしさが、そのまんま残っている。
隣にはオーナーの家族が住むのだろうか、白いコンクリートの現代建築の住宅が建っている。

玄関を入って、すぐ脇の庭に面した畳の部屋で食事をする。
10畳と8畳程度の部屋に、障子が取り払われ、座卓が6つほど置かれている。
食器はこの家で昔から使っていたのだろう、歴史を感じさせる食器だ。
壁には戦前に頂いたというような表彰状が飾られていた。
お米と野菜の殆どは、無農薬の自家栽培だという。
ちょっとした拘りもある。

こうしたところで食事をすると、何かこの家にお呼ばれして、食事しているような感覚になる。
日本の家は狭いということもあるが、大体自宅で、お客をもてなすために買い出しをしたり、調理するなんて、面倒なことはほとんどしなくなっている。
自宅で客をもてなすような、貴重な雰囲気を醸し出している。

1

湯来町には、他にもこんなレストランが何軒かあるようだ。
それもここ数年の間にできたお店だという。

新聞、TVに取り上げられたこともあってか、結構市内からもお客は来ているようだ。
ショッピングセンターのレストラン、ホテルのレストランとは全く違った味わいがある。

湯来町の魅力を改めて感じる。
そんな魅力を感じてか、私の友人のM氏は、もう何年前から湯来町に移り住んでいる。
私もいつか移ろうかななんて考える時もある??

こうして改めてこの街を見ていると、近年、人々の生活の仕方も、大きく変わってきていることを感じる。
湯来町に残っているこうした昔ながらの農家が、そのまんまの姿で、レストランや物産店に変化していけば、湯来町は、全く新しい概念の街になるかもしれない。
楽しみだ。

限界集落となって集落が消えるから、なにか手を打たなければいけないなどというが、そんな大げさなことをしなくとも、ここではごく自然な形でUターンが進んでいる。
後はこうした流れを後押しする仕掛けがあればいいようだ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«私の北海道感想記(4)